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2013年5月10日

おなじ臭い


自分の勝手な論理で次々と殺人指令を出していたグルとよばれた男がいる。
ひそかに毒ガスを製造し、大量殺人も計画していた。

その残忍な犯罪を糾弾してきたジャーナリストの女性がいる。
幼い子供まで殺させたことに怒りを隠そうとしない。
女性は死刑制度を強く支持している。

彼女の中では「いのちを大切に」ということと「殺せ」ということは同義であるらしい。

区別がつかないのです。
グルとジャーナリスト、どちらも自分が正しいと信じればいのちを奪うことに何のためらいも見せない。

私には両者がおなじ体臭を放っているとしか思えないのです。










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失いたくないものは?


1948年春、日本の教育状況と日本語に対する無知と偏見から
「日本語は漢字が多いために覚えるのが難しく、識字率が上がりにくいために民主化を遅らせている」
とするアメリカの若い将校の発案で日本語をローマ字表記にしようとする計画が起こされた。

その年の8月に文部省によって実施された「日本人の読み書き能力調査」であったが、
結果、漢字の読み書きができない人は2.1%にとどまり「日本人の識字率が100%に近い」という結果が出た。
世界的に見てもこれは例を見ないレベルであり、日本語のローマ字化は撤回された。

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あなたにとって 失いたくないもの は なんですか

あなたにとって 奪われたくないもの は なんですか

ひとりひとりのこの素朴な思いがしっかりと認識されていなければならない。

「何をまもるか」誰もその答えをもたぬままでは「防衛」という行為は成り立たない。あってはならない。
「国をまもる」「国を愛する」これらの言葉はある意味美しい響きがある。

しかし、どちらも漠然としていて「イメージの世界」を脱していない。
ここにつけこまれ私たちは利用される。協力させられる。

何をまもる、何を愛する・・・これらは具体的に語られなければならない。

   「こいし屋」のうどんの味をまもりたい。
   
   きゃっきゃいいながら虫を追いかけているこどもたちの、そんな時間をまもりたい。
   
    重房さんの包丁作りに寄せる並々ならぬ情熱を大切にしたい。
   
   「いえなみ」ではなく「やなみ」という響きをまもりたい。
   
   etc

漠然としたイメージのままにしておきたい連中がいる。そのほうが都合がいいと考える連中がいる。

美しい言葉に酔いしれていては一部の人間の思惑に利用されるだけだ。
一部の人間のみが「まもりたい」とすることに付き合わされるだけだ。
それもこちらの命をかけて。

あたかもそれが自分の目的であるかのように信じ込まされて・・・・。

わたしたちから "大切なもの" を奪っていくのが外国人と決めつけてはならない。"敵" はどこにでもいる。

誰かが言っていた "おなじニッポンジン" を名乗って。わたしたちの協力者、後ろ盾のような顔をして。

外国でどろぼうの被害にあった夫妻は語っていた。

隣人がコンサートのチケットをプレゼントしてくれた。それもプレミアチケットだ。
夫妻は隣人の好意に感謝してコンサートに出かけた。
帰宅してみると家財道具はきれいになくなっていた。当然、隣人は行方をくらませていた。

日本人は善い人が多い。
しかし、周囲が自分と同じような善意の人であるとは限らない。ここが問題だ。

それでも「騙す人間」よりは「騙される人間」でありたいと願っているからどうにも始末に悪い。
だから好きになれる。

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[防衛]ニ ツイテ ノ シツモン デス

★ 防衛 トハ グタイテキニ ナニヲ スル コトデスカ

  A: 外国の勢力から国土をまもる
  

不正解デス

   北海道では近年、外国資本による森林取得が急増。道の調査によると、外資の森林取得は
   これまでに33件、計約820ヘクタールに上る。このうち最も多いのが中国の12件だった。

   自衛隊施設周辺や水源地にあたる森林が買収されるケースもあり、
   安全保障や公共秩序維持の観点から問題視する声が強まっている。  

コノヨウナ モンダイ ガ オキテイルノニ カスミガセキ モ ナガタチョウ モ ムカンシン デシタ

コクド ヲ マモル イシ ガ アルトハ オモエマセン

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★ 防衛 トハ グタイテキニ ナニヲ スル コトデスカ

  A: 外国の勢力から空をまもる

不正解デス

スデニ ニホンノ ソラ ニ ニホンノ ジユウニナル クウイキ ハ アリマセン

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★ 防衛 トハ グタイテキニ ナニヲ スル コトデスカ

  A: 日本人の財産をまもる
  

不正解デス

ニホンジン ノ ザイサン ハ ユウセイ ミンエイカ ノ ナノ モトニ

アメリカ シホン ニ サシダサレマシタ

セイフニ ザイサン ヲ マモル イシハ アリマセン

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★ 防衛 トハ グタイテキニ ナニヲ スル コトデスカ

  A: 日本の文化をまもる
  

不正解デス

エイガサンギョウ ハ ドクセン サレ アメリカ ノ ボウリョクテキ コウセンテキ

エイガ ヲ ミセラレツヅケテ イマス

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★ 防衛 トハ グタイテキニ ナニヲ スル コトデスカ

  A: 日本人の生命をまもる
  

不正解デス

ホウシャノウ オセン デ オオクノ ヒトノ セイメイ ガ キケンニ サラサレテ イマス

ソレデモ キケンナ ハツデンショ ヲ トメヨウトハ セズ デンリョクガイシャ ノ

リエキ ヲ ユウセン サセル セイフニ セイメイ ヲ マモル イシハ アリマセン 

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★ 防衛 トハ グタイテキニ ナニヲ スル コトデスカ

  A: 武器を生産すること
  

正解デス 正解デス

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あなたにとって 失いたくないもの は なんですか

あなたにとって 奪われたくないもの は なんですか








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総括をしない日本人___スケープゴートにされたA級戦犯たち


かつて菅直人氏は靖国神社問題について「A級戦犯合祀という本質的な問題がある」と発言した。

これはまったくおかしなことで、一宗教法人が誰を祀ろうと政治が介入すべき問題ではない。
政治が靖国神社をどうこうしようと言うこと自体、政教分離を逸脱した行為と言うべきだろう。
政治の介入こそが本質的な問題である。

神社側が天皇のために戦死した人を追悼しようと戦犯と認定された人々を祀っていようと、
それは一宗教団体のあり方の範囲内であれば自由であるべきだ。
そうでなければ憲法に定めた信教の自由は有名無実なものとなってしまう。

    第19条 思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。
 
    第20条 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、
           又は政治上の権力を行使してはならない。
         2 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
         3 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。

A級戦犯合祀が問題・・と捉えるから「分離すれば・・」という話に引きずり込まれる。
何故、そうまでして「神社」という形にこだわるのか。
政治が「神社」を必要とする魂胆とは何なのか。
政教分離の大原則はいったい何処へ行ったというのだ。

合祀・分離論が出てくることは国家による「靖国神社」存立を画策するグループの巧みな戦略であり、
そのような議論の土俵に乗ること自体、
憲法が描いている民主的国家運営から遠いものであることを忘れてはならない。

そもそもA級戦犯とは日本の国内法で戦争犯罪と決められたものではない。
第二次大戦後極東国際軍事裁判で連合国、つまり、戦勝国によって犯罪とされたものである。

裁判そのものを否定するつもりはないが、手続きとして国内法が関わっていないことは押さえておくべきだ。
つまり、A級戦犯合祀が問題になるということは、国内の総意や法理論よりも
戦勝国におもねることが優先されていることにある。

60年余を経過した今日でもなお敗戦国の呪縛から解放されない政治のありようは
独立国としての将来を思うとき、まことに憂慮に耐えない。

戦前の国家体制がよい社会とはとうてい思えない。
戦争という最も愚かな道を選択し、あまたの尊い命を犠牲にしたことを擁護するつもりなど毛頭ない。
侵略戦争ではなかったという論調に与するものでもない。

真に民主的な国家を築いていく過程においては戦前の政治体制について十分な検証が必要となる。
では、これまでに日本の市民の手によって検証し、自らを裁いたのかといえば答えは「NO」である。

一部の人間をスケープゴートとして巣鴨におくり、戦争犯罪のすべての罪を被せ、
自分たちは何も関係がなかったと戦後社会を生きるような連中がこの社会をよい方向に導くものだろうか。

戦前、戦中を巧みな処世術で生き抜いた連中は、戦後、GHQにとりいり戦犯リストから逃れている。
悪名高き731部隊の石井四郎は訴追もされていない。

自ら最高責任者でありながら戦後は傍観者を装い、平和国家の「顔」を演じ続けた天皇裕仁は
その意味で最も卑劣きわまりない人間である。

A級戦犯分離を唱えるということはまさにこの延長線上にある論理である。
戦前の国家体制について批判することもせず、
「加害者であるA級戦犯」を切り離して新しい国家を築こうとしても、
足元のしっかりしていない国家観など砂上の楼閣でしかない。

歴史の検証、それは決して容易ではない。
先人たちを傷つけることもあるかもしれない。
しかし、あまたの尊い命が犠牲になり、我々がその当事者であった事実から目を背けてはならない。

戦争に参加した人、当時こどもだった人、そればかりではない、
現代の我々も含めすべての人が検証に立ち会わなければならない。
そうでなければ本当に民主的な社会、平和な社会などつくれるはずはない。

スケープゴートとして死んでいった人たちは無駄死にになってしまう。







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防衛オタクは政治家といえるか___あらためて石破氏を問う

石破氏が自民党幹事長になられた。
あらためて2011年の発言を振り返ってみる。

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「石破氏の発言」

2011年8月16日、「報道ステーション」で放送された、自民党 石破茂氏の発言。

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   「…安全神話みたいなものを…政治的には作り出さざるを得ない状況だったのではないですかね。
   政治は結果責任ですから、責任は自民党が相当程度負わねばならないわけです。

   きちんと検証することなく、電力会社、経産省、そういうことを、
   あえて言えば鵜呑みにしてきた責任は免れないことだと思います」

   「原発のウェートを減らしていきながら、
   再生可能エネルギーのウェートを高めていくという方向性に異存はありません。

   ですけども、原発をなくすべきということを目標とするやり方には賛成してはおりません。

   原子力発電というのがそもそも、原子力潜水艦から始まったものですのでね。
   日本以外のすべての国は、原子力政策というのは核政策とセットなわけですね。

   ですけども、日本は核を持つべきだと私は思っておりません。

   しかし同時に、日本は(核を)作ろうと思えばいつでも作れる。
   1年以内に作れると。それはひとつの抑止力ではあるのでしょう。

   それを本当に放棄していいですかということは、それこそもっと突き詰めた議論が必要だと思うし、
   私は放棄すべきだとは思わない。

   なぜならば、日本の周りはロシアであり、中国であり、北朝鮮であり、そしてアメリカ合衆国であり、
   同盟国であるか否かを捨象して言えば、核保有国が日本の周りを取り囲んでおり、
   そして弾道ミサイルの技術をすべての国が持っていることは決して忘れるべきではありません」

Q:3.11の前後で何か変わりましたか?

   「原発に限らず、この世の中に絶対というものはあり得ないことを、よくみんな認識したんだと思います。
   日本って絶対神話というのが流行りますよね。

   戦艦大和は絶対沈まないだとか、日本は神の国なので絶対負けないとかね。

   だけど、突き詰めた議論なしに絶対神話を作る日本の悪癖、あるいは、議論を突き詰めずに、
   仕方がないじゃないかとか、やむを得ないじゃないかとか、そういう物事の決め方。
   それは決して、いい結果をもたらすことはありませんよね。

   日本人はもっと突き詰めてモノを考えるべきだし、そうでなければ、
   結果は決して幸せにならないということだと思います」

                                      (以上)

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政治家はどのような状況下においても国民の利益を図らねばならない。
あらゆる選択肢を排除しない氏の姿勢は批難されるべきではない。
論理的な思考は多くの議員の中でも抜きんでたものがあり、そのことは評価されてよい。

しかし、結論から言えば氏の発言は "誤ったメッセージを発信してしまった" といわざるをえない。
原発の問題点の認識が希薄ではないか。
原発全体の本質的な問題に言及していないのではないか。

原発と核兵器との結びつきに言及したしたこと自体は、
陰に隠されていた問題を提起したと言う意味で評価されてよい。

しかし、原発は「核の傘」や「産業政策」を論ずる前に、
人類にとって大変大きなリスクがあることを忘れてはならない。

事故対策ばかりに目がいくが、原発は地球を温め続け環境を破壊している、これをどうするのか。
最終処分方策がまったくないままに利用だけを論ずることがあっていいのか。

そして、既に起きている事故である。
「核の傘」というのは国民を守るための発想ではなかったのか。
チェルノブイリでもフクシマでも核戦争と同じ結果が起きている。

「核の傘」理論は現実には意味をなさない。既に破綻している。
政治家は机上の空論をもてあそぶべきではない。

「あらゆる選択肢を排除しない」という姿勢は責任ある政治家としては当然のあり方である。

しかし、困難な状況下にあっても政治家になった原点を忘れることがあってはなるまい。
現状を追認するのか、現状から脱却するのかは大きな違いだ。

核を持つ国々に囲まれている状況を示すのはよい。
幻想の平和に浸っている国民にはおおいに刺激となろう。

しかし、それと同時にその状況にいかに対応するかが語られなくてはならない。
その状況をいかに克服していくかを示すのが政治家の役割であろう。
不安を煽る結果に終わってはならない。

周りの状況を見るとき潜在的な核保有技術があることが「抑止力」となる、という氏の言葉は
「恒久平和を追求することを放棄している国」という誤ったメッセージを発信してしまった。

平和を愛する、論理的な氏にしては大きなミスを犯した。

軍拡路線回避の認識が語られなくてはならない。
決して無視はできない困難な状況下にあっても恒久平和への道筋を示し続けなければ
「世界の平和」は虹の彼方のものでしかない。

1989年12月、マルタ島で、ゴルバチョフとジョージ・ブッシュが宣言した「冷戦の終結」を無にしてはならない。
軍拡路線に進めば経済は間違いなく破綻する。

       議論を突き詰めずに、仕方がないじゃないかとか、
       やむを得ないじゃないかとか、そういう物事の決め方。
       それは決して、いい結果をもたらすことはありません。

まったく同感である。
しかし、議論のためには十分な情報提供が担保されなければならない。
自由な討議が約束されねばならない。

やらせメールでもわかるように、政府も官僚も "出来レース" に終始してきた。
この不正を行なって国民をミスリードした犯罪者を厳しく処罰しなければ
議論のテーブルにつけと言っても誰も参加はすまい。

最初から結論ありきの見せかけの議論にならぬことがテーブルにつくための絶対条件だ。

抑止力が必要だ、温暖化防止のために原発が必要だ・・・と言っているだけでは国を誤った方向へ導いてしまう。

核武装論者・軍拡論者であるかのごときに見られるのは氏の本意ではなかろうと思う。
発言は核武装の必要性、という誤ったメッセージを発信してしまった。
厳しい批判にさらされるのは当然である。

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「蛇 足」(石破氏の発言2)
 
 
「蛇足」とは、付け加える必要の無い余分なもの、不要なもの、余計な行為のことであり、
さらに、不必要な言動がこれまでのせっかくの評価を台無しにしてしまうという意味でもある。

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           ※「蛇足」の例え話
 
             楚の国に神官がいた。使用人たちに大杯に入れた酒を与えた。使用人たちは相談し,

             「数人で飲んだら不足だが,一人で飲むには十分だ。
             どうだ,地面に蛇を描いて,最初に完成した者がこの酒を飲むことにしないか」

             一人が最初に書き上げ,酒を引き寄せてすぐにもそれを飲もうとした。
             左手に大杯を持ち,右手では蛇を描きながら言うことには,

             「私は足を描くことだって出来るぞ。」

             完成せずにいるうちに,他の一人の蛇が完成した。
             大杯を奪いながら,

             「蛇には元々足はない。あなたはどうして足を描くことなど出来ましょうか。」
             
             といって, 酒を飲んでしまった。
             蛇の足を描こうとした男は,結局酒を失うことになったのである。

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           「蛇足」は、『戦国策』「斉」の巻に含まれている。 
            
            楚の将軍・昭陽が魏を破って八城を攻略し、勢いに乗じて斉に兵を向けてきた。
            斉王の使者として将軍と会見した陳軫(ちんしん)は、「蛇足」のたとえを引き、

           「あなたはもうすでに充分な功名を立てている。
            でも、これ以上戦って勝っても、あなたは今以上の地位を得ることはできない。

            一方勝ちに乗じて調子に乗りすぎていると、
            せっかく貰える筈だった爵位を他人に掠め取られるような破滅を招かないとも限らない。
            ほどほどのところで手を打ったらどうか」
   
            と言いくるめて、戦争を回避する。

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 一川防衛相:「素人だから文民統制」 石破氏は批判

 防衛相に就任した民主党の一川保夫参院議員は国会内で記者団に

「安全保障に関しては素人だが、これが本当のシビリアンコントロール(文民統制)だ」と述べた。

 この発言に対し、元防衛相の石破茂自民党政調会長は、東京都内で記者団に

「そのひと言だけで解任に値する。任命した野田佳彦首相の見識も問われる」

 と批判。国会で追及していく考えを示した。

 一川氏は自身の発言に関し

 「ほとんどの国民が素人なのだから、
  専門家でなく国民目線で国民が安心できるような安保政策が大事だという趣旨で言った」 

 と官邸で記者団に説明した。

            毎日新聞 2011年9月2日 20時48分(最終更新 9月3日 0時52分)

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「専門家でなく国民目線で国民が安心できるような安保政策が大事だ・・・」  きわめて当然の発言である。

一川氏の発言を元防衛相の石破茂自民党政調会長が批判をしているという。

氏は8月16日の「報道ステーション」の中で原発と核の傘問題に触れられた。
日本の置かれている状況についても語られた。
発言された内容は必ずしも全面的に否定されるべきとは思わない。

「問題を提起したのであって、議論が必要であるということを申し上げた」と、氏は語るであろうし、
実際に問題提起することは政治家のあり方として何の不都合もない。

あらゆる状況に対処できる選択肢の提言は当然あっていい。
議論がないことが最も危険なことである。

その上で、私は先に氏の発言に対し次の3点を指摘した。

      「核」についての認識が甘くはないか。

      すでに崩壊している「核の傘」理論から抜け出せていないのではないか。

      恒久平和への道筋を示し続けるべきではないか。

木を見て森を見ず。
氏の発言は軍事という「部分」にこだわり、平和という「人類の悲願」を見失ってはいないか。

人間とは弱いものである。
相手が戦の準備をするのでは・・・と思えば安閑としてはいられない。
相手への不信は不安をかき立て、対抗策をとらずにはいられない。
素直な反応かも知れない。

問題はこれが相互に影響し合うということだ。
不信は不信を招き双方はスパイラルに陥る。
軍拡競争が始まる。

軍事優先で国費が使われ、国民生活は二の次にされる。
軍事技術の多くはその秘匿性ゆえ、民生に転用されることがない。
投資は還元されない。

これが異常な経済構造を作り上げ、国民は働いている割に豊かにはなれない。

権力者はその不満を外へ向けさせようとして、外の「敵」をさらに誇張してみせる。
このスパイラルからの脱出が図られなければ両者は破滅の一途をたどることになる。

このような愚かな政治に終止符を打つべく1989年12月マルタ島で、ゴルバチョフとジョージ・ブッシュが
「冷戦の終結」を宣言した。両首脳の決断を無にしてはならない。

医療にしても、科学技術にしても専門集団というのは、
その世界のことについては群を抜く才能がある反面、世間一般の事について疎い人々が多い。
一般人・素人の感性からかけ離れていることが多い。

だからこそ、そのことが裁判員制度導入の根拠とされたのではなかったか。

文民統制が求められるのは
「オタク」ともいわれる「専門家」のロジックから抜け出せない危険を回避することにある。
素人が防衛を論ずるべきではないという氏の発言はあたらない。

軍需産業が「不安」を煽り、防衛費増額の必要性を耳元で囁く。
潤うのは軍需産業だけである。

軍拡路線に進めば経済は間違いなく破綻する。
軍拡路線回避の認識を持たない人物が防衛を論ずるとき、
国民は意味のない最も危険な時を過ごすこととなる。

決して無視はできない困難な状況下にあっても恒久平和への道筋を示し続けなければ「世界の平和」は
虹の彼方のものでしかない。
政治にたずさわる者は肝に銘じておくべきだ。

防衛大臣は素人には務まらない、「軍事オタク」ともいわれる石破氏のような人間でなければならない
とする氏の発言は論理的にものを考え、政策に通じている人、という氏への評価を台無しにしてあまりある。
まさに蛇足の一言であった。





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永田町住人たちの犯罪


毎日新聞(2012年09月21日 00時30分)より引用

「保護責任者遺棄:4歳女児が衰弱死 両親を容疑で逮捕」

病気の長女(4)に適切な治療を受けさせず放置したとして、
愛知県警豊橋署は20日、同県豊橋市神野新田町口ノ割、派遣社員、加藤和久容疑者(48)と
妻の陽子容疑者(39)を保護責任者遺棄の疑いで逮捕した。

長女の杏奈ちゃんは20日午後、豊橋市内の病院で死亡が確認された。
同署は同遺棄致死容疑も視野に調べている。

容疑は、杏奈ちゃんが11年12月ごろに風邪をひいた際に適切な治療を受けさせず、
十分な食事を与えなかったとしている。

同署によると、死亡時の杏奈ちゃんの体重は8キロ程度で、平均的な4歳児の半分程度だった。
長男(7)は児童相談所に保護され、健康に問題はないという。

和久容疑者は「生活が苦しくて病院に行けなかった」などと供述しているという。

(引用終わり)


                      [保護責任者遺棄]
                      刑法第217条
                      老年、幼年、身体障害又は疾病のために扶助を必
                      要とする者を遺棄した者は、1年以下の懲役に処する。



何かと問題も多く、国会に上程されることなく今日に至っている改正刑法草案だが
その第12条に不真正不作為犯を規定していた。

          第12条(不作為による作為犯)
          罪となるべき事実の発生を防止する責任を負う者が、その発生を防止することができたにも
          かかわらず、ことさらにこれを防止しないことによってその事実を発生させたときは、
          作為によつて罪となるべき事実を生ぜしめた者と同じである。

          ※不作為
            法律で、あえて積極的な行為をしないこと。


デフレ経済から脱却できぬ中、消費税増税などをいう政治の素人集団の犯罪は罰せられないのか。
企業のやりたい放題になってしまっている雇用環境の放置は許されるのか。

「経営が成り立たないから」という似非資本家の言葉だけを聞き、雇用環境の悪化を推し進めてきた政治。
国民に購買力がないのにどうやって経済を活性化させようとするのか。

税率を上げることと税収を増やすことは違う。
素人政治家にはそれがまったくわかっていない。

世の中を知らない彼らのやっていることはこどもの「政治ごっこ」に過ぎない。

  「お客さんを大事にせな商売というものは続けていけません  金はあんじょう回さんとな」

昔からどんな商人(あきんど)でも言うことだ。
お客さんが豊かになってくれなければ商売人も共倒れだ。
似非資本家にはそれがわからない。

国民皆保険があってさえこのような事件が起きている。
TPP参加ともなれば自由診療中心となる。
医療費は高騰し、民間保険会社の医療保険に加入していなければ病気になっても我慢させるしかない。
この種の事件は常態化し、こんな形でニュースになることすらなくなるだろう。

先日もあるかたが「正規雇用」「非正規雇用」の理不尽さをブログで取り上げられていた。
民間も官庁も予算がないからといって「雇用」で苦しい予算を調整しようとしている。

同一労働同一賃金ならまだしも、正規雇用の者は自分たちの生活を守るため、
弱い立場である非正規の待遇をよくしようとはしない。

何のことはない。これでは奴隷を囲っているのと同じだ。
これで豊かな社会が築けるとはとんだお笑いぐさである。自由、平等が聞いて呆れる。

もう一方の党も偉そうなことは言えない。
彼らの暴政が2009年、庶民の反撃を招き政権を奪われたのではなかったか。

社会の混乱、経済の混乱は長期にわたっての政策の行き詰まりが出て来たものだ。
同罪であることになんら変わりはない。

3年しか経っていないのに、もう遠い過去のように言うのはやめてもらいたいものだ。
何も変わっていないではないか。
市民は愚かではない。

「庶民の党」と言い続けている党もそろそろまやかしのキャッチフレーズは止めにすることだ。
「福祉の党」「教育の党」「平和の党」といいながら推し進めていることは対米追従の庶民いじめ政策ではないか。

「TPPは国民的議論を」などと政治家が言うときはまともな議論を避け、
結果の責任だけを国民に押しつけてくると見ておいた方が良い。

赤坂党の彼らに真の政策立案能力、実行力はない。

亡くなられたお子さんに哀悼の意を表するとともに、このような政を許してきたことを心からお詫びしたい。







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ハエ


先ほどからハエが一匹、家の中を飛行している。
あの日のハエだろうか。



退院とはいっても全快というわけでなかった。
緩解とさえも言えない状態の帰還だった。

21日間の病院生活から解放された母だったが、私にとって試練の日々の幕開けだった。

一夜明けて翌日のこと。
季節外れのハエが一匹、食事を待つ母の周りで遊んでいた。
楽しいものでも見るようにしていた母の目にはいつしか涙があふれていた。

「どうしたん なんや きゅうに」

「ありがたいね」

「なにがいね」

「さとし ひとりやと さびしやろ おもうて おってくれたんやね」

「おじさん おばさんの 生まれ変わりかね」

「あたま うすかったら おじさんやろ」

「わからんね」

「ほんでも うれしいね」

あと3,4ヶ月と宣告されたことなどまったく知らない母は、子のことしか心になかった。
我が身の病に不安はあったであろうに。
親というのは有り難い。これが母親なのだ。

しかし、感傷的になっている余裕はなかった。
新米シェフには涙一滴こぼす時間もなかった。

緊張で震えている心臓を悟られないように振る舞うのが精一杯だった。

生涯でただ一回の、そして、ぜったい合格するしかない試験が始まった。

(がんばれ さとし!)
(おまえなら 4ヶ月ぐらい 一睡もせずとも やりとげられる)
(がんばれ さとし!)

2007年11月27日(火)
朝  おかゆ、山芋とろろ、鯛でんぷ、煮豆、もずく、杏仁豆腐、ジュース。
昼  おかゆ、トマト、かれい煮付け、おかか、煮豆、ゼリー、ジュース。
夕  おかゆ、トマト、野菜煮もの、でんぷ、鯵刺身、大根なます、杏仁豆腐、ジュース。

3食とも完食。     
体温36度 痛み特になし。
平穏に過ぎる。



あの日のハエであろうとなかろうと

外はきょうも暑いから 涼しくなるまで ゆっくりしていっていいよ。








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ユニオンジャックのガラス窓


放課後、近所に住む石谷君と路地で遊んでいた。 
と、何やら街の様子がいつもとちがう。

おとなたちはそれぞれに

「やまださん が・・・」

と口走りながら駅の方へ走っていく。
遊んでなんかいちゃいけない。こども心にもそれくらいの察しはついた。

「おい  いこう」

石谷君は走りだしていた。

熟知した近道を抜けると駅前はすでに大勢のおとなたちが集まり秋まつりのようだ。
町長さんがいた。校長先生もいた。郵便局の局長さんの顔もあった。
母の同級生のおばちゃんたちの顔もたくさん見えた。母もいた。

私が住んでいた鶴来(つるぎ)は金沢の南約16キロにある、当時1万人が暮らすのどかな町だ。
金沢・白菊町駅からローカル線で30分ほどかかる。

駅舎には「山田義光君」と書かれた大きな垂れ幕が下がっていた。
やがて "山田さん" という男のひとが現れた。年かっこうは母ぐらいか。日焼けした顔のやせた感じのひとだった。

「やまだ よしみつ くん ばんざあい」

「やまだ よしみつ くん ばんざあい」

大きな声が なんども なんども なんども なんども 街に響いた。
"山田さん"も軍隊調のお辞儀でそのつど応えていた。

女のひとたちはみな泣いていた。
男のひとたちは口をキリリとして微動だにしないでいた。
必死にこらえていたのだと思う。

1956年小学3年生の時だ。

思えば母と同い年のひとたちが最も悲惨だった。
国の勝手な理屈で青春を中断され、戦地に送り込まれた。
そして学年の半分以上が還ることはなかった。

還って来たひとたちもよろこんでいるひとはなかった。友を半分以上失ったのだ。
還れたことを素直に喜べないないのは察してあまりある。
どんなに悔しかったか。どんなに国を恨んだか。おおっぴらに口に出来ないだけになおさらだろう。

曾祖母の代から交流のある横山家の亀茂さんは片足を失った。
母と同い年で、よくお茶を飲みに訪れていた。

テレビに流れる戦争ドラマに「あんなかっこいいもんでない」と一言。
そして無口になり、遠くを見つめていた。
何十年経っても癒えないものを抱えているのが伝わってきて、こちらも辛くなったのを思い出す。

何のための戦争だったのか。誰のための戦争だったのか。

「いまは いい じだい や ぞいや」(今はいい時代だよ)

亀茂さんが時折もらした言葉は

「自分たちの悔しさをきっと伝えてくれ」

と私には聞こえた。

母と学年が一緒だったひとはもうほとんどおられない。
私たちが伝えていかないと青春を奪われるひとがまた出てくる。
私たちにあたえられた宿題は大きい。

小学3年に体験した駅前での出来事が "山田さん" を送り出す行事ではなく、
帰還の歓迎であったことが私にとってはせめてもの救いである。
まだ、どの家にも空襲に備えてガラス飛散防止のためのユニオンジャック状の紙が貼られていた時代だった。

あなたは ユニオンジャックのガラス窓を 知っていますか。








原爆を許すまじ
http://gravitational-wave.air-nifty.com/tobenaiposuto/2013/05/10/index.html#entry-76444807

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いまは開戦前夜の状況


我々は悪夢を見ているのではない。
戦後67年間、民主主義体制のもと暮らしてきた。それこそが実は夢だった。
権力による国民への「弾圧」や「謀略」は今もなお我々の身近にある。
戦前と何もかわってなどいない。すべては夢だった。

メディアは完全に権力に掌握され、大本営発表を流しつづけている。
原発報道ではそのメディアの本質が誰の目にもあきらかになった。
先の参院選の結果と直前に行なわれた共同通信の「世論調査」との乖離は何を意味するのか。

市民は「世論調査」といえば、市民の生の声と信じている。
しかし、若いときに大先輩達から教えられたのは、
「世論調査」や「読者の投書欄」は市民の声ではない、メディアに属する論説委員の声だということだ。
読者の投書欄を編集しているのはメディアであることを忘れてはならない。
意に沿わない意見は掲載されないのだ。
過去に、ジャーナリズムが機能しない時代に何が起きたのか、歴史を振り返って欲しい。
大政翼賛会の日本で何が起きたのか振り返って欲しい。

震災の後、集められた東日本大震災復興構想会議のメンバーにメディア関係者が2名入っていた。
朝日新聞社OBの高成田 享氏、読売新聞特別編集委員の橋本五郎氏だ。
これはジャーナリズムの崩壊を意味する。
権力をチェックするべきメディアが権力の中に入ったのでは、チェック機能は働かない。
戦後このようなことはなかった。菅以降の内閣が非常に危険な存在であることは誰の目にも明白だ。

   自民党政権下でもなかった、武器輸出3原則の撤廃は何の議論もないまま進められてしまった。

   通信の秘密を保障した憲法に抵触している「ネットメディア監視法」はいとも簡単に成立。

   またもやアメリカ隷従外交を象徴する突然のTPPへの参加表明。

   核エネルギーの軍事利用への道をひそかに決めてしまった。

   格差拡大の社会を批判してできた政権も菅以降は小泉路線の継承者でしかない。

大きな問題が起きているのにメディアは一切問題にしようとはしない。
政権とメディアがひとつになっていることを思えば当然といえる。
朝日、読売、産経の政権擁護はもはや、この国が民主主義体制でないことを意味する。
大戦前夜の状況と同じだ。戦争準備の時代に入ったということだろう。
歴史に学ぼうとしない人は、暗黒の時代に入っていることを認めようともしない。

どの局にもニュース枠とは別に報道番組がある。
気をつけて見て欲しい。コメンテーターが永年変わっていない。
無償ならまだしも、報酬を約束されつづけているコメンテーターが局の思惑と異なることを発言するものだろうか。
彼らは約束された今の立場をやすやすと手放したりはしない。局のご機嫌取りに終始するだけだ。
狼も飼い慣らされればただのペットである。
解説者の顔をしているお目付役が必ずいて、発言者を監視している。これはかつての検閲将校だ。
作家澤地久枝氏が局の番組作りに抗議し、コメンテーターを降板した姿は今も記憶に生々しい。

「世論調査」というのは設問の設定、調査対象の選び方によって最初から答えが誘導されるものだ。
よく用いられる、コンピューターで無作為に対象を選ぶRDD方式は対象が固定回線のみだ。
固定電話を持たず携帯電話のみで生活する若い世代の意見は調査には反映されない。最初から偏りがある。
この一点だけでもこの調査に信頼を置けないことがわかる。
彼らはそれを知りながら行なっている。最初から結果が決められているからだ。
さらにいうなら、市民は調査が公正に行なわれたかを確認するすべがない。
いや、実際に調査そのものが行なわれたかも確認できはしない。
捏造は簡単にできるし、捏造であっても罰せられることもない。
配信大手一社のみが行なっている調査を信じろというのはあまりに市民を馬鹿にしている。
世論調査結果という世論操作が繰り返し行なわれていることに市民は警戒をゆるめてはならない。

市民が思うほど社会は優しくはない。
「週間ベストセラー」を見て本を選ぶような人は作られた「世論調査」を信じやすい。要注意だ。

「検察は正義である」これが神話でしかなかったことが次々明らかになってきている。
2000年に起きた佐賀市農協背任事件は、事件そのものが地検ぐるみのでっちあげだった。
主任検事だった市川寛検事ひとりが詰め腹を切らされたが、実は個人の犯罪ではなかった。
今は弁護士となった市川寛氏が驚くべき検察の実態を暴露している。

   新人検事は先輩から調書の捏造をたたき込まれる。
   外国人とやくざに人権などないと教えられる。
   暴力、脅迫、ときには拷問ともいうべき苦痛を与えて自白させる。

厚労省局長事件の証拠捏造は、つじつまがあわないことがはっきりしたため、「事件」になったが、
つじつまが合っていれば表面に出てこなかったはずだ。
彼らには証拠捏造、証拠秘匿に対して罪悪感などない。
検察は社会正義実現のためにあるわけではない。権力の擁護のためにある。これがこの国の現実だ。
捏造することが恒常化している警察、検察はもはや民衆の敵でしかない。

ネットメデイアの監視と弾圧を目的とする「コンピュータ監視法」が成立した。
立法を阻止するために活動していた市民活動家が昨年6月15日の深夜帰宅途中の電車内で
「東京都迷惑防止条例違反」(痴漢行為)容疑で逮捕された。
市民活動家のY氏は男3名、女2名の公安警察・謀略部隊に電車内で「痴漢事件」をでっちあげられ、
逮捕されたという。
しかし、謀略工作がずさんだったため、東京地裁は検察官が出した10日間の検察拘留請求を却下し
釈放を決定した。
検察官は「抗告」もできなかった。
Y氏がはめられた「痴漢事件」は植草一秀氏のケースとまったく同じだ。
一応、この国は民主主義国家といわれている。その国に「公安警察・謀略部隊」があるという。
信じがたいことだが、Y氏が嘘を述べるメリットはなにもない。事実であろう。

報道関係者、政治家、事件の関係者が不審な死を遂げている。
他殺の証拠があるわけではない。証拠があったら暗殺とはいわないはずだ。
我々の眼前に証拠があきらかになるまで待っていたら、こっちの首が先になくなっている。
暗殺をも視野に入れておくべき事案が多すぎる。
権力者のなりふり構わぬやり方の先に何があるのか。想像力を最大限にして考えてみて欲しい。
日本は戦前の治安維持法下の「弾圧と失業と戦争の時代に突入した」と、どなたかが書いていたが、
突入したというのは正確ではない。戦前と何も変わっていなかったということだ。
いずれにしても全力をあげて暗黒の時代から脱出しなければならない。








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おせんで泣かすな


      一筆啓上

      炉の用心

      汚染で泣かすな

      脱原発やで












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原爆を許すまじ


       ふるさとの街やかれ 身よりの骨うめし焼土(やけつち)に
       今は白い花咲く ああ許すまじ原爆を
       三度許すまじ原爆を  われらの街に

          ふるさとの海荒れて 黒き雨喜びの日はなく
       今は舟に人もなし ああ許すまじ原爆を
       三度許すまじ原爆を  われらの海に

          ふるさとの空重く 黒き雲今日も大地おおい
       今は空に陽もささず ああ許すまじ原爆を
       三度許すまじ原爆を  われらの空に

          はらからのたえまなき 労働にきずきあぐ富と幸
       今はすべてついえ去らん ああ許すまじ原爆を
       三度許すまじ原爆を  世界の上に



                  http://www.youtube.com/watch?v=zq9pXGShrHk










??現代詩を詠む一休禅師____墜ちた文化水準


猪木寛至氏(アントニオ猪木)が引退のセレモニーにおいてファンの前で次のような詩を読んだ。


   この道を行けば
   どうなるものか
   危ぶむなかれ
   危ぶめば道はなし
   踏み出せば
   その一足が道となり
   その一足が道となる
   迷わず行けよ
   行けば分かるさ


彼の著作「アントニオ猪木自伝」で彼は語っている。


・・・ 最後に、新日本プロレスの道場訓にもしている、一休禅師の詩を読んだ。
この詩こそ、私の人生そのものだからだ ・・・


多くのメディアでも取り上げられたため、またたく間にこの詩は多くの人の知るところとなった。
「この道を行けば・・・」と聞けばプロレスファンでなくとも「一休」を連想するほど有名な言葉になった。

ある人は自身の座右の銘とし、ある人は卒業式ではなむけの言葉として学生の前で披露した。
インターネットを調べても多くの人がこの詩に魅了されていることがうかがえる。
確かにこの詩にはそれだけの魅力があるとは思うのだが・・・

言うまでもないが一休禅師は室町時代の禅僧である。
「一休禅師がなんで現代詩をつくるのか?」という疑問を誰も持たなかった事が私には不思議だ。
猪木氏の道場訓には「道」という表題までついている。

小中学校時代に詩に出会った人ならば上記の詩は現代詩であると答えるだろう。
うまく説明できなくとも、そういう匂いを感じると答えるだろう。

1966年、私は大谷大学の哲学の講義で暁烏哲夫先生に出会った。
西田幾多郎の「善の研究」の講義だった。
西田については今もって理解しているとは言えないが、
徹底的に本質に迫る姿勢は、ハンカチで鼻の汗を拭うしぐさとともに今も鮮明に眼前に浮かぶ。

先生の本が出たと聞いて、学内にある「文栄堂」書店で買い求めた。「無常断章」850円だった。
その中の一つの詩をすぐに暗記した。表題は「道」である。



        道
      

   此の道を行けば
   どうなるのかと
   危ぶむなかれ

   危ぶめば
   道はなし



   (著作権の問題もあるのであとは割愛する)
                         
             昭和二六年一〇月「同帰」所載

1966年京都・法蔵館発行。 本の著者名は清沢哲夫となっている。
清沢(KIYOZAWA)先生は松任の明達寺(暁烏敏の寺)に養子として入られたため暁烏姓を名乗られた。             


猪木寛至氏が何故「一休禅師」の作としたかはわからない。
しかし、「道」は清沢哲夫の詩である。
私が問題とするのは社会の対応だ。

意図的な嘘であれ、ミスや思い違いであれ、
間違った情報が何の検証を受けることもなく社会を駆け巡ったことだ。

国立S大学学長のA氏や某学園副理事長といった、
誰もが名前を知っているかたがたも「一休禅師の詩」をあちこちで披露したのだ。
多くのアナウンサーやパーソナリティーが「一休禅師の詩」として発言したのも知っている。

インターネットでもこの「一休禅師の詩」が氾濫していた。
出所はすべて猪木氏の引退セレモニーでの詩の朗読にあったと思われる。

著名人の発言の影響力がいかに大きなものであるか、
現代人の文化水準が如何に低いものであるか思い知らされたことである。
本など読みもしない、そのくせ知ったかぶりを装う人々は原典に触れようともせず、
安易に他人の言葉に従ってしまう。

インターネットの匿名性の危険は改めて言うまでもないが、
人々は匿名の情報を真実として受け止め、それで行動する。

インターネットの情報がすべて「一休禅師の詩」であるとされていれば
それだけで猪木氏の発言が検証されたことにしてしまう。
もとは猪木氏から始まっていることなのでこれは検証にもならないはずなのに。
     

私はインターネットで「一休禅師の詩」をとりあげているほとんどのサイトへ間違いであることをメールで伝えた。
間違いを指摘され感謝する人、平身低頭で謝る人、事実を知って驚く人、いろいろだった。

驚いたのは開き直った横浜の某出版社の社長である。
曰く、「風雪に耐えてきた名言に対してお前ごときが何を言ってるか」・・・

何が風雪に耐えてきた言葉だ。アントニオ猪木の発言以前にこの詩を読んだとでも言うのか。
アントニオ猪木によって知ることになったくせに一丁前の口をたたくな、と言いたい。
この出版社がどの程度の本を出版しているか想像に難くない。

中には「清沢哲夫という説もある」と書くアホまでいた。
「・・・という説もある」とは研究者が言うことであって、ネットからしか情報を取ろうとしない者の言うことか。
猪木氏にもメールで指摘をしたのだが、何年経っても無視したままである。
猪木氏の本を出版した新潮社からも何の返事もない。


国立国会図書館のレファレンス協同データベースに、
「一休禅師の詩」とされているものについて調査しても調査不能であると書かれていた。
連絡したところ、図書館が「清沢哲夫」の作であると確認した。

以来、インターネットは一変して「清沢哲夫の作」となった。
原典を読まない連中のインターネット頼みもいい加減にしろ、と言いたい。
私と図書館が「大うそ」をついているかもしれないという警戒感はあんたらにはないのかい!

私が指摘したことで「清沢哲夫」が多くの人の知るところとなった。
「一休禅師の詩」も「清沢哲夫」の詩の改作であることがわかってもらえた。


しかし、これは氷山の一角ではないか。
気づかないうちに私たちは歪められた事実を見せられていないか。
考えると恐ろしい社会である。

情報は生きていくための指針ともなるし、思想形成のベースでもある。
それが歪められては社会も個人もその将来が危ういものになる。

思えば今の時代、メディアはリーク報道だらけ。
それが記者の仕事と思っているのではないかとさえ見えてしまう。
事実ではないことが紙面に載っても、納得のいく形で謝罪した例を見たことがない。
傷つけられた方は人生そのものが台無しにされても救済されないのだ。

取材能力がなくリーク報道しかできない人は記者を辞めるべきだ。
ペンもれっきとした暴力になるのだから。

まずは、「この記事はリーク情報を元にしたものであり、新聞社が事実と確認したものではありません」
すべての記事にこのような但し書きをつけて欲しい。(化粧品のコマーシャルのように但し書きをつけるべきだ)

松本サリン事件、厚労省局長事件ではメディアは無実の人を犯罪者のごとく扱ったではないか。
二つの例は無実と証明されたが、証明されることもなく泣いていた人も大勢いるのではないかと思う。

アメリカも日本も自由な国、民主主義とはほど遠い暗黒時代だ。
メディアがコントロールされ、自由な発言が制限されていることを市民は知っている。

談合疑惑でたびたび処分を受けている企業の社長に報道番組の司会をさせるメディアとは何なのか、
市民感覚では納得ができない。

東京新聞(中日新聞)はよくやっている方だと思う。
文屋魂を感じる記事もまだある。私はそこに光を見る。
高校時代の恩師、「八田有親」は卒業の餞として「曲がった道をまっすぐ歩きなさい」と
言って送り出してくれた。

メディアにはまっすぐな道を照らしてもらいたいものだ。









呆けたか 尾関宗園
http://gravitational-wave.air-nifty.com/tobenaiposuto/2013/week23/index.html#entry-76701858



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ガラス細工の地球


今、人々はある意味で呪文をかけられている。

「地球温暖化防止」「省エネ」「節電」という言葉がすべてに優先される空気に包まれている感がある。
原発事故がことさらこの空気を濃いものにしている。

無論、どれも大事なことには違いない。
しかし、本質を見誤って目先の対策に右往左往していても未来は見えてこない。

地球温暖化防止と言われれば、
「二酸化炭素を出さない原子力発電が有効である」という言葉に騙されてしまう。
裏にもっと大きな問題が隠されていることも知らずに。

標準的な原発では1秒間に70トンの海水を7度温めて海に流しているという。
原発のエネルギーの三分の二を使ってだ。これは発電所ではなく、湯沸かし所だ。
これが日本だけで54基あるという。

温暖化防止というが、これこそが温暖化の根源にある問題だろうと素人ながらに思う。
これで海水が温まらないと考える人がいたら科学的根拠を示すべきだ。

こんな事を世界中で行なっていれば気象に影響も出るだろう。
放射能の問題がクリアされたとしても、
津波対策がなされたとしても「湯沸かし器」の本質は何も変わらない。

私たちはしっかりと現実に目を向けるべきだ。
「部分」の議論でよしとする雰囲気に引きずり込まれてはならない。

ご多分に漏れず、原発もまた後のことを何も考えないで突っ走った。
子孫にツケを残さないために今、財政再建が必要だと主張していた与謝野氏は「日本原子力発電」出身として、
核廃棄物の処理をどう考えていたのか。

処理を子孫に託して毎日毎日せっせと核廃棄物を作り続ける現状をどう言い訳するのか。
まずは足下の問題を片付けてからにして欲しいものだ。

放射能を撒き散らさないエネルギーが求められている。
識者も風力だ、太陽光だ、地熱だと言っている。
その方向が正しいのか、別の選択肢があるのか、門外漢の私にはわからない。

私の視点は別の所にある。
どんなエネルギーであれ、人類が無制限に消費してよいエネルギーが存在するのかということだ。

人間のエゴを優先し、自然界の調和を乱せば、やがて動的平衡を保とうとする自然界から
それに見合った様々な反動を受けることになる。

私たちの体は分子から成り立っている。
しかも、絶え間なく外界の分子と入れ替わっている。

私たちの体は単に分子の「よどみ」のようなものでしかない。
外界の変化はすぐさま生命の危機に直結する。
いや、外界という概念そのものが意味をなさない。
内も外もない。私たちは自然界の働きの中に浮かんでいるに過ぎない。

「自然を征服する」というのはあまりに人間中心的な発想であり、
意のままにされているのはむしろ私たちであると認識しなくてはならない。

「自然を愛する」という言い方自体、私たち自身が「自然」そのものであることを忘れている事を意味する。

私たちは「我--汝」「我--それ」と言う概念などない「ひとつ」の世界に生きている。
長い時間をかけて互いに折り合いをつけて保たれている精妙な均衡の世界に私たちは息づいている。
自然界全体の調和が崩れることは死を意味する。

部分的な視野しかない人々は、自分の関心事にのみ反応する。
風邪で発熱するとすぐに熱を下げようとする人がいる。医師であってもだ。
すぐに座薬を処方する外科医の如何に多いことか。

しかし、熱を下げれば白血球の働きが弱まり、かえって症状をやっかいなものにする。
ちゃんとした医師なら安易に解熱剤を処方せず、経過を観察する。

西洋に発した近代文明というのは効率を求める故か、民族性の故か、部分的な思考が好きなようだ。
薬草から自分の好きな成分だけを抽出して薬とする。注目しない成分は無いことにしてしまう。
しかし、その成分に大変重要な働きがあることを後になって知る。

部分的な思考で生命をとらえ、宇宙を語るのは真理探究の妨げになるだけでなく、
私たちの生命を危険にさらすことになりかねない。

デカルト以降特に顕著になってきた機械論的生命観・宇宙観が私たちの存亡に大きく影を落としている。
「インフルエンザワクチンや多くの抗生物質」「移植医療」「遺伝子操作」「生殖医療」「農薬農業」・・・・

どれも「自然を征服する」と言うような発想から始まっていると思われるが、
問題点続出で隘路にはまり込んでいる。

人体でどのように電気が発生するかも満足に説明できない連中が「移植医療」とは・・・
何とも恐ろしい事である。

分子生物学者福岡伸一氏は人間の体に部品というものなど無いという。
仮に人の顔から嗅覚のパーツである鼻を体から切り離し、別の体に移植しようしても
すべてがつながっていて、結局は体全体を取ってこないと機能の移植は出来ないという。
           

これは人体に限ったことではない。自然界に孤立した箇所、部分など無い。
一部分の問題と言うことはあり得ない。必ず全体の問題となってくる。
一方の効率の良さは全体を非効率なものにし、平衡状態を乱してしまう。

私たちは先ず自然界のしくみ、関わり合いかたを学び、仲間に入れてもらう謙虚さが必要だ。
この地球はガラス細工のようにもろい。








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紅ショウガのおにぎり


小学校時代の遠足は誰のこころにも "遠い日のよき思い出" として格別なものがあるだろう。
わたしが育った鶴来(つるぎ)は扇状地のかなめに位置することもあって、
遠足といえばほとんどが山歩きだった。

里山の際にあるとはいえ、家業が林業でもなければ山路を歩く機会はさほどにはない。
体格、体力面で皆より劣ること、クラスで1,2のわたしにとっては憂鬱で辛い行事だった。

反面、クラスの仲間を圧倒できる唯一の機会でもあったわけで、
私はその楽しみを内に秘めてみんなの後を必死でついていったものだ。

そういったときの弁当といえば、今も当時も「おにぎり」というのが定番。
もちをよくするための梅干しの酸味は疲れもとれて良い。

ほとんどのクラスメートが「梅干しおにぎり」の中、わたしのというか、母のおにぎりは真っ赤だった。
紅ショウガのおにぎりである。全体に刻んだ紅ショウガを混ぜ、海苔で包んだものである。

近年ではさほど珍しいものではない。
しかし、当時そんなおかしなおにぎりを作る人などどこにもいなかった。

草いきれの里山のなかで、そのおにぎりの紅色はひときわ目立っていた。

澄んだ空気のなかでほおばる紅いおにぎりはショウガの辛みが実によい。

不思議なものを見るような、うらやましそうな視線の中で味わうことがさらに快感でもあり、
あらゆる面で劣等感を味わうことの多かった少年がひさびさに胸をはれるひとときだった。

「かあちゃんは こんな すごいもの つくれるんやぞ」

叫びたいほどだった。

思えば母は料理が好きだった。しかし、あまり料理の本など手にしているのを見たことはない。
それにしては創意工夫して本に載っているような一品を作ることを楽しんでいるひとだった。

後年、叔父にあちこち連れて行ってもらったのが下地になっているだけと笑ってはいたが、
この地方でカレーライスを作ったのは多分自分が最初だろうといつも自慢にしていた。

好奇心旺盛というか、怖いもの知らずというか、どんな料理にも挑戦してみないと気が済まないひとでもあった。
調理好きは若いときかららしい。

養母に

「おまえみたいに調味料たんと使えば 木っ端屑でも食べれるわ」

と調味料を制限されても、
自分でウスターソースを作ってしまったというから、反骨精神もかなりのものだったようだ。

家を訪れた守部氏に甘鯛の吸い物についてレクチャーしているのを見たときは
息子のわたしでさえ唖然としたものだ。
守部氏は当時、食通が通うことで有名な築地にある割烹のオーナー板前であった。
そんな人物を相手にレクチャーするのだからいい度胸のひとである。母66歳の時である。

姉弟の中ではわたしが最も母の味を知っていることになる。
しかし、60年間そばにいて「何を」は学んだが、「いかに」を学ばなかったのはかえすがえすも残念である。     

とはいっても、「学ぶ」ということは存外こんなものだろう。「いかに」は自分で開発するしかないものと思う。
「何を」を学んだことはわたしの財産である。




葛の花 踏みしだかれて色あたらし この山道を 行きし人あり
                         

                                    釈迢空








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うれしいですか


日本人宇宙飛行士が宇宙へ飛び立った。
「うれしいですね」という人がいる。
”日本人がノーベル賞受賞!”の報道に対しても同じようにいう人がいる。
自分の住む地域からオリンピック選手が出ようものならお祭り騒ぎだ。

 「あなたは何故うれしいのですか?」

 「ご親戚ですか?」と、尋ねてみたい。

生来のへそ曲がりの私はこういったところに「精神の脆弱性」を見る。
帰属意識の確認といえばそうなのだが、何か方向が違っているように感じるのは私だけだろうか。

ラジオを聞いてみて欲しい。昨今、やたらと「さんづけ」が耳につく。

   では、一曲お聞きいただきましょう。
   美空ひばりさんで「愛燦燦」 
   ところによっては交通情報です。
   
   川端康成さんの「雪国」の冒頭の部分を児玉清さんの朗読でお聞きいただきましょう。
   
   徳川家康さん  千利休さん  福沢諭吉さん  勝海舟さん etc
   

「さんづけ」のオンパレードだ。

先輩達は相手と向かい合って話をするときは「○○さん」とは言っても、TPOによって使い分けていたように思う。
私もそれに倣いたい。 

今どきの若い人(言い方が年寄りっぽいか・・・)にはわからないかもしれないが、
「さん」という言い方は時には大変失礼になるといわれたことがある。

確かに、尊敬するその道の第一人者を「さんづけ」で呼びかける気にはなれない。
親交が深まり、気楽に気持ちのやりとりができるようになってこその「さん」だろう。

「さんづけ」には自分が相手と同列だという響きがある。
もっといえば、無意識に相手を同列に引きずり降ろす不遜な空気がある。
「親しみを込めて」という言い訳をされても、今どきのおじさんには「耳もちならぬ」ことではある。

では、ひとは何故相手を同列に見たがるのか。
まったくの他人に何故それほどの思いを寄せるのか。

思えば社会は格差が広がり、同じ職場、同じ仕事であっても処遇は天と地ほどの開きがある。
民間だけでなく役所においてすらだ。
これでは隣の席に座る人間と酒を酌み交わせるはずもない。

街を歩いていても皆が他人に見えるのを通り越して、敵に見えるような社会情勢では
「一体感」をもてるはずもなく、社会への帰属意識も大きく損なわれているのが実情だ。

ひとは肉体的にも精神的にも他者との関わりなくしては生きていけない。
とくに孤独感にさいなまれることは精神の破滅を意味する。

「共同感」「帰属感」をあたえてくれる暮らしがないとき、ひとは無性に不安をおぼえる。
「さんづけ」によって共存していることを再確認したいとねがう。
裏を返せば、自分にとって許し難い疎外感・断絶感・乖離を感じている証左ともいえる。

そんな無力感を麻痺させたいがためにこそ、「さんづけ」を多用する。
いうならば、孤独の広野にある「避難所」だ。

「さん」をつけるつけないでは確かにその人物との距離感は変化する。
しかし、それはあくまで語感であって、現実にその人物との関わりが変化したわけではない。
いわば片想いでしかない。空想でしかない。

業績をあげた人、才能のある人と同質・同列であるなどと錯覚の世界に浸っていても、
残念ながら日々の暮らしには何の変化も起きはしない。
グルメ番組を楽しんでいても目の前の粗食は如何ともしがたい。

疎外感・断絶感・乖離感を感じたときに、それらを麻痺させ、錯覚の世界に浸っていたのでは
そのへんの呑んだくれと同じだ。

孤立や精神的な孤独からの脱却は、
愛や生産的な仕事の自発性のうちに他者と結ばれていく中にこそ見いだされるものだろう。
擬似的な連帯感に浸っていても明るいあしたはやってこない。

ましてや、自由や自我を破壊するような絆で結ばれることに安定を求めるようになれば
一個人の問題にとどまらず、社会は後戻りの困難なファシズムの道を進むことになる。

「さんづけ」を多用する社会は「一体感」「安心感」を渇望する時代であり、
ひとつ間違えば自由を放り出して強い連帯感をのみ追い求める危険な時代でもある。







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赤ちゃん工場


「赤ちゃん工場」摘発のニュースが伝えられた。
「工場」という言葉はいかにも現代の生命のビジネスを象徴するようで寒々しい響きがある。

人身売買を監視する国家機関があるということ自体、
ナイジェリアという国の抱える問題が深刻であることを物語っている。
人権意識のない因習や貧困もあり、そこからの脱却は容易なことではないだろう。

とくに貧困については先進国の身勝手な経済活動によるところが大きいわけで、
単なる「人権問題」と問題を矮小化してはならない。

ナイジェリアは歳入の7割が石油で占める産油国だ。
石油市場をコントロールするアメリカはその責任を問われなければならない。

しかし世界は何故こんなときだけ大騒ぎするのだろうか。
生命のビジネスは「赤ちゃん工場」だけでもないだろう。

金銭のやりとりは確認されていないものの、
「生命」を道具のように扱っているのは先進国とてなんら変わらない。

「精子バンク」「臓器移植」「代理出産」「医療産業によって定義される生命」これらを棚に上げ、
「赤ちゃん工場」のみ批難する姿勢には強い違和感がある。

恐ろしく、また悲しい「赤ちゃん工場」の事件ではあるが、私にとっては早くから想定できることだった。
やはり起きたか、そんな思いでこのニュースを聞いた。

1973年にアメリカ映画「ソイレント・グリーン」を観た。

舞台は近未来のニューヨーク。
人口増加・失業・食糧不足といった、いまからでも当然予測のできる問題に、解決策などない混沌とした社会だ。
映画は生命を道具のようにしか考えない文明の末路を示す内容である。
テーマが重すぎたためかヒットはしなかった。

文脈から予想できるかもしれない。
この社会が選んだ選択肢は「公営安楽死施設」であり、そこから供給される遺体で作る「人肉食品」だった。

社会の真実の姿に絶望して自ら安楽死施設へ行き、
「田園」を聴きながら逝った老人の姿が今でも記憶に残っている。

恐ろしく思えたのはスクリーンを見ている時ではなかった。
映画館の帰路、それがSFであることを忘れ「多分そうなるだろうな」と、思ってしまったときだった。

「精子バンク」「臓器移植」「代理出産」「医療産業によって定義される生命」などは
アウシュビッツの「人間石鹸」と同じ感性であることを認識すべきだ。

「赤ちゃん工場」などはまだアナログ的かもしれない。
高度な技術でスマートになされる生命の道具化・商品化に私たちは慣らされ利用されてはならない。
彼らは表向きにはヒューマニズムを装って近づいてくる。

私は予言する。
機械論的生命観が見直されない限り、映画「ソイレント・グリーン」は現実のものになる。







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母のほめ言葉

「おいしかったあ」

うかつにも、私は最近までこの言葉の力を知らなかった。

60歳の晩秋、なんの心の準備もないまま食事作りが母から私に移った。
今にして思えば三度三度の食事を作るなど、
インスタントラーメンしか作ったことのない私には想像を絶するハードルの高さだった。

しかし、不安や戸惑いは不思議となかった。
というより、立ち止まってあれこれ考える ”時 ”が私にはなかった。

「あと3,4ヶ月と思ってください」

母が胆嚢癌の末期と宣告されたときから仕事はすべてキャンセル。
「どうやって食べてもらうか」のみになった。

少量でもバランスのよい食事とは・・・・
食べることに興味をもってもらう工夫とは・・・・
一日中、頭の中をかけめぐっていた。
やったことがない、そんな言い訳をする余地はなかった。

どうやって食べてもらうか。
とはいっても、私にはレシピの引き出しなどありはしない。
まして、食欲があっての食事と食欲の無い人向きとでは内容も変えなければならないはず。
知恵をしぼらねばならない。
しかし、むずかしく考えたら何もできない。
調理も栄養学も何も知らない人間なのだ。

ふと、ムッシュ村上、村上信夫さんの言葉をおもいだした。

「世の中で一番おいしい料理、それはお母さんの料理だよ・・・」

そうか、できるか、できないかではなく、どれだけ食べる人の気持になれるかだ。

すると、不思議なほどレシピがわいてきた。
ワラビを茹でたり、ミョウガの甘酢漬けを作ったり、鮎に串をうって塩焼きにしたり・・・
納豆ひとつとっても、包丁で刻んだり、大根おろしや刻みネギを入れたり、おかかと混ぜたり・・・・
と、自分でも信じられないほど手が動いた。

習ったこともない。教えてくれる人などいない。
永年母の作っていた味を再現することだけを考えた。
それにしても、切羽詰まると何でもできると言うことか。

「おいしかったあ」

「その日」が一日一日近づく中で母のひと言は何よりうれしかった。
食がすすむという安堵感、きょうも生きているという喜び。
「おいしかったあ」のひと言がこんなにも力強いメッセージをもっていることを初めて知った。

「ありがとう」

「私はまだ元気でいるよ」

「心配しなくても私は大丈夫」

いろんな思いが伝わるひと言だった。

かえりみると私は過去に母に対してこれほど思いを込めた「おいしかったあ」をいったことがあったろうか。
あたりまえのように作ってもらい、形式的な ”ごちそうさま ”しかなかったように思う。
見守るつらさ、見守る喜び。すこ~しだけわかった気がする。

  ”サラダ記念日 ”ではないけど、七ヶ月のほとんどが記念日になった。
「この味がいいね」という母の笑顔が忘れられない。

  ”湯豆腐記念日 ”

  ”カレイの煮付け記念日 ”

  ”納豆記念日 ”

  ”ふろふき大根記念日 ”

  ”黒豆記念日 ”

  ”鮎の塩焼き記念日 ”

  ”ほうれん草おひたし記念日 ”

  ”じゃがいも煮もの記念日 ”

  ”味噌汁記念日 ”

  ”おでん記念日 ”

  ”なすオランダ煮記念日 ”


その他記念日でいっぱい・・・・・


作った者への最高のほめ言葉「おいしかったあ」にささえられた七ヶ月だった。
              








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脱原発で日本再生

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ただいまの時刻は・・・

水のごとくに  無文翁

「私」という宇宙

文言で語る世界      文言でしか語れない世界

そったらことも      わからいでかの

"さんづけ"を多用する社会

危険ゾーンに入ってきた

こうして戦争へ向けた世論が形成されていく

感じませんか

紛争解決に尽力することが先だ

ユニオンジャックのガラス窓

原爆許すまじ

政に想定外はない

子どもの声が届かない

永田町住人たちの犯罪

永田町住人たちの犯罪2

その『神様』とは・・

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