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小出裕章氏と小沢一郎氏の対談

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お知らせ

2013年5月31日、小出裕章氏と小沢一郎氏の対談が、京都大学原子炉実験所で行なわれました。

小出裕章×小沢一郎  「福島第一原発を抑え込むために」  

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出会い___医療ということ




知り合いの母上が亡くなられた。肺がんだった。


一度お目にかかっただけだが、おっとりした、テレビ初期のホームドラマにでも出てきそうな上品なかただった。

昭和元年生まれということだから亡くなったこと自体は驚くお歳ではないかも知れない。


しかし、ご家族からお話をうかがい、いま私はもって行き場のない怒りを覚えている。


初めて病院を訪れて以来うつ状態になられていたという。

医師の言葉にショックを受けたことが原因らしい。



      ああ、これは末期の肺がんです。


      助かりませんね。よくもって半年でしょう。
  



診断結果を伝える医師はこう言ったという。

付き添われた長女のかたの話だ。

にわかには信じられない思いだが、本人に直接言ったというから言葉もない。


確かに、この問題は非常にデリケートなことではある。

しかし、医療側はこの問題から逃げてはいないか。

死刑執行について、ベルトコンベアで機械的にとの意見を述べた人間と同じ感性を感じる。


"こころの問題" というデリケートな世界には立ち入りたくない、

指針を示してもらえればそれによって行動したい、そんな医療側の本音が透けて見える。


メディカルマシーンの彼らには "こころの問題" を扱うだけの感性もなければ意欲、能力もない。


患者には自分の病状について知る権利がある。医療側がそれを拒むことは許されない。

だから医療側は後で訴えられないように告知という形で情報開示するのだという。


冗談じゃない !! 

これでは患者のためではなく、自分たちの責任逃れのための告知ではないか。

欧米かぶれの連中が訴訟社会のアメリカの悪しき論理に倣っただけのことではないか。

知る権利がある という事と 知る義務がある を混同していないか。 


ケースによっては、積極的に治療に専念していただくために病状をきちんと説明する必要もあるかも知れない。

ケースによっては、ご本人の人生を成就させるために残された時間を伝えることもあるかも知れない。


さまざまなケースがあり、一様にこうだという対応がとれるものではないはずだ。


しかし、どんなケースでも共通するのは医師と患者の信頼関係が必要不可欠だということだろう。

それなくして医療はあり得ない。

いきなりの告知は無謀極まりない。

あっていいはずはない。


無神経に告知をすることがその医療機関の方針というなら、そのことを社会に発信しておかなくてはならない。

患者側に選択肢があっていいのは当然だ。


告知がうつ状態の直接の原因であれば、これは医療行為などではない。

傷害罪が適用できる犯罪である。

悲しみに打ちひしがれた中で亡くなられたお母上はまことにお気の毒だ。

ご家族もどれほど残念なことであろう。




末期の胆嚢癌だった私の母の場合、病院は私たち姉弟にのみ告知し、母への告知は私たちに委ねてくれた。

後日、私は数枚の作文を書いて主治医を訪れた。

そして、主治医は私の台本にしたがって "嘘つき" になってくださった。「お腹に菌がいるんです」と。



亡くなる前1ヶ月半は自宅近くのホームドクターに診ていただいた。

主治医の先輩であるホームドクターには台本が引き継がれていた。

私は二人の医師を "嘘つき" にしてしまった。


家で看取りたい、この願いのためホームドクターやスタッフの皆さまには大変なご迷惑をかけてしまった。

ホームドクターは大型連休にも実家の岡山へは帰らず、医院で待機していてくださった。



                           
      剱さん、気にしないでください。


      私が当事者でも、やはり家で最後を迎えたいと強く思います。


      私も若い頃は医療を優先していたように思います。


      でも、今は患者さんのお気持ちがよくわかるようになりました。


      無機質なメディカルマシーンではなく、患者さんの側に立った医師でいたいと思います。


      ですから決して気になさらないでください



最後の日は日曜日ということもあり、早朝から来てくださっていた。

臨終を確認した直後、私たち家族は号泣する医師が神々しい空気に包まれているのを感じていた。   

   
本人はこころ穏やかな日々を自宅で過ごし、子や孫に見守られ、優しい先生に最後の瞬間まで診ていただいた。

これはこの時代奇跡に近いことかも知れない。








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Paternalism社会




     「住宅用火災警報器の設置が義務付けられます。

      改正消防法が交付され、 2006年6月から、

      すべての住宅、アパート、共同住宅に火災報知器の設置が義務付けられます」




こんな大げさなPRがなされ、消防法が改正された。

しかし、これはいったい何のための法律なのか、誰のための法律なのか、まったくわからない。

何も考えようとしない従順な市民は率先して従い、達成化率を競っていたりもしている。


     「国が決めたことだから(お上の言うことだから)」

     「アメリカでは、1970年代から、住宅に火災警報器の設置を法律で義務付けており、

      火災による犠牲者を半減することに成功している、そうだから」




んっ? 本当にそうか? 何かおかしくないか。

私は単なる景気刺激策にしか思えない。

業者の利益を図ることが先にあり、市民はだしにされているのではないか?

アメリカでは・・・といわれるとすぐに従順になってしまう議員や市民がいかに多いことか。


そもそも火災警報器とは火災を防ぐためのものではない。ここは大事なポイントだ。

防災の基本から言えば、火災を起こさないことが先に語られなければならない。


消火器の設置を論ずることが無く、いきなり起きてしまった火災についていうのは

消火器業界よりも家電、防災機器業界の陳情が功を奏したと言うことか。

まことに不可解な法改正である。

へそまがりはここでも産業界と霞ヶ関の癒着を疑ってしまう。


確かに無いよりはあったほうがいいとも言える。

しかし、消防署に直結していないシステムにいったい何を期待できるのか。


気密のよい住宅が増えてきている昨今である。

隣家にすら聞こえないものを火災警報器と認めることには強い違和感がある。

こんな中途半端なものが法令の対象になるとは審議をした議員たちの見識を疑う。


「シートベルト装着義務」と「住宅用火災警報器の設置義務」の背景に保険会社の影を

感ずるのは私だけだろうか。ともに Paternalism ※の典型であると思う。



               ※ 余計なお節介、父親的干渉(語源はラテン語 pater[パテル]父の意 から)




車に乗る場合、同乗者の安全を図ることは運転者の義務であろう。

法律以前の問題だ。


だが、自らの意志でシートベルトをしないからといって誰に迷惑がかかるのか。

事故は起こして欲しくはないし、いのちを大切にして欲しいとは願う。


ただ、法で強制すべき事なのかということだ。

意に反して損害をこうむるのは保険会社である。

ここの被害を少なくしたいのが本音ではないのか。


火災警報器についても同じ事がいえる。有害なものなら全員が否定しよう。そうでないだけに意見は分かれる。

しかし、「法」という規制をかけるにしてはあまりに中途半端な代物だし、

ましてひとり暮らしの住まいにまで適用するともなれば Paternalism のそしりは免れないだろう。


社会の構成員が減少するということについて国家が無関心でいられない、

ということについてはわからぬでもない。


が、それで Paternalism を認めていたら、この国はファシズム国家になってしまう。

何から何まで将軍様が決めてくださる国と何も変わらないことになってしまう。


消防署に直結しなければ、違反であれ、我が家には設置の計画はまったくない。

台所をIHにしたばかりでなく、暖房も深夜電力の蓄熱暖房機だ。

火災を防止することが目的であることはいうまでもない。


加えて狭小住宅であるにもかかわらず、10キロの消火器を1Fと2Fにそれぞれ1本設置してある。

火災を起こさないことを最大の安全と考えている。

またすべての方向に避難が可能な造りとした。


あらゆる火災対策をとろうともせず、火災警報器だけを義務づけるとはあまりに露骨な産業育成策ではないか。

消火器の無い家にも火災警報器が設置されている。これは立派な「珍百景」である。



     ※ 消防法第九条の二  

      住宅の用途に供される防火対象物


     (その一部が住宅の用途以外の用途に供される防火対象物にあつては、

      住宅の用途以外の用途に供される部分を除く。以下この条において「住宅」という。)


      の関係者は、

      次項の規定による住宅用防災機器


     (住宅における火災の予防に資する機械器具又は設備であつて政令で定めるものをいう。

      以下この条において同じ。)


      の設置及び維持に関する基準に従つて、住宅用防災機器を設置し、及び維持しなければならない。


      ○2

      住宅用防災機器の設置及び維持に関する基準その他住宅における火災の予防のために

                     必要な事項は、政令で定める基準に従い市町村条例で定める。






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大河ドラマ___おこぼれを待っているハイエナたち




     剱さん 仕事のことなんですけど・・・・



     バレエ教室のほうは どうなの?



     そのことなんです・・・ 教室に力入れたいんですけど そうなると収入も心配になるし・・・



     今の仕事をアルバイトで続けながら・・ということも考えているんですけど・・・



奥さんと共にバレエ教室をやっている後輩からの相談だった。



     バレエがなければ ここの仕事を続けて欲しい この業界には絶対必要な人だし 会社も評価している



     しかし それでは悔いが残るんじゃないの そんな顔してるよ



     その世界でやっていける自信があるなら 夢を捨てちゃいかん 教室をやっていけば?



     ただ 他に収入の道があると思っていると教室も駄目になる 

     逃げ込むところがあるのは見ててわかるんだよ

     教室の生徒さんには君の甘えの心が見えてしまうんだよ  芸術の世界だからね



     いいものにしたかったら打ち込んだよ 死にものぐるいでやらんかったら残っていけないだろ?

     何の援助も出来ない者が偉そうなこというようだけど 中途半端な人ほど挫折するもんだ



     そんな人をたくさん見てきたよ 一流という人も知っているけど、明日の保証なんて無い

     みんな決死の覚悟なんだよ だから感動を呼ぶんだよ 

     どの道も生きていくということは ハンパじゃないよ



後輩と奥さんは専業の道を選んだ。

成功しなかったらどうしよう。実は私が一番気をもんだ。 

「退路を断つ」とは簡単にいうけど、「失敗したら首をくくれ」と言っているに等しい。責任を感じる。


しかし、私の心配はあたらなかった。

夫妻はバレエ指導に打ち込み、

いまや全国舞踊コンクールでも激戦といわれる児童舞踊部門の上位入賞の常連である。




わが津幡町は「大河ドラマ誘致運動」を行なっている。

源平の合戦で知られる倶利伽羅峠(くりから とうげ)があることを企画の根拠としているらしい。


どうも、ドラマに刺激を受けたそそっかしい観光客の落とす金が目当てという、何ともみみっちい動機のようだ。

テレビと断絶状態にある私から見ればいかにも時代遅れの企画という感がする。


商品を企画するとき、まずは市場リサーチからスタートする。売れるか否か見極めるのは商売のイロハだ。


ドラマを成功させるためには視聴者の関心がどこにあるかを知らねばならない。

どんな本が読まれているか、どういう人物の言葉を評価しているか、ドラマの視聴率、視聴時刻・・・

さまざまな要素が検証されねばならない。

「作りたいんです」その思いだけで成功するほど世の中甘くはない。


ドラマ・映画作りに一体どれほどの金がかかるか、 "誘致" といっている人にはわかっているのだろうか。

エキストラで大映撮影所に出入りしていた私はその大変さを肌で知っている。


扮装して待機すること数時間、天候待ちであったり、予定していた前のカットどりが遅れたりと・・・

スケジュール通りには進まない。それでもお弁当は出たし、日当ももらえた。送迎もしてもらえた。


順調に撮影ができたからといって最終的に使用されるとは限らない。

カットされることも当然ある。

つまり、莫大な費用が画面の裏側で消えていっている。


では、この莫大な費用はどうやって回収されるのか。

はっきり言えばお客さん次第なのだ。


食品や文房具のように必ず必要というわけのものでもない。

景気が悪くなればまっ先に見捨てられる。

いわば水物である。だからこそ昔から芸能にたずさわる者の社会的評価は低かった。

今でも銀行で融資を受ける際は厳しいのではないかと思う。収入があてにできないからだ


それでも映画人は作る。借金してリスクを背負いながらでも映画を作る。


名監督、名プロデューサーといわれても経済力があるかは別のことで、

みんな夢にかけているからこそ、死にものぐるいで「世に問う作品」を作っている。

ブレークしなければ自分の負債になる覚悟で。


「大河ドラマ誘致」とはよく言ってくれるもんだ。


他人様の金をあてにして、製作費を負担することもせず、

経済効果のみをあてにする連中はライオンのおこぼれを待っているハイエナに見えてくる。


誘致運動に失敗しても行政としての責任をとることも無い。

悪いのはNHKだったと報告するだけだ。


NHKも誘致運動に押し切られて製作したと言っていればいいわけで、

不作といわれ視聴率が低くても誰も責任をとる人はいない図式なのだ。


責任をとらない官僚社会の姿をここでも見る思いだ。


そんな中で作られる作品が感動を呼ぶなどあり得ない。

昔見た正月興行の「オールスターキャスト」作品のようで、評論家の批評に耐えるものなど見たことがない。

製作動機が観光客誘致であってみれば当然すぎるほど当然だ。




原発事故を起こした東電や政府、外貨準備で巨額の損失を出した財務省・・・誰一人責任をとろうとはしない。


こんな緊張感のない政はもうごめんだ。民は命がけで生きているのだ。






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お 金




お金って誰が考えだしたのか、難しい代物だ。


若い人に「お金をテーブルの上へ出してみて」と、言うとポケットをがさこそやりだした。



     違う違う それは紙幣とか硬貨だろ? 

     私が言うのはお金の本質的なこと

     お金って 実は誰も見たことないんじゃないかね

     ここへ出せるもんじゃないんじゃないかね



たいていの人は紙幣や硬貨だと思っている。

しかし、多くの人はそもそものところがよくわかっていないのではないか。

だからこそ、見かけの "お金" に振り回される。


お金はいわば網の "目" のようなもの。

人と人がつながりあってこそ初めて存在する。

人が互いに働きあってこそ見えてくる。

本来は盗もうとしても盗むことなどできない、架空のものだろう。

テーブルの上へなど出せるはずはない。


仮に、所有欲の強い男がいて世の中の紙幣・硬貨を残らず集めたとしよう。

大金持ちになったのか?

いや、その時点で紙幣は紙くずだし、硬貨は金属の固まりでしかない。

そこのところをわかっていない人が多すぎる。


とくにアメリカにそんな人が多い。

富のほとんどをごく少数の人が握っている。

そして、大富豪という呼ばれかたに酔いしれている。

私から見ればとんだお馬鹿さんだ。


そのお馬鹿さん達の言う経済学、資本主義はその発想からして間違っているし、

車産業が国家に対して経済支援を要請した段階で終焉を迎えたと言っていい。


国家が企業に金を出せば、それは社会主義と言うべきだろう。

自己完結であってこそ「資本主義」と言えるわけで、「甘えきった似非経済人たち」、と言わざるを得ない。


開拓時代(先住民から奪い取った地であるわけだが)の資源もあり、市場もあり、

働けば目に見えて豊かになった、

そんな時代の夢をまだ追いかけているのだろう。

所詮、車の台数は人口以上に必要無いことも忘れて・・・


国から支援を受けなければ倒産する企業が何でボーナスを出せるのか。

何で経営責任者に給料が出せるのか。

そんなことを許す国家が世界をリードするとはとんだお笑いぐさだ。


一部に富が集中すれば社会は動かなくなる。

それぞれが豊かになってこそ資産家と言われる人にもそのおこぼれが行くわけで、

それをわかっていなければ経済人とは言えまい。


ヒンズー教の国、インドでは金を蓄えるのは悪いことをしているという認識だ、と聞いたことがある。

だから富裕層に大きな罰金を科せる。実に論理的な考え方だ。

日本でも金を昔は「お足」と呼んでいた。

足がはえたように動き回るからで、動かなければ金とは言わない。


将来に不安があるからこそ、人は見かけの "お金" に走る。

将来が見えているなら多くを必要としない。

政治が不安定になればなるほど、不必要なまでに金集めに血道を上げる。


かつてソ連で行列があたりまえだった。

物不足社会、社会主義経済の実態・・などと西側からさんざん叩かれたが、

実際はそれほどでもなく、「無くなってはいけない」という市民感覚がそうさせていた面が強かったとも聞く。


信じられなければ、日本で社会実験をやってみればいい。

「長い行列」を仕掛けてみればたちどころに連鎖が始まり、1週間で「物不足の国」に変容するだろう。


トイレットペーパーもスーパーへ行けば山のように積んである。

しかし、世の中に必要な分が並んでいるわけではない。

いつでも買える、その安心感でひとは納得しているに過ぎない。

その安心感こそ大事なのだ。


問題は「政治に対する信頼感」にある。政にたずさわるひとの責任は大きい。


「われわれ富裕層に増税をすべし」、高額所得者が政府に要請した事が報道されていた。

志位委員長が聞けば涙を流しそうな話だが、残念ながらこの国の話ではない。



    [パリ 23日 ロイター] 2011年 08月 24日 12:52 JST


     
    化粧品大手ロレアル創始者の遺族やエネルギー大手のトタル代表など、フランスの富豪らが23日、

    国の財政赤字削減を支援するため、高額所得者への増税を政府に要請した。


    週刊誌ヌーベル・オプセルバトゥールのウェブサイトに掲載された嘆願書は、企業首脳やビジネスリーダー、

    個人ら16人の連名で、同国の富豪らを対象にした「特別貢献税」の創設を提唱。

    海外への租税回避をさせない仕組みが必要だとしている。


    この嘆願に賛同したのは、ロレアル創始者の娘リリアン・ベタンクールさんや

    トタルのクリストフ・ドマルジェリ最高経営責任者(CEO)のほか、

    エールフランスKLMのジャンシリル・スピネッタCEOなどで、

    「われわれはフランスの制度と欧州の環境から恩恵を受けていることを理解しており、

    その維持に一役買いたいと望む」と訴えた。


    国債の格下げ観測も浮上しているフランスでは、政府が財政赤字の削減目標を達成するため、

    高額所得者向けの増税や住宅関連税制優遇の縮小、企業向け税控除の縮小などを検討している。




無論、それを言って当然の人たちではある。今までがひどすぎただけのことだ。

とはいえ、経済の何たるかを再考するきっかけになってくれればと思う。

何処かの国の高額所得者にも倣って欲しいことではある。






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橋下  徹




2007年、光市母子殺害事件の弁護団に懲戒請求を行なうよう視聴者に呼びかけた件は

以降にも続くこの人物の一貫した手法であり、

理を説くタイプではなく、煽るタイプの人間といえる。


メディアを巧みに利用して、マイルドコントロール状況下で二者択一を迫る手法は

展示会商法や催眠商法に似たものであり、民主主義社会が最も警戒すべき存在である。


「現体制を壊す」という彼の言葉は閉塞感のある社会が渇望するものであろうが、

2009年の選挙を思い出してみることだ。


まったく同じフレーズで市民を幻惑し、

格差拡大社会をつくった男がいたことから始まったのではなかったか。

「自民党をぶっ壊す」と言いながら、男は日本を壊してしまった。

日本人の財産を無くしてしまった。


社会が閉塞状況を打破してくれる存在を求めていることは尊重すべきだが、

彼の本質は新自由主義であり、求めるものは小泉と同じである。

本質を見誤っては市民はさらなる苦悩を強いられることになる。


橋下 徹、この男、野心があって発信力もある。

ジャパンハンドラーにとっては菅や野田よりもさらに扱いやすい人物だ。


彼が大阪の顔になってから何度、方針撤回、発言修正を繰り返してきたことか。

メディアを利用して自らの野心を満足させることにしか関心がないからその場限りの発言を繰り返すことになる。


毎日しっかりと報道を見ていないと誰と連携するのかもわからないような人物である。

一貫して「日本独立運動」を指揮出来るとはとても思えない。


品性、感性、能力とも政治家、弁護士として評価するに値しない。

改革を唱える小沢一郎氏と同次元で論じられるには強い抵抗感がある。


大衆をマイルドコントロールして野望を遂げようとするのは小泉と同じ。

メディアコントロール術は小泉の上をいくかも知れない。


大手メディアが同じことしか言わない怪しげな社会である。

「心強いリーダー」は求めるが、心のない「強いリーダー」はごめんこうむりたい。


橋下氏の言動が大きく取り上げられる現在の状況は

20世紀の「独裁者誕生」を再現ドラマで見ているようである。


考えない市民が選ぶ新しい権力者の用意する社会は市民の求めるそれとは対極にあるものである。

そして、格差はさらに拡大され、自由にものが言えない、国民一致を呼びかけられる時代を迎える。


行き着く果ては言わずと知れた、、、、、、、、






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方法論のない哀れな指導者たち




1964年の東京オリンピック。

柔道の無差別級決勝戦で日本期待の神永昭夫が敗れた。

オランダのアントン・ヘーシンクが神永を袈裟固めで下して金メダルを獲得した。


柔道が正式競技として初めて採用された地元開催のオリンピックである。

最も重要視されていた無差別級で外国人が日本代表を下して優勝を果たした事は、

自他共に柔道を「お家芸」と認める日本に大きな衝撃が走った。


スポーツにおいては体格、体力、技術に勝る者が勝利するという、きわめて当然の帰結であったが、

この敗北はスポーツ界にとどまらず、日本社会の底流にあった「精神論至上主義」を意気消沈させるに

十分だった。


合理性、論理的な思考が大切といいながら、

日本人の中には「歯を食いしばり頑張れば何とかなる」という思いがあった。

しかし、ヘーシンクは「何とかならない」現実をまざまざと見せつけた。


高校2年の私にとって目から鱗が落ちた瞬間だった。


   (とべないポスト・オリンピックはスポーツか)

    http://gravitational-wave.air-nifty.com/tobenaiposuto/2013/week20/index.html#entry-76521971




最近、またこの精神論至上主義が復活しているようだ。

あるひとは「復活」ではなく、無くなっていなかっただけともいう。

この社会の病巣は根深そうだ。




1995年、野茂英雄は日本を見捨ててアメリカへ渡った。

「草魂」という座右の銘を持ち、強い精神力で肉体の酷使に極限まで耐えるのがプロ野球選手の

あるべき姿という鈴木啓示のスタイルに反発したのが最大の理由といわれる。


鈴木はコンディショニングコーチの立花龍司も冷遇した。

彼のとる合理的なトレーニング方法を理解する能力がまったくなかったからである。

鈴木は「精神論至上主義」の野球人でしかなかった。

精神論を振りかざすということは方法論を持っていないことの証左である。

指導者としての資質に欠けるということだ。

それでも今、どこかの某国営放送局の解説者におさまっているのだから、その局の程度も知れたものだ。


鈴木と対立し冷遇された立花は近鉄を退団、千葉ロッテマリーンズへ移り、ボビー・バレンタインの信頼の下、

当時リーグ屈指といわれた投手陣を指導し、チームの躍進に貢献した。

さらに1997年にはメジャーリーグのニューヨーク・メッツへ移籍。

日本人初のメジャーリーグコーチとなった。


アメリカは合理的な考え方を尊重し、日本という社会は戦前から精神論に固執するという典型的な例である。




体格に劣り、体力のなかった私は学校時代体育の時間が大嫌いだった。


「頑張って!」「跳べ!」と言うだけで合理的な指導もなければ元々体育嫌いの少年が跳び箱を跳べるはずもない。

跳べないからますます嫌いになるという悪循環だった。

成人してから「跳び箱指導」の映像をテレビで観た。

「ああ これなら できたかも」そう思った。


低学年の子どもたちは長い丸太にまたがり、両手と脚の力で前へ前へ移動していく。

やがてそのスピードがあがるにつけて跳び箱の跳び方になっていくというものだった。

自分の能力のなさを転嫁するつもりはないが、やはり教え方は工夫されるべきだった。


同じことは「自転車の練習」にも言える。

私などは姉に後ろを持ってもらって空き地で何日も練習した。

あちこちすり傷だらけで・・・・・

乗りたい一心。それしかなかった。

ところが近年、合理的な指導法を見てビックリ!! 

たった2時間で自転車に乗れるようになるではないか。

参考に書いておく。



   まず自転車本体からペダルをはずす。


   そのまま手で押して歩く練習。


   次はサドルにまたがり、脚で地面を蹴り前へ進む練習。


   ペダルを取り付け、脚でこいで前へ進む。



自転車の動きを体でおぼえ、コントロールできるようになったところで始めれば何の苦もなく、

2時間で乗れる。これは衝撃的だった。


何事も合理的に進めなければ事は成らない。

指導の方法論を持たないということは自分もわかっていないことを意味する。

それまで成果をあげられたのは偶然でしかなかった。

指導者としては致命的だ。




現在パソコンをやっている人たちは初歩の段階で必ずBASICなどの言語を勉強し、

自分でプログラムをつくった体験を持つだろう。

ところが、やってみて最初に思い知るのはアルゴリズムの必要性だ。


「アルゴリズム」というのは、コンピューターで計算を行なうときの「計算方法」のことだが、

広くいえば、何か物事を行なうときの「やり方」のことだと言ってよい。


「ご飯を炊く」という行為も「やり方」をコンピューターに覚え込ます必要がある。

「甘えてるんじゃない 失敗しておぼえるもんだ」は機械相手には通用しない。


自ら行なっている「ご飯を炊く」という行為を解析できていなければ「アルゴリズム」は書けない。

コンピューターで何かをするということは工学系のように思われがちだが、実は文系の素養も必要である。


方法論をしっかり持って伝えなければ何事も始まらないのは相手が機械であっても

人間であっても同じ事だ。




方法論のない哀れな指導者たちは威圧することや暴力をふるうことで自らの無能を忘れ、

無力感を麻痺させようとする。

そうしたところで自分が指導者に適していないという現実から逃れられるはずもない。

昔と違って今の若い人たちは黙ってはいない。

方法論を持たない人間を指導者とは認めない。


反省しているから許す、という精神論の問題などではない。

マネジメント能力の問題であるということが理解できないでは何の解決策も見いだすことはできない。


日本柔道女子選手が、暴力行為やパワーハラスメントがあったとする告発文書を、

JOCに提出した意味を柔道連盟の専務理事は理解できていない。

自分たちの置かれている状況を楽観視し、戒告処分などと言っているのだからお気楽なかたである。


スポーツ指導者にとどまらず、政治家にもマネジメント能力に疑問符がつくひとびとが多い。

ただただ精神論を振りかざす政治家は与野党に見られる時代だ。




何やら70年前のような状況ではある。






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かわれないひとびと____電話帳は必要か?




インターネット利用料金の請求明細が封書で届いたことがあった。利用し始めて間もない頃だ。

よくもまあこんな無駄なことを・・・印象だった。


封書の明細ともなると、紙に印刷、封筒に入れる、郵便局に発注、車で発送となる。

プロバイダは通信事業である。その通信事業会社が郵便局という通信事業会社に業務を委託する。

こんな馬鹿げたことはない。こんな無駄はない。


プロバイダはどこでも企業としては大手である。

我々のような中小零細の経営感覚とはかけ離れている。

可能性を極限まで追求し、1円でもコストを抑えようとするのが零細企業の感覚だ。

わたしならプロバイダの本来のサービスではないものはすべてカットする。


つまり、封書の明細書は原則即刻廃止、希望者のみに有料で発送する。

明細はメールで送る。そのためのインターネットだろう。


プロバイダの役員なる人物に電話でそのことを懇々と説明した。

二酸化炭素を減らす、省エネを図るためにやれることをやりましょうと呼びかけた。

何年も前のことである。


車でしか運べないものもある。

まさか能登のふくらぎ(いなだ、はまち)はネットでは運べまい。

そのための車である。


しかし、石油を燃やして、運んでいるものが「確認するためだけの情報」とは車の使い方が間違っている。

技術変革が起きているのに全てが今まで通りではこの国はエネルギーがどれだけあっても足りない。


交通事故対策という面からもインターネットは有効に活用されるべきだ。

交通事故の撲滅には交通量を減らすことがもっとも有効だ。

たんなる「情報」を積んで車を走らせるというのは止めてもらいたい。


「請求明細書」は「田舎からの便り」とは意味が違う。




わたしはNTTの請求明細もネットで確認できるように変更した。

しかし、NTTという企業はこういうことについてPRをあまりしていない。

そればかりか、あの分厚い電話帳もいまだに各戸に配布している。


数十年間変えようとしないことには呆れるばかりだ。

いったいどれだけの人が電話帳を手に取っていることか。

使用頻度の低さは  "ぶら下がり健康器"  なみだろう。


迷惑電話対策として掲載しない人もいる。わたしもそのひとりだ。

であれば、もう意味をなしていない。


ネットで検索できる時代にあっては電話帳は必要とする人だけが書店で買い求めればよい。

(その書店がいつまで存続するかという時代ではあるが・・・)



     希望者にのみ有料で頒布するとか いっそ書店で販売すればどうなの?



私の問いにNTTは



     書店に置いても売れません



悪びれることもなくそう答えた。

彼らは誰も欲しがらないことを承知で配っている。


更に、不要のかたは返却してくださいとは一体どういうセンスか。


必要としない契約者にまで配り続けることは無駄以外のなにものでもない。

それでも作り続けるセンスは経営者としての資質を疑ってしまう。

この無駄なコストも通話料金として請求されている。


先日、NTTが電話帳を配布にきたらしく、留守の間に玄関の扉の前へ置いてあった。

延々と電話帳を配り続ける姿勢も姿勢だが、

手渡しではなく、玄関先に放り出していくあり方はどうにも理解できない。

放り出していくことを「業務」とし、賃金を払っている・・・不思議な会社だ。


確かに、変革には犠牲をともなう。

電話帳作りで生計を立てている人もいる。郵便事業が衰退することも問題ではある。


しかし、変革は始まっているのだ。動いているのだ。

時間の問題であって、電話帳はいずれなくなる。

自らその時の企業のあり様を描こうとしないで、制度にのみしがみついていてはすべてを失うことになる。


技術変革の時代にどう対処するか、省エネや少子化の社会をどうデザインするか、

経営者・政治家のセンスが試される時代である。






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原発ゼロへ!




討議資料



我が国の火力発電を巡る動向について(120810出典:経済産業省)

http://www.mori-yuko.com/activity/files/120810datugenpatu.pdf


「電気料金国際比較」

http://my-dream.air-nifty.com/moriyuuko/files/120820denki.pdf


「火力発電所リプレースに係る環境アセス手続きの迅速化について」

http://my-dream.air-nifty.com/moriyuuko/files/120821-2.pdf


「原子力を巡る状況について」

http://www.mori-yuko.com/activity/files/1208211.pdf


「天然ガスによる原発代替 コンバインドサイクルとコジェネ」

http://www.mori-yuko.com/activity/files/20120829073103.pdf


「120907脱原発基本法案」

http://my-dream.air-nifty.com/moriyuuko/files/907datugennpatu-kihonhouan.pdf


「120912太陽光発電システムの普及拡大について」

http://my-dream.air-nifty.com/moriyuuko/files/120912taiyoukouhatuden-F.pdf


「120912風力発電の導入促進に向けて」現状と課題

http://www.mori-yuko.com/activity/files/120912furyokuhatuden-S.pdf


「120919電力需給問題と蓄電池技術について」

http://www.mori-yuko.com/activity/files/120919hp.pdf




「121003「原発ゼロへ!」政策検討会議・各電力会社説明資料」


   北海道電力

   http://www.mori-yuko.com/activity/files/121003hokuden.pdf


   東北電力

   http://www.mori-yuko.com/activity/files/121003touhokuden.pdf


   東京電力

   http://www.mori-yuko.com/activity/files/121003tokyouden.pdf


   中部電力  

   http://www.mori-yuko.com/activity/files/121003tyubuden.pdf








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まるでチャップリンの映画・・・


場違いな男が何故か脚光を浴び、世間の表舞台に登場した。

刺激的で、より過激なものしか追求できなくなっていたテレビ界にはうってつけだったようだ。

馬子にも衣装。こざっぱりした服を着せ、メイクをすれば即席タレント出来上がりというわけだ。

およそコメンテーターとは言い難い、何の見識もない男の言葉に耳を傾けるほど社会は知性も理性も失っていた。

もはやタレント業界の延長でしか無くなっている政治の舞台に登場することも驚くにはあたらない。

21世紀の今日、「タレント」という言葉自体が「無能な人」と限りなく同義である。


いつの時代にも「女性蔑視発言」はあるし、「超右翼的発言」も時折表面に顔を出す。

ヒューマニズムを蘇らせる機会、民主主義の大切さを再認識する機会を与えてくれるという意味においては

この種の発言が完全に無くなる社会のほうが危険でもある。

この種の人間が社会のどのポジションにいるかこそが問題であろう。


眼力の無さこそが社会を危うい方向へ導く。

峻別する眼を養わなければならないのは昔も今も変わりはしない。

人を見かけで判断してはならないというが、それは短絡的判断を戒めることであって、

人間の内面が服装や言葉遣いに現れることを否定するものではない。

それがわかっているからこそ男はいかにも政治家風の身だしなみにこだわった。

ビフォー・アフターで男の印象は大きく異なる。

時代が変わろうとこのような男が信頼に足る人物として受け入れられるはずもない。


ひととなり、人生観や哲学は言葉や話の組み立てに現れる。

きわどい発言、挑発的な言動に終始して自己の存在をアピールしても自己顕示欲が露呈するだけであって、

およそひとさまと心を通い合わすことなどできるはずはなく、

まして信服させることなど到底できることではない。

要するに政には適任ではない。


口で言い負かす、それが弁護士であると認識している人間がいる。

法の精神や社会の要請など何処吹く風、法の不備や間隙を突いて依頼人の利益のみを考える人間もいる。

詭弁を弄することからこのような弁護士を昔は「三百代言」と蔑んで呼んだ。

しかし、「三百代言」を先生と呼ぶような怪しげなことはなかった。社会は健全だった。


今の風俗店の実態を「合法的」と言い放つところにこの男の「日常」がある。

男は政治家などではなく、風俗産業のトップセールスでしかない。

ポン引きの兄ちゃんとかわりはない。


政治家として不見識、公党の代表としては・・・云々と批判の言葉が後を絶たない。

「大阪の恥さらし!!」という激しいものまである。

だが、これらに違和感を覚えるのは私だけだろうか。

そもそも男が政治家であるという認識からして間違っていないか。

中身が空っぽの兄ちゃんを政治家だの首長だのとあがめたてまつった不見識は非難されないのか。

後世の歴史家は誰を批判するだろうか。

(市民がアホやから こんなんが でてくるんちゃうけ ひとのせいにすな) 


メディアは彼の発言を時系列で列記して批判を展開している。

検察審査会や最高裁のあり方については報道すらできなかったメディアも息を吹き返したように

批判精神を見せている。

  
第三極だの受け皿だのさんざん持ち上げてきたことの自己検証などすっかり放棄して・・・

ある筋の指示通りに動いていることは小学生にすらわかってしまっている。


彼は何故必要だったのか。そして何故お役ご免になったのか。

そのあたりの検証無くしてこの騒ぎが収まるような社会では民主主義体制も虹の彼方のものでしかない。


選挙無敗の魔法を手に入れさえすれば「ごろつき弁護士」は足かせになるだけ。

参院選を前に連中は引導を渡した。

真相は闇の中だが大筋そんなとこだろう。


------猿は木から落ちても猿だが 政治家は選挙に落ちればただの人-------

「また 面倒みてや」 「よろしゅう たのんます」

男はしたたかに「以後」のことを考えているのだろう。

一連の発言は元の生活に戻ったときのための風俗産業トップセールスと見れば頷けるというものだ。


今やこの社会の木鐸も腐食が進み、音を発する道具としての用をなしていない。

メディアの健全性が戻らなければ暗黒政治から脱することはできない。

メディアの垂れ流し情報にどっぷりつかっていては選挙で新たな展望が開くことはない。

メディアから離れ、自らの感性を磨かなければならない。

市民の意識レベル以上の政治など絶対にありはしない。




原発事故の収束はおろか、実情も把握できていない、避難民も多くいる。

いや、これからもっとひどい実態が明らかになるだろう。

政府は原発利権のため、収束に向かっていると演じているに過ぎない。

この状況で「原発」が選挙の最大争点にならなければ政治家など無用であろう。








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博打(ばくち)___背広を着た博徒が仕切る社会




     だんさん わしゃあ こんどという こんどは こりやした


     だんさん にも えろう しんぱい おかけして しもうてからに・・・


     にょうぼ こども にも にげられてもうて もう なぁんにも のうなりやした


     きょうかぎり ばくちとは すっぱり えんを きりやす


     いやぁ そないいわれると かえす ことばも あらへんけど・・・・・・こんどは ほんまです


     だんさん こんどこそ こんどこそ ほんまですて


     だんさん うそや あらしまへん なんなら かけても ようござんすよ


     &%#$&??%%?&&#$




     いつまでも こんなもん もってるさかい あかんのやな


     この さいころが わいを だめにすんねん


     よっしゃ ここの ながれに ほかしたろ   えいっ こんなもん


     これで さっぱりしたわ


     ああ ながれて いきよる・・・ んっ? ありゃあ ちょうやろか? はんやろか?




それほどに博打というものは、一度味をしめると容易には抜け出せない。耽溺性の強いものだ。


          ※ 刑法 第2編第23章 賭博及び富くじに関する罪

            第186条

            常習として賭博をした者は、3年以下の懲役に処する。

            賭博場を開張し、又は博徒を結合して利益を図った者は、

            3月以上5年以下の懲役に処する。




よく Paternalism を語るときに刑法第186条がいわれることがある。

成人した大人が博打するのはそのひとの自由であろうという考え方だ。


しかし、 Paternalism にあたるかは、

その行為が本人の自由意志によるものであることが大前提となる。


制限行為能力者(昔は禁治産者という言い方もあった)のように判断能力のないひと、

心神喪失や心神耗弱の状態にあるひと、

耽溺状態から抜け出せないひと

etc は自由意志があるとはいいがたい。


Paternalism の指摘はあたらない。


                   ※ Paternalism(パターナリズム)


                     強い立場にある者が、弱い立場にある者の利益になるようにと、

                     本人の意志とは関係なく、行動に介入・干渉することをいう。

                     日本語では家父長主義、父権主義、温情主義などと訳される。




ひとには「死」を選ぶ権利はないのか? 

延命治療の是非を問うときに必ずいわれることである。

医師をはじめ、誰ひとり簡単に「答え」を出せる人などいない。難しいことだ。


しかし、「治癒する見込みがまったくなく、激しい苦痛しかない」という状況でなければ

安易に「死を選ぶ権利」などと言われてはならない。


自死を選ぶひとの多くは精神面や経済面で「追い込まれた」状況にあると考えられるからだ。

自由意志とはいいがたい行動であれば Paternalism を論ずることに意味はない。


精神的にも経済的にも弱い人々を追い込んでいく賭博専門集団にPaternalism を論ずる資格はない。


市民が生産的な業務に就かず、賭博に浸ることがあれば社会は成り立たない。

その意味で国家権力が個人生活に介入するのには正当性がある。




しかし、だからといって何から何まで制限される社会は窮屈だ。

生活に支障を及ぼさない、

社会通念上許されるようなささやかな「賭け麻雀」にまで国家権力が介入すべきとは思わない。


ただし、同じ事であってもその場所を提供することを業務としている場合は話は別である。

あくまで個人の趣味の世界であるべきだ。


賭博の定義からすれば「ジャンボ宝くじ」もそれにあたるわけだが、

その時のみに大勢の人が行列を作ることを考えれば所得再分配の問題や税制の不合理を反映しているともいえ、

賭博の問題とは切り離して議論すべきだろう。


所得が適正に再分配され、税制を含む社会制度が市民の納得のいくものに是正されれば

ジャンボ宝くじに夢をたくす必要もなくなる。政治の貧困、混乱が生み出している社会現象と見てよい。


ただ、年中行なわれるロトくじと呼ばれているものは市民を耽溺状況に引き込むものであって

非難されるべきであろう。


                  ※ 賭博

                     金銭や品物などの財物を賭けて偶然性の要素が含まれる勝負を行ない、

                     その勝負の結果によって賭けた財物のやりとりをおこなう行為。


常時開催されている公営ギャンブル、パチンコなどは市民を耽溺状態に引き込むもの

であり社会の存立を脅かす。

耽溺状況に陥れ、生活を混乱させた博打の "あがり" で社会基盤を整備しようなどとは本末転倒も甚だしい。


野球賭博で大相撲界が揺れた。バカラ賭博で盛り場のクラブが摘発された。

その一方で競輪、競艇、競馬、オートレースが行なわれている。公営カジノまで検討される昨今である。

国家は相当苦しい言い訳を用意しなければならない。




60年安保の時に時の政府は治安維持のためと称してやくざ・博徒の組織にすり寄った。

いざというときに「暴力装置」としての役割を期待してのことだ。


「法」は本質的には暴力である。違反する者には警察権力が市民を拘束する。


治安が乱れたとき警官だけでは対処が難しいと考えた政府が頼ったのは右翼、暴力団、やくざ、博徒である。


また、権力者は憲法で保障された「集会の自由」を右翼団体を使って市民から奪っている。

警察までがそれに荷担している。


そんなこともあって表向き賭博は規制をし、ときには処罰もするが半ば黙認状態にあるのが社会の実態だ。

博徒・笹川一家は看板を替えて今日に至っている。現在では「公益法人」だそうな。

ずいぶんと出世したものである。


市民を働かすだけ働かせ、わずかな収入をも賭博に引きずり込んで奪ってしまう手口は

ならず者のやり方である。

堅気の衆にはいっさい手出しはしなかった昔の任侠道のほうが紳士にみえるのも皮肉な話だ。


こういう背広を着た博徒たちが日本の政治を握っている。

日本1,2の大都市の首長がともにカジノ構想を打ち出す背景もそんなところにあるのだろう。

奇しくも二人とも教職員に日の丸・君が代を強制している国粋主義者である。


背景にいる今日の博徒は昔の仁義に篤い「任侠道」とは似て非なる者で、金のためなら右も左もない。

一応は社会主義を標榜する国にさえ、その資金が流れているともささやかれている。


何が何だかわからない。

鶴田浩二ではないが、何から何まで真っ暗闇。すじの通らぬことばかりである。 








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偽旗作戦 ----- 日本のWTC




与那国島へ自衛隊部隊を駐留させる動きがあるという。


与那国島といえば中国、台湾の方が近い。

そこへ部隊を駐留させる真意は何なのか。


与那国の女性がMBSラジオに出演して状況を語っていた。



     平和な島が緊張の島に変わる


     いつの間にか話が進んでいた


     絶対反対です



与那国島のかたがそのことを言うために大阪のスタジオまで足を運んだことだけ見ても

気持ちのほどが理解できる。

政府は原発の時と同じ図式で交付金を餌に地元を承諾させたに違いない。


法律論で言えば国内のどこに部隊を駐留させようと問題にはならない。


しかし、政治的にはどうか。外交的にはどうか。

近隣各国に誤ったメッセージを発信することにはならないか。


尖閣列島事件でさえ対応はあの体たらくである。

部隊同士が対峙する状況をイメージできないのであれば政治家とは言えまい。


私が懸念するのは与那国島が日本のWTCになってしまうのではないかということだ。


本土から遠く離れたところで何が起きようと国民は真相を知ることは出来ない。

偽旗作戦にはうってつけのロケーションではある。


戦争準備が進んでいる状況下では決して荒唐無稽とは言い切れない。








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愚鈍なまでに___ 本当に求めているものは何ですか




音楽ソースもCDになってからは滅多にない※が、SP盤では「引っかかり現象」がよく起きた。

LP盤でもまれにあった。

盤面の傷が原因なわけだが、ある箇所で引っかかって次へ進まないわけだ。例えばこんな具合だ。



 ♪ おぉれが いたんじゃ お嫁にゃいけぬ わかっちゃいるんだ わかっちゃいるんだ わかっちゃいるんだ
   

          いも いも いも いも いもうとよ ・・・・




「わかっているんだったら何とかせえ」と言いたいが、歌っている本人にはどうにも出来ない。

針のついたアームをちょっと押すとどうにか次ぎに進む。(お疲れさま)

商品としては正確無比であって欲しいが、この時代からみるとホッとする何かを感じてしまうから不思議だ。


  

       ※ CDでも過去2枚そんな製品に出くわした。

         この時代のことである、当然、無償交換してもらえたが・・・。




                          
盤面の傷でもないだろうが、私の中でも似たようなことがよく起きる。

"本当に求めているのは・・・?" というフレーズが何度も意識をかけめぐるときがある。




本屋へ行く・・・・・・・・・・・・・何をしに?

園芸の本を探しに・・・・・・・・・・何のために?

庭を花で飾りたい・・・・・・・・・・何のために?

花に囲まれる暮らしでありたい・・・・あなたにとって花って何?


                  花の何にひかれる?

                  花を必要とする "こころ" って何?

                  花という形を通して、本当に求めているのは・・・何?


                               
ハイエンド・オーディオで聴きたい・・・・・ミニ・コンポで駄目なわけは?

本当に求めているもの何?


                     
ア・カッペッラ演奏での教会の空気が伝わってこない

・・・・・・・・空気感は何故必要?

本当に求めているもの何?



                     
音楽は宗教。祈りの心。魂の震え。

天上にもとどく "祈り" に触れたい

・・・・・自分にとって音楽って何?



生に限りなく近い音で            

音楽を通して本当に求めているのは・・・何?


知りたいのは ひと、ひとのねがい

・・・・・本当に知りたいのは・・・何?

本当に求めているもの何?

                     

知りたいのは わたし であり、

わたしが本当に求めているものが何かということ。
                  

                          

          ※ア・カッペッラ : a cappella                      

           英語のin chapelに相当し、「聖堂で」「聖堂において」という意味。                        

           無伴奏あるいは簡単な伴奏付きの教会音楽。




いつの時代でも私たちの暮らしは日々変化し、そして、そのことの故に慌ただしく暮らしてきた。

しかし、そんなことには慣れている私たちであっても昨今の変化には不安を覚えざるを得ない。


似非科学者の思いつきで突っ走っている・・・そんな印象が強いからだ。


    "脳死" という言葉から始まった "移植医療" (医学の最終目標は死なない人間を造ることなのか)


   「京大チームの“世界戦略”加速 iPS細胞の米特許成立」の新聞見出しからもわかる生命の商品化。 

        
    安全の検証も不十分なまま、開発が野放しにされているナノテクノロジー。


   廃棄物の処理を何も考えずに利用だけが進む核エネルギー産業。

  (失礼! アメリカは廃棄物の処理を行なっている。劣化ウラン弾をつくり、そこいら中で消費する形で。)




私たちが "本当に求めているもの" はそんなものなのだろうか。

"便利" であることは "幸せ" を意味しない。

その陰に大きなリスクがあることを予想できなければ人類は終末を迎えてしまう。


リニア新幹線で所要時間を短縮する向こうに私たちはどんな社会を見ているのか。

そこでいう "便利な生活" という形を通して求めているものが何なのか、私たちは考えているだろうか。

成長、拡大が最終目的のようにそして義務であるかのように考えてはいないだろうか。


確かに私の幼少期に比べ、生活は向上してきた。

いや、向上かどうかはわからない。変化はしてきた。

台所は便利になったし、各家庭に車があるようになった。電化は進んだし、道も整備されてきた。


そして、福島では多くのひとびとが故郷を失った。

放射能汚染は半端なものではないらしい。


小出氏によると東京に比べ福島駅前では10倍近い数値が観測されたという。

放射能難民はさらに増えると思われる。

これが愚かな私たちが求めてきた便利な社会の真実の姿だ。


まだ間に合うかどうかは私などにはわからない。
  
が、今からでも自らの暮らしかたを検証して欲しい。


自分が "本当に求めているもの" が何なのか、

「引っかかり現象」のレコードのように繰り返し繰り返し問い続けて欲しい。

愚鈍なまでに・・・・


等身大の暮らしの中に豊かさを見いだしていけるひとが "幸せなひと" であって、

成長、成長と声高に叫ぶ経済人の、足ることを知らぬ生き様はどこか哀れにも見える。


さらに哀れ、というか、おぞましいのは科学者である。

宇宙の摂理の前に真摯たるひとをこそ科学者というのであって、

自分が本当に求めているものが何か、"究極の願い" が何か、自問自答できず

成果だけを追い求めるのは似非科学者であって "ターミネーター" というべき怪物でしかない。


しかし、おそらくすべてを失うまで気がつかないだろう。

取り返しがつかなくなって初めて彼らはこう言う。「過ちは 繰返しませぬから」と。

その時、未来があってくれればよいのだが・・・・




あなたが "本当に求めているもの" は何ですか。








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カレル・ヴァン・ウォルフレン 彼の言葉に耳を傾けてみてください




属国状態から脱したいのであれば、民主社会をまもりたいのであれば

彼の言葉に耳を傾けてみてください。


ジャーナリズムが死滅している今の日本では大手新聞やテレビから情報をとることは非常に危険です。

対米隷従から脱却を図ろうとする政治家の抹殺に血道を上げるメディアや

検察の横暴を許していては市民の手に政治を取り戻すことは出来ません。


メディアは市民から主権を奪うために使われています。

メディアは真実を伝えていません。

市民をあざむいています。

東京新聞などごく一部の新聞が頑張っているに過ぎません。


脱テレビ、脱新聞・・・ここから始めなければ口で何を語ろうと所詮は用意された枠の中での

抵抗でしかありません。脱テレビ、脱新聞は現体制側には最もこたえる戦術です。


テレビを観ることを妨害することはできますが、観ないことを妨害することは誰にも出来ません。

NHK視聴契約の破棄、新聞購読解約、政治献金で政治を歪めている企業の製品ボイコット等

あらゆる有効な手段を用いて抵抗すべきです。


それでも「渡鬼」や「相棒」を観たいというなら民主主義、自由な社会は望まないことです。


政治家のパフォーマンスやキャスターのひと言ひと言で一喜一憂しているミーハーおばちゃんには

社会の構造に気付くだけの見識と洞察力を求めたいものです。


オランダ出身のジャーナリスト、政治学者であるカレル・ヴァン・ウォルフレン氏が日本社会や

日米関係について数多くのコメントを出し、警鐘を鳴らしています。

属国状態から脱したいのであれば、民主社会をまもりたいのであれば

彼の言葉に耳を傾けてみてください。



       カレル・ヴァン・ウォルフレン(Karel van Wolferen)  
 

            オランダ出身のジャーナリスト、政治学者。

            現在はアムステルダム大学比較政治・比較経済担当教授。




「属国日本」  カレル・ヴァン・ウォルフレン  聞き手 岩上安身  通訳 山崎淑子

http://xn--ubt711i.jp/4178


小沢批判を18年続ける日本メディアをオランダの大学教授批判

http://www.paradigm2020.jp/blogw/1313972396.html


カレル・ヴァン・ウォルフレン

http://www.wolferen.jp/index.php?t=1&h=9


目に余るマスコミの小沢氏へのネガティブキャンペーン

http://blog.goo.ne.jp/seijiterasaka/e/2fbf3120c7ce823bd794f5f25fda0f0a


小沢一郎バッシングで日本未来の党へのネガティブキャンペーンが始まった

http://kuronekonotango.cocolog-nifty.com/blog/2012/11/post-cf3e.html


「日本未来の党」に対するネガティブキャンペーンが本格化

http://blog.goo.ne.jp/tarutaru22/e/f175e4cb22616ba62165c540055017f1


小沢一郎×カレル・ヴァン・ウォルフレン公開討論会&記者会見 1

http://www.youtube.com/watch?v=p9hseJUs06g


小沢一郎×カレル・ヴァン・ウォルフレン公開討論会&記者会見 2

http://www.youtube.com/watch?v=NFM27go9RSw


小沢一郎×カレル・ヴァン・ウォルフレン公開討論会&記者会見 3

http://www.youtube.com/watch?v=kcFRH51W-_E


小沢一郎×カレル・ヴァン・ウォルフレン公開討論会&記者会見 4

http://www.youtube.com/watch?v=bFXj4cwftpk


小沢一郎×カレル・ヴァン・ウォルフレン公開討論会&記者会見 5

http://www.youtube.com/watch?v=bsulKrYqZZ8


小沢一郎×カレル・ヴァン・ウォルフレン公開討論会&記者会見 6

http://www.youtube.com/watch?v=Dac4VeE8Phs


小沢一郎×カレル・ヴァン・ウォルフレン公開討論会&記者会見 7

http://www.youtube.com/watch?v=k2ZrpdF5HPo


小沢一郎×カレル・ヴァン・ウォルフレン公開討論会&記者会見 8

http://www.youtube.com/watch?v=fR-p4qC1Ry0


「救国緊急対談!誰が小沢一郎を殺すのか?」ウォルフレン×上杉隆 1

http://www.youtube.com/watch?v=jSyjIlgnSS8


「救国緊急対談!誰が小沢一郎を殺すのか?」ウォルフレン×上杉隆 2

http://www.youtube.com/watch?v=siK7x0FevHo



誰が小沢一郎を殺すのか?


●日本の読者へ(カレル・ヴァン・ウォルフレン緊急インタビュー)

http://www.kadokawa.co.jp/wolferen2011/


日本を追い込む5つの罠

http://www.kadokawa.co.jp/sp/201203-01/


「ドル崩壊に備え日本は外交も経済もアメリカ依存体質から脱却せよ」
 

カレル・ヴァン・ウォルフレン/Karel van Wolferen

http://www.globe-walkers.com/ohno/interview/wolferen2.html


「日本政治再生を巡る権力闘争の謎」

(カレル・ヴァン・ウォルフレン)中央公論≫から「マスコミ&日米関係」編

http://etc8.blog83.fc2.com/?tag=%E3%82%AB%E3%83%AC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%A6%E3%82%A9%E3%83%AB%E3%83%95%E3%83%AC%E3%83%B3


カレル・ヴァン・ウォルフレン ジャーナリスト 2010.11.17(日本記者クラブ)

日米関係について

http://www.youtube.com/watch?v=zbbqpcunR1w


【TPPの真実】

【緊急インタビュー もう経済復活は無理なのか】カレル・ヴァン・ウォルフレン

http://gendai.net/articles/view/syakai/135434   








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永六輔氏への手紙




「国家戦略」という言葉が簡単に社会に流れることに警鐘を鳴らしていらっしゃいました。

よくぞ言ってくださったという思いでうかがっておりました。


あのナチスもいきなり出てきたわけではなく、

すこしづつ慣らされていった結果があのようなとんでもない国家を出現させてしまったのです。


私たちは語りついでいく責任があります。慣らされていくことの恐ろしさを。



スポーツ紙の紙面におどる「斬り込み隊長」「主砲」など、そのスポーツとは何の関係もない、

おぞましい言葉には書いた人の人格、メディアの社風を疑ってしまいます。


最近は健康情報にも○○予備軍という言葉が氾濫しています。

「糖尿病予備軍」「メタボリックシンドローム予備軍」というような具合です。


「予備軍」・・・つかっている人はその言葉の歴史、怖さをわかっているのでしょうか。

「糖尿病に近い状態」とか「糖尿病になる危険性がある状態」「そういう状態にある人」

という言い方のほうが内容を正確に伝えられると考えますが、いかがでしょうか。


簡単に「予備軍」という言葉が思いつくという人はやはり軍国主義思考だと思います。

そんな思考回路の連中がこの社会にはうじゃうじゃといます。


田母神某が現政権の歴史認識と異なるということで罷免はされましたが、

その本人を自民党が次の選挙に担ぎ出すという報道がありました。戦前の夢よ今一度ということでしょう。

今の憲法の否定を党の綱領にしている党であれば不思議なことではありません。


やはり、この国はまだまだ危険です。 

「言葉狩り」との批判もあることと思いますがこんな時代ですから

「おぞましい言葉」「国家主義に走りそうな言葉」をつぶしていくべきと思っています。


戦前、戦中を知る世代にはもっともっと声をあげていただきたいと思います。








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会話力




     ねえ  あにぃ


     なんや


     さかな は 焼いたら やきざかな(yakizakana) っていうんやろ


     焼いたさかな は やきざかな(yakizakana)や それがどないやねん


     ほなね そばをやいても やきぞば(yakizoba) っていわんのは なんでや


     んあ  けったいなこと きくやっちゃな


     やきそば(yakisoba) たべよか っていうけど やきぞば(yakizoba) たべよかなんてよういわん


     あぁあ それはやな あぁあ あっ  そのてんてんは こげめやねん


     な  さかなは ちょっと こげめがあったほうが うまいやん


     そやけど 焼きそば こがしてみぃ だれも ようたべん


     やっぱし  あにぃは 学があるなあ


     おう  なんでもききや


     ほなね 裁判するとこ さいばんしょ っていうやろ


     裁判するとこ は さいばんしょ やな


     けんどね したに おんなじ 所ちゅう字をかいても トイレのこと


     べんしょ とは いわんと べんじょ ちゅうのはなんでや


     ・・・・・・・・・・・・・・




このように日本語の濁音・鼻濁音というのは難しい。

約束ごとがあるのかと尋ねられても例外の方が先に浮かんできてしまう。


この時期トルコキキョウの出荷のニュースがメディアからよく流れる。

時に「toruko gikyou」という言い方を耳にするが、あの何とも清楚なイメージの花には濁音は似合わない。

やはり「toruko kikyou」として欲しい。


このケースは「語が複合するとき後続の語の最初の音節が濁音に変化する」と

短絡的に受けとめ、語感のもつイメージを考えないで使用したものだろう。

花の名はその景色を連想させる響きを大切にして欲しい。


約束ごとがあるかは知らぬが、図鑑などを見ると「植物」「動物」の前に地方名がつくときは

「濁音」でない場合が多い。


おそらく語感を大切にした結果であって、それ以上の根拠は見つからないのではないか。

約束ごとを詮索するよりひとつひとつ丁寧に調べていくのがよい。

言葉とはそんなものだ。思いついたものをあげてみる。



清音の例   

       アメリカハナミズキ   

       セイヨウタンポポ

       ミヤマクロユリ

       アメリカクロクマ      

       インドクジャク

       エゾヒグマ          

       ニホンカモシカ

       トルコキキョウ       

       霧島ツツジ

       

濁音の例   

       ニホンザル        

       北極熊 

       大島桜



なぜ語感より法則性を優先したがるのだろうか。

濁音の問題だけでない。文字が同じでも読み方が異なるものがあるが、

読みの区別がわからないという人が多くなっている。


会話、交流が苦手というひとが増えてきていることと無縁でないだろう。

いずれも「考えるより慣れろ」というしかない。



   神さまのご利益(ごりやく)      

   利益(りえき)を分配する



   銀行窓口でお札(おさつ)をかぞえる  

   神社にお札(おふだ)を納める



   刀の柄(つか)               

   鎌の柄(え)


   
   水面(すいめん)が下がってきた    

   水面(みなも)をわたる風



   
   友人からの誘い(さそい)        

   名曲への誘い(いざない)



難しく考えることはない。遊んでたって自然と身につくことだ。

先輩達の話に耳を傾け、ラジオドラマや「朗読の時間」を楽しみ、落語に接していたら

私のようなものでも違いはわかるようになったのだから。


言葉は「学問」ではない。

金田一秀穂氏も言うようにコミュニケーションの道具だ。人と人とを結びつけるものだ。

濁音の変化や、読みの違いがわからなくなっていることは効率ばかり追い求めるあまり

ファティック※がないがしろにされてきた社会をあらわしている。


身近な友人以外とは話ができない生徒が多いという。

受験勉強に加え、携帯メール、インターネット等の日々・・・・。

「生の言葉」に接する機会が極端に少なくなっていることが気になる。


ファティックがなくなり、学問のような言葉になってしまっていることが悲しい。

肩肘張った借り物のことばではなく、その場にふさわしいことば、実感を伴ったことばを口にすればいい。

そうでなければ互いに信頼関係を築くことも難しいだろう。


以下に金田一秀穂氏が指摘するところを私流に書いてみる。



         ※ ファティックphatic ---- (金田一氏は「交話」という言葉を用いている)

      

      単語本来の意味自体は「交感的な; 儀礼的な, 社交上の」という意味。


      自分の存在を他の同じ種族の仲間に知らせる本能的行為。


      
     「私はここに生きている」というある種の使命感やエネルギーを持って伝える行為。


      
      高校野球の練習を見ていると、よく声を掛け合っている。

      ただ掛け声だけで、そこに情報はない。

      声を掛け合って、その存在をアピールしあっているだけだ。

      しかし、互いの存在を確認することに意味がある。

      同じ事はジャングルの猿にもあるという。


      情報のやりとりではない、会話をしたこと自体が大事な会話




[ご近所の会話]    


       おでかけですか


       ええ ちょっとそこまで


       そうですか ほな きいつけて


       おおきに


   「おでかけですか」に対して「余計なお世話だ」とはいわない。

   「ええ、ちょっとそこまで」と返す。

   いわれた方も「そこまで」が「どこまで」なのか尋ねようともしない。

   「そうですか」と、言葉を交わす。

   これで互いに納得している。おかしいといえばおかしな会話だ。


   しかし、これは情報のやりとりではなく会話自体に意味がある。

   別の言い方をすれば文字にならない部分に会話の意味があるとも言える。




[熟年夫婦の会話]


       ねえ ちょっとちょっと きれいな月よ


       ああ


       いい月ねえ


       ああ


       じきに寒くなりますね


       ああ


  杉村春子と佐分利信が出てきそうなやりとりである。

  しかし、文字にならない部分にこの夫婦の歩んできた幾春秋や子育てを終えた充実感、

  そして同時に味わっているさびしさ、だからこそあらためて相手を必要としている二人がいる。


  そんな空気感を読み取れるかが会話にとってはとても大切なことと思う。

  ひとは文字として書き表せる部分だけで会話をしているわけではない。

  会話力とはまさに行間にこめられた思いを理解することにあると思う。




[食堂での会話]


 自分の目の前には醤油注ぎがある。

 テーブルの端にいた人が声を掛けてきた。

 

       すみません それ お醤油ですか

 

      「○○○○○○○○○○○○○○○○」




 さて、あなたは何とこたえますか?








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精神主義




「潔い」「精進潔斎」「潔白」「潔しとしない」「潔癖」 etc


日本人の好きな言葉である。とくに、一部の男には好きな言葉であるようだ。

しかし、これらは70年前、


「玉砕命令」「自決強要」「最後の一兵まで」「降伏拒否」「生きて虜囚の辱を受けず」「特攻」


などと同義語であったことを知っておくべきだ。


個人の態度として潔いのはそれぞれであってよい。実際、立派なかたもおられたであろう。

しかし、他人に「潔さ」を強要することは、それが「集団ヒステリー」状態にあったことを考慮に入れても、

おおいに責められるべきである。そのことでどれだけの "いのち" が散っていったことか。



航空機メーカーから乗員保護について提案がなされたとき、


「腕よりも機械に頼る腰抜けどもを増やすだけ」


と言って否定した人物がいた。航空参謀として真珠湾攻撃にも関わった源田実である。


零戦は今でも語り草になるほど日本航空界の歴史に残る名機といわれている。

何故か。運動性能がよく、航続距離が長いからだ。


しかし、それがそのまま弱点であったことはあまり語られていない。

機体を軽くすることにこだわり、装甲(防御装備)を無視していたのである。


これが空中戦でどれほど多くのパイロットを失う結果になったことか。

また、慣性航法装置のない時代のことである。航続距離の長いことは、そのまま乗員の負担となり、

疲労の中での戦闘となるわけで、そのことによる人的損害も無視はできない。


精神論を優先させ、合理的思考を排除した結果は悲惨な結末を迎えるのである。

「潔さ」を強要し、精神論を振りかざした結果がこういう形で現れているのだ。

源田は責任者の一人として責めを問われるべきであった。


因みに、アメリカ海軍のF6Fヘルキャットは零戦と大きさはあまり変わらないのに重量は約2倍あった。

防弾フロントガラスの他、96㎏に及ぶ装甲がコクピットに張り巡らされ、

同様の装甲は燃料タンクとエンジンにも施されたためである。乗員の安全を何より重視した結果だ。



さらに源田は戦争末期に特攻攻撃を立案した人物とも言われている。


    神風特攻隊

    人間爆弾「桜花」  機首部に大型の徹甲爆弾を搭載した小型の航空特攻兵器。
 

    人間魚雷「回天」  旧日本海軍の特攻兵器。人が乗り組み操縦できるよう、

              九三式三型魚雷を改造した人間魚雷。



            
多くの若者の命を軽視する男は単なるナルシストであって軍人とはいえない。

軍人は虐待などよほどの非人道的なことをしない限り、戦犯として罪を問われることはなかったが、

現在の市民感覚からは果たしてどうだろうか。


こんな男達が戦争をしていた事実は覚えておくべきだ。

それでも戦後、参議院議員になっているのであるから、迎え入れた政党も知れたものである。

さらに、彼が戦後、航空幕僚監部装備部長、航空総隊司令、航空幕僚長を務めた事実の意味は

重いものがある。




"玉砕命令"  "最後の一兵まで"


まことに意味不明の言葉・行動である。

では何のために戦うのか。いったい誰のために戦うのか。


散っていくのが潔いことだと言っていて、どうして軍人の職務を全うできるのか。

かっこいいことは無責任でしかない。


仮にも民のために戦いの火蓋を切ったのであろう。民を護らずして、その行く末を見届けずして何が軍人か。

自分のナルシシズムのために自決していくような、めめしい人物は端から軍人には向いていなかった

と言うことだ。


終戦直後に多くの軍人が自決している。何ともやりきれない話だ。

日本はこんなナルシスト達のために振り回されていたのだ。


戦いに勝利することだけしか念頭にないから死を選ぶ結果となる。

戦いの終わり方をしっかりデザインできてこそ軍人、戦略家といえる。

余力を残して捲土重来を期す、ということでなくてどうやって国を立て直せるというのだ。


潔く聞こえる「最後の一兵まで」では国はなくなってしまう。

国のために戦うと言っておいて、国をなくしてしまう。こんな矛盾が許されてよいはずはない。


精神論ばかりが先行していた時代だった。

軍人・政治家として、合理的思考による戦略というものがあったとは思えない。








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上意下達(じょういかたつ)




私の周囲で "質問しない議員" が話題になった。

町会議員になって3年間一度も議会で質問しないという。

あららら・・・もったいない。自分などはすぐにも行って交代したいくらいだ。


しかし、不思議でもないような気もする。


何年も前になるが、知り合いに引っ張られて或る議員候補の集会に顔を出したことがある。

私には無縁の世界で、どこに座っていいのかもわからずウロウロしていた。


選挙前ということなのだろうが、会場には政党のポスターが貼ってあり異様な雰囲気だ。


やがて候補なるひとの演説が始まった。参議院選に出馬するだけあって弁舌さわやかという感じだ。

国会では名うての論客が揃う政党であってみればうなずける。


やがて演説も終わり司会者が質問はないかと会場に声をかけた。



      "沖縄に外国の軍隊は要らない" というポスターがありますが、この言葉の意味を説明してください。


      "軍隊は要らない" なら解るのですが、日本の軍隊ならOKということですか? お答えください。



私の質問に会場は静まりかえった。

司会者も候補もそんな質問は想定していなかったようだ。

「質問ありませんか」はお約束ごとなのか? 

雰囲気からして質問そのものを想定していなかったように感じた。


基本方針を追求するかのような質問は御法度なのか?

空気を読まないで感じたまま発言したことがよくなかったのかもしれない。


さっきまで弁舌さわやかだった候補もとたんに歯切れが悪くなった。

しどろもどろだ。準備不足なのだろう。

想定外の質問には答えられないひとと見た。


(オイオイこんなんで参議院へいく気かよ)

(民主的に見える政党も実態がこれじゃ政権は遠いぞ)


無論、政党全体がそんなふうだとは思わない。  が、その晩の雰囲気には失望した。



企業の中でも町内会でもすべて幹部が仕切り、末端はこれに従う。

「異論があったら前に出ろ」という空気の中では異なる見解を述べようもない。


最初から議論する空気ができていないのだ。

本当に議論する気があるなら環境を整えることだ。

この日本という "無口な社会" にあってはそれが大切だ。


もっとも私などは零細企業の中ということもあって、言いたい放題に意見を述べてきた。

多分に高校の国語の授業の影響だろう。

毎日10の質問を用意して臨まないと怖い時間だったから。

その習慣が残っている。


幹部で決めたことに従う、それが "革命" と信じてきたソ連は社会改革を成就できないで終わった。

原因はさまざまいわれるが、私は上意下達の空気にあったと思っている。


幹部も末端もない、そんな車座の中で政治が語られないでは民主主義も社会主義も成功するはずはない。

現在の日本もまったく同じ課題を抱えている。気づいていないならこの国もやがて無くなる。


古代ギリシアの都市国家のような直接民主制にでもしない限り上意下達の空気は一掃されないようにも思える。

ハンガリーの "インターネット民主党(IDE)" のあり方に注目していきたい。
                 


        ※ インターネット民主党(IDE)

          間接民主的に獲得した議席を直接民主的に運用し、

          有権者による代表達の常時直接的なコントロールを実現することを目標としている。


          国会における議論を常時中継し、市民はIDEのホームページで、

          国会で議論されている議題について投票を行なう。


          代表議員は市民によるインターネットを通した直接民主的議決を反映させる。



某陣営で固めた津幡町議会であってみれば上下関係もあって、抜きんでることなどできるはずもない。

質問しない議員がいることも不思議ではない。

所詮は数あわせの要員に過ぎない。

期待することが間違っている。


質問しない議員、もしかすると根回しして議案を作った張本人だったりして・・・・ (そりゃ ないか)








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櫻井よしこ氏 核の恐怖をレポート




櫻井よしこ 『中国核実験』の惨状

http://yoshiko-sakurai.jp/2009/04/02/1030


(引用ここから)


『週刊新潮』 2009年4月2日号 特別レポート 日本ルネッサンス 拡大版 第356回

「 『中国核実験』の惨状 」



「ガン発生率が35%も高い」 ウイグル医師が語る「中国核実験」の惨状



3月18日、東京・千代田区の憲政記念館で、

シンポジウム「シルクロードにおける中国の核実験災害と日本の役割」が日本ウイグル協会主催で開かれた。


新疆ウイグル自治区(東トルキスタン)での中国の核実験の惨状をいち早く突き止め、

世界に発信したウイグル人医師のアニワル・トフティ氏、札幌医科大学教授で放射線防護学を専門とし、

昨年夏、『中国の核実験』(医療科学社)という衝撃の書を出版した髙田純氏らが登壇した。


中国の弾圧に苦しむチベット人も含めて、約200名が集った同会では、

1964年から96年までに東トルキスタンのロプノルで46回の核実験が行われ、

少なくとも19万人以上が死亡、129万人以上が被爆したことが発表された。


ロプノルでの核実験は、総爆発出力20メガトン、広島の原爆の約1,250発分に相当するという。

被害の凄まじさは想像を絶するが、だからこそ、中国政府は一切の情報開示を拒んできた。


シンポジウムに先立って取材に応じた髙田教授が語る。


「広島上空で炸裂した核爆発の災害調査から始めて、私はソ連のセミパラチンスクでの地表核爆発災害、

マーシャル諸島での地表核爆発災害を調査してきました。

これまではソ連がいかに国民の生命や健康に配慮しないひどい国かと思ってきましたが、

中国を調べ始めて、中国に較べればあのソ連さえ、紳士的だと思ったものです」


髙田教授の批判は、中国共産党の核実験の方法にも向けられる。


「核実験の被害は地表で行った場合が最も深刻です。

空中や地下でのそれに較べて、核分裂生成核種が大量の砂塵となって周辺や風下に降りそそぐからです。

ですからソ連でさえも人々の居住区での地表核実験は避けてきました。

それを中国は強行し、結果、日本人も大好きなシルクロードにも、深刻な放射線汚染をもたらしています。

こうした一切の情報を、中国政府は隠し続けています」


住民には情報自体が与えられないのであるから、健康被害に関する指導も支援もない。

シルクロードに憧れて現地を訪れる旅行者に対しても同じことだ。


中国の隠された核実験の悲惨さを、初めて国際社会に伝えたのが

英国の「チャンネル4」によるドキュメンタリー、「死のシルクロード」だった。

98年8月に報じられたこの27分間の作品は、世界83ヵ国でも報じられ、

翌年、優れたドキュメンタリーに与えられるローリー・ペック賞を受賞した。

そのとき取材の核となって情報を集めたのが、今回のシンポジウムで来日したアニワル氏である。


氏は1963年生まれ、10年前から英国で亡命生活を送っており、英国ウイグル人協会会長をつとめる。

医師である氏は、当初、中国の核実験についてなにも知らなかった。


「今振り返れば、93年に奇妙な話を聞いていたのです。

弟の結婚式で、クムル(中国名=哈密=ハミ)に戻ったときのことです」



クムルは東トルキスタンの東端、中国に近い。



「親戚友人の集った席で羊飼いの老人が『自分は神を見たことがある』と言い始めたのです。

老人は、或る時、中国の軍人たちの姿を見かけるようになり、暫くすると、太陽の100倍くらいも明るい光が射した。

地面が大きく揺れて、凄まじい嵐になったと語るのです。

それはいつのことかと問うと、『何年か前』と言います。

後に私は、老人の話は、神の出現などではなく、中国の核実験だったと気づくことになります」


アニワル氏も、小学3年生の時に、似た体験をした。

「地震のような大地の揺れのあと、3日間、太陽が隠れました。空が落ちんばかりに大量の砂塵が降りました。

学校の中国人教師は、土星の嵐が地球に土や砂を降らせていると出鱈目の説明をし、私たちはそれを信じたのです」



病床を占めるウイグル人



驚くことに、日本ウイグル協会会長のイリハム・マハムティ氏にも同じような体験があった。


「小学5年の時、大砂嵐が吹き起こり、50センチ先の人の顔さえ見えなくなりました。

2001年秋に日本に来て初めて、あの嵐は核実験の嵐だったと知りました。

ただ、私の住むクムルなど東部では、被爆の被害は比較的少なかったのです。

核実験は、風が東から西、中央アジア方向に吹くときだけ行われたからです」


イリハム氏の体験は79年から80年にかけてのことだ。

中国は79年には地下で、80年には空中で、核実験をした。

前者の規模は不明だが、後者は0.2から1メガトンの間と見られている。

核実験であると知っているか否かは別にして、東トルキスタンの多くのウイグル人が、

核実験による砂嵐や大地の揺れを体験していることがわかる。


アニワル氏は石河子大学医学院で学び、医師となり、1991年、ウルムチの鉄道局付属病院に勤務した。

94年、上司の主任医師が冗談のように言った。


「君は、ウイグル人は頑健だというが、違うじゃないか。病人が随分多いぞ」


たしかに、鉄道の労働者16万人中、ウイグル人は5,000人にすぎない。

にも拘らず、40病床中、10床をウイグル人が占めていた。


「16万対5,000、比率で言えば40床の内、1床か2床にウイグル人がいるのが普通です。

なのに、なぜ10床も占めているのか、私は秘かに調査を開始しました。

ガンの専門医としての立場を利用して、自分の病院だけでなく、

他の病院のガン患者に関する資料も集めることが出来ました」


ガン患者に共通する因子はあるのか。やがて彼は、ガンは、最も多い順に、

白血病、悪性リンパ腫、肺ガンであることを突き止めた。


「94年までには、共通因子は放射能だと確信するに至りました。

さらに慎重に調査を進めて驚くべきことを発見しました。

東トルキスタンにおけるウイグル人のガン発生率は中国内陸部の平均と較べて、35%も高かったのです。

当地に30年以上居住している場合、ウイグル人だけでなく漢人も同程度のガン発生率だった。

20年居住の場合は、これまた民族の如何を問わず、25%高く、10年居住の場合は15%でした。

10年未満の場合だけが内陸部の中国人と同じでした」


氏の調査は、やがて当局の注意を引いた。

或る日、上司から、「君のしていることは間違った調査だ」と警告された。


「私はきっぱり調査をやめました。それまでにすべてを解明していたからです。

私は、この恐るべき実態を外の世界の人々に伝えなくてはならないと考え、中国を出る決意を固めました」


氏は97年にウズベキスタンを経由してトルコに着いた。

東トルキスタンのトルキスタンは、「テュルク人の土地」を意味するペルシャ語である。

テュルク人とはテュルク語を母語とする人々のことだ。

そして、ウズベキスタンもトルコもテュルク系で、ウイグル人とは元々、同族である。


「トルコで、私は一人のチャンネル4の英国人特派員に出会いました。

彼は中国取材で私の協力を欲しており、私は二つ返事で引き受けました」



実験場から噴き出す核の灰



こうして、アニワル氏はそれまでの自分の調査結果の概要を教えた。

チャンネル4は直ちに取材体制を整え、準備に入った。

取材班には放射線汚染の医学的影響を客観的に判断するために、

アニワル氏以外にもうひとり別の医師を加えた。彼らは旅行者を装って中国入りした。

被爆者と思われる多数の患者も取材した。しかし、決定的な証拠がない。


そのときに、アニワル氏が驚くべき決断を下したのだ。

彼は、旅行者を装った取材班の観光ガイドに扮して、中国に戻り、

かつて自分が行った調査資料をはじめ、中国政府が隠し続けてきた核実験の資料を手に入れるというのだ。


「ここでわれわれは重大なミスに気づきました。資料があるはずの大学は図書館も含めて夏休みだったのです」


彼は一計を巡らせた。98年7月8日である。大学の図書館のガードをレストランに招待した。

博士論文を書かなければならず、そのための資料がどうしても必要だと訴えた。

レストランのウエイターらには、ガードを自分の大切な友人だと紹介し、

100ドルを支払って最高のもてなしをするようにはからった。ガードにも100ドルを渡した。

生まれて初めてレストランに招待され、歓待されたガードは、彼に、図書館の鍵束を渡してくれた。


摘発されれば少なくとも20年の刑だ。

だが、アニワル氏は資料室の奥深く入り込み、

なんと、必要な資料、分析報告のすべてを、持ち出すのに成功したのだ。


「初めてこの話をしました。あのときから10年以上がすぎ、

もうガードも、いませんから」とアニワル氏。


スパイ小説を地で行くような展開は、98年8月に報じられた「死のシルクロード」にも詳しい。


彼らはホテルにこもって、門外不出の内部資料の山を一枚一枚読み込み、

重要なファイルをマイクロフィルムにおさめていった。

ロンドンから、別の記者が旅行者を装って飛んできて、

あるレストランで、素知らぬ顔でマイクロフィルムを受け取った。

彼は運び屋としてマイクロフィルムをロンドンに持ち帰ったのだ。

資料が無事に本社に届いたことを確認したあと、アニワル氏らは手持の全資料を焼却した。

こうして、アニワル氏は再び中国を後にしたが、空港で数時間にわたって、隅から隅まで取り調べられた。


「何も見つかるはずはありません。空手ですから。

しかし、翌99年、私は英国に亡命しました。

中国共産党政権が倒れない限り、生涯二度と中国に戻ることはないでしょう」



寿司をつまみながら、アニワル氏は語る。



「中国政府は、核実験はすでに中止したと主張します。

しかし、悲惨な後遺症は続いています。

情報を隠し、恰も核実験など存在しなかったかのように封じ込めようとしているのです。

中国政府は情報の開示と医療対策を直ちに実行すべきです。

なによりも、ウイグル人に対して根拠のない支配をやめるべきです」


一方、アニワル氏とは別ルートで、髙田氏も中国の核実験の悲惨な現実を掘り起こした。


氏はソ連のセミパラチンスク核実験場の放射線影響調査の過程で、

中国の核実験がカザフスタンにどのような影響をもたらしたかを分析した報告書を手に入れたのだ。



中国の核実験の凄まじさは際立つと、氏は語る。


「セミパラチンスクの地表での核実験では、ソ連は半径100キロの範囲で柵を立てました。

それでも大量の核の灰が実験場の外へ噴き出した。

中国が東トルキスタンのロプノルで行った地表での核実験の中には、


セミパラチンスクの10倍の威力のものもありました。

半径300キロの範囲から人間を退避させなければならないとしても、

隣のチベットにまで及ぶ広範囲を封鎖することは困難でしょう。

中国政府が安全管理を徹底させたとは思えません」


つまり、柵も立てずに実験したと言っているのだ。

日本でもどこでも、科学者や研究者は、実験に際しては徹底した安全管理を旨とする。

しかし、中国政府にはそのような考えはない。

住民への予告も警告もなかったのは、先述の羊飼いの老人らの話からも明らかだ。

居住区で、防護策も講じずいきなり核実験を強行する野蛮な手法をとるのは、世界広しといえども中国だけだ。



国会議員の姿はなし



髙田氏が世に問うた『中国の核実験』には、

中国が意図的に東トルキスタンはじめ中央アジア諸国の方向に核物質を降らせるよう、

工夫して実験してきたことも書かれている。


周知のとおり、1トンの100万倍がメガトンである。

メガトン級の核実験を中国は度々、強行したが、不思議なことに、

どの場合も日本の東海村での観測は、中国からの大量の放射線降下物を記録していない。


2メガトンを超える大型核実験が行われた67年と73年の各々6月、

風はいずれも北北西、つまり、カザフスタン方向に吹いていた。

76年11月の4メガトンという巨大実験の日、現地の気象データがないために確認は出来ないが、

風は少なくとも、カザフスタンでも日本の位置する東方向でもない別の方向に吹いていた。

なぜなら、双方の地点で放射線降下物は観測されていないからだ。理由を髙田教授は次のように説明した。


「ソ連では、危険な核実験は、風向がモスクワを向いていない日に行われました。中国も同様でしょう」


東トルキスタンの核実験場ロプノルから北京方向への風が吹く日には実験は行われないのだ。

東京は、ロプノル─北京を結ぶその延長線上にある。

北京の共産党指導者層を核放射物質から守るための工夫が、中央アジア諸国に「核の砂」を降らせ、

東京を守る結果となっていると、高田教授は分析する。

だが、北京方向に風が吹くときには大型実験は避けられても、中型、小型は行われてきた。

日本への被害はゼロではない。



イリハム氏が強調した。



「核実験の後遺症で、東トルキスタンには種々のガン患者をはじめ、

流産、死産、小頭症、重度の知的障害など、次の世代にも影響する多くの問題が顕著に表われています。

アニワル氏は、ウイグル人の滅亡につながりかねない中国の核実験の被害の実態と悲劇を世界に伝えるために、

これからの一生を費やすと決意しています。私も同様です。

中国の圧政に屈せずに、チベット人やモンゴル人とも協力して、訴えていきます。

その決意で、シンポジウムを国会のすぐ近くで開きました」


だが、シンポジウムには、日本の国会議員の姿は見当たらなかった。

中国の核は、有事の際の対日軍事オプションとして、大きく重い意味をもつ。

中国の核実験に日本が政治的に無関心であってはならないのだ。


(引用終わり)






2012年12月09日日曜日の報道。

櫻井よしこ「大人は年20ミリシーベルト、子どもも10ミリシーベルトまでは大丈夫」

http://soba.txt-nifty.com/zatudan/2012/12/post-9805.html

http://www.asyura2.com/12/senkyo141/msg/467.html


(内容)


福島のニュース


櫻井よしこさん 「除染基準の緩和が必要」 郡山で講演


ジャーナリストの櫻井よしこさんが8日、福島県郡山市であった福島県双葉郡8町村の議員研修会で講演し


     年1ミリシーベルトの除染基準は古里再生のために緩和すべきだ。


と述べた。

双葉郡は福島第1原発事故で多くの住民が避難を続けており、質疑で議員が反発する場面もあった。


櫻井さんは


     放射線には幅広い意見があるが、政治家は事実を見るべきだ。

     人類が持つ科学的事実は広島、長崎、チェルノブイリの疫学データしかない。

     国連科学委員会や国際放射線防護委員会は100ミリシーベルト以下の

     影響に有意性はないと結論付けている。


と強調した。


その上で「科学的根拠のない年1ミリシーベルトを除染の基準にして大量の土砂を積み上げ、

自分たちで新たな問題をつくり出している。大人は年20ミリシーベルト、子どもも10ミリシーベルトまでは大丈夫と、

国の責任で言わなければならない。町村議は住民と一緒にうろたえていてはいけない」と言い切った。


議員からは



     安全性を本当に担保できるのか。

     1ミリシーベルトは避難者の心のよりどころ。



と反論が相次いだ。


櫻井さんは



     反発、失望には驚かない。事実へ議論を積み重ねることが大切。

     私も福島復興のため最後まで関わり続ける。



と応じた。

(以上)



あれれ!!「櫻井よしこ」なる人物は二人いるのだろうか?

それとも中国核実験惨状のレポートは単なる政治的な中国非難だったということか。


ジャーナリストという評価に疑問を持たざるをえない。








原爆を許すまじ
http://gravitational-wave.air-nifty.com/tobenaiposuto/2013/week19/index.html#entry-76444807








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