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Paternalism社会




     「住宅用火災警報器の設置が義務付けられます。

      改正消防法が交付され、 2006年6月から、

      すべての住宅、アパート、共同住宅に火災報知器の設置が義務付けられます」




こんな大げさなPRがなされ、消防法が改正された。

しかし、これはいったい何のための法律なのか、誰のための法律なのか、まったくわからない。

何も考えようとしない従順な市民は率先して従い、達成化率を競っていたりもしている。


     「国が決めたことだから(お上の言うことだから)」

     「アメリカでは、1970年代から、住宅に火災警報器の設置を法律で義務付けており、

      火災による犠牲者を半減することに成功している、そうだから」




んっ? 本当にそうか? 何かおかしくないか。

私は単なる景気刺激策にしか思えない。

業者の利益を図ることが先にあり、市民はだしにされているのではないか?

アメリカでは・・・といわれるとすぐに従順になってしまう議員や市民がいかに多いことか。


そもそも火災警報器とは火災を防ぐためのものではない。ここは大事なポイントだ。

防災の基本から言えば、火災を起こさないことが先に語られなければならない。


消火器の設置を論ずることが無く、いきなり起きてしまった火災についていうのは

消火器業界よりも家電、防災機器業界の陳情が功を奏したと言うことか。

まことに不可解な法改正である。

へそまがりはここでも産業界と霞ヶ関の癒着を疑ってしまう。


確かに無いよりはあったほうがいいとも言える。

しかし、消防署に直結していないシステムにいったい何を期待できるのか。


気密のよい住宅が増えてきている昨今である。

隣家にすら聞こえないものを火災警報器と認めることには強い違和感がある。

こんな中途半端なものが法令の対象になるとは審議をした議員たちの見識を疑う。


「シートベルト装着義務」と「住宅用火災警報器の設置義務」の背景に保険会社の影を

感ずるのは私だけだろうか。ともに Paternalism ※の典型であると思う。



               ※ 余計なお節介、父親的干渉(語源はラテン語 pater[パテル]父の意 から)




車に乗る場合、同乗者の安全を図ることは運転者の義務であろう。

法律以前の問題だ。


だが、自らの意志でシートベルトをしないからといって誰に迷惑がかかるのか。

事故は起こして欲しくはないし、いのちを大切にして欲しいとは願う。


ただ、法で強制すべき事なのかということだ。

意に反して損害をこうむるのは保険会社である。

ここの被害を少なくしたいのが本音ではないのか。


火災警報器についても同じ事がいえる。有害なものなら全員が否定しよう。そうでないだけに意見は分かれる。

しかし、「法」という規制をかけるにしてはあまりに中途半端な代物だし、

ましてひとり暮らしの住まいにまで適用するともなれば Paternalism のそしりは免れないだろう。


社会の構成員が減少するということについて国家が無関心でいられない、

ということについてはわからぬでもない。


が、それで Paternalism を認めていたら、この国はファシズム国家になってしまう。

何から何まで将軍様が決めてくださる国と何も変わらないことになってしまう。


消防署に直結しなければ、違反であれ、我が家には設置の計画はまったくない。

台所をIHにしたばかりでなく、暖房も深夜電力の蓄熱暖房機だ。

火災を防止することが目的であることはいうまでもない。


加えて狭小住宅であるにもかかわらず、10キロの消火器を1Fと2Fにそれぞれ1本設置してある。

火災を起こさないことを最大の安全と考えている。

またすべての方向に避難が可能な造りとした。


あらゆる火災対策をとろうともせず、火災警報器だけを義務づけるとはあまりに露骨な産業育成策ではないか。

消火器の無い家にも火災警報器が設置されている。これは立派な「珍百景」である。



     ※ 消防法第九条の二  

      住宅の用途に供される防火対象物


     (その一部が住宅の用途以外の用途に供される防火対象物にあつては、

      住宅の用途以外の用途に供される部分を除く。以下この条において「住宅」という。)


      の関係者は、

      次項の規定による住宅用防災機器


     (住宅における火災の予防に資する機械器具又は設備であつて政令で定めるものをいう。

      以下この条において同じ。)


      の設置及び維持に関する基準に従つて、住宅用防災機器を設置し、及び維持しなければならない。


      ○2

      住宅用防災機器の設置及び維持に関する基準その他住宅における火災の予防のために

                     必要な事項は、政令で定める基準に従い市町村条例で定める。






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大河ドラマ___おこぼれを待っているハイエナたち




     剱さん 仕事のことなんですけど・・・・



     バレエ教室のほうは どうなの?



     そのことなんです・・・ 教室に力入れたいんですけど そうなると収入も心配になるし・・・



     今の仕事をアルバイトで続けながら・・ということも考えているんですけど・・・



奥さんと共にバレエ教室をやっている後輩からの相談だった。



     バレエがなければ ここの仕事を続けて欲しい この業界には絶対必要な人だし 会社も評価している



     しかし それでは悔いが残るんじゃないの そんな顔してるよ



     その世界でやっていける自信があるなら 夢を捨てちゃいかん 教室をやっていけば?



     ただ 他に収入の道があると思っていると教室も駄目になる 

     逃げ込むところがあるのは見ててわかるんだよ

     教室の生徒さんには君の甘えの心が見えてしまうんだよ  芸術の世界だからね



     いいものにしたかったら打ち込んだよ 死にものぐるいでやらんかったら残っていけないだろ?

     何の援助も出来ない者が偉そうなこというようだけど 中途半端な人ほど挫折するもんだ



     そんな人をたくさん見てきたよ 一流という人も知っているけど、明日の保証なんて無い

     みんな決死の覚悟なんだよ だから感動を呼ぶんだよ 

     どの道も生きていくということは ハンパじゃないよ



後輩と奥さんは専業の道を選んだ。

成功しなかったらどうしよう。実は私が一番気をもんだ。 

「退路を断つ」とは簡単にいうけど、「失敗したら首をくくれ」と言っているに等しい。責任を感じる。


しかし、私の心配はあたらなかった。

夫妻はバレエ指導に打ち込み、

いまや全国舞踊コンクールでも激戦といわれる児童舞踊部門の上位入賞の常連である。




わが津幡町は「大河ドラマ誘致運動」を行なっている。

源平の合戦で知られる倶利伽羅峠(くりから とうげ)があることを企画の根拠としているらしい。


どうも、ドラマに刺激を受けたそそっかしい観光客の落とす金が目当てという、何ともみみっちい動機のようだ。

テレビと断絶状態にある私から見ればいかにも時代遅れの企画という感がする。


商品を企画するとき、まずは市場リサーチからスタートする。売れるか否か見極めるのは商売のイロハだ。


ドラマを成功させるためには視聴者の関心がどこにあるかを知らねばならない。

どんな本が読まれているか、どういう人物の言葉を評価しているか、ドラマの視聴率、視聴時刻・・・

さまざまな要素が検証されねばならない。

「作りたいんです」その思いだけで成功するほど世の中甘くはない。


ドラマ・映画作りに一体どれほどの金がかかるか、 "誘致" といっている人にはわかっているのだろうか。

エキストラで大映撮影所に出入りしていた私はその大変さを肌で知っている。


扮装して待機すること数時間、天候待ちであったり、予定していた前のカットどりが遅れたりと・・・

スケジュール通りには進まない。それでもお弁当は出たし、日当ももらえた。送迎もしてもらえた。


順調に撮影ができたからといって最終的に使用されるとは限らない。

カットされることも当然ある。

つまり、莫大な費用が画面の裏側で消えていっている。


では、この莫大な費用はどうやって回収されるのか。

はっきり言えばお客さん次第なのだ。


食品や文房具のように必ず必要というわけのものでもない。

景気が悪くなればまっ先に見捨てられる。

いわば水物である。だからこそ昔から芸能にたずさわる者の社会的評価は低かった。

今でも銀行で融資を受ける際は厳しいのではないかと思う。収入があてにできないからだ


それでも映画人は作る。借金してリスクを背負いながらでも映画を作る。


名監督、名プロデューサーといわれても経済力があるかは別のことで、

みんな夢にかけているからこそ、死にものぐるいで「世に問う作品」を作っている。

ブレークしなければ自分の負債になる覚悟で。


「大河ドラマ誘致」とはよく言ってくれるもんだ。


他人様の金をあてにして、製作費を負担することもせず、

経済効果のみをあてにする連中はライオンのおこぼれを待っているハイエナに見えてくる。


誘致運動に失敗しても行政としての責任をとることも無い。

悪いのはNHKだったと報告するだけだ。


NHKも誘致運動に押し切られて製作したと言っていればいいわけで、

不作といわれ視聴率が低くても誰も責任をとる人はいない図式なのだ。


責任をとらない官僚社会の姿をここでも見る思いだ。


そんな中で作られる作品が感動を呼ぶなどあり得ない。

昔見た正月興行の「オールスターキャスト」作品のようで、評論家の批評に耐えるものなど見たことがない。

製作動機が観光客誘致であってみれば当然すぎるほど当然だ。




原発事故を起こした東電や政府、外貨準備で巨額の損失を出した財務省・・・誰一人責任をとろうとはしない。


こんな緊張感のない政はもうごめんだ。民は命がけで生きているのだ。






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お 金




お金って誰が考えだしたのか、難しい代物だ。


若い人に「お金をテーブルの上へ出してみて」と、言うとポケットをがさこそやりだした。



     違う違う それは紙幣とか硬貨だろ? 

     私が言うのはお金の本質的なこと

     お金って 実は誰も見たことないんじゃないかね

     ここへ出せるもんじゃないんじゃないかね



たいていの人は紙幣や硬貨だと思っている。

しかし、多くの人はそもそものところがよくわかっていないのではないか。

だからこそ、見かけの "お金" に振り回される。


お金はいわば網の "目" のようなもの。

人と人がつながりあってこそ初めて存在する。

人が互いに働きあってこそ見えてくる。

本来は盗もうとしても盗むことなどできない、架空のものだろう。

テーブルの上へなど出せるはずはない。


仮に、所有欲の強い男がいて世の中の紙幣・硬貨を残らず集めたとしよう。

大金持ちになったのか?

いや、その時点で紙幣は紙くずだし、硬貨は金属の固まりでしかない。

そこのところをわかっていない人が多すぎる。


とくにアメリカにそんな人が多い。

富のほとんどをごく少数の人が握っている。

そして、大富豪という呼ばれかたに酔いしれている。

私から見ればとんだお馬鹿さんだ。


そのお馬鹿さん達の言う経済学、資本主義はその発想からして間違っているし、

車産業が国家に対して経済支援を要請した段階で終焉を迎えたと言っていい。


国家が企業に金を出せば、それは社会主義と言うべきだろう。

自己完結であってこそ「資本主義」と言えるわけで、「甘えきった似非経済人たち」、と言わざるを得ない。


開拓時代(先住民から奪い取った地であるわけだが)の資源もあり、市場もあり、

働けば目に見えて豊かになった、

そんな時代の夢をまだ追いかけているのだろう。

所詮、車の台数は人口以上に必要無いことも忘れて・・・


国から支援を受けなければ倒産する企業が何でボーナスを出せるのか。

何で経営責任者に給料が出せるのか。

そんなことを許す国家が世界をリードするとはとんだお笑いぐさだ。


一部に富が集中すれば社会は動かなくなる。

それぞれが豊かになってこそ資産家と言われる人にもそのおこぼれが行くわけで、

それをわかっていなければ経済人とは言えまい。


ヒンズー教の国、インドでは金を蓄えるのは悪いことをしているという認識だ、と聞いたことがある。

だから富裕層に大きな罰金を科せる。実に論理的な考え方だ。

日本でも金を昔は「お足」と呼んでいた。

足がはえたように動き回るからで、動かなければ金とは言わない。


将来に不安があるからこそ、人は見かけの "お金" に走る。

将来が見えているなら多くを必要としない。

政治が不安定になればなるほど、不必要なまでに金集めに血道を上げる。


かつてソ連で行列があたりまえだった。

物不足社会、社会主義経済の実態・・などと西側からさんざん叩かれたが、

実際はそれほどでもなく、「無くなってはいけない」という市民感覚がそうさせていた面が強かったとも聞く。


信じられなければ、日本で社会実験をやってみればいい。

「長い行列」を仕掛けてみればたちどころに連鎖が始まり、1週間で「物不足の国」に変容するだろう。


トイレットペーパーもスーパーへ行けば山のように積んである。

しかし、世の中に必要な分が並んでいるわけではない。

いつでも買える、その安心感でひとは納得しているに過ぎない。

その安心感こそ大事なのだ。


問題は「政治に対する信頼感」にある。政にたずさわるひとの責任は大きい。


「われわれ富裕層に増税をすべし」、高額所得者が政府に要請した事が報道されていた。

志位委員長が聞けば涙を流しそうな話だが、残念ながらこの国の話ではない。



    [パリ 23日 ロイター] 2011年 08月 24日 12:52 JST


     
    化粧品大手ロレアル創始者の遺族やエネルギー大手のトタル代表など、フランスの富豪らが23日、

    国の財政赤字削減を支援するため、高額所得者への増税を政府に要請した。


    週刊誌ヌーベル・オプセルバトゥールのウェブサイトに掲載された嘆願書は、企業首脳やビジネスリーダー、

    個人ら16人の連名で、同国の富豪らを対象にした「特別貢献税」の創設を提唱。

    海外への租税回避をさせない仕組みが必要だとしている。


    この嘆願に賛同したのは、ロレアル創始者の娘リリアン・ベタンクールさんや

    トタルのクリストフ・ドマルジェリ最高経営責任者(CEO)のほか、

    エールフランスKLMのジャンシリル・スピネッタCEOなどで、

    「われわれはフランスの制度と欧州の環境から恩恵を受けていることを理解しており、

    その維持に一役買いたいと望む」と訴えた。


    国債の格下げ観測も浮上しているフランスでは、政府が財政赤字の削減目標を達成するため、

    高額所得者向けの増税や住宅関連税制優遇の縮小、企業向け税控除の縮小などを検討している。




無論、それを言って当然の人たちではある。今までがひどすぎただけのことだ。

とはいえ、経済の何たるかを再考するきっかけになってくれればと思う。

何処かの国の高額所得者にも倣って欲しいことではある。






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方法論のない哀れな指導者たち




1964年の東京オリンピック。

柔道の無差別級決勝戦で日本期待の神永昭夫が敗れた。

オランダのアントン・ヘーシンクが神永を袈裟固めで下して金メダルを獲得した。


柔道が正式競技として初めて採用された地元開催のオリンピックである。

最も重要視されていた無差別級で外国人が日本代表を下して優勝を果たした事は、

自他共に柔道を「お家芸」と認める日本に大きな衝撃が走った。


スポーツにおいては体格、体力、技術に勝る者が勝利するという、きわめて当然の帰結であったが、

この敗北はスポーツ界にとどまらず、日本社会の底流にあった「精神論至上主義」を意気消沈させるに

十分だった。


合理性、論理的な思考が大切といいながら、

日本人の中には「歯を食いしばり頑張れば何とかなる」という思いがあった。

しかし、ヘーシンクは「何とかならない」現実をまざまざと見せつけた。


高校2年の私にとって目から鱗が落ちた瞬間だった。


   (とべないポスト・オリンピックはスポーツか)

    http://gravitational-wave.air-nifty.com/tobenaiposuto/2013/week20/index.html#entry-76521971




最近、またこの精神論至上主義が復活しているようだ。

あるひとは「復活」ではなく、無くなっていなかっただけともいう。

この社会の病巣は根深そうだ。




1995年、野茂英雄は日本を見捨ててアメリカへ渡った。

「草魂」という座右の銘を持ち、強い精神力で肉体の酷使に極限まで耐えるのがプロ野球選手の

あるべき姿という鈴木啓示のスタイルに反発したのが最大の理由といわれる。


鈴木はコンディショニングコーチの立花龍司も冷遇した。

彼のとる合理的なトレーニング方法を理解する能力がまったくなかったからである。

鈴木は「精神論至上主義」の野球人でしかなかった。

精神論を振りかざすということは方法論を持っていないことの証左である。

指導者としての資質に欠けるということだ。

それでも今、どこかの某国営放送局の解説者におさまっているのだから、その局の程度も知れたものだ。


鈴木と対立し冷遇された立花は近鉄を退団、千葉ロッテマリーンズへ移り、ボビー・バレンタインの信頼の下、

当時リーグ屈指といわれた投手陣を指導し、チームの躍進に貢献した。

さらに1997年にはメジャーリーグのニューヨーク・メッツへ移籍。

日本人初のメジャーリーグコーチとなった。


アメリカは合理的な考え方を尊重し、日本という社会は戦前から精神論に固執するという典型的な例である。




体格に劣り、体力のなかった私は学校時代体育の時間が大嫌いだった。


「頑張って!」「跳べ!」と言うだけで合理的な指導もなければ元々体育嫌いの少年が跳び箱を跳べるはずもない。

跳べないからますます嫌いになるという悪循環だった。

成人してから「跳び箱指導」の映像をテレビで観た。

「ああ これなら できたかも」そう思った。


低学年の子どもたちは長い丸太にまたがり、両手と脚の力で前へ前へ移動していく。

やがてそのスピードがあがるにつけて跳び箱の跳び方になっていくというものだった。

自分の能力のなさを転嫁するつもりはないが、やはり教え方は工夫されるべきだった。


同じことは「自転車の練習」にも言える。

私などは姉に後ろを持ってもらって空き地で何日も練習した。

あちこちすり傷だらけで・・・・・

乗りたい一心。それしかなかった。

ところが近年、合理的な指導法を見てビックリ!! 

たった2時間で自転車に乗れるようになるではないか。

参考に書いておく。



   まず自転車本体からペダルをはずす。


   そのまま手で押して歩く練習。


   次はサドルにまたがり、脚で地面を蹴り前へ進む練習。


   ペダルを取り付け、脚でこいで前へ進む。



自転車の動きを体でおぼえ、コントロールできるようになったところで始めれば何の苦もなく、

2時間で乗れる。これは衝撃的だった。


何事も合理的に進めなければ事は成らない。

指導の方法論を持たないということは自分もわかっていないことを意味する。

それまで成果をあげられたのは偶然でしかなかった。

指導者としては致命的だ。




現在パソコンをやっている人たちは初歩の段階で必ずBASICなどの言語を勉強し、

自分でプログラムをつくった体験を持つだろう。

ところが、やってみて最初に思い知るのはアルゴリズムの必要性だ。


「アルゴリズム」というのは、コンピューターで計算を行なうときの「計算方法」のことだが、

広くいえば、何か物事を行なうときの「やり方」のことだと言ってよい。


「ご飯を炊く」という行為も「やり方」をコンピューターに覚え込ます必要がある。

「甘えてるんじゃない 失敗しておぼえるもんだ」は機械相手には通用しない。


自ら行なっている「ご飯を炊く」という行為を解析できていなければ「アルゴリズム」は書けない。

コンピューターで何かをするということは工学系のように思われがちだが、実は文系の素養も必要である。


方法論をしっかり持って伝えなければ何事も始まらないのは相手が機械であっても

人間であっても同じ事だ。




方法論のない哀れな指導者たちは威圧することや暴力をふるうことで自らの無能を忘れ、

無力感を麻痺させようとする。

そうしたところで自分が指導者に適していないという現実から逃れられるはずもない。

昔と違って今の若い人たちは黙ってはいない。

方法論を持たない人間を指導者とは認めない。


反省しているから許す、という精神論の問題などではない。

マネジメント能力の問題であるということが理解できないでは何の解決策も見いだすことはできない。


日本柔道女子選手が、暴力行為やパワーハラスメントがあったとする告発文書を、

JOCに提出した意味を柔道連盟の専務理事は理解できていない。

自分たちの置かれている状況を楽観視し、戒告処分などと言っているのだからお気楽なかたである。


スポーツ指導者にとどまらず、政治家にもマネジメント能力に疑問符がつくひとびとが多い。

ただただ精神論を振りかざす政治家は与野党に見られる時代だ。




何やら70年前のような状況ではある。






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勝手に置いていった電話帳




    3割以上の株式を政府が所有している会社であってみれば議員のみなさまにも

    少しは関心を示してほしいものである。




NTTへ勝手に置いていった電話帳のことで電話をした。

30分後、責任者という人物のほうから電話があった。




留守に来て勝手に軒下に置いていくのは御社の方針ですか?



留守の場合はそうさせていただいています。



私はまったく使わないけど、仮に使うとして、

あなた方はお客さまが使う大切なものを軒下に放りだしていくのは何故ですか。

答えてください。



・・・・・・・・・・・・・



あなた、クロネコヤマト知ってます?



はい、知ってます。



留守にしていたら彼らはどうしていく? 軒下に荷物放りだしていくかね?



いえ、ご不在連絡票を入れていきます。



そうだね。なんで?



手渡しするためです。



なんで?



大切なものだからです。



電話帳は使うかたにとってみれば大切なものではないのかね?



・・・・・・・・・・・・



それにしても お客が使うか使わないかを調査もしないで よくも延々と電話帳の配布をしているね。

希望者にのみ有料で頒布するとか いっそ書店で販売すればどうなの?



書店に置いても売れません。



ほらほらほら、わかってるんじゃない。 

そうだろ? 誰も欲しがらないものをあんたら配ってるんだよ。

なんで?



・・・・・・・・・



ぐうのねも出ないって感じだな。

こんな無駄な事業にかけた金はいったい誰の懐に入ってるんだい?



・・・・・・・・・



本来なら このうちのいくらかは あんたたちの給料になるかもしれん金だよ。



・・・・・・・・・



こんな無駄な事業をあんたらはなんで抗議もせず、ボーッと見てるんかね? 

あんたらの金だよ。

無論、消費者の金でもある。 

これ みんなコストとして消費者が払ってるんだよ。 

違うかね?



そのとうりです。



どうしてくれんだ。え? 

電話代もう少し下げられるんじゃないの? 

どうなの?



・・・・・・・・・



あんたらの金が盗まれてるってことだよ。 

消費者の金が盗まれてるってことだよ。

我々が金を払ってんだ。 

これは言う権利あるよ。



はい。



昔の電通労組は勢いあったけど今は見る影もないってことか・・・ 時代だねえ。

こんな時代錯誤なこと平気でやってる企業なんかとても残ってなんかいけないよ。

あと 何年もつのかねえ。



も も もうしわけありません。



それにしても 去年のものが引き取りにも来ないで そこにあれば 普通はわかるんじゃないの?

封も切らずに新品の状態で そこにあれば使わないってことだよね。

それと今年のものを交換していくって 馬鹿なんじゃないの?  

猿以下だよ。猿以下。

なんにも考えないで仕事してても 給料もらえるなんて 就職は大企業にかぎるってこと?



も も もうしわけありません。





          こんな企業はなくならんとだめだわ・・・・

          それにしても巨額な電話帳予算は誰の元へ運ばれてるのやら・・・・ 






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かわれないひとびと____電話帳は必要か?




インターネット利用料金の請求明細が封書で届いたことがあった。利用し始めて間もない頃だ。

よくもまあこんな無駄なことを・・・印象だった。


封書の明細ともなると、紙に印刷、封筒に入れる、郵便局に発注、車で発送となる。

プロバイダは通信事業である。その通信事業会社が郵便局という通信事業会社に業務を委託する。

こんな馬鹿げたことはない。こんな無駄はない。


プロバイダはどこでも企業としては大手である。

我々のような中小零細の経営感覚とはかけ離れている。

可能性を極限まで追求し、1円でもコストを抑えようとするのが零細企業の感覚だ。

わたしならプロバイダの本来のサービスではないものはすべてカットする。


つまり、封書の明細書は原則即刻廃止、希望者のみに有料で発送する。

明細はメールで送る。そのためのインターネットだろう。


プロバイダの役員なる人物に電話でそのことを懇々と説明した。

二酸化炭素を減らす、省エネを図るためにやれることをやりましょうと呼びかけた。

何年も前のことである。


車でしか運べないものもある。

まさか能登のふくらぎ(いなだ、はまち)はネットでは運べまい。

そのための車である。


しかし、石油を燃やして、運んでいるものが「確認するためだけの情報」とは車の使い方が間違っている。

技術変革が起きているのに全てが今まで通りではこの国はエネルギーがどれだけあっても足りない。


交通事故対策という面からもインターネットは有効に活用されるべきだ。

交通事故の撲滅には交通量を減らすことがもっとも有効だ。

たんなる「情報」を積んで車を走らせるというのは止めてもらいたい。


「請求明細書」は「田舎からの便り」とは意味が違う。




わたしはNTTの請求明細もネットで確認できるように変更した。

しかし、NTTという企業はこういうことについてPRをあまりしていない。

そればかりか、あの分厚い電話帳もいまだに各戸に配布している。


数十年間変えようとしないことには呆れるばかりだ。

いったいどれだけの人が電話帳を手に取っていることか。

使用頻度の低さは  "ぶら下がり健康器"  なみだろう。


迷惑電話対策として掲載しない人もいる。わたしもそのひとりだ。

であれば、もう意味をなしていない。


ネットで検索できる時代にあっては電話帳は必要とする人だけが書店で買い求めればよい。

(その書店がいつまで存続するかという時代ではあるが・・・)



     希望者にのみ有料で頒布するとか いっそ書店で販売すればどうなの?



私の問いにNTTは



     書店に置いても売れません



悪びれることもなくそう答えた。

彼らは誰も欲しがらないことを承知で配っている。


更に、不要のかたは返却してくださいとは一体どういうセンスか。


必要としない契約者にまで配り続けることは無駄以外のなにものでもない。

それでも作り続けるセンスは経営者としての資質を疑ってしまう。

この無駄なコストも通話料金として請求されている。


先日、NTTが電話帳を配布にきたらしく、留守の間に玄関の扉の前へ置いてあった。

延々と電話帳を配り続ける姿勢も姿勢だが、

手渡しではなく、玄関先に放り出していくあり方はどうにも理解できない。

放り出していくことを「業務」とし、賃金を払っている・・・不思議な会社だ。


確かに、変革には犠牲をともなう。

電話帳作りで生計を立てている人もいる。郵便事業が衰退することも問題ではある。


しかし、変革は始まっているのだ。動いているのだ。

時間の問題であって、電話帳はいずれなくなる。

自らその時の企業のあり様を描こうとしないで、制度にのみしがみついていてはすべてを失うことになる。


技術変革の時代にどう対処するか、省エネや少子化の社会をどうデザインするか、

経営者・政治家のセンスが試される時代である。






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原発ゼロへ!




討議資料



我が国の火力発電を巡る動向について(120810出典:経済産業省)

http://www.mori-yuko.com/activity/files/120810datugenpatu.pdf


「電気料金国際比較」

http://my-dream.air-nifty.com/moriyuuko/files/120820denki.pdf


「火力発電所リプレースに係る環境アセス手続きの迅速化について」

http://my-dream.air-nifty.com/moriyuuko/files/120821-2.pdf


「原子力を巡る状況について」

http://www.mori-yuko.com/activity/files/1208211.pdf


「天然ガスによる原発代替 コンバインドサイクルとコジェネ」

http://www.mori-yuko.com/activity/files/20120829073103.pdf


「120907脱原発基本法案」

http://my-dream.air-nifty.com/moriyuuko/files/907datugennpatu-kihonhouan.pdf


「120912太陽光発電システムの普及拡大について」

http://my-dream.air-nifty.com/moriyuuko/files/120912taiyoukouhatuden-F.pdf


「120912風力発電の導入促進に向けて」現状と課題

http://www.mori-yuko.com/activity/files/120912furyokuhatuden-S.pdf


「120919電力需給問題と蓄電池技術について」

http://www.mori-yuko.com/activity/files/120919hp.pdf




「121003「原発ゼロへ!」政策検討会議・各電力会社説明資料」


   北海道電力

   http://www.mori-yuko.com/activity/files/121003hokuden.pdf


   東北電力

   http://www.mori-yuko.com/activity/files/121003touhokuden.pdf


   東京電力

   http://www.mori-yuko.com/activity/files/121003tokyouden.pdf


   中部電力  

   http://www.mori-yuko.com/activity/files/121003tyubuden.pdf








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社会の不見識は非難されないのか




場違いな男が何故か脚光を浴び、世間の表舞台に登場した。

刺激的で、より過激なものしか追求できなくなっていたテレビ界にはうってつけだったようだ。

馬子にも衣装。こざっぱりした服を着せ、メイクをすれば即席タレント出来上がりというわけだ。

およそコメンテーターとは言い難い、何の見識もない男の言葉に耳を傾けるほど社会は知性も理性も失っていた。

もはやタレント業界の延長でしか無くなっている政治の舞台に登場することも驚くにはあたらない。

21世紀の今日、「タレント」という言葉自体が「無能な人」と限りなく同義である。



いつの時代にも「女性蔑視発言」はあるし、「超右翼的発言」も時折表面に顔を出す。

ヒューマニズムを蘇らせる機会、民主主義の大切さを再認識する機会を与えてくれるという意味においては

この種の発言が完全に無くなる社会のほうが危険でもある。

この種の人間が社会のどのポジションにいるかこそが問題であろう。



眼力の無さこそが社会を危うい方向へ導く。

峻別する眼を養わなければならないのは昔も今も変わりはしない。

人を見かけで判断してはならないというが、それは短絡的判断を戒めることであって、

人間の内面が服装や言葉遣いに現れることを否定するものではない。

それがわかっているからこそ男はいかにも政治家風の身だしなみにこだわった。

ビフォー・アフターで男の印象は大きく異なる。

時代が変わろうとこのような男が信頼に足る人物として受け入れられるはずもない。



ひととなり、人生観や哲学は言葉や話の組み立てに現れる。

きわどい発言、挑発的な言動に終始して自己の存在をアピールしても自己顕示欲が露呈するだけであって、

およそひとさまと心を通い合わすことなどできるはずはなく、

まして信服させることなど到底できることではない。

要するに政には適任ではない。



口で言い負かす、それが弁護士であると認識している人間がいる。

法の精神や社会の要請など何処吹く風、法の不備や間隙を突いて依頼人の利益のみを考える人間もいる。

詭弁を弄することからこのような弁護士を昔は「三百代言」と蔑んで呼んだ。

しかし、「三百代言」を先生と呼ぶような怪しげなことはなかった。

社会は健全だった。



今の風俗店の実態を「合法的」と言い放つところにこの男の「日常」がある。

男は政治家などではなく、風俗産業のトップセールスでしかない。

ポン引きの兄ちゃんとかわりはない。



政治家として不見識、公党の代表としては・・・云々と批判の言葉が後を絶たない。

「大阪の恥さらし!!」という激しいものまである。

だが、これらに違和感を覚えるのは私だけだろうか。

そもそも男が政治家であるという認識からして間違っていないか。

中身が空っぽの兄ちゃんを政治家だの首長だのとあがめたてまつった不見識は非難されないのか。

後世の歴史家は誰を批判するだろうか。



     市民がアホやから こんなんが でてくるんちゃうけ ひとのせいにすな








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博打(ばくち)___背広を着た博徒が仕切る社会




     だんさん わしゃあ こんどという こんどは こりやした


     だんさん にも えろう しんぱい おかけして しもうてからに・・・


     にょうぼ こども にも にげられてもうて もう なぁんにも のうなりやした


     きょうかぎり ばくちとは すっぱり えんを きりやす


     いやぁ そないいわれると かえす ことばも あらへんけど・・・・・・こんどは ほんまです


     だんさん こんどこそ こんどこそ ほんまですて


     だんさん うそや あらしまへん なんなら かけても ようござんすよ


     &%#$&??%%?&&#$




     いつまでも こんなもん もってるさかい あかんのやな


     この さいころが わいを だめにすんねん


     よっしゃ ここの ながれに ほかしたろ   えいっ こんなもん


     これで さっぱりしたわ


     ああ ながれて いきよる・・・ んっ? ありゃあ ちょうやろか? はんやろか?




それほどに博打というものは、一度味をしめると容易には抜け出せない。耽溺性の強いものだ。


          ※ 刑法 第2編第23章 賭博及び富くじに関する罪

            第186条

            常習として賭博をした者は、3年以下の懲役に処する。

            賭博場を開張し、又は博徒を結合して利益を図った者は、

            3月以上5年以下の懲役に処する。




よく Paternalism を語るときに刑法第186条がいわれることがある。

成人した大人が博打するのはそのひとの自由であろうという考え方だ。


しかし、 Paternalism にあたるかは、

その行為が本人の自由意志によるものであることが大前提となる。


制限行為能力者(昔は禁治産者という言い方もあった)のように判断能力のないひと、

心神喪失や心神耗弱の状態にあるひと、

耽溺状態から抜け出せないひと

etc は自由意志があるとはいいがたい。


Paternalism の指摘はあたらない。


                   ※ Paternalism(パターナリズム)


                     強い立場にある者が、弱い立場にある者の利益になるようにと、

                     本人の意志とは関係なく、行動に介入・干渉することをいう。

                     日本語では家父長主義、父権主義、温情主義などと訳される。




ひとには「死」を選ぶ権利はないのか? 

延命治療の是非を問うときに必ずいわれることである。

医師をはじめ、誰ひとり簡単に「答え」を出せる人などいない。難しいことだ。


しかし、「治癒する見込みがまったくなく、激しい苦痛しかない」という状況でなければ

安易に「死を選ぶ権利」などと言われてはならない。


自死を選ぶひとの多くは精神面や経済面で「追い込まれた」状況にあると考えられるからだ。

自由意志とはいいがたい行動であれば Paternalism を論ずることに意味はない。


精神的にも経済的にも弱い人々を追い込んでいく賭博専門集団にPaternalism を論ずる資格はない。


市民が生産的な業務に就かず、賭博に浸ることがあれば社会は成り立たない。

その意味で国家権力が個人生活に介入するのには正当性がある。




しかし、だからといって何から何まで制限される社会は窮屈だ。

生活に支障を及ぼさない、

社会通念上許されるようなささやかな「賭け麻雀」にまで国家権力が介入すべきとは思わない。


ただし、同じ事であってもその場所を提供することを業務としている場合は話は別である。

あくまで個人の趣味の世界であるべきだ。


賭博の定義からすれば「ジャンボ宝くじ」もそれにあたるわけだが、

その時のみに大勢の人が行列を作ることを考えれば所得再分配の問題や税制の不合理を反映しているともいえ、

賭博の問題とは切り離して議論すべきだろう。


所得が適正に再分配され、税制を含む社会制度が市民の納得のいくものに是正されれば

ジャンボ宝くじに夢をたくす必要もなくなる。政治の貧困、混乱が生み出している社会現象と見てよい。


ただ、年中行なわれるロトくじと呼ばれているものは市民を耽溺状況に引き込むものであって

非難されるべきであろう。


                  ※ 賭博

                     金銭や品物などの財物を賭けて偶然性の要素が含まれる勝負を行ない、

                     その勝負の結果によって賭けた財物のやりとりをおこなう行為。


常時開催されている公営ギャンブル、パチンコなどは市民を耽溺状態に引き込むもの

であり社会の存立を脅かす。

耽溺状況に陥れ、生活を混乱させた博打の "あがり" で社会基盤を整備しようなどとは本末転倒も甚だしい。


野球賭博で大相撲界が揺れた。バカラ賭博で盛り場のクラブが摘発された。

その一方で競輪、競艇、競馬、オートレースが行なわれている。公営カジノまで検討される昨今である。

国家は相当苦しい言い訳を用意しなければならない。




60年安保の時に時の政府は治安維持のためと称してやくざ・博徒の組織にすり寄った。

いざというときに「暴力装置」としての役割を期待してのことだ。


「法」は本質的には暴力である。違反する者には警察権力が市民を拘束する。


治安が乱れたとき警官だけでは対処が難しいと考えた政府が頼ったのは右翼、暴力団、やくざ、博徒である。


また、権力者は憲法で保障された「集会の自由」を右翼団体を使って市民から奪っている。

警察までがそれに荷担している。


そんなこともあって表向き賭博は規制をし、ときには処罰もするが半ば黙認状態にあるのが社会の実態だ。

博徒・笹川一家は看板を替えて今日に至っている。現在では「公益法人」だそうな。

ずいぶんと出世したものである。


市民を働かすだけ働かせ、わずかな収入をも賭博に引きずり込んで奪ってしまう手口は

ならず者のやり方である。

堅気の衆にはいっさい手出しはしなかった昔の任侠道のほうが紳士にみえるのも皮肉な話だ。


こういう背広を着た博徒たちが日本の政治を握っている。

日本1,2の大都市の首長がともにカジノ構想を打ち出す背景もそんなところにあるのだろう。

奇しくも二人とも教職員に日の丸・君が代を強制している国粋主義者である。


背景にいる今日の博徒は昔の仁義に篤い「任侠道」とは似て非なる者で、金のためなら右も左もない。

一応は社会主義を標榜する国にさえ、その資金が流れているともささやかれている。


何が何だかわからない。

鶴田浩二ではないが、何から何まで真っ暗闇。すじの通らぬことばかりである。 








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偽旗作戦 ----- 日本のWTC




与那国島へ自衛隊部隊を駐留させる動きがあるという。


与那国島といえば中国、台湾の方が近い。

そこへ部隊を駐留させる真意は何なのか。


与那国の女性がMBSラジオに出演して状況を語っていた。



     平和な島が緊張の島に変わる


     いつの間にか話が進んでいた


     絶対反対です



与那国島のかたがそのことを言うために大阪のスタジオまで足を運んだことだけ見ても

気持ちのほどが理解できる。

政府は原発の時と同じ図式で交付金を餌に地元を承諾させたに違いない。


法律論で言えば国内のどこに部隊を駐留させようと問題にはならない。


しかし、政治的にはどうか。外交的にはどうか。

近隣各国に誤ったメッセージを発信することにはならないか。


尖閣列島事件でさえ対応はあの体たらくである。

部隊同士が対峙する状況をイメージできないのであれば政治家とは言えまい。


私が懸念するのは与那国島が日本のWTCになってしまうのではないかということだ。


本土から遠く離れたところで何が起きようと国民は真相を知ることは出来ない。

偽旗作戦にはうってつけのロケーションではある。


戦争準備が進んでいる状況下では決して荒唐無稽とは言い切れない。








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愚鈍なまでに___ 本当に求めているものは何ですか




音楽ソースもCDになってからは滅多にない※が、SP盤では「引っかかり現象」がよく起きた。

LP盤でもまれにあった。

盤面の傷が原因なわけだが、ある箇所で引っかかって次へ進まないわけだ。例えばこんな具合だ。



 ♪ おぉれが いたんじゃ お嫁にゃいけぬ わかっちゃいるんだ わかっちゃいるんだ わかっちゃいるんだ
   

          いも いも いも いも いもうとよ ・・・・




「わかっているんだったら何とかせえ」と言いたいが、歌っている本人にはどうにも出来ない。

針のついたアームをちょっと押すとどうにか次ぎに進む。(お疲れさま)

商品としては正確無比であって欲しいが、この時代からみるとホッとする何かを感じてしまうから不思議だ。


  

       ※ CDでも過去2枚そんな製品に出くわした。

         この時代のことである、当然、無償交換してもらえたが・・・。




                          
盤面の傷でもないだろうが、私の中でも似たようなことがよく起きる。

"本当に求めているのは・・・?" というフレーズが何度も意識をかけめぐるときがある。




本屋へ行く・・・・・・・・・・・・・何をしに?

園芸の本を探しに・・・・・・・・・・何のために?

庭を花で飾りたい・・・・・・・・・・何のために?

花に囲まれる暮らしでありたい・・・・あなたにとって花って何?


                  花の何にひかれる?

                  花を必要とする "こころ" って何?

                  花という形を通して、本当に求めているのは・・・何?


                               
ハイエンド・オーディオで聴きたい・・・・・ミニ・コンポで駄目なわけは?

本当に求めているもの何?


                     
ア・カッペッラ演奏での教会の空気が伝わってこない

・・・・・・・・空気感は何故必要?

本当に求めているもの何?



                     
音楽は宗教。祈りの心。魂の震え。

天上にもとどく "祈り" に触れたい

・・・・・自分にとって音楽って何?



生に限りなく近い音で            

音楽を通して本当に求めているのは・・・何?


知りたいのは ひと、ひとのねがい

・・・・・本当に知りたいのは・・・何?

本当に求めているもの何?

                     

知りたいのは わたし であり、

わたしが本当に求めているものが何かということ。
                  

                          

          ※ア・カッペッラ : a cappella                      

           英語のin chapelに相当し、「聖堂で」「聖堂において」という意味。                        

           無伴奏あるいは簡単な伴奏付きの教会音楽。




いつの時代でも私たちの暮らしは日々変化し、そして、そのことの故に慌ただしく暮らしてきた。

しかし、そんなことには慣れている私たちであっても昨今の変化には不安を覚えざるを得ない。


似非科学者の思いつきで突っ走っている・・・そんな印象が強いからだ。


    "脳死" という言葉から始まった "移植医療" (医学の最終目標は死なない人間を造ることなのか)


   「京大チームの“世界戦略”加速 iPS細胞の米特許成立」の新聞見出しからもわかる生命の商品化。 

        
    安全の検証も不十分なまま、開発が野放しにされているナノテクノロジー。


   廃棄物の処理を何も考えずに利用だけが進む核エネルギー産業。

  (失礼! アメリカは廃棄物の処理を行なっている。劣化ウラン弾をつくり、そこいら中で消費する形で。)




私たちが "本当に求めているもの" はそんなものなのだろうか。

"便利" であることは "幸せ" を意味しない。

その陰に大きなリスクがあることを予想できなければ人類は終末を迎えてしまう。


リニア新幹線で所要時間を短縮する向こうに私たちはどんな社会を見ているのか。

そこでいう "便利な生活" という形を通して求めているものが何なのか、私たちは考えているだろうか。

成長、拡大が最終目的のようにそして義務であるかのように考えてはいないだろうか。


確かに私の幼少期に比べ、生活は向上してきた。

いや、向上かどうかはわからない。変化はしてきた。

台所は便利になったし、各家庭に車があるようになった。電化は進んだし、道も整備されてきた。


そして、福島では多くのひとびとが故郷を失った。

放射能汚染は半端なものではないらしい。


小出氏によると東京に比べ福島駅前では10倍近い数値が観測されたという。

放射能難民はさらに増えると思われる。

これが愚かな私たちが求めてきた便利な社会の真実の姿だ。


まだ間に合うかどうかは私などにはわからない。
  
が、今からでも自らの暮らしかたを検証して欲しい。


自分が "本当に求めているもの" が何なのか、

「引っかかり現象」のレコードのように繰り返し繰り返し問い続けて欲しい。

愚鈍なまでに・・・・


等身大の暮らしの中に豊かさを見いだしていけるひとが "幸せなひと" であって、

成長、成長と声高に叫ぶ経済人の、足ることを知らぬ生き様はどこか哀れにも見える。


さらに哀れ、というか、おぞましいのは科学者である。

宇宙の摂理の前に真摯たるひとをこそ科学者というのであって、

自分が本当に求めているものが何か、"究極の願い" が何か、自問自答できず

成果だけを追い求めるのは似非科学者であって "ターミネーター" というべき怪物でしかない。


しかし、おそらくすべてを失うまで気がつかないだろう。

取り返しがつかなくなって初めて彼らはこう言う。「過ちは 繰返しませぬから」と。

その時、未来があってくれればよいのだが・・・・




あなたが "本当に求めているもの" は何ですか。








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霞の彼方




「大企業の顔色をうかがう政治は、自民党も民主党も同じ・・・」


あるかたがそう言っていた。まったく同感である。

しかし、あたってはいるが今ひとつ本質をつく言葉になっていないようにも思う。


2009年、民主党政権は間違いなく政治を変えようとした。

日頃は共闘することなど考えられない日本共産党も "建設的野党" といって協力の姿勢を示したはずである。

しかし、そうはならなかった。

では、何が妨げになったのか。誰が妨げたのか。


この黒い正体がそのままでは、仮に日本共産党が政権につくことになっても革命的変化が起きるとは思えない。

日本共産党の日頃の主張とは違う面がどんどん見えてきて、期待していた分、落胆も大きくなるだろう。

黒い正体にメスが入らない限り、残念だがそういう結果になってしまうはずだ。


一部に怪しい面があるとはいえ、どの政党も市民の声を反映させたいという真摯な思いがあると私は信じる。

優先順位や手法が異なることはあっても、ひとがひとである限り求める暮らしが大きく変わるとは思わない。

「甘い」と批判されると思う。それでもそう信じたい。


"真摯な思い" は何故頓挫してしまうのか。

政権交代しても何故政治が変わらないのか。


私の答えは簡単である。

実権を握っている存在は選挙の洗礼を受けることがないからだ。


選挙で示された国民の意思などどこ吹く風・・・

自分たちが描いた道をひたすら歩む連中にとっては、

政党が替わろうともその政党を籠絡すればいいだけのことなのだ。


要するに民主主義国家として開発途上国ということだ。


政権を取るためには多数が必要になる。

ところが全員に「見識もリーダーシップも」と求められない現実がある。

人材が足らない。


地域の代表はいい。

しかし、そのひとに社会全体を考えるセンス、見識が備わっているかは別問題である。

町内会の役員の延長のようなひとはその地域の発展のためにはいいかもしれないが・・・・


その対策として研究会を開いて専門知識を蓄積しようとすれば「族議員」の弊害を指摘される。

あたっている面もあるが、政党として専門機関を置かないでどうやって市民の声に応えていけるのだろうか。

透明性、公開性の問題であるように思う。


感性だけでは残念ながら責任ある政はできない。

知識、ノウハウがなければ主導権をとれるはずもない。

そこをどうするのか。




経済産業省資源エネルギー庁によるメディア情報監視の実態が明らかにされた。

3年前から続いていたというから政権政党の意志ではないことは明白だ。

情報の隠蔽、言論統制は中国の話と思っていた国民にとっては衝撃的な事実を突きつけられたことである。


しかし、予兆はそこいら中に散見できた。市民は無頓着だっただけだ。

情報監視が憲法21条の表現の自由を侵害する恐れが大きいことは言うまでもない。


政府の主張と異なる意見を見張り、政府の見解へ導くことはおよそ自由な社会とは相容れない考え方である。

そのことを知ってか知らずか、サラリと出してくる役所の根底にある思想は不気味である。


戦後60余年、実態は何も変わっていない。この国は依然としてファシズム国家だ。

さらに深刻なのは政治家と役所の関わり方にある。



(以下引用)


東京新聞 2011年7月28日 朝刊


エネ庁の原発情報監視 本年度7000万円で契約


 海江田万里経産相は「予算があるからといって使い切る必要はない」と細野哲弘同庁長官に指示し、

 事業の見直しの可能性も示唆した。二十七日現在、同庁の担当課は


 「大臣談話は見ているが、入札が済んでいる事業であり、

 事業の終了時に適切な支出だったかしっかり見ていく」と、見直す考えはないとしている。


 ADKの担当者は、


 「福島第一原発事故の風評被害防止になる事業だと判断した。

  事業内容については委託された立場なので、同庁の出した事業を進めるだけ」


と話している。


(引用終わり)




大臣の見解が示されればすべてがその方向で動くべきではないか。動いていたものも緊急停止すべきだろう。


ところが、前述のごとく、大臣の言葉は完全に無視されている。これがこの国の実態だ。

この国では大臣は「お飾り」にしか過ぎない。ここまでコケにされているのだ。


こんな大臣なら猿にでも務まるに違いない。


メディア・米・官・業に引きずられている政治である以上、政権政党が替わってもこの社会は何も変わらない。

民主主義体制であるかが問われている。政党の政策以前のところでこの社会は重大な危機にある。


我々のめざす社会は "霞" の彼方であり、この "霞" を一掃しなければ選挙もまったく意味がない。




ホームページは開設していても主義主張のまったくわからない政治家がほとんどだ。

いつどこへいってきたかなど、そんなことはどうでもよい。

それだけでは何もわからない。


このひとに任せられるか、それを判断するものを示せないでは政治家とはいえない。

支援者の前で耳ざわりのいいことをいうだけのひとはこの時代には不要だ。

意見を発信しないひと、できないひとをどうして支持できるのか。


直ちに退場ねがいたい。








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カレル・ヴァン・ウォルフレン 彼の言葉に耳を傾けてみてください




属国状態から脱したいのであれば、民主社会をまもりたいのであれば

彼の言葉に耳を傾けてみてください。


ジャーナリズムが死滅している今の日本では大手新聞やテレビから情報をとることは非常に危険です。

対米隷従から脱却を図ろうとする政治家の抹殺に血道を上げるメディアや

検察の横暴を許していては市民の手に政治を取り戻すことは出来ません。


メディアは市民から主権を奪うために使われています。

メディアは真実を伝えていません。

市民をあざむいています。

東京新聞などごく一部の新聞が頑張っているに過ぎません。


脱テレビ、脱新聞・・・ここから始めなければ口で何を語ろうと所詮は用意された枠の中での

抵抗でしかありません。脱テレビ、脱新聞は現体制側には最もこたえる戦術です。


テレビを観ることを妨害することはできますが、観ないことを妨害することは誰にも出来ません。

NHK視聴契約の破棄、新聞購読解約、政治献金で政治を歪めている企業の製品ボイコット等

あらゆる有効な手段を用いて抵抗すべきです。


それでも「渡鬼」や「相棒」を観たいというなら民主主義、自由な社会は望まないことです。


政治家のパフォーマンスやキャスターのひと言ひと言で一喜一憂しているミーハーおばちゃんには

社会の構造に気付くだけの見識と洞察力を求めたいものです。


オランダ出身のジャーナリスト、政治学者であるカレル・ヴァン・ウォルフレン氏が日本社会や

日米関係について数多くのコメントを出し、警鐘を鳴らしています。

属国状態から脱したいのであれば、民主社会をまもりたいのであれば

彼の言葉に耳を傾けてみてください。



       カレル・ヴァン・ウォルフレン(Karel van Wolferen)  
 

            オランダ出身のジャーナリスト、政治学者。

            現在はアムステルダム大学比較政治・比較経済担当教授。




「属国日本」  カレル・ヴァン・ウォルフレン  聞き手 岩上安身  通訳 山崎淑子

http://xn--ubt711i.jp/4178


小沢批判を18年続ける日本メディアをオランダの大学教授批判

http://www.paradigm2020.jp/blogw/1313972396.html


カレル・ヴァン・ウォルフレン

http://www.wolferen.jp/index.php?t=1&h=9


目に余るマスコミの小沢氏へのネガティブキャンペーン

http://blog.goo.ne.jp/seijiterasaka/e/2fbf3120c7ce823bd794f5f25fda0f0a


小沢一郎バッシングで日本未来の党へのネガティブキャンペーンが始まった

http://kuronekonotango.cocolog-nifty.com/blog/2012/11/post-cf3e.html


「日本未来の党」に対するネガティブキャンペーンが本格化

http://blog.goo.ne.jp/tarutaru22/e/f175e4cb22616ba62165c540055017f1


小沢一郎×カレル・ヴァン・ウォルフレン公開討論会&記者会見 1

http://www.youtube.com/watch?v=p9hseJUs06g


小沢一郎×カレル・ヴァン・ウォルフレン公開討論会&記者会見 2

http://www.youtube.com/watch?v=NFM27go9RSw


小沢一郎×カレル・ヴァン・ウォルフレン公開討論会&記者会見 3

http://www.youtube.com/watch?v=kcFRH51W-_E


小沢一郎×カレル・ヴァン・ウォルフレン公開討論会&記者会見 4

http://www.youtube.com/watch?v=bFXj4cwftpk


小沢一郎×カレル・ヴァン・ウォルフレン公開討論会&記者会見 5

http://www.youtube.com/watch?v=bsulKrYqZZ8


小沢一郎×カレル・ヴァン・ウォルフレン公開討論会&記者会見 6

http://www.youtube.com/watch?v=Dac4VeE8Phs


小沢一郎×カレル・ヴァン・ウォルフレン公開討論会&記者会見 7

http://www.youtube.com/watch?v=k2ZrpdF5HPo


小沢一郎×カレル・ヴァン・ウォルフレン公開討論会&記者会見 8

http://www.youtube.com/watch?v=fR-p4qC1Ry0


「救国緊急対談!誰が小沢一郎を殺すのか?」ウォルフレン×上杉隆 1

http://www.youtube.com/watch?v=jSyjIlgnSS8


「救国緊急対談!誰が小沢一郎を殺すのか?」ウォルフレン×上杉隆 2

http://www.youtube.com/watch?v=siK7x0FevHo



誰が小沢一郎を殺すのか?


●日本の読者へ(カレル・ヴァン・ウォルフレン緊急インタビュー)

http://www.kadokawa.co.jp/wolferen2011/


日本を追い込む5つの罠

http://www.kadokawa.co.jp/sp/201203-01/


「ドル崩壊に備え日本は外交も経済もアメリカ依存体質から脱却せよ」
 

カレル・ヴァン・ウォルフレン/Karel van Wolferen

http://www.globe-walkers.com/ohno/interview/wolferen2.html


「日本政治再生を巡る権力闘争の謎」

(カレル・ヴァン・ウォルフレン)中央公論≫から「マスコミ&日米関係」編

http://etc8.blog83.fc2.com/?tag=%E3%82%AB%E3%83%AC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%A6%E3%82%A9%E3%83%AB%E3%83%95%E3%83%AC%E3%83%B3


カレル・ヴァン・ウォルフレン ジャーナリスト 2010.11.17(日本記者クラブ)

日米関係について

http://www.youtube.com/watch?v=zbbqpcunR1w


【TPPの真実】

【緊急インタビュー もう経済復活は無理なのか】カレル・ヴァン・ウォルフレン

http://gendai.net/articles/view/syakai/135434   








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永六輔氏への手紙




「国家戦略」という言葉が簡単に社会に流れることに警鐘を鳴らしていらっしゃいました。

よくぞ言ってくださったという思いでうかがっておりました。


あのナチスもいきなり出てきたわけではなく、

すこしづつ慣らされていった結果があのようなとんでもない国家を出現させてしまったのです。


私たちは語りついでいく責任があります。慣らされていくことの恐ろしさを。



スポーツ紙の紙面におどる「斬り込み隊長」「主砲」など、そのスポーツとは何の関係もない、

おぞましい言葉には書いた人の人格、メディアの社風を疑ってしまいます。


最近は健康情報にも○○予備軍という言葉が氾濫しています。

「糖尿病予備軍」「メタボリックシンドローム予備軍」というような具合です。


「予備軍」・・・つかっている人はその言葉の歴史、怖さをわかっているのでしょうか。

「糖尿病に近い状態」とか「糖尿病になる危険性がある状態」「そういう状態にある人」

という言い方のほうが内容を正確に伝えられると考えますが、いかがでしょうか。


簡単に「予備軍」という言葉が思いつくという人はやはり軍国主義思考だと思います。

そんな思考回路の連中がこの社会にはうじゃうじゃといます。


田母神某が現政権の歴史認識と異なるということで罷免はされましたが、

その本人を自民党が次の選挙に担ぎ出すという報道がありました。戦前の夢よ今一度ということでしょう。

今の憲法の否定を党の綱領にしている党であれば不思議なことではありません。


やはり、この国はまだまだ危険です。 

「言葉狩り」との批判もあることと思いますがこんな時代ですから

「おぞましい言葉」「国家主義に走りそうな言葉」をつぶしていくべきと思っています。


戦前、戦中を知る世代にはもっともっと声をあげていただきたいと思います。








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会話力




     ねえ  あにぃ


     なんや


     さかな は 焼いたら やきざかな(yakizakana) っていうんやろ


     焼いたさかな は やきざかな(yakizakana)や それがどないやねん


     ほなね そばをやいても やきぞば(yakizoba) っていわんのは なんでや


     んあ  けったいなこと きくやっちゃな


     やきそば(yakisoba) たべよか っていうけど やきぞば(yakizoba) たべよかなんてよういわん


     あぁあ それはやな あぁあ あっ  そのてんてんは こげめやねん


     な  さかなは ちょっと こげめがあったほうが うまいやん


     そやけど 焼きそば こがしてみぃ だれも ようたべん


     やっぱし  あにぃは 学があるなあ


     おう  なんでもききや


     ほなね 裁判するとこ さいばんしょ っていうやろ


     裁判するとこ は さいばんしょ やな


     けんどね したに おんなじ 所ちゅう字をかいても トイレのこと


     べんしょ とは いわんと べんじょ ちゅうのはなんでや


     ・・・・・・・・・・・・・・




このように日本語の濁音・鼻濁音というのは難しい。

約束ごとがあるのかと尋ねられても例外の方が先に浮かんできてしまう。


この時期トルコキキョウの出荷のニュースがメディアからよく流れる。

時に「toruko gikyou」という言い方を耳にするが、あの何とも清楚なイメージの花には濁音は似合わない。

やはり「toruko kikyou」として欲しい。


このケースは「語が複合するとき後続の語の最初の音節が濁音に変化する」と

短絡的に受けとめ、語感のもつイメージを考えないで使用したものだろう。

花の名はその景色を連想させる響きを大切にして欲しい。


約束ごとがあるかは知らぬが、図鑑などを見ると「植物」「動物」の前に地方名がつくときは

「濁音」でない場合が多い。


おそらく語感を大切にした結果であって、それ以上の根拠は見つからないのではないか。

約束ごとを詮索するよりひとつひとつ丁寧に調べていくのがよい。

言葉とはそんなものだ。思いついたものをあげてみる。



清音の例   

       アメリカハナミズキ   

       セイヨウタンポポ

       ミヤマクロユリ

       アメリカクロクマ      

       インドクジャク

       エゾヒグマ          

       ニホンカモシカ

       トルコキキョウ       

       霧島ツツジ

       

濁音の例   

       ニホンザル        

       北極熊 

       大島桜



なぜ語感より法則性を優先したがるのだろうか。

濁音の問題だけでない。文字が同じでも読み方が異なるものがあるが、

読みの区別がわからないという人が多くなっている。


会話、交流が苦手というひとが増えてきていることと無縁でないだろう。

いずれも「考えるより慣れろ」というしかない。



   神さまのご利益(ごりやく)      

   利益(りえき)を分配する



   銀行窓口でお札(おさつ)をかぞえる  

   神社にお札(おふだ)を納める



   刀の柄(つか)               

   鎌の柄(え)


   
   水面(すいめん)が下がってきた    

   水面(みなも)をわたる風



   
   友人からの誘い(さそい)        

   名曲への誘い(いざない)



難しく考えることはない。遊んでたって自然と身につくことだ。

先輩達の話に耳を傾け、ラジオドラマや「朗読の時間」を楽しみ、落語に接していたら

私のようなものでも違いはわかるようになったのだから。


言葉は「学問」ではない。

金田一秀穂氏も言うようにコミュニケーションの道具だ。人と人とを結びつけるものだ。

濁音の変化や、読みの違いがわからなくなっていることは効率ばかり追い求めるあまり

ファティック※がないがしろにされてきた社会をあらわしている。


身近な友人以外とは話ができない生徒が多いという。

受験勉強に加え、携帯メール、インターネット等の日々・・・・。

「生の言葉」に接する機会が極端に少なくなっていることが気になる。


ファティックがなくなり、学問のような言葉になってしまっていることが悲しい。

肩肘張った借り物のことばではなく、その場にふさわしいことば、実感を伴ったことばを口にすればいい。

そうでなければ互いに信頼関係を築くことも難しいだろう。


以下に金田一秀穂氏が指摘するところを私流に書いてみる。



         ※ ファティックphatic ---- (金田一氏は「交話」という言葉を用いている)

      

      単語本来の意味自体は「交感的な; 儀礼的な, 社交上の」という意味。


      自分の存在を他の同じ種族の仲間に知らせる本能的行為。


      
     「私はここに生きている」というある種の使命感やエネルギーを持って伝える行為。


      
      高校野球の練習を見ていると、よく声を掛け合っている。

      ただ掛け声だけで、そこに情報はない。

      声を掛け合って、その存在をアピールしあっているだけだ。

      しかし、互いの存在を確認することに意味がある。

      同じ事はジャングルの猿にもあるという。


      情報のやりとりではない、会話をしたこと自体が大事な会話




[ご近所の会話]    


       おでかけですか


       ええ ちょっとそこまで


       そうですか ほな きいつけて


       おおきに


   「おでかけですか」に対して「余計なお世話だ」とはいわない。

   「ええ、ちょっとそこまで」と返す。

   いわれた方も「そこまで」が「どこまで」なのか尋ねようともしない。

   「そうですか」と、言葉を交わす。

   これで互いに納得している。おかしいといえばおかしな会話だ。


   しかし、これは情報のやりとりではなく会話自体に意味がある。

   別の言い方をすれば文字にならない部分に会話の意味があるとも言える。




[熟年夫婦の会話]


       ねえ ちょっとちょっと きれいな月よ


       ああ


       いい月ねえ


       ああ


       じきに寒くなりますね


       ああ


  杉村春子と佐分利信が出てきそうなやりとりである。

  しかし、文字にならない部分にこの夫婦の歩んできた幾春秋や子育てを終えた充実感、

  そして同時に味わっているさびしさ、だからこそあらためて相手を必要としている二人がいる。


  そんな空気感を読み取れるかが会話にとってはとても大切なことと思う。

  ひとは文字として書き表せる部分だけで会話をしているわけではない。

  会話力とはまさに行間にこめられた思いを理解することにあると思う。




[食堂での会話]


 自分の目の前には醤油注ぎがある。

 テーブルの端にいた人が声を掛けてきた。

 

       すみません それ お醤油ですか

 

      「○○○○○○○○○○○○○○○○」




 さて、あなたは何とこたえますか?








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精神主義




「潔い」「精進潔斎」「潔白」「潔しとしない」「潔癖」 etc


日本人の好きな言葉である。とくに、一部の男には好きな言葉であるようだ。

しかし、これらは70年前、


「玉砕命令」「自決強要」「最後の一兵まで」「降伏拒否」「生きて虜囚の辱を受けず」「特攻」


などと同義語であったことを知っておくべきだ。


個人の態度として潔いのはそれぞれであってよい。実際、立派なかたもおられたであろう。

しかし、他人に「潔さ」を強要することは、それが「集団ヒステリー」状態にあったことを考慮に入れても、

おおいに責められるべきである。そのことでどれだけの "いのち" が散っていったことか。



航空機メーカーから乗員保護について提案がなされたとき、


「腕よりも機械に頼る腰抜けどもを増やすだけ」


と言って否定した人物がいた。航空参謀として真珠湾攻撃にも関わった源田実である。


零戦は今でも語り草になるほど日本航空界の歴史に残る名機といわれている。

何故か。運動性能がよく、航続距離が長いからだ。


しかし、それがそのまま弱点であったことはあまり語られていない。

機体を軽くすることにこだわり、装甲(防御装備)を無視していたのである。


これが空中戦でどれほど多くのパイロットを失う結果になったことか。

また、慣性航法装置のない時代のことである。航続距離の長いことは、そのまま乗員の負担となり、

疲労の中での戦闘となるわけで、そのことによる人的損害も無視はできない。


精神論を優先させ、合理的思考を排除した結果は悲惨な結末を迎えるのである。

「潔さ」を強要し、精神論を振りかざした結果がこういう形で現れているのだ。

源田は責任者の一人として責めを問われるべきであった。


因みに、アメリカ海軍のF6Fヘルキャットは零戦と大きさはあまり変わらないのに重量は約2倍あった。

防弾フロントガラスの他、96㎏に及ぶ装甲がコクピットに張り巡らされ、

同様の装甲は燃料タンクとエンジンにも施されたためである。乗員の安全を何より重視した結果だ。



さらに源田は戦争末期に特攻攻撃を立案した人物とも言われている。


    神風特攻隊

    人間爆弾「桜花」  機首部に大型の徹甲爆弾を搭載した小型の航空特攻兵器。
 

    人間魚雷「回天」  旧日本海軍の特攻兵器。人が乗り組み操縦できるよう、

              九三式三型魚雷を改造した人間魚雷。



            
多くの若者の命を軽視する男は単なるナルシストであって軍人とはいえない。

軍人は虐待などよほどの非人道的なことをしない限り、戦犯として罪を問われることはなかったが、

現在の市民感覚からは果たしてどうだろうか。


こんな男達が戦争をしていた事実は覚えておくべきだ。

それでも戦後、参議院議員になっているのであるから、迎え入れた政党も知れたものである。

さらに、彼が戦後、航空幕僚監部装備部長、航空総隊司令、航空幕僚長を務めた事実の意味は

重いものがある。




"玉砕命令"  "最後の一兵まで"


まことに意味不明の言葉・行動である。

では何のために戦うのか。いったい誰のために戦うのか。


散っていくのが潔いことだと言っていて、どうして軍人の職務を全うできるのか。

かっこいいことは無責任でしかない。


仮にも民のために戦いの火蓋を切ったのであろう。民を護らずして、その行く末を見届けずして何が軍人か。

自分のナルシシズムのために自決していくような、めめしい人物は端から軍人には向いていなかった

と言うことだ。


終戦直後に多くの軍人が自決している。何ともやりきれない話だ。

日本はこんなナルシスト達のために振り回されていたのだ。


戦いに勝利することだけしか念頭にないから死を選ぶ結果となる。

戦いの終わり方をしっかりデザインできてこそ軍人、戦略家といえる。

余力を残して捲土重来を期す、ということでなくてどうやって国を立て直せるというのだ。


潔く聞こえる「最後の一兵まで」では国はなくなってしまう。

国のために戦うと言っておいて、国をなくしてしまう。こんな矛盾が許されてよいはずはない。


精神論ばかりが先行していた時代だった。

軍人・政治家として、合理的思考による戦略というものがあったとは思えない。








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上意下達(じょういかたつ)




私の周囲で "質問しない議員" が話題になった。

町会議員になって3年間一度も議会で質問しないという。

あららら・・・もったいない。自分などはすぐにも行って交代したいくらいだ。


しかし、不思議でもないような気もする。


何年も前になるが、知り合いに引っ張られて或る議員候補の集会に顔を出したことがある。

私には無縁の世界で、どこに座っていいのかもわからずウロウロしていた。


選挙前ということなのだろうが、会場には政党のポスターが貼ってあり異様な雰囲気だ。


やがて候補なるひとの演説が始まった。参議院選に出馬するだけあって弁舌さわやかという感じだ。

国会では名うての論客が揃う政党であってみればうなずける。


やがて演説も終わり司会者が質問はないかと会場に声をかけた。



      "沖縄に外国の軍隊は要らない" というポスターがありますが、この言葉の意味を説明してください。


      "軍隊は要らない" なら解るのですが、日本の軍隊ならOKということですか? お答えください。



私の質問に会場は静まりかえった。

司会者も候補もそんな質問は想定していなかったようだ。

「質問ありませんか」はお約束ごとなのか? 

雰囲気からして質問そのものを想定していなかったように感じた。


基本方針を追求するかのような質問は御法度なのか?

空気を読まないで感じたまま発言したことがよくなかったのかもしれない。


さっきまで弁舌さわやかだった候補もとたんに歯切れが悪くなった。

しどろもどろだ。準備不足なのだろう。

想定外の質問には答えられないひとと見た。


(オイオイこんなんで参議院へいく気かよ)

(民主的に見える政党も実態がこれじゃ政権は遠いぞ)


無論、政党全体がそんなふうだとは思わない。  が、その晩の雰囲気には失望した。



企業の中でも町内会でもすべて幹部が仕切り、末端はこれに従う。

「異論があったら前に出ろ」という空気の中では異なる見解を述べようもない。


最初から議論する空気ができていないのだ。

本当に議論する気があるなら環境を整えることだ。

この日本という "無口な社会" にあってはそれが大切だ。


もっとも私などは零細企業の中ということもあって、言いたい放題に意見を述べてきた。

多分に高校の国語の授業の影響だろう。

毎日10の質問を用意して臨まないと怖い時間だったから。

その習慣が残っている。


幹部で決めたことに従う、それが "革命" と信じてきたソ連は社会改革を成就できないで終わった。

原因はさまざまいわれるが、私は上意下達の空気にあったと思っている。


幹部も末端もない、そんな車座の中で政治が語られないでは民主主義も社会主義も成功するはずはない。

現在の日本もまったく同じ課題を抱えている。気づいていないならこの国もやがて無くなる。


古代ギリシアの都市国家のような直接民主制にでもしない限り上意下達の空気は一掃されないようにも思える。

ハンガリーの "インターネット民主党(IDE)" のあり方に注目していきたい。
                 


        ※ インターネット民主党(IDE)

          間接民主的に獲得した議席を直接民主的に運用し、

          有権者による代表達の常時直接的なコントロールを実現することを目標としている。


          国会における議論を常時中継し、市民はIDEのホームページで、

          国会で議論されている議題について投票を行なう。


          代表議員は市民によるインターネットを通した直接民主的議決を反映させる。



某陣営で固めた津幡町議会であってみれば上下関係もあって、抜きんでることなどできるはずもない。

質問しない議員がいることも不思議ではない。

所詮は数あわせの要員に過ぎない。

期待することが間違っている。


質問しない議員、もしかすると根回しして議案を作った張本人だったりして・・・・ (そりゃ ないか)








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原発に手を出すな



東芝がモンゴル核燃料処分場構想を進めているという。



この連中はまだ懲りないらしい。

日本国内、いや、世界各地で行き場を失っている核のゴミ。

学者や産業界は最終処分について何の答えももたぬまま、

核エネルギーに依存してきたし、今後も依存するという。

まともな精神状態ではない。「狂気」としか思えない。



「処分場」というのは「処理」をするところではない。

放射能を除き、無害化すろところではない。

最先端技術のいきつく果てが、ただ置きっぱなしにするだけとは、いやはや大変な科学技術である。



ある友人が、痴呆状態となった姑が "汚れた下着" をあちこちに隠して困っているとこぼしていた。

本人は忘れてしまって表面上は今までと何も変わらないそうだ。



     病気なんやから せめることもできんし



友人は作り笑顔を見せていた。



科学技術の粋を集めた「原子力事業」の関係者がゴミをあちこちに隠してまわっちゃいかん。



     せめることもできんし



とは誰も言ってはくれない。



遠いところに棄てて、後ろも見ずに逃げ帰ってくる姿は、



     うちじゃ 飼えないからね !!



と叱られて、捨て犬をまた原っぱにもどしてくる少年のようだ。

少年のほうは何処か哀愁も漂うが、核廃棄物となると哀愁などと言ってはいられない。



恩恵を享受した人間たちが責任を持って、無害化し、自然をもとどおりにしなければならない。

猫だってトイレの砂の後始末はちゃんとしている。

できないのであれば端から危ないものに手を出さないことだ。即刻やめるべきだ。



東京よりも人の少ない福島なら交付金ひとつで黙らせてみせるさ・・・そういって始まったはずだ。

その手もだんだん効かなくなってきたら、こんどは草原の国モンゴルに押しつけるという。

ひとをいったい何だと思っているのだ。

     貧乏人は金さえ見せればいうことをきくさ



そんな卑しい発想しかできない後輩を田中久重氏や土光敏夫氏は今頃どう見ているだろうか。



                   
                  ※

                  田中久重(からくり儀右衛門)  東芝創業者


                  土光敏夫 IHI社長、東芝社長、経団連会長を務めた








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櫻井よしこ氏 核の恐怖をレポート




櫻井よしこ 『中国核実験』の惨状

http://yoshiko-sakurai.jp/2009/04/02/1030


(引用ここから)


『週刊新潮』 2009年4月2日号 特別レポート 日本ルネッサンス 拡大版 第356回

「 『中国核実験』の惨状 」



「ガン発生率が35%も高い」 ウイグル医師が語る「中国核実験」の惨状



3月18日、東京・千代田区の憲政記念館で、

シンポジウム「シルクロードにおける中国の核実験災害と日本の役割」が日本ウイグル協会主催で開かれた。


新疆ウイグル自治区(東トルキスタン)での中国の核実験の惨状をいち早く突き止め、

世界に発信したウイグル人医師のアニワル・トフティ氏、札幌医科大学教授で放射線防護学を専門とし、

昨年夏、『中国の核実験』(医療科学社)という衝撃の書を出版した髙田純氏らが登壇した。


中国の弾圧に苦しむチベット人も含めて、約200名が集った同会では、

1964年から96年までに東トルキスタンのロプノルで46回の核実験が行われ、

少なくとも19万人以上が死亡、129万人以上が被爆したことが発表された。


ロプノルでの核実験は、総爆発出力20メガトン、広島の原爆の約1,250発分に相当するという。

被害の凄まじさは想像を絶するが、だからこそ、中国政府は一切の情報開示を拒んできた。


シンポジウムに先立って取材に応じた髙田教授が語る。


「広島上空で炸裂した核爆発の災害調査から始めて、私はソ連のセミパラチンスクでの地表核爆発災害、

マーシャル諸島での地表核爆発災害を調査してきました。

これまではソ連がいかに国民の生命や健康に配慮しないひどい国かと思ってきましたが、

中国を調べ始めて、中国に較べればあのソ連さえ、紳士的だと思ったものです」


髙田教授の批判は、中国共産党の核実験の方法にも向けられる。


「核実験の被害は地表で行った場合が最も深刻です。

空中や地下でのそれに較べて、核分裂生成核種が大量の砂塵となって周辺や風下に降りそそぐからです。

ですからソ連でさえも人々の居住区での地表核実験は避けてきました。

それを中国は強行し、結果、日本人も大好きなシルクロードにも、深刻な放射線汚染をもたらしています。

こうした一切の情報を、中国政府は隠し続けています」


住民には情報自体が与えられないのであるから、健康被害に関する指導も支援もない。

シルクロードに憧れて現地を訪れる旅行者に対しても同じことだ。


中国の隠された核実験の悲惨さを、初めて国際社会に伝えたのが

英国の「チャンネル4」によるドキュメンタリー、「死のシルクロード」だった。

98年8月に報じられたこの27分間の作品は、世界83ヵ国でも報じられ、

翌年、優れたドキュメンタリーに与えられるローリー・ペック賞を受賞した。

そのとき取材の核となって情報を集めたのが、今回のシンポジウムで来日したアニワル氏である。


氏は1963年生まれ、10年前から英国で亡命生活を送っており、英国ウイグル人協会会長をつとめる。

医師である氏は、当初、中国の核実験についてなにも知らなかった。


「今振り返れば、93年に奇妙な話を聞いていたのです。

弟の結婚式で、クムル(中国名=哈密=ハミ)に戻ったときのことです」



クムルは東トルキスタンの東端、中国に近い。



「親戚友人の集った席で羊飼いの老人が『自分は神を見たことがある』と言い始めたのです。

老人は、或る時、中国の軍人たちの姿を見かけるようになり、暫くすると、太陽の100倍くらいも明るい光が射した。

地面が大きく揺れて、凄まじい嵐になったと語るのです。

それはいつのことかと問うと、『何年か前』と言います。

後に私は、老人の話は、神の出現などではなく、中国の核実験だったと気づくことになります」


アニワル氏も、小学3年生の時に、似た体験をした。

「地震のような大地の揺れのあと、3日間、太陽が隠れました。空が落ちんばかりに大量の砂塵が降りました。

学校の中国人教師は、土星の嵐が地球に土や砂を降らせていると出鱈目の説明をし、私たちはそれを信じたのです」



病床を占めるウイグル人



驚くことに、日本ウイグル協会会長のイリハム・マハムティ氏にも同じような体験があった。


「小学5年の時、大砂嵐が吹き起こり、50センチ先の人の顔さえ見えなくなりました。

2001年秋に日本に来て初めて、あの嵐は核実験の嵐だったと知りました。

ただ、私の住むクムルなど東部では、被爆の被害は比較的少なかったのです。

核実験は、風が東から西、中央アジア方向に吹くときだけ行われたからです」


イリハム氏の体験は79年から80年にかけてのことだ。

中国は79年には地下で、80年には空中で、核実験をした。

前者の規模は不明だが、後者は0.2から1メガトンの間と見られている。

核実験であると知っているか否かは別にして、東トルキスタンの多くのウイグル人が、

核実験による砂嵐や大地の揺れを体験していることがわかる。


アニワル氏は石河子大学医学院で学び、医師となり、1991年、ウルムチの鉄道局付属病院に勤務した。

94年、上司の主任医師が冗談のように言った。


「君は、ウイグル人は頑健だというが、違うじゃないか。病人が随分多いぞ」


たしかに、鉄道の労働者16万人中、ウイグル人は5,000人にすぎない。

にも拘らず、40病床中、10床をウイグル人が占めていた。


「16万対5,000、比率で言えば40床の内、1床か2床にウイグル人がいるのが普通です。

なのに、なぜ10床も占めているのか、私は秘かに調査を開始しました。

ガンの専門医としての立場を利用して、自分の病院だけでなく、

他の病院のガン患者に関する資料も集めることが出来ました」


ガン患者に共通する因子はあるのか。やがて彼は、ガンは、最も多い順に、

白血病、悪性リンパ腫、肺ガンであることを突き止めた。


「94年までには、共通因子は放射能だと確信するに至りました。

さらに慎重に調査を進めて驚くべきことを発見しました。

東トルキスタンにおけるウイグル人のガン発生率は中国内陸部の平均と較べて、35%も高かったのです。

当地に30年以上居住している場合、ウイグル人だけでなく漢人も同程度のガン発生率だった。

20年居住の場合は、これまた民族の如何を問わず、25%高く、10年居住の場合は15%でした。

10年未満の場合だけが内陸部の中国人と同じでした」


氏の調査は、やがて当局の注意を引いた。

或る日、上司から、「君のしていることは間違った調査だ」と警告された。


「私はきっぱり調査をやめました。それまでにすべてを解明していたからです。

私は、この恐るべき実態を外の世界の人々に伝えなくてはならないと考え、中国を出る決意を固めました」


氏は97年にウズベキスタンを経由してトルコに着いた。

東トルキスタンのトルキスタンは、「テュルク人の土地」を意味するペルシャ語である。

テュルク人とはテュルク語を母語とする人々のことだ。

そして、ウズベキスタンもトルコもテュルク系で、ウイグル人とは元々、同族である。


「トルコで、私は一人のチャンネル4の英国人特派員に出会いました。

彼は中国取材で私の協力を欲しており、私は二つ返事で引き受けました」



実験場から噴き出す核の灰



こうして、アニワル氏はそれまでの自分の調査結果の概要を教えた。

チャンネル4は直ちに取材体制を整え、準備に入った。

取材班には放射線汚染の医学的影響を客観的に判断するために、

アニワル氏以外にもうひとり別の医師を加えた。彼らは旅行者を装って中国入りした。

被爆者と思われる多数の患者も取材した。しかし、決定的な証拠がない。


そのときに、アニワル氏が驚くべき決断を下したのだ。

彼は、旅行者を装った取材班の観光ガイドに扮して、中国に戻り、

かつて自分が行った調査資料をはじめ、中国政府が隠し続けてきた核実験の資料を手に入れるというのだ。


「ここでわれわれは重大なミスに気づきました。資料があるはずの大学は図書館も含めて夏休みだったのです」


彼は一計を巡らせた。98年7月8日である。大学の図書館のガードをレストランに招待した。

博士論文を書かなければならず、そのための資料がどうしても必要だと訴えた。

レストランのウエイターらには、ガードを自分の大切な友人だと紹介し、

100ドルを支払って最高のもてなしをするようにはからった。ガードにも100ドルを渡した。

生まれて初めてレストランに招待され、歓待されたガードは、彼に、図書館の鍵束を渡してくれた。


摘発されれば少なくとも20年の刑だ。

だが、アニワル氏は資料室の奥深く入り込み、

なんと、必要な資料、分析報告のすべてを、持ち出すのに成功したのだ。


「初めてこの話をしました。あのときから10年以上がすぎ、

もうガードも、いませんから」とアニワル氏。


スパイ小説を地で行くような展開は、98年8月に報じられた「死のシルクロード」にも詳しい。


彼らはホテルにこもって、門外不出の内部資料の山を一枚一枚読み込み、

重要なファイルをマイクロフィルムにおさめていった。

ロンドンから、別の記者が旅行者を装って飛んできて、

あるレストランで、素知らぬ顔でマイクロフィルムを受け取った。

彼は運び屋としてマイクロフィルムをロンドンに持ち帰ったのだ。

資料が無事に本社に届いたことを確認したあと、アニワル氏らは手持の全資料を焼却した。

こうして、アニワル氏は再び中国を後にしたが、空港で数時間にわたって、隅から隅まで取り調べられた。


「何も見つかるはずはありません。空手ですから。

しかし、翌99年、私は英国に亡命しました。

中国共産党政権が倒れない限り、生涯二度と中国に戻ることはないでしょう」



寿司をつまみながら、アニワル氏は語る。



「中国政府は、核実験はすでに中止したと主張します。

しかし、悲惨な後遺症は続いています。

情報を隠し、恰も核実験など存在しなかったかのように封じ込めようとしているのです。

中国政府は情報の開示と医療対策を直ちに実行すべきです。

なによりも、ウイグル人に対して根拠のない支配をやめるべきです」


一方、アニワル氏とは別ルートで、髙田氏も中国の核実験の悲惨な現実を掘り起こした。


氏はソ連のセミパラチンスク核実験場の放射線影響調査の過程で、

中国の核実験がカザフスタンにどのような影響をもたらしたかを分析した報告書を手に入れたのだ。



中国の核実験の凄まじさは際立つと、氏は語る。


「セミパラチンスクの地表での核実験では、ソ連は半径100キロの範囲で柵を立てました。

それでも大量の核の灰が実験場の外へ噴き出した。

中国が東トルキスタンのロプノルで行った地表での核実験の中には、


セミパラチンスクの10倍の威力のものもありました。

半径300キロの範囲から人間を退避させなければならないとしても、

隣のチベットにまで及ぶ広範囲を封鎖することは困難でしょう。

中国政府が安全管理を徹底させたとは思えません」


つまり、柵も立てずに実験したと言っているのだ。

日本でもどこでも、科学者や研究者は、実験に際しては徹底した安全管理を旨とする。

しかし、中国政府にはそのような考えはない。

住民への予告も警告もなかったのは、先述の羊飼いの老人らの話からも明らかだ。

居住区で、防護策も講じずいきなり核実験を強行する野蛮な手法をとるのは、世界広しといえども中国だけだ。



国会議員の姿はなし



髙田氏が世に問うた『中国の核実験』には、

中国が意図的に東トルキスタンはじめ中央アジア諸国の方向に核物質を降らせるよう、

工夫して実験してきたことも書かれている。


周知のとおり、1トンの100万倍がメガトンである。

メガトン級の核実験を中国は度々、強行したが、不思議なことに、

どの場合も日本の東海村での観測は、中国からの大量の放射線降下物を記録していない。


2メガトンを超える大型核実験が行われた67年と73年の各々6月、

風はいずれも北北西、つまり、カザフスタン方向に吹いていた。

76年11月の4メガトンという巨大実験の日、現地の気象データがないために確認は出来ないが、

風は少なくとも、カザフスタンでも日本の位置する東方向でもない別の方向に吹いていた。

なぜなら、双方の地点で放射線降下物は観測されていないからだ。理由を髙田教授は次のように説明した。


「ソ連では、危険な核実験は、風向がモスクワを向いていない日に行われました。中国も同様でしょう」


東トルキスタンの核実験場ロプノルから北京方向への風が吹く日には実験は行われないのだ。

東京は、ロプノル─北京を結ぶその延長線上にある。

北京の共産党指導者層を核放射物質から守るための工夫が、中央アジア諸国に「核の砂」を降らせ、

東京を守る結果となっていると、高田教授は分析する。

だが、北京方向に風が吹くときには大型実験は避けられても、中型、小型は行われてきた。

日本への被害はゼロではない。



イリハム氏が強調した。



「核実験の後遺症で、東トルキスタンには種々のガン患者をはじめ、

流産、死産、小頭症、重度の知的障害など、次の世代にも影響する多くの問題が顕著に表われています。

アニワル氏は、ウイグル人の滅亡につながりかねない中国の核実験の被害の実態と悲劇を世界に伝えるために、

これからの一生を費やすと決意しています。私も同様です。

中国の圧政に屈せずに、チベット人やモンゴル人とも協力して、訴えていきます。

その決意で、シンポジウムを国会のすぐ近くで開きました」


だが、シンポジウムには、日本の国会議員の姿は見当たらなかった。

中国の核は、有事の際の対日軍事オプションとして、大きく重い意味をもつ。

中国の核実験に日本が政治的に無関心であってはならないのだ。


(引用終わり)






2012年12月09日日曜日の報道。

櫻井よしこ「大人は年20ミリシーベルト、子どもも10ミリシーベルトまでは大丈夫」

http://soba.txt-nifty.com/zatudan/2012/12/post-9805.html

http://www.asyura2.com/12/senkyo141/msg/467.html


(内容)


福島のニュース


櫻井よしこさん 「除染基準の緩和が必要」 郡山で講演


ジャーナリストの櫻井よしこさんが8日、福島県郡山市であった福島県双葉郡8町村の議員研修会で講演し


     年1ミリシーベルトの除染基準は古里再生のために緩和すべきだ。


と述べた。

双葉郡は福島第1原発事故で多くの住民が避難を続けており、質疑で議員が反発する場面もあった。


櫻井さんは


     放射線には幅広い意見があるが、政治家は事実を見るべきだ。

     人類が持つ科学的事実は広島、長崎、チェルノブイリの疫学データしかない。

     国連科学委員会や国際放射線防護委員会は100ミリシーベルト以下の

     影響に有意性はないと結論付けている。


と強調した。


その上で「科学的根拠のない年1ミリシーベルトを除染の基準にして大量の土砂を積み上げ、

自分たちで新たな問題をつくり出している。大人は年20ミリシーベルト、子どもも10ミリシーベルトまでは大丈夫と、

国の責任で言わなければならない。町村議は住民と一緒にうろたえていてはいけない」と言い切った。


議員からは



     安全性を本当に担保できるのか。

     1ミリシーベルトは避難者の心のよりどころ。



と反論が相次いだ。


櫻井さんは



     反発、失望には驚かない。事実へ議論を積み重ねることが大切。

     私も福島復興のため最後まで関わり続ける。



と応じた。

(以上)



あれれ!!「櫻井よしこ」なる人物は二人いるのだろうか?

それとも中国核実験惨状のレポートは単なる政治的な中国非難だったということか。


ジャーナリストという評価に疑問を持たざるをえない。








原爆を許すまじ
http://gravitational-wave.air-nifty.com/tobenaiposuto/2013/week19/index.html#entry-76444807






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馬を人に変える




まだ携帯電話など無い頃、職場へ電話を借りに人が飛び込んできた。

2キロほど先でマイクロバスが横転したという。


電話をしている人を残し、急いで現場へ向かった。


駆けつけると現場は一帯に燃料が漏れ最悪の状況だ。乗客の影は無い。どうやら運転手一人のようだ。

道の反対側に車を止め、トランクから三角表示、発煙筒、消火器、バール、毛布を取り出す。

私の車には緊急時に備えていろいろ積んである。


それらを抱え道路を横断する。

何かのはずみで炎上するまでが勝負だ。身震いするほどの緊張が走る。

多くの現場を見てきたが、「下手をすると生きて帰れないかも」と思ったのは初めてだった。


群衆が集まりだしてはいるが、救助しようとする人は誰もいない。

まず、そんなところだ。いらついても仕方がない。


ありったけの声でひとりひとりに指示を出す。



    あんた! 三角板を立ててください



    あんた! 発煙筒を!



    あんたとあんた! 人を遠ざけてぇ! 



    あんた! 車を近づけないようにしてぇ!



そんな中でも状況を横目に通り抜ける車もある。「ああ やってる やってる」ってところだろう。

そういう車にはだいだい傾向がある。 偏見を生じさせるのでここでは書かない。


指示を出しながら、バールでガラスを破る。

ところがマイクロバスというのは法律で全面安全ガラスとなっている。

簡単には破れない。おまけに私は非力だ。時間が無い。あせった。



   あんちゃん わし かわる

   


大柄のおっさんが横から交替してくれた。



   端っこを狙うてぇ



ガラスの中央部では跳ね返されるだけで破れない。おっさんも悪戦苦闘だ。だからこそ安全ガラスなのだ。

何とか穴が開き、二人でガラスを引き剥がして中へ入る。


運転手は飛ばされてバスの中央部で呆然と座っていた。意識はあるようだ。


   だいじょうぶですよ いま 救急車もきますからね

   からだを らくにしてください ベルトゆるめますよ さむくないですか


    よかった よかった(おっさん)


燃料の匂いがとにかくきつい。一刻も早く外へ出したい。救急隊が来たのはその時だった。

さすがに負傷者の扱いは慣れている。狭い窓から運び出した。警察も駆けつけてきた。

(ああ、これで役目は終わった。)


どこのおっさんかもわからぬ人と無言でうなづきあった。

駆けつけたときはただの野次馬だった人たちも一仕事やり終えたような晴れ晴れした表情だった。


アンパンマンでなくてもこれくらいはできる。

馬を人に変えるちょっとしたコツさえわかっていれば・・・・


ちょっとしたきっかけがあれば人は誰でも "内なるもの" を表現できる、行動に移せる。  人間だもの。

馬を人に変えるのは魔法なんかじゃない。ちょっとしたコツ、きっかけで誰にでもできる簡単な事だ。


必要なのは    "The Art of Loving"       


★・・・・・・★・・・・・・★・・・・・・★・・・・・・★・・・・・・★・・・・・・★・・・・



           [The Art of Loving] は Erich Fromm の著


 
               Art は美術、あるいは文化とか学芸、教養と訳せるが、

              ここでは身についた教養、あるいは身についた徳と理解すべき。

              Loving も愛し続ける、愛しぬくとの意か。


              愛しぬくために身につければならないもの、

              本当の愛情をもって愛しぬくために身につけなければならない教養、

              そんな理解で良いと思う。


             「愛するための技術」と訳した人もいた。

   


          ※ MEMO


          事故で被災した人には「だいじょうぶですよ」と声をかけて欲しい。

          安心感を与える言葉が何より必要だから・・・大丈夫には見えない状況であっても

          意識があるかわからない人にも

          「助かりましたよ いま 救急車来ますからね」と安心させて欲しい。

 
        
          極端な話、首がちぎれていても・・・耳は最後まで聞こえているのだから。

          救助される側になったことがある者にしかわからないことかもしれない。






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重 房



念願の重房を手にした。誰もが認める日本の名工だ。


逸品を手にしてさぞ気持が昂ぶるかと思っていたが、

何日か使ってみて、実は後悔にも似た戸惑いを感じ始めている。


音楽にたとえるなら、

幼児コースの子どもが名器ストラディバリウスで「きらきら星」をおけいこしている風景なのだ。


庖丁から伝わってくる職人としての気概、

仕事に打ち込むなみなみならぬ情熱の前にたじろぎさえ感じ始めている。


自分のようなものが本当に使っていいのだろうかと。

厳しい先生に見つめられているようで、庖丁を手にするときは緊張して背筋がピンとする。


今まで使っていた庖丁も決して切れないというわけではなかった。

周囲からは「すごい!」と言われることもあった。


ただ、重房は「すごい」というレベルとは違う。次元が違う。庖丁から伝わる素材感がまったく違う。


野菜など、ものによっては空気を切っているようだ。加減しないとまな板をも切ってしまいかねない。

決して大げさではない。私は感触をつかむのに丸一日かかった。


切れると言うことはこんなにも味を良くすることなのか。

わかっていたはずなのに、数日前の食感との違いに改めて刃物の役割の重要さを感じる。


ストラディバリウスが幼児の音楽的感性を育ててくれるように、

重房が私の食、調理の感性を育ててくれることを祈りながらいつまでも大切に使っていきたい。




          ※ 重房  本名;飯塚解房  新潟県三条市在住

                      和包丁製作の第一人者






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廃盤紹介____ATASHI



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 「ATASHI」(1978年)   


               作詞 岩谷時子

               作曲 中村泰二

                唄   水谷良重



    与之さん



惚れちゃいけない 女郎だというのにさ

あんまりうぶだから あたしゃ惚れたのさ

お酉さまの 吉原はにぎやかで

あたしと与之さんは 幸せなはずだった

男にも実のある ひとがいるもんだね

背伸びをしては あたしに貢いでた あのひとさ

ああ なさけ一筋 それが仇になる


笑ておくれ あの人のためならば

地獄の果てまでも あたしゃいきたいよ

いやしいあたし よろこばせようとして

かわいい与之さんは 見栄をはりすぎた

あのひとがしたことは みんなあたしゆえ

ゆるして どうぞ泣かずに 苦労なら二人で

ああ いいことなんか この世にゃないのだね


縞の着物 紫の羽織着て

あのひと助けてと あたしゃ西東

誰にでも この頭さげましょう

やさしい与之さんは 罪を犯しました

どうしても 出したいの 暗い処から

浮き世へ 無事なすがたで 戻られるものならば

ああ あたしは去ろう 出世のじゃまになる



水谷良重 与之さん(新派「遊女夕霧」より)

http://www.youtube.com/watch?v=G_1WpW-nxZM






   あなた



     おくさん おくさん なんて 大きな声をおしでないよ

     袢纏(はんてん)を着た奥様なんざ 江戸にはおりません ねえ あなた



お風呂へゆくから 留守番してくださいな あなた

世帯がもてて うれしいわ

たとえ内緒でも 夫婦ですもの

あなたがいれば あなたがいれば それでいい

ままごとみたいな しあわせが

やっと あたしにきたのです



     いい月ね ちょっと ちょっと きて 見てごらんなさいよ

     あなた この二、三日 ふさぎ込んでばかりいらっしゃる



二人で湯島へ 出かけるのは初めてね あなた

花見ができて うれしいわ

日陰者だよと 他人(ひと)はいうけど

苦労するのが 苦労するのが たのしみよ

別れておくれということは

死ねというのと おなじこと



     お蔦は患っております もう長いことは ないかもしれません

     あなたが塾をお開きになったことは 新聞で知りました

     ほら こうやって 切り抜きを しっかり 抱いております



あいたさ見たさで 何年たったでしょうか あなた

夢でもいいの 逢いたいわ

長の別れです あたし もうだめ

義理をたてれば 義理をたてれば 逢えません

月夜に 白梅散るように

死んでゆくのも ひとり旅






※水谷良重は 現 二代目水谷八重子


 ブログ「ないしょばなし」 by 水谷八重子

    http://funnygirl.exblog.jp/






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恐怖はつねに無知から生じる




「黄金サンマ」を伝える産経新聞の記事。

http://sankei.jp.msn.com/life/news/121003/trd12100319170012-n1.htm (削除済)


(内容)

幸せ呼ぶ「黄金サンマ」   2012.10.3 19:16


岩手県大船渡市で水揚げされて築地市場に入荷し、鮮魚販売店「魚耕」が1匹1万円で仕入れた「黄金サンマ」。

西武池袋本店の店舗に展示され、販売せずに金色の姿のまま保存するという=3日午後、東京・池袋


 東京・池袋の百貨店地下にある鮮魚コーナーに3日、

体全体が金色に輝く珍しいサンマ1匹が入荷し、特別展示された。

仕入れ値は1匹1万円。「幸運を運んでくれそう」と、携帯電話のカメラで撮影したり、

「縁起がいい」と両手を合わせて拝んだりする買い物客の姿が見られた。


 「黄金サンマ」は岩手県大船渡市で水揚げされ3日早朝、築地市場に2匹だけ入荷。

杉並区の鮮魚販売店「魚耕」が1匹1万円で2匹とも購入し、西武池袋本店と、杉並区の店舗に1匹ずつ展示した。


 普通のサンマは最近1匹の卸値100円前後、売値200円前後で流通。

魚耕の担当者は「1万円は確かに高いが『幸せを呼ぶサンマ』としてみなさんに楽しんでもらえれば」と話した。

食用としては販売せず、金色の姿のまま保存する考えだという。展示は4日まで。
(以上)


幸せ呼ぶ「黄金サンマ」

http://www.asyura2.com/12/genpatu27/msg/771.html




「人間の足?実はニンジン」


埼玉新聞  2012年12月24日(月)

人間の足?実はニンジン! 狭山・粕谷さん宅で収穫、近所の話題に


狭山市の粕谷浩三さん方家庭菜園で収穫された人間の足形そっくりのニンジン

 狭山市狭山台、飲食業粕谷浩三さん(68)の家庭菜園(約264平方メートル)でニンジンを収穫したところ、

その中に人間の足形そっくりのニンジンが混じっているのを見つけ、近所の話題になっている。


 このニンジンは長さ約15センチ、幅約10センチ、厚み約5センチで、爪までついている精巧な足形。

粕谷さんは「JA堀兼から購入した種を7月22日に家庭菜園にまいたら、

1本だけ突然変異のように足形にそっくりのニンジンができた。

20数年間家庭菜園を続けているが、こんなことは初めて。

近所の人に話したら、訪ねてきて、皆が珍しいと写真に収めて行きました」と本人もびっくりした表情で話していた。


 話は広まり、狭山商工会議所からも人が見えて、

「珍しいからと」来年1月号の「会議所便り」に掲載するからと写真を撮っていったという。


 粕谷さんはJA堀兼のアドバイスで、この足形ニンジンを長持ちさせるため、

新聞紙にくるんでビニール袋に包んで冷蔵庫の野菜室に大事に保存。

「大勢の方に見ていただけたらうれしいです」と話している。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121224-00000301-saitama-l11 (削除済)




こちらは中国の話・・・・・


神の出現と土星の嵐


アニワル氏は1963年生まれ、10年前から英国で亡命生活を送っており、英国ウイグル人協会会長をつとめる。

医師である氏は、当初、中国の核実験についてなにも知らなかった。


「今振り返れば、93年に奇妙な話を聞いていたのです。

弟の結婚式で、クムル(中国名=哈密=ハミ)に戻ったときのことです」


クムルは東トルキスタンの東端、中国に近い。


「親戚友人の集った席で羊飼いの老人が『自分は神を見たことがある』と言い始めたのです。

老人は、或る時、中国の軍人たちの姿を見かけるようになり、暫くすると、太陽の100倍くらいも明るい光が射した。

地面が大きく揺れて、凄まじい嵐になったと語るのです。それはいつのことかと問うと、『何年か前』と言います。

後に私は、老人の話は、神の出現などではなく、中国の核実験だったと気づくことになります」


アニワル氏も、小学3年生の時に、似た体験をした。

「地震のような大地の揺れのあと、3日間、太陽が隠れました。空が落ちんばかりに大量の砂塵が降りました。

学校の中国人教師は、土星の嵐が地球に土や砂を降らせているとでたらめの説明をし、

私たちはそれを信じたのです」




恐怖はつねに無知から生じる。








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”木 ”の時代




これからの時代、自動車の車体は「木」で作るという。


そういえば、第二次大戦末期、各国で木製飛行機なるものが開発、製造されていたそうだ。

調達困難になった資材に替えて、まだ余裕のあった木材に活路を求めたものだった。


最近では将軍様のお国のステルス空軍機が話題になっている。

木と布で作った12名乗りで、レーダーに探知されにくい。アメリカ空軍は神経をとがらしているとか。


しかし、昨今話題になっているのはどうもそのようなものとは意味が違うようだ。




植物が陸上にあがってから約5億年になる。

今では樹木は地球上のバイオマス(生物体量)の約95%を占める。

この圧倒的な樹木の存在感をより所として、これからの材料開発に取り組もうということらしい。


樹木の重量は1立方mあたり1トン近くある。数10mのものであれば総重量100トンを超えてしまう。

この巨体は風にも耐え、地震にあっても倒れず何百年と立ち続ける。

この強さの秘密を探り、工業的に利用できないものか、そんな動きが始まっている。


樹木の巨体を支えているのはFRP(繊維強化プラスチック)と似た構造の細胞組織にあるという。

細胞を形成している繊維は、セルロースミクロフィブリルという約4ナノメートルの細い糸である。

細胞壁の約5割を占めるナノファイバーは鋼鉄の5倍以上の強さを持つという。


このような高強度ナノファイバーがほぼ無尽蔵にこの地上に蓄積されており、

日々植物によって作り出されている。

廃棄にあたっての環境負荷も少ないなど、未来の材料として極めて高いポテンシャルを有しているというわけだ。


分子レベルからの構造制御をめざす金属やセラミックス、プラスチックといった人工材料とは異なり、

作り手である生物の思いとシンクロナイズすれば、人類はまったく新しい概念の材料を手にすることになる。


まさに樹木の気持ちを材料にしようということだ。(※ セルロースナノファイバーは人工のものではない)


この技術の注目すべきは原材料が木材パルプ以外に、

ジャガイモのデンプン絞りカスや焼酎カスといった農産廃棄物や産業廃棄物からも得られる点にある。


驚いたのはデザートとして食べられているナタデココもそんな材料になるという。

ナタデココの細い繊維もセルロースナノファイバーだという。強度は鋼鉄の5倍あるという。


           (先に言って欲しかった。 食っちゃったよ。 気のせいか胃の中がゴソゴソしてた。)


これを使えば透明性を損なうことなくプラスチックの強度を高めることが可能という。

このことから折り曲げることができるディスプレーを開発中されているとも聞く。

50インチのディスプレーもポケットに入れて歩けるということらしい。


もしかすると人類は鉄に代わる植物時代を迎えることになるのかも知れない。


これらの研究をヨーロッパで発表する際、

日本の学者は「植物と共に生きる必要性」をテーマとした講演を行ない、

植物の智恵とともに生きることがこれからの人類の課題であることを訴えたという。


が、ヨーロッパの人々の反応は不思議なものを見るような、冷たい反応だったという。

西洋の文化では人間が中心で、樹木は単なる材料に過ぎず、

植物と智恵を共有するという考え方にはなれないらしい。自然は征圧するもの、克服すべきもののようだ。




日本は豊かな環境に恵まれているだけでなく、地震や風水害も多く、

それだけに環境への畏敬の念もとりわけ強い。

あらゆるものに「神」なるものを感じ、真摯に振る舞わなければ生きていけない過酷な状況下で暮らしてきた。


獣を猟の対象にはしても、決して自然全体の営みを乱すことはせずにきた。

環境を切り開く、征圧するというより、環境のあり方に沿った生き方を探り、ぶつかり合わぬ智恵を求めてきた。


建築においても現代の建築と古来よりの建築では仕事に対する考え方がまったく異なる。

西洋に端を発した近代文明のあり方に法隆寺修復にあたった棟梁は静かに反論する。

宮大工、西岡常一は言う。



          技術というもんは、自然の法則を人間の力で征服しようちゅうものですわな。

          私らの言うのは、技術やなしに技法ですわ。

          自然の生命の法則のまま活かして使うという考え方や。

          だから技術といわず技法というんや。



         「自然の法則を人間の力で征服しよう」とする技術だと、建物の梁をまっすぐにしたり、

          格子に使われる木材の形を揃えてきれいに見せようとしたりします。

          しかし、自然に育った木には強いものもあれば弱いものもある。

          すべてを一律に組んでしまったら弱いところからダメになります。


自然の法則を読み取り、そのまま活かす。大自然の中で生きる知恵とはそういうことだと棟梁は言う。

宮大工であった西岡の祖父は彼を仕込むときに農業から教えたという。

樹木というものをしっかり見るようにとの思いからだろう。


木の性質を見極めるのは山のなかで育つ木を知らねばならない。

見極めができねば存分に活かしきることなどできぬからだ。


薬師寺西塔が完成したときのエピソードが実に印象深かった。

すでに建っている東塔に比べて西塔の高さが若干高いと関係者が指摘をした。

本来は同じでなくてはならない。竣工式会場がざわついた。


西岡は平然とこう言った。



     木は縮むもんです。千年経ったら同じ高さになります



こういう時間のスケールでものを考える人がいるのに驚いた。

しかし、日本にある社寺仏閣で数百年経過しているのは珍しくはない。

凄い棟梁は西岡一人ではないということだ。


日本の文化は間違いなく、「自然の法則を読み取り、そのまま活かす」そんな姿勢の中で培われてきた。

計算や理論だけで将来を描こうとする「現代人」はよってたつところを今一度あらためる必要がある。    


       それでもなんでっせ。

       建てるものがなくても、飛鳥の技法みたいなものはなくなりません。

       今の電子工業のようなむずかしいもんと違いますさかいな。

       自然というものを理解さえすれば誰でもできますわ。








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生活意欲の向上 しめ鯖づくり編



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あらら あんな小さい魚まで 魚屋さんにお願いするんか?

初心者マークが未だとれない調理人でさえ思わずつぶやいた。


みなさん家には包丁を持っていらっしゃるだろうに、、、、、。

小母ちゃんが魚屋さんに依頼したのはキトキトの鰯だった。


              ※「キトキト」

                金沢、富山の方言で「新鮮な」「生きがいい」という意味。 


しかし、母などは鰯の調理に包丁を使わなかった。

手開きというやり方だった。

初心者マーク調理人もそれに倣っている。


頭をとるのは、親指をエラぶたの中へいれて、頭を腹の方へエイヤッと引くと簡単にとれる。

そんでもって、親指を腹の中へ入れ、骨に沿って尾の方へ。

これで開いた状態に、、、。

(ワタを出すだけなら開かずともOKだが)

頭の方から骨をつまんで尾っぽ側へ。これで骨もとれる。

あとは手早く水洗い。


やってみないことは何でも難しく見える。そりゃそうだろう。

手を動かし始めれば考えてるほどにやっかいなことではない。何だってそうだ。

お金を頂戴するわけでなければ少々のことは、、、、などと私が心配することもないか。


私の気を引いたのは「朝とれ !! 鯖」だ。目も透き通っていてビー玉のようだ。

そんなキトキトの鯖と目が合った

よし、今日は「しめ鯖」だ。


一番安い砂糖と特売の酢も買った。

しめるだけならこれで十分。

いつも使っている三温糖ではもったいない。

私はしめるときに砂糖も使う。


対面販売のお兄ちゃん



     これ どうしましょ?


     いや そのままで



と、少々きざっぽく答えて店を出た。

5年前、心の準備ができないまま調理を始めた人間もいまや「しめ鯖」を作れるようになった。


何事もすべてゼロから始める私のこと、

調理も他人から見ればおかしなことも多々あるに違いない。

けど、美味しくいただければそれでよいのだ。

もっともそういう思い込みがなければやれるものでない。


魚屋のお兄ちゃんを見てると、捌くときは先ず頭を切り落としている。

が、家庭でやる場合、それでは流しを汚す。

汚すのは最小限にしたい。


私は内臓を出来るだけ傷つけず、頭とくっつけたまま捌く方法をとっている。

包丁をよく研いでおけばそんなに難しくはない。


「しめ鯖づくり」のスタートは先ず三枚におろした鯖を砂糖づけ状態にする。(40分ほど)


「しめる」とは表面近くの水分を抜くこと。

砂糖は水の分子を包み込む。菓子パンが柔らかいのはそのせい。


ならば砂糖でも「しめる」ことは可能だ。

砂糖だけでは脱水効果は十分ではないが、こうしておくと過度の脱水で堅くなることがない。

それに味もちょっと塩辛いということもない。


砂糖づけの後は塩をたっぷりまぶして90分ほど。


砂糖のときも塩のときも工程が完了した後は水でさっと洗い流し、きれいに拭き取る、ここが大事。


あとは酢に漬けること20分。


出来上がったら皮を剥ぐ。

透明の皮はあっても差し支えないが、取り除いた方がやはり食感はよい。


タッパーに入れて冷蔵庫へ。これで4,5日はOK。


初期のしめ鯖お毒味役には感謝しなければならないが、

いまや、スーパーで「しめ鯖」として売られているものよりは美味、、、なはず。

食感が刺身に近いことだけは請け合える。


「しめ鯖づくり」も私にとっては生活意欲の向上になっている日々である。








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最も危険な日々を私たちは迎えています




社会が特定の勢力で歪められています。

原子力マフィアはその資金力で政治家を買収し、学者を飼い慣らし、メディアを乗っ取っています。

事故は収束していません。「福島」は終わってなどいません。現在進行中です。危機も去っていません。


様々なエネルギーが語られてよいとは思います。

が、利用する面だけではなく、環境負荷も同時に論じて欲しいものです。


核エネルギーを語るなら事故をきれいさっぱり解決し、

廃棄物の問題もすべてクリアーしてからにして欲しいものです。


福島はいうまでもなく、チェルノブイリも終わってなどいません。

核の傘理論も破綻しています。福島もチェルノブイリも核戦争と同じ結果が起きています。

政治家は机上の空論をもてあそぶべきではありません。

現状に目を向けず核を議論のテーブルにのせること自体、あってはならないことです。




活断層再調査、一見すると安全の確認であり廃炉させるためのステップとも見えます。

はたしてそうでしょうか。そういう思惑通りに事は運ぶでしょうか。


再調査を求めることはある意味、原発存続を前提とした動きととられてしまいます。

あらゆる戦術で、、、の気持ちはわかりますが、「活断層ではない」と結論されたときどうするのでしょうか。

原子力マフィアは必死になって活断層ではないと言い続け、原発存続を画策するでしょう。

大飯をめぐる発言を見ればよくわかることです。


「活断層があるから危険」それはその通りですが、原発反対の根拠をそこにおいていると

「活断層ではない」と結論されたとき反対の根拠を失います。

やはり正攻法でいくべきと考えます。核のゴミ、温排水の環境破壊等をこそ取り上げるべきです。

それに活断層再調査の費用は消費者にまわってくるわけでこれも困ったものです。


「即刻、廃炉に!!」これでよいはずです。


安全ならばいいでしょ・・・という敵の用意する土俵に引きずり込まれてはなりません。

活断層再調査は原発存続のための世論対策に過ぎません。


活断層であるか否か学者の最終確認を待つ必要もありません。

学者同士の論争は将来にわたって好きなだけやっていただけばいいことです。


大切なことはいのちと暮らしを預かっている「政とは何ぞや」ということです。

誰のための何のための政かをわきまえているかどうかです。


政にグレーゾーンはありません。政に携わる者が心しておかねばならないことです。

白でなければ黒と判断すべきなのが政です。学問的探求の世界ではありません。


原子力マフィアを一掃しなければ何も変わらないと思います。

彼らはモグラたたきのモグラです。

すでに「活断層であっても・・・」などと予防線をはっています。

手を替え品を替え原発の存続を図り続けるでしょう。




原子力利権は言葉を換えればアメリカ利権です。

脱原発を叫んではいても一方でTPPを推進しようなどという。まやかしの極みです。


原発、TPP、消費税増税、郵政民営化・・・根っこにあるのは対米隷従です。

アメリカというよりユダヤ金融資本というべきですか。

さらに対米隷従の象徴、オスプレイの問題さえあります。


私は政治家はじめ多くの人の認識が低いことを思えばTPPの方が原発以上に怖ろしいと見ます。

市場を開放するのはよいことだという論調があるのには危険なものを感じます。

全世界が相手の話ではないことが議論から欠落しています。


これはブロック経済であり、アメリカの植民地政治の最たるものです。

同時に軍事ブロック化でもあります。


原発を押しつけ、郵政民営化で国民の富を奪い、最後はTPPで国ごと乗っ取る、

こんな図式が見えないような人間を政治の場に送り込んではならないと思っています。


しかし、敵は自民党や菅・野田民主党ではありません。

財界、官僚、メディアであり、それを操っている赤坂の勢力です。

さらに言えばいいようにされている人々の無知、無関心です。

愚民政治の集大成ともいうべき最も危険な日々を私たちは迎えています。


さいわい現代はネットで情報や意見を発信できます。フルに活用しメディアに対抗していきましょう。








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文字の關




狩谷えき斎(※木偏に夜)の歌


「文字の關まだ越えやらぬ旅人は道の奧をばいかで知るべき」

                              (簡野道明著「字源」より)

                                                                  ※木偏に夜 = 因みに ねむの木 のこと


                              ※關=関


*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*



[官]
   字源

  「大勢の人が集まった家屋」の意で「館」の原字。

   春秋時代に、諸侯などが、家柄によらず「食客」を自分の館に集めたことが官のルーツとなる。


   意義

   支配者につかえて、その指示の下、民衆への支配を補完する人。役人、官僚、官吏。

   おおやけ。


どの辞書を引いても「官」は「役人」である。

最近、多くのメディアで「試験官」「面接官」なる言葉が乱用・誤用されている。


国立機関の試験であれば、その立会人は「試験官」である。そこで面接をするのは「面接官」である。

国立機関の職員は国家公務員であるわけで、間違いなく「官」である。


問題は私学の場合や民間企業での試験、面接の場合だ。

多くのメディアではさかんに「試験官」「面接官」といっている。


先だって、食品衛生月間のニュースが流れた。

アナウンサーによると「民間検査会社の検査官がある企業を訪れた」そうだ。


民間の検査会社に「検査官」はいないはずだ。指摘をしたのだが指摘の意味すら理解出来ないようだった。

日本人の日本語力は外国からの留学生たちよりはるかに劣っている。


何故役人でもない人物を「官」と表現するのか。私にはまったく理解できない。


辞書を引く習慣の無いひとたちか、あるいはよほど語彙の貧しいひとたちと思う。

メディアの入社試験には「日本語」はなかったのだろうか。こういう放送局には辞書すらないのだろう。


小学校で英語もよいが、まずは母国語をしっかり身につけてほしいものである。


私の高校の恩師、「八田有親」は帝大・広島文理大学哲学科をでられたかたで、

言葉にはとりわけ厳しい先生だった。

上記のような間違いをすればまず1時間は絞られた。


狩谷えき斎の歌にあるように言葉の意味を押さえないではものの本質に迫れるはずはないからだ。

おおよそ言いたいことが伝わればよい、という安易な考えでは大目玉を食らうだけだ。


100点満点の書き取りでマイナス100点という男がいた。

すべて空欄のままであれば0点で済んだのだが、

間違った字を書いたがために両方の字を知らないと評価されたのだ。

それほどに厳しかった。


先生の発問にちゃんと答えられないと言って叱られ、質問しないと言って叱られた。

50分の授業で10くらいの質問を準備しておかないと安心できない毎日だった。

徹底的にシゴカレタ。そんな思い出しかない。


          「発問」:「問いを発すること」言う側は分かっていて相手に問うこと

                 教師から児童・生徒への行為

                 先生は質問しない


          「質問」:「疑問点を問うこと」分からないことを分かっている側に問うこと

                 児童・生徒から教師への行為


卒業間際の私の作文の点数は何とも屈辱的な8点だった。そのショックはいまだに引きずっている。

後年、「10点満点だったのでは?」と慰めてくれる人もあったが、

作文の試験は満点でなければ0点も同じことだ。

八田教室では言わずもがなである。


法務省はさすがに文言に関してはきちんとしている。

「裁判員制度」の裁判では「裁判官」と「裁判員」が裁判を行なうとなっている。

言葉遣いとしては至極当然だろう。


法律や外交文書が「だいたい」では済まされないことは誰が考えてもわかることだ。

文言のひとつひとつに深い意味がある。それが文化というもので、決して粗略に扱うべきではない。


そもそも学問をするということは「言葉・文言」の定義をする事だと言い切ってもよい。


「生物」とは何か、「無生物」とは何か、「有る」とはどういうことか、「無い」とはどういうことか、

これらをひとつひとつ押さえていくことが学問のはずである。


物事をしっかり見極めるひとが少なくなっている。


言葉・文言に対して非常にラフになっていることを思えばうなづけることだ。

これでは他人にいいようにされてしまう。


「詐欺の被害は騙される方が悪い」という言い方も確かに事の本質を言い当てている。


いいかげんさにつけ込まれるわけで、

本質を見極めようとすることがクセになっているひとには詐欺も容易には近づけない。


政府もメディアも怪しげな情報ばかりの昨今である。

言葉・文言の定義をあらためて勉強しておかないととんでもない世界へ連れて行かれることになる。





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みんなちがって、みんないい






                        私と小鳥と鈴と


      私が両手をひろげても

      お空はちっとも飛べないが

      飛べる小鳥は私のやうに

      地面(じべた)を速くは走れない


      私がからだをゆすっても

      きれいな音は出ないけど

      あの鳴る鈴は私のやうに

      たくさんな唄は知らないよ


      鈴と 小鳥と それから私

      みんなちがって みんないい



                          金子みすゞ


   



言ふまいと思へどけふの ・・・あとは続ける気にもなれない。なにせ暑い。あつい~。

絡みついた汗が気色悪く、おちおち昼寝もできやしない。

外へ出れば炎天下では本物の目玉焼きができそうな温度加減である。


誰か温度ヒューズをセットし忘れたのでは?と思うくらいに、

今年の日本の暑さは「壊れている」という印象だ。

うっとうしい梅雨が明けたとたん、列島はいっきに灼熱地獄に変貌してしまった。

せめて夕立でもあれば・・・などと虫のいいことを願う日々である。


「そうですか 暑いですか」と涼しい顔をしてるのは机の上の焼き物の達磨さんぐらいだ。


しかし、こどもたちがプールだ、海だと夏を満喫しているのはいつの時代もおなじであるわけで、

何はともあれ、変わりない夏を過ごせることは平和であるとも言える。




そのプール開き、海開きにいつの頃からか神主が出てくるようになった。

公営の施設であれ、民間のものであれ、開幕の行事にされてしまった感がある。


神主とは神道の司祭である。

他宗教の人々がそれを受け容れている景色は、私にはどうにも異様なものに映る。

ましてや、そこは不特定多数のひとを対象とする施設である。

特定の宗教様式を持ち込むことは、そうでない人々を居心地の悪い場に置くだけでなく、

その尊厳をも傷つけることになる。

「公」の場には特定の思想を押しつけたり、誘導したりする空気は似合わない。


プール開き、海開きに限ったことではない。

日本の社会は宗教様式に無神経過ぎる。民間ならば特定の宗教様式もよかろう、とする人たちさえいる。


社葬や合同葬に宗教様式を持ち込むことが何故いけないのかと開き直る人もいる。

選挙の際の神社での出陣式や体育会系の必勝祈願などもあたりまえのように行なわれている。

このような人は他人の気持ちを推し量ったことなど無い、お嬢様、お坊ちゃま育ちなのだろう。

自分中心に世の中が動いていると思っていている人たちで、他の人格など考えもしない。

ようするに、「公」と「私」の区別ができていない "ひよっこ"ってことだ。

そうなのだ。これは宗教の問題というより「公」「私」の問題なのだ。




「公」というのは何も国や、自治体のみを指すのではない。

様々な人たちの、それぞれの思いを大切にしなければならない場所、それが「公」ということだ。


様々な人たちが集うこと、それこそが「公」なのだ。

「公務員」の「公」としか考えられないのは幼稚すぎる。

公私をわきまえる、と言うときの「公」は国を指しているわけではあるまい。


どんな状況下であれ、ひとりひとりが大切な存在で、その思いや生き方は最大限尊重されるべきだ。

ことに社会を形成し、互いの利益を図ろうとする自治体活動や、国家運営には細心の注意を払って

個々の尊厳を侵さないようにしなければならない。


十把一絡げに儀礼に参加を強要することは個人の利益よりも集団の利益を優先させる

ことの宣言に他ならない。

ある目的のために一致団結させるときこそ、儀式、儀礼が必要になる。

個々の暮らしを犠牲にさせ、国家に殉ずることを強要したいがためにこそ、靖国神社は必要だった。

人々を十把一絡げにしようとする企みは、自由や民主主義の対極にあるものであって、

国家神道の下、戦争に突き進んでいった時代と根っこが同じものである。


終戦直後ならGHQが黙っていない。

国家神道の解体、政教分離こそが近代民主主義国家の礎と位置づけていたからだ。

私たちの先輩も、戦前の、神道的な実践を国民統合の柱とする国家神道からの決別によって、

抑圧された空気から解放され、自由のありがたさを味わったはずだ。


「神社は宗教ではない」という人さえ出てきている昨今だ。

「関係者が神道を宗教と思っていないフシがあります。注意をすべきと思います。」

議員時代の上田清司氏が私に語ってくれたことがある。氏の言葉通りになっている。


神道が一宗教として活動することに何ら異論を唱えるものではない。

みんな一斉にという、社会の無節操なあり方が非常に危険だと考える。

北朝鮮のことを、独裁国家、自由のない国と批難するひとびとも、

自身が同じ感性で行動していることを認識していない。


「みんなが気持ちをひとつにして、社会を良くしていこう」などと言う。まっぴらだ。

ひとりひとりは自身のためにこそ生きるのであって、社会のために生きるのではない。

ひとりひとりがあたえられた「生」を輝かしく全うできる社会が良い社会なのだ。

「気持ちをひとつにして・・」と、呼びかける「良い社会」とは何なのか、不気味である。




大日本帝国憲法においても下記のように言論の自由はあった。

それでも言論は統制され、神道を強要された。何故か。


    大日本帝国憲法第29条

    日本臣民ハ法律ノ範圍内ニ於テ言論著作印行集會及結社ノ自由ヲ有ス


政府は「神道は宗教ではない」と強引な解釈をし、神道・神社を他宗派の上位に置く事は

憲法の信教の自由とは矛盾しないという公式見解を出した。

一部の知識人を除いて、異を唱える者などいない時代だった。


共同作業を必要とする農業が中心の社会であってみれば、社会の中で浮いた存在になることはできず、

萎縮してものが言えなかったというのが実態ではなかったのか。




私は母の葬儀を浄土真宗の様式からまったく離れた「お別れ会」とした。

通夜は私的なものだが、「お別れ会」は参列してくださったかたがた全員のものである、との思いからだった。

(「公」としての認識である) 因みに、通夜にはどなたもお呼びしてはいない。


真宗のかた、創価学会のかた、神道のかた、クリスチャンのかた、様々なかたがお見えになる。

それらのかたがたに仏式の儀礼を強要することは許されることではない。

亡きひともそんなことは望んでなどいない。


仏式の儀礼、浄土真宗の様式と書いたが、もとより仏教に葬式の様式なるものなど存在しない。

花園大学の学長だった山田無文師は「お釈迦さんは 葬式をせいなどとはいわれなんだ」と、

よく語っておられた。

宗教の様式をとらなかったといって、内容が宗教を無視したものでなかったことは、

宗教のなんたるかを知るかたには理解していただけたと思う。

誰より、寺院関係者が「お別れ会」を絶賛してくださった。

ちがいを認め合って集う --- このことが大切なことなのだと、あらためて教えてくださった。


地区の老人会や和裁組合が物故者の「追悼法要」をするといってきたが、丁重にお断りした。

寺院に集うひとたちの会ならそれもあるだろう。

が、老人会にしろ、組合にしろ、集っている目的、趣旨が違う。

特定の思想を持ち込むことは、そうでないひとを排除することになる。

本来の目的以外のものを持ち込むことは組織の私的運営にあたり、厳格に言えば、背任行為になる。


法要の主催者が自分は浄土真宗だといっていたが、門徒なら、阿弥陀経をよく読んで欲しい。

金子みすゞの詠んだ「みんなちがって、みんないい」はまぎれもなく、阿弥陀経が説く思想なのだから。

ちがいを認め合って集う --- このことが大切なことなのだと、説いているはずだ。

阿弥陀経の中身を知らずして、浄土真宗門徒とはよく言えることだ。

寺院の布教活動はどうなっているのか、猛省を促したい。




思想・宗教に対してこの国はよくいえば、おおらか。悪くいえば無節操だ。

公私の区別もわからず、他人と同じことをしていさえすれば安心している。


このことが背景にあって、プール開きに神主が大手を振って歩けるようになる。

そして、少しずつ、しかし、着実にファシズムが進行していく。


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音楽関係者でも「レクイエム」を「鎮魂歌」という人がいる。

レクイエムは鎮魂曲・鎮魂歌ではない。訳すなら「死者のための追悼ミサ曲」とすべきだ。

「荒ぶる魂を鎮める」という神道とはまったく背景が違う。レクイエムの詩を読んでみて欲しい。


   入祭唱    


       主よ、永遠の安息を彼らに与え、

       絶えざる光でお照らしください。


     聖体拝領唱


       主よ、彼らを永遠の光でお照らしください。

       聖者たちとともに永遠に

       あなたは慈悲深くあられるのですから。

      主よ、永遠の安息を彼らに与え、

          絶えざる光でお照らしください。

       聖者たちとともに永遠に

       あなたは慈悲深くあられるのですから。


この詩の何処に「荒ぶる魂を鎮める」という考えが読み取れるのか。

レクイエムを鎮魂曲・鎮魂歌とすることは神道、キリスト教の双方に対して礼を欠くことになる。


----------------------------------------------------------------------------------------



阿弥陀経より       
             

      池の中には、車輪の大きさほどの蓮華が咲いている。青い蓮華は青い色を輝かせ、

      黄の蓮華は黄の色を輝かせ、赤い蓮華は赤の色を輝かせ、白い蓮華は白い色を輝かせ、

      それぞれが個性を充分に発揮して、美しく精いっぱい輝いている。この世界は他と比較して,

      優劣をつけない。つける必要がない世界なのだ。

      シャリホツよ、極楽の世界は、このような特長を持ってみごとに飾られている。
      

-----------------------------------------------------------------------------------



※ レクイエム


   死者の安息を神に願うカトリック教会のミサ曲。

   死者のためのミサ曲(Missa pro Defunctis)


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※ 鎮魂(ちんこん、たましずめ)

             
  荒ぶる魂を鎮めること。


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第19条 思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。


 
第20条  信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、

       国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。

     2 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。

     3 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。

 

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「身を切る改革」という不思議




議員定数



議員定数削減が問題になる。何故そのような議論になるのか。

一票の格差を是正するには削減の他に増員という手段があることを忘れていないか。


「削減」が既定路線のように扱われ、他の議論が一切国民には示されない。

議員の怠慢か能力が無いのか、不思議なことである。


以下の各国の議員数資料を見て欲しい。私は削減という方向に流れることには大きな疑問を感じる。

Photo_3




※参考

政治学
児玉昌己研究室

百万人が抱える国会議員数先進11カ国比較 2010年現在の議席数

http://masami-kodama.jugem.jp/?eid=2364






「日本の議員が多すぎる」という主張は、この資料からもわかるように全く根拠がない。


行財政改革の一環で議員定数削減が論じられるが、

巨大な行政府の非民主的な行政執行や無駄な公費支出などを厳しくチェックし

改革する立場の議員を削減することは矛盾というべきだ。


経済効率と民主主義のコストを混同してはならない。


今日求められているのは、国民の要求の多様化・複雑化に対応した幅広い意見を国会に反映する

「国会機能の活性化・強化」である。

求められているのは議員定数削減ではなく、民意をよりよく反映する選挙制度改革ではないか。






政党助成金



身を切る改革をいうなら政党助成金をこそ その対象にするべきであろう。

支持したくない政党の活動を支援させられるのはごめんだ。

この制度は理不尽ではないか。

憲法19条(思想及び良心の自由は、これを侵してはならない)に違反する。


百歩譲って、大きな支援組織のない者の政治活動を保障するというのであれば

それは政党ではなく議員個人に対してなされるべきだろう。


政党のボスが財布を握り党員を意のままに操縦する図式は民主主義が想定した姿ではない。

議員個人の政治活動は最大限尊重されねばならない。


政治活動を保障するというということが議員に対してではなく、

政党にという発想が出てくるところにこの国の政治的未成熟を感ずる。








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雰囲気で議員を選ぶな! 




雰囲気で議員を選ぶな!


 
議員の本質は法案審議、法案採決でどう行動したか以外あり得ない。

そのことでのみ判断すべきだ。


一方で法案反対派を推薦し、一方で法案賛成派を支援する。

このようなことがあるとしたらまことに笑止千万。

民主主義政治未定着社会と失笑を買うに違いない。


そのような行動に走る議員がいるとすれば、

その人たちの行なっている政治とはまさにこれ衆愚政治というべきであろう。
















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騙されてはならない




似非資本家は市民を欺き、食い物にするという構図は昔も今も変わりはしない。

この図式が人々を戦争にまで引き込んでいくことを忘れてはならない。


原子力マフィアという犯罪者集団が呼びかける「絆を大切に」の言葉に騙され、

根本原因の排除を疎かにすることがあってはならない。


「痛みを分かち合おう」と呼びかけられて何故、健康な人が新たに被曝させられなくてはならないのだ。

「福島を応援しよう」と言って福島産の食物を食べていた女性が

異常に進行の早い脳軟化症(痴呆症)になったことが紹介されていた。


痛みを分かち合うという言葉に酔いしれて自らを危険にさらすことは

単なる殉死でしかなく、何の解決にもならない。

B29に対して竹槍で立ち向かおうとした国防婦人会の発想に通じるもので、

自虐的かつ非論理的な精神主義でしかない。


騙されてはならない。

自分と愛するひとを護らなくてはならない。






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プロとアマチュア




療養のため1年間の指揮活動休止中の小澤征爾氏だが、

そんな状況下にありながらも、若い人たちの指導は続けているという。

氏の音楽に対する情熱にはただただ恐れ入る。


メディアから近況が流れるとき、ファンとしてはホッとする反面、あんまり無理しないでと思ってしまう。

必ずステージに戻ってきて欲しいと静かにエールを送りたい。


思えばN響事件というのがあった。

1961年、N響の指揮者に招かれるが、N響メンバーは若い小澤氏の指揮活動に反発を強め、

演奏会をボイコットするなどの強硬手段に出たことがあった。氏が26歳の時である。


ジーパンで練習に来たことが当時のお歴々には気に入らなかったと報じられていた。

真相はともかく、以来、海外での活動が中心となり、そのことがかえって彼を成長させたともいえる。


手元には88年のベルリンフィル定期演奏会でのオルフ:『カルミナ・ブラーナ』(合唱:晋友会)や

武満徹:「ノヴェンバー・ステップス」(琵琶:鶴田錦史、尺八:横山勝也)などがある。


なかでも晋友会との共演『カルミナ・ブラーナ』の演奏を聴くとき、

私はいつも「プロとアマチュア」について思い悩む。「プロ・アマ」とはそもそも何なのか。


たとえば囲碁の世界での「プロ・アマ」の実力差は歴然としている。

野球の世界でも同様で、

まぐれでアマが勝つことはあっても、何度か対戦をすればプロの方が優位であるのは誰もが認めるところだ。


カラオケが身近にあることもあって、素人でもそこそこの歌には聞こえる。

サビの部分はプロ歌手と区別がつかない。

が、訓練されていない素人は「聞かせどころ」ではないところが美しくない。実力差ははっきりわかる。


ところが、晋友会合唱団の演奏を聴くとき、今までの「プロ・アマ」の常識が崩壊してしまうのだ。


晋友会とは、関屋晋氏が率いた合唱団の選抜チームのようなもので、れっきとしたアマチュア合唱団である。

それがベルリンフィル定期演奏会でラテン語の『カルミナ・ブラーナ』を暗譜でしかも母国語のように歌ったのだ。


耳の肥えたベルリンの聴衆のみならず、

海千山千のベルリンフィルの楽団員も彼らがアマチュアであることを認めようとはしなかったという。


音程も良く、歌が実にうまい。一般的なプロ合唱団のレベルを遥かに超えている。

何より素晴らしいのは「歌うことが好き」というひとりひとりの "歓び" が伝わってくることである。

ベルリンフィルの楽団員が「いつでも共演させてほしい」といったのは本音であったと思う。


もとより、プロフェッショナルという言葉には卓越した技があるなどという意味はない。

たんに職業としているかどうかだけだ。

晋友会の例を見ても、実力の差というとらえ方は少々違うような気がする。


ひとさまがお金を払ってもいいと思わせるのがプロということであり、必ずしも実力が伴っていなくてもよい。

そんな気がする。固有名詞はあげないが、聴くに耐えない歌手はごまんといる。

歌唱力ではない何かがひとを引きつけている。それもプロということだろう。


一方で純粋に美意識の追求や自己実現のためにその世界に入るひともいるわけで、

それをアマチュアといっているように思う。であるからこそ、あの素直な、歓びにあふれた歌になるのだろう。


私の持つアンプは横浜にある「アキュフェーズ」という会社の製品である。

何度か技術スタッフと話したことがあるが、「この人たちは趣味で仕事している」そう感じたのを覚えている。


企業であるから利益追求であるはずだが、あのこだわり、あの執念はオーディオマニアの「遊び」の世界だ。

だからこそ本物が生まれる。だからこそ根強いファンが大勢いる。


美意識の追求という起業の原点を見失わない姿勢は今の時代おおいに賞賛されて良い。


さて、国民に「お金を払ってもいい」と思わせるひとはどれくらいいるのだろうか。

よきアマチュアリズムを失わないひとはどれだけいるのだろうか。


そんな "永田町国勢調査" もあっていい。






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放射能の恐怖




知らないということは怖ろしいことです。


     痛みを分かち合おう


     フクシマを応援しよう


などと言って安易に放射能で汚染された食品を食べることは非常に危険です。


放射能は目に見えません。

まして原発事故は日本の社会にとって初めての体験です。対応に戸惑うのは当然です。


しかし、政府や原子力マフィアの言うことを信じていたら私たちは殺されてしまいます。

応援するのであれば避難民を受け入れることです。

私たちも一緒に被曝被害者になることではありません。


「放射線管理区域」では飲食はできません。

子供も立ち入れません。

子供を産み、育てることもできません。

その「放射線管理区域」より過酷な状況下で暮らせという国家とは何なのでしょう。

強い憤りを感じます。


除染などといっていますができるはずはないのです。

物理的にも金銭的にもとうてい出来るものではありません。利権の対象になるだけです。

チェルノブイリは結局放棄したではありませんか。


故郷を棄てることが簡単なことでないことは痛いほどわかります。

しかし、ひとの命を思うならあの日以来フクシマは無くなったと見るべきです。

原発事故とはこういうことなのです。


原子力マフィアや原発産業国のアメリカはフクシマを人体実験場ぐらいにしか見ていません。




(動画・資料)チェルノブイリ原発事故、被曝による脳への影響。中枢神経への影響が示唆されている。

日本でもラットによる、動物実験あり。

2012/04/30

http://portirland.blogspot.jp/2012/04/blog-post_4737.html


フクシマを食べて応援と言っていた女性が脳障害になり、大変な事態に・・

http://kobayashiasao.blog65.fc2.com/blog-entry-4129.html


大量の放射線を被ばくすると統合失調症が起こりやすくなるという報告からヒントを得て、

ラットの脳に放射線をあてる実験を行ったところ、

脳内の神経幹細胞数が著しく減少し、統合失調症と類似の症状が見られました。(浜松医科大)

http://www2.hama-med.ac.jp/w1b/psy/research/index.html


学会ダイジェスト:第76回日本循環器学会

2012年3月16日~18日 福岡

2012. 3. 20

東日本大震災後に心不全が有意に増加、ACS、脳卒中も

http://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/all/gakkai/jcs2012/201203/524102.html


放射能による神経系の障害

http://infinitepower8.blog.fc2.com/blog-entry-9.html


神経系への放射線障害

http://merckmanual.jp/mmhe2j/sec06/ch088/ch088e.html


放射線障害

http://merckmanual.jp/mmhe2j/sec24/ch292/ch292a.html 






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ちびまる子ちゃん




     ジャムおじさん これ なあに


あそびに来た近所のこどもたちが仏壇の前に置いてあった大箱の「マッチ」を不思議そうにみていた。

孫のような年齢をおもえば無理はないかもしれない。

自分の小学生時代と比較して生活様式は大きく変わった。


そういえば、ガスコンロもマッチを使わなくなって久しい。我が家などは現在IHだ。

煙草をたしなむ人が家族にいなければマッチに接する機会などまずないだろう。

その煙草の市民権ももはや風前の灯だ。


以前は喫茶店のレジの横に店の名が入ったマッチが置いてあって、自由に持ち帰ることができた。

マッチ箱の収集家までいたものだ。

銀行などからはやや大きめの箱が季節ごとに配られた。いま、そのマッチが社会から姿を消している。


マッチ箱を並べたような・・・日本の家並み(やなみ)を揶揄したこの言い方ももはや死語かもしれない。


割り箸こそ健在だが、マッチや升といった「白木の文化」がなくなっていくことがさびしい。

なにより「白木」という言葉が理解されない時代になった。




何年前か、会社の玄関に掲げる社名の看板を新しくする際、業者には「白木」といって発注した。

できてきたものは白いペンキで塗られた板に黒い文字で社名が書かれていた。 




こどもたちの前でマッチをすり、ろうそくに火をつけて見せた。

裸火をみることもないのだろう。かたずをのんで不思議な光景にみいっていた。


勇気のある、ひとりのちびまる子ちゃんが


     やらして やらして


と申し出た。

火というものを教えるいい機会と考え、挑戦させてみた。


     あわわ あわわ あわわ


手にしたマッチを放り出してしまった。

予想されたことであり、すぐに対処し、まる子ちゃんには火事のことも聞かせた。


指から5センチもない先で火が燃えるのだから無理もない。


ルールさえ守ればけっして危なくないことをつたえたが、あの表情では当分は裸火には近づかないだろう。

ちびまる子ちゃんは「マッチ売りの少女」を読むときこの体験を思い出してくれるだろう。




これからの暮らしの中から裸火はなくなる方向にあるように思う。

何で電気を作るかという問題はあっても、インフラの簡素化、災害からの復旧の早さ、安全性の面を考えれば、

当分は電力が主流であろうと思う。それはわかるのだが・・・


太古の昔、「火」を手に入れたことで人類は文明を築いてきた。

こわいものもきちんと対応することで私たちは暮らしを豊かにしてきた。

今日、技術が発達して安全性が高まるのは良いことではある。


しかし、それにともなって「こわいもの」に対する気構えまでがどこかにいってしまいそうで、

漠然とした不安をおぼえる。

安全に対する過信ほど怖いものはないわけで・・・


暮らしの中には危険なものはいっぱいある。

だけど、おそれることなく、智恵と工夫で危険と向き合ってほしいと、ジャムおじさんとしては考えるわけで・・・・








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チェルノブイリレポート




衆議院チェルノブイリ原子力発電所事故等調査議員団報告書

http://www.shugiin.go.jp/itdb_annai.nsf/html/statics/shiryo/201110cherno.htm


「チェルノブイリの長い影」

http://www.shugiin.go.jp/itdb_annai.nsf/html/statics/shiryo/cherno10.pdf/$File/cherno10.pdf




「とある原発の溶融貫通(メルトスルー)」より


チェルノブイリで子どもの甲状腺がん80倍に

被曝と健康  原発とIAEA

事実をこっそり教えるレポート

http://blog.livedoor.jp/home_make-toaru/archives/6848433.html


(内容)

衆議院がHP上にひっそり掲載している報告書が、ネット上で注目を集めつつある。

チェルノブイリ事故の健康被害について、IAEAの報告を「楽観的」と完全に否定するものだ。


「チェルノブイリの長い影」


問題の報告書は「衆議院チェルノブイリ原子力発電所事故等調査議員団報告書」。

2011年10月に衆議院の調査団がチェルノブイリ事故で被害を受けたウクライナ、オーストリア、

フランスなどを訪問した報告にウクライナの専門家がまとめたレポートを加えたもの。


「チェルノブイリの長い影 チェルノブイリ書く事故の健康被害 研究結果の要約:2006年最新版」

と題されたこのレポートは、ウクライナ国立軍事医学研究会に所属するHorishna博士がまとめたもので、

現在日本政府がよりどころとするIAEAのレポートを完全に否定している。


IAEAレポートは公衆衛生の敵


外部被ばく量の基準値や食品のセシウム含有量基準値など、

日本政府の判断はIAEAの指揮により創設された「チェルノブイリフォーラム」の研究報告に基づく。


同フォーラムはチェルノブイリ事故と健康被害について、

科学的な結論を得るためIAEAや世界保健機構、国連などの専門家が集まって構成された。


調査報告を作成するにあたって、IAEAは数少ない限られた情報のみを根拠とするよう指導。

その結果、発表された「チェルノブイリが招いた重大な結果-医学的影響、

生態学的影響および社会経済学邸影響」では、さまざまな被害が過少に申告された。


たとえばウクライナ、ベラルーシ、ロシアで1992年~2000年に発生した子どもの甲状腺がんは、

同レポートでは約4000例とされているが、実際にはウクライナだけで3000例を上回っており、

汚染地域での発生率は事故前の80倍に達する。


Horishna博士は報告の中で、IAEAの報告は「公衆衛生を脅かす恐れがある」と指摘する。


一番大きな影響は「心配しすぎ」


IAEAのレポートはその他にも、「悪性腫瘍が著しく増えることはない」「遺伝的な影響はない」

「事故処理作業者にがんの増加などはない」など事態を楽観的に分析する。


実際には、1987年と2004年を比べたデータでは、小児のがんが約8.6倍に急増。

先天性の異常は4.4倍に、行動障害や精神障害も2倍に増加している。


またチェルノブイリ事故の処理作業に当たった労働者の2010年までの死亡率は21.7%と

その他の労働者に比べ、2.7倍にものぼる。


IAEAのレポートは、こういった事実を無視した上で、最も重大な健康被害は

「集団の心理学的健康に及ぼされる影響」と結論づけている。



外部リンク


◆衆議院チェルノブイリ原子力発電所事故等調査議員団報告書

http://www.shugiin.go.jp/itdb_annai.nsf/html/statics/shiryo/201110cherno.htm


◆チェルノブイリの長い影

http://www.shugiin.go.jp/itdb_annai.nsf/html/statics/shiryo/cherno10.pdf/$File/cherno10.pdf


(税金と保険の情報サイト)

http://www.tax-hoken.com/news_asWGsIa1AC.html


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がんが80倍に増えているにもかかわらず,「心理学的健康」が最も重大な健康被害だって……。

さすが,IAEA。インチキな組織のインチキな報告。

しかし,ここに本でもよく聞きますね。この論調。

IAEAレポートと同様,信頼できませんね。

(以上)








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高村光太郎




高村光太郎

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E6%9D%91%E5%85%89%E5%A4%AA%E9%83%8E




       道程



       僕の前に道はない

       僕の後ろに道は出来る

       ああ、自然よ

       父よ

       僕を一人立ちさせた広大な父よ

       僕から目を離さないで守る事をせよ

       常に父の気魄を僕に充たせよ

       この遠い道程のため

       この遠い道程のため






       あどけない話



       智恵子は東京に空が無いといふ、

       ほんとの空が見たいといふ。

       私は驚いて空を見る。

       桜若葉の間に在るのは、

       切つても切れない

       むかしなじみのきれいな空だ。

       どんよりけむる地平のぼかしは

       うすもも色の朝のしめりだ。

       智恵子は遠くを見ながら言ふ。

       阿多多羅山(あたたらやま)の山の上に

       毎日出てゐる青い空が

       智恵子のほんとの空だといふ。

       あどけない空の話である。






       レモン哀歌



       そんなにもあなたはレモンを待つてゐた

       かなしく白くあかるい死の床で

       私の手からとつた一つのレモンを

       あなたのきれいな歯ががりりと噛んだ

       トパアズいろの香気が立つ

       その数滴の天のものなるレモンの汁は

       ぱつとあなたの意識を正常にした

       あなたの青く澄んだ眼がかすかに笑ふ

       わたしの手を握るあなたの力の健康さよ

       あなたの咽喉に嵐はあるが

       かういふ命の瀬戸ぎはに

       智恵子はもとの智恵子となり

       生涯の愛を一瞬にかたむけた

       それからひと時

       昔山巓でしたやうな深呼吸を一つして

       あなたの機関ははそれなり止まつた

       写真の前に挿した桜の花かげに

       すずしく光るレモンを今日も置かう








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パロディーが通じない____非常に危険な時代




" 朋よ --- We shall overcome " をアップロードした直後に予感のようなものはあった。


何時間か経って、案の定というようなメールが届きだした。



     剱さんって詩人ですね


     表現が古風ですね


     ええ 人間が古いものでして



とお返事しておいた。


辞書などでは「パロディ」は、他の芸術作品を揶揄や風刺、批判する目的を持って模倣した作品、

あるいはその手法のことを指すとある。


しかし、実際は元の作品を対象とするよりは元の作品を借りて社会を風刺する技法として使われることが多い。

ひねくれ者の私には欠かせない技法ではあるのだが、、、、、、


「しゃれ」、「パロディー」、「オマージュ」が成り立つ前提として

「元の言葉」、「元の作品」が双方の共通認識である必要がある。


携帯でメールやゲームを楽しむ世代に文学作品や大衆芸能はどこまで受け継がれているのだろうか。


山田洋次は「男はつらいよ」の中に名画へのオマージュと見てとれる場面を数多く散りばめている。

落語、おとぎ話など語り継いでほしい作品もうまく挿入している。


殺伐とした社会、無機質な作品に対する風刺や抵抗と言えるわけだが、

これを受けとめるにはかなりの素養がこちら側にも必要となる。


私自身、どこまで理解できているかいささか心許ない。


しかし、「しゃれ」、「パロディー」、「オマージュ」を素通りすることだけは避けたい。

教科書に載っていたり、試験問題に頻繁に用いられるものぐらいはついていきたいものと思っている。


浸透していないからつかわないということになれば文化の継承などあり得ず、人は限りなく幼児化してしまう。

つかっている間に理解できていく、我々はそうやって言葉を覚えてきたのではなかったか。


カタルを心配しなければならないほど先人たちの遺したものを吸収したからといって、

精神科を受診しなければならなくなった人など聞いたこともない。


むしろ、先人たちの遺したものに対する無知や無関心こそが現代を生きるうえでの障害となる。


生活様式は時代とともに変化してきてはいるが、社会の基本構図はそれほど変わってなどいない。

持っている者はさらに持とうとし、持たざる者から搾取する。

権力者は自分に都合のよい「真実」しか語らず、大衆を利用することしか考えない。


先人たちはその思いや叫びを作品の中に多く遺している。

粗略にすれば我々は道しるべを失うこととなる。


初出1951年の清沢哲夫の詩が室町時代の一休の作とされたり、

吉川英治の小説が史実として名刹の観光案内に平然と利用される時代にあっては

大衆を騙すのはいとも簡単ということだ。



     清沢哲夫の詩

     http://gravitational-wave.air-nifty.com/tobenaiposuto/2013/week19/index.html#entry-76444792

     http://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000028008 
                     


     某名刹

     http://www.b-model.net/daisen-in/ikinodojyo.htm



                 「沢庵漬けで広く知られた七世沢庵宗彭和尚は、

                  紫衣事件で徳川幕府に抗弁した人であり、

                  また書院「拾雲軒」で宮本武蔵に剣の極意を授けたともいわれています」


                     とあるが、沢庵と宮本武蔵が出会ったというのはあくまで吉川英治の小説

                   「宮本武蔵」の中の話であり、吉川は自身の創作であると語っている。


無知や無関心こそが我々を犠牲者、被害者にしてしまう。


為政者や資本家は自分たちに都合のよいロジックを作り出す。

いつの時代もこれは変わらない。


周りの国は戦の準備をする国であり、そして、いつの戦争も被害者となるところから始まる。

大衆はそのように信じ込まされる。


大きなまなこを見開けば騙しの兆候は至る所に散見できる。

先人たちはその手がかりを数多く遺してくれている。


     検察は正義である


     政府は我々の暮らしをよくしてくれる


     メディアは中立である


などという幻想から人々は解き放たれなくてはならない。


パロディー や オマージュ が通じなくなっている時代、これは「不勉強の時代」であり非常に危険な時代である。






※  高村光太郎
   http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E6%9D%91%E5%85%89%E5%A4%AA%E9%83%8E






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朋よ --- We shall overcome




       野田たちの前に法はない

       野田たちの後ろに法は出来る

       ああ、朋よ

       子らよ

       野田たちを独り歩きさせた政治に無関心だった朋よ

       野田たちから目を離さないで民主主義の灯を守る事をせよ

       常に自由の気魄を内に充たせよ

       この遠い道程のため

       この遠い道程のため




”We shall overcome ”

http://gravitational-wave.air-nifty.com/tobenaiposuto/2013/week28/index.html#entry-77014844




       We shall overcome

       We shall overcome

       We shall overcome someday


       Oh deep in my heart

       I do believe

       We shall overcome someday


       We shall hand in hand

       We shall hand in hand

       We shall hand in hand someday


       Oh deep in my heart

       I do believe

       We shall overcome someday


       We shall all be free

       We shall all be free

       We shall all be free someday


       Oh deep in my heart

       I do believe

       We shall overcome someday


       We are not afraid

       We are not afraid

       We are not afraid today


       Oh deep in my heart

       I do believe

       We shall overcome someday


       We are not alone

       We are not alone

       We are not alone today


       Oh deep in my heart

       I do believe

       We shall overcome someday


       The whole wide world around

       The whole wide world around

       The whole wide world around someday


       Oh deep in my heart

       I do believe

       We shall overcome someday


       We shall overcome

       We shall overcome

       We shall overcome someday


       Oh deep in my heart

       I do believe

       We shall overcome someday 








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伝えるということ




私のオーディオ入門は多くの人とは逆のコースを歩んだといわれる。


本人は、これが至極あたりまえと思っているのだが、

どうも世の多くは、オーディオが先で、次第に音楽の世界に入るという。

そのことがいまだに腑に落ちない。

へそまがりはここでも健在ということだ。




91年に買い求めたスピーカーはアポジー社のカリパーシグネチャー。

機械に興味も知識もなく、試聴した音にひかれて「これ!」と決めてしまった。

鳴らすことが最も難しい代物とも知らず・・・・。 上級者でなければ、おそらく手は出さないという。


試聴した曲は声楽だったが、会場の空気感、歌手のしぐさや胸の厚みまで伝わってきて、

一瞬にして魅了された。


私の聴くのは中世・ルネサンス音楽だ。

天上にまで響く、澄み切った音はうっせきした日頃の異常な興奮を和らげてくれる。


人間の声が何故こんなにも美しいものなのか。

声だけの、いわゆるア・カペラは楽器という人工的なものがない分、私の心にじかに響いてくる。


西洋音楽は日本の巷でいう「音楽」とは違い、宗教的色彩が濃い。

教会で聴く讃美歌は、それが信仰心の表現であるだけに、音楽を超越した美しさがある。


クリスチャンの多いヨーロッパのコーラスと日本のコーラスの違いは宗教曲を聴くとき、

表現する内容の濃さに現れる。

クリスチャンのかたにとって音楽は宗教であることがよくわかる。




日本に西洋音楽が伝わったのは安土・桃山時代。

信長がルイス・フロイスを優遇したことでキリスト教が広まった。


秀吉の時代になって情勢は一変、キリシタンは厳しい弾圧を受ける。

26聖人の殉教は何とも痛々しい。踏み絵を踏まされ、改宗させられた人々はどんな思いだったか。


ところが、彼らは信仰を棄てていなかった。

隠れキリシタンが伝えた聖歌が今日でも残っていたという。


「音楽の泉」でおなじみの皆川達夫氏が長崎の生月島で出会った、

御詠歌とも祝詞ともつかない不思議な節まわしで

唱えられていた「生月島のオラショ(隠れキリシタンの祈り)」がそれだという。


「これはラテン語が訛ったものではないだろうか」、と感じた皆川達夫氏は調査すること7年。

スペインの図書館で生月島の歌オラショ『ぐるりよざ』の原曲となった聖歌の楽譜を発見する。


それは世界中できく標準的な聖歌ではなく、

16世紀のスペインの一地方だけで歌われていたローカル聖歌であった。

それが、400年前にこの地域出身の宣教師によって日本の離れ小島にもたらされたものだという。

皆川氏の執念の調査に脱帽。




聖歌の伝え方を聞いて驚いた。皆川達夫氏の調査によると、


   オラショを先輩から習うのは「春の悲しみの期間」のみ。


   
   その期間に覚えきれない場合には次の年まで待たなくてはならない。

   
   紙に書き取ってはならない。


   
   昔は夜中に外に見張りを立てて、教える者と教わる者とが布団をかぶって習ったこと


一口に「隠れキリシタン」というが、磔にされるかもしれぬ極限状況の中で、

この伝え方、信仰心は尋常ではない。彼らは歌い、祈ることで救われていた。


殉教した26聖人のような生き方もあれば、

踏み絵を踏み、「ころび」とさげすまれ、ののしられながら信仰に生きた人々もいた。


単純に比較できるものではない。

しかし、踏み絵を踏み、いのちをつないだ人だからこそできた「伝承」がある。


心ふるえるものがある。








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他山の石




原因究明に不熱心なのはどこの国も似たようなものである。


それにしても事故車両を土に埋めるとは・・・ そこまでやるか。

しかも、報道のカメラの前でやってのけるのだから、何とも表現のしようもない。


もしかすると間違ったことをやっているという認識がこの国の人々にはないのかも知れない。

ただのゴミであって、原因究明の物的証拠を保全するという概念すらないのではないだろうか。


2011年7月の中国浙江省で起きた高速鉄道事故のことだ。


思えばついこの間まで紅衛兵が毛語録を持って国中を走りまわっていた国だ。

論理的思考より体制に従うことが優先される回路は何ら変わっていないのではないだろうか。


小さなトラブル(決して小さいとは思えないが)が続いていた。


  パンタの故障    開閉ドアの故障     電動機の焼損 

  ブレーキ系統の故障   自動運転システムの故障   停電


その時点で立ち止まり、システム全体を総点検すべきだったのだ。安全管理のイロハのイだ。

目に見える出来事は小さくともその背景が必ずある。

それをたどっていかずに応急処理を繰り返していては悲劇的な事故は防げない。




以前、私が勤めていた会社で大きな事故が起きた。

入社して間もない新人が機械で指を切断してしまったのだ。

現在の医学では元通りにすることも可能というが、30年前ではつなぎ合わすのが精一杯だった。

会社は当然、指が機械の中に入らないようにした。


しかし、それだけやって対策としていては事故は何処かでまた起きるものだ。


企業としての業務のとらえ方、

納期設定の仕方、

日常の仕事の流し方、

教育のありかた、

工場のレイアウト、

設備の保守点検、

健康管理、

相互の意思疎通、

会社への不平不満 等々 

すべてに事故の要因は必ずある。


結果は原因がなければあり得ない。たまたまは絶対にない。

それらを検証し、要因を取り除いていかないと手術室の前で体験したあの重たい空気を再度味わうことになる。

親御さんの前で聞いていた、心臓を突き刺すような時計の音をまた聞くことになる。


零細企業のことである。対策が終わるまで工場を止めるということはできない。

日常の業務をしながらの安全チェックは想像以上に困難な仕事だった。

トップが理解を示してくれていた中でも、一通りチェックするだけで1年はかかった。


危険につながるどんなささいなこともつぶしていった。

「安全の日」も設けた。無論、対策に終わりはない。

チェックし続けることこそ業務であることを知ったものだ。

全員でチェックし続けることこそ安全管理なのだ。


零細企業だからできたのかも知れない。

組織が大きくなればかえって目配りがきかぬこともあるかも知れない。

「従来」にとらわれて方向転換ができにくいということもあろう。




鉄道事故は小さなことではないが、国全体としてみれば、抱えている諸問題の一部のことである。

国内では富裕層の間で国産の食品に対する不信感が強いともいう。

食の安全は日本にも決して無縁ではない。

あらゆる分野に大きな事故の芽がないか国を挙げて点検すべきだろう。


その謙虚さがないまま空母を何隻持とうともこの国は大国にはなれない。張り子の虎、裸の王様でしかない。




日本も原発事故を起こし、いまだ収束の見込みも立たぬのが現状である。

以て他山の石とすべきである。








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主権がおびやかされる




山崎淑子さんは2005年7月、法務省によって拘禁状一枚で拘束され、

アメリカへ移送された体験をしたかただ。


2001年、ニューヨークに居住し、

911被災者であったにもかかわらず、

米国連邦政府により「被災者を偽った詐欺未遂・共謀罪」という、

事実無根、被害者の存在しない冤罪によって逮捕・起訴されたのだ。


形の上では、ある弁護士の犯罪での共謀罪が適用されたものだが、

9.11事件の証拠保全を図ったことが真の原因であるとみられる。


しかし、日本でこのことを知るひとは少ない。大手メディアはこの事実についてほとんど伝えていない。

政治家で事実を知る者も、何故か問題にしようとはしない。


アメリカ政府の意向に逆らう者はこの国にはいない。

この国は主権などない。属国なのだ。


問題にならないのは隷従外交姿勢だけが原因なのだろうか。

日本の中にもアメリカ政府と同じような「属国支配意識」が隠れているせいではないだろうか。


話は立ち消えになっているようだが、かつて日本の政治家の一部に不穏な動きがあった。


いまや、日本人の活躍はめざましく、日本人のいない国はない、といわれるほどだ。

しかし、すべての国が治安がいいわけではない。

開発途上といわれる国にあっては、犯罪捜査や裁判も日本のようなペースでは進まない。


それが外国で仕事をするリスクというものだろうが、

そこで仕事を展開したいと考える人間にとっては、それでは困る。リスク軽減を図る必要が生じる。


一部の政治家が言い出したことはこうだ。


   日本人に対して行なった犯罪は日本の法律で裁く。

   容疑者の取り調べにあたっては日本の警察・検察がこれを行なう。

   容疑者の身柄は日本において拘置する。


確かに、遅遅として進まぬ捜査や裁判では日本人の安全を考えるとき、問題ではある。


しかし、彼らが言い出したことは「主権の侵害」そのものである。

中学生にでもわかることだろう。傲慢といえばあまりに傲慢だ。大国主義、覇権主義そのものである。

それが、日本人をまもるため、といってサラリと出てくることが恐ろしい。


「泥棒にも三分の理」といわれるが、どんなことにも筋がとおって見える部分はある。 

問題は、全体としてみたときにすべての人の願いにかなうかであろう。


山崎淑子さんへの不当な扱いには、誰もが驚き、憤りを覚えるだろう。

しかし、この国にも同じ種類の人間が大勢いる。


対象とされる国にあっては、いま我々が感じているのと同じ憤りが、今度は日本に向けられる。

日本の国益といいながら、実は自分の企業の利益しか考えようとしない連中には、他人の痛みなど眼中にない。


特定の国だけが潤うような「国益」などというものはない。

世界規模での格差是正が進まなければ、国際社会は常に不安定要因を抱えることになる。

斉しく平和を享受できてこそ、一国の「国益」も保障される。


不安定要因を作り出すことが利益を生む産業があり、

裏舞台で世界の恒久平和を妨害しようとしていることに我々は敏感でなければならない。  




                                                                    
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山崎淑子さんの経緯

逮捕から解放に至るまで


2005年7月28日の朝 全く突然に拘束され、わけもわからぬままに東京拘置所へ拘禁される。

拘禁状には「米連邦に対する詐欺罪、詐欺未遂罪、虚偽陳述罪、共謀罪」と記載。


2005年7月28日から10日頃 国選弁護人が選任される。

拘禁から19日目が経過し始めて起訴状を見せられる。


2005年9月7日 東京高等裁判所にて約40分間ほどの審問と決定。


2005年10月25日 満足な抗弁や審理の機会もないままに、米連邦政府へと引き渡される。

そのまま、ニューヨーク拘置所に移送。


2005年10月25日~2006年9月13日 11ヶ月間に渡る過酷な長期勾留。


2006年5月19日 911による被災を偽った詐欺未遂・共謀罪という、

被害者の存在しない冤罪により、ニューヨーク拘置所へ拘禁。

約1年という長期の「未決勾留」により、心神こう弱状態に追い込まれ「有罪答弁」。


2006年7月19日 司法取引による判決:実刑2年を受ける。


2006年9月13日~2007年3月26日 コネチカットのダンベリーにあるマキシマム・

セキュリティーの連邦刑務所に収監。(模範囚として刑期3ヶ月短縮、1年9カ月目に釈放)


2007年3月26日 上告申請をするものの手続きの最中に刑期満了し出所。

しかし、以後も移民局により、永住権(グリーンカード)を放棄するまで、

移民収容所への無期限の未決勾留となる。


2007年3月26日~2007年5月10日 ヨーク移民収容所(コネチカット州の女子刑務所)。


2007年5月10日 米国永住権(グリーンカード)放棄に同意し解放。


2007年5月11日 日本帰国


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○2010年8月10日フリージャーナリスト岩上安身氏が米国の間違いによって投獄された山崎淑子さん

(「サラ」は米国での通称)にインタビューを行なっている。


○山崎淑子さんインタビュー(目次)


01 アメリカで働きはじめた経緯

02 9・11が起こる前のニューヨーク。かすかな疑心

03 散歩中の視界に、立ちのぼる黒煙。「第二の真珠湾だ!神風だ!テロだ!」

04 真珠湾という言葉から透けて見えた米国の思惑。崩壊しないはずのビルが!?

05 ラジオから消えてゆく『イマジン』

06 グランド・ゼロへ。地下からあがる炎

07 被災後の日々

08 真実を語ることの危険性。日本人からの警告

09 涙を浮かべる父親の姿を見て

10 違和感の連鎖。FBI・CIAによる家宅捜索

11 なだれ込んできた検察。共謀罪の恐ろしさ

12 殺処分された愛犬。血に染まってゆく畳

13 日米犯罪人引渡し条約

14 弁護士Aの偽証

15 米国に縛られた手足。司法取引詐欺

16 弁護をしないヤメ検弁護士。知的虐待

17 出獄した眼の前に立ちふさがる護送車

18 出獄への見えない力。囚人服のまま成田へ

19 生きる

20 いま伝えなければならないこと

21 日本の真実




山崎淑子の「生き抜く」ジャーナル!

http://enzai.9-11.jp/


01

http://www.youtube.com/watch?v=Wn0blcET8V8


02

http://www.youtube.com/watch?v=7qF5p6eaKVg&feature=relmfu


03

http://www.youtube.com/watch?v=TVV6CdsRgRk


04

http://www.youtube.com/watch?v=5RcbGDoh6-Y&feature=relmfu


05

http://www.youtube.com/watch?v=Cg64rHKNqVI


06

http://www.youtube.com/watch?v=kBe1w3qeNaE&feature=relmfu


07

http://www.youtube.com/watch?v=7RVIcLOwu0E


08

http://www.youtube.com/watch?v=44GM2N13MuE&feature=relmfu


09

http://www.youtube.com/watch?v=0QpsucaUFIU&feature=relmfu


10

http://www.youtube.com/watch?v=xIdWe47nDKY&feature=relmfu


11

http://www.youtube.com/watch?v=TFRGLrEES4Q&feature=relmfu


12

http://www.youtube.com/watch?v=uk7naYZJBOU&feature=relmfu


13

http://www.youtube.com/watch?v=lICQZLi-AOM&feature=relmfu


14

http://www.youtube.com/watch?v=rwEB9-CHesE&feature=relmfu


15

http://www.youtube.com/watch?v=ZyACGHFaQs4&feature=relmfu


16

http://www.youtube.com/watch?v=9gqiGWkDCX8&feature=relmfu


17

http://www.youtube.com/watch?v=CPLwUOvNKZw&feature=relmfu


18

http://www.youtube.com/watch?v=zFo5JPGvzCs&feature=relmfu


19

http://www.youtube.com/watch?v=3rrXMX3Xmms&feature=relmfu


20

http://www.youtube.com/watch?v=_74mJijicu0&feature=related


21

http://www.youtube.com/watch?v=M-dF__i3trc&feature=relmfu








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失 礼____3流企業TOYOTA




     んっ? ああ いま寄席 あんまり おもしろくない


前の方に座っていたお客さんにこれをやられたと某噺家がこぼしていた。


言葉を知らない世代は「しゃれ」も理解できないばかりか、礼儀もわきまえていない。

これでは噺家も気の毒というものだ。

寄席へいくのに携帯電話なんか持っていくんじゃねえ。


以前、公演中に居眠りをしたお客がいたとかで談志師匠が問題にして騒ぎになったこともあった。


談志師匠の場合は師匠側に責任が無いとも言えない。


黒門町の師匠ならさしづめ


     客が眠りこけるってえのは おまえさんの 芸が未熟ってことなんじゃないかね


     
     くやしかったら 目を覚まさせる 噺をしてごらんよ


     眠るなんざ まだ おまえさんを 認めてくれてんだよ


 
     下手な噺なら うるさくって ねてもいられめえよ


ってとこだろう。

相手に失礼にあたることはどっちもどっちだ。


年寄りっぽい言い方になるので嫌なのだが、、、、、


近頃はマナーをわきまえてる人を見るのは流れ星を探すより難しい時代になった。

失礼という言葉はもはや死語になったのか。

年齢とは関係なさそうなので、一種の社会現象、社会病理と言えるのかも知れない。




老若男女、ひとさまのお宅をお訪ねするということがわかっていない。

電話の扱いでそれが露見してしまう。

携帯の電源は入れっぱなし。

ベルが鳴れば話を中断して電話に出る。

気がついたら社会はそんな人たちばかりになってしまった。


このような人にとってひとさまをお訪ねするとはどういう意味があるのだろうか。

どうにも不思議でならない。

訪問者の中で目の前にいる私とは一体何なのだろうか。

私のような小心者は不安、不信感が募る。


こちらが訪ねているのではない。

こちらを訪ねているのではないか。




先日もTOYOTAの営業マンが来たが、話の途中やはり携帯電話に出た。

この営業マン氏、会社からの連絡を聞き逃すまいとインカム※さえ着けている。

これはディーラー社長の指示らしい。

こうなるとどちらが客なのかわからない。

こんな会社とはつき合いたくもない。

訪問されている方としては不愉快を通り越して情けない思いである。


     忙しくて仕方がない あなたと話してる時間も惜しい 


     本当はこんなことやってる場合じゃないのだ


こういうメッセージを発信していることに営業マン氏は気付いていない。

これを「失礼」という。「礼儀をわきまえていない」という。


世界的企業か知らないが、何とも無礼きわまりない会社である。

営業態度は3流企業でしかない。

ハイブリッド車を開発する前に徹底した社員教育が必要であろう。

これでは早晩斜陽の坂を転げ落ちるに違いない。




礼儀作法など学校では教えない。

それは私の時代とて同じだ。


自分にとって目の前に相対するひとはどういう存在なのか。

何のために自分がそこにいるのか。


これがしっかりと認識されていれば振る舞い方もおのずとそれに相応しいものとなろう。

認識されてないから無神経に話を中断することになる。


他者を気遣う気持ち、相手を敬う気持ちがあればそれは自然と形になって表れる。

それがマナー・礼儀であって、何も形式化された約束事ではない。


やむを得ない事情があって電話を受けざるを得ない場合は

先様にあらかじめ断りを入れておくべきだろうが。

しかし、「やむを得ない事情」など生涯に何度あるものか。日々乱発されてはかなわない。


ひとさまのお宅をお訪ねするするとき、私などは携帯は車の中に置いておく。

お訪ねする時間を電話に邪魔されたくはない。


同じ理由で訪問客があるとき、私は電話をとらない。

お客様の前で電話をとるなどは失礼というものだ。




この電話という代物、世に出てからかれこれ140年近くになろうか。

ふだん何気なく使っているが他の伝達手段と大きく異なる特徴がある。

即時性である。これが長所でもあり、短所でもある。


メールやFAXは私書函のようなもので受け手に受信時刻の選択権がある。つまり受け手に優しい。

一方で電話は先方の都合などお構いなしに生活に割り込んでしまう。

これは気をつけたい。


であるからアドレスのわかっている限り私はメールを利用する。

忙しくしているところへ不作法に割り込みたくはない。

タイムラグはあるが、せいぜい翌日には返事をいただける。

そんな気遣いを大切にしたいと思っている。


     出なくていいんですか?


     我が家は割り込み禁止  あとでこっちからかけます


     留守電モードだから用件は入れてくれるでしょう


その場面場面で何が一番大切なのかをしっかりと受けとめられる暮らしかたでありたい。



 

         ※

         とはいえ我が家で割り込み電話OKの営業マンも数人はいる。

         が、お付き合いのながさや関係の深さからくることであって

         一朝一夕にそうなったわけではない。

         世の中の営業マン諸氏くれぐれもご注意あれ。




         ※ インカム

         「インターコミュニケーション」(相互通信式構内電話)のこと。

         公衆交換電話網に接続されていない構内音声通信設備のうち、

         放送局やコンサートホール、多目的ホール、劇場などで使用されるもののこと。

         日本式省略形として「インターカム」ともいい、業界では「インカム」ともいう。

         互いに連絡を取り合うため常に耳にセットするタイプのものは

         空港の係員やドラマで刑事が張り込みなどの際に使用しているのでおなじみ。






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事故が起きなければいいのか




安全に運転されればいいのか。

事故が起きなければいいのか。

放射能の灰が降ってこなければそれでいいのか。


原子力発電の本質をこそ問題にすべきではないか。


危険なものはこまる。

事故が起きてはこまる。

放射能による被害はこまる。


そんな思いが強いから「安全ならいいでしょ」という議論に引っ張り込まれる。

いったん、事が起きたら・・・ということに対して重大な関心を寄せる。

そのこと自体はいい。


が、事故が起きない確率のほうが圧倒的に高いはずだ。

そこでの議論が欠落している。

静かに進行していく危険をもっと話題にしないと破滅的な危機から地球を救うことはできない。


標準的な原発では1秒間に70トンの海水を7度温めて海に流しているという。

原発のエネルギーの三分の二を使ってだ。これは発電所ではなく、湯沸かし所である。

環境にあたえる影響は計り知れない。生態系も急激な変化に対応できまい。


さらに、核のゴミだ。

日毎に増え続ける核廃棄物に対して何の対策も用意されずに核エネルギーの利用だけが進行している。

「遠くの見えないところに置いてくる」が唯一の対策という。無責任の極みだ。

これでは地球を放棄しなければならなくなるのは確実だ。


こういう議論が欠落している。

世論が誘導されるとはまさにこういうことだ。

我々は騙されてはならない。

本質を見誤るとこの社会はなくなってしまう。


ストレステスト、防潮堤かさ上げ、原子力規制委員会の設置・・・・・

これらは原発推進路線の上にあることを忘れてはならない。








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志賀原発廃炉に!チラシ拡散にご協力を




志賀原発を廃炉に!

http://blog.goo.ne.jp/kazu3333m/e/8214b9f5effb19ce0686621496bd950b


原発直下に活断層! もう廃炉しかない

http://morikazutoshi.com/wp/wp-content/uploads/hairotirai1.gif


原発の前面まで! 富来川南岸断層

http://morikazutoshi.com/wp/wp-content/uploads/hairotirasi31.gif


直下に活断層

http://morikazutoshi.com/wp/wp-content/uploads/hairotirasi41.gif


福島から北陸の皆様へ

http://morikazutoshi.com/wp/wp-content/uploads/hairotirasi2.gif




以上 金沢市 森 一敏氏のホームページより
















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サポーター




2008年の秋、ある後援会に入った。今風にいうならサポーターになった。


周りの誰もが知るように、私は根っからの組織嫌いである。

いや、「組織嫌いである」などと言っているのは私だけかも知れない。

遠慮のないもの言いが災いしてか、ついぞ先様からお誘いなど受けたことがない、

というのが本当のところだ。


終生、自由人でありつづけたい私にとって、会の規約だの煩わしい人間関係だのはどうも苦手である。

まして、政治家が絡んできたり、宗教色が出てくるともう駄目である。


そんな私がサポーターになったのも、政治家の影もなく、

一応は「学生を立派な職業人に育てよう」という崇高な理念のためだ。

なにより入会金や年会費など一切必要としない。ここがいい。今の私にとっては大事なポイントだ。


そんな会から例年、物故者の追悼集会の案内が届く。入会するひとは多くはなく、亡くなるかたが目立つ。

ここにも少子高齢化は如実に表れている。社会の行く末が案じられる。




幼い頃から私は医者が苦手だ。もっとも「大好き」というひとも多くはなかろうが。


ことに歯医者というあの理不尽なもの言いをする種族とはとても友人関係になれるとは思えない。

こちらの口にさまざまな道具を遠慮なく突っ込んでおいて、

「痛かったら言ってください」とは何事だ。言えるか !!


若い頃に通った職場近くの歯科医の場合は最悪だった。


若尾文子か大原麗子を思わせる美人の先生だ。これがいけない。

そんな清楚な印象の超美人が、見た目とは裏腹の信じられない鬼のような腕力でひとのことを押さえつけ、

拷問を楽しむがごとき振る舞いには私ならずとも女性不信になろうというものだ。


やはり、歯科医は同性がいい。


薬の呑み方も昔から下手だ。粉薬は喉に貼り付きそうで今もってうまく呑めない。




そんな私も、大阪万博のあった1970年に輸血を受けることがあった。生死をさまよった夜があった。


それが原因での肝臓病と知ったのは16年後のことだ。

そして今も解説本に書かれてある通りの病状を順調(?)に歩んでいる。


幸不幸というのはこちらの都合で言うだけのことであって、

何にしても解説本通りというのは、私も自然の摂理に沿って生きているということである。

摂理から外れることのないそんな命を今は喜んで受けとめている。




思えばこれまで多くのドクターのお世話になった。67という齢を考えればさほど不思議でもない。


ことに母が癌になったことでドクターやスタッフの皆様の "仕事" を超えた思いに触れる機会があったことは

私の人生観に強く響くものがあった。サポーターの件も動機はここにある。




2008年6月8日(日)、宗平医師は早朝より来てくださっていた。


姉の一人と孫達が母を看ているなか、私たちは別室で病状について説明を受けていた。

と、突然「先生!」と姉の声。

先生はすっ飛んで母の部屋へ。  ところが、私の足元には診察カバンが・・・・


最後の診察のため血圧を測ろうとする先生。カバンのないことに気づく。

間髪入れず脇からカバンを差し出す私。

ほんの一瞬のことであり、先生の動揺に気がついた者はいない。


一連の診察を済ませ、宗平医師が言ったのは、よくドラマにあるような「ご臨終です」ではなく、


     さとしさん おかあさんの そばへ いってあげて


だった。そんな宗平医師の心遣いが嬉しかった。


ところが、私と場所を入れ替わった瞬間、大きな声で


     ごめんなさい


と号泣する宗平医師。

「苦しむ時間が長くなるだけだから注射は止めよう」の提案をしたことを言っておられるのだ。

人前もはばからず号泣する大人を見ることなどそんなにはない。


( おいおい カバンは忘れるわ 号泣するわ あんた医者だろ しっかりしろ !!  )


こんな医師は見たことがない。胸が熱くなった。


後に奥様から伺ったのだが、先生は数日前から母のことが気になって一睡もしていなかったという。

これはもう医師ではない。気持ちは完全に家族の一員になっていた。

家族の一員として診てくださっていた。


無論、すべての患者に「思い」を入れておられないのも医師ではある。

場合によっては「思い」が邪魔になることもあろう。


しかし、医師に冷徹な洞察力と俊敏な判断に加えて、ひととしての熱い思いがあることは、

患者とその家族にとっては大きなささえになる。


治療中もさることながら、母を送ったのちも満ち足りたものを感じておられるのも、

そうした "ひととしての医療" があったればこそだ。


そんな宗平医師のような臨終に号泣する医師が育ってくれることを願って、サポーターになった。


資力もなく、体力もない私にも、社会に貢献できる生き方(?)が残されていたことが嬉しい。

役に立つ日までは借り物の体のような気分だ。

いい状態で(何がいい状態かわからないが)役立てるよう健康に注意したい。


私の会員No。は 1095 である。






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原潜K-19の事故


K-19※の事故が知られるようになって20年以上経つが、

まだ「K-19って何?」というかたもおられるので紹介する。

※(旧ソ連の潜水艦なので Kは「かー」と読む)


K-19

 
1960年に就航したソ連海軍原子力潜水艦。

   
排水量 4030トン 全長 114メートル  乗員数 125名

潜水艦発射弾道ミサイル( 1.4メガトンの核弾頭 射程650km)を装備した

敵国への核攻撃を目的とする戦略ミサイル原子力潜水艦である。このタイプの原潜としてはソ連海軍初。


潜水艦というのはその任務の特殊性なるが故に、行動は常に "臨戦態勢" であると考えておくべきものだ。

東西冷戦下の時代にあってはことさらその任務は重要な意味を持っていたはずだ。


訓練であろうと兵装(装備している武器)は実戦と何ら変わらない。それは現在とて同じ。

当然、核兵器も装備していると見るべきだろう。


1960年11月に就航した最新艦が1961年7月に原子炉事故を起こした。

冷却水漏れ事故を起こし、航行不能となったのだ。場所はグリーンランド付近の北大西洋上である。

無線システムも使用不能になり、モスクワに報告や救援の要請もできなかったという。


福島の事故でもわかるように、放置すれば炉の爆発もあり得るわけで、

そうなれば核弾頭ミサイルを積んでいる艦のことである、

さらなる大事にいたることは誰の目にも明らかであった。


ニューヨークの沖合数百kmの位置である。

核弾頭が爆発すれば、どんな言い訳をしても「事故」で済ませられるはずはない。

西側に対する攻撃と見なされ、第3次世界大戦に向かうことは必至の状況だった。

1961年とはそういう時代だった。


乗組員の決死の対応で大爆発は避けられたが、多くの犠牲者を出す結果となった。


当時は冷戦下ということで極秘にされていたが、28年後にその事実が明らかにされた。

この事故のことは2002年、ハリソン・フォード主演で映画化された。

ロシア海軍が映画製作に全面的な協力をしたことからわかるが、決してプロパガンダ映画などではない。


ディテールの部分は無論フィックションであろうが、全体は事実を再現していると考えて良いと思う。


福島で大きな事故が起き、いまだ収束が見えない状況であるからこそ、

事故に立ち向かう人々の存在を思う手がかりになってくれればと願い、映画の鑑賞をおすすめする。


以下は映画「K-19」より


     艦は原子炉配管のひび割れが発生し冷却水漏れから炉心が加熱する。

     このまま温度が上昇すると炉心溶融がはじまり爆発からミサイル弾頭の核爆発を誘発する。


     炉心区画の担当兵士が二人ひと組で10分ずつ炉内に入り配管の溶接にあたる。

     国家の威信を優先していたためか、放射線防護服など一切積んでいなかった。

     兵士にはゴムカッパを着せて放射線が充満する炉内に入るよう命じる。


     床には水が溜まり、内部は水蒸気が充満している。

     10分過ぎて出てきた兵士は全身が焼けただれ、嘔吐、震えが止まらない。

     放射線を計測するメーターは目盛りを振り切った。

     艦には彼らを治療する薬品さえ積んでいなかった。


     苦しむ兵士にアスピリン※を飲ませ「これで良くなる」と気休めの言葉をかける。

     決死の溶接作業の結果、何とか冷却水漏れは止まり炉心温度が下がった。


     しかし、艦内は高い放射性物質が充満してしまい。

     技術士官と下士官以下8人からなる対策チームは全員が1週間以内に放射線被曝で死亡した。

     後に20人が被爆が原因で死亡した。


     

                     ※ アスピリン:解熱鎮痛薬

             

             
無謀であれ、何としてでも大爆発は防がなければならない。

乗組員の命を犠牲にしても核戦争になる危険を回避することを優先せざるを得ない。


東西冷戦下とはかくも非情な状況だったのだ。軍事というのは常にそういうものだ。

平和の裏側で実際あった出来事に私たちは無関心であってはならない。



     
放射線被曝を知るかたは「実際はあの程度の症状ではないはず」という。

乗組員も全員が重度の被曝をしていることは間違いはなく、現在の健康状態が案じられる。


原子炉で事故を起きれば普通の労働災害などとはまったく次元の異なる状況になる。

福島の現場がいかに過酷な状況であることか。無事を願うのみである。



     
"ただちに健康に影響は無い" などと無神経なコメントを流し続ける政府関係者、電力会社の株主たち、

広告代理店やメディア、その他の多くの原子力村といわれる人々、

プルトニウムを飲んでも安全という御用学者ども、

過疎地に危険を押しつけて電力を消費する人々


K-19、チェルノブイリ、スリーマイルでの現場がどんなであったか、

何よりいま福島の現場がどんなであるかを知る手がかりとするためにも映画「K-19」を観て欲しい。




多くの被曝者が何の対策もされない中、

己だけが防護服姿で現地入りした岡田某の姿は脳裏に焼き付いて離れない。

いまの政治を象徴する映像として、後世に語り継いでいかねばならない。


弁護士らしく言質をとられないように "ただちに健康に影響は無い" を繰り返す官房長官も忘れない。

"ただちに健康に影響は無い" は "健康に影響がある" ということだろう。


そうでありながら政府は何をしてきたのか。

こんな政治ではこれからもさまざまな形で被害者が出るに違いない。


一部に菅直人氏を評価する声もあるが、よく聞き、よく見るべきだ。

首相として、原発廃棄とはひと言も言っていない。新規の建設を認めないとはひと言も言っていない。

そればかりか外国に対しては輸出を認めるとまでいった。

こんなまやかしの政治家など信用できるわけがないではないか。


市川房枝氏の菅氏に対する見方は正しかった。








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企 画?____やくざものの発想





       「北陸新幹線開業に呼応したタイミングでドラマ化が実現すれば全国の話題となり、

    倶利伽羅古戦場への観光客も見込める」(津幡町議会 M氏)


企業の中でこのような発言をする役員がいれば、即時、閑職に追いやられるだろう。

(もともと役員にはなれないが・・)

動機が甘い期待であるだけで何ら企画根拠を数字で示していない。


北陸新幹線開業は目前に迫っていることに違いはないが、大河ドラマは所詮他人様の企画である。

「ドラマ化が実現すれば・・」と仮定に基づいたあやふやなものでしかない。


自ら製作費を出して魅力的なドラマをつくり、発信するなら話は別だが・・・

そんな腹をくくった話ではあるまい。


津幡町の予算計上の根拠も実にあいまいだ。



          ○津幡町大河ドラマ誘致推進協議会設置規程

           2009年年6月15日

           津幡町告示第74号

            (設置)

             第1条 木曽義仲を題材とした大河ドラマの誘致を推進し、

                                             本町の観光の活性化に寄与することを目的として、

                                             津幡町大河ドラマ誘致推進協議会(以下「協議会」という。)を設置する。



観光の活性化というが、石川県民ですら津幡の観光資源が何であるか答えられるひとはいないだろう。

1998年以来津幡に住んでいるがこの町が観光地とはとても思えない。

活性化というのは土壌があってのことだろう。


仮にドラマ化がなり、観光客が来るとしよう。ではその客を見込んだ事業に投資できるか。

私の答えはNOだ。そんな一過性のものに投資できるわけがない。


一攫千金を夢みてるとすれば事業家ではない。

それは「ばくち打ち」がすることで堅気の商人のすることではない。


事業は利薄くとも着実に成果をあげていかねばならない。

大河ドラマに浮かれた客など所詮はおまけ程度にしか考えてはならないものだ。


期待できる観光客数、期待できる経済効果 etc が論理的裏付けをもって語られなければならない。

希望的観測でものをいうなら自費でおやりいただきたい。

いつまで続けるのか期限も定めず、無責任なことだ。




企画というのはしたたかであらねばならない。 どういう事か。

失敗しても「得るものは得る」ということでなければならないということだ。
 
大河ドラマ誘致に失敗しても投資に見合う十分な成果が約束されねばならない。


ドラマ誘致とは外見的な名目であって、真の目的では着実に成果が上がる・・・

こういうことでなければならない。

                                    
失敗すればすべてを失う零細企業経営の生き残り術である。当たり前すぎるほど当たり前の事である。




全国ネットで「津幡」という町名が流れたのは

"ほめ言葉のシャワー" という小冊子が紹介されたNHKの「クローズアップ現代」と

TBSラジオ番組「永六輔の誰かと何処かで」という番組ぐらいではないか。


ともにエッセイスト "水野スウさん" がいなければ日本中の誰も「津幡」など聞いたこともなかったろう。


町当局も議員もよく考えてみることだ。津幡という町にどれだけの発信力があるというのだ。

観光観光などと言うよりも津幡という町をどうやって知ってもらうか。それが先ではないか。


町づくりは一朝一夕で出来るものではない。

魅力ある町づくりは息の長い取り組みでなければならない。

大河ドラマや博打場の誘致で活性化を図るなんぞは所詮やくざものの発想でしかない。








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学校へ行く意味




大谷大学卒業生のかたから聞いた話。




学生たちが学長先生担当の「真宗学」(親鸞の思想)の講義に出たときのこと。

ある学生が学長先生に質問をした。(残念ながら、内容は話してもらえなかった)


学長とは当時90歳の曽我量深先生である。後に昭和の名僧と語られる真宗学の権威である。

そんな大先生だから学生の質問にはいとも簡単に、しかも理解しやすく答えてくださると誰もが思っていた。


ところが・・・ 曽我先生は沈黙のまま考え込んだという。


5分、10分・・・時間が刻々と過ぎていく・・・

学生たちの言葉によると、腕時計の秒針の音が教室に響いて聞こえたという。

まさか秒針の音は聞こえないと思うが、どれほどの緊迫感かは想像がつく。


やがて先生は顔を上げ、


     申し訳ありません。あなたにお答えするだけのものを私は今、持っておりません。

     さらに精進したいと思います。申し訳ありません


と、何度もその学生に謝られたという。


場に居合わせた学生たちは感動のあまり鳥肌が立ったと熱く語っていた。


孫のような学生に対し、適当な言葉でお茶を濁すこともせず、

真摯な姿勢で臨まれる大先輩の態度に接し、「この大学へきて良かった」と心底から思えたという。


この状況を文字にするとどうだろう。

学生が質問した。先生からは答えがなかった。それだけになってしまう。通信教育ならそんなことになる。


しかし、大事なことは秒針の音まで聞こえたという、その緊迫感を味わったことだ。

大先輩の真摯な姿勢を目の当たりにしたことだ。


何も答えが無かったのではない。大きな大きな答えを先生からいただいたのだ。

こころの宝石箱で生涯輝きつづける "大切なもの”をいただいたのだ。

独学や通信教育では決して得られないことだ。


学校へ行く意味とはこういうことだと思う。






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誘導されていませんか? その法務行政




「殺人を犯したものが訴追されることなく 大手を振って生きていくことを許していいと考えますか」

こういう言い方をされれば ほとんどの人は「許せない」と答えるでしょう。
   

被害者や遺族の気持ちを思うとき当然と言えば当然です。


しかし、そのことで時効廃止問題が語られるのはきわめて危険なことではないでしょうか。

凶悪な犯罪を許さない。それはそうです。誰も異論を唱えません。

しかし、この問題を語るとき、あまりにも情緒的で、論理的ではないことに今の時代の危うさを感じるのです。


たとえば、国松長官狙撃事件のような事件が時効がなくなったからと言って解決するのでしょうか。
  

3億円事件やグリコ森永事件が解決するのでしょうか。

100年経っても200年経っても解決できないのではありませんか。


犯罪を許さない、犯人に刑罰を科す、

ということであればいかにして被疑者を逮捕するかが語られるべきでしょう。

犯罪捜査態勢の拡充、捜査技術の高度化が先に語られるべきでしょう。


稚拙な初動捜査や思い込み捜査をそのままにしておいて、なにをかいわんやです。


時効がなくなれば、犯人が逮捕されるというのは、希望的観測に過ぎません。

遺族に対するジェスチャーにしか過ぎません。


では、いつ捜査態勢を解くのでしょうか。50年後でしょうか。100年後でしょうか。


被疑者を逮捕したからと言って、問題が解決するわけではありません。

50年経っても60年経っても公判が維持できる証拠、証人が必要です。


しかし 現実の問題として、そんなことが可能なのでしょうか。

セピア色になった証言で被疑者を裁くのでしょうか。


いつまでも犯人を許せないという被害者の心情と時効の問題とは別の問題です。


  
裁判での被害者参加制度とあわせて考えてみると

法務省が全体に情緒的な方向にリードしているように見えて仕方がないのです。


戦前の精神主義が復活ししつあるとみるのは、あまりにもうがった見方でしょうか。

合理的に 論理的に 語られないとまた危うい社会になっていくのではありませんか。






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無盡の燈(むじんのともしび)



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仏の教えが次々と伝わって尽きないことを、一つの灯火が無数の灯火の火種となることにたとえていう言葉。

教えは語り伝えていくことによって尽きることのない灯火となり、

自分と世の中をいっそう明るく照らすということ。




    人が施すのを見て、これを助けて歓ぶことは善いことである。

    福(さいわい)はそこから生れる。

    たとえば、一つの炬火(たいまつ)から幾百千人の人々が火をとってつけても、

    もとの炬火(たいまつ)はその通りであるように、

    福(さいわい)は施す人と、これに随喜する人とに分かっても、少しもへらない。


                 福田正治 著編 「新修・現代訳 仏教聖典」より



                  
                ※【随喜】ずいき

                 1 仏語。他人のなす善を見て、これに従い、喜びの心を生じること。

                 2 ありがたく思い、大いに喜ぶこと。












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911は目くらまし?


同時多発テロは何故2001年の9月であったのか。 

先ず、2001年という年はどういう年だったのか、出来事をあげて振り返ってみる。



ギリシャがユーロを導入


ジョージ・W・ブッシュがアメリカ合衆国大統領に就任


ハワイ沖で愛媛県宇和島水産高の実習船「えひめ丸」が米海軍の原子力潜水艦と衝突して沈没


コロンビアで矢崎総業の現地法人「矢崎シーメル」社の日本人副社長がコロンビア革命軍に誘拐される


3月24日2001年芸予地震が起こる


海南島事件。米海軍電子偵察機EP-3Eが中国軍機と接触し、中国南部海南島飛行場に緊急着陸


小泉純一郎が日本の第87代首相に就任


ネパール王族殺害事件


附属池田小事件


オクラホマシティ連邦政府ビル爆破事件の主犯ティモシー・マクベイが処刑される


メガワティ・スティアワティ・スカルノプトゥリがインドネシア大統領に就任


河内で、ASEAN外相会議開催


北朝鮮の金容三鉄道相が訪ロ


世界陸上エドモントン大会


小泉首相が靖国神社を参拝


種子島宇宙センターよりH-IIAロケット試験機1号機が打ち上げられる


歌舞伎町雑居ビル火災  死者44名


東京ディズニーシーグランドオープン


9月11日 アメリカ同時多発テロ事件





911同時多発テロが戦争を始めるための口実、きっかけであることは心あるひとには容易に想像がつく。


いつの戦争も始めるためには犠牲者を演じなければならない。

しかし、それが2001年の9月であるには理由があったはずだ。


ドル防衛や麻薬、石油の独占ならばブッシュが就任した直後でもいいわけで、

あるいはブッシュ以前でもいいわけだろう。


2001年の9月にどんな必然性があったのか。

そのことがずっと気になっていた。


上にあげる出来事に引き金になりそうなものは見あたらない。

何かあるはずだと思いインターネットの隅々まで時間をかけて検索してみた。    


はたしてあった。


2001年5月9日

米国ワシントンにあるナショナル・プレス・クラブで20余人のUFO、ETに関する直接体験をした証人を集め、

政界人や世界の著名なメディアの参加のもとで、CSETIが「秘密公開」に向けて記者会見を行なった。


(「CSETI」とはスティーブン・グリーア医師がUFOやETの情報開示を求めるために設立した機関)


YOUTUBEでそのときの映像を確認できる。

その証人達も以前は情報を隠蔽してきた側の人々である。

当然のごとく証言は生々しく、体験した者ならではの説得力がある。

http://ettechnology.web.fc2.com/video.htm


公開プロジェクトの摘要書

http://www4.ocn.ne.jp/~ds08pro/


異常な沈黙

http://www4.ocn.ne.jp/~ds08pro/DSCArticle.pdf#page=1



世界各地で報告されているおびただしい数のUFO目撃証言はもはや存在を否定することが

無駄になりつつあることを示している。


ある思惑をもった勢力はこれまで情報を把握しながら世間に対してはUFO問題などないことにしてきた。

社会の激変に対応できないからでもあろう。


しかし、秘すれば漏れるのは世の常。

この種の情報は特に社会の注目を浴びることは避けられない。


隠蔽する側はある策をめぐらした。

つまりリークするという方法をとった。


ただし、リークする相手を選んでだ。

論理的思考力に信頼感をもたれそうもない相手にリークする。

そうすれば真実を口にしていても誰も彼の言葉に耳を貸さない。


「嘘」というレッテルを貼られた「真実」などどんなに氾濫しようと気にとめることもない。

本気で追求するひとの方が人格を疑われることになるからだ。


タブロイド紙のUFO記事やバラエティー番組での過度なまでの演出はその路線にあると見て良い。

策を弄するとはこういうことだ。


こんなことに気づく私も相当に嫌みな人間かもしれない。


これまでは隠蔽側の思惑通りに進んでいた。

宇宙人は地球侵略をはかる恐ろしい存在であるというメディアを使った刷り込みも

成功しているかに見えた。既得権益は安泰だった。


しかし、2001年5月の記者会見はバラエティーショーではなかった。

証言したメンバーからして誰もが信頼を寄せる内容だった。


隠蔽側にすればそれまでの隠蔽計画を根底から揺るがしかねない大事件に映ったに違いない。

何としても世間の注目を他にそらす計略が立案、実行される必要があった。


私はそれが「911」の動機と見る。


事件後アメリカはアルカイダへの報復一色に誘導されていく。

何の根拠も示されないまま「アルカイダ憎し」の世論が形成されていく。


ちょっと考えれば飛行機の残骸も残らないほどの現場で犯人の証拠の手帳が見つかった

というのはあまりに不自然で、その時点で陰謀と見破られなければおかしい。


当時のアメリカは高揚する愛国心の前に疑問を挟むことさえ許されなかった。

国中の意識が911に向いていた。


心ある知識人さえ「陰謀説」の証拠探しに明け暮れ、

それ以外のことに関心を寄せる者など全くといっていいほどいなかった。


911の本質はそこにこそある。


チェイニーは最近になって自分が撃墜命令を出したと告白した。

私から見ればそのことも目くらまし作戦の一部に過ぎない気がする。


もともと「戦争のきっかけ作戦」は軍の中であったという。(ノースウッズ作戦)

しかし、実行に移すにはそれなりの準備期間も必要なわけで、4ヶ月後に計画実行ということから考えれば、

記者会見に慌てふためいた連中が時を置かず行動を起こしたと見ることができる。




UFO DISCLOSURE PROJECT

2001年UFO暴露プロジェクト(ナショナルプレスクラブ)


UFO DISCLOSURE PROJECT-1-日本語翻訳.mp4

http://www.youtube.com/watch?v=KicoTXPF1_E&feature=related


UFO DISCLOSURE PROJECT-2-日本語翻訳.mp4

http://www.youtube.com/watch?v=qhcTtqcDreM


UFO DISCLOSURE PROJECT-3-日本語翻訳.mp4

http://www.youtube.com/watch?v=FsLFP-orSeE


UFO DISCLOSURE PROJECT-4-日本語翻訳.mp4

http://www.youtube.com/watch?v=RmYD4FE3eRo


UFO DISCLOSURE PROJECT-5-日本語翻訳.mp4

http://www.youtube.com/watch?v=DWrUjinFWQs


UFO DISCLOSURE PROJECT-6-日本語翻訳.mp4

http://www.youtube.com/watch?v=ejK2EdEbd28


UFO DISCLOSURE PROJECT-7-日本語翻訳.mp4

http://www.youtube.com/watch?v=Wuyyfqq3Z8U


UFO DISCLOSURE PROJECT-8-日本語翻訳.mp4

http://www.youtube.com/watch?v=XLXt0nQZX_k


UFO DISCLOSURE PROJECT-9-日本語翻訳.mp4

http://www.youtube.com/watch?v=GxhTyLOU0Os


UFO DISCLOSURE PROJECT-10-日本語翻訳.mp4

http://www.youtube.com/watch?v=a-NlyOG2LKU




     UFO Files  Black Box UFO Secrets

     http://www.youtube.com/watch?v=0vIePMgtjT4&feature=related

     航空機に搭載されているボイスレコーダーの記録。

     音声の部分はすべて実際の記録。


     元空将・佐藤守氏 自衛隊員のUFO目撃を出版

     http://www.youtube.com/watch?v=VCgPhVZSYzQ


     日航貨物機 巨大UFO母船と遭遇

     この事件も機長の精神不安定が原因とされていたがアメリカ側から事実であった

                    という証言が出てきた。

     http://www.geocities.jp/shakujii21/ufo2.htm



     UFO(未確認飛行物体)という言葉は軍の航空管制に限定されるべきで

     世界各地で目撃されているものは「Alien Craft」と言い方を変えた方がよい。

     (もっとも地球製UFOなるものがあることが話をややこしくしているのだが・・・)


     いかに多くのパイロットがUFOを目撃しているかと言うことだ。

     これをすべて否定するのは否定するだけの動機付けが必要である。


     否定は特殊な立場にあることを自ら白状するものでしかない。

     対応ができないから無視したり、隠蔽しようとしても何の解決にもならない。


     また、一部のキリスト教関係者のようにこの宇宙に霊的存在は人間だけと信じ込んでいる姿は

     イギリスの産業革命も知らずに生きていた幕藩体制下の庶民のようであることに気づくべきだ。

     我が国以外にも多くの国はあったし、技術や制度も進んでいたではないか。


     140年前に開国を経験しているこの国の人々なら今、

                      宇宙社会に対してどのような対応をとればよいかを

     考えることはさほど難しいことではないと思う。


     Alien には「新外国人」というぐらいの認識で接するべきだと考える。

     過度に恐れることや過度の期待はすべきではない。

     そのような気持ちが互いの出会いを難しいものにすることは地球人同士でも同じことだ。


     侵略してくるのでは・・・という人がいる。  


     が、それは自分の心に潜む覇権主義的な欲望を吐露したものというべきだ。

     ひとは他者を見るとき自分の欲望や、願望を通して判断してしまう。


     救世主願望の強い人々は Alien が人間を指導してくれるのではないか、

     地球の危機を救ってくれるのではないかという。


     自分中心の身勝手な憶測もそこまで行くと哀れでさえある。

     予断を持たず、心をニュートラルにしてありのまま見つめなければ適切な対応はできない。


     仮に太陽系に新しい星が見つかり、生命の進化の過程が見られるとしたらどうするだろうか。

     プローブを飛ばし観察するのではないか。


     活発な地殻変動や文明の変遷が見られるとしたら自ら調査・研究に行くのではないか。

     自分たちの星や、生命、文化を知るために他の星を研究することは有益だ。

     Alien も同じだろう。


     UFOに連れて行かれ体にチップのようなものを埋め込まれたとする事件はネットにはいくらでもある。

     これが事実なら人間も野生動物に同じことをしているではないか。


     かなりの数の Alien が来訪していることを思えば地球という星は彼らの知的好奇心を刺激する

     魅力があるのかもしれない。


     ここまで書いていながら実のところ私も半信半疑である。


     ついこの間までM理論(超ひも理論)※が物理学の最先端と信じていた。

     非理系の頭ではその輪郭をつかむことでさえ至難の業だ。


     11次元空間はイメージすらできないが、

     平行宇宙や人工的なワームホールはぼんやりだが頭の中に描ける。


     だから Alien が別次元から来ているとか、Alien Craft の不思議な動き方もそんなにも驚きはしない。

     が、ゼロポイントエネルギーだの超光速で移動すると言われると非力な頭はパニックになってしまう。


     しかし、理解できないものを認めないのは論理的ではない。

     理解を超えたものの方が圧倒的に多い。

     こんな頭脳で「認めない」と言えば失笑を買うに違いない。


     現に Alien Craft は飛んでいる。

     そのテクノロジーは素直に認めるべきだろう。



       ※M理論(超ひも理論): 宇宙の要素は1種類の要素でできているというもの。


                           その構成要素とは「ひも」とよばれる小さな振動するエネルギーの糸。


                           振動するパターンであらゆるものを作っている、という理論。

                           宇宙は11次元の時空でできているとする。


                           我々の宇宙の他にも平行宇宙が存在するとする。



     しかし、そのテクノロジーを認めたくない人々がいる。


     「認めたくない」ではない。そのテクノロジーを隠蔽しておきたい勢力がある。

     既得権を侵されると考える勢力だ。


     端的に言えば、現在のエネルギー産業であり、世界のマーケットをほしいままにしている金融資本だ。

     石油資本、原子力資本にとっては新しいエネルギーは新しい秩序を意味し、

     世界を牛耳ってきた立場を放棄させられることを意味する。


     中東の利権をほしいままにしてきたのみならず、あらたに国内で油田の開発に成功したばかりだ。

     すべてを放棄することは絶対に認められない。


     どんな手段を使おうが、いかなる犠牲を払おうがAlien テクノロジーを表に出してはならない。

     アメリカ経済にとって死活問題だ。(勝手な論理だ)


     これらは無論、ひねくれ者の推論だ。何の証拠もない。妄想かもしれない。

     しかし、それほど的外れでもないと思う。

     是非お一人お一人で検証されることをおすすめする。


     
     軍産複合体にとっては戦争こそがビジネスであり、

     武器弾薬を消費することが企業経営には不可欠と言うことだ。

     だからこそ彼らは世界中に暗躍し、いない敵を作り出すことに血道を上げる。


     イラクやナイジェリア、サウジアラビアは石油資源が狙われる。

     松茸以外に狙われる物のなさそうな北朝鮮は「北の脅威」を感じさせてくれるだけで

     軍産複合体にとってはありがたい存在だ。


     それで政府も国民も喜んで北の備えのために武器を買ってくれる。

     (「営業目標達成おめでとう」とはやらんだろうが)


     10年おきの戦争の背景に軍備のいわば「賞味期限」があることを聞かされれば

     市民は声を大にして怒らなければならない。


     あまたの命が犠牲になる戦争が実は「在庫一掃バーゲンセール」によって

     起きていることに関心を寄せるべきだ。

     
     菅政権下、そして野田政権下で戦争の準備が着々と進められている気配がする。

     武器輸出3原則の見直し、インターネットの監視、違法情報ダウンロードの刑罰化、

     法と証拠による裁判の形骸化、

     暴力団取り締まり法の改正・・・・あげればきりがない。


     くわえて原子力や宇宙技術の安全保障への道を人目に触れぬように拓いた意味は重大だ。

     このようにかつての自民党政権でさえなかったことがどんどん推し進められている。


     国会審議も反対意見を述べる良識派の委員を差し替えて意見を封殺する。これで民主国家なのか。


     気に入らない者は暗殺し、あるいはでっちあげの痴漢事件で捕らえ、あるいは不倫疑惑で騒ぎ立てる。

     有罪の証拠を捏造し、それもできぬ時は検察審査会を利用して被告人に仕立て上げる。


     検察審査会に回るということは証拠はどこにもありません、と検察が宣言したものではないのか。

     検察審査会による起訴は悪いやつを裁くのに証拠などいらないと宣言したことにほかならず、

     法治国家として大変ゆゆしき問題である。即刻に廃止すべきだ。


     菅政権は復興会議のメンバーにメディア関係者を2名起用した。

     この国が名実ともに翼賛政治に踏み出したことを意味する。


     菅直人が脱原発の市民代表と信じる人々は歴史を勉強し直してみたらいい。

     政権とメディアが一緒になる時代何が起こったのか、図書館でしっかり学んできて欲しい。



     石坂啓氏が「今は戦時下です」といっておられた。まったく同感である。

     これは悪夢ではない。

     平和憲法の下、高度成長の経済状況下で自由な国、

     民主的な国と信じてきたことが実は夢だったということだ。


     アメリカ型の軍産複合体経済をもくろむ連中は石油利権、原子力利権をやすやすと手放したりはしない。


     政治とUFOがどうつながってくるのか疑問に感じたかたも多いと思う。


     しかし、エネルギーの独占はこの社会の問題の根源である。

     すべてはそこから始まっている。


     Alien に関する情報を開示させることはエネルギーの適切な再分配を目指すものであり、

     そのことは戦争屋の野望を阻止することになるだろう。






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しあわせ芝居



       


       私みんな気づいてしまった

       しあわせ芝居の舞台裏

                             
  



年間でみると、近年は冷房による夏の電気消費量の伸びが大きく、

1日でみると真夏の暑さがピークになる午後2時頃が最大の消費量になっています。

電力消費の最大値と最小値の差は、ますます大きくなる傾向にあります。

これは家庭用のエアコンの増加が大きく影響しています。


これは電気事業連合会のホームページに掲載されている文章である。




夏の甲子園大会が今年も予定されている。

真夏の午後、エアコンの効いた部屋で缶ビールを飲みながら、

テレビの前で自分の青春と重ね合わせて声援を送る人は多い。


んっ? ちょっと待てよ。この時間帯って電力消費のピークだよね。電気事業連合会がそういっている。

真夏の暑さがピークになる午後2時頃、冷房による消費にくわえ、甲子園大会のテレビ観戦。


メディアは節電節電といっておきながら、

ピークを下げるどころか電力消費のピークをさらに上げる野球中継をしようとする。

国民的関心事の野球中継であれば視聴するための電力は膨大だ。一体、どうなってんだ。


発電設備はピークにあっても電力不足にならないような能力を確保しようとする。

そのこと自体は電力会社の責任として当然だ。

一日の平均が低くても、ピーク時にダウンするようなことでは困る。


であれば、ピーク時の消費を下げれば発電設備の規模を大きくせずともまかなえる理屈だ。

わが家が深夜電力機器を利用しているのもそこにある。


では、電力会社はピークを下げる努力を社会に訴えただろうか。

そんな話は聞いたことがない。

設備を大きくすればするほど利益が出る仕組みがある以上、

規模の縮小やピークを下げる努力を社会に要請しないのは当然だ。


わたしは1947年生まれ。53年に東京でまだ実験放送の街頭テレビをみた世代だ。

だからテレビの歴史をつぶさにみてきたことになる。

朝から晩まで切れ間無しに放送されるまで何年かかったろう。


わたしの小学生時代、テレビは昼の番組が終わると夕方5時頃まで休憩があった。

5時近くになると街の電気屋へ走っていき、テストパターンのときから食い入るように見ていたものだ。

やがて大量消費時代となり放送時間も拡大し、今は24時間放送である。


受像器の進化は著しいが、本質は何も変わっていない。

テレビは他の家電製品と違って電力消費のピークを作りやすいという点だ。

国民がみる時間帯というのは一定の時刻に集中するからだ。

人気番組の視聴率を考えてみればよい。

さらに、大相撲、高校野球中継などは産業用の電力が必要な時間帯でもある。


批判を承知でいうなら、産業用電力の必要な時間帯はテレビ放送を休止することも

当然検討されてよいと考える。

広告収入に依存する民放はともかく、NHKなら可能なはずだ。

電力不足が本当に深刻なら国民は理解してくれると思う。

NHKが姿勢を見せることによる「節電よびかけ効果」は極めて大きい。


が、NHKも民放もおそらくそんなことはしないということを市民はみんな知っている。無論、そのわけも。


政府、検察、警察、メディアの実態が次々と明らかにされている。

原発の安全神話は崩壊したが、嘘をつく社会であったことも市民にはもう見えてしまった。


こうなれば、何処かの国のように大量虐殺や粛清をするか、民主主義の原点に戻って社会を作り替えるかだ。

無論、前者があろうはずはない。あるはずはないと思いたい。


言論封殺の現状を知るとき、少々不安になってきている昨今である。








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計画停電とは何だったのか




電力の「需給調整契約」というのがあるそうだ。

大手企業に対しての超割引制度である。

無論、条件はある。

電力が足りなくなりそうな場合に節電に協力するというのがそれだ。


しかし、これはたてまえだけで電力会社が供給カットを要請した形跡はない。

何のことはない、電力のダンピングにすぎない。


地域独占の企業が一般家庭を踏み台にしてまで何故ダンピングする必要があるのか。

多くの消費者が納得いくように電力会社は説明する責任がある。


「原発が稼働しなければ停電になる」と脅されて真面目に協力している市民は完全に馬鹿にされているのだ。

これではメディアに操られている哀れな子羊だ。


似非資本家は市民を欺き、食い物にするという構図は昔も今も変わりはしない。

この図式が人々を戦争にまで引き込んでいくことを忘れてはならない。


原子力マフィアという犯罪者集団が呼びかける「絆を大切に」の言葉に騙され、

根本原因の排除を疎かにすることがあってはならない。


「痛みを分かち合おう」と呼びかけられて何故、健康な人が新たに被曝させられなくてはならないのだ。

「福島を応援しよう」と言って福島産の食物を食べていた女性が異常に進行の早い脳軟化症(痴呆症)に

なったことが紹介されていた。(放射能の脳への障害については別途紹介する。)


痛みを分かち合うという言葉に酔いしれて自らを危険にさらすことは

単なる殉死でしかなく、何の解決にもならない。

B29に対して竹槍で立ち向かおうとした国防婦人会の発想に通じるもので、

自虐的かつ非論理的な精神主義でしかない。


騙されてはならない。

自分と愛するひとを護らなくてはならない。




以下に文化放送で語られた「電力会社の実態」を紹介します。

市民はもっと怒らなければ・・・


文化放送「田原総一朗オフレコ!スペシャル」(2012/03/12)より

http://www.youtube.com/watch?v=QfPN_-iGEls&feature=related


河野太郎氏が語る「東京電力」・「利権の仕組」・「経産省」


計画停電とは何だったのか


1、需給調整契約を使わない理由


 東電は大手企業と需給調整契約を結んでいる。

普段、電気をものすごく安い値段で売り、いざ電気が足らなくなった時に電気を切る為の契約。

通告と同時に電力需給を停止する契約や、通告から2時間後に停止する契約などがある。


 東電は3・11以降、その停止措置は行なわなかった。

 普通料金の一般家庭と、ダンピング価格の契約の大企業の電気を計画停電で一緒に止めるのは何故か? 


しかも、本当に大きな企業に対しては社会的影響が大きいとして、計画停電から排除までしていた。


 経産省(通産省)は、河野議員の質問に対し、まず、そんな契約があることを知らないと述べ、


次に、自由化された相対の契約だからそれに関する情報は出せないと言った。


 それがマスコミに出たかどうか? 


大手メディアは必要のない計画停電の予定表だけを流し、

大手の工場で需給調整があったかどうかは調べない。

契約そのものについてもほぼ触れなかった。


2、送電網の独占の悪用


 相対契約を締結し余った電気を東電に売っている企業に対して、

3月14日の月曜から6月まで、東京電力は、送電網を閉鎖し一切使わせなかった。

このことは日経新聞が少しだけ書いた。なぜ、足りないはずの電気を買わないのか?


 電力不足や計画停電中は、相対契約の売電料金がものすごく高くなる。

それゆえ東電はマーケット自体を破壊してでも、相場が上がる事態を作らせなかった。


 この件に関しても河野議員の質問に経産省は知らないと答えた。


3、
 つまり、東電は政官財一体となった利権を守る為、

経産省は東電や電力関係の独法との関係を守る為にした事。


これが需給調整契約だ|河野太郎公式ブログ ごまめの歯ぎしり

http://www.taro.org/2011/04/post-975.php


河野太郎衆議院議員 原発問題について語る

http://www.youtube.com/watch?v=cCxPAAYangE




(2012年4月28日、共同通信記事)

【関電の節電契約、低水準】夏のピーク抑制に余地 大飯再稼働に疑問も 9社中7位


■各電力会社の需給調整契約の割合と今夏の需給予測


 電力料金を割り引く代わりに、

使用量が供給力を上回りそうな夏場のピーク時などに企業や事業所の電力消費を控えてもらう

「需給調整」の契約電力が、関西電力は、電力9社(沖縄電力を除く)の中で

3番目に低い割合にとどまっていることが28日、分かった。


 大飯原発3、4号機を再稼働する前に、供給力の余裕を確保する余地が残っていることを示すデータ。

政府や関電は再稼働しないと夏に一時、最大16・7%の電力不足(平均的な気温の場合)になると強調するが、

節電の見込み量が少なすぎるとの専門家の指摘もあり、再稼働の妥当性に疑問を投げ掛けた形だ。


 電力各社が政府の需給検証委員会に提出したデータを基に、

需要規模に対する需給調整契約の割合を算出した。


 2010年夏並みの最大需要に対する需給調整の契約電力の割合は、関電は3・1%で東北(2・7%)、

北海道(2・8%)の両電力に次いで低く、9社平均の5・1%も下回る。

最高は中国電力の13・2%で関電とは大きな差がある。


 最大需要に対する今夏の節電見込み量の割合は、関電は3・3%で9社平均の5・9%より低い。

ほとんどの電力会社が今夏は冬より節電量が増えると見込むが、関電は減ると想定。


昨夏比では半分程度としている。

顧客へのアンケートを基に、数値目標を示さずに無理なく節電できる量を算出し、

今夏の節電量として見込んだというが、国の検証委員会では専門家から低すぎるとの声が上がった。


 関電は、需給調整契約の割合が他社より低い要因は分析できていないと説明。

「一軒一軒お願いしているが、契約は基本的に各企業の判断で、無理だと言われれば強制できない。

今夏に向けて大きく増やすのは難しい。

節電を現時点の見込みより拡大できるかも何とも言えない」としている。


 ▽取り組み十分か説明を


 諸富徹(もろとみ・とおる)・京都大教授(環境経済学)の話 

電力不足で原発再稼働が必要だとするなら、

関西電力はまず節電や需給調整契約を含む需要抑制や、供給力を増やす取り組みが十分か、


なぜ他社と同じ水準にできないかを説明する責任がある。

再稼働することを前提にして、夏に向けた対策を遅らせてはいけない。


他の電力会社からの融通や、節電、揚水発電の活用などで夏を乗り切れるとの指摘もある。

政府や電力会社は再稼働を推し進めるが、

原発がなくても電力が足りると証明されるのを恐れているのではないか。


 (引用おわり)

http://www.47news.jp/47topics/e/228816.php




(東京新聞 2012/06/10)

「なし崩し再稼動狙い計画停電で『恫喝』」 @こちら特報部


野田佳彦首相は八日、原発の再稼働方針をあらためて訴えた。

「暫定はない」と橋下徹市長を追い込み、

「国民生活が大切だ」と再稼働に慎重な民主党の小沢一郎を皮肉った。


主張の柱は、電力不足による計画停電の回避だ。

だが、関西の首長らが大飯原発再稼働で譲歩した後も「停電恫喝」は続いている。

本当に原発抜きでは、計画停電は避け難いのか。(小倉貞俊・中山洋子記者)


■計画停電で「恫喝」


「計画停電を回避するために最善を尽くす」。野田首相は八日、記者会見でこう強調した。

「計画停電」は原発再稼働の切り札だ。


政府が先月十八日に発表した今夏の電力需給対策にも、

「実施しないことが原則」としつつも「大規模な電源脱落のために準備する」ことが示された。

再稼働阻止を訴えていた関西広域連合の首長たちが”腰砕け”になったのも、計画停電の恐れだった。


「環境派」で知られる滋賀県の嘉田由紀子知事ですら、

「『計画停電は困る』という地元経済界からの強い要請」が容認をのむ最大の理由になった、と吐露した。


実際、滋賀経済同友会の小林正彦事務局長は「計画停電実施となれば、企業へのダメージは深刻だ。

『(計画停電が)実施されないなら、再稼働は仕方がない』という声は大きい」と話した。

それほどの不安感を与えられる計画停電は、そもそもどんなものなのか。


電力需要が供給を上回った際に起きる大規模停電を防ぐのが目的で、事前に地域や時間帯を予告する。

東京電力管内では昨年三月、計十日間にわたり実施された。

一回当たり三時間ほどの停電だが、市民生活に多くの混乱をもたらした。


だが、この時の計画停電が本当に必要だったのかについては議論の余地がある。

環境エネルギー政策研究所は当時、

「大口契約者と結んでいる(電気料金を値引く代わりに電力使用を抑えてもらう)


『需給調整契約』を生かせば、計画停電を強行しなくても電力は足りる」と試算していた。

ちなみに今夏の東電管内の電力供給力は、昨夏から柏崎刈羽原発の5~7号機が止まったにもかかわらず、

約三百万キロワットも余裕が出る見通しだ。


不可解な部分もある。

政府は今夏の関西電力管内での電力不足で、”最終手段”である計画停電ばかりを持ち出すが、

昨夏に東電と東北電力管内で発動された「電力使用制限令」については今回、見送っている。


企業に節電を義務付ける同制限令は昨年七月、政府が約二ヶ月にわたって発動。

大企業など大口需要家に電力使用量の15%削減を義務付けた。

それが今回は見送られ、最初から一般家庭や中小零細企業にしわ寄せが集中する計画停電が、

前面に押し出された。


自然エネルギーの普及に取り組むエナジーグリーンの竹村英明副社長は

「今夏の電力需給は、政府も関西電力も昨年から分かっていたはずだ。にもかかわらず、

火力発電の整備を意図的に避け、計画停電をちらつかせた。

再稼働ありきの『脅し』にしか見えない」と語る。


■節電議論すり替え


気になるのは、関西広域連合が大飯原発、4号機の再稼働を容認した後も、

計画停電の”合唱”が続いている点だ。

関西電力を含めた電力会社は、計画停電を大仰に準備。

緊急時のマニュアル作りに過ぎない「計画停電案」を振りかざす。

これほど「計画停電」が取り沙汰されること自体に違和感はないか。


政府は原発なしの夏を「節電努力」で乗り切れるとしていた。

夏の電力需給対策では、夏の約二ヶ月間、関西電力管内で猛暑だった二〇一〇年夏より、

電力消費を15%程度抑えるよう企業や家庭に節電要請することになっている。


中部、北陸、中国、四国電力にも節電を求め、その浮いた分を関西に送るという支援策もまとめていた。

この間、関西電力は、改善策を小出しにしている。

四月には不足分を16・3%と説明していたが、その後に14・9%に圧縮。


大阪府市エネルギー戦略会議で見積もりの甘さを再三追及され、

五月中旬には、不足分を約5%にまで減らす試算を同会議に提示していた。

他の電力会社から最大百六十二万キロワットの供給を受けるほか、

自社の水力発電で二十二万キロワット、卸電力取引所から十八万キロワットなどと供給を上積み。


企業との需給調整契約を広げて需要を減らし、

緊急時に企業から節電分を買い取る「ネガワット入札」まで考慮した。

「再稼働なしを前提にして、なんとかなるはずだった」。

同会議のメンバーで富士通総研経済研究所の高橋洋主任研究員は振り返る。

「不足幅はまだ縮むはずだった」


高橋氏は需給見通しの前提になっている日本全体の最大需要の計算が、大き過ぎる点にも着目。


「各電力会社の最大値を合算しているが、同じ日の同じ時間帯に全国のピークが一致することはない。

現実には存在しない数値で、西日本のピーク需要は下がるはずだ」


同会議で、関西電力の需給見通しの甘さを指摘していた環境エネルギー政策研究所の飯田哲也所長も

「節電目標に向かって議論をしていた。十分乗り切れるはずだった。


しかし、先月に入り、唐突に節電を無視した『計画停電』の回避に話がすり替わった」と説明する。

この転換が関西の企業を一気に怯えさせた。

それが首長たちへの圧力となり、野田首相も会見で繰り返した。


首相は「期間限定」という妥協案については

「夏場限定の再稼働では国民生活を守れない」と拒否した。

この一言は、関西における夏場の緊急時のための再稼働という大義名分を超え、

その真意がなし崩しの原発再稼働であることを示唆している。


前出の竹村副社長によると、昨年三月の震災後、

都内の企業の多くは十分な節電準備も出来なかったにもかかわらず、

照明を落とす程度で、一~二割の電力を削減できていたという。


「東電管内の企業は省エネでコストも削減できる事を経験した。

節電は企業活動にとってマイナスばかりではない」と指摘しながら続ける。


「結局のところ、電気が足りるかどうかは、再稼働とは関係ない。

電力事業者が昨年、禁断の計画停電を強行して東日本にショックを与えた。

それを関西での再稼働への材料に使っている」。

この手法は関西電力管内にとどまらない恐れがある。


デスクメモ 


野田首相は原発の安全に「絶対はない」と言った。

創意工夫による「原発ゼロの夏」という挑戦にも絶対はない。

では、どちらを取るべきか。

使用済み核燃料は処理できず、再稼働してもあふれるのは時間の問題だ。


(引用おわり)




安くしたツケは一般家庭に回され、私たちは大口契約者の電気代を支払っている。

肝心なときに「需給調整」しないのであれば、電力料金を割り引く必要は無いと考える。






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湯沸かし器という現実、原発停止 近海の魚介類に変化




若狭湾の全原発が停止していた間、温排水により上がっていた水温が3度下がったために

海中の環境が激変した。

『原発は地球温暖化防止に役立つ』などという欺瞞性が露呈している。

たった数か月で海中の環境を激変させるという原発による温排水の“威力”が端無くも証明された。


福井県高浜町にある関西電力高浜原子力発電所の運転が停止する中で、

近くの海に生息していた暖かい海域に住む魚介類が姿を消したことが京都大学の調査で判明した。

温かい排水が原発から海に出なくなったことが原因とみられている。


調査を行なったのは京都大学フィールド科学教育研究センター舞鶴水産実験所の益田玲爾准教授だ。

益田准教授は、毎年1月から3月にかけて、高浜原発から約2キロの沿岸で潜水調査を行なっていて、

本来サンゴ礁が広がる暖かい海に生息する「ソラスズメダイ」や毒ウニの「ガンガゼ」などが多く確認されてきた。


ところが、ことしの調査では「ガンガゼ」のトゲが抜け落ちて死んでいるのが見つかったほか

「ソラスズメダイ」も2月下旬以降、確認できなくなるなど、複数の魚介類が姿を消したということである。


高浜原発がすべて運転を停止したあと、付近の海水の温度はこれまでより3度ほど低下したということで、

益田准教授は「原発から温かい排水が海に出なくなり、南方系の生物がすめなくなったのではないか」

と分析している。




原発停止 近海の魚介類に変化 : 若狭湾の原発温排水の"威力"

http://www.youtube.com/watch?v=MKppDQ_3Mw0


原発の温排水と日本海の急速な温暖化

http://www.youtube.com/watch?v=2B1-IIk1YBU


京大水産実験所・益田玲爾さんの若狭湾水中散歩120-マガキガイ-原発停止で激変の海

http://www.maipress.co.jp/menu/sanpo/120.html


原発はいらない!「原発で温暖化」 京都大学原子炉実験所 小出裕章氏

http://www.youtube.com/watch?v=4KhCNiz-XFU&feature=related








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公正・中立




映画『聯合艦隊司令長官 山本五十六』の製作発表記者会見で、役所広司氏は述べた。


「どうして戦争が起こってしまったのか? 

 映画を通して若い人も実際に戦争を体験した人も考えるきっかけになればと思います」


この種の映画製作にあたって関係者はいつも同じようにいう。

しかし、それで反戦の世論が高まったなど聞いたことがない。


NHKの大河ドラマもそうだが、所詮ドラマはドラマでしかない。


あくまで主人公の立場に立つ歴史観になるわけで、

今の社会がこのような形でしか過去の歴史に触れる機会がないのは何とも心許ないことである。


せいぜい制作者の意図であることを認識し、事実と錯覚することがないようにしてもらいたい。


考えてみれば、戦後教育の中で「戦争」についてどれだけ語られて来ただろうか。


戦争とは何か、何故、戦争が起きるのか、何故、戦争がなくならないのか・・・・

体系的に語ることを阻止してきた勢力があったことを忘れてはならない。


歴史を検証し、問題を提起するのもメディアの役割だろうが、それが十分なされてきただろうか。

事実に基づいた論理的検証がされてきただろうか。その "場" が用意されていただろうか。


NHKは政治的に公正であること、

意見が互いに対立している問題は可能な限り、多くの視点から論点を明らかにすることが求められている。

(放送法第3条の2)


が、この放送法の文言も注意して読まないといけない。いや、文言より、むしろ運用の問題か。


戦後の国家体制はあくまで民主主義にのっとった政治体制でなければならない。

間違っても国家神道を基盤とする全体主義体制に戻してはならない。


ところが放送法はそのような書き方にはなっていない。

多くの視点が論議されることを期待している。それが民主主義だという人もいる。そうだろうか。


それでは国家神道信奉者にも発言の機会を与えることであり、

そういう中での中立・公正という概念は果たして憲法を起案したときに期待したものだったろうか。


このように一見すると正しいように読める文言も、かなり危うい面をもっている。

民主主義の理念がしっかりと認識されていなければ、「中立」もかなり怪しいものになってしまう。


戦前の体制を総括もせず、あらゆる考えを受け入れる社会がよいと言って、

戦前の日本をおかしくした思想まで容認していてはこの国はまたおかしくなる。


この国は、思想・信条の自由を侵す自由まで認めてしまっている。


歌を歌うことを強制したり、旗に敬意を示すことを強制したり・・・。

それが平気で行われていても民主主義の国だと信じ込まされている。


やがて天皇の写真にまで敬意を示せとなるに違いない。

なにせ、国民統合の象徴さまであらせられるのだから。 北朝鮮のことをいってはおられない。


19条、20条が理解できていないから靖国神社参拝を平気で行なう公人が出てきてしまう。

また、それに対してA級戦犯合祀問題などと論点をすりかえて国民の関心をそらしてしまう

自称「平和主義者」まで出てきてしまう。戦犯が祀られていることが問題ではなかろう。


       第19条 思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。


 
       第20条 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、

           国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。

             2 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。

                3 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。


記者会見場の旗に一礼する政治家がいたり、

事故や災害の報告までいちいち天皇のところへ報告に行く政治家がいたり、

どう見てもこれらは戦前回帰である。


象徴天皇制が求める天皇像とはかけ離れていないか。

政治と天皇の関係はそのようなものであっていいはずはない。


そもそも君主制と民主制が両立するはずもなかろう。

あいまいが好きな日本なればこそまかり通る珍現象だ。


戦前の総括ができていないからそんなことになる。

もっと言えば、民主主義の何たるかがわかっていないからそういうことになる。


戦争のことを考えると同時に民主主義、自由についても考えてほしいものである。

「公正・中立」もかなり、戦前寄りになってきている。










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民を安堵させるため


1657年(明暦3年)、後に振り袖火事といわれる大火が江戸を襲った。


猛火が幕府の米倉に迫ったとき、保科正之は「米を持ち出すこと勝手たるべし」と「おふれ」を出したという。

町民に対して勝手に持って行っていいというわけだ。


天領からの年貢米を保管している米倉である。役人たちは驚いたに違いない。

しかし、保科正之はこう考えた。


   米倉をめざして町民が動けば猛火の中に道ができる。

   避難民が「火消し」の働きをする。

   持ち出された蔵米は救助米となる。 


非常時には非常時の対応が必要だという見本のような話だ。


正之は火事がおさまったあと、

救済のために、各地で炊き出しをさせ、家を失った町民たちに再建費として総額16万両を与えた。

これは会津藩の年収に匹敵する金額であったという。


幕府の御金蔵が空になるとの批判に対して正之はこう言ったという。


   「官庫のたくわえと申すものは、すべてかような折りに下々へほどこし、士民を安堵させるためにこそある」


「埋蔵金」を出し渋るある国の小役人のようなことは言わなかった。


江戸の再建にあたっては、

主要道路の道幅を広げ、火除け地を設置、芝・浅草両新堀の開削、神田川の拡張などに取り組んだ。

結果、江戸という都市の輪郭が定まり、今日に至っている。


後に天守閣再建の話が出たが、


    「いまはかようの儀に国家の財を費やすべき時にあらず」

    
と反対し、江戸城の天守閣はついに再建されることはなかった。

天守閣なき江戸城は、長く続いた「徳川の平和」の象徴であると同時に、

政に対する保科正之の姿勢の象徴でもある。


因みに、玉川上水を開削し江戸市民の飲用水の安定供給に貢献したのも保科正之である。


藩政においては、


残忍な処刑方法の禁止、罪に対する刑の統一、飢饉に備えての備蓄米確保、

升と秤の統一、耕作不可能な土地にまで課していた年貢を撤廃、


90歳以上の老人には、身分を問わず、終生一人扶持(1日あたり玄米5合)を支給。

(日本の年金制度の始まりとされる)  

等があり、今日にも通ずる政治家であった。


こういう人物についてあらためて触れるのも、大災害が起きた今日なればこそだ。

やはり、どうしても比較してしまうのだ。私利私欲、党利党略に走る政治家もどき達と。


いま正之だったらこの国をどう動かすだろうか。大災害のときに年貢を増やすことをするだろうか。


くしくも保科正之は会津藩主である。


         ※ 保科正之(ほしな まさゆき)  1611年-1672年


         
              徳川2代将軍秀忠の4男・家光の異母弟

              第四代将軍・家綱の後見役

              陸奥会津藩初代藩主。








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危険な場所に原発を作らせたのは自民党政権


大丈夫だろうか?

敦賀原発についての、 電事連の本音を粉砕しよう!

http://yoshi-tex.com/Darouka/Tsuruga.htm


活断層であるか否か学者の最終確認を待つ必要もありません。

学者同士の論争は将来にわたって好きなだけやっていただけばいいことです。


大切なことはいのちと暮らしを預かっている「政とは何ぞや」ということです。

誰のための何のための政かをわきまえているかどうかです。


政にグレーゾーンはありません。

政に携わる者が心しておかねばならないことです。

白でなければ黒と判断すべきなのが政です。

学問的探求の世界ではありません。
















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食い物にされている除染事業


除染は「ふるさと再生」より「デフレ下の仕事づくり」「原発再稼働の序章」でしかない。

放射能を甘く見てはいないか。チェルノブイリで除染を放棄せざるを得なかった現実をあえて無視していないか。


それにしても原発をつくった企業が除染事業を受注するとは呆れて言葉も出ない。

資本家の資本家による資本家のための社会である。

原発をつくった企業は除染事業を無償で行なうべきだ。


「がれき処理」についても放射能やアスベストその他の汚染物質の問題もあり、

ずさんな対応は将来に禍根を残すことを忘れてはならない。


世界の眼はすべてが利権で動く社会をしっかり見続けている。

豊かな国、民主的な国、住んでみたい国という評価はもはや過去形で語られるしかない。


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除染 は仏教でいうところの『賽の河原』だ!【ああ除染という“無限地獄”の虚しさよ!】

シーシュポスの神話=無益で希望のない労働【再汚染+再除染】放射性物質は風や雨で簡単に移動し、

一度除染作業が終わってからも町を再汚染。金は跡形も無くどこかに消えているんじゃないか。

2012/2/10 NYTimes「除染は1度では終わらないことが分かった。」松戸市公園緑地課の島村宏之課長1/15 NHK


Sarah Yamasaki Journal | 2013/01/20 http://enzai.9-11.jp/?p=13808


山崎淑子の「生き抜く」ジャーナル! http://enzai.9-11.jp/


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◆放射線量が上昇 公園を再除染


1月15日 17時19分

NHK NEWSWEB

 http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130115/k10014811671000.html


     「放射線量が上昇 公園を再除染」  NHK-2013/01/15


      放射性物質を取り除く除染を終えた千葉県松戸市の公園で、

      市が去年11月から改めて放射線量を測定した ...

      2度目の除染は、ほぼ終わったということですが、

      市は今後も値が上昇するおそれがあるとして測定を続けることにしています。


※ NHKはさっそく削除したようです。さすがNHK。


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Saturday, February 18, 2012

ニューヨークタイムズ: 訳の分からない放射能除染 (記事全訳)


日雇いの労働者は放棄された学校の窓を拭きながら、

彼の作業グループの行き当たりばったりの仕事振りにしょうがないとばかりに肩をすくめる。

「みんな素人だからね」、と彼は言う。「放射能をどうやってきれいにするか、誰も本当のところ知らないんだ。」


何の資格も技能も無い日雇いの労働者でも、一日に2万5千円稼げる除染は大きなビジネス、

とレポートしたのは、2012年2月10日付けのニューヨークタイムズ紙のタブチ・ヒロコ記者。


元記事: 

◆A Confused Nuclear Cleanup

By HIROKO TABUCHI

Published: February 10, 2012

The New York Times

http://www.nytimes.com/2012/02/11/business/global/after-fukushima-disaster-a-confused-effort-at-cleanup.html?pagewanted=1&_r=4&src=recg&


2012年2月10日ニューヨークタイムズ


訳の分からない放射能除染


タブチ・ヒロコ


飯舘村 - 福島第1原発から20マイル(約32キロ)のところにあるこの村に、

ハズマットスーツを着てマスクをつけた作業員500人が散開し除染を行う。彼らの困惑は明らかだ。


「5センチ掘るんですか、それとも10センチ?」現場監督はは同僚に聞きただし、取り除く予定の表土を指差す。

その後、村の広場の向こうにある公民館を指して、

「あれは取壊すんじゃなかったですか?除染するんですか、しないんですか?」


日雇いの労働者は放棄された学校の窓を拭きながら、

彼の作業グループの行き当たりばったりの仕事振りにしょうがないとばかりに肩をすくめる。

「みんな素人だからね」、と彼は言う。「放射能をどうやってきれいにするか、誰も本当のところ知らないんだ。」


確かに、誰も本当のところを知らないのかもしれない。しかしそれしきの事で挫ける日本政府ではなかった。

手始めとして、政府は130億ドル(1兆円)分の契約を発注し、

8000平方マイル(2万720平方キロ)を超す、

放射性降下物に最もさらされた地域 - 米国のニュージャージー州と同じ広さ - を再生しよう、というのだ。

最大の目標は、昨年3月の原発事故現場の近くに住んでいた8万人以上の住民が帰還できるようにすること。

その中には飯舘村の6500人の村民も入っている。


ただ、その除染方法が効果的であるかははっきり分かっていない。


除染プログラムを批判する人々にとって更に気がかりなのは、

政府が最初の契約を発注した先が大手ゼネコン3社であったことだ。

放射能除染の専門知識・経験が飛びぬけてあるわけでもないのに、

日本政府の原発推進で大いに利益を上げてきたのが大手ゼネコン会社、というわけだ。


市民の監視グループである原子力資料情報室によると、

このゼネコン3社で日本にある54の原発のうち45を建設している。

そのうちの1つ、福島第1原発では、原子炉建屋やそのほかの発電所は津波に耐えることが出来ず、

壊滅的な機能不全に陥った。 

【訳注:ニューヨークタイムズの記者は原子力発電所と原子炉を混同している模様。

54あるのは原発ではなく、原子炉。

ニューヨークタイムズには記載が間違っている旨メールしましたが、返事なし。】


3社のひとつが大成建設で、ジョイントベンチャーの元締めであり、

今飯舘村にハズマットスーツを着た作業員を送り込んでいる。

大成のジョイントベンチャーと他の2社、大林建設と鹿島建設が元締めのジョイントベンチャーの3つで、

最初の12の政府除染実験プロジェクト合計9千3百万ドル(約74億円)を受注した。


「詐欺ですよ」と言うのはサクライ・キヨシ氏。

原子力業界を批判する氏は、日本原子力研究開発機構の前身機関の研究者だった。

日本原子力研究開発機構は現段階での除染を総括している。「除染はビッグ・ビジネスになりつつあります。」


除染契約は原子力業界と政府の間に長い間存在してきたなれあいの関係を象徴するものだ、

とサクライ氏などは批判する。


「日本の原子力業界は失敗すればするほど金を多くもらえるように出来ている」、とサクライ氏は言う。


日本原子力研究開発機構は、ゼネコン大手が今後も大半のプロジェクトを受注するとは限らない、と言っている。

今後のプロジェクトの発注を行うのは環境省になる。

しかし、大手ゼネコン側は今後も元締めとして参画し続けるつもりであることをほのめかしている。


「実際に作業しながら経験を蓄積しているのです」、と言うのは、大成の広報のヒライ・フミヤス氏。

「試行錯誤のプロセスですが、私たちには除染の仕事をやっていくのに十分な能力があります。」


鹿島と大林は、現在進行中のプロジェクトについてはコメントできない、と言っている。


環境省のセイマル・カツマサ氏によると、大手ゼネコン各社は必要な作業員をあつめることが出来、

道路、山林の除染など大規模なプロジェクトをまとめる力があり、

除染作業員をきちんと被曝から守り、被曝を監視する能力が一番高い、という。


「原発推進だったかどうかではなく、除染に何が出来るかが重要なのです」、とセイマル氏は言う。


他のゼネコンも何とかして一枚加わろうと必死だ。1月の末、前田建設が環境省から除染契約を受注した。

前田建設の入札価格は予想されるコストの半分以下で、

明らかに損失覚悟で足がかりを掴もうとする手口に対して大成を含む他の入札者から苦情が出た。


【訳注: 楢葉町役場周辺の除染プロジェクトで前田建設の入札価格は大成、大林の10分の1。

コストの半分、という情報はどこから来たのか不明。前田建設の次に低い価格を提示したのは清水建設。

詳しくは朝日新聞1月22日付け記事ご参照。】


今月の初め、警戒区域のすぐ外側の南相馬市は、

大手ゼネコングループに発注する除染プロジェクトに400億円(5億2500万ドル)を計上すると発表した。

議論はさておいて、日本が重要な作業を行っていることには間違いない。

この作業は1986年ウクライナのチェルノブイリ原発事故の後に行われた部分的除染をはるかに超える予定だ。

チェルノブイリでは、原発から半径19マイル(約30キロ)の地域が事故後4半世紀が経った現在でも、

ほとんどが立ち入り禁止のままになっている。


しかし、どのような除染方法が日本で有効なのかについてはほとんど合意がない。

放射性物質は風や雨で簡単に移動し、

一度除染作業が終わってからも町を再汚染するかもしれない、と専門家は言う。


「除染の専門家はまだ存在しません。国が大手ゼネコンに大金を払わなければならない理由などないのです」、

と言うのはタオ・ヨウイチ教授、工学院大学の物理学の客員教授だ。

教授は飯舘村の村民が除染方法を自主テストするのを手伝っている。

彼はまた、エネルギー庁の除染プロジェクトの効果の有無を監視している。


主契約を受注するのは大手ゼネコンでも、実際の除染 - 単純だが手間のかかる、

ごしごしこすったり穴を掘ったりする作業 - は多くの下請けや孫請け会社が行い、

更にこれらの会社は、一番ひどい除染作業を行うのに訓練されていない日雇いの労働者に頼っている。


下の階層へ行くにつれて手数料がピンはねされ賃金が低くなっていく、というこの階層構造は、

日本の原子力業界、建設業界ではおなじみのパターンだ。


飯舘村のプロジェクトの作業員はほとんど地域外から来ている。

学校の窓を拭きながら自分で素人だと認めた作業員、シバタとだけ名乗る彼はもともと自動車工で、

160マイル(約257キロ)離れた千葉に住んでいるのだ、と言う。

「見入りがよくてさほど危険でない」仕事が福島である、というニュースに飛びついたと言う。


シバタさんは一日に4時間シフトを2つやっている、と言う。

寝泊りするのは近在[地元?]の温泉リゾートだ。シバタさんや同僚の作業員は賃金の話をするのを断ったが、

地元のニュースによると除染作業の賃金は一日2万5千円、およそ325ドルになる、という。


ペーパータオルで窓を拭きながら彼は言う。

「タオル一枚で拭くのは一度。さもないと、

放射性物質がただ広がるだけだからね。放射線が見えるわけじゃないけど。」


その通り。昨秋、飯舘村公民館の同様の除染プロジェクトは村によって行われたが、

放射線を安全なレベルまで下げることは出来なかった。


大成、ゼネコン各社によるパイロット事業は早くも思わぬ障害にぶつかっている。

日本政府は、汚染された庭や畑からそぎ取った大量の汚染土を

[地元で]保管しておくことへの住民の抵抗を予期できなかったのだ。


一方、政府・ゼネコンの除染プロジェクトを批判する人々は、

地元の会社や自治体の方が除染を安上がりに行うことが出来、地元の雇用創出にもなる、と言う。


飯舘村の住民の中には、大学の専門家の手を借りて自分たちで何とかしようとし始めている人々もいる。

彼らの実験によると、除染はまず飯舘村の面積の4分の3を占める山林から始めなければならない、とのことだ。


「うちを除染してもらっても、放射能はまた山から降ってくるからまた全部汚染される」、と言うのは、

農業を営む60歳のカンノ・ムネオさんだ。

他の飯舘村の住民と同じく、カンノさんも原発事故から1ヶ月以上村に留まっていた。

放射能雲が飯舘村に到達しているのを知らなかったのだ。


カンノさんは5月に村から避難したが、週末には帰村していろいろな除染方法を試している。

最近は物理学者のタオさんを伴って近くの山に行き、

枯葉を地面から取り除くことでどれだけ放射線が下がるかを実験している。


彼らの作業には公的資金は出ていない。すべて寄付と、村人たちの無償労働で支えられている。

つい最近でも、70歳の人々数人を含む10数人のボランティアが朝、

雪の積もった山林に入って枯葉を掻き出し、布の袋に詰めていた。普通の服にマスクをしただけの格好だった。


「この土地のことはゼネコンより私たちのほうがよほど良く知っている」、とカンノさんは言う。

「金は跡形も無くどこかに消えているんじゃないかと思うよ。」


飯舘村の土壌からは、ネプツニウム 、プルトニウム が検出されています。

飯舘村のジョロウグモは体内に放射性銀を濃縮していました。

去年の4月当初、IAEAは村の土壌からキロ当たり2千万ベクレルのヨウ素131を検出した、と発表しています。


飯舘村で4時間シフトを2回、合計8時間働くと、

記事に登場したシバタさんの被曝量は空間線量が平均で毎時5マイクロとして、一日で40マイクロ、

一週間(実働5日として)200マイクロ、1ヶ月で800マイクロ。アルファ線、

ベータ線核種からの被曝の可能性を考慮に入れると、実際はもっと高い被曝である可能性があります。


日雇い労働者に「さほど危険ではない」仕事、と嘘をついてまで、

飯舘村を始めとした計画避難区域、警戒区域の高汚染地域の「除染」をすることが、

そんなに必須のことなのでしょうか?それとも、労働者を「放射能スポンジ」

(Radiation sponge)として使っている、とでも言うのでしょうか?


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「東京の放射能汚染はチェルノブイリ時の1000倍だった」

  
     小出裕章 参議院 行政監視委員会 1/3

     http://www.youtube.com/watch?v=KyWqzeLChGM


     小出裕章 参議院 行政監視委員会 2/3

     http://www.youtube.com/watch?v=XFq-vx85Q7E


     小出裕章 参議院 行政監視委員会 3/3

     http://www.youtube.com/watch?v=baiMDcwnl7g


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震災がれき撤去でがん発症し死亡(アスベスト被害)/阪神・淡路復旧作業

http://blog.goo.ne.jp/wa8823/e/d8eb102dea66518325a272a772e34f50


放射能も怖いがアスベストも怖い震災がれき

ーー市民団体もマスコミにも盲点のアスベスト汚染ーー

http://homepage2.nifty.com/kasida/environment/frame-gareki-asb.htm


【震災】ガレキに含まれる「死の棘」 ~アスベスト禍と放射能禍~

http://blog.goo.ne.jp/humon007/e/8933b040fdffd5c52ea8a857462eaa0c


がれき特措法は「議員立法」の顔をした強権的な官僚立法

http://eritokyo.jp/independent/aoyama-democ0013...html


今、一度考える災害がれき広域処理(参議院議員会館) 青山貞一

http://www.youtube.com/watch?v=N9y5WBmSk9M


http://sokuteisitu.plumfield9905.jp/2012/06/19/%E9%9D%92%E5%B1%B1%E8%B2%9E%E4%B8%80%E3%81%95%E3%82%93%E3%80%8E%E7%93%A6%E7%A4%AB%E5%BA%83%E5%9F%9F%E5%87%A6%E7%90%86%E3%80%81%E7%A9%B6%E6%A5%B5%E3%81%AE%E8%AC%9B%E6%BC%94%E3%80%8F%EF%BC%81/


      ※ 青山貞一:環境行政改革フォーラム代表幹事

             元東京都市大学・大学院教授

              早稲田大学理工学部非常勤講師


             E-wave Tokyo

             http://eritokyo.jp/independent/today-column-ewave.htm






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雑 草


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わたしの行動様式は社会全体でみると少数派であるらしい。


何を大切におもうかも「特異」といわれることがある。他人様の人生ではない。当然、それでいいと思っている。

少数派であることに後ろめたさやためらいなどはない。


しかし、少数派であることを認識しておかないと時に面倒なこともおきる。


この季節、白い花をつけるドクダミは無粋な私でも " 風情 " を味わうことのできる植物だ。

なにより、一輪挿しに投げ入れるだけで " 絵 " になってくれるのがいい。

だれが入れても趣があるというのは、いわば、この花の優しさなのだろう。


今の地に転居する際、ドクダミの生えていた辺りの土を持ってきた。

が、このドクダミにたいする愛着をわかってくれる人は多くはない。


この住宅団地ができて15年ほどになろうか。

造成した土はあまり栄養成分の多くない砂のような土だ。当然、植物は育ちにくい。

肥料を施したり土を入れ替えればよいのだろうが、

生来のめんどくさがりの私はクローバーを植えることを思いついた。


生命力の強いクローバーの根に共生する根粒バクテリアの働きに期待してのことだ。

荒れ地に強いクローバーがあることによって小さな生物も集まってくる。自然界の力に期待した。


ドクダミとクローバー。

思えばそれらは園芸家や庭いじりの好きな人から見れば天敵のような存在である。

クローバーの種に数万円かけるなぞはよほどの酔狂にみえるだろう。


足が弱っていることもあって、一昨年は庭の手入れを業者に頼んだ。

ドクダミとクローバーを残し、半日ほどの作業だった。

それを知った友人が昨年、庭の手入れをかってでてくれた。


「じぶん こういうこと すきやし きにせんでいいよ」


友はありがたい。


友が帰ってから・・・・・・


「無理ないわなぁ 多くの人にとっては じゃまな草 やもんな」


ちょっときれいすぎる庭をしげしげと見つめていた。



何故かはわからないが、園芸の好きな人は目的以外の植物をことごとく抜き取ってしまう習性がある。

それが園芸といえばそうかもしれないが、そういう庭はあまり好きではない。


「雑草」を摘み取るのが仕事と考えているようだが、そもそも「雑草」とは何?

じゃまな草を「雑草」というようだが、私からいえば単に「関心がない草」というに過ぎない。

名前も知らない。自然界の中でのポジションなど考えたこともない。それで「雑草」と呼ぶことになる。


転居前の鶴来町の家では敢えて何もしないほったらかしの庭としていた。

当然、うっそうとしていた。


ある日、そんな庭にササユリがはえてきた。花屋で買うテッポウユリと違って愛らしい清楚な花だ。

近所の農家の奥さんが分けてほしいと何株か持っていった。

後日、「枯らしてしまった」というので聞いてみると、大事に育てようと思って周囲の雑草をとり、

根元まで陽があたるようにしたという。


農家の農法というのは自然界には通用しない特殊なものなのかもしれない。

自生してきた環境を壊せば枯れるのも自然の成り行きということだろう。


ほったらかしの庭は人間の身勝手さのない、実は豊かな環境だったのかもしれない。

虫はいる、ミミズはいる、トカゲはいる、ときどき蛇も見かけた。

小さな生物たちのオアシスのような場所だったようだ。


確かに園芸店には売っていないような草ばかりだが、

それぞれに生き生きと茂っているさまは何というか「まったり」とした空間だった。


「風の音、蟲の音など、いとあはれなり」


そんな風情は人工的な庭造りでは味わえないのではないだろうか。

効率を追い求める社会にあって自然との向かい合いかたまで大切なものを忘れてしまっているような

気がしてならない。


自然界の中でポジションをあたえられている草を、名前を知らない、関心がないというだけで、

バッサバッサと切り捨てるあり方はやがて人間関係に対してもそのようにおよぶだろう。

しかし、多様性のない社会は変化に弱く、移植に失敗したササユリの轍を踏むことになる。

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天動説の子


こどもサロンに来た子の中に天動説を唱える子がいた。


   「おひさまが ちきゅうの まわりを まわっとるんやね?」


   「どうして そうおもったん?」


   「まいにち みとったもん」


   「ひがしから あがってきて にしのほうへ おりていくの みとったもん」


   「おひさまが いくつも あるわけないし ぐるぐる まわっとるんやね」


凄い! 私などは幼いとき、おひさまは毎日ひとつ出てくると思っていた。


   「じゃあぁ うんと べんきょうして いつか おひさまの せんせいに なるといいね」



何をアホなこと・・・といわれるのが今の時代だろう。

しかし、私はこの豆天文学者にエールを送りたい。

非科学的とあざ笑う人は「科学」の何たるかを知っていない。


自分では何の検証もしないで他人の学説の受け売りで「地動説」をいっているに過ぎないではないか。

人々は本質的にはガリレオ以前と同じであることに気付いていない。

科学は現象の観察から始まる。夏休みの間、ずっと観察して結論を出した子のほうが「科学的」といえる。


思えば今の教育(学校教育も含めて)は子どもの素朴な疑問に答えるような教育、

疑問を育てる教育になっているのだろうか。


子どもの素朴な疑問は本質を突いた鋭いものが多い。

おとなは変にごまかすか、ただの受け売りを披露するに過ぎないのではないか。


NHKの「夏休みこども科学電話相談」はいつ聴いていてもドキッとする。

番組名を「夏休み大人こまらせ電話相談」と替えてもいい。


   うちわであおぐとなぜ風が起きるのですか? (これは実に高度、大人はギャフンだ)


   同じおかずを毎日食べれば飽きてくるのに、なぜご飯は飽きないのですか? (最高!)


   アメンボはなぜ水にうくのですか?(いいね)


   魚はなぜ赤ちゃんの時から泳げるのですか?(いい質問)


   あったかいものを食べると、あたたかい気持ちになるのは何故ですか?(えぇッ?)


するどい! 答える先生がたも大変だ。

昔子どもだった者にも解放して欲しいと思うのは私ひとりではないと思う。 

  
昔子どもだった者は電話して聞きたい。


   エネルギーって何ですか?


   
   空間って何ですか?

   
   時間って何ですか?

   
   そもそも物体とは何ですか?


   
   存在するとはどういうことですか?


   
   生命って何ですか?


   
   生きるってどういうことですか?(宗教的意味ではなく、物理学的意味で)


そんな疑問が私の中にいっぱいあって・・・


この私のさまざまの疑問を解いていくのはどうも「量子論」という学問にあるらしい。

このことがわかったのは最近のことだ。

青年老い易く学成り難しだ。すこ~し気付くのが遅い。だいぶ遅い。


  (ニュートン以来の近代科学の先にある量子物理学の世界で論ずるようなことに疑問を持ってしまった少年に

   解答を与えてくれる先生は少年の周りにはいなかった。)


時とともに疑問がなくなってしまう大人たちがいる。時とともに疑問がどんどん増える子がいる。

用意された解答では納得できない子がいる。素朴な疑問を抱き続ける子がいる。


素朴な疑問を受けとめるのは学校では無理なのだろうか? 先生がたでは無理なのだろうか?


そんな子どもたちは落ちこぼれと呼ばれるしかないとしたら、

社会は宝石の原石を磨かぬまま放置することになりはしないか。

学校が無理なら学校以外を用意する必要がある。


無論、私などはどう磨いてもただの石でしかないが・・・・








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こどもサロン


ドタ ドタ ドタ ドドドド・・・・ 


ピンポーン



     あのね あのね おねがいが あります


     わかったよ いま いくよ


玄関をあけると 6,7人のこどもたち。


     どうしたの


     あのね んとね ばんそうこう ください


     ばんそうこう?


     このこね けがしたん ばんそうこう ください


     けが? どのこや?


     このこ んとね くちのなか きったん


     どれ あああ ちょっと ちいでてるな


     くちのなか ばんそうこうは できんとおもうけど


     とにかく なかはいって せんめんじょで くち きれいにせな


     はい こっち こっち


     さあ みなも はいった はいった


     うわあ すっげい


     ひぃろい~


     みんな アイス たべるかな


     たべるうっ~


     たべる たべる


     たべるぅ~


     いくつ いるのかな


     え~と あれっ さっきのこは?


     このこや


     このこって おいおい くち きれいにしてきたか


     うん


     いたいの とれた?


     うん もう なおった


     ねえ おじちゃん かくれんぼしていい?



////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////


ピンポーン



     はあい なんですか


     おじちゃん いま なんじ



////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////


ピンポーン



     おじちゃん ちょっと みてください


     んっ? いま いくよ


     どうしたの


     こんなん ひらった


     あら スズメの こやね


     がっこうんとこに おちとった


     どうしたら いいですか


     たすかりますか


     しなないよね


     おじちゃん たすけてやってください


     ・・・・・・・・


     じゃぁあ おいしゃさんに きいてみようね


     その状況では難しいと思います


     わかってます ただ こどもたちの気持ちを考えると・・・


     たしかに・・・じゃあ もってきてください



////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////


「千客万来」の家はいつもこんな調子である。

名前をおぼえようとこころみても、そんな暇など彼らはあたえようとしない。

20畳ほどあるわが家のリビングはまさに前にある公園の延長と化している。


そんなわけだから何本もの空き瓶に小分けされた「あめちゃん」が

リビングのテーブルで "豆台風" をいつもまっている。


紙風船であそんだり、かくれんぼしたり、宿題をひろげたり・・・

わたしの心に準備がないまま学童保育の状況になる。


それにしても、ずっと気になっているのはこどもたちの表情だ。

時にうるさいほどはしゃぐ子らの横顔が一様にさびしげである。


「鍵っ子」が問題とされる時代があったが、何の解決もみないまま今日に至っている。

「鍵っ子」は死語にされてしまった。

わが家に集まってくるこどもたちはその「鍵っ子」たちである。


情操教育がいわれる一方で、

まだまだカンガルーポケットで育てられるべき年頃の子らがこの状況でいいのだろうか、と思ってしまう。


「おかあさんがいなくて 家にはいれない」といって、

いまにも泣き出しそうに女の子がやってきたときは胸に詰まるものがあった。


わたしの母は家で和裁教室を開き、わたしたち姉弟を育ててくれた。

けっして豊かではなかったが、いまにして思えば家に母がいたということは大変めぐまれていた。


社会全体の労働環境や所得水準の問題もあろう。

男女共同参画、雇用の機会均等ということもある。


男女間の理不尽な不平等については母の苦労をみてきただけにわたし自身がまっ先に声をあげたいことだ。

それはそうなのだが、さまざまなことを考えるときにこどもたちの気持ちを念頭においてほしい。

こどもたちは声をあげるすべを知らないのだから。


子のいないわたしの言うことである。甘い理想をいってられない現実から乖離していることも承知している。


それでも言いたい。

     「暮らしってなに」

     「家族ってなに」

その原点を考えつづけないと社会は変わっていかない。

日本という社会はけっして豊かではない。


夢のなかで、こどもたちはわたしにナイフを突きたてることで "SOS" を発信していた。

わたしにはその "SOS" を伝える責任がある。


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(夢)



深い山ではなかったが 母と二人 道に迷った


     さとし 先に行って道さがしておいで

     なに だらなこというとるがいね こんなとこに置いて行けるかいね


なにげなく3,4メートル下の崖下をみると誰かいるようだ

目に入ったのはうつ伏せになった 女というにはあまりにもあどけない女児だった  

しかも何も身につけていない


他にも何人かいる 男の子もいる そして誰もがまったくの無表情で横たわっている

まるで夢の島※に棄てられているマネキン人形だ


     あの子ら こんなとこで何しとるんやろ

     ちょっと あの子ら なんか普通じゃないわ


普通じゃないのはわかる こんな山のなかで何するでもなく横になっているんだから・・・


母の言う「普通じゃない」は「精神を病んでいる」ということらしい

確かに同年代の騒がしいくらいのはしゃぎぶりもなければ

大宇宙のエネルギーを凝縮したような輝きも感じられない


心を病んだ子らがなんでこんなとこに・・・・ ふと そのうちの一人の男の子と目が合った


と 突然その子が大声をあげた


     あいつら また僕らのおもちゃを棄てにきたんだ


そうか この子ら遊んでるときに大人に玩具をとりあげられたんだ  そして山奥に棄てられた 

それを悲しみ怒っているんだ


そればかりか 心の病んだこの子ら自身も社会から放り出され  ゴミのように棄てられている


状況は呑み込めた  が  いま自分は何をしたらいいのだ  何が自分にできるのだ・・・


次の瞬間 私たちのいる所まで梯子がかけられた

動揺する私を見透かしたようにこどもたちが迫る


声を上げた子が先頭にいる それぞれ手にはナイフが握られている

侵入者に対する攻撃 大人たちへの復讐だ


恐ろしいと言うより こどもたちが可哀想だった

私はこの子らに何を言えばいいのだ 何をいってやればいいのだ・・

どうしたらこの子らを助けられるのだ


何も答えられないでいる私の身体にナイフが次々と突き立てられていく


しかし 表情のまったくなかったこどもたちが私にナイフを突き立てる瞬間だけは

とても悲しそうなこどもの顔だったのは何だったのだろう


気がつくと私は自室のベッドに起き上がっていた


何もできなかった 語りかけてやれなかった・・・自分の無力を恥じた


山の中でこどもたちに出逢ったのは夢には違いない

しかし こどもたちに何も語りかけてやれないでいた自分は現実だ


60年以上も生きてきて 日頃はもっともらしいことを話していても

こどもたちに刺されるまま立ち尽くすしかなかった


まだまだ道は遠い




        ※夢の島


          戦前、東京湾に飛行場建設として埋め立てられたのが始まり。

          資材不足で工事は中止されたが、

          戦後、東京都は当地をごみ処分場として埋め立てを再開、

          埋め立て終了後は東京都立夢の島公園が開園。

          
          スポーツ施設が建設されるなど緑の島となっている。

          ごみの島という雰囲気はない。








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怪 談


夏になると毎年決まったように「怪談」が巷の話題になる。

お盆というのがキーワードになっていると思うが、とにかく日本人は怖い話が好きだ。

こういう殺伐とした社会にあっては人間味のある「怖い話」を大切にしたいものだ。


「怖い話」を好む背景に「生命への畏敬の念」が込められていることを思えば、

なくなるような社会であって欲しくない。


また、中村希明氏が言うように「怪談」を分析することによって人間心理の奧が見えるとあれば、

粗略に扱っていいものではないだろう。


すべての学問はそれが量子力学であれ、分子生物学であれ、

けっして人間を離れて存在するというものであってはならない。


素粒子理論で宇宙を解明しようとする試みも、行きつくところ、

「いのちって何?」「わたしって何?」に答えを出すプロセスでしかない。


宇宙の全容・いのちの本質も理解できぬひよっこ学者が振り回す科学とやらは地球を壊すばかりでなく、

我々自身をも無機質なものにしている。


「怪談」、この最も生々しい人間学を通し、

我々の精神に潜む諸問題を顕在化させる試みがなされて欲しいものだ。 

ドキドキ楽しみながら・・・・




以下は私の実体験。


今は武蔵小杉に住む姪が大学2年目を迎える春のこと。

現地の知人に頼んで前年に決めた下宿先をかわりたいという。


聞いてみると、下宿のおばあちゃんが怪しい人だという。

姪が部屋にいると、耳元で「ゆうこさん」とささやくので振り返るといつ入ってきたのか

おばあちゃんが立っているという。


昼はおばあちゃん独りなのでお茶に付き合っていると霊が見えるのか


「ほら、そこに座っている兵隊さんはね・・・」と食堂のテーブルを指さして話すという。


「まるでホラー映画みたいなんよ」


姪でなくともこういう下宿は遠慮したい。


私も相談に乗り、後日、ちゃんとしたアパートを見つけ引っ越しが決まった。

自然な流れで私も引っ越しを手伝い、その夜は新横浜に宿をとった。


折から受験シーズンでホテルは満室。姉と姪は7F、私は8Fと分かれた。


「かき入れ時になるとこんな部屋まで使うのか」それが第一印象だった。

私の部屋は結婚式場の前室と間違えそうな位置にあった。


鍵を開け、部屋へ・・・・・。

「違う!」と思った。奧まで見なかったが、あきらかに誰かいる。そんな気配だ。

ひとがいる空気というのは何となくわかるものだ。


そおっと中まで入ってみた。誰もいない。バスルームも開けてみた。ここにも誰もいない。

「気のせいか」と思ったとき、カーテンが閉まっているのが目に入った。普通は開いているものだ。


「誰かいますか」「開けますよ」恐る恐る開けた。やはり、誰もいない。 

が・・・足元を見てさすがに普通ではないと感じた。長い髪の毛が2本、バスの中に落ちている。


「ちょっと ちょっと ちょっと・・・こりゃいったい・・・えっぇ、まいったなあ」

「もしかして、いわくのある部屋ってこと?」


しかし、引っ越しの作業をしたあとだ。シャワーをしたい。

ま、いいか。そのままシャワーで汗を流す。さすがにカーテン開けっ放しで・・


あとはキリンのロング缶を2本飲んでベッドへ入った。大きな窓には満天の星が輝いている。

昼の疲れもあり眠りに入るまでに時間はかからなかった。


どれくらい経った頃だろう。私は自分の身の上にとんでもない事態が起きていることに気付いた。

誰かがうつ伏せに寝ている私の両足首をつかんでいる。冷たい細い指だ。あきらかに女の手だ。


後年「剱さん、本当にひとりだったん?」と皆にからかわれるが、

部屋には間違いなく私しかいなかった。・・・(はずだ)


振り返る勇気はなかった。その後にどんな場面が展開するかと思うと、振り返られるものではない。

しかし、夢ではない。星空はしっかり見えるし、夜中とはいえ都会の動きがはっきりと見てとれる。


女は覆い被さってくる様子はない。足首をつかみ、強く引っ張っている。

何処へ引っ張っていくのか。私は必死でこらえ、朝になるのを待った。恐怖で声も上げられない。


朝日が昇り、遠くの景色がはっきり見える頃になって初めて振り返ってみた。

女は消えていた。20年以上前の怖い体験である。




ここからは種明かし。


私の話は嘘ではない。しかし、考えてみれば論理的に説明のつくことだ。

するどい人ならすでに気付いていよう。


   そもそも横浜行きは「怪しいおばあちゃん」という話から始まっている。

   このことが私の潜在意識にあって、その後の判断を狂わせている。


   
   灯りを落とし、しまっている結婚式場・・・異様な静けさ、

   客室には不向きと思われる場所等が「怪談」の舞台として認識されていた。


   
   かき入れ時のホテルではルームサービスも人手不足。

   チェックインの直前まで作業がかかったのだろう。


   カーテンを開け忘れ、髪のことまで気が回らなかったとも思える。

   人間は動くと静電気を発する。気配というのはそれだ。残留していた静電気に対して敏感な私が反応した。

   
   日頃、足を使わない者が一日中歩いたのだ。足首に変調をきたすのは至極当然なこと。

   ビールを飲んだことで体温変化が激しかったこともある。

   女の手というのは、さまざまなことを総合して私の潜在意識が作り上げた幻覚に過ぎない。

   男ではなく、何故、女だったのか。確かにそれは問題として残る。"願望"が働いたと考えればいいのだろう。




   心理学の中村希明氏はいう。


   「幻覚は、欲求のうちでもっとも切実なものから現れる」


   「われわれは幻覚というマジックミラーをとおして、その人の心の奥底をのぞき見ることができる」と。


   これは私にとって別の意味で問題ではあるが・・・




「怪談」を論理的に考えれば、つまるところ、このようなものであると言うことだ。

心理学の中村希明氏の著作「怪談の科学」には、似たような話がいろいろ書かれている。

参考にされたい。 








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夜はほの暗く


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わが家にはどの部屋も天井面に直接付けるタイプの照明がない。


リビングにはソファーの横にスタンドがあって、

あとは吹き抜けの天井に写真スタジオのようなスポットライトが11個並んでいるだけだ。


これは日頃滅多に点けない。6年前、たくさんの花が届けられた日に点灯したくらいだ。


だから夜は暗い。

部屋に明るい部分と陰の部分ができている。

そうであっても新聞はちゃんと読める。


食卓にはペンダントライトがひとつ。

寝室はダウンライト、ブラケットライト、ベッドの枕元に小さなスタンドがある。

書斎はブラケットライトとアーム式の蛍光灯スタンドが2個。 

 
と、全室こんな具合だから全体として、夜は暗い。


家づくりにあたって考えた。

ひとは何故、灯りを点けるのか。そもそもひとにとって「夜」とは何なのか。


むずかしく考えず、日常を振り返ってみた。


ひとは朝日を見れば一日の生活の始まりを感じ、気持ちも高揚する。

逆に夕陽の中にあっては安らぎや落ち着きに浸れる。

昼間に活動し、夜は眠るわけだから当然といえば当然だ。


天体の動きと連動して生活のリズムが決まってくるわけであって、

偉そうなことをいっても原野に生きる獣たちと基本的には何も変わらない。

小さなアクシデントや、ちょっとしたハプニングに出会いながらも、

地上の生き物はみなリズミカルに生きている。


であれば、われわれ人間が夜に活動するということは極めて異常なことに違いない。

本来のリズムにさからっているということになる。

考えてみれば人間の他に、灯りを点ける生き物などいない。


体内時計というものがある。

時計遺伝子とかホルモンの働きとか、結構むずかしいのだが、

ここでは「規則正しいリズムを作る体の働き」としておく。


ほ乳類はこの体内時計によって昼夜の暮らしをリズミカルに営んでいるわけで、

この体内時計の働きが乱れてくると


   がんにかかりやすくなる。


   うつ や 記憶力の低下 や 高齢者の「認知症」の危険。


   高血圧や心臓病、糖尿病などの危険性が高まる。


などがいわれている。


天体の動きと連動している体のリズムを乱すということは大変怖いことなのだ。

気合いで何とかできるというものではない。


体内時計を活性化させるためには、昼夜にメリハリをつけることが非常に大切だ。

夜も昼のようにというのでは時計のリズムも狂ってきてしまう。


にもかかわらず、ひとは照明といえば、明るくすることしか考えようとしない。

夜を明るくすることこそが文明だと勘違いしているひとが多すぎる。

より明るく・・・というのは生産現場の考え方であって、

寛ぎや安らぎを求める場には決してふさわしいとはいえない。


家庭内の照明は間接照明であったり、やや低めの位置に取り付けるとか、

圧迫感のない工夫が必要だ。

頭の上から照らされていては安らぎ感は得られない。

色も暖色。夕陽に近い色がいい。陰を作るということも寛ぎのためには必要だ。


我が家を新築する際の「明かりのプラン」は「昼は明るく、夜はほの暗く」ということにした。

体内時計の活性化を図り、病気を近づけないことが最大のねらいだった。


思えば、社会は昼夜を問わず動いている感がある。

TVも店舗も工場も・・・・


しかし、そこに働いているのが人間だということを忘れてはいないか。

体内時計が狂ったままではひとはもたないのだ。


生き生きとした暮らしがないまま、少子化問題を論じてもどうにもなるまい。

こういう暮らしがあたりまえだと思わされている。

昼も夜もない暮らしはまるで養鶏場のニワトリのようだ。

人間とニワトリだけが胃潰瘍になるという。


資本家だけが潤うような生き方を強要されていては人間もやがてフライドチキンにされてしまう。

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七 夕

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     おい ししょうの たばこいれ どないしたんや

     あぁ ししょうの たばこいれ やったら あれ しちに いれました

     なんやて いま なんていうた

     しちに いれたぁ?

     そやさかいね しちに はいってますねん

     おまえなぁ じぶんの したこと わかってんのかい

     なんちゅうこと してくれるんや ほんまに

     前代未聞やで・・・・・あああ

     ししょう そんなわけですわ わたしの めくばりが たりませんでした すんません

     まあまあまあ・・・ おおきいこえ だしても しゃあないやろ

     ほんでも なあぁ こづかい ほしかったら ゆうてくれたら よかったな

     ほんで おまえ どこの しちに いれたんや

     ええ あっちのへやの しちです

     あっちの へや?

     ええ いま とってきます

     んっ? どういうこっちゃ・・・

     おい ついてって みぃ

     ししょう わかりましたわ

     なんや

     しち ちがいます たな ですわ

     たな?

     たな のこと しちて ゆうんですやろ

     ????

     ほやけど たなばた のこと しちゆう と書くんとちがいます?


上方の、ある噺家一門であった小咄のような本当の話。





べつに批判するつもりではないけど、あらゆる行事がメディアから始まっているように思えてならない。

ほんとうなら家庭からでてくるものではないかと思うのだが・・・

恵方巻き  ひなまつり  端午の節句  七夕  お盆  ハロウィン  クリスマス  バレンタインデー

何の興味もないようなことでもメディアが煽るものだから、

いっしょに浮かれてないと・・・という気持ちになってはいないだろうか。

メディアということは商売ということであって何やかやいいながら、

われわれ市民は消費を煽られているだけのことのように見えるわけで・・・

そして、自分が生きていく上で何が最も大切なのか考えるゆとりもないまま、

また一年を過ごすことになってはいないだろうか。

7月10日、観音菩薩を本尊とする寺では四万六千日の縁日である。

この日に参拝すると四万六千日分参拝したことと同じ功徳があるとされている。

浅草の浅草寺にほおずき市がたつ日だ。

しかし、これはスーパーのポイント5倍セールと同じものでしかない。

ブッダの教えにそのようなものなどなく、

暑さで参拝客の足が遠のくのを案じた寺側が考えた集客作戦に過ぎない。

土用丑の日は鰻を食べる日だとか。さかなやはかき入れ時だ。

これもおかしな話で、何の根拠もないことに日本中が踊らされている。

食通は天然物なら冬が旬というが、養殖鰻に旬などないわけで、

この時期の鰻が格別味が良いというのは、暗示にかけられた結果だ。

いわばプラセボ効果のようなことで、食欲がでればそれもいいという程度の話だ。

       ※

       プラセボ効果(プラシーボ効果)とは、偽薬を処方しても、

       薬だと信じ込む事によって何らかの改善がみられる事を言う。

       暗示効果。






自分は浄土真宗というひとが、クリスマスをしても「花祭り」は知らないという。

阿弥陀経って何が書いてあるか知らんという。

こういう文化、こういう暮らしって違うんじゃないかな。

浄土真宗であれ、カトリックであれ、無宗教であれ、自分のよってたつところを大切にしてほしいと思う。

ただただ時流に流され、体制が描いた幻想のなかに身をおいてもゆたかな気持ちにはなれるはずもない。

商業主義ではない、暮らしの中にある文化をこそ大切にしていかないと、

日々の暮らしはただめまぐるしいだけだ。

息の詰まるような暮らしの中にあって、古代のひとびとが星空をとおしてどんな日々をねがい、

何を夢みていたのか、夏の宵に思いを馳せるのもよい。

きれいな星空であってほしいものだが、雨になったときはこんな歌があったことを想い出すといい。

雨の夜もまたいいものだと思える歌だ。

     この夕降りくる雨は彦星の早漕ぐ舟の櫂の散りかも

    [読み]

     このゆうべ、ふりくる雨は、ひこほしの、はやこぐふねの、かいのちりかも

    [意味]

     この夕べに降る雨は、彦星が急いでこいでいる舟のかいのしずくなのかも。

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苦悩など何処にも無い








      仏教は苦悩から逃れる道を説く教えではない。


      もともと苦悩など何処にも無いと説く教えだ。












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日々の言葉で




        日々の言葉で


        暮らしの言葉で


        自身の言葉で語れ










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水のごとくに____山田無文

Mumon_6


        水のごとく よどみなく

        さらさらと 流れたい。

        どんな良いことがあっても、

        どんな悪いことがあっても、

        うしろをふり向かずに、

        前へ前へ、

        さらさらと流れたい。

        左右の岸にどんな美しい花が

        咲いておっても、

        どんなに楽しく小鳥が

        鳴いておっても、

        その美しさをほめながら、

        その楽しさをよろこびながら、

        足ぶみせずに流れよう。

        流れる水は凍らぬとか。

        流れる水は腐らぬとか。

        それが生きておると

        いうことであろう。

        田畑をうるおし、

        草木を養い、

        魚を育てながら、

        決して高きを望まず、

        低い方へ低い方へ、

        水の流れる如く、

        わたくしも流れたい。



                                      


                                         無文


奇妙きてれつ___厚生労働省と薬品販売業者の言い分


厚労省は市販薬に関して薬局などでの対面販売を原則とする立場をとってきた。

副作用のある薬品のことである。消費者の安全は護られなければならない。

厚労省、薬剤師会の意見は正論だ。




このほどインターネットを使った市販薬の販売が最高裁の判決で事実上解禁された。

しかし、薬剤師会や薬品販売業者は批判的だ。


  「ネット販売を認めて得られるのは、現状では利便性だけ。

   医薬品の安全性を担保したことにはならない」


としている。


早速、自民議員連盟では、改めて規制をかけるため、

通常国会で必要な法律の改正を目指す動きを見せている。

曰く「国民の健康が脅かされかねない」だそうだ。


しかし、議員達が関心があるのは本当に「国民の健康」なのだろうか。

業界団体からの陳情書と献金リストしか見ていないのではないか。


薬局やドラッグストアに行ったこともない大先生達がどんな法案をつくるというのか。


現実の販売形態はおよそ「薬局」とはほど遠い。

トイレットペーパーを買う感覚で風邪薬を買うことが出来るではないか。

薬剤師から症状について尋ねられることもないし、無論、副作用の解説もない。

そもそも店頭に薬剤師がいないことさえある。


幾種類も並んでいる薬の中から買うことになるのだが、消費者には選択基準がわからない。

安全を担保する情報は店頭にはない。


そんなときこそ薬剤師に相談ということなのだろうが、実際そんな光景を目にしたことはない。

消費者は「よさそう」と思えるものを黙ってレジに持って行くだけだ。

レジ係が薬剤師かはわからぬが、「ありがとうございます」のひと言だけで売ってくれる。


安全を担保するというのであれば薬はカウンターの内側に置いて、

消費者が自由に手に取ることがないようにすべきではないのか。


CMや価格、その他のサービスで選択させている現状は消費者の健康を担保するという

趣意からは遠いものだ。


厚労省は現状を知りつつ、「対面販売」という正論だけをお題目のように述べているに過ぎない。


原則である対面販売の趣意を無視しているのは薬品販売業者自身であろう。

単に新規参入を妨害、抵抗しているに過ぎない。

献金付きの陳情書をどれだけ書こうとも社会の変化について行けなければ淘汰されていくのは

市場経済の常だ。


議員の大先生達も現状を見ずして法案をまとめようとすれば見識を疑われよう。


工夫次第ではネット販売の方が厚労省、薬剤師会のいう「対面販売」を実現できる。

消費者の同意があれば既往症、体質についてもデータ化できる。

何より顧客の住所、氏名が把握できている点は「安全の確保」という意味で

店頭販売よりも優れている。


ネット窓口に医師や薬剤師を常駐させ、

購入の際、問診や副作用についての理解がなければ販売しないということであれば現状の店頭販売に勝る。

安全を担保できないという販売業者は反対の論拠を失うことになろう。


安全性の担保をいうのであれば先ず現状をあらためなければならない。

政治家頼みで時代を乗り切れないのはコダックの衰退を見てもわかるはずだ。

薬局は社会の変化に対応した将来像を自ら描かなければならない。




私の甥は何を買うのでも店頭で現物を確認するタイプだ。

そこへいくと姪と私はネット派である。

甥は自分の目で確認しないと納得できないというが、

店頭で確認できることといったら案外少ないものだ。時間も限られている。


ネットでは取扱説明書も熟読できるし、原材料や材質の確認も出来る。

業者によっては仕上げ塗料の安全性についても解説している。

情報量が断然違う。消費者にとっては選択肢が増えるということだ。


善し悪しは別にして社会はインターネットの時代である。

無視したり、規制という名の妨害をしてもほんの一時しかもたない。

改革が遅れれば気付いたときはすべてを失っていよう。




「既成政党」か「規制政党」か「寄生政党」か知らぬが、

既得権益を護ることにきゅうきゅうとしていたのでは不正選挙でもやらない限り

政党の将来もないということを知らなければならない。




閉鎖社会でしか生き残れない経済環境は改められるべきだ。








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オリンピックはスポーツか


1964年の東京オリンピック。

柔道の無差別級決勝戦で日本期待の神永昭夫が敗れた。

オランダのアントン・ヘーシンクが神永を袈裟固めで下して金メダルを獲得した。


柔道が正式競技として初めて採用された地元開催のオリンピックである。

最も重要視されていた無差別級で外国人が日本代表を下して優勝を果たした事は、

自他共に柔道を「お家芸」と認める日本に大きな衝撃が走った。


スポーツにおいては体格、体力、技術に勝る者が勝利するという、きわめて当然の帰結であったが、

この敗北はスポーツ界にとどまらず、

日本社会の底流にあった「精神論至上主義」を意気消沈させるに十分だった。


合理性、論理的な思考が大切といいながら、

日本人の中には「歯を食いしばり頑張れば何とかなる」という思いがあった。

しかし、ヘーシンクは「何とかならない」現実をまざまざと見せつけた。


高校2年の私にとって目から鱗が落ちた瞬間だった。



先年、オリンピックに出場する若者の服装の乱れが話題になった。

いつの時代でも型にはまらぬのが若者の特権である。

若者には若者なりのTPOがあるわけで、

それが旧来のスタイルにそぐわないからと言って非難されることはない。

誰しもそんな道を歩んできた覚えはあろう。


話題の若者には " おしゃれのTPO ”という認識が無かったようで、それが非難の的となった。


しかし非難の論調に、この社会のおかしな空気を感じたのは私だけだったろうか。

地元ラジオ局のパーソナリティーは


「税金をつかって派遣する選手がなんたるざまか 日本の恥さらしだ」


と発言した。

日本中のメディアはだいたい似たような言い方だった。


服装ばかりではない、成績についても同じような言葉がメディアにあふれていた。(それは今も続いているが・・)

「なんたる成績か これでは税金をつかう意味がない 派遣は再検討すべきだ」等々。



そもそも、オリンピックとは何なのか。

社会は税金をつかって何を期待しているのか。


いつの大会でもメディアの話題はメダルの数である。

競技内容には関心は薄く、ただメダルを獲得しさえすれば満足しているようだ。

資源の少ない国ゆえ、

いよいよオリンピック選手団にまで金、銀、銅の獲得を期待するようになったということか。



近年、メディアから外国人選手の名前が消えたという印象を持つのは私だけだろうか。

以前は驚異的なスピードや超人的な演技に目が向けられ、国籍を問わず話題になった。

タレントが「コマネチ!」というギャグでテレビを沸かせていたこともあった。

アベべやチャスラフスカは日本でもヒーロー、ヒロインだった。


しかし、今や連呼されるのは日本人の名前ばかりである。

社会の変化がそうさせているのだろう。政治とは無関係でない。


体制側はあきらかに国家主義へと誘導している。

日の丸の下に一致結束する空気を巧みに演出している。


こういうことに敏感でなければ人はおかしな方向に流されていることに気付けない。



無論、競技そのものはスポーツである。参加する個人にとっては。

またそうであるべきだ。


しかし、為政者にとってオリンピックは「プロパガンダ」や「目くらまし」の道具でしかない。

国威発揚のためであり、日の丸の下に愛国心を鼓舞させ、

さらに応援のために国が一丸となることを呼びかける。


いや、一丸となる空気を作り出すためにこそオリンピックのような国際大会を利用する。

為政者はそのために多額の血税をつぎ込む。


さらに開催国ともなればビジネスチャンスもあるわけで、首長達が競って誘致に血道を上げるのもそこにある。

スポーツ振興とはまったく別次元の動機でオリンピックは利用されている。



国が一丸となって・・・


時にこの言葉は美しい響きをもって人々を動かす。

3.11の直後、「おなじ にっぽんじん として いたみを わかちあおう」

と言って地元の催し物を中止した人々の如何に多かったことか。


救援活動でもないこうした的外れな行動は国家主義からくるものであり、

社会がいとも簡単に国家総動員体制になだれ込む予兆と捉えるべきだ。


震災の後、集められた東日本大震災復興構想会議のメンバーにメディア関係者が2名入っていた。

権力をチェックするべきメディアが権力の中に入ったのでは、チェック機能は働かない。

翼賛体制はすでに始まっている。


為政者は一丸となった国民をどこへ導こうとしているのか。

人々は戦前の国のあり方を検証もしないまま、「いつか来た道」を歩み始めている。



「風評被害のフクシマを助けよう」「フクシマを応援しよう」

大手デパートのお歳暮、お中元セールにはフクシマ産の食品が並ぶ。

国が一丸となってフクシマを助けようとメディアも叫んでいる。


しかし、国が一丸となることを呼びかけられるとき、いつの時代も市民は犠牲者になることを強要される。

汚染の実態は隠され、便宜的に政治家が勝手に設定した数値を信じ込まされる。

医師達は5年ほど経過した頃放射能による病状が顕在化するだろうと言っている。

核兵器開発プロジェクトを中止させないため、政府は必死になって情報を隠し、

原発廃棄の道を妨害しようとしている。


「原発が止まっている現状では国を挙げて節電に取り組もう」


政府のよびかけは一見筋は通っている。

が、これは裏を返せば原発推進のキャッチコピーでしかない。


  「電気が不足すると困りますよね」


  「計画停電はやっぱり嫌でしょ」


原子力マフィアの広報が耳元でささやく。


国が一丸になるよう呼びかけられるとき真実の情報が市民の元に届くことはない。

そして大本営発表の行動基準に沿って暮らすことが日本のためになるのだと信じ込まされる。



イベントは「目くらまし」にされている。

所詮は他人事でしかないオリンピックに人は何故のめり込むのか。

日本の若者が良い成績をあげようとも庶民の日々の暮らしには何の変化も起きはしない。


うさ晴らしを用意されて騙されてはならない。

問題は根本から解決しなければならない。



海外資本に差し出すための増税、TPP、オスプレイ、悪徳電力会社支援問題、原発再稼働など問題山積だ。

市民の暮らしに直結する課題から目をそらしてはならない。


為政者は情報を隠し、国民の関心を外に向けさせるために画策する。

イベントであったり、事件を起こしたり、偽旗作戦で敵を作り上げることさえある。

オリンピックはプロパガンダ以外のなにものでもない。



競技そのものはスポーツである。参加する個人にとっては。

またそうであるべきだ。


しかし、東京オリンピック・マラソンで銅メダルを手にし、

さらにメキシコ大会での活躍を期待されていた円谷幸吉は東京オリンピックから4年後、


「幸吉はもうすっかり疲れ切ってしまって走れません」


との遺書を残し自殺した。


円谷の自殺は、「人間性を無視した期待」、「国民的期待感の重圧に耐えかねて」、「五輪至上主義への警鐘」

という論調でマスコミによって伝えられた。

「円谷は日本人の愛国心に殺されたのです」あるスポーツ評論家が述べていた。


なんとも傷ましいことである。

メダル、メダルとはしゃいでいる場合ではない。

「税金をつかっているのだから・・・・」などと発言する馬鹿パーソナリティー達は

円谷幸吉を知っているのだろうか。


競技そのものはスポーツである。参加する個人にとっては。

またそうであるべきだ。


以来、私はオリンピックの報道を無視している。テレビ観戦も一切しない。したくもない。



                ※ 円谷幸吉 1940年生まれ  

                   陸上競技(長距離走・マラソン)選手、陸上自衛官。









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広域がれき処理


業界の利権が第一の金権腐敗政治の典型です。

言葉をかえれば「火事場泥棒」というべきものです。


各地が受け入れるべきは福島から移住を望む被災者であって「がれき」ではないと考えます。


青天井の公金投入で運送費を無駄に使い、

CO2を発生させて「がれき」を遠隔地まで運ぶ必然性があるとは思えません。


被災地の雇用問題を考える上でも「がれき」処理は現地にまかせるべきです。

被災地にお金を落とすことを考えなくてはならないときに、広域処理・復興促進の名を借りて

被災地から仕事を奪うことになります。


戸羽太・陸前高田市長、伊達勝身・岩泉町長、両氏の発言を紹介します。


   「現行の処理場のキャパシティーを考えれば、全ての瓦礫が片付くまでに3年は掛かる。

    そこで陸前高田市内に瓦礫処理専門のプラントを作れば、

    自分達の判断で今の何倍ものスピードで処理が出来る。

    国と県に相談したら、門前払いで断られました」


   「現場からは納得出来ない事が多々有る。

    山にしておいて10年、20年掛けて片付けた方が地元に金が落ち、雇用も発生する。

    元々、使ってない土地が一杯あり、処理されなくても困らないのに、

    税金を青天井に使って全国に運び出す必要がどこに有るのか」


報道は静岡県島田市長の桜井勝郎氏が「がれき」の受け入れを表明したことを美談として紹介していました。

被災地が処理に困っているがれきの受け入れを表明した「ヒーロー」として桜井市長を大きく取り上げました。

美談??? 


         桜井勝郎

         2001年の市長初当選直前まで、産廃事業者である桜井資源株式会社社長を務めており、

         現在は親族が経営している。


メディアでは「絆」という言葉が踊っています。

芸能人、知識人総動員で「絆」の宣伝に明け暮れています。

私も頭から否定するものではありません。  


が、こういう状況は社会にとって最も危険な時期であることを知っておいてほしいと

昨年発信したことがありました。


「絆」を国民に強要するとき、社会は大政翼賛的になり、素朴な疑問が抹殺されていくのです。

金権腐敗構造を隠されてしまうのです。横暴を許し、異を唱えることが難しくなる空気を作るのです。


福島復興や風評被害から1次産業をまもろうと呼びかけられる社会では

放射能汚染食品を摂取することを強要されても、誰も異議を唱えません。


そうすることが良識ある人間の義務とさえ信じて行動します。


が、よく考えてください。そして日本以外からの情報に接してください。

日本のメディアや政府は明らかに事故を過小評価しています。いや、国民を騙しています。


原発事故は収束どころか、誰も炉心の状況さえわからないというのが現状です。

放射性物質も依然として出続けています。


福島の1次産業をまもるために米の作付けがいわれています。信じられません。

私の理解ではすでに日本から福島は無くなっているはずです。

多くの科学者も住んではならない地域と発言しているのはご承知と思います。


ウォールストリートジャーナルのアメリカ人記者たちが福島に人が暮らしている状況を

驚きをもって伝えていました。


日本政府はすべてを隠し、危険な地域に人々を住まわせるつもりのようです。

こんな事が許されてよいはずはありません。


汚染された「がれき」は福島に限ったことではありません。

安全なものだけをお願いするなどと言っていますが、政府など信用できるわけがありません。

各地に汚染された「がれき」が拡散されるのは容易に想像がつきます。


私の甥は焼却プラントの設計監理技術者として全国を飛び回っていますが、

彼は化学の専門家ではあるけど、核についての知識は無いはずです。


そんなプラントで「がれき」の処理ができるとはとても思えません。

政府がやろうとしていることは危険の拡散であり無謀です。


いま政府がやるべき事は危険な地域から人々を避難させることであり、

4号機の使用済み核燃料プール対策のはずです。対策はあまりに遅すぎます。


建屋が崩壊し、燃料が露出すれば300キロ圏外へ避難しなければならないと言われています。

300キロ圏内が立ち入り禁止になることは、

やがて福島第1、第2、女川、東海、柏崎の暴走へとつながっていくことを意味します。

無人となり、メンテナンスができなければ暴走するということです。


日本の破滅にとどまらず、地球上の生命すべてが絶滅することになります。


日本に54基の原発があるという認識は正しいとは言えません。超巨大な原発があると認識すべきです。

愚かな人々は事故が連鎖的に起きることなど想定しなかったのです。


その、あまりにも過密に建ててしまったツケが今まわってきたということです。


先年、2012年人類絶滅説というのがありました。無論、論理的に根拠のある話ではありません。

そのはずでした。


が、そうもいっていられない現実が迫っていることは夢でもドラマでもない現実です。

つい先日も地震がありました。祈るような気持ちで見ていましたが、今回は無事だったようです。


2011年の地震のときでさえ、帰宅困難者が出た東京です。

全員避難ということになったときどういう事になるのか、恐ろしくて考えることも出来ません。

それでも我が家が東京からの疎開の人々であふれることは覚悟しています。


誰かの歌ではありませんが、 「・・・冗談だよと 笑って欲しい・・・」  そんな気持ちです。


それにしても、危機に際してのトップの判断がいかに大切なものであることか。

クリントン国務長官の支援申し入れは実に早かったのに、政府は断ったのです。

冷却剤の提供や技術者の派遣を言ってきたのに政府はメンツにこだわり断っています。


福島原発の設計はGE社です。核関連の技術者も大勢います。何よりスリーマイル島事故の経験があります。

東電など所詮は運転手に過ぎません。


技術レベルが子ども同然の東電や素人集団の保安院をあてにした総理の判断ミスが

事態を深刻なものにしてしまったと言うべきです。


何より国内問題という認識でしかなかったことはおおいに批判されるべきです。

地球規模の事態という認識がなかったのは残念なことです。


自衛隊の逐次投入、避難地域設定の不手際等やることなすことトップの資質のなさを露呈しました。

おかげで被曝しなくてよい大勢の人々を被曝させてしまいました。


反原発の総理というイメージで語る人もいますが、反原発を言うのは当たり前の事で、

彼の評価にはなりません。


後世の歴史家は初期の対応が出来なかった首相と語るでしょう。

その時まで地球がもてばですが・・・・・








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辛夷塢(しんいう)


               辛夷塢       

            

          木末芙蓉花
 
 
        

          山中発紅華 
        

          澗戸寂無人 
       

          紛粉開且落         
              


                                                                           王維


------------------------------------------------------------------------------------------


王 維(おうい)      699?-761

                  中国,盛唐の高級官僚で、詩人。字は摩詰。太原(山西省)の人。


辛夷(しんい)        日本では「こぶし」をいうが、中国では「もくれん」のこと。


塢(う)             中国語の原義は小さい土手、堤の意。


芙蓉(ふよう)       「はす」の別名。


寂(じゃく・せき)      まったく音がしないさま。静まりかえっているさま。


紛粉(ふんぷん)             盛んな様子。


木のこずえに咲いている「はす」ということで、「もくれん」を表現している。(文学的表現です)

「辛夷塢」とは「もくれんの堤」という意味。


澗戸(かんこ)      谷川のほとりの家

                   吉川幸次郎氏は「谷のとぼそ」と言い換えている


枢(とぼそ)                 1 開き口を回転させるため、戸口の上下の框(かまち)に設けた穴。

                    2 戸。扉。


                  転じて  粗末な家


[書き下し文]     


木のこずえなる  芙蓉(ふよう)の花

山中に紅(あか)き華(はな)を開く

谷の戸ぼそには  寂(せき)として人なく

紛粉(ふんぷん)として開き  かつ落(お)つ


[意訳]


やまあいの川のほとり もくれんの紅い花がひらいた

あたりの家には人影ひとつ無く 静まりかえっている

紅い大きな花びらが咲いては散り 咲いては散り するだけである




人間というのは ともすると 世間の自分への評価が気になり

その世間に迎合しようとして 自分を見失いがちになる


他人(ひと)が見ていようと 見ていまいと

おおらかに おのが生をまっとうしている やまあいのもくれんは

王維の心に強く響いたことだろう








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おまかせ


梅雨入り前の或る日の午後のこと。


「#$%&$#$%?%$$% !!・・・」


日頃は穏やかなドクターの声が医院中に響きわたった。

受付の若い女性たちも不安げだ。

開業初日からのお付き合いだからこの秋で11年になるがこんなことは初めてだ。


やがて診察室から70代前半の男性が出てきた。

あ、このかたは・・・一見して病んでいることがわかるかただった。

目はくぼみ、肌は泥で作った人形のようだ。

医院を異様な空気にしたことを悪びれる風もなく、呑んだくれがするようにブツブツとこぼしている。


状況は一瞬にして呑み込めた。

このかたは自分の病状と向きあい切れていないのだ。

希望を見失い、どう対応していいのかわからなくなっている。


しかし、荒れて不摂生をしていてはさらに自分を追い込むだけだろうに。

希望を失い、酒に溺れているのは永年いろんな人間を見てきただけにすぐにそれとわかる。

彼には声をかける家族やよき隣人の気配も感じられない。

ひとりでいることがさらに不安を増長させているのだろう。


診察室に入ると先生はいつになくさびしげだった。


  「先ほどは失礼しました」


  「重篤な患者さんのようですね」


  「治そうとしてくれないんですよ 不摂生が過ぎます しかも 僕に薬の処方まで指示するんですよ」


医師であるからそれ以上の具体的な話はされなかった。

開業第1号のクランケということもあってか、診察時間中の先生の "息抜き" にお付き合いすることがよくある。

診察とは別にしばし医療一般の話題で盛り上がることがある。

ストレスのたまる仕事であってみればよく理解できる。


「剱さんのいうように 医師はランナーの伴走者でしかないんですけどね」


医師は無力だ。病に対しても、クランケに対しても。

自然の摂理に従うようガイドしていくしかできない。


あのかたも医院を訪れるということはこころの底では治したいと思っているはず。

その素直な気持ちに沿ってくれればよいのだが・・・ 。 


「医師が病を治すわけではなく、自分が治していくしかない」


それをわかってくれればと切に願う。




おもえば、多くのひとは専門家にまかせすぎる。


お盆の墓地を訪れて見ると、ほとんどの墓石は業者おすすめの様式で作られていることに気付く。

建立した年月日、建立したひとの名前を刻んである。


何のための日付なのだろう。

誰に対して自分を主張しなければならないのだろう。私には意味がわからない。

建立したひとは意味がわかっているのだろうか。

思いを込めてそうしたのだろうか。

ビルによくある定礎板と勘違いしてはいないか。


私などは日付を入れなかった。

日付を入れれば、入れた瞬間から過去のものになってしまう。

手入れを欠かさなければ石は簡単には劣化しない。

日付を入れなければ常に "新品" であり、"現在" である。


数多の先祖があり、そして私が今ここにいる。

墓を新しくするのは、たまたまそういう役割を担っただけのことであって、「私の力」ではない。

名を刻んで「私」を主張するなどおこがましくて出来るはずもない。


自分の人生ぐらい自分でデザインすれば?・・・と思う。

墓も家づくりも冠婚葬祭も・・すべてに対して。

何で他人まかせにするかなぁ。もったいないだろう。

せっかくの機会を、せっかくの楽しみを何で業者まかせにするかなぁ。




我が家を訪ねた、ある新興宗教の人たちの言葉。


   「素敵なお宅ですねぇ」


   「こういう発想は出来ませんでした」


   「私などは周囲と同じでないと落ち着かない気持ちが根っこにあるんでしょうね」


周囲と同じでないと落ち着かない? 

それを超えることが宗教の本質だろうに。

やはり、この人たちもさかなの絵は左向きに描いた。


ひとの価値観、尺度を離れないと生涯自分の生き方はできないことを説いた。

自分の家は自分でデザインすべきであることをその人達に説いた。


建て主は映画作りでいえばプロデューサーである。資金も握っている。

プロデューサーがすべて他人様まかせで どんな作品を作ろうというのだ。

脚本づくり、撮影、演出はそれぞれに委ねても、

そもそも何を作りたいかがしっかりしていないでどうする。

すべて業者におまかせでは "あなた" がここにいる意味とは何なのですか、と説いた。


晴れ晴れとした表情で帰って行かれた。(なんか立場が逆転している)




病は医師に丸投げ。

墓は石屋に丸投げ。

家はハウスメーカー、工務店に丸投げ。

冠婚葬祭も業者に丸投げ。

そしてお願い事は神だのみ・・・。


なんか違っていないか。


それにそんな人間につごうのよい神さまは何処にもいない。

「はくしょん大魔王」や「ドラえもん」のような神さまなど何処にもいない。








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感じませんか

Tom Jones が歌った「Green Green Grass of Home」と

森山良子が歌った「思い出のグリーン・グラス 」は同じものである。

原曲は死刑囚を歌っているのに、日本で発売されるときは何故か、若い女性が故郷を懐かしむ歌にされている。


「釜山港へ帰れ」は韓国で作られた歌だ。

内容は釜山港から日本に行ってしまって帰ってこない在日同胞を歌っている。

しかし、日本で発売されるときは、男と女を歌ったものに作り変えられている。


最初、北原ミレイが歌った「漁歌」も、北島三郎が発売するときには歌詞のニュアンスが

がらりと変わってしまった。

もともとの詩は薩摩弁(?)で、漁師の男臭さがただよう味のある曲だった。


しかし、どこから横やりが入ったのか、作詞者は詩をマイナーチェンジしている。

「目黒の秋刀魚」で脂ののったサンマを塩焼きではなく、吸い物にしてしまったような、

味も素っ気もない何ともおかしな歌詞になってしまった。そして今、北原ミレイ版は消えた。


また「朝日のあたる家」を歌っていた名歌手 "ちあきなおみ" も消えた。

「朝日のあたる家」といってもハウスメーカーのコマーシャルソングではない。

アメリカに古くから歌われている、売春宿に働く女たちの歌だ。

浅川マキが日本語の詩を書いているが、これは原曲の意味を反映した詩になっている。


何か感じないだろうか。何処かおかしくないだろうか。

メッセージソングを歌う歌手が消され、歌によっては原曲の良さが消されている。


曲には手をつけてない。要するに、詩が問題であると認識する人がいると言うことだ。

メッセージがあっては困ると言うことだ。何処かから強い圧力がかかるのだろう。


「そのままじゃ発売させないぞ」と。日本はそんな社会なのだ。まさに言論封殺である。


「プロテストソング」や「メッセージソング」を封じ込め「マイノリティグループ」を

排除する空気を感じるのは私だけだろうか。


街からホームレスの人々を追い払う、あの感性と同じものを感じるのは私だけだろうか。

主義主張をもたない、体制に従うお利口さんでなければ生きていけない空気を感じてならない。

美しく、そしてもの静かに生きることを強要されているように思えてならない。


以前、「イムジン河」が発売中止になったことがあった。

圧力ではなく自粛だとされているが、

表現者にとっては検閲に引っ掛かったようなもので、発禁処分を受けた思いであったろう。


この曲はもともと北朝鮮では有名な曲で、

主人公は臨津江を渡って南に飛んでいく鳥を見ながら、臨津江の流れに対し、

なぜ南の故郷へ帰れないのかを嘆き、

荒れ果てた「南」の地へ花の咲く「北」の様子を伝えてほしいと思いを託す内容である。

国交の無い国の歌はよろしくないとの圧力があったことは容易に想像がつく。


しかし、歌はこころの叫びだ。ひとりひとりの人生そのものだ。

誰かを冒涜したり、傷つけるものでなければ誰に遠慮する必要があろう。

権力におもねり、体制におもねっていて自由な社会、民主主義国家といえるのだろうか。


表現者が体制に迎合するとき、社会は危なっかしい方向へ突き進む。

フォークソング歌手といわれた人が元歌の精神を殺すことにアーチストとしての葛藤はなかったのだろうか。

アーチストの誇りに傷がつくとは考えなかったのだろうか。


周囲からの強い要請を感じながら、自分の主張を押し殺して生きるようではこの社会はまだまだ未成熟だ。

人権後進国でしかない。





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脱原発で日本再生

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