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怪 談



夏になると毎年決まったように「怪談」が巷の話題になる。

お盆というのがキーワードになっていると思うが、とにかく日本人は怖い話が好きだ。

こういう殺伐とした社会にあっては人間味のある「怖い話」を大切にしたいものだ。


「怖い話」を好む背景に「生命への畏敬の念」が込められていることを思えば、

なくなるような社会であって欲しくない。


また、中村希明氏が言うように「怪談」を分析することによって人間心理の奧が見えるとあれば、

粗略に扱っていいものではないだろう。


すべての学問はそれが量子力学であれ、分子生物学であれ、

けっして人間を離れて存在するというものであってはならない。


素粒子理論で宇宙を解明しようとする試みも、行きつくところ、

「いのちって何?」「わたしって何?」に答えを出すプロセスでしかない。


宇宙の全容・いのちの本質も理解できぬひよっこ学者が振り回す科学とやらは地球を壊すばかりでなく、

我々自身をも無機質なものにしている。


「怪談」、この最も生々しい人間学を通し、

我々の精神に潜む諸問題を顕在化させる試みがなされて欲しいものだ。 

ドキドキ楽しみながら・・・・




以下は私の実体験。


今は武蔵小杉に住む姪が大学2年目を迎える春のこと。

現地の知人に頼んで前年に決めた下宿先をかわりたいという。


聞いてみると、下宿のおばあちゃんが怪しい人だという。

姪が部屋にいると、耳元で「ゆうこさん」とささやくので振り返るといつ入ってきたのか

おばあちゃんが立っているという。


昼はおばあちゃん独りなのでお茶に付き合っていると霊が見えるのか


「ほら、そこに座っている兵隊さんはね・・・」と食堂のテーブルを指さして話すという。


「まるでホラー映画みたいなんよ」


姪でなくともこういう下宿は遠慮したい。


私も相談に乗り、後日、ちゃんとしたアパートを見つけ引っ越しが決まった。

自然な流れで私も引っ越しを手伝い、その夜は新横浜に宿をとった。


折から受験シーズンでホテルは満室。姉と姪は7F、私は8Fと分かれた。


「かき入れ時になるとこんな部屋まで使うのか」それが第一印象だった。

私の部屋は結婚式場の前室と間違えそうな位置にあった。


鍵を開け、部屋へ・・・・・。

「違う!」と思った。奧まで見なかったが、あきらかに誰かいる。そんな気配だ。

ひとがいる空気というのは何となくわかるものだ。


そおっと中まで入ってみた。誰もいない。バスルームも開けてみた。ここにも誰もいない。

「気のせいか」と思ったとき、カーテンが閉まっているのが目に入った。普通は開いているものだ。


「誰かいますか」「開けますよ」恐る恐る開けた。やはり、誰もいない。 

が・・・足元を見てさすがに普通ではないと感じた。長い髪の毛が2本、バスの中に落ちている。


「ちょっと ちょっと ちょっと・・・こりゃいったい・・・えっぇ、まいったなあ」

「もしかして、いわくのある部屋ってこと?」


しかし、引っ越しの作業をしたあとだ。シャワーをしたい。

ま、いいか。そのままシャワーで汗を流す。さすがにカーテン開けっ放しで・・


あとはキリンのロング缶を2本飲んでベッドへ入った。大きな窓には満天の星が輝いている。

昼の疲れもあり眠りに入るまでに時間はかからなかった。


どれくらい経った頃だろう。私は自分の身の上にとんでもない事態が起きていることに気付いた。

誰かがうつ伏せに寝ている私の両足首をつかんでいる。冷たい細い指だ。あきらかに女の手だ。


後年「剱さん、本当にひとりだったん?」と皆にからかわれるが、

部屋には間違いなく私しかいなかった。・・・(はずだ)


振り返る勇気はなかった。その後にどんな場面が展開するかと思うと、振り返られるものではない。

しかし、夢ではない。星空はしっかり見えるし、夜中とはいえ都会の動きがはっきりと見てとれる。


女は覆い被さってくる様子はない。足首をつかみ、強く引っ張っている。

何処へ引っ張っていくのか。私は必死でこらえ、朝になるのを待った。恐怖で声も上げられない。


朝日が昇り、遠くの景色がはっきり見える頃になって初めて振り返ってみた。

女は消えていた。20年以上前の怖い体験である。




ここからは種明かし。


私の話は嘘ではない。しかし、考えてみれば論理的に説明のつくことだ。

するどい人ならすでに気付いていよう。


   そもそも横浜行きは「怪しいおばあちゃん」という話から始まっている。

   このことが私の潜在意識にあって、その後の判断を狂わせている。


   
   灯りを落とし、しまっている結婚式場・・・異様な静けさ、

   客室には不向きと思われる場所等が「怪談」の舞台として認識されていた。


   
   かき入れ時のホテルではルームサービスも人手不足。

   チェックインの直前まで作業がかかったのだろう。


   カーテンを開け忘れ、髪のことまで気が回らなかったとも思える。

   人間は動くと静電気を発する。気配というのはそれだ。残留していた静電気に対して敏感な私が反応した。

   
   日頃、足を使わない者が一日中歩いたのだ。足首に変調をきたすのは至極当然なこと。

   ビールを飲んだことで体温変化が激しかったこともある。

   女の手というのは、さまざまなことを総合して私の潜在意識が作り上げた幻覚に過ぎない。

   男ではなく、何故、女だったのか。確かにそれは問題として残る。"願望"が働いたと考えればいいのだろう。




   心理学の中村希明氏はいう。


   「幻覚は、欲求のうちでもっとも切実なものから現れる」


   「われわれは幻覚というマジックミラーをとおして、その人の心の奥底をのぞき見ることができる」と。


   これは私にとって別の意味で問題ではあるが・・・




「怪談」を論理的に考えれば、つまるところ、このようなものであると言うことだ。

心理学の中村希明氏の著作「怪談の科学」には、似たような話がいろいろ書かれている。

参考にされたい。 








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夜はほの暗く

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わが家にはどの部屋も天井面に直接付けるタイプの照明がない。


リビングにはソファーの横にスタンドがあって、

あとは吹き抜けの天井に写真スタジオのようなスポットライトが11個並んでいるだけだ。


これは日頃滅多に点けない。6年前、たくさんの花が届けられた日に点灯したくらいだ。


だから夜は暗い。

部屋に明るい部分と陰の部分ができている。

そうであっても新聞はちゃんと読める。


食卓にはペンダントライトがひとつ。

寝室はダウンライト、ブラケットライト、ベッドの枕元に小さなスタンドがある。

書斎はブラケットライトとアーム式の蛍光灯スタンドが2個。 

 
と、全室こんな具合だから全体として、夜は暗い。


家づくりにあたって考えた。

ひとは何故、灯りを点けるのか。そもそもひとにとって「夜」とは何なのか。


むずかしく考えず、日常を振り返ってみた。


ひとは朝日を見れば一日の生活の始まりを感じ、気持ちも高揚する。

逆に夕陽の中にあっては安らぎや落ち着きに浸れる。

昼間に活動し、夜は眠るわけだから当然といえば当然だ。


天体の動きと連動して生活のリズムが決まってくるわけであって、

偉そうなことをいっても原野に生きる獣たちと基本的には何も変わらない。

小さなアクシデントや、ちょっとしたハプニングに出会いながらも、

地上の生き物はみなリズミカルに生きている。


であれば、われわれ人間が夜に活動するということは極めて異常なことに違いない。

本来のリズムにさからっているということになる。

考えてみれば人間の他に、灯りを点ける生き物などいない。


体内時計というものがある。

時計遺伝子とかホルモンの働きとか、結構むずかしいのだが、

ここでは「規則正しいリズムを作る体の働き」としておく。


ほ乳類はこの体内時計によって昼夜の暮らしをリズミカルに営んでいるわけで、

この体内時計の働きが乱れてくると


   がんにかかりやすくなる。


   うつ や 記憶力の低下 や 高齢者の「認知症」の危険。


   高血圧や心臓病、糖尿病などの危険性が高まる。


などがいわれている。


天体の動きと連動している体のリズムを乱すということは大変怖いことなのだ。

気合いで何とかできるというものではない。


体内時計を活性化させるためには、昼夜にメリハリをつけることが非常に大切だ。

夜も昼のようにというのでは時計のリズムも狂ってきてしまう。


にもかかわらず、ひとは照明といえば、明るくすることしか考えようとしない。

夜を明るくすることこそが文明だと勘違いしているひとが多すぎる。

より明るく・・・というのは生産現場の考え方であって、

寛ぎや安らぎを求める場には決してふさわしいとはいえない。


家庭内の照明は間接照明であったり、やや低めの位置に取り付けるとか、

圧迫感のない工夫が必要だ。

頭の上から照らされていては安らぎ感は得られない。

色も暖色。夕陽に近い色がいい。陰を作るということも寛ぎのためには必要だ。


我が家を新築する際の「明かりのプラン」は「昼は明るく、夜はほの暗く」ということにした。

体内時計の活性化を図り、病気を近づけないことが最大のねらいだった。


思えば、社会は昼夜を問わず動いている感がある。

TVも店舗も工場も・・・・


しかし、そこに働いているのが人間だということを忘れてはいないか。

体内時計が狂ったままではひとはもたないのだ。


生き生きとした暮らしがないまま、少子化問題を論じてもどうにもなるまい。

こういう暮らしがあたりまえだと思わされている。

昼も夜もない暮らしはまるで養鶏場のニワトリのようだ。

人間とニワトリだけが胃潰瘍になるという。


資本家だけが潤うような生き方を強要されていては人間もやがてフライドチキンにされてしまう。

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七 夕

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     おい ししょうの たばこいれ どないしたんや

     あぁ ししょうの たばこいれ やったら あれ しちに いれました

     なんやて いま なんていうた

     しちに いれたぁ?

     そやさかいね しちに はいってますねん

     おまえなぁ じぶんの したこと わかってんのかい

     なんちゅうこと してくれるんや ほんまに

     前代未聞やで・・・・・あああ

     ししょう そんなわけですわ わたしの めくばりが たりませんでした すんません

     まあまあまあ・・・ おおきいこえ だしても しゃあないやろ

     ほんでも なあぁ こづかい ほしかったら ゆうてくれたら よかったな

     ほんで おまえ どこの しちに いれたんや

     ええ あっちのへやの しちです

     あっちの へや?

     ええ いま とってきます

     んっ? どういうこっちゃ・・・

     おい ついてって みぃ

     ししょう わかりましたわ

     なんや

     しち ちがいます たな ですわ

     たな?

     たな のこと しちて ゆうんですやろ

     ????

     ほやけど たなばた のこと しちゆう と書くんとちがいます?


上方の、ある噺家一門であった小咄のような本当の話。





べつに批判するつもりではないけど、あらゆる行事がメディアから始まっているように思えてならない。

ほんとうなら家庭からでてくるものではないかと思うのだが・・・

恵方巻き  ひなまつり  端午の節句  七夕  お盆  ハロウィン  クリスマス  バレンタインデー

何の興味もないようなことでもメディアが煽るものだから、

いっしょに浮かれてないと・・・という気持ちになってはいないだろうか。

メディアということは商売ということであって何やかやいいながら、

われわれ市民は消費を煽られているだけのことのように見えるわけで・・・

そして、自分が生きていく上で何が最も大切なのか考えるゆとりもないまま、

また一年を過ごすことになってはいないだろうか。

7月10日、観音菩薩を本尊とする寺では四万六千日の縁日である。

この日に参拝すると四万六千日分参拝したことと同じ功徳があるとされている。

浅草の浅草寺にほおずき市がたつ日だ。

しかし、これはスーパーのポイント5倍セールと同じものでしかない。

ブッダの教えにそのようなものなどなく、

暑さで参拝客の足が遠のくのを案じた寺側が考えた集客作戦に過ぎない。

土用丑の日は鰻を食べる日だとか。さかなやはかき入れ時だ。

これもおかしな話で、何の根拠もないことに日本中が踊らされている。

食通は天然物なら冬が旬というが、養殖鰻に旬などないわけで、

この時期の鰻が格別味が良いというのは、暗示にかけられた結果だ。

いわばプラセボ効果のようなことで、食欲がでればそれもいいという程度の話だ。

       ※

       プラセボ効果(プラシーボ効果)とは、偽薬を処方しても、

       薬だと信じ込む事によって何らかの改善がみられる事を言う。

       暗示効果。






自分は浄土真宗というひとが、クリスマスをしても「花祭り」は知らないという。

阿弥陀経って何が書いてあるか知らんという。

こういう文化、こういう暮らしって違うんじゃないかな。

浄土真宗であれ、カトリックであれ、無宗教であれ、自分のよってたつところを大切にしてほしいと思う。

ただただ時流に流され、体制が描いた幻想のなかに身をおいてもゆたかな気持ちにはなれるはずもない。

商業主義ではない、暮らしの中にある文化をこそ大切にしていかないと、

日々の暮らしはただめまぐるしいだけだ。

息の詰まるような暮らしの中にあって、古代のひとびとが星空をとおしてどんな日々をねがい、

何を夢みていたのか、夏の宵に思いを馳せるのもよい。

きれいな星空であってほしいものだが、雨になったときはこんな歌があったことを想い出すといい。

雨の夜もまたいいものだと思える歌だ。

     この夕降りくる雨は彦星の早漕ぐ舟の櫂の散りかも

    [読み]

     このゆうべ、ふりくる雨は、ひこほしの、はやこぐふねの、かいのちりかも

    [意味]

     この夕べに降る雨は、彦星が急いでこいでいる舟のかいのしずくなのかも。

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厚労省は自由診療体制に誘導か?



母の命日の食事会に姉のひとりが欠席した。

体調に自信がないからとのことだった。


聞けば1週間前に救急車で運ばれたという。

町内会の会合の席上で突然意識がなくなったらしい。

2分ほどで回復したのだが、周囲の人たちが心配して救急車に乗せたという。


救急病院では心電図と脳のCTをとったが特に異常は認められず、

直前の行動を尋ねられ、「花粉症の薬を呑んだ」というと、医師は


    おそらくそれでしょう


    かかりつけの耳鼻科に今日のこと言っておいてください


とのことで、そのまま帰されたという。


私は自分のホームドクターに尋ねてみた。


    花粉症の薬でそんなことになるものですか


    担当医が言ったのは "迷走神経反射" のことです

  
    まれに注射すると聞いただけでお腹が痛くなるかたがいますが

    あれも "迷走神経反射" です


    花粉症の薬でおこらないとはいえませんが・・・・


    僕は "TIA" だと思います」「すぐに循環器科で診てもらってください


    先生、 "TIA" って何ですか


    一過性脳虚血発作のことです  つまり 脳梗塞の前兆です


    すぐに症状が消えてしまうのでCTをとっても 異常は認められません


    しかし 放っておくと今度起こるときは脳梗塞です


    かなり高い確率で脳梗塞が起きています  けっして軽視しないでください


私の言葉なら無視するところだが、元金沢医科大高齢医学科講師の言葉には姉もこたえたようだ。

翌日から循環器科の治療を開始した。

血液サラサラになる薬とコレステロールを下げる薬を処方され、定期的に血液検査をすることになったとか。


"TIA" は医師の共通認識とホームドクターは言うが、現実には医師によって温度差はある。

救急外来もかなりいい加減だ。日本の医療は大丈夫か。

帰宅させるときに循環器科にいくよう指導するとか、 "TIA" の可能性に言及すべきではなかったか。


ホームドクターの言葉がなければ姉は脳梗塞の道を歩んでいたはずだ。

こんな医療体制でよいのだろうか。


"TIA" は原則的に入院させて治療する、と多くの医師がホームページで書いている。

が、現在はまず入院させることはないという。  何故か。

医療費削減を使命とするどこかの小役人が目を光らせているためらしい。


私は糖尿病その他で2週間に一度診てもらっている。

先生としては2週間に一度は血液検査をしたいようだが小役人が認めないという。

尿検査にも回数制限があるとのことだ。


これで責任ある医療ができるのだろうか。厚労省はその環境を担保しているのだろうか。

医師によっては持ち出し覚悟で治療するとも聞く。まさに赤ひげ先生である。


国民の医療費総額を考えるとき、

姉のケースでいえば循環器科にいった方が高くつくのか、いかない方が高くつくのか、

政に携わるかたがたは答えを持っているのだろうか。


膨れあがる医療費。対応は考えなければならない。

小役人の存在もあながち否定はできない。 しかし、方法論が間違っていないか。


例えば犯罪捜査の場合で考えてみる。

稚拙な初動捜査や不十分な鑑識活動をそのままにしておいて

その後多くの経費をかけ、捜査員を動かしても何の成果も上げられない。


虚しく時が流れるだけで、時効廃止などいっても事件は解決できはしない。

タイミングを逸してしまえば解決できるものも解決できなくなるということだ。


現在の厚労省のやり方は小規模の火災は放っておいて、大規模火災になって初めて出動する消防署だ。

費用負担が大きくなるのを待っているかのようだ。


どんな病気でもいきなり重篤な状態になるわけではない。

前兆を見逃さずに対応すれば、患者もひどい思いもせず、様々な面で負担の大きい入院を回避できる。


結果的に医療費も大きくはならない。


現在だとまったく個人的に血液検査を希望しても病気でない人は認められそうもない。

そして多くの人が重篤な患者になる道を歩んでしまう。


特に中高年の場合、ひとりひとりに合った生活指導が必要だ。

年に一回の通り一遍の健康診断では多くの前兆は見逃されてしまう。


マクロ経済の何たるかも知らない財務省の経済運営はよく批判されるが、

厚労省もまたマクロなものの見方ができていない。

市民に最も身近な末端医療の充実こそが医療費抑制になるという発想ができていない。


「十分な治療は『自由診療』でどうぞ」

というつもりだろうが、それは保険会社の「医療保険」へと誘導することに他ならない。


以前、アメリカの医療現場をレポートする番組があった。

救急車で運ばれた人に先ず病院が尋ねることは「カードは持っているか?」だそうだ。

支払い能力の無い人間を治療することは経営者に対する背任行為になるからだ。


この国の治安がよい理由に「格差のない社会」があげられる。(最近はかなり怪しいが・・・)

「国民皆保険制度」の果たしている役割は大きい。


TPPは医療現場を「アメリカ化」する。そして、保険会社は「医療保険」で大もうけだ。 

この国はそんな愚かな道を歩むつもりなのだろうか。


医療現場の問題点を指摘すると医師会は既得権益を守ろうとする圧力団体のようにいわれてしまう。

メディアや評論家はここぞとばかりに医師会を叩く。

一連の流れを見れば誰がそう言わせているのかがおぼろげに見えてくる。


悪徳な医師がいることも事実だ。

しかし、ほとんどの医師は真摯に患者と向き合っている。そして医療の改悪化と闘っている。

「いのちの既得権」を守ることが何故非難されなければならないのだ。


医療現場を「アメリカ化」することは営利優先主義であり、医療の放棄である。

この社会を「自由な国アメリカ」のレベルにまで引き下げるようなことがあってはならない。


処方された医薬品が売買されていることを政治家の皆さんはご存じなのだろうか。

かなり以前からひそかに行なわれている。

知らないとすれば社会の底辺を知らぬ「しあわせな人々」だ。


何故、売るのか。

「生活保護」だけでは生きていけないからだ。


何故、買うのか。

医療機関にいけないからだ。


職がない、金がない、いや、それ以前に住民票がないということさえある。

驚くかも知れないが戸籍のない人々さえ紛れもなく存在する。


そして、そんな人々を無報酬で診ている「赤ひげ先生」たちもいる。


「赤ひげ先生」たちは相手がどんな人間かを詮索したりはしない。

保険証を持たない人であれば相手を選ばない。

逃亡者であれ、暴力団員であれ、密入国者や不法滞在者であれ、

目の前にいる医療の必要な人を手当てするだけだ。


官僚も政治家も社会の現状を知らぬまま「改革」なるものを推し進めようとする。

最底辺の人々はおきざりにされたままだ。


その叫びはどなたかの耳に「音」としてすら届くことはない。








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苦悩など何処にも無い





      仏教は苦悩から逃れる道を説く教えではない。


      もともと苦悩など何処にも無いと説く教えだ。












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日々の言葉で




        日々の言葉で


        暮らしの言葉で


        自身の言葉で語れ










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水のごとくに____山田無文

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        水のごとく よどみなく

        さらさらと 流れたい。

        どんな良いことがあっても、

        どんな悪いことがあっても、

        うしろをふり向かずに、

        前へ前へ、

        さらさらと流れたい。

        左右の岸にどんな美しい花が

        咲いておっても、

        どんなに楽しく小鳥が

        鳴いておっても、

        その美しさをほめながら、

        その楽しさをよろこびながら、

        足ぶみせずに流れよう。

        流れる水は凍らぬとか。

        流れる水は腐らぬとか。

        それが生きておると

        いうことであろう。

        田畑をうるおし、

        草木を養い、

        魚を育てながら、

        決して高きを望まず、

        低い方へ低い方へ、

        水の流れる如く、

        わたくしも流れたい。



                                      


                                         無文






奇妙きてれつ___厚生労働省と薬品販売業者の言い分



厚労省は市販薬に関して薬局などでの対面販売を原則とする立場をとってきた。

副作用のある薬品のことである。消費者の安全は護られなければならない。

厚労省、薬剤師会の意見は正論だ。




このほどインターネットを使った市販薬の販売が最高裁の判決で事実上解禁された。

しかし、薬剤師会や薬品販売業者は批判的だ。


  「ネット販売を認めて得られるのは、現状では利便性だけ。

   医薬品の安全性を担保したことにはならない」


としている。


早速、自民議員連盟では、改めて規制をかけるため、

通常国会で必要な法律の改正を目指す動きを見せている。

曰く「国民の健康が脅かされかねない」だそうだ。


しかし、議員達が関心があるのは本当に「国民の健康」なのだろうか。

業界団体からの陳情書と献金リストしか見ていないのではないか。


薬局やドラッグストアに行ったこともない大先生達がどんな法案をつくるというのか。


現実の販売形態はおよそ「薬局」とはほど遠い。

トイレットペーパーを買う感覚で風邪薬を買うことが出来るではないか。

薬剤師から症状について尋ねられることもないし、無論、副作用の解説もない。

そもそも店頭に薬剤師がいないことさえある。


幾種類も並んでいる薬の中から買うことになるのだが、消費者には選択基準がわからない。

安全を担保する情報は店頭にはない。


そんなときこそ薬剤師に相談ということなのだろうが、実際そんな光景を目にしたことはない。

消費者は「よさそう」と思えるものを黙ってレジに持って行くだけだ。

レジ係が薬剤師かはわからぬが、「ありがとうございます」のひと言だけで売ってくれる。


安全を担保するというのであれば薬はカウンターの内側に置いて、

消費者が自由に手に取ることがないようにすべきではないのか。


CMや価格、その他のサービスで選択させている現状は消費者の健康を担保するという

趣意からは遠いものだ。


厚労省は現状を知りつつ、「対面販売」という正論だけをお題目のように述べているに過ぎない。


原則である対面販売の趣意を無視しているのは薬品販売業者自身であろう。

単に新規参入を妨害、抵抗しているに過ぎない。

献金付きの陳情書をどれだけ書こうとも社会の変化について行けなければ淘汰されていくのは

市場経済の常だ。


議員の大先生達も現状を見ずして法案をまとめようとすれば見識を疑われよう。


工夫次第ではネット販売の方が厚労省、薬剤師会のいう「対面販売」を実現できる。

消費者の同意があれば既往症、体質についてもデータ化できる。

何より顧客の住所、氏名が把握できている点は「安全の確保」という意味で

店頭販売よりも優れている。


ネット窓口に医師や薬剤師を常駐させ、

購入の際、問診や副作用についての理解がなければ販売しないということであれば現状の店頭販売に勝る。

安全を担保できないという販売業者は反対の論拠を失うことになろう。


安全性の担保をいうのであれば先ず現状をあらためなければならない。

政治家頼みで時代を乗り切れないのはコダックの衰退を見てもわかるはずだ。

薬局は社会の変化に対応した将来像を自ら描かなければならない。




私の甥は何を買うのでも店頭で現物を確認するタイプだ。

そこへいくと姪と私はネット派である。

甥は自分の目で確認しないと納得できないというが、

店頭で確認できることといったら案外少ないものだ。時間も限られている。


ネットでは取扱説明書も熟読できるし、原材料や材質の確認も出来る。

業者によっては仕上げ塗料の安全性についても解説している。

情報量が断然違う。消費者にとっては選択肢が増えるということだ。


善し悪しは別にして社会はインターネットの時代である。

無視したり、規制という名の妨害をしてもほんの一時しかもたない。

改革が遅れれば気付いたときはすべてを失っていよう。




「既成政党」か「規制政党」か「寄生政党」か知らぬが、

既得権益を護ることにきゅうきゅうとしていたのでは不正選挙でもやらない限り

政党の将来もないということを知らなければならない。




閉鎖社会でしか生き残れない経済環境は改められるべきだ。








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おなじニッポンジン___???___全体主義体制の臭い




     おなじニッポンジン として 当然でしょう



2011年、津幡町のある地区で予定されていた「桜まつり」が中止された。

責任者に理由を尋ねたところ、そんな答えが返ってきた。

東北・東日本の災害をうけて、急きょ中止するのだという。


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世界はいま・・・・・



[貧困]


毎年1100万人もの子どもが5歳の誕生日を迎えることなく命を落としている。

1時間に1200人(3秒に1人)ということになる。その主な原因が貧困だ。


1日100円前後での生活を強いられている人々の3分の2が農村地域で働き、

収入と食料の両面で天然産品に依存した生活を送っている。


彼らが生計を立てるための市場や生産手段、そして貧困からの脱出の見通しも、

農産品取引を管理している貿易規制の影響を直接受けることとなる。


貿易は構造的な不平等が根深く、拡大さえしている状況という。


富裕国に農産物を輸出している開発途上国が直面する貿易障壁は、

富裕国同士が貿易する場合に比べ3~4倍に達すると言われている。


先進国は貧困国の農業に対し援助を行なってはいるが、

一方で、自国の農業に対して補助金を出して農産物を過剰生産させている。


こうした不平等によって貧困国が生産する農産物は国際市場での価格競争に敗れ、

貧しい農家の人々が得るべき富を奪い、雇用機会まで失わせてしまっている。


貿易の問題は関税をはじめとした国による障壁だけではない。

世界的な大企業による国際市場の寡占化こそ問題とされるべきだ。


我々のこの豊かな生活がどういった人々の犠牲によって成り立っているか、知らなければならない。


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[飢餓]


1日のエネルギー必要量を摂取できていない人々は8億人を超え、

開発途上国では5歳未満の子どもの4分の1が栄養不良に陥っている。


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[水不足]


毎年170万人以上が質の悪い水と粗末な衛生設備が原因で病気になり、命を落としている。


子供への影響も深刻で、

毎日4000人が清潔な水と適切な衛生設備があれば予防できる病気によって亡くなっている。


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[HIV]


HIVに感染してもすぐにエイズが発病するわけではない。

発病を遅らせる薬や症状を軽くする薬などが実用化されている。


低・中所得国で抗HIV治療を受けている人々の数は2001年末から3倍に増加した。

しかし、必要な治療を受けられているのはアフリカで10人に1人、アジアで7人に1人にすぎない。


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[戦争による惨禍]


戦闘に巻き込まれたり、戦争が終わってからもクラスター爆弾の不発弾や地雷で多くの人々が亡くなっている。

劣化ウラン弾による放射能被害は敵味方を問わず、長期にわたる苦しみを強いている。


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上にあげたものばかりではない。

チェルノブイリは25年経っても、まだ終わってはいない。


世界には問題が山積している。


日本人のどれだけが地球全体の問題を認識していることか。

自分たちの生活の足下にある難問を知っているか。


我々の日常は世界のひとびとの犠牲の上に成り立っている。

まず、それを知ることから始めなければならない。


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「桜祭り」の主催者は、東北・東日本のかたがたと「自分たち」が「おなじニッポンジン」との認識を示した。

「おなじニッポンジン」とは実にあいまいな言葉だ。


もしかすると、言ったご本人も「おなじ」の意味がわかっていないかもしれない。

確かに、ひとつの政府の下、生活をしているということはある。


しかし、いままでも、そして、これからもまったくの他人として、意識の外にしかない存在を、

「ニッポンジン」というくくりで結合させる「ニッポン」とは何なのか。

考えると不気味である。

あまりに情緒的で、全体主義体制の匂いを感じてしまう。


困っているかたがたに手をさしのべる。

それだけのことだ。


「おなじニッポンジン」と、思いたがるのは擬似的な連帯感にすぎない。

格差が広がりつづける社会にあって、ひとは「共同感」「帰属感」を求めている。

孤立感を麻痺させるために。


そして、権力者が演出、用意する「連帯感」の世界で、すべてが解決していくという、幻想を見てしまう。

ACジャパンはまさにそのプロパガンダだ。


「まつり」の予算を義捐金にするならわからないではない。


「おなじニッポンジン」として、浮かれている場合ではないというのは、あまりに精神主義的である。

戦前の思考回路をもった人々は健在のようだ。

「まつり」を実施すれば「非国民」と罵るに違いない。


「おなじニッポンジン」として、風評被害にあっている農家を救済するのは

「国民の義務」のような取り上げかたをされる。


しかし、何故、一般市民が放射能汚染のリスクのある野菜を買うように誘導されなければならないのか。

市民は被害者であるはずだ。


東電や政府がその農産物を買い取るべきであって、

被害者に被害者の救済をさせることがあっていいはずはない。

これでは加害者が誰であるかわからなくなってしまう。

市民は騙されている。


市民には放射能汚染の疑いのある食品を拒否する権利がある。

市民はその子どもをまもらなくてはならない。


これまで十分すぎる恩恵にあずかってきた、東電の株主、経営者、従業員は私財を提供し、弁償とすべきだ。

加害責任は明確にすべきだ。


愚かで人の良い市民は、加害責任をうやむやにしたい連中に巧みに誘導され、

危険な食品を食べさせられている。


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「おなじニッポンジン」とは言っても「おなじ地球人」と言わない。

「おなじ人間」とは言わない。


狭い世界しか見ていないひとは、やがて、多くの国から見捨てられることを覚悟しておいた方がよい。


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あらゆる人とおなじ眼差しで生きている人がいた。


黒沢明作品「どですかでん」にでてくる「たんばさん」だ。

黒沢自身が「このように生きたい」と願っていたに違いない。



たんばさんの家に夜、泥棒が入ってきた。

枕元の雨戸から侵入した泥棒に対し、


 

 
    きみ それはちがうよ それは仕事の道具だ

    金なら こっちにある

    いま出してやるよ


    
    いまは これで全部だがね

    こまったら また おいで

    すこしなら ためておくから んっ?


    ああ 雨戸は 閉めてっておくれ

    それから こんどくるときは おもてから おいで

    

    
    

むしゃくしゃして刀を振り回す男がいた

小さな街はパニックに・・・


傘をさした たんばさんが男に近づく

手をさしのべて なにか 話している

男は 青菜が塩でもかけられたように おとなしく 家へはいる


後日 街のひとりが 男にたずねる



     あのとき たんばさんに なんて いわれたんだい



     どうもこうもねえや あのひとときたら

     かわろうか ひとりじゃ 骨が折れるだろうからな 

     っていうんだぜ

     おりゃあ なにも 工事やってるわけじゃ ねえんだ


     はい それじゃ おねがいします なんて いえるかい

     おりゃあ きまりがわるくなって  やめちまったのよ





「おなじ」というときは このようなまなざしで ありたいものだ








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オリンピックはスポーツか


1964年の東京オリンピック。

柔道の無差別級決勝戦で日本期待の神永昭夫が敗れた。

オランダのアントン・ヘーシンクが神永を袈裟固めで下して金メダルを獲得した。


柔道が正式競技として初めて採用された地元開催のオリンピックである。

最も重要視されていた無差別級で外国人が日本代表を下して優勝を果たした事は、

自他共に柔道を「お家芸」と認める日本に大きな衝撃が走った。


スポーツにおいては体格、体力、技術に勝る者が勝利するという、きわめて当然の帰結であったが、

この敗北はスポーツ界にとどまらず、

日本社会の底流にあった「精神論至上主義」を意気消沈させるに十分だった。


合理性、論理的な思考が大切といいながら、

日本人の中には「歯を食いしばり頑張れば何とかなる」という思いがあった。

しかし、ヘーシンクは「何とかならない」現実をまざまざと見せつけた。


高校2年の私にとって目から鱗が落ちた瞬間だった。



先年、オリンピックに出場する若者の服装の乱れが話題になった。

いつの時代でも型にはまらぬのが若者の特権である。

若者には若者なりのTPOがあるわけで、

それが旧来のスタイルにそぐわないからと言って非難されることはない。

誰しもそんな道を歩んできた覚えはあろう。


話題の若者には " おしゃれのTPO ”という認識が無かったようで、それが非難の的となった。


しかし非難の論調に、この社会のおかしな空気を感じたのは私だけだったろうか。

地元ラジオ局のパーソナリティーは


「税金をつかって派遣する選手がなんたるざまか 日本の恥さらしだ」


と発言した。

日本中のメディアはだいたい似たような言い方だった。


服装ばかりではない、成績についても同じような言葉がメディアにあふれていた。(それは今も続いているが・・)

「なんたる成績か これでは税金をつかう意味がない 派遣は再検討すべきだ」等々。



そもそも、オリンピックとは何なのか。

社会は税金をつかって何を期待しているのか。


いつの大会でもメディアの話題はメダルの数である。

競技内容には関心は薄く、ただメダルを獲得しさえすれば満足しているようだ。

資源の少ない国ゆえ、

いよいよオリンピック選手団にまで金、銀、銅の獲得を期待するようになったということか。



近年、メディアから外国人選手の名前が消えたという印象を持つのは私だけだろうか。

以前は驚異的なスピードや超人的な演技に目が向けられ、国籍を問わず話題になった。

タレントが「コマネチ!」というギャグでテレビを沸かせていたこともあった。

アベべやチャスラフスカは日本でもヒーロー、ヒロインだった。


しかし、今や連呼されるのは日本人の名前ばかりである。

社会の変化がそうさせているのだろう。政治とは無関係でない。


体制側はあきらかに国家主義へと誘導している。

日の丸の下に一致結束する空気を巧みに演出している。


こういうことに敏感でなければ人はおかしな方向に流されていることに気付けない。



無論、競技そのものはスポーツである。参加する個人にとっては。

またそうであるべきだ。


しかし、為政者にとってオリンピックは「プロパガンダ」や「目くらまし」の道具でしかない。

国威発揚のためであり、日の丸の下に愛国心を鼓舞させ、

さらに応援のために国が一丸となることを呼びかける。


いや、一丸となる空気を作り出すためにこそオリンピックのような国際大会を利用する。

為政者はそのために多額の血税をつぎ込む。


さらに開催国ともなればビジネスチャンスもあるわけで、首長達が競って誘致に血道を上げるのもそこにある。

スポーツ振興とはまったく別次元の動機でオリンピックは利用されている。



国が一丸となって・・・


時にこの言葉は美しい響きをもって人々を動かす。

3.11の直後、「おなじ にっぽんじん として いたみを わかちあおう」

と言って地元の催し物を中止した人々の如何に多かったことか。


救援活動でもないこうした的外れな行動は国家主義からくるものであり、

社会がいとも簡単に国家総動員体制になだれ込む予兆と捉えるべきだ。


震災の後、集められた東日本大震災復興構想会議のメンバーにメディア関係者が2名入っていた。

権力をチェックするべきメディアが権力の中に入ったのでは、チェック機能は働かない。

翼賛体制はすでに始まっている。


為政者は一丸となった国民をどこへ導こうとしているのか。

人々は戦前の国のあり方を検証もしないまま、「いつか来た道」を歩み始めている。



「風評被害のフクシマを助けよう」「フクシマを応援しよう」

大手デパートのお歳暮、お中元セールにはフクシマ産の食品が並ぶ。

国が一丸となってフクシマを助けようとメディアも叫んでいる。


しかし、国が一丸となることを呼びかけられるとき、いつの時代も市民は犠牲者になることを強要される。

汚染の実態は隠され、便宜的に政治家が勝手に設定した数値を信じ込まされる。

医師達は5年ほど経過した頃放射能による病状が顕在化するだろうと言っている。

核兵器開発プロジェクトを中止させないため、政府は必死になって情報を隠し、

原発廃棄の道を妨害しようとしている。


「原発が止まっている現状では国を挙げて節電に取り組もう」


政府のよびかけは一見筋は通っている。

が、これは裏を返せば原発推進のキャッチコピーでしかない。


  「電気が不足すると困りますよね」


  「計画停電はやっぱり嫌でしょ」


原子力マフィアの広報が耳元でささやく。


国が一丸になるよう呼びかけられるとき真実の情報が市民の元に届くことはない。

そして大本営発表の行動基準に沿って暮らすことが日本のためになるのだと信じ込まされる。



イベントは「目くらまし」にされている。

所詮は他人事でしかないオリンピックに人は何故のめり込むのか。

日本の若者が良い成績をあげようとも庶民の日々の暮らしには何の変化も起きはしない。


うさ晴らしを用意されて騙されてはならない。

問題は根本から解決しなければならない。



海外資本に差し出すための増税、TPP、オスプレイ、悪徳電力会社支援問題、原発再稼働など問題山積だ。

市民の暮らしに直結する課題から目をそらしてはならない。


為政者は情報を隠し、国民の関心を外に向けさせるために画策する。

イベントであったり、事件を起こしたり、偽旗作戦で敵を作り上げることさえある。

オリンピックはプロパガンダ以外のなにものでもない。



競技そのものはスポーツである。参加する個人にとっては。

またそうであるべきだ。


しかし、東京オリンピック・マラソンで銅メダルを手にし、

さらにメキシコ大会での活躍を期待されていた円谷幸吉は東京オリンピックから4年後、


「幸吉はもうすっかり疲れ切ってしまって走れません」


との遺書を残し自殺した。


円谷の自殺は、「人間性を無視した期待」、「国民的期待感の重圧に耐えかねて」、「五輪至上主義への警鐘」

という論調でマスコミによって伝えられた。

「円谷は日本人の愛国心に殺されたのです」あるスポーツ評論家が述べていた。


なんとも傷ましいことである。

メダル、メダルとはしゃいでいる場合ではない。

「税金をつかっているのだから・・・・」などと発言する馬鹿パーソナリティー達は

円谷幸吉を知っているのだろうか。


競技そのものはスポーツである。参加する個人にとっては。

またそうであるべきだ。


以来、私はオリンピックの報道を無視している。テレビ観戦も一切しない。したくもない。



                ※ 円谷幸吉 1940年生まれ  

                   陸上競技(長距離走・マラソン)選手、陸上自衛官。









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広域がれき処理



業界の利権が第一の金権腐敗政治の典型です。

言葉をかえれば「火事場泥棒」というべきものです。


各地が受け入れるべきは福島から移住を望む被災者であって「がれき」ではないと考えます。


青天井の公金投入で運送費を無駄に使い、

CO2を発生させて「がれき」を遠隔地まで運ぶ必然性があるとは思えません。


被災地の雇用問題を考える上でも「がれき」処理は現地にまかせるべきです。

被災地にお金を落とすことを考えなくてはならないときに、広域処理・復興促進の名を借りて

被災地から仕事を奪うことになります。


戸羽太・陸前高田市長、伊達勝身・岩泉町長、両氏の発言を紹介します。


   「現行の処理場のキャパシティーを考えれば、全ての瓦礫が片付くまでに3年は掛かる。

    そこで陸前高田市内に瓦礫処理専門のプラントを作れば、

    自分達の判断で今の何倍ものスピードで処理が出来る。

    国と県に相談したら、門前払いで断られました」


   「現場からは納得出来ない事が多々有る。

    山にしておいて10年、20年掛けて片付けた方が地元に金が落ち、雇用も発生する。

    元々、使ってない土地が一杯あり、処理されなくても困らないのに、

    税金を青天井に使って全国に運び出す必要がどこに有るのか」


報道は静岡県島田市長の桜井勝郎氏が「がれき」の受け入れを表明したことを美談として紹介していました。

被災地が処理に困っているがれきの受け入れを表明した「ヒーロー」として桜井市長を大きく取り上げました。

美談??? 


         桜井勝郎

         2001年の市長初当選直前まで、産廃事業者である桜井資源株式会社社長を務めており、

         現在は親族が経営している。


メディアでは「絆」という言葉が踊っています。

芸能人、知識人総動員で「絆」の宣伝に明け暮れています。

私も頭から否定するものではありません。  


が、こういう状況は社会にとって最も危険な時期であることを知っておいてほしいと

昨年発信したことがありました。


「絆」を国民に強要するとき、社会は大政翼賛的になり、素朴な疑問が抹殺されていくのです。

金権腐敗構造を隠されてしまうのです。横暴を許し、異を唱えることが難しくなる空気を作るのです。


福島復興や風評被害から1次産業をまもろうと呼びかけられる社会では

放射能汚染食品を摂取することを強要されても、誰も異議を唱えません。


そうすることが良識ある人間の義務とさえ信じて行動します。


が、よく考えてください。そして日本以外からの情報に接してください。

日本のメディアや政府は明らかに事故を過小評価しています。いや、国民を騙しています。


原発事故は収束どころか、誰も炉心の状況さえわからないというのが現状です。

放射性物質も依然として出続けています。


福島の1次産業をまもるために米の作付けがいわれています。信じられません。

私の理解ではすでに日本から福島は無くなっているはずです。

多くの科学者も住んではならない地域と発言しているのはご承知と思います。


ウォールストリートジャーナルのアメリカ人記者たちが福島に人が暮らしている状況を

驚きをもって伝えていました。


日本政府はすべてを隠し、危険な地域に人々を住まわせるつもりのようです。

こんな事が許されてよいはずはありません。


汚染された「がれき」は福島に限ったことではありません。

安全なものだけをお願いするなどと言っていますが、政府など信用できるわけがありません。

各地に汚染された「がれき」が拡散されるのは容易に想像がつきます。


私の甥は焼却プラントの設計監理技術者として全国を飛び回っていますが、

彼は化学の専門家ではあるけど、核についての知識は無いはずです。


そんなプラントで「がれき」の処理ができるとはとても思えません。

政府がやろうとしていることは危険の拡散であり無謀です。


いま政府がやるべき事は危険な地域から人々を避難させることであり、

4号機の使用済み核燃料プール対策のはずです。対策はあまりに遅すぎます。


建屋が崩壊し、燃料が露出すれば300キロ圏外へ避難しなければならないと言われています。

300キロ圏内が立ち入り禁止になることは、

やがて福島第1、第2、女川、東海、柏崎の暴走へとつながっていくことを意味します。

無人となり、メンテナンスができなければ暴走するということです。


日本の破滅にとどまらず、地球上の生命すべてが絶滅することになります。


日本に54基の原発があるという認識は正しいとは言えません。超巨大な原発があると認識すべきです。

愚かな人々は事故が連鎖的に起きることなど想定しなかったのです。


その、あまりにも過密に建ててしまったツケが今まわってきたということです。


先年、2012年人類絶滅説というのがありました。無論、論理的に根拠のある話ではありません。

そのはずでした。


が、そうもいっていられない現実が迫っていることは夢でもドラマでもない現実です。

つい先日も地震がありました。祈るような気持ちで見ていましたが、今回は無事だったようです。


2011年の地震のときでさえ、帰宅困難者が出た東京です。

全員避難ということになったときどういう事になるのか、恐ろしくて考えることも出来ません。

それでも我が家が東京からの疎開の人々であふれることは覚悟しています。


誰かの歌ではありませんが、 「・・・冗談だよと 笑って欲しい・・・」  そんな気持ちです。


それにしても、危機に際してのトップの判断がいかに大切なものであることか。

クリントン国務長官の支援申し入れは実に早かったのに、政府は断ったのです。

冷却剤の提供や技術者の派遣を言ってきたのに政府はメンツにこだわり断っています。


福島原発の設計はGE社です。核関連の技術者も大勢います。何よりスリーマイル島事故の経験があります。

東電など所詮は運転手に過ぎません。


技術レベルが子ども同然の東電や素人集団の保安院をあてにした総理の判断ミスが

事態を深刻なものにしてしまったと言うべきです。


何より国内問題という認識でしかなかったことはおおいに批判されるべきです。

地球規模の事態という認識がなかったのは残念なことです。


自衛隊の逐次投入、避難地域設定の不手際等やることなすことトップの資質のなさを露呈しました。

おかげで被曝しなくてよい大勢の人々を被曝させてしまいました。


反原発の総理というイメージで語る人もいますが、反原発を言うのは当たり前の事で、

彼の評価にはなりません。


後世の歴史家は初期の対応が出来なかった首相と語るでしょう。

その時まで地球がもてばですが・・・・・








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東 祥三とはこんな人

Ttgtt

2012年10月31日
衆議院本会議 「代表質問」
【質問者】 東祥三(国民の生活が第一)
http://www.youtube.com/watch?v=cw4apOqeD3U

東 祥三 3つの緊急課題について
http://www.youtube.com/watch?v=pQvpmAzbsl8

民主党分裂でどうなる日本~政権交代とは何だったのか~
公開日: 2012/08/09
http://www.youtube.com/watch?v=NvJDv6-O6zE

三遊亭圓楽師匠 東祥三 応援動画
http://www.youtube.com/watch?v=lsXksvwmBx4









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おまかせ



梅雨入り前の或る日の午後のこと。


「#$%&$#$%?%$$% !!・・・」


日頃は穏やかなドクターの声が医院中に響きわたった。

受付の若い女性たちも不安げだ。

開業初日からのお付き合いだからこの秋で11年になるがこんなことは初めてだ。


やがて診察室から70代前半の男性が出てきた。

あ、このかたは・・・一見して病んでいることがわかるかただった。

目はくぼみ、肌は泥で作った人形のようだ。

医院を異様な空気にしたことを悪びれる風もなく、呑んだくれがするようにブツブツとこぼしている。


状況は一瞬にして呑み込めた。

このかたは自分の病状と向きあい切れていないのだ。

希望を見失い、どう対応していいのかわからなくなっている。


しかし、荒れて不摂生をしていてはさらに自分を追い込むだけだろうに。

希望を失い、酒に溺れているのは永年いろんな人間を見てきただけにすぐにそれとわかる。

彼には声をかける家族やよき隣人の気配も感じられない。

ひとりでいることがさらに不安を増長させているのだろう。


診察室に入ると先生はいつになくさびしげだった。


  「先ほどは失礼しました」


  「重篤な患者さんのようですね」


  「治そうとしてくれないんですよ 不摂生が過ぎます しかも 僕に薬の処方まで指示するんですよ」


医師であるからそれ以上の具体的な話はされなかった。

開業第1号のクランケということもあってか、診察時間中の先生の "息抜き" にお付き合いすることがよくある。

診察とは別にしばし医療一般の話題で盛り上がることがある。

ストレスのたまる仕事であってみればよく理解できる。


「剱さんのいうように 医師はランナーの伴走者でしかないんですけどね」


医師は無力だ。病に対しても、クランケに対しても。

自然の摂理に従うようガイドしていくしかできない。


あのかたも医院を訪れるということはこころの底では治したいと思っているはず。

その素直な気持ちに沿ってくれればよいのだが・・・ 。 


「医師が病を治すわけではなく、自分が治していくしかない」


それをわかってくれればと切に願う。




おもえば、多くのひとは専門家にまかせすぎる。


お盆の墓地を訪れて見ると、ほとんどの墓石は業者おすすめの様式で作られていることに気付く。

建立した年月日、建立したひとの名前を刻んである。


何のための日付なのだろう。

誰に対して自分を主張しなければならないのだろう。私には意味がわからない。

建立したひとは意味がわかっているのだろうか。

思いを込めてそうしたのだろうか。

ビルによくある定礎板と勘違いしてはいないか。


私などは日付を入れなかった。

日付を入れれば、入れた瞬間から過去のものになってしまう。

手入れを欠かさなければ石は簡単には劣化しない。

日付を入れなければ常に "新品" であり、"現在" である。


数多の先祖があり、そして私が今ここにいる。

墓を新しくするのは、たまたまそういう役割を担っただけのことであって、「私の力」ではない。

名を刻んで「私」を主張するなどおこがましくて出来るはずもない。


自分の人生ぐらい自分でデザインすれば?・・・と思う。

墓も家づくりも冠婚葬祭も・・すべてに対して。

何で他人まかせにするかなぁ。もったいないだろう。

せっかくの機会を、せっかくの楽しみを何で業者まかせにするかなぁ。




我が家を訪ねた、ある新興宗教の人たちの言葉。


   「素敵なお宅ですねぇ」


   「こういう発想は出来ませんでした」


   「私などは周囲と同じでないと落ち着かない気持ちが根っこにあるんでしょうね」


周囲と同じでないと落ち着かない? 

それを超えることが宗教の本質だろうに。

やはり、この人たちもさかなの絵は左向きに描いた。


ひとの価値観、尺度を離れないと生涯自分の生き方はできないことを説いた。

自分の家は自分でデザインすべきであることをその人達に説いた。


建て主は映画作りでいえばプロデューサーである。資金も握っている。

プロデューサーがすべて他人様まかせで どんな作品を作ろうというのだ。

脚本づくり、撮影、演出はそれぞれに委ねても、

そもそも何を作りたいかがしっかりしていないでどうする。

すべて業者におまかせでは "あなた" がここにいる意味とは何なのですか、と説いた。


晴れ晴れとした表情で帰って行かれた。(なんか立場が逆転している)




病は医師に丸投げ。

墓は石屋に丸投げ。

家はハウスメーカー、工務店に丸投げ。

冠婚葬祭も業者に丸投げ。

そしてお願い事は神だのみ・・・。


なんか違っていないか。


それにそんな人間につごうのよい神さまは何処にもいない。

「はくしょん大魔王」や「ドラえもん」のような神さまなど何処にもいない。








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感じませんか



Tom Jones が歌った「Green Green Grass of Home」と

森山良子が歌った「思い出のグリーン・グラス 」は同じものである。

原曲は死刑囚を歌っているのに、日本で発売されるときは何故か、若い女性が故郷を懐かしむ歌にされている。


「釜山港へ帰れ」は韓国で作られた歌だ。

内容は釜山港から日本に行ってしまって帰ってこない在日同胞を歌っている。

しかし、日本で発売されるときは、男と女を歌ったものに作り変えられている。


最初、北原ミレイが歌った「漁歌」も、北島三郎が発売するときには歌詞のニュアンスが

がらりと変わってしまった。

もともとの詩は薩摩弁(?)で、漁師の男臭さがただよう味のある曲だった。


しかし、どこから横やりが入ったのか、作詞者は詩をマイナーチェンジしている。

「目黒の秋刀魚」で脂ののったサンマを塩焼きではなく、吸い物にしてしまったような、

味も素っ気もない何ともおかしな歌詞になってしまった。そして今、北原ミレイ版は消えた。


また「朝日のあたる家」を歌っていた名歌手 "ちあきなおみ" も消えた。

「朝日のあたる家」といってもハウスメーカーのコマーシャルソングではない。

アメリカに古くから歌われている、売春宿に働く女たちの歌だ。

浅川マキが日本語の詩を書いているが、これは原曲の意味を反映した詩になっている。


何か感じないだろうか。何処かおかしくないだろうか。

メッセージソングを歌う歌手が消され、歌によっては原曲の良さが消されている。


曲には手をつけてない。要するに、詩が問題であると認識する人がいると言うことだ。

メッセージがあっては困ると言うことだ。何処かから強い圧力がかかるのだろう。


「そのままじゃ発売させないぞ」と。日本はそんな社会なのだ。まさに言論封殺である。


「プロテストソング」や「メッセージソング」を封じ込め「マイノリティグループ」を

排除する空気を感じるのは私だけだろうか。


街からホームレスの人々を追い払う、あの感性と同じものを感じるのは私だけだろうか。

主義主張をもたない、体制に従うお利口さんでなければ生きていけない空気を感じてならない。

美しく、そしてもの静かに生きることを強要されているように思えてならない。


以前、「イムジン河」が発売中止になったことがあった。

圧力ではなく自粛だとされているが、

表現者にとっては検閲に引っ掛かったようなもので、発禁処分を受けた思いであったろう。


この曲はもともと北朝鮮では有名な曲で、

主人公は臨津江を渡って南に飛んでいく鳥を見ながら、臨津江の流れに対し、

なぜ南の故郷へ帰れないのかを嘆き、

荒れ果てた「南」の地へ花の咲く「北」の様子を伝えてほしいと思いを託す内容である。

国交の無い国の歌はよろしくないとの圧力があったことは容易に想像がつく。


しかし、歌はこころの叫びだ。ひとりひとりの人生そのものだ。

誰かを冒涜したり、傷つけるものでなければ誰に遠慮する必要があろう。

権力におもねり、体制におもねっていて自由な社会、民主主義国家といえるのだろうか。


表現者が体制に迎合するとき、社会は危なっかしい方向へ突き進む。

フォークソング歌手といわれた人が元歌の精神を殺すことにアーチストとしての葛藤はなかったのだろうか。

アーチストの誇りに傷がつくとは考えなかったのだろうか。


周囲からの強い要請を感じながら、自分の主張を押し殺して生きるようではこの社会はまだまだ未成熟だ。

人権後進国でしかない。









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かこまれて暮らす

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5歳の頃に住んでいた、鶴来・新町の家は大きな家だった。


前方は店になっていて、通り庭をすすむと、囲炉裏のある、吹き抜けのオエになっていた。

典型的な商家の造りで、自在鉤(じざいかぎ)には鉄瓶が掛かっていた。


                   ※ オエ:民家において大戸口から入った取付きの一室


オエの隅に大きな蓄音機があった。

小さめの冷蔵庫ぐらいの大きさだ。上部がプレーヤー部分、観音開きの下部はスピーカーになっている。


電気で動くわけではない。手回しのゼンマイ式だ。

ゼンマイに力のあるときは速く、次第に遅くなるという、今日では考えられない代物である。

針は鉄針で、レコード毎に交換していたように思う。 


ボリューム調整などなくとも当時の音楽好きには堪えられない逸品だったろう。 


急逝した叔父は手入れの行き届いた愛機を聴くとき、

波瀾万丈だった人生にあって、しばしの至福を味わったに違いない。


エボナイト製のレコードで聴く「碧空」は叔父の心にどんな風に響いたのだろうか。

他に、「ドリゴのセレナーデ」「幻想即興曲」「ショパンの小品」などあったのも覚えている。


「軍艦マーチ」を鳴らすと、「MPがやってきて検挙されるぞ」と言われた時代だった。


私の音楽・オーディオ好きもルーツはこの頃にあると思う。

止められなければ一日中でも同じレコードを聴いているこどもだった。


いま、寝る間も惜しんでオーディオの調整に励む姿は5歳の頃とどこも変わっていない。


基準にしている音も幼いとき聴いた「碧空」であるような気がする。

「かこまれて暮らす」影響というのは実に大きなものだ。


作曲家の池辺晋一郎氏も幼いとき家にあったピアノで遊んでいたと語っておられた。

「雨のテーマ」「花のテーマ」などまったくの遊びで音を作り出すのが好きだったという。


家族のピアノが傍にあった。そこから始まったということだろう。

才能があったのは勿論だが、才能を開花させる土壌としての環境、空気がそこにあったことを忘れてはならない。


最近は音楽もインターネットでダウンロードして買い求めるという。

確かに便利ではあるし、省資源ということにもなろう。店が近くになければそうせざるを得ないということもある。


しかし、ダウンロードした情報をハードディスクに入れておいて音楽的感性が育まれるものだろうか。

五感すべてに訴えかける「物」がそこにあってこそ感性が芽生え、育ってくるのではないだろうか。


CDを並べるということの意味もそんな所にあると私は信じる。


理屈ではなく、「物」がただそこにあるという風景を大切にしたい。


私にとって、面倒なCDの手入れもまた、紛れもない「音楽の世界」である。


ネットで本が読め、あらゆる情報を取得できる時代には図書館は不要なのだろうか。


あの佇まい、あの凛とした空気、そこに集う人々がそれぞれに「答え」を探し求める様を見て、

おおいに感化された思い出は誰の中にもあるだろう。


その空気こそが図書館と考えるのはもはや単なるノスタルジーに過ぎないのだろうか。








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危険ゾーン



情報操作は今に始まったことではない。

アメリカ追従の小泉政権下、市民の声はメディアによってかき消されていった。

そして2010年の民主党代表選挙では魔女狩り的な小沢潰しをなしとげ、

第4次小泉内閣ともいうべき菅政権が誕生し、その後、野田政権を経て自公政権が復活した。


批判することを知らない庶民は「良さそうに見える人」に盲従して行くのみで、

その行く末まで考えようとはしない。


自分を自殺に追い込むのが実は「良さそうに見える人」だったとは気づきもしない。

庶民の味方のような顔をして近づいてくる者には最も警戒すべきである。


社会全体が揃って同じ事を言うようになったとき、うさん臭いと眉につばをつけるべきだ。 

 
 
そんなときは必ず裏がある。先人たちからの遺言だ。


「検察は正義である」


「政府は我々の暮らしをよくしてくれる」


「メディアは中立である」


などという幻想から人々は解き放たれなくてはならない。


市民による国家なのかという検証も不十分なまま、

裁判という国家権力の行使に裁判員という形で与することは

政府・検察の犯罪に荷担させられるだけだ。


一定の距離を置き監視していくべきで、当事者にさせられては批判する自由も取り上げられると言うことだ。

これをファシズムの芽生えと捉えるのは私の妄想だろうか。


虎の威を借る狐にだまされてはならない。

ウサギの仮面をかぶった狼を見破らなくてはならない。


ひとりひとりが自由にものが言える社会、すべての人が心豊かに暮らせる社会を棄ててはならない。

自由であることを放棄してはならない。逃げ出してはならない。


第2次大戦後、社会は最も危険なゾーンに入ってきた。





以下はイラク戦争当時のTBS報道番組「サンデーモーニング」に送った意見


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「検閲将校」


「新聞はそれで一致してます」

岸井何某の一言で議論はいつも冷水を浴びせられたように静かになる。

まるでそれ以上の議論は無用といわんばかりだ。


権力とは一線を画し、社会が誤った方向へ行くことに警鐘を鳴らす、

それがジャーナリズムと思ってきた私にとって

政府の後押しを表明する岸井何某や彼の言う「新聞」をはじめとする「メディア」とは

何なのかまったく理解できない。


政府の代弁をし 番組が政府批判という方向に走らぬように目を光らせているようにも映る彼の言動は検閲将校

を彷彿とさせ、

自由な議論や政府批判がしづらくなってきている現在の社会を反映しているように感じる。


ファシズムが始まっている、そんな気がする。


スポーツのご意見番はおもしろいが自由な議論のご意見番は半世紀前にいなくなったと信じたい。

お目付け役が存在する番組は「御用番組」との批判に甘んずるべきだ。


「放送」は所詮資本家の市民コントロールの道具に過ぎないということか。








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海外から情報を



現在私が使っているラジオは SONY ICF-SW77 という製品で、価格は 74,800円。

以前は SONY ICF-2001D で聴いていた。 価格は 69,800円。

(音質も感度も 2001D を凌ぐ製品はいまだにない)


「何でそんな高いラジオを・・・」といわれることがある。

「それってラジオ?・・・」ともいわれる。


確かに今日では 天気予報を聴くだけのものなら1000円代で買える。

このラジオは保険なのだ。




戦時中はラジオは大本営にすべてを握られていた。

報道される「真実」は大部分が捏造されたものだった。


そして庶民は何の疑いもなく、報道される「真実」のために戦いに駆り出されていった。

「真実」が「大本営製」であったと知ったのは戦後のことである。


歴史は繰り返す。

必ず同じ日がやってくると確信していた。

報道が捏造され、言論が封殺される日々は必ずやってくると思っていた。


資本家と、それに買収された政府は市民を食い物にする・・・この構図が未来永劫変わるとは到底思えない。

見えざる体制の誘導から解放されるためには世界で起こっていることに無関心であってはならない。


磯村尚徳氏がキャスターを務め「ニュースセンター9時」の放送が開始された。

この番組を見て非常に危険なものを感じた。ニュースを演出して伝えていたからだ。


画面に映る人との一体感を感じさせるアップ画面の多用、取材を受ける人の用意されたようなコメント、

ドラマを感じさせるような話題の展開・・・等々。


「ありのまま」ではなく、「わかりやすく」にシフトしていた。

「わかりやすく」は感受性が同じであってこそ成り立つ。


底に流れている思想、哲学が異なれば当然受け止め方も千差万別だ。

「わかりやすく」とは結構難しいものだ。


しかし、メディアが用意した「わかりやすい情報」に慣れ親しんでくると

感受性、思想の同一化、均一化が進んでいく。

ここにこそマスメディアの危険がある。


「ニュースセンター9時」からは明らかに制作者側、体制側の意図が見てとれる。

「ああ、日本はいつか来た道をあゆみ始めた」そう思った。


情報源の多様化を図るべくBCL用のラジオを購入した。


いつの日かこのラジオでしか「真実」を知ることが出来なくなる日が必ず来る、そんな気がして・・・

1974年のことだった。


1974年といえば、小野田寛郎陸軍少尉、フィリピンルバング島から帰還、

ウォーターゲート事件でニクソン大統領辞任、

金脈問題で田中角栄首相が辞任し三木武夫内閣が発足した年だ。


「いつか来た道」とは


「ニッポンジン」「挙国一致」「非国民」「愛国心」という言葉が復権をはたし、軍隊が市街地を行進する。


正確な情報を発信しようとする者を危険分子として排除する。


社会の隅々にまで監視網ができ、政府にたてつく者を監視する。


政敵を捏造した事件で抹殺する。


言論界を買収し、異論を唱える言論人の締め出しをはかる。


私は戦前、戦時中のことを書いたつもりだが、読む人はの今日と読んだのではないか。

今はそんな日々になってしまったということだ。

この社会は今また言論統制のまっただ中にある。




情報源は多い方がよい。

私のラジオは世界中の放送が聴ける BCLラジオ である。 いわば「世界への窓」だ。


FM(76~108MHz)、LW、MW、SW (150KHz~30MHz)をカバーしていて、

半分は雑音を聴いているときもあるのだが、ニホンでは聴けない情報、音楽にあふれている。


現地の言語がほとんどだが、中にはニホン語放送もある。

言語はわからずとも、現地の音楽を聴いているだけでも世界は広く、つながっていることを実感できる。


閉鎖された社会ではコスモポリタニズムは生まれない。

体制を思い通りにしたいと願う者達はメディアを最大限利用する。これに乗せられてはならない。


幸いなことに今はラジオだけでなく、インターネットもある。


私などは日本の出来事を海外のメディアによって知ることが多い。


無論、メディアはメディアである。

眉につばをつけてという姿勢が不可欠なのは同じである。


私たちは行間を読む洞察力と言外に語られる真実を見抜く器量が日々試されている。



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エリア外の放送は聴くことができない「radiko」ですが、有料で一部の局が聴ける

プレミアムサービスもあります。


サイマル・ラジオ
http://www.simulradio.jp/


らじっ娘
http://www.cosmosoft.org/Radikko/


で地方の局を聴くことも可能です。


また、「筑波大学 学術実験」のVPNを利用してエリア外の放送を聴くこともできます。


VPN Gate 学術実験サービス
http://www.vpngate.net/ja/








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クリーンなイメージ ???


「クリーンなイメージの岡田氏を幹事長に・・・」


かつて民主党代表戦を制した菅直人氏が発言した。これほど国民を馬鹿にした発言があるだろうか。

メディアが(で?)作り上げたイメージを背景に政治を動かす姿勢にはあきれてしまう。


彼は代表選挙のときも清廉な立場を貫いた市川房枝氏の名を何度も口にした。


営業マンを評価するとき 他人の名を出し 自分や自社を語る人間は警戒せよ というのは常識だ。

他人のイメージを利用し錯誤に陥れる手法は詐欺にも等しく、最も恥ずべき行為である。


自分の生き方に誇りと責任のある人は決して他人の名を利用しようとはしない。

論理的ではなくイメージで政治を語る指導者には最も警戒せよ、先輩たちから厳しく言われたものだ。


調べてみると 市川房枝氏の著書「私の国会報告」(1977年)に次のような記述があった。


   「菅氏は1976年12月5日の衆議院選挙の際、東京都第7区から無所属候補として立候補した。

   このときは立候補をしてから私の応援を求めて来た。

   そのとき推薦応援はしなかったが、50万円のカンパと秘書らが手伝えるように配慮し、

   『自力で闘いなさい』といった。


 
   ところが選挙が始まると、私の名前をいたる所で使い、

   私の選挙の際カンパをくれた人たちの名簿を持っていたらしく、

   その人達にカンパや選挙運動への協力を要請強要したらしく、

   私が主張し、実践してきた理想選挙と大分異なっていた。」


また 1970年6月、市川氏や平塚らいてう氏など9人の女性が発表した、

安保条約の廃棄を訴える声明には次のようにある。

 


 「いまだに沖縄をはじめ全国にアメリカの軍事基地があり…

  外交にまで介入されることを許したまま今日になっております」


 「わたしたちは、自分たちの運命を自分たちで支配する権利のあることを思いつめたい」


これらを見るとき 菅直人氏には市川房枝氏の精神を受け継いだという形跡はないどころか 

市川房枝氏が強い不信感を抱いていたことがうかがえる。


その市川房枝氏の名を連呼し 政治的に利用したのだ。

かたや清廉な市川氏の後継者、かたや金権腐敗の剛腕政治家という図式を作り上げ

党員・サポーターを錯誤に陥れた。


菅陣営とメディアが一斉に反小沢キャンペーンを繰り広げ、

イメージだけで物事を判断し本質を見抜けない国民を騙した。


今や「政治とカネ」と言えば小沢一郎氏の名が必ず出てくるほど 小沢一郎氏の「イメージ」は悪い。

「反小沢」、「脱小沢」といえば支持率が上がる。


しかし 「反小沢」「脱小沢」というときの「小沢」とはいったい何なのか、

はっきり答えられる人を見たことがない。


メディアが悪いと言っているからきっとそうなんでしょう・・・という具合だ。


政治資金規正法違反と大騒ぎするが 実際に規正法がどんなものであるのか多くの人は語れない。

世論とは所詮このようなものだ。


検察が動いているからと言っても 

厚労省局長の事件でもわかるように その捜査には疑いの目を向け続けなければならない。


国民はもっと賢くならなければならない。


以前 ロッキード事件で田中角栄氏が失脚した。

そして今 小沢一郎氏がメディアに叩かれている。

この二人に共通するものを考えれば 国民は本当の政治の図式に気付くべきだ。


二人に共通するのは「脱アメリカ追従」だ。鳩山由紀夫氏もそういう考え方だ。

「政治とカネ」の問題ばかりに国民の目を向けさせ、

本質を隠そうとするメディアがある以上 この国には民主主義は育たない。


この国は形の上では独立国だが 実態はアメリカに完全に支配されている。

暴力的な映画を見せられ続け アメリカの好戦的な価値観を植え付けられ続けている。


アメリカで評価される事が一流の証と思い込んでいる文化人、スポーツ選手のいかに多いことか。

世界はアメリカだけではなかろうに。


「9.11」はテロだ、と言われれば そのまま信じ 

反テロのための戦争を容認する政府・国民は誠に愚かと言うしかない。


アメリカの戦争の片棒を担ぎ、郵政民営化の名のもとに 

国民の財産をアメリカ資本に差し出した小泉のような男で無ければアメリカのご機嫌を損じるのだ。


いつの内閣でも拉致問題担当大臣が置かれる。欺瞞もたいがいにしろと言いたい。


解決できないのに国民の目を気にしてパフォーマンスだけの大臣設置など無用だ。

日本政府が逆立ちしても拉致問題は解決できない。する気もないだろうが・・・・・


拉致問題は単に北朝鮮非難キャンペーンに使われているだけではないか。

拉致被害者の会は頼る相手を間違えている。


北朝鮮と友好的になってもらっては困る勢力がある以上、絶対に解決はしない。


極東に前線基地を確保しておくことはアメリカの死活に関わる。


米軍基地不要論を唱える輩を排除するためなら どんな手段を使おうと 

金をいくら使おうとかまわない というのがアメリカの戦略というものだ。


極東には米軍が必要であると思い込ます工作をするのがCIAの任務であることを

認識しておかなくてはならない。


緊張を煽ることが利益につながる軍需産業がさらにこの図式を後押ししている。


軍需産業には不況はない。不安や不満を煽れば予算はどれだけでも出てくる。

敵がいなければ作ればいい・・・・それだけのことだ。敵などいない。


軍を背景に世界経済を制覇しようとする図式こそが敵だと言うことを知らなくてはならない。

世界に貢献しているのではない。軍需産業やアメリカの巨大資本に貢献しているだけだ。


彼らにとっては戦いに勝利することはさほど重要ではない。軍需産業が潤う事が第一なのだ。


漁船に衝突したり、鯨を潜水艦と間違うような間抜けな自衛隊であろうと

彼らにとってはそれほど大事なことではない。


自らを知り相手を正しく認識することが軍事の基本だが 軍需産業に貢献するだけの軍では国を滅ぼすだけだ。

70年前の日本を思い起こして欲しい。


エネルギーのほとんどを外国に頼り、食料自給率が40パーセントの国が

軍事に重きをおくようになれば国の存続は望めない。


全方位外交、世界の恒久平和だけがこの国の安泰を約束してくれることを忘れてはならない。


本当の軍人なら戦えぬ事をよく知っている。

「兵法の極意は戦わぬ事にあり」とした先人の言葉は重い。

(徳川政権初期の兵法家の言葉は今でも生きている)



メディアの退廃がこの国をおかしくしている。

若い芸能人が夜の公園で全裸でいた事をトップニュースにするような感覚はどこから来るのか?


報道番組といいながら何の見識もない人間がおもしろおかしくコメントを出したり、

ニュース解説という名の一方的な見解をながし続けている。これでは情報操作だ。


今やメディアは大本営発表を聴くときのように眉につばをつけて聴かねばならない時代になった。


メディアは正確な状況判断ができる材料を市民に提供して欲しいのだが・・・


メディアの本質は市民コントロールにあるという事を肝に銘じておくべきだ。

メディアを支配する者が社会を支配する厳然たる事実に目をひらくべきだ。


政治家には功罪両面がある。その両面を検証し、正しく評価しなければ社会を危うい方向に導いてしまう。

好き嫌いで判断するのは危険だ。


そういう意味では田中角栄氏に対しても小沢一郎氏に対してもニュートラルな視点で評価される事を期待する。

生け贄を作り、国民をミスリードするようなことがあってはならない。


政局を画策する連中はすぐ「政治とカネ」を過大に取り上げようとする。

「政治とカネ」問題も一方で正論ではあるが 正論がよい社会を作るとは限らない。


そんなことに明け暮れている間に日本の国際的評価は下がる一方ではないか。

社会は疲弊し 毎年3万人以上の自殺者が出ている。将来像を描けない若者は結婚もできない。


批判を恐れずに言えば 自殺者ゼロにしてくれるなら 

少々金に汚かろうと女にだらしなかろうと私は応援したい。

人の命は何よりも大事なのだから・・・


もとより政治家に聖人君主像を求めるつもりはないし、白紙委任するつもりもない。

昨日より良くしてくれさえすればそれでいい。その連続だ。


菅、野田、安倍・・・内閣はかわってもアメリカ追従、大企業優遇の政治は何も変わらない。

2009年の衆議院選挙は何だったのか。

せいぜいアメリカの傀儡政権と言われない政府であって欲しいものだ。






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Y君



短い大学時代だったが、今でも記憶に残っているひとがいる。


声の大きなY君だ。最初の頃の印象はけっして良くはなかった。

学内でよく見かけるのだが、いつも先輩たちと連れだっている。


聞こうとしなくても、彼らのやりとりは離れていてもよく耳に入ってくる。


「先輩、一本いいですか」


「先輩、ティッシュいいですか」


「先輩、石鹸いいですか」


Y君といえば、そんな風景しか連想できないひとだった。


なんといえばよいのか、世渡り上手というか、たかり上手というか・・・

将来、金をためる人とはこんな人のことだろうと思えた。


はっきり言って、あまり付き合いたいとは思えなかった。

他人事ながら、ほどほどにすれば・・・という思いで見ていた。


ある日、学生食堂で寮からの弁当をひろげているとY君たちが目に入った。

ところが、それはいつもの光景ではなかった。


「先輩、昨日ありがとうございました」


一本のたばこを先輩に返しているY君の姿だった。


「えっえ~ !」


驚きというか、ためらいというか、先輩の困惑が伝わってくる。「かわいくない奴 !! 」といった表情だ。


私自身も、どちらかといえば、「おごり、おごられる」文化派かもしれない。程度をわきまえてではあるが・・

たかられる以上に付き合いづらい、と一瞬思った。


しかし、Y君には哲学があった。


ひとづきあいに「貸し」「借り」をつくっては永いつきあい、対等なつきあいができない。

彼はそのことを先人たちからたたき込まれていたのだ。


思えば彼は、多くの大商人を輩出している土地の出身だった。

どんなにささいな「借り」であっても、それが常態化すればやがて大きな圧力になって自身の自由を奪う。

幾多の試練を乗り切った商人たちが遺した教訓だろう。


人間関係を大切にしたい思いがあればこそのY君の行動だった。

まだ10代の私だったが、生意気にも、「この男は信頼できる」と感じた。




心地良い関係というのは実はかなり怪しげなものであって、

一見、厳しく見えるひとこそ、こちらの人格を認め、対等な立場を大事にするひとではないかと思ったことである。


何故か最近、無性にY君の顔がおもいだされ、彼を育てた土地に想いが募る。








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いのち


近年、目につくのは「死刑になりたかった」という理由で犯罪に走る人たちの存在だ。

相手は誰でもよかったというから被害者はたまらない。


死刑と自殺とを同じ次元で考えている幼稚さも問題だが、

社会全体に "いのち" を軽く考える空気が蔓延している現状がおそろしい。


犯罪を犯した側にのみ目が向けられるが、彼らは何も特異な人種だったわけではない。

その日まではどこにでもいる市民だった。そんな彼らが犯行に走った。そのことの「何故」が問われないまま、

糾弾し、排除したところで社会は何の解決策も見いだすことはできない。


犯罪は悪だ。いのちを大切に・・・その言葉が建前だけであるからこそ、そんな中からまた犯罪者が出てくる。

彼らは異次元空間から突然現れたものではない。


この国はこれから死刑制度を考えよう、ということではない。既に制度はある。それでも犯罪は後を絶たない。

制度の有無と犯罪発生とには何の関連性もない。


制度がなければ犯罪が増えるという主張は妄想の域を出ていない。

死刑制度は犯罪の抑止力になるといってきた人々は論拠を失っている。


くわえて、死刑になることを目的とする犯罪が起き続ける現状である。

死刑制度が犯罪の抑止力になると主張するなら世論の批判に対して論理的に反論すべきではないか。


しかし、制度存続をいう人々はこういう事態に発言しようとはしない。


彼らは "いのち" について深く考えたこともなく、思いつきや一時の感情だけで発言してきた人たちだ。

善と悪という2次元的な思考で人生を捉え、万事それで解決できると信じてきた人たちだ。

反論できない現実を突きつけられては、痴呆症を装うか、死んだふりをするしかないのだろう。


死刑制度がなければ少なくとも死刑志願などという、この種の事件が起きることはない。制度存続の罪は重い。


いのちを大切にと言いながら「殺せ」と言う。この奇妙さに気付けないのであればその人は精神を病んでいる。

死刑制度を存続させること、そのこと自体がいのちを軽視していることに他ならない。

そのことに気付けないで「死刑 死刑」と叫んでいる人こそが明日、向こうの被告席に座ることになる。


事件が起こると識者は必ず「いのちを大切にする教育」をと言う。

学校の教育現場を想定してのことらしいが的外れもいいところである。


社会全体が「生きる」ことを支援しているならホームレスの人々などいないはずだし、

それらの人々を薄汚いゴミのように街から追い出そうということもない。


正規労働者と非正規労働者の待遇を見るとき、

この社会には他人を踏み台にして生きる人があまりにも多いことに気付く。


「勝ち組」「負け組」などとメディアは表現する。しかし、正々堂々と勝負したわけでもなかろう。

搾取し、一方的に切り捨てているだけではないか。それは犯罪ではないのか。


永年社会を支えてきた人が病気になったとき、多くの人は「国に裏切られた」という思いを強くする。

入院したとたん、次の病院を探さなくてはならない。 そして、行った先でも落ち着けるわけではない。


女性ジャーナリストE氏は、

「終身刑は経費がかかる、死刑制度は廃止すべきではない」と自身のホームページで述べている。

このひとの人間観はいったいどうなっているのか。どんな少女時代を過ごしたのだろうか。


「いのちを大切にする教育」が必要なのは学校ではない。


死刑制度は国家による殺人であり、殺人教唆である。

この殺人教唆である点に注目する人は少ない。死刑制度を語るとき、人は実に無責任だ。

罪を犯したんだからしかたないんじゃない? 当然よ。などと平然として言う。


そんな人に私は言いたい。


       では、執行ボタンをあなた自身の手で、しかも一人で押せますか?

       永年の刑務所暮らしで今はすっかり改悛し、聖人のようになっている人を刑場に送り、

       あなたの手で執行ボタンを押せますか?


死刑制度は必要と考える人は人間としてこの問いかけに答える義務がある。 

生涯重い十字架を背負って生き続けなければならない刑務官がいることに思いが至っていないのではないか。

自らが刑務官に対し殺人を教唆するという自覚を持たなければならない。


何年か前にこういう刑務官がでてくるドラマがあった。演じたのは俳優小野武彦。


「私は人を殺しました」彼の台詞が今もって胸に重い。

彼は役としてではなく、人間小野武彦としてこの重いテーマに向き合っていた。

生涯、死刑囚以上に辛い日々を送らねばならない姿は真に迫っていて鳥肌が立つほどだった。

「仕事」とはいってもあまりにむごい事だ。


いのちを大切に考える人なら、法律があるから、仕事だからと無機質に行動することはできない。

公式に当てはめるように「死刑」を言い渡すことはできない。


今、その無機質なありようが問われていることに気付けないようではあまりにさびしい社会ではないか。


「死刑制度は必要」そう考える人は鏡の前でそのことを口にしてみたらいい。

眼前に映るおぞましい自分の顔を見るだろう。それは犯罪を犯した人間の顔とそっくりなはずだ。      


何より気づくべきは、私たちは「自」も「他」も無い世界に生きているということだ。

自他などと分けて考えるから「赦す」とか「赦さない」とか言ってしまう。


「赦す」は、そのまま「赦される」であり、「赦される」は、そのまま「赦す」である。

いのちを大切にするということは、自他など無い「ひとつの世界」に気づくことである。






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生き残り術



季節外れで恐縮ですが・・・






              雪の朝二の字二の字の下駄の跡

                                捨女




下駄には「一本歯」なるものがある。修験者などの履く高足駄だ。

現在でも武術家が足腰鍛錬のため使用している。

しかし、一般的にいえば下駄はやはり2本歯だろう。


「何で?」と問えば「そんなバランスの悪いものが履けるか 子どもにも解ることだ 馬鹿にしないでくれ」

と、いわれるだろう。


ところが、そんな子どもにも解るはずのことが解らないのも大人だ。




私は永年、鋼製建具を製造する零細企業で働いてきた。

大手サッシメーカー資本であるわけだが実態は零細企業だ。

オーダーの建具ということはかなり特殊な業種になる。


アルミなどの既製品ではライバル関係にある企業から受注することも日常茶飯事である。

仕様が厳しく定められている役所工事のノウハウがあってみれば受注も集中するわけだ。


受注先が多岐にわたることは工場としては悩みの種でもある。お盆や年末年始の直前は大変である。


各社の営業マンが自分の担当工事を優先的に進めて欲しいと言ってくる。

時には同じ会社の営業マン同士で優先順位を争うこともあって険悪な空気になることさえある。


それぞれに「この物件だけ」とお願いされて工場は悲鳴を上げることになるわけだ。

受注担当も対応は難しい。これまでの実績、今後の予測、ハプニングが起きたときのための保険・・・等々、

さまざまを勘案して順番を交通整理することになる。


近隣に同業の会社があった。製品の完成度、熟練した職人の技、製品内容の豊富さ・・・

どれをとっても我が社などは足元にも及ばない業界では評価の高い会社だ。


某サッシメーカーのみの受注体制をとり、都会の有名な建物の工事を独占していた。

受注先が一社ということは製品の仕様も一定しているわけで、

主要材料の大量買い付けでコストを下げることも可能だし、共通部品も予め準備しておける。

納期の管理も容易で、私たちの会社のような悩みなど無い。


ところが、その会社は倒産した。

製品作りにおいては抜群の同社も企業のあり方の根本を見誤っていた。


私が入社した頃、大事件が発生した。

S社が受注した大きな工事のため、他の受注を見合わせその工事に備えていた。


ところが、S社の受注は営業マンの希望的観測に過ぎなかったことが判明した。

結果、1ヶ月の仕事が無くなってしまった。

受注担当は真っ青だ。日本中を駆け巡って仕事探しに奔走することになった。


まだ青二才の私は生意気にも常務に対して企業戦略の必要を説いた。

どんなことが起きようとも会社の存続を図らねばならない。


零細企業は全方位外交をとるしかない。一社に重きを置けば会社の存続を危うくする。そんなことを力説した。

一社あたりの受注額を定め、どんなにいい仕事に思えてもその枠を越えないよう進言した。


その結果、受注は大きな柱を4つとし、目安として受注額の70パーセント、

残る30パーセントをその他の小工事とした。


柱がひとつでないことは発注先を牽制できることでもある。こちらの能力次第では発言力もつく。

零細企業にもそれなりの生き残り術、意地があるということだ。


おかげで工場運営は一変した。多品種少量はさらに進み、納期管理も煩わしくなった。

しかし、受注先が多岐にわたることはノウハウの蓄積もできるわけで、悪いことばかりではない。

結果としてなんとか生き残っている。




さて、我が国の現状はどうか。

食料もエネルギーも安全保障もあまりにバランスを欠いた事になっていないか。


現状は先方の無理難題を呑み込まざるを得ない状況を自ら作っているように見える。

一本歯の下駄など不安定で履けるはずがないと一笑した人たちもこの国の基本路線大綱についてデザインを

描き直すべきではないだろうか、


自由経済ではある。が、放置しておけば一極集中になるのは市場原理からいって当然のことだ。

それでいいのか。


食料を押さえられていたのでは、

やがてその国の潜水艦が瀬戸内海を浮上航行しても抗議すらできなくなるということだ。

人口も多く、経済力もある、そんな国を無視はできない。


しかし、軸足をそちらに置いたのでは甘く見られるだけだ。

国債を保有していても、「いつでも手放すぞ」と脅しをかけていなければ国の存続はない。


にこやかな笑顔で握手しながら脅しをかけ続ける、小国の生き残る術だ。外交とはそんなことだろう。

「あんただけじゃないのよ」と時に冷たく微笑む女性にこそ男は惹かれるものだ。(アホやなあ)


経済諮問会議などのような政府が主催する会議のメンバーといえば、大企業のお偉方がずらりと並ぶ。

が、本当にこの国を支えているのは技術面でも意欲の面でも中小零細企業だ。

町工場の技術がなければ携帯電話もロケットもあり得ない。

今は国家運営という面でさえ、零細企業の生き残り術が必要な時代である。








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福島 世界最悪の海洋汚染の罪




福島 世界最悪の海洋汚染の罪

http://www.youtube.com/watch?v=ecA-z8fW7ps&feature=relmfu


福島メルトダウンは、海の "世界最悪の"核汚染につながっている

http://www.treehugger.com/energy-disasters/fukushima-meltdown-has-led-worlds-worst-nuclear-pollution-sea.html


福島県防災世界最悪の原子力海洋汚染

http://www.youtube.com/watch?v=P5cEswpSnmM


海の福島核汚染は '世界最悪でした "

http://phys.org/news/2011-10-fukushima-nuke-pollution-sea-world.html








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地元



「再稼働については、県の新しい防災計画の成立を待つまでもなく、地元と県の同意があればよい」


石川県にある志賀原発をめぐっての津幡町長の発言だ。

県内の多くの市町が「成立を待ってから」としたり態度保留としている中でかなり大胆な、

そして無責任極まりない発言といえる。


この町長の考え方では、

福島第一原子力発電所の件については福島県の大熊町と双葉町とが同意すればよいことになり、

あとの自治体や市民の判断は必要無いことになる。それで通用するだろうか。まさに職務放棄である。


さきに、日本原子力研究開発機構は福島原発事故で、海洋への放射能放出総量が1.5京ベクレル

(1京は1兆の1万倍)を超えるとの試算をまとめた。


(同原発放水口付近の海水から放射性物質が初めて検出された3月21日から4月30日までの

 放出総量を試算したもの)


これは東電が4~5月分として推定していた放射線量の3倍以上になる。

海に放出された ヨウ素131は  1.14京ベクレル、

        セシウム137が 0.36京ベクレルで、  計1.5京ベクレルとなった。

セシウム134はシミュレーションでは考慮していないことから、放出総量はこれを超えるという。


当然ことだが海に境界はない。汚染はやがて全世界におよぶ。

町長のいう「地元」というのはどの地域を想定しているのだろうか。


放射能汚染は南で言えば首都圏にまで広がっている。

町長は首都圏の人間には発言権がないと言いたいのだろうか。

石川県から見れば東北全体が地元であり、今や東京も地元になりつつある。


しかし、ヨーロッパから見れば日本全体が地元という認識であろう。

だからこそ、日本産の食品は拒否されている。

風評被害であれ、影響の及ぶ地域はすべて地元なのだ。


地方の浮世離れした首長にはそのあたりの認識がまったく欠落している。

原発から40kmの津幡町は間違いなく「地元」であろう。


元々は設置の条件がおかしい。立地する都道府県(現実には道県)や市町村の同意が必要とある。

事故が起きれば広範囲にわたって甚大な被害が発生するのであるから、

被害が想定される地域全体の同意を得るべきであろう。


立地場所だけに限っている現在の考えでいけばやがては地権者の同意だけでよいということにもなりかねない。


法を重んずることは大切だが、私たちと行政にたずさわる者とでは立場が異なる。

政府であれ、公務員であれ、行政にたずさわる者は法を厳守することが求められる。


一方、私たち市民はその行政を監視し、間接的にではあっても法を作り出すことができる。

順守することしか許されない公務員とは立場が異なる。


市民の意志が何より優先される・・民主政治の根幹であろう。

でなければ公務員だけですべてが片付けられてしまう。

無能な首長にはそれが似合っているのかも知れぬが・・・


現行の法の細目にこだわるのは公務員の職責上当然といえるが、

民意と離れた行政があっていいはずはない。

「小役人」的な発想では首長とは言えず、立ち止まって自分がその任にあるべきか問い直す必要があろう。


私は県の新しい防災計画の有無にかかわらず、また、安全か否かにかかわらず、原発は一切認めない。

推進派の言に乗せられて、「原発こそ温暖化防止の切り札」などと信じている連中の気が知れない。


温暖化・・・Co2が原因・・・原発はCo2を出さない


私たちは用意されたロジックに誘導されてはいないか。


温暖化は実感としてわかるとして、その原因がCo2かどうかは "へそ曲がり" の私などは懐疑的だ。

原発推進のために巧みに誘導されてはいないか。


「温暖化防止」といいながら原発を稼働させ地球を温め続けている。この矛盾をどう理解すればよいのだ。

推進派や容認派といわれる人々は答える責任がある。


政府に原発の本質的な問題点を洗い出す責任があることは言うまでもない。








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カタログの読み方



研がずに使える包丁があったらどんなに楽だろうと思った。

果たしてそういうものがあった。


広告には


「研がずに使える」


「切れ味は、メーカーによって20年間保証されています。

 その間に、正当な理由によって切れなくなる事があれば、無料で交換します」とある。


値段は安いとは言えないが、研がなくて良いというのは魅力だ。

いつでも交換に応じるのもメーカーの自信だろう。

早速、購入した。


が、そのあと私はカタログの読み方を勉強し直すことになった。

よく見ると、広告には「切れ味がいい」とは一言も書いていない。


「切れ味は20年間保証」を「切れ味がいい」と解釈したのは私の思い込みだ。勝手な早とちりだ。

「切れなくなる事があれば・・」は「購入時よりも切れ味が落ちたら・・」の意味だ。


購入時と同じ切れ味であれば、消費者が「切れない」と感じても交換に応じる必要はないと言うわけだ。

広告文にはひとを錯誤に陥れる悪意の痕跡はない。

せいぜい、こういう広告には気をつけなさいと言うことだ。


そんなわけで、今は打刃物の包丁をせっせと砥石で研いでいる。




私のオーディオ歴も20年を越えた。

オーディオの世界でも上記の包丁と同じような事が多々ある。


オーディオ雑誌やカタログにはいわゆる評論家と言われる人々の論評が掲載されている。

機種選びをするときの参考になる・・はずなのだが、

どうもこれを鵜呑みにすると「印象が違う」ということがよくある。


専門家のプライドもあり、決して間違ったことは書いていない。

しかし、慣れてくると書かれていない項目があることに気付くようになる。


評論家もメーカーあってこその立場であるわけで、

メーカーの「売り」の部分にはスペースを割くが「もうひとつ」という箇所については語ろうとしない。


後年になって、


「今度の新製品はあのときの弱点を克服した 素晴らしい」と、なるのだ。


だからといって、評論家を責める人はいない。

オーディオが趣味と公言したからには「眼力」の無いことは恥ずかしいことだからだ。

安い買い物ではない、「眼力」の無い人は立ち入るべきでないのだ。十分に耳を養ってからにすべきだ。




エネルギーの選択についても市民は賢くなければならない。

専門家、政治家が推奨しようが、問題点を検証できる「眼力」が無ければ騙されることになる。

見せかけだけのコストを見せられ、背後にある膨大なコストを見逃しては、

そのツケで自分たちが苦しむ羽目になる。


「CO2は出さない」からといって、温暖化防止になるとは限らない。

原発は紛れもなく、巨大な「湯沸かし器」であって、海水を温め続けている。


太陽光や風力も同じように検証していかないと原発の轍を踏むことになる。


詐欺の被害に遭った人はその後何度でも被害に遭うものだ。

資本家は自分たちの利益のためには他人を言葉巧みに騙し続ける。




育ちの悪い、ひねくれ者からの言葉です。


    騙されないためにこそ勉強しよう。 知識がない者は他人に利用されるだけだ。








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大丈夫か__ 文化圏を越えた多国籍企業のものづくり



ボーイング787のトラブルが相次いで報告された。

航空会社は機材のやりくりができず運休にまで追い込まれる始末。

株価も大幅に下落している現状は「事故」に匹敵する深刻な状況だ。

原因の究明が急がれる。


ボーイングは今やアメリカの企業ではない。

ボーイング787は機体の70%近くを国外メーカーを含めた約70社に開発させる国際共同事業である。

日本も35%分担しているという。


大勢の人が関わっていく事業の中で「認識の違い」が起因するミスというのは起きないものだろうか。


むかし第2次大戦を舞台にした映画を観た。

その中で、巧みに現地の市民になりすましたスパイが情報機関に捕まった。

完璧に思えた「なりすまし」も思わぬミスで正体が露見するという話だった。


スパイはその国のひとたちが服のボタンをどのようにつけるかまでの認識はなかったのだ。

当たり前すぎるほど当たり前のことに人は注意を払わない。

ここにこそ落とし穴がある。


交通機関の発達で世界は身近になった。しかし、文化の垣根は依然として大きい。


言葉の通じない国に行っても身振り手振りでなんとかなるさ、という人もいる。

が、身振り手振りほど怪しげなものはない。何とかなることは決してない。

こんにゃく問答」に終始するのがオチである。世界はまだまだ広い。


企画書通りに設計し、設計図通りに作業していく、どこに問題が起きるのだと人は言う。

ところが問題は起きる。製造現場とはそうしたものだ。


文化の違いは常識の違いであって、これが設計図の見落としにつながることは想像に難くない。


よく見ればわかるだろ、といっても後の祭りということは製造現場ではよく起きる。

私自身、苦い思いを何度も体験している。


文化圏を越えた多国籍企業のものづくりは資本家が考えるほど容易ではない。

慎重を期さねば大事故につながる。


しかし、一国で行なう事業とて決して油断はできない。

アメリカは度量衡に関して国際社会から孤立している。

自分たちこそ世界の盟主と思い込んでいる前時代的な感性の社会だ。


昔、とんでもない理由でロケットの打ち上げに失敗したことがあった。

推力が足りず、直後に落下、炎上した。

燃料が予定された量だけ入っていなかったのだ。


係員はリットルとガロンを取り違えていたのだった。お粗末 !!

単位は統一されるべきだ。



常識は指示書、設計図を見えなくする。



             ※ 米国液量ガロンは約3.78リットル。








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これでいいのか選挙のしくみ



投票率の低さが言われるようなって久しい。

ひとが集まれば何らかのかたちで必ず話題になる。


何処かの国のような100パーセントの投票率も問題だが、

わずか30~40パーセントの投票率で選ばれたひとが政治を行なっていいものだろうか。


30~40パーセントの支持ではない。

これで民意を反映した政というなら傲慢である。


「若い世代が動かない」 政治意識の高さを自負するひとびとはそう言って顔をしかめる。

しかし、動かないのはむしろ私を含めた旧世代だと思われてはいないだろうか。


考えてみれば暮らしに関わるさまざまなことを決める "方法" は私の幼少期も今も基本的には

何も変わっていない。

選挙で選ばれたひとが集まり、多数決でものごとを決めていく。


確かに選挙制度はすこしずつ変化してきてはいる。

小選挙区制が導入されたし、参議院の全国区も無くなった。


しかし変わらないのはいつの時代でも多数を占める勢力が自分たちに有利に働くような制度を作ることである。

2次元的な思考を繰り返し、小手先で制度をいじくっていても民意を反映しない "方法" は何も改善されない。


多数決が民主主義の基本である、そう信じている人は多い。本当にそうだろうか。


51パーセントのひとが49パーセントのひとの意志を抹殺してしまう、これは本当に正しいことなのだろうか。


町内会の各班の中で棄てられていった意見がある。

校区の中で棄てられていった意見がある。

自治体の中で棄てられていった意見がある。


そうして出来上がったものが県レベルの意見と言うのであれば、

そこでいう民意というのは虚しさの結晶でしかない。




オーディオ雑誌に時折アンプのランキングが発表されることがある。

その年に販売された機種の中から評論家といわれる人々が優良製品を投票で選んでいくというものだ。


しかし、ここで上位にランクされた機種が多くのひとの共感を得るとは限らない。

趣味の世界ということもあろうが、全員が「良い」と選んだ機種ほどつまらないものはない。


確かに一定の水準にはある。

しかし、「馬鹿ちょんカメラ」などと揶揄される全自動のカメラで撮った画像がもの足らないのと同じで、

結局は誰の満足も得られない。


ひとり一票で投票するとこういうことが起きてしまう。




総意を求めていく投票のやり方もさまざまな方法があることを学ぶべきだ。


投票用紙にひとりの候補者の名前を書くということが定着しているが、

あの人もこの人も選びたいと思ったことは無かったろうか。

逆に、あの人だけは絶対に選ばれてほしくないと思ったことはなかったろうか。


     ひとりの名前を書く


     複数の名前を書く


     すべての人を持ち点で評価する


etc さまざまな工夫が議論されてよいはずだ。

投票を2回行なうことも議論されてよいだろう。




この「死に票」の多い制度が改善されたとしよう。それでも問題は残る。


私たちは立法府の議員を選ぶ。そこで法律を作っていくと教えられてきた。確かにそうではある。 
 
が、基本的なところを押さえておかなければならない。


正確に言えば、官僚が作った議案を妥当かどうか議論しているだけでしかない、ということだ。

議員立法というものもあり、提出される議員が大変なご苦労をされていることもよく知っている。


しかし、基本的には上記のような図式だ。

「賛成」「反対」「修正」のほかに選択肢が無いとしたらどうだろう。

いとも簡単に恣意的に方向付けられていくように思うのはあまりにうがった見方だろうか。


「他に必要な法律があるだろう」という有権者の素朴な思いとかけ離れたところで

メディア監視法は成立してしまった。


「そもそも論」というか、「哲学」というか、

大切なものがないがしろにされたまま霞ヶ関発信の議案が国会で討議されている。

これは民主主義政治といえるものなのだろうか。


民意の反映という極めてあたりまえのことについて私たちは今一度検証すべきである。


「若い世代は政治意識が低い」と批判するのは簡単である。

しかし、彼らのメッセージを正確に読み切れないでいては投票率は限りなく "ゼロ" に近づくのは間違いない。








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三遊亭圓楽師匠 東 祥三を語る

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三遊亭圓楽師匠 東 祥三を語る

http://www.youtube.com/watch?v=lsXksvwmBx4

http://www.youtube.com/watch?v=s_n-Fz1muN0



こちらもお薦め

       落語動画  三遊亭 圓楽(六代目)
       http://lakugo.seesaa.net/article/303058455.html

       三遊亭 圓楽 「猫の皿」
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       三遊亭 圓楽 「藪入り」
       http://lakugo.seesaa.net/article/349108098.html


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検閲将校


イラク戦争当時、TBS報道番組「サンデーモーニング」に送った意見



「新聞はそれで一致してます」

岸井何某の一言で議論はいつも冷水を浴びせられたように静かになる。

まるでそれ以上の議論は無用といわんばかりだ。


権力とは一線を画し、社会が誤った方向へ行くことに警鐘を鳴らす、

それがジャーナリズムと思ってきた私にとって

政府の後押しを表明する岸井何某や彼の言う「新聞」をはじめとする「メディア」とは

何なのかまったく理解できない。


政府の代弁をし 番組が政府批判という方向に走らぬように目を光らせているようにも映る彼の言動は検閲将校

を彷彿とさせ、 

自由な議論や政府批判がしづらくなってきている現在の社会を反映しているように感じる。


ファシズムが始まっている、そんな気がする。


スポーツのご意見番はおもしろいが自由な議論のご意見番は半世紀前にいなくなったと信じたい。

お目付け役が存在する番組は「御用番組」との批判に甘んずるべきだ。


「放送」は所詮資本家の市民コントロールの道具に過ぎないということか。






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パロディー  シロアリ演説



マニフェスト イギリスで始まりました

本音と建前があるんです


書いてないことでも強引に実行する

書いてあることでもやらないんです

それが本音の政治です


書いてあることを全部正直にやれという

これ おかしいと思いませんか


自分たちは政治や経済の勉強何にもやらないで

政治家の言葉を無警戒に受け入れてしまう


それは政治家を見る目がない というふうに

ぜひ みなさん思っていただきたいと思います


その一丁目一番地

脱対米隷従は許さないということです


自主外交を許さない 独立は許さない

それを徹底していきたいと思います


原発はアメリカのビジネスです

我が国に54基の原発があるということは アメリカ企業の既得権です


原発パテント料に アメリカ企業がぶら下がっている

資本家の利益がかかっているんです


それなのに 原発を再稼働しないで

対米協調路線を進めるんですか


くわえてTPP交渉不参加になったら

また強硬な対日政策に出られるかもしれません


漢さんが今後も原発を輸出する といったのは

そこがあるんです


自主外交派を退治して 抵抗勢力をなくして 政敵をなくす

そこから始めなければ アメリカ資本擁護の話はおかしいんです


徹底して脱対米隷従派をなくしていく

それがわが党の考え方であります




Fox_4



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あの人の シロアリ演説

Siroari_4



マニフェスト イギリスで始まりました

ルールがあるんです


書いてあることは命懸けで実行する

書いてないことはやらないんです

それがルールです


書いてないことを平気でやる 

これ おかしいと思いませんか


書いてあったことは四年間何にもやらないで

書いてないことは平気でやる


それはマニフェストを語る資格がない というふうに

ぜひ みなさん思っていただきたいと思います


その一丁目一番地

税金の無駄遣いは許さないということです


天下りを許さない 渡りは許さない

それを徹底していきたいと思います


消費税1%分は2兆5千億円です

12兆6千億円ということは 消費税5%分です


消費税5%分のみなさんの税金に 天下り法人がぶら下がっている

シロアリがたかってるんです


それなのに シロアリ退治しないで

今度は消費税引き上げるんですか


消費税の税収が20兆円になったら

またシロアリがたかるかもしれません


鳩山さんが4年間は消費税を引き上げない といったのは

そこがあるんです


シロアリを退治して 天下り法人をなくして 天下りをなくす

そこから始めなければ 消費税を引き上げる話はおかしいんです


徹底して税金の無駄遣いをなくしていく

それが民主党の考え方であります



http://www.youtube.com/watch?v=qmZoWlsr76o








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そもそも、そもそも論が欠けていないか



国際基準(IAEA)の防災対策、ストレステスト、防潮堤かさあげ、原子力規制委員会の設置・・・・

これらを安全対策ととらえる人々もいるようだ。


ものを考えなくなった大衆を騙すのはかくも簡単だということか。

どれも原発推進のために行なわれることではないか。安全とは真逆の方を向いている。


IAEAほど怪しげな機構もない。

核の平和利用といいながら、一方でプルトニウムの蓄積を許し、核兵器開発能力を温存させている。


結局は「現在の核保有国以外は核兵器を作らせませんよ」というだけのことだ。

核技術の独占を図るための機構であって、平和的な組織とはとても思えない。


超大国の思惑の範囲内で核の利用を認めますよ、つまり、原発を買ってくださいというための機構だ。


反原発、脱原発をいう人々が何でIAEAに信頼を寄せるのか、私には理解できない。

日本政府の「ただちに健康に害はない」という詐欺まがいの言葉よりましだろうという受け止め方は

非常に危険だ。彼らこそ原発推進団体に他ならない。


活断層の再調査が問題になっている。

人々はこれで廃炉が見えてきた、と事態がよりよい方向に動くと信じている。


それは希望的観測というものであって、単なる願望でしかないことを知らなくてはならない。

私は多くの人ががっかりする結論になる可能性がきわめて大きいとみる。


結果を握っているのは調査を行なう側だ。

再調査を命じられたのが電力会社であってみれば結論はもう決まっている。


電力会社の調査に瑕疵があれば、あらゆる立場の人を動員して国が再調査すべきだろう。

保安院は満足な調査も出来ない連中をもう一度信じるという。

ビジネスの世界では考えられないことだ。


一般の企業なら再調査などという費用のかかることは容易には呑めない。

コストを製品単価に反映できなければ倒産しかねない。


しかし、電力会社は痛くもかゆくもない。

日頃から飼い慣らした政治家や、役人たちが企業の存続を図ってくれることをよく知っている。


今回は国民の根強い反発を感じた保安院が演技して見せたに過ぎない。

保安院はやはり原子力ムラでしかないということだ。


多額の費用をかけたものをやすやすと手放す資本家が存在するほどこの社会は美しくはない。

希望的観測は雨乞い神事のようで何の合理的解決にもならない。


各地で行なわれた意見聴取会のことが問題になっていた。

電力会社の人間が発言したとかどうとか・・・

騒ぎ方が間違っていないか。


「通過儀礼」であることは最初から見え見えではないか。


国として核エネルギーの放棄、あるいはエネルギー政策を白紙に戻すと宣言することが

議論のスタートではないか。

その上での意見聴取会であろう。


核兵器開発の魂胆を隠し、国是といって核エネルギー政策を進めてきたことを総括もしない政府が

どんなパフォーマンスを見せようと彼らの用意した土俵に引きずり込まれてはならない。


マークシート方式の試験に慣らされた人々は三者択一の議論ということ自体に違和感がなかったのだろうか。

これは誘導であり、その時点で「やらせ」と気付かなくてはならない。


くじ引きということ自体が怪しいものだが、別室で行なわれたとなるとそれは抽選とは言わない。

発言内容も事前に審査されているということは発言者の人格とは関わりなく「やらせ」というべきだ。


恣意的に行なわれる意見聴取会で発言できたと満足しても、それは自己満足でしかない。

政府に方針を変更する気など端から無い。


応募者全体の意見比率を無視し、主催者があらかじめ枠を設けるのはいかがなものか。

それぞれの発言者に対して均等に機会を与える意見聴取会のやり方は

国会の委員会審議でこそ実施して欲しい。


最終的には多数決で決められるのである。委員全員に存分に発言させるべきと考える。

ハードルを二重にかけるのはやりすぎだ。


あまりに短い発言時間は国民の負託を受けて参加している議員の身分を無視することであろう。




三択で思い出した話・・・


私は石川県だが、若いときから富山県のかたがたと仕事上のお付き合いがあった。

隣の県ではあるが、県民性の違いというものはあるようだ。


例えば数人でレストランに入るときなど・・・・

メニューを見て「えっ たっかい!!」と思ったことはないだろうか。


   松が5000円、竹が3500円、梅が2500円


そんなとき金沢の人間の多くは「うーんと そうだな 自分 竹にするかな」という。

内心は梅でも高いと思っているのにだ。


しかし、私の知る富山県人のほとんどは


「すみません メニューって これだけですか」


と店の人間に確認する。


その場の雰囲気に流されない堅実な生き方、金銭感覚は私も勉強になったことである。








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断層再調査ではなく ただちに廃炉へ



原子力マフィアはその資金力で政治家を買収し、学者を飼い慣らし、メディアを乗っ取っています。


事故は収束していません。「福島」は終わってなどいません。現在進行中です。危機も去っていません。


社会が特定の勢力で歪められています。


様々なエネルギーが語られてよいとは思います。

が、利用する面だけではなく、環境負荷も同時に論じて欲しいものです。


核エネルギーを語るなら事故をきれいさっぱり解決し、

廃棄物の問題もすべてクリアーしてからにして欲しいものです。


福島はいうまでもなく、チェルノブイリも終わってなどいません。

福島もチェルノブイリも核戦争と同じ結果が起きているわけで、核の傘理論は実質破綻しています。

政治家は机上の空論をもてあそぶべきではありません。

現状に目を向けず核を議論のテーブルにのせること自体、あってはならないことです。


活断層再調査、一見すると安全の確認であり廃炉させるためのステップとも見えます。

はたしてそうでしょうか。そういう思惑通りに事は運ぶでしょうか。


再調査を求めることは原発存続を前提とした動き以外の何ものでもありません。

あらゆる戦術で脱原発を、、、と言いたいのかも知れませんが

「活断層ではない」と結論されたときどうするのでしょうか。


「活断層があるから危険」それはその通りですが、原発反対の根拠をそこにおいていると

「活断層ではない」と結論されたとき反対の根拠を失うことになります。

それでよいのでしょうか。

やはり正攻法でいくべきと考えます。

処理できぬ核廃棄物問題、温排水による環境破壊、陰に隠れた膨大なコスト、

見え隠れする核兵器問題・・・・十分すぎるほどの攻め手があるではありませんか。

それに活断層再調査の費用は消費者にまわってくるわけでこれも困ったものです。


「即刻、廃炉に!!」これでよいはずです。


安全ならばいいでしょ・・・という敵の用意する土俵に引きずり込まれてはなりません。

活断層再調査は原発存続のための世論対策に過ぎません。


活断層であるか否か学者の最終確認を待つ必要もありません。

学者同士の論争は将来にわたって好きなだけやっていただけばいいことです。


大切なことはいのちと暮らしを預かっている「政とは何ぞや」ということです。

誰のための何のための政かをわきまえているかどうかです。


政にグレーゾーンはありません。政に携わる者が心しておかねばならないことです。

白でなければ黒と判断すべきなのが政です。学問的探求の世界ではありません。








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各国が輸入禁止にしているものを日本国民は食べている



諸外国・地域への輸出に関する証明書の発行について - 農林水産省

http://www.maff.go.jp/j/export/e_shoumei/shoumei.html


諸外国・地域の規制措置(平成24年8月27日現在)

http://kingo999.web.fc2.com/PDF/kensa.pdf


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【韓国】


福島

ほうれんそう、かきな等、梅、ゆず、くり、キウイフルーツ、米、原乳、きのこ類、たけのこ、青わらび、たらのめ、

くさそてつ、こしあぶら、ぜんまい、わさび、わらび、コウナゴ、ヤマメ、ウグイ、アユ、イワナ、コイ、フナ、


アイナメ、アカガレイ、アカシタビラメ、イシガレイ、ウスメバル、ウミタナゴ、ムシガレイ、

キツネメバル、クロウシノシタ、クロソイ、クロダイ、ケムシカジカ、コモンカスベ、サクラマス、


シロメバル、スケトウダラ、スズキ、ニベ、ヌマガレイ、ババガレイ、ヒガンフグ、ヒラメ、ホウボウ、

ホシガレイ、マアナゴ、マガレイ、マコガレイ、マゴチ、マダラ、ムラソイ、メイタガレイ、ビスノガイ、


キタムラサキウニ、サブロウ、エゾイソアイナメ、マツカワ、ナガヅカ、ホシザメ、ウナギ、飼料


群馬

ほうれんそう、かきな、茶、ヤマメ、イワナ、飼料


栃木

ほうれんそう、かきな、きのこ類、たけのこ、くさそてつ、さんしょう、こしあぶら、茶、たらのめ、ぜんまい、

わらび、ウグイ、イワナ、飼料


茨城

ほうれんそう、かきな等、きのこ類、たけのこ、こしあぶら、茶、原乳、メバル、スズキ、ニベ、ヒラメ、アメリカナマズ、

フナ、ウナギ、コモンカスベ、イシガレイ、飼料


宮城

きのこ類、たけのこ、くさそてつ、こしあぶら、ぜんまい、スズキ、ウグイ、ヤマメ、マダラ、ヒガンフグ、イワナ、

ヒラメ、クロダイ


千葉

ほうれんそう、かきな等、きのこ類、たけのこ、茶

ほうれんそう、かきな等は3市町(旭市、香取市、多古町)のみが対象。


神奈川




岩手

きのこ類、こしあぶら、ぜんまい、わらび、せり、たけのこ、マダラ、イワナ、ウグイ


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【中国】


福島、群馬、栃木、茨城、宮城、新潟、長野、埼玉、東京、千葉(10都県)

全ての食品、飼料


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【ブルネイ】


福島、東京、埼玉、栃木、群馬、茨城、千葉、神奈川(8都県)

全ての食品


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【ニューカレドニア】


福島、群馬、栃木、茨城、宮城、山形、新潟、長野、山梨、埼玉、東京、千葉(12都県)

全ての食品、飼料


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【クウェート】


47都道府県

全ての食品


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【サウジアラビア】


福島、群馬、栃木、茨城、宮城、山形、新潟、長野、山梨、埼玉、東京、千葉(12都県)

全ての食品


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【レバノン】


福島、群馬、栃木、茨城、千葉、神奈川(6県)

左記県における出荷制限品目


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【シンガポール】


福島、群馬、栃木、茨城(4県)

食肉、牛乳・乳製品、野菜・果実とその加工品、水産物


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【香港】


福島、群馬、栃木、茨城、千葉(5県)

野菜・果実、牛乳、乳飲料、粉ミルク


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【マカオ】


福島

全ての食品


千葉、栃木、茨城、群馬、宮城、新潟、長野、埼玉、東京(9都県)

野菜・果物、乳製品


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【台湾】


福島、群馬、栃木、茨城、千葉(5県)

全ての食品


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【フィリピン】


福島

ヤマメ、コウナゴ、ウグイ、アユ


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【米国】


福島

米、ほうれんそう、かきな、原乳、きのこ、イカナゴの稚魚、アユ、ウグイ、ヤマメ、ゆず、キウィフルーツ、牛肉製品、

クマ肉製品、イノシシ肉製品、畑わさび、ふきのとう、わらび、こしあぶら、ぜんまい、たらのめ等


栃木

茶、牛肉製品、シカ肉製品、イノシシ肉製品、クリタケ、ナメコ、タケノコ、シイタケ、さんしょう、わらび、

こしあぶら、ぜんまい、たらのめ


岩手

牛肉製品、タケノコ、シイタケ、せり、わらび、こしあぶら、ぜんまい、マダラ、ウグイ、イワナ


宮城

牛肉製品、クマ肉製品、シイタケ、タケノコ、こしあぶら、ぜんまい、ヒガンフグ、スズキ、ヒラメ、マダラ、

ウグイ、イワナ、ヤマメ


茨城

茶、シイタケ、イノシシ肉製品、タケノコ、こしあぶら、ウナギ、シロメバル、ニベ、アメリカナマズ、スズキ、

ヒラメ、ギンブナ


千葉

茶、シイタケ、タケノコ


群馬

茶、ウグイ、ヤマメ


神奈川




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【ロシア】


福島、群馬、栃木、茨城、東京、千葉(6都県)

全ての食品


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【ギニア】


47都道府県

牛乳及び派生品、魚類その他の海産物


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「世界が輸入禁止にしている食品」のチラシ

http://kingo999.web.fc2.com/PDF/Ban_on_import.pdf








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あなたはこれでも放送受信契約を結びますか?



あなたはこれでも放送受信契約を結びますか?

NHKを中立のメディアと認めますか?


うさん臭い放送局の流す情報はあなたから自由な感性を奪い、彼らの意図する方向へ誘導するのです。

70年前がそうでした。そしてそれは今日でも続いています。


枝野氏が記者会見で流した情報で市民は間違った対応をさせられました。

メディアは政府の御用機関でしかありません。


メディアから離れなければ自由な社会は望めません。

若干の不都合があるからと言って躊躇すれば自由な社会は作れません。


コントロールされ、70年前と同じ過ちを犯してしまうでしょう。


私は2008年に放送受信契約を解約しました。テレビはありません。

しかし、周りのひとたちよりも情報に明るく社会全体が見えているというのも皮肉な話です。


いまのメディアに情報発信能力はありません。


市民コントロールの道具に翻弄され、愚民政策の餌食になっていては

自由な社会、民主的な政治は夢のまた夢ということです。


脱テレビ、脱新聞から始めなければ世の中を変えることなど絶対に出来ません。


選挙が終わっても闘いは続きます。



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NHKの驚くべき情報隠ぺいの動かぬ証拠音声

http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2012/11/post-df84.html


           (植草一秀の『知られざる真実』より)


「そして、原子力発電所に関する情報です。


えー、原子力安全保安院などによりますと、福島第一原子力発電所一号機では、

原子炉を冷やす水の高さが下がり、午前11時20分現在で、核燃料棒を束ねた燃料集合体が水面の上、

最大で90センチほど露出する危険な状態になったということです。


このため消火用に貯めていた水など、およそ2万7000リットルを仮設のポンプなどを

使って水の高さをあげるための作業を行っているということです。


この情報を繰り返します。」


(約7秒間沈黙)


(アナウンサーの横からの声で)


「ちょっとね、いまの原稿使っちゃいけないんだって。」


「改めて原発に関する情報です。


福島県にある福島第一原子力発電所の一号機では、原子炉が入った格納容器の圧力が高まっているため、

東京電力が容器内の空気を外部に放出するベントの作業を始めましたが、

格納容器のすぐ近くにある弁を開く現場の放射線が強いことから、

作業をいったん中断し、今後の対応を検討しています。」


メルマガ読者から衝撃的な情報を教えていただいた。


これは、2011年3月12日午前11時台のNHKによる原発関連ニュースで

アナウンサーが読み上げた言葉である。

(補注:当初掲載記事の3月11日は3月12日の誤りでしたので、お詫びして訂正しました)


http://www.youtube.com/watch?v=H8r4K-xOjGQ&sns=em

http://www.youtube.com/watch?v=6wf_BkfD7h0 (削除されました)

http://george743.blog39.fc2.com/blog-entry-1125.html


この動画の45秒近辺で、小さな音声だが、


「ちょっとね、いまの原稿使っちゃいけないんだって。」


というディレクターの声が入る。


最初のニュース原稿を繰り返して読み上げるのを中止して、別の原稿を読み上げた。


ニュースの内容は、原子炉内部の冷却水が減少し、燃料棒がむき出しになった事実を伝えるものである。


この状態が続けば、燃料棒が熱で溶融する「メルトダウン」に移行する。


また、その前段階で水素爆発や水蒸気爆発が発生することが予想される。


東電福島第一原子力発電所は3月11日の地震、津波で全所停電=ステーションブラックアウトに陥った。


原子炉を冷却するための装置が作動するために必要な電源を完全に喪失したのである。


この時点でその後の経過は完全に予測された。


原子炉内の水分が完全に蒸発し、核燃料がむき出しの状態になれば、燃料が溶融を始めるのは

時間の問題となる。


こうした事態の発生を背景に、3月11日19時03分に政府は原子力緊急事態宣言を発令した。


このまま電源喪失状態が進行すれば原子炉の炉心が溶融を始め、

溶融した燃料が原子炉内の圧力容器下部に落下し、

更に時間が進行すれば溶融した高熱の核燃料が原子炉圧力容器下部に穴を空け、格納容器底部に落下する、

いわゆる「メルトダウン」に至る道筋がこの時点で完全に予測されていた。


これに対して当時の菅直人政権はどのように対応したか。


枝野幸男官房長官は3月11日19時42分に、

「原子力緊急事態宣言」を政府が発令したことを発表するに際し、


「これから申し上げることは予防的措置でございますのでくれぐれも落ち着いて対応していただきたい」


と述べた。


 
さらに、21時23分に原発周囲3キロ圏内住民に対して避難措置を発表した際に、


「これは念のための指示でございます。放射能は現在炉の外には漏れておりません。

今の時点では環境に危険は発生しておりません」


と述べた。ところがベントの作業は遅々として進まない。


非常事態に直面した政府は、3月12日午前5時44分になって避難区域を

福島第一原発周囲半径10キロ圏内住民に対するものに切り替えた。


この記者会見に際して枝野氏は、原子炉内部の空気を外部に放出する「ベント」措置に関連して

以下の発表をした。


「このため放射性物質を含む空気の一部、外部への放出が行われますが、管理された中での放出でございます」


「こうした放出に備えすでに3キロメートル圏内から退出をお願いを致しており、

この管理された状況での放出には、10キロメートル圏外に出ていただいており、

まさに万全を期すために出ていただいており……」


ところが、菅直人首相が突然、3月12日早朝に福島第一原発を視察に訪れたため、

「ベント」作業が大幅に遅延したと見られる。


実際、3月12日にベント作業が実行されたのは14時30分ごろだった。


しかし、時すでに遅しであり、15時36分、福島第一原発第一号機で水素爆発が発生した。


この爆発ののちの18時25分、

政府は福島第一原発周辺の避難範囲を半径10キロから半径20キロに広げたのである。


枝野幸男氏は次のように発言した。


「なお、この第一原発にかかる避難指示につきましては、

万が一の対応策として、20キロメートル圏内から退避していただくこととし、

これまで同様、今回の措置で10キロメートルから20キロメートルの間のみなさんに

具体的な危険が生じるというものではございません。

念のため、さらに万全を期すための観点から拡大したものでございます」


ところが、事態は深刻化の一途を辿り、ついに3月14日11時10分、福島第一原発三号機が大爆発を起こした。

黒煙を吹き上げ、一種のキノコ雲を発生させた。


さらに3月15日6時10分、福島第一原発二号機で爆発音、

続いて6時14分頃には四号機で爆発音が轟いたのである。



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NHK 「今の原稿、使っちゃいけないんだって」  2011/03/12正午のニュース

http://www.youtube.com/watch?v=H8r4K-xOjGQ&sns=em

http://www.youtube.com/watch?v=6wf_BkfD7h0  (削除されました)

http://george743.blog39.fc2.com/blog-entry-1125.html



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NHK解説委員主幹の長谷川浩氏が、世界貿易センターで犠牲となった被害者の国籍別人数を調べたところ、

本来は勤務していたはずの米国とイスラエルの二重国籍を持つ4000人のユダヤ人が、

一人も死んでいなかった事実を突き止め、10月10日23時の特別番組でその件を報告しました。

しかし、長谷川氏は5日後にNHK構内で不審な転落死を遂げています。



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(911テロ)NHK解説委員主幹・長谷川浩さん(55)の変死事件

http://www.youtube.com/watch?gl=JP&hl=ja&v=IeBlAz8vO04



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NHK解説委員・長谷川氏の怪死の真相 2009.2.5


 2001年9月11日のほぼ2ヶ月後の10月15日にNHK解説委員主幹の長谷川浩氏がNHK放送センターで

「転落死」していた、とされるニュースを記憶している人も少なくなったと思う。

と言うより、もともと、ほとんどのメディアが大きく取り上げなかったから、

いわば「闇に葬られた事件」となり忘れ去られた。


  再度、当時の新聞記事を読み直してみると、やはり不審点が多すぎる。たとえば、以下の4点。


(1)死因は「転落死」

(2)死亡場所は「NHK放送センターの敷地内」

(3)死体の第一発見者は非公開

(4)死亡確認と発表のズレ。


(1)と(2)に関連するのだが、

転落死の現場であるビルの名称と長谷川氏の服とか靴がどんなものかなどが公開となっている。

(3)の発見者は当然、NHK職員のはずだが、その人物の名前も非公開。コメントもない。

(4)の死亡日(15日)と発表日(17日)に2日のズレがあるのもおかしい。


 長谷川氏の自殺の理由が見あたらない。では「他殺」という推論から追及していくと、

どうやら長谷川氏のテレビでの発言に起因している、と推察できる。

 長谷川氏はNHKの番組でこう発言した。


「崩壊解体された世界貿易センターの死者には、

4000人いたイスラエル国籍のユダヤ人二重国籍米国人が1人もいなかった」と。

そして、米国のシナリオ通りに「同時多発テロ」だと決め付けて報道しようとすることに異論を唱えた。


 当時の小泉政権は米国ネオコン主導のブッシュ外交に隷属する“売国奴”政府だから、

駐日アメリカ大使館を通じて何らかの圧力がかかったとしたら直ちに「Yes Sir!」と言うがままだったはず。

ここで「何らかの圧力」の真意が「長谷川を消せ」だったかどうかは定かではない。


ただ、長谷川氏の発言がハイジャック事件の主犯はアルカイダではなく

イスラエル政府が関与していることを想起させるもの、

としてネオコンの逆鱗に触れたかもしれない。

そして、第2、第3の長谷川が出ないように“見せしめ”が必要だったのかもしれない。



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『NHK解説委員・長谷川浩氏の変死事件』


 2001.10.15日、

「9.11事変直後のNHK解説委員主幹・長谷川浩さん(55)の変死事件」が発生している。

長谷川氏は、東京都渋谷区神南のNHK放送センターで転落死していたことが、17日分かった。

NHKによると、長谷川さんは15日午前、同センターの敷地内で「人が倒れている」との通報があり、

警察や消防救急隊が駆けつけたが、間もなく死亡した。

警視庁代々木署が死因などを調べているが、「個人のプライバシーの問題で何も申し上げられない」、

「事件性はない」としている。

不思議な事に検死、遺体解剖されていない(中略)。


 長谷川浩氏は、誰によって何故殺されたのか?彼は、9・11事件の謎を追っているうちに、

世界貿易センターで犠牲となった被害者の国籍別人数を調べていた。

そこで、この事件の本質とその謀略の本質を察知して、

本来は勤務していた筈のイスラエル国籍をも有するユダヤ人がいないということを知ってしまったのである。

そこで、氏はテロだと決め付けることに躊躇したのだろう。


 日本国の世論の動向を左右する重大なマスコミとりわけ公共放送テレビ局のNHKが

どのように発表表現するかで、この事件の位置付けは決まる。

だから、米国のように全てのマスコミがシオニスト・ユダヤの支配下に入っている場合には、

資本のオーナーの意向により、どのようにも報道出来るが、

国民の税金のような視聴者の視聴料から成り立っているNHKには、通常ならユダヤの支配は及ばない。

だから本当に客観的な視点から9・11事件を調査・分析・報道すべき義務がNHKにはあったのである。


 故解説主幹長谷川浩氏はその立場「皆様のNHK」にたって、

公正中立にこの事件を報道することを主張したのに相違あるまい。

そうされては、それでは困る輩がいたのだ。


 長谷川氏は、10月10日に深夜の23時の特別番組で、この種の解説番組では異例中の異例の

1時間の放送枠を与えられて、その調査分析に基づくニュース解説を行なったが、

その番組の総合テレビ「特集/あすを読む」は、非常に珍しい解説室総動員の豪華版時局解説特集であり、

解説室長が司会をして公正中立を装い、解説員の各自が自分の担当分野を中心に報告して、

皆で議論を重ねる形式であった。


 長谷川解説主幹の画面には、特にわざと「主幹」の紹介文字はなく他の全員と同列に扱い、

その意見を開設室が敢えてとらないように単なる「解説員」扱いであり、

その専門を「政治・外交」と紹介されていた。

つまりは、9・11事件の解説総責任者からはずされて降格扱いが全国に晒されたのだ。


 9・11事件の真犯人のシオニスト・ユダヤとその日本国内の同調者・手先達である。

その中心にいたのは小泉初め政府の中枢部とその同調者のNHK海老沢会長であった。

従って、米英の諜報機関かその手先またはこれらから指示を受けた暗殺者が異論(本当は正論)を

唱えた解説主幹長谷川浩氏を密かに自殺を装って始末させたのだ。


 その「死因」発表については、転落死による自殺だという結論を決め付けて、

警察庁や警視庁中枢部に根回しして、密かに始末した。

すなわち、イスラム過激派による同時多発テロだという公式見解の定説を米国の指示通り、

大本営発表を垂れ流したのだ。


 かくして、日本国民も米国と同様に、

(911事件の主犯が)オサマ・ビン・ラディンだアルカイーダだというようになったのだ。


 ユダヤの支配下にない「日本国民の公共放送」が歪められるまでには、

解説主幹長谷川浩氏という正論の優れた勇気あるNHK一幹部職員の死と

腐敗堕落した海老沢会長という権力者に対しては

卑屈な日本国民の裏切り売国奴の存在が必要であったのだ(後略)。

http://blog.goo.ne.jp/nanbanandeya/e/692ee8d99eeec357bcc13a2a31bc8bda








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沈黙の螺旋



        ♪里の秋   


                    斎藤信夫作詞

                    海沼実 作曲



        静かな静かな 里の秋

        お背戸に木の実の 落ちる夜は

        ああ 母さんとただ二人

        栗の実 煮てます いろりばた



Q:何故、母さんと二人なのでしょうか。  父さんはどこにいるのでしょうか。



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高校時代の私たちは勉強の虫だった。

とくに2年生のときの28ホームというクラスは全員が向学心に燃え、寸暇を惜しんで参考書を読みあさっていた。

休み時間はといえば議論、弁当を食べながらも議論、登下校は歩きながら議論・・・そんな毎日だった。


断るまでもないが、そのことと"結果がついてくるか" とは別次元の話であって、

私たちの場合は多分にそうせざるを得なかったというのがあたっている。

勉強と相思相愛の間柄が理想であるわけで、片想いでしかないのは何とも切ない。


そんなクラスであったから学校全体から見れば "浮いた存在" だった。

よそのクラスの連中には青春を謳歌していない "嫌みな奴ら" に映ったに違いない。


校庭を歩いていると、どこからともなく石をぶつけられるということはよくあった。物が紛失するのもしょっちゅうだ。

卒業後、20年ほど経ってはじめて「あれってイジメだったのかも・・」と語り合うくらいだから、

何とも呑気というか、ピーカン気分の友たちだった。




"異質" であることはいつの時代でも "浮いた存在" になる。

ニホンのような島国で、共同作業を必要としてきた農業社会の中ではなおさらである。


"同調圧力" という言葉がある。何とも嫌なというか、こころの貧しさを感じるさびしい言葉だ。


「危険を知りながら、子どもたちへ伝えられない自分に耐えられない。彼らが被曝するのを見ているのもつらい」


そう言って高校を退職した宍戸俊則氏のことが2011年8月6日付の中日新聞に掲載されていた。

(おそらく東京新聞にも)

被災地の真実を伝えることに対して「不安を煽るな」と学校側から指導を受けたとある。


教師は学校に、学校は教育委員会に、教育委員会は文部科学省に同調することを求められる。

私の辞書ではこれを "強要" という。ファシズムとはまさにこれを言う。


理を説くのならまだしも、

たんに「同じ事をしていろ」というのは「赤信号であろうとみんなで渡ることが安全なのだ」

と言っているに等しい。非論理の世界であって、無謀きわまりない。


「不安を煽るな」とは言っても、何故か「安心を煽るな」とは誰も言わない。

誰が言わせているかはこのことによって明らかだ。


ネットは常に政府によって監視され、政府の言う「真実」を伝えるよう求められる。

ここまできても今の政府が危険であることを認識できないのであれば、これはもう "愚か" と言うしかない。


「自粛を求める」というおかしな言い方がある。

求められる、強要されることを「自粛」と答えれば八田教室では笑われる。強要されれば自粛とは言わない。


しかし、本当に気をつけなければいけないのは「圧力」なのではない。

「ファシズム」と闘ってきた我が党は・・・という言葉も時折耳にするが、

私たちをファシズムに引きずり込むのは他でもない私たち自身であることも忘れてはいけない。


ひとは肉体的にも精神的にも他者との関わりなくしては生きていけない。

とくに孤独感にさいなまれることは精神の死を意味する。


「共同感」「帰属感」をあたえてくれる暮らしがなければ、ひとは無性に不安を覚える。ここが大事だ。

自分にとって許し難い疎外感・断絶感・乖離を感じるとき、ひとは奈落の底に落ちていく夢を見る。

そんな無力感を麻痺させたい時こそ、最も危険な状態といえる。


ここにファシズムの導入口が大きく口を開く。


みんなで渡ることで恐怖心を押さえることはできても、赤信号が危険であることに何ら変わりはない。

孤立や精神的な孤独からの脱却は、愛や生産的な仕事の自発性のうちに他者と結ばれていく中にこそ

見いだされなければならない。


権力者が演出、用意する「連帯感」の世界の中ですべてが解決していくという幻想を見せられ、

擬似的な連帯感に浸っていては自ら「滅び」の道を歩むしかない。


「非国民」と言われるのが嫌だというなら、生涯にわたって後悔し続ける哀れな魂が自らの姿であることに

思い至らなければならない。




全体に従い、他人にも強要しておいても「あれは間違いでした」と謝った人が今までにいただろうか。

70年前のことは何もかもA級戦犯に責任をおっかぶせ、被害者づらしているだけではなかったか。


体育の時間にウサギ跳びをさせられ、「運動するときは水を飲むな」そう言われた。

しかし、そんな先生たちから「間違ったことを教えてしまった」という謝罪の手紙をもらったことはない。


すべてが同じ図式だ。「上層部から言われたことを伝えただけだ。それに従うしかなかった」と開き直るのだ。


被災地の真実を伝え、不安を訴える者に対してはケアをしていくべきで、

「不安」を起こさないために沈黙したのでは、自らも加害者であることを強く認識すべきだ。


沈黙はさらなる沈黙を招くのだ。これを沈黙の螺旋という。




メディアには「絆」「協調」「助け合い」「節電」の言葉が無機質に流されている。

放射能汚染の疑いのある食品も汚染など無いことにして、「風評被害の被災地を助けよう」などと

無責任に消費を呼びかけている。国や原子力村の責任追及などかすむ勢いだ。


笑顔や個人の道楽などもってのほかという空気がこの社会に蔓延している。

被災者も被災者らしくないのは嫌われる。ボランティアの芸能人にまで媚びを売っていないと叩かれる。

他人の生活には立ち入らない、自立のサポートのみをして遠くから見守るだけということは出来ないものか。


私などは、まったくの他人様にそう易々と「絆」などと言われたくはない。

それが原子力村でたらふく潤ってきた連中であってみれば腹立たしいだけである。


この空気、これが70年前にもあったのだ。


「欲しがりません。勝つまでは」


「銃後の護りは僕たちが」


と、言わされた時代があったことを忘れてはいけない。

忘れているからこそ今また同じ事を言わせれていることに誰も気付かない。



童謡「里の秋」はまさにそういう空気の中で作られた詩だ。

もともとは秋の情景を歌ったというより、「銃後の母子」ともすべき内容である。

貴重な歴史の証人ともいえる歌だ。

よく読んでみて欲しい。




高校2年の修学旅行は九州だった。

帰路は別府港からフェリーで大阪までの船旅だったが、

10代の若い連中がおとなしく船室で眠っているはずもない。

夜通し甲板で騒いでいた。


珍しいものが見えるたびに大勢の生徒が右舷へいったり、左舷へいったり。

心配性な私は船が傾きそうに思えて、そのたびに皆とは反対側に立っていた。

3000トンクラスの船が傾くことなどないことは頭では理解できる。

それでも条件反射的に体が動いたのを覚えている。


気がつくといつも議論している連中は私と同じ側でそれぞれ立っていた。





  
  

 

       ♪里の秋   
  
                          斎藤信夫作詞

                          海沼実 作曲


        1 静かな静かな里の秋

          お背戸(せど)に木の実の落ちる夜は

          ああ母さんとただ二人

          栗の実煮てます いろりばた


        2 明るい明るい星の空

          鳴き鳴き夜鴨(よがも)の渡る夜は

          ああ父さんのあの笑顔

          栗の実食べては思い出す


        3 さよならさよなら椰子(やし)の島

          お舟にゆられて帰られる

          ああ父さんよ 御無事でと

          今夜も母さんと祈ります


                             (1945年12月発表)




      戦前に作られた元々の詞  

      (元は 「星月夜」 として1941年12月に作られた)


  
        1 静かな静かな里の秋

          お背戸(せど)に木の実の落ちる夜は

          ああ母さんとただ二人

          栗の実煮てます いろりばた


        2 明るい明るい星の空

          鳴き鳴き夜鴨(よがも)の渡る夜は

          ああ父さんのあの笑顔

          栗の実食べては思い出す


        3 きれいなきれいな椰子の島

          しっかり護って下さいと

          ああ父さんのご武運を

          今夜も一人で祈ります


        4 大きく大きくなったなら

          兵隊さんだようれしいな

          ねえ母さんよ僕だって

          必ずお国を護ります








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文言で語る世界  文言でしか語れない世界



 大いなるものにいだかれあることを


             けさふく風のすずしさにしる
             


                            無文                            

                           



私たちは音楽を楽しむとき五線譜を用いる。

しかし、これほどアバウトなものはなく、アバウトであればこそ楽しむ余地があるともいえる。


五線譜が音楽のすべてを正確に表現できているのなら、そして演奏家がその通り正確に演奏しているのなら

マーラーの「巨人」のCDは世の中に1種類でいいはずである。


それでも「巨人」は多くの演奏家がそれぞれのCDをリリースしている。(我が家の棚には19枚並んでいる)

ニュアンスの違いはとても同じ作曲家の作品とは思えない。


                            
つまり、五線譜は音楽の世界を便宜的に表現しているに過ぎない。


作曲家の想いは便宜的な手法でしか伝えることはできないわけで、

作曲家自身の演奏以外は「似て非なるもの」というしかない。


設計と施工が異なるような現代の建築にあっては「設計図書」は重要な役割を果たす。


が、機械的に進めていけばよいように見える、本来は無機質な世界であるはずの建築界ですら同じ事がいえる。

「設計図書」通りに施工しました、と言っていては良いものはできない。

「設計図書」は設計者の意志を伝えるものであるが、設計者の「想い」「哲学」まで網羅しているわけではない。


ある現場でビスを直して欲しいといわれたことがあった。「ビスを直す?」意味が理解できなかった。

設計者はプラスビスの頭を「+」にしておくように言ったのだ。

「×」では自分のイメージとは違うと言いたかったのだ。


以来、「設計図書」を通して建築家が何を求めているのか、

どんな世界を描こうとしているのか考えて仕事をするようになった。


設計者の「想い」を表現できているか、塗装の微妙な仕上がり具合までに神経を使うようになった。

音楽も建築も詰まるところは「人間学」ということだ。

人間が何を求めているのか・・すべてはここから始まるということだ。


私は時々意地悪な質問をする。(いつもかも・・・)


「パレスチナの人々が全員改宗してクリスチャンになったら パレスチナ問題は解決すると思いますか」

クリスチャンのかたの答えは「解決する」だった。


しかし、「私たちの聖地」をいうのはユダヤ教もキリスト教もイスラム教も同じだ。

本質的には宗教に名を借りた領土問題である。全ての人がクリスチャンになっても解決はありえない。


では宗教は無力なのか。

それは違う。パレスチナに限ったことではないが、

人は宗教という形を通して語られる本質を見ようとはしていない。

そこに大きな誤解が生じ、融和を妨げている。宗教とは便宜的に語られるメッセージでしかない。


外面的な文言の世界に浸っていては宗教が例えひとつになったからと言って何も問題は解決しない。


文言でしか語ることのできないものであることを知り、

文言の先にある数多のひとびとの願いの世界に目覚めたとき、人は初めて共通の夢を持てる。

宗教という形にこだわりすぎては「和」の世界はあり得ない。


数多の宗教があり、宗派がある。聖典もさまざまだ。

概していえることだが、歴史があることが大切にされる所がある。大なり小なり権威主義的な面もある。


しかし、何か違うと思う。語られたのはいつの時代であっても「現代」であったわけだ。

バッハもヴィバルディも現代音楽であったわけで、古典などではなかった。それと同じだ。


権威に寄りかかっても自身の問題は何も解決などできない。問題の存在を忘れることがせいぜいだ。


経典を有り難がる人は多いが、経典というのはある意味何も書かれていない。


漢文で書かれたものを音読みにしているからもっともらしく聞こえるが、

内容は至って平易で「何だ そんなことか」と言うことばかりである。


道元の「正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)」は日本の書物の中で最も難解とされるが、

書き方が難解なだけで気の遠くなるほど難しいことが書かれているわけではない。

仏教書というのは悪筆が多いといえるのかも知れない。


キリスト教の聖書は文言としてはやさしい。

が、書かれているメッセージは奥が深く、

簡単に「わかりやすい」などと言っていては外面しか受けとめることはできない。


私は19歳の時、宗教を語るとき専門用語を使うことを自ら封印した。

日々の言葉、暮らしの言葉、わたしの言葉に置き換えて語らなければ何の意味もないことに気づいたからだ。


専門用語というのは心地良いところがある。たくさんの言葉を覚えると立派になったような気になる。

他人から見ると特別の人に見えるというわけだ。


しかし、宗教とは本来的には「便宜的なもの」であり、そこで語られる文言自体は「虚構」の世界である。

「虚構」を通して「真実」を語るのが宗教である。


経典を丸暗記しようと、聖書を50年間読んでこようと、

そこの所を見誤ると単なる文化を楽しんでいることでしかない。


だからこそニーチェは警告した。「神は死んだ」と。


すべては架空のものと知って虚しさを感じるべきではない。

架空なるものを通して語りかけられていることを受け取るべきだ。


聖書がなかったら生きていけない、とあるかたが語っていた。

しかし、聖書がなくても、ブッダ・道元・親鸞の存在が否定されようとも「私」がここにいる事実に変わりはない。


私たちは全うしなければならない "いのち" の中に脈々と流れている「大いなるもの」

からの恵みに気づかなければならない。


"大いなるものの願い" がこの "いのち" であることに気づかなくてはならない。


「教え」は荒海を渡る舟のようなものだ。わたるときには必要だが、渡り終えれば邪魔になる。


宗教は非常出口を示す緑の表示のようなもの、といってもいい。


「表示」を鑑賞して欲しくて掲げてあるのではない。

外へ案内するものであり、外の世界へ出て欲しいがためにある。


便宜的に語られた「宗教」を突き抜けて向こうにある世界に至らなければ誰とも心を通い合わすことなどできない。

宗教という「枠」に縛られていては寺も教会もカルト教団も何ら変わりはない。


生涯で30分にも満たない禅僧との出会いが私の今を支えている。

禅僧は語ってくれた。


    勉強などせんでええ 人間は生まれたとき もう 仏さんになっとる 気づけばそんでええ

    
    求める答えは 自分の中(うち)にある
    

        

短い大学生活に気持ちの踏ん切りをつけられたのも僧との出会いがあったからである。








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世界の終末 ???



2012年世界の終末論というのがあった。

私自身、もとよりそんなものには何の関心もない。

新聞等でそういうことがいわれていると見ただけで内容はまったく知らない。


2012年12月21日だったかで地球が終わるといった人々は

今どのようにお過ごしだろうか。


キリスト教文化とは関係があるとは思えないが、何故かこういう話はいつも欧米からやってくる。

地域性、民族性が影響しているようにも思う。


古今東西、終末論は後を絶たない。

救世主を待望する思想もある。

宗教を神秘主義、権威主義で語ろうとする姿勢がある以上、この種の話は今後も続くだろう。


最近になって「終末の日」とされる根拠がどうやらマヤ暦にあったということを知った。

マヤの暦では2012年の12月幾日かで終わっている・・・故にそれ以降の文明はない、

ということだったようだ。


はぁあ? おい おい おい そんなんで地球の終わりと言ってきたのか。

あまりに幼稚すぎる考察にただただ驚くばかりだ。


今の暦では12月32日はない。ではその先地球の文明は無いとでもいうのか。


中国や日本では十干十二支(じっかんじゅうにし)といって60をひと区切りとする考え方がある。

60年経ったら元へもどる。還暦である。


人間が便宜的に作り出したものである以上、暦は有限の数で表される。暦とは元々そうしたものだ。


アメリカでは「終末の日」で休校が相次いだと報道されていた。

アメリカの精神文化はどうなっているのか。




「七つの海」という言い方がある。

ここでいう「七つ」とは日本で言う「八百屋(やおや)」「八百万(やおよろず)の神」の

「八百」と同じで「すべて」とか「多くの」という意だと学校時代に教わった。


また、幻のアトランティス大陸を探し求めている人もいるそうだ。ご苦労なことだが、

「大陸」という言葉が現代の意味と同じかどうかの検証から始めなければ大きな誤解に陥る。


自分の空想、願望が先走る人は入り口からして大いなる間違いを犯すことが多い。

マヤ暦の幼稚な解釈もこの延長線上にある、およそ学問とは言えないものである。


終末論がまことしやかに語られるというのは人々が事の本質を見極める力のない時代であり、

いとも簡単に誘導される危険な時代であることを忘れてはならない。




マヤ文化については金沢大学の中村誠一教授がお詳しい。参考にされたい。


       マヤ文明に挑むマヤ考古学者 中村誠一

       http://www32.ocn.ne.jp/~maya_copan/


       中村 誠一


       マヤ考古学者。金沢大学人間社会研究域附属国際文化資源学研究センター教授。

       早稲田大学比較考古学研究所客員教授。

       サイバー大学世界遺産学部客員教授。


       マヤ地域で数多くの考古学プロジェクトを指揮し、2000年世界遺産のホンジュラス・コパン遺跡で、

       アクロポリスの外では初めてとなる「王墓」を発見。


       マヤ調査史上、最大規模のヒスイ製胸飾りなど、

       その出土品は日本やアメリカのマヤ文明展覧会に出展された。


       2006年ホンジュラス大統領より文化功労章を受賞。

       隣国グァテマラでも、世界遺産のティカル遺跡やキリグア遺跡で調査・保存に協力している。


       『マヤ文明を掘る-コパン王国の物語-』(NHKブックス)、『マヤ文明はなぜ滅んだか?』

       (ニュートンプレス)など、これまでに発表した著書、論文は多数。




騒動いろいろ


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2012年12月21日に予言されていた「世界の終末」は起こらなかった。

多くの人々が、懸念を抱いたが、ロシアの学者ユーリー・クノロゾフがいなければ、

世界の終末を知る者は誰もいなかったかもしれない。クノロゾフは、マヤ文字を解読した。

マヤ暦には、2012年12月21日がXデーであると記されていた。

クノロゾフは、マヤ文字は音節を意味していることを発見した。

作家のオレグ・シシキン氏は、これはマヤ族の文字を研究するうえで突破口を開いたと述べ、

次のように語っている。

http://japanese.ruvr.ru/2013_01_07/100304589/


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どうやら我々は生きのびることができたようだ。「世界終末の日」は訪れなかったのだ。

5000年以上続く古代マヤの長期暦がこの12月21日をもって途切れてしまうということから

取り沙汰されてきた終末論は、現実のものとはならなかった。

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/36837


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中国:当局、宗教「全能神」警戒 マヤ暦「終末論」で混乱

毎日新聞 2012年12月26日 19時22分(最終更新 12月27日 00時02分)


世界各地で騒ぎとなった古代マヤ暦の終末論は中国社会にも影響を及ぼし、各地で混乱が相次いだ。

河南省信陽市で今月中旬、社会に不満を抱く男が児童23人に切りつける事件が発生すると、

中国メディアは「終末10+件論に触発された」と報じ、

終末論を広めた宗教集団「全能神」への警戒感をあらわにした。

背後には、社会不安をあおりかねない全能神への取り締まりを強化したい中国当局の思惑が隠されているようだ。

http://mainichi.jp/select/news/20121227k0000m030040000c.html (既に削除)


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「2012年10+ 件12月21日11:11に人類は滅びる」と世界中で騒がれたマヤ暦の終末説は、

結局、かつての数々の終末件説と同様に、何事もなく終わった。

デッドラインの午前11時11分を迎えた瞬間、世界では様々な表情が見受けられた。


世界で一番最初に12月21日を迎えたオセアニア諸国の一つ、オーストラリアの旅行会社には、

「生きていますか?」と、終末説を本気で信じている人々からのメールが殺到した。


イギリスでは、世界最後の朝日を見に、たくさんの人がストーンヘッジに集まり、最後の宴を開いていた。

また、友人と賭けをして、世界が滅びたら5万ポンド(約700万円)を手にする予定だった男性は、

ばつが悪そうに顔を真っ赤にしていた。

(仮に世界が滅びて、賭けに勝っていたとしても、おそらく、彼がそのお金を使うことはできなかったと思うが。)


台湾では、悪ノリして、科学博物館の前にマヤのピラミッドのレプリカを作り、

電光掲示板まで設置して、世界の終わりをカウントダウンした。

無事、何事もなく11:11が過ぎると、人々は手をつないで飛び上がって喜んだ。


フランスにある人口わずか189人の小さな村ビュガラッシュは、

UFOのガレージがあり、世界が滅びた後に人間を他の惑星に運んでくれる世界で唯一、

世界滅亡から免れられる場所とまことしやかに囁かれ、21日までに何百人もの終末論者が押しかけ、

フランス憲兵が派遣される騒ぎになっていた。

21日当日も、テーザー銃を持っていた者を含む5人のヒッピーがフランス警察に取り抑えられた。


NASAまでもが、「世界は終わりません!どうか落ち着いて!」

と警告を発するほど大騒動に発展した今回の終末説は、振り返ってみれば、

マヤ暦に直接関わりがある人々以外にとっては、ただのお祭り騒ぎに過ぎなかったようだ。


マヤ遺跡が残る地域では、何も起こらなかったことを、「新しい時代の幕開け」と前向きに捉えている。


ホッとしているのも束の間、巷では、早くも次の終末説が囁かれている。

http://news.mynavi.jp/c_cobs/news/terrafor/2012/12/post-4334.html


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世界は2012年12月21日に滅亡しません!米政府が公式発表

2012年12月10日


 [シネマトゥデイ芸能ニュース] 

世界は2012年12月21日に滅亡しないとアメリカ政府が公式サイトUSA.govで見解を表明している。

この2012年12月21日世界滅亡説は古代マヤ文明が予言したもので、

ローランド・エメリッヒ監督のディザスター映画『2012』などでも題材にされている。


 21日が近づくにつれインターネット上で終末説がささやかれるようになったことを受け、

アメリカ政府は「彗星が大変動を引き起こす、惑星が地球に衝突するというようなことはありません」

と数々のうわさを否定。「世界が2012年12月21日もしくは2012年中に滅亡することはありません」と断言した。


 2012年終末論を真に受けているアメリカ人は数多くいて、

NASAには世界の終りを危惧する手紙が何千通も寄せられているとのこと。

NASAのある科学者は「11歳ぐらいの子どもたちから週に1回は

『世界の終りが近付いているために気が滅入って自殺を考えている』

という内容のメッセージをもらいます」とコメントするなどなかなか深刻な問題になっているようだ。

それだけに今回アメリカ政府が公式の声明を出すことになったのだろう。(編集部・市川遥)

http://www.cinematoday.jp/page/N0048524


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「終末の日」で休校相次ぐ、米ミシガン州 銃乱射事件が影響 


【AFP=時事】マヤ暦に基づく「世界の終末」とされる21日を迎えるにあたり、

米ミシガン(Michigan)州で20、21日の両日を休校とし、クリスマス休暇の開始を早める学校が出ている。

米コネティカット(Connecticut)州の小学校で児童ら26人が射殺された銃乱射事件を受け、

これを真似た事件が起きるのではとのうわさが広まったためという。


 ミシガン州ラピーア(Lapeer)郡では全学区で20日からの2日間を休校とし、

ホッケーの試合など22日に予定されていた課外活動も全て中止した。

学区を統括するラピーア・コミュニティー・スクールズ(Lapeer Community Schools)の

マット・ワンドリー(Matt Wandrie)氏はウェブサイトで、

うわさに根拠はないが生徒、教師、学校、保護者たちの懸念が非常に強く授業に差し支える状態なため、

休校が適切だと判断したと説明している。


 同州ジェネシー(Genesee)郡でも、郡内全ての学校で20、21日を休校となる。


 全米の学校では21日朝、コネティカット州ニュータウン(Newtown)のサンディフック小学校

(Sandy Hook Elementary School)で起きた銃乱射事件で犠牲となった児童20人、

職員6人を悼み黙とうの時間を設けることにしているが、

休校措置を取るミシガン州の学校ではこれも実施されない。【翻訳編集】 AFPBB News

http://news4int.blog.fc2.com/blog-entry-1575.html








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スピーカー______機種に寄せるファンの想いは大切に!

Tannoy




オーディオ歴も20年を越えるとベテランと思われるのか、よく質問されることがある。


       どういうのが良いスピーカーなんですか?


       
       まず聴いてご覧なさい。あなたが好きだと思ったスピーカーが良いスピーカーです。

       

私はいつもそうお答えしている。


オーディオすべてがそうだが、個性の強い趣味の製品だ。中でもスピーカーは極端なまでに好き嫌いが別れる。

個性があるというのは開発途上であり、完成品ではないということだ。


オーディオの究極はその存在を感じさせないことにある。録音現場の音がそのまま再現されなくてはならない。

ウィスキーのCMではないが、何も加えず、何もひかないのが理想だ。


録音・再生技術は時代と共に進歩してきた。

しかし、人間の耳を納得させるものは未だ製品化されていない。

自分の好みに合わせ機種選びを楽しむ余地もそこにある。


そういう状況であるから逆に言えば再生装置の選び方でそのかたの嗜好がわかる。

クラシック好きのかたが選ぶ機種とジャズ好きのかたが選ぶ機種は見事なまでに別れる。

電源周波数もクラシック好きのかたは60ヘルツが良いと言われるし、

ジャズ好きのかたは50ヘルツがお好きという。


                      ※  関東のかたと関西のかたは同じCDでありながら、

                           実はまったく違った音楽を聴いている。

                           好みの音にするには周波数変換を行なう必要がある。


装置を見ればお好きな音楽の傾向、世界観、そのかたのひととなりまで見えてくる。

音楽的嗜好というのはそのかたの人生観と深く関わっているからだ。


そんなオーディオの世界であるからスピーカー選びはパートナー選びにも似ている。

途中でスピーカーを替えようものなら、何か心境の変化をもたらす大事件でもあったのかと見られるのだ。


オーディオ評論家の先生方にも好みがあって、

製品の善し悪しを論ずるのもその好みを通してという側面は否定できない。

オーディオファンもそこは心得たもので、そのことを十分考慮して先生の感想に耳を傾けるというわけだ。


ところが或る日突然に評論家が使用するスピーカーを替えたらどうだろう。

菅野沖彦氏の愛機といえばマッキントッシュであることは誰もが知っている。

ジャズ好みの氏にはよく似合う。同社のアンプと組み合わせた音は温かみがあってジャズクラブの
煙草臭い空気とはこんなであろうと眼前に想像できる。


が、或る日氏が愛機をタンノイに替えたとなるとファンは面食らうのである。

断っておくが、製品の優劣をいうのではない。マッキントッシュもタンノイも一流の製品だ。

方向性が違うということだ。


概して、タンノイはコンサートホールの雰囲気を見事なまでに再現する、クラシックファンが多いメーカーである。

愛機を替えたとなるとそれまでの氏の評論内容をすべて見直さざるを得なくなるのだ。

今までの評論活動の原点はどこにあったのかということになる。


SYAMIN には SYAMIN のファンがいる。

MINSYU には MINSYU のファンがいる。

良い音楽を聴きたいのですといわれても、回路や部品が異なれば音はそれぞれに違うし、

結果としての音楽は大きく異なる。


オーディオの究極は無色透明が理想だが、

それがかなわぬなら機種に寄せるファンの想いは大切にして欲しいものである。


或る日突然に鞍替えされてはファンは戸惑うばかりである。








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いのちあるものはすべて平等


「自分は ほとけさんから もういただいております」


文化勲章受章について打診があったとき、禅僧は明快に答えた。


「いのちあるものはすべて平等」と幼い頃より寺の住職から教わってきた。

人間を位付けする勲章制度は仏の教えの対極にあるわけで、

禅僧のもの言いには実に爽快な思いがしたものだ。


世の中には各分野のさまざまな「賞」がある。

研鑽を促すためであったり、業界の発展を願う思いであったり、社会に対するPR活動でもあったりする。


しかし、国家が行なう「褒章制度」は異質だ。

人間を位付けするように見えるのは私だけだろうか。


そもそも「褒章」とは「ほめてとらす」ということだ。

さらに、問題は「ほめてとらす」のが誰であるかということだ。

「誰」が「誰」を「ほめるのか」、それがその行為の本質を見極める上で極めて重要である。


北九州で発見された「漢委奴国王印」は漢王朝が異民族の王に官位と印綬を与えることで、

皇帝を頂点とする秩序に組み入れようとしたもの、といわれている。


そのことからもわかるように、「ひと」が何かを「ひと」に授けるということは、

その人間関係を決定づけてしまう極めて重要な行為である。

「ほめてとらす」も同じ意味を持つ。


「むやみに他人からものをもらってはならない」という先人の教えもそこにある。


大名が武士に「刀」を授ける行為は、臣下として認めたことであり、

受け取ったほうは臣下の礼をとることを約束したことになる。

つまり、終生、家来として仕えることを宣言したことを意味する。

適切を欠く表現で恐縮だが、「魂を売り渡す」ような行為でもあるわけだ。


「褒章」が誰の名によって行われるのかは、

この国の政治体制の根幹に関わる重大な問題であることを認識する人は少ない。


いかに象徴天皇制とはいえ、天皇の名によって行われる「褒賞」を受けることは、

封建的な勲章制度を認めるにとどまらず、天皇を頂点に戴く国家体制を受け入れることを意味する。


確かに、いまの時代に「臣民」や「赤子」という言葉は飛び交っていない。

しかし、天皇制より発現する「臣民」と「赤子」という自己認識が、政治的行動を敢行する根拠とされ、

無謀な戦争に突入していった時代からわずか70年余しか経っていないことを忘れてはならない。


今日の社会情勢をみるとき、いとも簡単に70年前へタイムスリップしそうな気配がしているのは私だけだろうか。


民主的な国家には君主などあってはならない。

いきとしいけるものが「手を振るもの」と「旗を振るもの」にわかれることがあってはならない。 


みなが平等では都合の悪い人々がいる。

序列を作るほうが民を治めやすいと考える人々がいる。

天皇を頂点とした国家像を考える人に「民主国家」を語る資格はない。 



ヨーロッパにはありったけの勲章をつけることを正装とする文化があることを聞いたことがある。

胸全体に勲章をつけている写真を見たこともある。

勲章をつけている人は「誇り」と思っているのだろうが、


「みて みて みて みて」


と、場に居合わせたひとの興味をひくものが金属の固まりでしかないのは何とも哀れである。






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東 祥三 ビデオレター

Syouzou


国民の生活が第一の「生活の党」 東 祥三  熱く語る

   「3つの緊急課題について」

       ! 脱原発

       !  消費税増税阻止

       ! 中央集権体制からの脱却

http://azuma-shozo.jp/?video=%e6%9d%b1-%e7%a5%a5%e4%b8%89-%e3%80%8c%ef%bc%93%e3%81%a4%e3%81%ae%e7%b7%8a%e6%80%a5%e8%aa%b2%e9%a1%8c%e3%81%ab%e3%81%a4%e3%81%84%e3%81%a6%e3%80%8d









選挙で社会は変わるか



次の選挙に向けて日々努力していることに水を差すつもりはないが、

選挙で大勝利しても残念ながら社会が変わるとは思えない。


2009年の衆議院選では480議席中、民主党だけで308議席を獲得した。

さらに社民党、国民新党も加わり政権が発足した。

共産党も好意的だった。


そんな絶対優勢の中で改革は進むはずだった。

しかし、結果はご承知の通りである。


諸氏の努力には敬意を表するが、戦略的に瑕疵があったと言わざるをえない。


あまり好きな例えではないが、政治はある意味で戦いである。戦争である。

敵を見極めてこそ、そしてその敵に対して最も有効な対抗手段をとってこそ戦は勝利する。


やみくもに矢を放って敵が退却したからといって勝利とは言えない。

本丸を落とすまで戦いは続いている。

加えて、紛れ込んでいる間者への対抗措置も用意されていなければならない。


きつい言い方でまことに恐縮だが、絶対優勢の情勢を過信していたのではないか。

私も含め国民の多くが明るい明日をあまりに希望的にとらえていたのではないか。

まさに油断である。


選挙の洗礼を受けない存在こそが真の敵だった。

この数年でそれは誰の目にも明らかになった。


国民の選択を無視し、サボタージュする官僚たち。

財界や宗教団体の意のままに動くメディア。

法曹界さえしっかりと操縦されている。


復興大臣、経産大臣、防衛大臣などの不可解な退出劇が続いた。

旧自民党時代にも財務大臣が巧みな陰謀で抹殺された。

田中外相が言った「スカートの裾を踏んづけている」存在は現在も健在のようだ。


一国の首相より財務省の事務次官に実権がある状況で投票行動を呼びかけられても

有権者はしらけるばかりである。


何故、ここまで官僚がのさばるのか。

大変申し上げにくいが、政治家に十分な見識がないからである。


官僚たちのレクチャーを無批判に聞き、納得する人たちが相手では籠絡するのは簡単だと言うことだ。

複数の元財務大臣達は「マクロ経済」という言葉さえ知らなかった。

これでは官僚天国も続こうというものだ。


人材が乏しい、政権担当能力がないとして福田康夫氏と大連立を模索した小沢一郎氏の懸念はあたっていた。


難攻不落の城を前に手勢はわずか。

しかし、戦略を練り、有効な戦術をとれば成果を上げられる。

やみくもに本丸を目指すは愚策であろう。


記者クラブの有名無実化、NHKの政治からの独立、財務省の解体等やるべきことは多い。

市民レベルでは公正・中立ではないNHK視聴料の不払い運動も有効と考える。


既に私などは受信契約を解約してテレビそのものがない。

しかし、社会の情勢に通じていられるのは今のテレビに情報発信能力が無かったと言うことだ。


新聞購読を解約することも敵にとっては痛手であろう。

ゼネストや不買運動等あらゆる手段で敵を追い詰めなければならない。

相手の一番嫌がる一手を打つ。これが戦術というものだろう。


当然こちらにもリスクはある。


ドラマでの侍の斬り合いをイメージしてみればよい。

刀の長さ以上に離れていてはどんな達人といえども相手を倒せはしない。

自分も倒される距離まで近づかなければ勝負は永遠に続くだけだ。

永年にわたってデフレから脱却できない経済情勢。

ゼロ金利政策で経済が活性化するとして進められている怪しげな経済運営。

さらにこの状況下での消費税増税。

さらに加えて、TPP。


このままでは日本は崩壊する。

中堅といえどもバタバタ倒産する。

自殺者はこれからも増えるだろう。

この期に及んでリスクがどうとか言っている場合ではない。


開発途上とも言われる中東ではみな命を懸けて闘っている。

日本はあまりに能天気ではないか。


御身大切にといいながら、自分を追い詰める敵にさえ声援を送り続けている。

これでは社会は何も変わらない。


デザイナーというか、コーディネーターというか、プロデューサーというか真の戦略家が必要である。


最も適任と思われるかたは政治の先頭に立っていただきたいかたでもある。大いに悩む。


しかし、究極の選択を迫られれば、私は全体を指揮する方に回っていただきたいと思う。

それほどに重要なことである。


敵は巨大な霞ヶ関であり、赤坂である。

永田町での政治に加えて市民組織や無名の人々をも動かさなければ革命は成功しない。

選挙だけでは民主政治は守れない。


これは無血革命だ。








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福島を忘れる日本人/ルモンド紙 Japanese forgetting Fukushima



12/19/2012 Le Monde


Japanese forgetting Fukushima (December 18). / Le Monde


The nuclear power generation tragic incident that happened in Fukushima is already forgotten,

and will you be moving to a new stage at time? The time is irony. An international conference

about the safe reinforcement of the nuclear power generation by the International Atomic Energy

Agency (IAEA) chose the Liberal Democratic Party where open , the Japanese strongly promoted

re-operation of the nuclear power generation as the ruling party in Japan.


It is such a sudden change of Japan, and there is a thing to stare wide-eyed at.

Japan which prepared for a breakaway from nuclear power generation until the night of Saturday

begins to move in a direction operating 48 stopping nuclear power plants again since the

Liberal Democratic Party government was born on Sunday. The turn of this 180 degrees worries us.

The large-scale nuclear plant accident that happened in Fukushima in March,

2011 exposed the serious malfunction that the safety management system of atomic energy

facilities contained based on broad daylight. And the double security risk called an earthquake

and the tsunami which Japan has still is just ignored. All the nuclear power generation in Japan

is installed along the shore, and three of those are built on an active fault.


●source article: "People / Le Monde (December 18) (Gregoire Allix,≪On oublie Fukushima≫,

Le Monde, 2012.12.18) forgetting Fukushima"



福島を忘れる日本人/ルモンド紙(12月18日)


福島で起きた原発惨事は既に忘れられ、時は新たな段階へと移りつつあるのだろうか。時間とは皮肉なものだ。

日本国内で国際原子力機関(IAEA)による原発の安全強化に関する国際会議が開かれるさなか、

日本人は原発の再稼働を強く推進する自由民主党を与党に選んだ。


日本の豹変ぶりには目を見張るものがある。土曜日の晩まで原発からの脱却を準備していた日本は、

日曜日に自民党政権が誕生して以来、停止中の48基の原発を再稼働する方向で動き始めている。


この180度の方向転換は私たちを不安にさせる。2011年3月に福島で起きた大規模な原発事故は、

原子力施設の安全管理体制が内包する深刻な機能不全を白日のもとにさらした。


そして日本が抱える地震と津波という二重の安全リスクは今もそのまま放置されている。

日本国内にある原発は全て海岸沿いに設置されており、そのうちの3つは

活断層の上に建設されているのである。


●source article:「福島を忘れる人々」/ルモンド紙(12月18日)

(Gregoire Allix, ≪ On oublie Fukushima ≫, Le Monde, 2012.12.18)



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ドイツZDF「フクシマの子供たちの放射線障害」

http://www.youtube.com/watch?v=kzXPwvcRWhA

http://kingo999.blog.fc2.com/blog-entry-991.html


ドイツZDF フクシマのうそ

http://www.dailymotion.com/video/xpisys_yyyzdf-yyyyyyy_news#.UON7jGwz18E


ドイツZDF 「フクシマは今でも時限爆弾」

http://www.youtube.com/watch?gl=JP&v=sqCDtZQTCgE&hl=ja


ドイツZDFテレビ「福島原発労働者の実態」

http://www.youtube.com/watch?v=aAE-QBmC1VA


ドイツZDFハーノ記者「被災地は置き去りにされている」

http://kaleido11.blog111.fc2.com/blog-entry-1183.html


ドイツZDF「放射能ハンター」

http://www.youtube.com/watch?v=PtorYF4j9SY


ドイツZDF「放射能汚染した福島」

http://www.youtube.com/watch?v=yWDSn-dvLeg


ドイツZDF-Frontal21 福島原発事故、その後

http://www.youtube.com/watch?v=4S1bTmrILgs








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Disaster Recovery



記録の保存、この古くて新しい問題が今また注目されています。

津波で壊滅的被害を受けた自治体では庁舎そのものがなくなり、行政サービスの著しい低下をきたしています。


戸籍は法務省にコピーがあるようですが、それ以外のすべての記録を失った状況で、

どうやって市民生活を安定させるのか実に心配なことです。


パソコンを使うようになったとき、皆さんは考えなかったでしょうか。


  故障で記録が消えてしまうのではないか

  紙に書いて保存しておく方が安心できるのでは?
  


当時は「disaster recovery」という言葉は知りませんでした。

それでも、心配性な私は「機械は壊れるもの」との前提に立ち、

データをパソコン内部のメモリーに入れるということはせず、FDに書き込み、

さらにそれの予備まで用意しました。


今は外付けHDDに代わりましたが、考え方は同じです。

データは必ず、3台の外付けHDDに手動で保存しています。  


情報処理の環境、技術の進歩は目を見はるものがあります。

が、歴史の検証を受けていない技術など、端から信用してはいけないと考えています。


便利さが失われたときどうするのか、常にその事を考えながら使わないと痛い目に遭います。

リスクマネージメントということです。


昔の商家は商いの記録を大福帳にしていました。

転居の際、処分してきましたが、我が家にもたくさんありました。


商家の造りは通り庭があり、そこに必ず井戸があります。

火事の際は大福帳を井戸に投げ込んで逃げるのだそうです。

鎮火したあとで大福帳を引き上げれば家屋を失っても売掛金という財産は残るというわけです。


和紙に墨で書いたものですから、乾かせばいいだけのことです。昔の人の知恵です。


「和紙と墨」現代ではすっかり影の薄い存在ですが、万葉集や古事記等が残っていることを思えば、

保存性は21世紀の今になっても、なおそれを超えるものはありません。


無論、この時代「和紙と墨」で多くの情報を扱うことはできません。

どんなハイテクでも津波に流されるのは同じ事です。


そこにこそ、ネットワークの意味があるのではないでしょうか。

現代の技術では遠隔地にデータを保存することも可能です。


災害協定を結んだ遠隔地にサーバーの管理をお願いすることや、

コンピュータ産業が用意しているサービスを利用することが検討されるべきと考えます。

大きな市では中央と支所を回線でつないでいることを思えば、ハードルは高くないように思われますが・・・


当然、リスクはあります。情報漏洩も懸念されます。しかし、情報漏洩はいつでも起こりえます。


大切なことは最も起きて欲しくないことは何なのか、

それを避けるためにはどうするか、ということです。









※ ディザスタ・リカバリ

【英】disaster recovery

ディザスタ・リカバリとは、システムの運用体制の一種で、災害(disaster)の発生によってシステムやデータが致命的な被害を受けた際に迅速に復旧(recovery)できるよう準備されている体制のことである。

ディザスタ・リカバリは、地震やテロリズムのように大規模な損害を被る事態が想定されている。そのため、システムを多重化するだけでなく、多重化されたシステムを遠隔地に設置するなどの措置がとられている。行政機関や銀行のような、社会生活において重要なシステムを運用するために重要な対策として認識され始めている。









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外国人労働者


家から2㎞ほどのところに深夜までやっているスーパーがある。

たまに、すれ違った若い人たちの言葉がわからないことがある。

耳が衰えたかと思ったがそうでもないようだ。


んっ、日本語じゃない?アジアの顔は区別がつきにくい。

時間帯によっては、すれ違う人の1割ほどが非日本語だ。

中国語、韓国語はなんとなくそれとわかるが、それ以外はまったく???だ。それにしても多くなったものだ。


義兄の会社にも中国からの研修生がひとりいた。

この若者は文字通りの研修で、建設業のノウハウを学ぶのが目的だった。


3年ほど在籍し、帰国してからは自分で会社をおこし、義兄の会社とは今も交流があるという。

しかし、これはまれなケースで、よくいう「外国人労働者問題」というときの外国人労働者ではない。


少子化が進む中、社会は外国人を雇用しようと躍起になっている。私は反対だ。大反対だ。


誤解のないようにいっておくが、外国の人が嫌だとかいうのではない。

むしろ、おおいに交流すべきと考えている。いや、もっと過激かもしれない。

いつの日か、国境などというものはなくなって欲しいとさえ思っている。


だからこそ、短兵急な、しかも身勝手な雇用に走って欲しくない。

いま進められようとしていることは国際交流、文化交流などと言えるものなのだろうか。


政府は建前として高度な技術を持った人材をという。

しかし、社会の高度な人材に対する要求は低く、単純な労働力に対する要求が多い。

それがこの国の実態だ。要するに奴隷が欲しいということだ。


利益の追求しか眼中にない人々は外国人労働者を雇用することの問題点など考えようともしない。

社会にどんな状況が生まれるのか考えようともしない。まして、外国人を知ろうともしない。

ただ、安い労働力としか見ていない。奴隷売買と何ら変わらない。


食べ物、宗教、その他何もかも異なる価値観をもった人々が、いきなり隣に現れるということだ。

彼らは日本の社会に溶け込まない。溶け込んで欲しいと思うのは日本人の傲慢だ。逆の立場で考えるべきだ。


私も外国で暮らすことになれば、その国を理解しようとはする。

が、自分の生活様式、価値観まで棄てるつもりはない。


しかし、島国根性の日本人が異なる文化をもった人々と摩擦無しに暮らせるとは思えない。


「受け入れてみなければ始まらない。何事もやってみないと・・・」と、いう人もいる。

確かに、それはその通りだ。

しかし、やってみました。駄目でした。元へ戻しましょう、というのだろうか。

日本で生活基盤ができ、子どもも生まれ、そんな人々にいったい、何処へ戻れというつもりなのか。

軽い考えで進めて良い話ではない。


私が懸念することを以下に挙げてみる。



    日本の社会であたりまえのようにされている行政サービスについて彼らをどう位置づけるのか。

    低賃金の彼らにとっての高いコスト負担は家族が適正な教育、医療を受けられない状況を生む。

    行政コストの未払い問題は社会保障の問題を今以上に難しいものとする。


    滞在者が就労斡旋事業の組織を作り、滞在者を支配する。

    なかには怪しげなものもできる。被搾取の被害も出てくるだろう。

    すでに「蛇頭」というのも報告されている。そこには行政のチェックが及ばない。

    社会が二重構造化する。 


    
    生活基盤ができたら彼らは帰国しない。

    やがて必ず、その家族をも受け入れることになる。


    日本で結婚して家庭をもつ。日本で生まれ育った子どもをどう扱うのか。

    失業した場合、母国語を話せない子どもが日本に残る可能性がある。その対応は?


    
    日本で生まれた子どもの就学について社会はどう対応するか。

    非就学児ができてしまうことは格差社会を作ることにつながるだけでなく、

    全体の労働環境悪化や地域の安全にも悪い影響を与える。


    社会の2層化が進む。


    低賃金労働への就労は日本人との生活レベルの格差が大きく、それが起因して地域への融合を妨げる。


    会話能力不足から日本人との意思疎通がうまくできず、双方の不信感がさらに融合を困難にする。


    劣悪な職場環境が温存されてしまう。


    低賃金では、やがて日本の生活を維持できなくなる。

    仕送りもさることながら、日本で稼げると信じて莫大な費用を捻出してきている人々が

    暮らしに行き詰まることがあれば、社会の不安定要因になる。



思いついただけでも、様々な問題がある。

社会は受けとめる覚悟と、準備ができているのだろうか。

自分たちも変わらなくてはいけない。「嫌なら出て行け」とはいえないのだ。


あらゆる問題点を検証し、想定外のことがおきても、

自分たちの問題と捉えられる覚悟があればよいのだが・・・・

拙速に進めれば、不幸な人々を作ることになる。

その時、誰が責任をとるのか。誰もとらないだろう。この国はそんな国だ。


外国人を犯罪者のように考えるのはやめろ、と言われるかもしれない。

しかし、貧困が犯罪を生む厳然たる事実を認識すべきだ。

人が悪いのではない。貧困が悪いのだ。格差社会をつくってはならない。


私は外国人排斥運動が起きて欲しくないのだ。

問題が起きてから対応するのではなく、問題が起きないようにするのも政だ。

政に「想定外」は絶対に許されない。


外国人労働者は、日本で生活する「生活者」であって、単なる「労働力」ではない。

日本人と同等に扱われるべきだ。

日本人と同じ基準で、その能力・識見を評価され、能力に見合った報酬・処遇が保証されなければならない。


経営者はそんなことは認められないというだろう。

利益追求の亡者どもは単に奴隷が欲しいということだ。


いま、少しだけ「在日」のかたがたも認められるようになった。母国語の名前を名乗るかたも出てきた。

まだ十分とは思えないが、ここまで来るのに何年の歳月が必要だったことか。

どれだけの苦しみを乗り越えられてきたことか。


叔父のおかげもあって、私は「在日」のかたがたの暮らしを傍で見てきた。

異国で生きるということがどれほどのことか、とても言葉で表現できるものではない。

そんな暮らしを知るだけに、安易に「安い労働力」などと語る人々には強い憤りをおぼえる。


外国人労働者が必要なら三顧の礼をもって迎えるべきだろう。

対等に付き合う覚悟と度量があるのか、私たちは試されている。






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耳をすましてごらん



古い小咄


耳の遠い親子の話。

親父さんが奧にいて店先の息子に声をかける。



   おぉい おおい


   んまにもう わるいとこだけ よう にてからに


   おぉい  あ やっと わかったか


   あのなぁ いま おもて とおったん あらぁ うらの げんさん ちごうたかな


   あの なあ い ま  お も て  とおっ た ん  

   あ ら あ  う ら の  げん さん ちごうたかな


   あぁあ なに ゆうてんねん いま おもて とおったん あらぁ うらの げんさん でっせ


   ああ そうかぁ わし また うらの げんさん かと おもうたわ


 $%&#&%%&#$%$??




鶴来町に住む私の姉も幼いときに中耳炎を患ったことで片方が聞こえづらいようだ。

向こうを向いているときに話しかけてもいっこうに気付かない。


「ほら、叔父ちゃんなんか言うとるよ」


と姪や甥たちがサポートするということはよくある。


こういう私も何年も前から耳の中に蝉を飼っている。一日中、「ジ--- 」と鳴り続けている。


ドクターの話では聴力には関係なく加齢によるものとのこと。

気にしだすと余計に大きくなるようで今はあきらめている。

音楽を聴くときの障りになるかと心配していたが、

実際はそんなものでもないことがわかってホッとしてもいる。


それにしても音楽を聴くときの耳は実に不思議なものだ。


同じCDであるのに聴き込んでいくと今まで気付かなかった音が聴こえるようになってくるから不思議だ。

ひとの声にも楽器にもそれは言える。

「まさかぁ・・」と思われるだろうが、これがあるので息の長い趣味になる。


もっとも、2度や3度 "通し" で聴いたくらいでは違いはわかるものではない。

ポイントは同じ箇所を繰り返し聴くということだ。それも別の演奏者を聴くことが大切だ。


この演奏者ならどう表現するだろう・・そんな思いで聴いていると、演奏者の息遣い、

指の動きまで見えてくるようになる。

やがて使用している楽器独特の音まで認識できるようになる。


私が特別に耳がいいわけではない。絶対音感があるわけでもなく、至ってどこにでもいる平凡な人間だ。

どうしてそんなことになるのか。一言で言えば音楽が好きだからだ。

音楽を聴くときの集中力が半端ではないからだ。


「火事場の馬鹿力」という言葉がある。

日頃は持てるはずもないような重たい箪笥でも必死になると一人で運べるというあれだ。


学者によると、人間は日頃、能力のすべてを使っているわけではないそうだ。

そんなことをしたら体が壊れる、それで無意識に制御しているとのことだそうだ。

体験的に言えることだが、聴力にも似たようなことがあるのではないかと思う。


日頃は耳に入ってくる音を聞いている。必ずしも聞きたい音というわけではないので、

状況さえ理解できればいい。潜在意識でそう判断している。


しかし、空気の超微細な振動をもキャッチしたいと願うとき、

耳は鋭敏になり楽器の善し悪しまで峻別できるようになる。

要は聴きたい気持ちが強いとき、はじめて演奏会場の空気が伝わってくるということのように思う。


ピアノフォルテの音はハンマーで叩かれた弦だけの音ではない。

共振している他の弦の音でもあり、共鳴している胴体の音であり、さらに床や会場の音でもある。

聴き込んでいくとその音がわかるようになる。


眼というのはしっかり見ているようでも実はかなり怪しげである。

映画のフィルムは1秒間に24コマしかない。それでも自然な動きと認識してしまう。


1秒間に48コマ流し、そこへ1コマだけ無関係な映像を入れても人間はそのことを認識できない。

潜在意識下には刺激はちゃんとあるわけだが・・・それほどに眼は怪しい。


               "サブリミナル効果" の危険性もここにあるわけで、

              言論統制の時代にあっては最も警戒すべきことである。

                      (テレビは見ない方がいい。「原発は安全」「原発は必要」

                       というテロップが入れられている可能性も考えておかねば・・) 


それに比べると耳の情報分解能は奥が深い。

そうでなければ人類は外敵から身を守ることは出来なかったろう。

ただ、その能力が発揮されればということだ。


言いたいのは、見えているもの、聞こえているものが本当にすべてなのか、ということだ。


私たちの感覚は結構いい加減だ。自分の要求する姿勢で鈍感になったり、鋭敏になったりする。

聞きたくないものは耳に入っていても聞こえないのだ。


もしかすると私たちは人生の半分も実は見えていないのではないだろうか。

聞こえていないのではないだろうか。


ものがそこに「有る」あるいは「無い」という基本的なことも

実はこちらのあり様で決まっていくとしたら、

哲学する心もかなり怪しくなってくる。


今一度、全感覚を全開にして見、聞き、しないとまったく違った "真実" を見ていたことになる。


ひとが発する声、叫びは聞こうとしないひとには聞こえない。

聞きたくないひとには聞こえない。聞こえるひとでありたい。









      ♪ 耳をすましてごらん

     

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団扇(うちわ)

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                                米洗う 前にほたるの 二つ三つ  作者不詳 


        大蛍 ゆらりゆらりと通りけり      小林一茶






団扇が売れているという。

産地は増産に大わらわだそうだ。

すでに骨材が底をついたという話も聞く。

無論、原発事故から来る節電騒ぎのためだ。

原発事故も思わぬところで夏の風物詩復活に寄与した形だ。


団扇といえば、幼い頃、七輪で火をおこすときパタパタとやらされたのを想いだす。

くすぶる煙が目にしみたことも今となっては懐かしい。


時代は変わって、今はIHでの調理だが、"焼き物" はやはり七輪の炭火に限る。

どうしたものか、電気と炭火とでは魚の旨味が違うような気がする。

熱に変わりはないのだろうが、熱線の波長が影響するのだろうか。


おなじ団扇でも骨材によって涼しさが違う。これは私にもわかる。

竹の骨はしなりがあって、風は自然の風に近いのに対し、

最近よくあるプラスチックの骨は下敷きで扇いでいるようで人工的だ。手首も疲れる。

形だけ真似てもやはりオリジナルにはかなわない。


この際、団扇だけでなく全体に昭和レトロな夏の過ごし方も再発見してほしいものだ。

浴衣がけで夕涼みもいい。

水で冷やした西瓜を食べながらの線香花火もいい。

夏ぐらいはスニーカーを脱いで下駄履きで過ごしてはどうか。


いつの頃からか世の中全体が季節を味わうことを忘れてしまっているように見える。

店先にはいつもおなじ野菜が並んでいるし、大根の旬など誰も知らない。

水羊羹は年中あるし、桜餅でさえいつでも食べられる。

日本はとても豊かになった・・・・・のだろうか。


季節の移ろいに鈍感になるのはもったいなくはないか。

四季折々の食べ物や、風物詩を楽しむ暮らしのほうがドキドキするものがあるし、

変化があって退屈しない。

「福梅」「金花糖」「桜餅」「葛饅頭」「氷室饅頭」が店頭に並ぶ日を心待ちにしていると

豊かな気持ちで暮らせるような気がする。

クリスマスケーキが年中あるような感じの暮らしはどうもいただけない。

サンタさんも落ち着かないだろう。


暑い夏を楽しまないで、暑さを忌み嫌うようにエアコンがんがんでは、そりゃあエネルギーも必要になる。

団扇でふわりふわりと風を送ることが季節を味わうことのきっかけになってくれればと思う。


あまりにも大きな犠牲なのだ。

何かひとつくらい寄与するものがあってくれないとやっていられない。



     ※福梅: 金沢を代表とする縁起菓子で梅の花を形取った紅白の最中。

            年末(12月半ば頃)から松の内の間に売り出される。

            加賀前田家の家紋である「剣梅鉢」を形取っている。


     ※金華糖: 煮溶かした砂糖を型に流し込み、冷やし固めて彩色した砂糖菓子。

              金沢では今でも婚礼やひな祭の時に出されることが多い。
                     


     ※氷室饅頭:  石川県に古くから伝わる和菓子。

                毎年7月1日の初夏に食べられる縁起菓子。

                江戸時代、加賀藩前田家は、毎年7月1日になると

                氷室の雪氷を幕府に献上していた。

                加賀藩5代目藩主、前田綱紀の時代、

                金沢のの道願屋彦兵衛の考案で饅頭が作られ、

                道中の無事を祈り神社に供えられた。

                この出来事が氷室饅頭の起源と伝えられる。

                7月1日は氷室開きの日(氷室の日)とされ、

                無病息災を願って饅頭を食べる習慣が残った。








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どんなパンを食べていますか

Img_01






臭素酸カリウムを使用するパン屋がある。


「ランチパック」シリーズのパンには品質改善と風味の向上のため臭素酸カリウムを使用しております。

残存に関しては厚生労働省の定める基準に合致しております。- 山崎製パン

http://www.yamazakipan.co.jp/brand/02_03.html


パン用生地改良剤である臭素酸カリウムの安全使用について - 山崎製パン

http://www.yamazakipan.co.jp/brand/pdf/foodchemical200410.pdf


中央研究所発表の研究論文「食パン中の残存臭素酸量の低減」- 山崎製パン

http://www.yamazakipan.co.jp/brand/pdf/syokuhinkougakkaishi2.pdf


ヤマザキ

http://www.yamazakipan.co.jp/index.html




そもそも臭素酸カリウムとは何?


【臭素酸カリウム potassium bromate】 


化学式KBrO3。無色三方晶系の結晶。融点370℃(分解を伴う),比重3.27(17.5℃)。

水100gへの溶解度3.11g(0℃),49.75g(100℃)。エチルアルコールに難溶,アセトンに不溶。


融点以上でしだいに酸素を放って分解し,臭化カリウムに変化する。


水溶液は強い酸化剤で臭素酸塩滴定に用いられ,

容易に再結晶できるため,酸化還元滴定における標準物質となる。


水酸化カリウムの水溶液に臭素を加え,煮沸したのち冷却し,分別結晶によって,

副生した臭化カリウムを分離したのち,水溶液から再結晶して製する。


臭素酸カリウム

http://www.fsc.go.jp/sonota/factsheet-kbro.pdf

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AD%E7%B4%A0%E9%85%B8%E3%82%AB%E3%83%AA%E3%82%A6%E3%83%A0


国際化学物質安全性カード

http://www.nihs.go.jp/ICSC/icssj-c/icss1115c.html




パン工業界は・・・・・


パン生地改良材(臭素酸カリウム)の安全使用について    日本パン工業会


 臭素酸カリウムは、欧米及び日本のパン業界で小麦粉改良剤として長年にわたって使用されてきた

食品添加物です。

ところが昭和57年、臭素酸カリウムの安全性の問題が指摘されたことにより、

わが国では食品衛生法の使用基準を改定して、許容使用量を減らすとともにパンにのみ使用を認めました。


日本の製パン業界では、臭素酸カリウムの使用が認められていますが、厚生省の要請を受けて平成4年以降、

臭素酸カリウムの使用を自粛してまいりました。その代替品としてビタミンCを使用してきておりますが、

ビタミンCではパン生地物性の改良やパン特有の風味を生み出す発酵改良効果などにおいて

不十分なところがありました。


 臭素酸カリウムの使用の是非に関する科学的な根拠を求めて、鋭意研究を重ねた結果、

高精度のパン中の臭素酸カリウム残存量の分析技術を開発しましたが、これが厚生労働省の公定法となりました。

最近では分析技術は更に精度が高められておりますが、

角型食パンにおいては臭素酸カリウムが完全に分解されて残留せず、0.5ppbの検出限界で

検出されないことが確認できました。


また、山型食パンでパン中の残存量を大幅に減少させ、

臭素酸カリウムのパン生地改良効果を最大限に発揮させる技術が確立できました。


そこで、臭素酸カリウムを使用する製パンメーカーは、(社)日本パン工業会科学技術委員会小委員会の管理下で、

適正製造規範(GMP)に準じた自主基準を遵守して角型食パンに限って使用を再開することになりました。


 なお、厚生労働省のご指導により、お客様には商品選択に資するように商品には臭素酸カリウム

使用の旨を表示しております。

http://www.pankougyokai-subc.jp/safety.html


パン生地改良剤(臭素酸カリウム)の角形食パンに関するQ&A    日本パン工業会

http://www.pankougyokai-subc.jp/q&a.html




使用に批判的な意見も・・・・・


臭素酸カリウムについてのQ&A   日本生協連安全政策推進室

http://jccu.coop/food-safety/qa/qa01_03.html#menu


【臭素酸カリウム。EUでは使用禁止】パン生地改良剤として使われる発がん性物質。

ガンガン使う会社=山崎製パン「無添加でいいもの作れるはずないだろ!」と社長。

2009/9/30 My News Japanより。

厚労省は「残留しない条件で認める」FAO/WHO「100%除去が保証できない」

・・・「検出されない」は「残存ゼロ」ではない

http://enzai.9-11.jp/?p=9918


臭素酸カリウムの発がん性について (財)佐々木研究所 黒川雄二

http://www.sasaki-foundation.jp/rireki/kenkyu.html


(財)佐々木研究所

http://www.sasaki-foundation.jp/




こんなパン屋も・・・・・


臭素酸カリウム不使用について - 神戸屋

http://www.kobeya.co.jp/fresh_pure/index_fp6.html


神戸屋

http://www.kobeya.co.jp/index.html


臭素酸カリウム不使用について - Pasco

http://www.pasconet.co.jp/company/feeling/material02.html


Pasco

http://www.pasconet.co.jp/




あなたはどんなパンを食べていますか。








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デッキのある家

1998301


わが家を新築したのが98年の3月。

県の河川改修事業に協力するかたちで鶴来町より転居したものだ。

500戸はある新しい住宅団地の中にあってもひときわ目をひくユニークな造りといえるかもしれない。


公園に面した側は家の長さいっぱいにとったひさしの深いデッキ。

そこが玄関にもなっているのだが家の側面へスロープで降りられるようになっていて

足の不自由なかた、車いすのかたを想定した造りになっている。


「すべてのひとを迎え入れる家」とした家づくりの基本コンセプトは

形としての家だけではなく、多くのひととの出会いの "場" をねがってのことでもある。

人生は出会いからはじまる。それを形にしたかった。


公園に面していることもあってたちまち注目の的となった。


「なかはどうなっているんや」


「いっぺん はいってみたい」


こどもたちは思ったままを口にしてくれるのでわかりやすい。

デッキのベンチを公園の延長ととらえているのだろう。

何人かこしかけてゲームなんかしている姿をよくみかける。


「雨の日はここ使ってください」


そういってご近所の幼児の運動場に解放しているのだが、

日ごとに力強さを増していくヨチヨチ歩きの音は2階の部屋で聞いていておもわずこちらの顔もほころぶ。


きのうなどは見かけないお顔の来客があった。

こちらからカーテン越しに見ていることなど気にとめる様子もなく足を投げ出してお昼寝をしている。

どうも自分のエリアと決め込んでいるふしがある。

事前のことわりはなかったはずだが「千客万来」ってことで、ま、いいか。


多くのひととの出会いのために作ったスロープだったが、

そこから車椅子の母を連れ出すことになろうとは思いもしないことだった。


07年の晩秋、突然に末期癌を宣告され病院通いが始まった。

スロープがなければ車椅子の人間を私ひとりで車に乗せることなど到底できることではない。

パニックになっていたろう。


おだやかに晴れた昼下がり、車椅子のまま散歩に連れて行くこともできた。

私の人生で最もきびしい時間であったが最もしあわせな時間でもあった。


すべてのひとを迎え入れる家はほかでもない私たち自身を迎え入れてくれる家であった。


きょうも手をふりながら行き交うこどもたちの笑顔があった。

そんなおだやかな街のなかにデッキのある家は建っている。






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手袋をしていませんか



    おやくにんさまぁ  お おねげぃで ごぜいやす おねげぃで ごぜいやす


    えぇぃ はなせ!


    そんでは おらたち ひゃくしょうは いきていけねえだ おねげぃで ごぜいやす


しかし、役人は稗や粟も満足に食っていないというその百姓の言葉を嘘と見破った。


    た たわけ!  


(あれ! 台詞が違う アドリブ?)


    カット! カット!



監督も役人も吹き出して止まらない。

百姓は昼ご飯をかき込み、急いで出番に駆けつけたのだ。

稗や粟も食っていないという水呑み百姓の口から弁当のご飯粒がこぼれてはまずい。

実際の役人でなくとも嘘は見破れる。


が、簡単な事を見破れないひとも多い。

浜岡原発を止めた菅某の言葉は実に老獪だ。


まず、これは命令ではなく要請である点だ。

結果について政府として責任はとりませんよ、と断っているのだ。

その及ぼす効果たるや重大なものがある。

にもかかわらず、「最終決断は電力会社でなさったんでしょ」ということだ。


廃炉を政府として命令したなら評価されてよい。

しかし、言ったのは防波堤の工事が完了するまでの一時停止に過ぎない。

これは原発政策継続を宣言したと解釈すべきで、反原発市民運動の人々が喜んではならないことである。


反対派を黙らせるために力でねじ伏せる手法をとる人間は最近ではあまりいない。

たいていの場合は軌道修正を装う。商売でいうなら「負けてくれる」わけだ。

値引きされて喜んでいる愚かな消費者はそれでも十分すぎるほどの利益を上げている

ことなど疑ってもみない。


もっと賢くならなきゃ!! 周りには悪い人がいっぱいいるんですよ。


これだけの事故が起きたのだ。再生可能エネルギーについて異論のある政治家などいるわけがない。

「脱原発」を掲げて政界再編を・・・と反原発のジャンヌダルクを装っても馬脚が現れているのだ。


ついこの間まで、我が国は原発推進で行くのだと言い、輸出に前向きだったのは彼自身ではないか。

「脱原発」が選挙の争点になどなるわけがない。正面から原発推進と言い出す政党などあり得ない。

あり得ないことを承知で大見得をきってみせる。まさにペテン師の真骨頂と言うべきだろう。


原発政策は自民党時代に始まったわけで、菅内閣だけに責任があるわけではない。

しかし、事故対応については明らかに菅政権の失態である。

真相の隠蔽、国民を騙す会見は憲政史上例を見ないほど悪質な政府である。


とりわけ住民の避難を確認しないまま行なったベントは「未必の故意」にあたり、

刑事罰をもって糾弾されなければならない。住民被害は甚大だ。


浜岡原発は目くらましに使われた。

ひとびとは浜岡を止めた菅某を何故評価したのか。


地震の被害が想定されるからだという。 ???  そんなんで納得してていいのか。

福島原発事故が地震の確率0.1%の所で起きたことを忘れていないか。


これは日本中すべてが危険地帯であるということだ。

浜岡より先に地震に見舞われる所も無いとはいえない。現にあった。


大きなものに注意を向けさせ、それに対応してみせる。いかにも脱原発を演出してみせる。

これは典型的な政治パフォーマンスでしかない。他の原発はお構いなしではないか。

そんなことで政治家を評価していたら気づいたときはこっちの首が切り落とされているだろう。


しっぽが出ていないか、毛むくじゃらな手を隠す手袋をしていないか、眉につばをつけて見極めねばならない。

もう一回いう。もっと賢くならなきゃ!! 周りには悪い人がいっぱいいるんですよ。


大阪の商人T氏がよく口癖のようにいっていた。


「あんたらみたいに ひとのいいこと ゆうてたら しまいに しりの 毛まで ぬかれまっせ」


都会にあるメディアはさかんに「絆」、「絆」と叫んでいる。

ひとを馬鹿にするのもいい加減にしろと言いたい。

さんざん危険なものを押しつけておいて、いまさら絆とはよく言えたもんだ。

原発企業の資金でたらふく肥えたメディアどもがいい子ぶるのは止めてもらいたい。


日本の民主主義もメルトダウン状態にあるようだ。






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Wink










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一見(いちげん)さんお断り



永六輔氏が「一見さんお断り」の話をされていた。

京都で評判の割烹だったかに予約の電話を入れたところ、

 


   お昼何を召し上がられましたか


   朝は何を召し上がられましたか


   夕べは何を召し上がられましたか



散々聞かれたという。

先に召し上がったものと重ならないように用意させてもらいます、とのことだったようだが、

気の短い永氏は途中で電話を切ったという。


その後、祇園の料亭の主人に「一見さんお断り」の理由を教えられたと語っておられた。

「一見さんお断り」と聞けば、「何お高くとまってんだ」となるようだが、

もてなすということに対する料亭の真摯な姿勢があってのことだという内容だった。


   お客さんの好みをわからいでは自信をもっておもてなしできません。


   お客さんの好みに合わせ、お客さんが心から満足できるよう最善を尽くす、これが仕事やと思います。


   どういうおかたかわからぬままに用意するなんて不安でならんでしょう。


   宣伝して大勢のお客さん呼んで、ちゃんとしたおもてなしができるんですかね。



いのちがけで仕事するということはこういうことなのかと思い知ったという。



そういえば母も呉服屋さんにお客さんのことをよく尋ねていた。

寸法だけでなく、何を仕事にしているか、

趣味は何か等およそ着物の仕立てに関係なさそうなことまで尋ねていた。

姿や動きがイメージできないと仕立ても出来ないという。

ただ形になっていればいいというのでは着にくいという。


最近では東南アジアで浴衣を縫製していると聞く。

確かにそうでなければ帯、下駄、はては団扇までつけて5000円で出来るとは思えない。

母などは仕立代だけで2万円とっていた。


どの道も「良いもの」を作るというのは奧が深そうだ。


ということは "ものづくり" は やはりオーダーが基本だということか。

お客のひととなりを受けとめてこそ、「満足」を提供できるという言葉は、

大量生産で潤ってきたこの社会に対する静かな抵抗であり、

原型だけ作り、あとは弟子にまかせている一流パティシエに対する痛烈な皮肉でもある。


お客の顔を思い浮かべながら、工夫や努力を重ねてきたことが「文化」を築いてきたといえるのかも知れない。

ものを中に置いて作り手と受け手がこころを通い合わす、"手作り" とはこういうことなのだろう。


日本人の暮らしを知らない外国の人が作る "日本" は決してお客の欲求を満たしはしない。

コスト優先で作る仕事はたんなる産業でしかない。








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映画づくり



私は5年前、母が亡くなったのをきっかけにテレビの契約を解除した。

観たいと思えるものがなくなったからだ。

テレビが嫌いなわけではない。叔父の肩車で街頭テレビをみて以来テレビっ子であったともいえる。


しかし、幼い日に電気屋の店先でみていた「テストパターン」や「番組のお知らせ」ほどに

私を引きつけるものを探そうとしても、現在のテレビ界にはそんな怪しいまでの魔力を秘めた

番組などどこにもない。


視聴率の呪縛から抜け出せないテレビは魔力を失い、スポンサーが魔力をもちだした。

作品をサポートするスポンサーではなく、スポンサーをサポートするテレビになってしまった。



近年、といってもハイビジョンの試験放送の時だからかなりたつが、

私を小学生の頃にタイムスリップさせてくれる放送があった。


ひとつは東南アジアとおもわれるが、幼い女の子が学校から家まで帰るという、ただそれだけの映像だった。

ナレーションもない、音楽や効果音もない、実にシンプルな映像だ。


ところが、これが実にいい。からだに似合わぬ大きなかばんをかついで、あちこちで道草をしている。

女の子の目に映るものはすべてが新鮮だ。道すがら出あう家畜や小川の生き物たち。

いつしか私も女の子になっていた。


もうひとつは東京近郊の鉄道の映像だった。これもナレーション、音楽等いっさいなし。

列車の先頭にカメラを置いただけという、これ以上のシンプルさもないだろうと思える映像だ。


今どきの鉄道ファンにとっては物足りないかもしれない。車両全体の姿は映らないのだから。

ただひたすら前方に流れる線路が映るのみだ。観ているほうはすっかり運転士である。


手元にあったお茶がすっかり冷たくなっていることも忘れて見入っていた。

"見る楽しさ" "映像文化の本質" をしっかり捉えた内容だった。


今のテレビが演出が過ぎて、例にあげた放送に演出がないのか。

そうではない。女の子も鉄道もしっかりとした演出がつくりだした映像だ。

では、何が違うのか。



私は "人間をみるまなざし" であるように思えてならない。

最近のテレビに物足りなさを感じるのはこの "まなざし" のなさである。


ストーリーだけを追っかけているような作品では登場人物の行為のみが大切なわけで、

屈折したこころの有り様やその原点がどこにあるか考える必要はない。

表面的な謎解きにのみ視聴者の関心が集まってくれればそれでよいのだ。


人間の上っ面しかとらえようとしなければ作品は淡泊なものとなり、味わい深いものになどなるわけがない。

これでは作り手のメッセージがまるで伝わってこない。

いや、そもそもメッセージなるものが込められているのかさえ観る側にはわからない。

見終わった後に何も残らない。


こういう人間の描き方は観る側の "人間観" "人生観" に強い影響をあたえる。

いつしかひとは他人の行為のみにしか関心を寄せない無機質な生き方をしてしまう。


そして、自分はドラマのヒーローであり、

妨げになる存在に対してはドラマの悪役を見るような、そんな目つきでしか人を見れなくなる。

こちらも、あいてもおなじ "ひと" であることを忘れて。



端役や通行人にまで神経を使っていたら今のテレビはつくれない、というのが現場の声かもしれない。

端役や通行人をどうとらえるか、どう位置づけているかは演出家の理念にとどまらず、

発信されるメッセージにも現れる。


作品は主人公だけで作れるものではない。台詞などない通行人もいなければ情景描写などできない。

実はこの風景としての大部屋役者たちの出来不出来が作品を左右する。


ピアノもハンマーで叩かれる弦だけで音が出ているわけではない。

叩かれていない弦も間違いなくピアノとしての音を出している。あれとおなじだ。


だからこそ黒沢は無名の役者の卵の歩き方にほぼ一日をかけた。

「七人の侍」の撮影現場での話だ。

そして、数秒のカットに一日中歩かされた役者の卵こそ、名優仲代達矢である。


台詞のある役者は台詞で表現できる。

しかし、端役や仕出しはそこにいるだけで風景にならねばならない。

売春宿の女将が御店のお内儀に見えては困るのだ。バーテンダーが銀行の頭取では酒場にならないのだ。


そんなクレジットにさえ出てこない大勢のひとびとの熱い思いが作品を作っている。

この思いを大切にしていれば観ている側にも伝わる。

逆に、粗略すれば小学生の学芸会になってしまう。



よく人生はドラマだといわれる。波瀾万丈の日々や思いがけない出逢いをいうのだろうが、

私はそれぞれの持ち場でそれぞれが主人公である撮影現場をイメージしてしまう。


誰が偉いとかそんなことは誰も言わない。

違って見えるのは脚本がそうさせているだけであることは皆がわかっている。

善人悪人は作品であって、カットを撮り終えればみなよき仲間である。

撮影所にいる全員が大切な仲間で、いらない人など一人もいない。


短い大学生活の中で京都ならではのアルバイトをした。映画のエキストラだ。

私が映画づくりの現場を知るのはそのせいである。


大映で「兵隊やくざ」「大魔神」がシリーズで作られていた頃だ。

マイクロバスで送迎され弁当付きで確か700円だった。

名の売れた人も大部屋の役者もない、皆が対等、大映撮影所はそんなところだった。



          ※[仕出し]

           映画に主役や脇役以外のその他大勢、つまりエキストラはつきもの。

           その中にあって若干の台詞もあるキャラクターが必要なわけで、これを仕出しという。

           大部屋の役者さんたちの仕事。







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桜の季節

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町内に住む友人が「いただきものですけど」と言って羊羹を持って遊びに来た。

あれこれ話すうちに「一休の詩」の話になった。


http://gravitational-wave.air-nifty.com/tobenaiposuto/2013/week19/index.html#entry-76444792


「ああ そうなんや 全然知らんかった」


「けど やっぱり清沢哲夫の方が落ち着きがいいね 文章として素直だし お子さんへの愛情が伝わってくるわ」


「それはそうと剱さん」


「うん?」


「これってどうして書いたがぁ? 

 パソコンって横書きばっかしやろ 縦書きの文章があってもいいと思うとったけど・・・どんなソフトや」


「いやぁ これは横書きなんや」


「横書き? 縦書きやがいね」


「うん 縦書きに見えるけど これは横書きなんや 禅問答みたいかも知れんけどね」


しばらくけげんそうな表情の彼女だったが、


「あぁ そういうこと?」


「うん そういうこと」


「あぁあ わたしも頭が固くなったわ」




私の住む井上の荘という住宅団地もご多分に漏れず、

各種の営業や宗教の勧誘のターゲットにされている感がある。

いつもはインターホン越しに断っているのだが、仕事に区切りがつき休憩中だったこともあり、

頻繁に訪れる、ある新興宗教のメンバー二人を中へ招き入れた。


「私は宗教を語るとき 専門用語を一切使わないことをモットーにしています

 お二人もそのおつもりでお話しください さあどうぞ」


まったく想定していない発言だったと見えて、とたんに言葉数が少なくなった。

「さあどうぞ」と、一応は聞く姿勢を見せている私へのアプローチに戸惑っているようだった。


それでも社会で起きている事への感想やなんかを話しだした。

やがて年上の女性が自分の子供について語り出した。


幼児期と違って、親の言うことを聞かない。口答えばかりして反抗的になる・・・ということだった。

子育てにほとほと手を焼いているという表情だ。


「唐突に思われるかも知れませんが・・・お二人は『桜の季節』っていうと いつとお考えですか」


女性たちは口をそろえて即座に


「そりゃあ3月下旬から4月上旬でしょう  年によって若干ずれるでしょうけど・・」  


「あなた、そりゃ『花見の季節』でしょ  私は『桜の季節』と言ったはずですが」

 

「・・・・・・・」


「桜は花が散っても桜ですよ


 夏には夏の 秋には秋の 冬には冬の いろんな表情がある それみんな桜なんですよ

 つまり 一年中『桜の季節』なんですよ  『花見の季節』が『桜の季節』というのは人間の身勝手です


 桜を育てると言うことは 土作りから始まって 苗を育て 水をやり 毛虫からまもり 堆肥を施し

 そうやって丁寧に丁寧に接してやらないと桜は育たない


 『花の季節』以外も全部好きになってやらないとね 


 お子さんは見透かしているのではありませんか  あなたが『花』にしか関心がないことを・・・」


女性たちは真っ赤な顔になり、恥ずかしそうにうつむいていた。

やがて無言のまま深々と一礼し、帰って行った。




人間はともすると、あらゆる事象を自分のフィールドで捉えようとする。

思い込みや自分の思慮の無さを忘れて、自分のフィールドに映ったものを真実と信じ込みたがる。


臓器移植ということが先に決まっていたのでは、死の定義も見えなくなってくるというものだ。

これは真理探究にとって大きな障害となる。歪められた「真理」は我々を隘路に導くだけだ。


人間が人間である以上、先入観や身勝手さなしに事象を捉えるのはそんなに簡単な事ではない。限界もあろう。

しかし、真実と自分のフィールドのギャップを極力小さくする努力だけは怠ってはならない。

それが勉強をするということだと思う。






追記


文字はどのようにも書ける。

縦に読めば意味が理解できるからといってその文章がお約束通りの順序で書かれたとは限らない。

「道」の文章は紛れもなく横書きで書いたものだ。


私の使っているメールソフトは横に書いていくしかできない。

いわゆる「縦書き」というスタイルにしたければ見たとおりを強引に左から右へと書くしかない。

正直これは骨が折れた。

結果、読む人が「縦読み」にしているだけのことだ。


物事の本質に迫るときはそうした部分に注意を払う感性、洞察力が必要だ。

でなければ私たちはいとも簡単に用意された答えに誘導されてしまう。








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世界のスタンダードになる平和憲法を!



「マニュアル人間」というと世間では手引書に従うばかりで

それに掲載されていない事態には対応できないひとをさす。それでもマニュアルは必要だ。

作業の安全管理や組織全体の一貫性のためにも重要なものだ。


人間工学や経営学的考察は専門家にまかせるとして、

永年製造工場に籍を置いて気がついたことを紹介する。


結論からいうとマニュアルは「作ること」に意味があるということだ。


大企業なら優秀な人材もあつまるだろうが中小・零細ではそうもいかない。

当然、仕事と向きあう意識にも従業員間で温度差が大きい。

そのことは品質のばらつきや安全作業の不徹底となって現れる。


わたしが入社した頃は企業再建を図るという次期であって、恥ずかしい話だが、

外科病院から毎年年賀状がくるという状態だった。


労災事故があればどんなに利益を出そうとも小さな企業はもたない。

まして再建中である。安全マニュアル、作業マニュアルの整備が不可欠だった。


首脳陣はマニュアルづくりを急ぎそれを工場に徹底させようとした。

しかし、わたしは意識改革が必要とし、時間がかかっても社内一丸となって進めることを提案した。

当事者意識を持ってもらうことが早道と考えたからだ。

一部の部署に負荷をかけ過ぎれば業務のバランスを悪くする。


押しつけられたものと違って当事者意識からくる改革・改善は効果的だった。

日毎に品質は安定してきたし、けがも少なくなった。

時期を見計らって「改革・改善」を冊子にすることにした。


ところが、冊子ができてしばらく経つとまた品質にばらつきが出始めたのだ。

どういうことか。
それはひとの意識の働きにある。


「創造」することは自身の主体性を発揮する行為であり自己満足も得られる。

それに反し「順守」することは何も考えずにいるということであって、ひとにとっては「苦痛」なのだ。


マニュアルの内容に問題があったわけではない。

マニュアルとの関わり方が変わった、そのことが問題だった。


マニュアルを順守するだけというのはつまらないことである。

無論、作業者に怠惰な気持ちがあるわけではない。

しかし、微妙に違うのだ。「さあ、これからマニュアルを作っていくぞ」と熱く語り合っていたときと。

ひとは充足感を感じ続けないと生きられないのだ。


「マニュアル」を順守するということが大事なのではない。

情熱をもって「マニュアル」をつくっていく、そのことが大事なのだ。


憲法問題でも同じことが言えると思っている。


戦後諸先輩が行なってきた「護憲運動」という姿勢に私は違和感がある。

もっといえば運動のあり方として間違っていると思っている。


マニュアルのことで触れたように「順守」という行為は「創造する」という行為と比較すると

熱が冷めやすいと言うことだ。無関心に流れてしまうと言うことだ。


民主的な国づくりに燃えていたまだ熱いうちに「もっと民主的に もっと民主的に」と

改訂版をつくる体制を作るべきだった。


反動的な勢力の芽が育たない空気を作るべきだった。

戦前の憲法よりも民主的なものができた。

しかし、よろこびのあまり育てることにもう一つ力が入らなかったのではないか。


朝鮮戦争に始まる東西冷戦構造がそれを許さなかったということはあるのだが・・・


この憲法づくりに携わった日米のリベラルな人々は決して燃焼し尽くしたわけではないと思う。

世界の何処にもまだない平和憲法をとねがった思いを私たちは成就させるつとめがある。








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Purple rain 

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Purple rain 


雨が美しい季節になるとそんな名のバラがあったことを想いだす。


色の表現はむずかしいものだが、むらさきっぽいバラだ。

市場にはじめて出たせいもあったのだろうが、香林坊の花屋にならんだときは1本1000円もした。

むずかしい病状に落ち込んでいる友のためにかなり思い切って3本買いもとめた。


見たこともないそのバラの色にひさしぶりの笑顔をみせてくれ、

ねえ、これって何んて色? と、花などには疎い私を半分からかうようにきいてきた。


えっ これ? え~ バラ色だろ


苦しまぎれの返事に友は大きな声で笑いころげた。

はいってきた看護婦までもが笑っていた。

友に笑顔がもどってきたのだ。3000円は高くなかった。




世の中にはさまざまな色のバラがある。

よく「バラ色の人生」というときの「バラ色」というのはどんな色を言うのだろうか。


だけど、これってどこがおかしくないか。

多くのバラにむかって「あなたはバラ色ではない」と宣告することになる。

バラとしての "be"を認めないということになる。

白や黄や深紅のバラたちから抗議されそうだ。


   「あたくしたち それぞれ バラでございますのよ」


   「かってにバラ色を定義なさらないでくださいまし」 と。


おなじことはリンゴにもいえる。

「りんごのようなほっぺ」といえば、寒さの中を走りまわる子どもの赤いほおをさすようだけど・・・・


   「おらたち 王林だってさ 青リンゴだってさ りんごにゃかわりゃねえさ」


   「リンゴは赤いもんだと かってに きめねえでくれっかや」




おもえば「○○○らしさ」「○○○らしく」という言葉が "にほんじん" は好きなようだ。


    男らしさ 女らしさ 若者らしく 学生らしく ・・・・

    

らしく らしく らしく と、ひとつの型に入ることをもとめる。

そして少しづつ「おおらかさ」や「のびやかなこころ」を削いでいく。


「かってに きめねえでくれっか !! 」








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脱原発で日本再生

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ただいまの時刻は・・・

水のごとくに  無文翁

「私」という宇宙

文言で語る世界      文言でしか語れない世界

そったらことも      わからいでかの

"さんづけ"を多用する社会

危険ゾーンに入ってきた

こうして戦争へ向けた世論が形成されていく

感じませんか

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ユニオンジャックのガラス窓

原爆許すまじ

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