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いま「脱原発」のうねりを作らねばこの地球は持ちません




いま「脱原発」のうねりを作らねばこの地球は持ちません。




自分の背中に火がついているというのに



    ○○さんの世話にはならぬ



    ○○さんにだけは助けて欲しくない



    ○○さんちの水だけはかけないで欲しい



    ○○さんに借りを作りたくない



と、言いつづけるひとびとがいます。



しかし、自分の正当性、潔癖を誇示することには成功しても

その命が絶えてしまえば元も子も無いではありませんか。




こんなひとびとでは百年経っても社会を変えることなどできはしません。

ニホンの社会はいま絶望的な状況です。

「もどき」ばかりが大手を振って歩いていて、

まともな政治家は絶滅危惧種状態にあります。




原発問題を過小評価している複数の政党は優先順位を間違えてしまいました。



     あいつらと組むくらいなら「脱原発」がならず、

     再稼働されることがあってもやむを得ない。



彼らはそう判断したのです。


そのほうが執行部は安泰とふんだのです。


福島のひとびとの悲しみ、苦しみより、そして第二、第三の福島が起きることより

自分たちの正当性を主張することの方に関心があったのです。



彼らにとっての原発問題は存外に小さなものでしかなかったのでしょう。


「もともと自民シンパなのさ」と言うひとさえいます。


再稼働容認派を勝たせるような選挙をしておきながら

ヌケヌケと「脱原発派」「市民派」を謳っているのですから

市民もずいぶんと馬鹿にされたものです。





      1995年、阪神淡路大地震で神戸の街は壊滅状態でした。

      水道も止まり、ひとびとは飲み水の無い日々を幾日も過ごしました。

      見かねて自分のところにある井戸を提供する人も現れました。



      愛する家族が水を欲しがっているとき、あなたは提供してくれる人を選り好みするでしょうか。

      主義主張が違う人の世話にはならぬ、と言うのでしょうか。

      立場の違いを言うでしょうか。

      「愛する家族に水を」あなたはそのことだけを考えて行動するのではありませんか。

      私はそうして欲しいと思います。




      それがあの指定暴力団「山口組」の井戸であっても・・・・




それとも  敵の敵もやはり敵  ですか?




いま「脱原発」のうねりを作らねばこの地球は持ちません。








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民を恐れよ 「もどき」は駆逐される



    「脱原発」のうねりをつくることだけが課題ではない

    きっかけは厳選されなければならない

    無論 人を選ぶことも

    「脱原発」の中身は精査されなければならない

    裏に隠れている化け物の正体を見極めなければならない

    安易に呉越同舟に応じてはならない



確かに正論にも聞こえる

しかしこれは脱原発阻止の任務を内に隠した輩が口に出す「正論もどき」である

「正論」と「正論もどき」はどこで判別するか


真に市民の切なる声に応えるものであるか否かである

切なる願いの方に踏み出しているかどうかである

市民は「脱原発」を切望しているのだ


先頭に立つ者が真に市民の味方なのか我々は検証しなければならない


変わらない結論に確信のある者には見せかけの政治パフォーマンスなど造作もないことだ


市民の側に立ち市民の声を代弁し声高に体制批判を繰り返そうとも

決して敵の息の根を止めようとしない者はいないか


必ず体制が温存される結論へと市民を誘導している者はいないか


力及ばずといって支持者の前に頭を垂れて更なる支援を呼びかけてはいても

内心描いた結論どおりにほくそ笑んでいる者はいないか


騙されてはならない 

これらは市民の中に入り込んだ「草」だ

巧みに市民を誘導はするが詰まるところ体制温存派である


いま「脱原発」のうねりを起こさねば原発推進はますます加速される

機を逃せば「脱原発」はならない

「草」はそうはさせじと味方を装い 体制が温存できる方へと市民を誘導する


活断層再調査の呼びかけもこの手の誘導に他ならない

中にはそれとは知らず反原発運動だと信じて行動したかたがたも大勢いる


原発ありきでなければそのような調査など端から無用ではないか

原発推進にお墨付きを与えるための一大キャンペーンでなければ多額の費用を割いて

調査するなどいらぬことだ


敵味方を峻別出来る目を養え


60年安保の時代はすでに遠く ニホンの市民運動 政治活動も焼きがまわってきたと言うことか



東北で被災されているかたがた 故郷を奪われ流浪するしかないかたがたがいる

汚染された農産物 海産物をそれと知りながら売らねばならぬかたがたがいる


どんなことをしようとも同じ苦しみ 悲しみを蔓延させてはならない

「原発」は人類を破滅に導く犯罪だ

「脱原発」はひとびとの悲願だ


正論を唱えるが結果として原発推進を許してしまう一派と

脱原発利権に群がろうとする守銭奴のような連中とがあれば

私は迷うことなく守銭奴に与する

「無心」に「脱原発」をのみ追い求める

「脱原発」はひとびとの悲願だ


原発推進を止める好機を逃してはならない







私のメールに対し大勢の議員のかたがたから反応があった

メールを送り始めて初めてのことである

普段は開封確認もないかたがたからも熱いメッセージが続々届いている

まったく想定していなかったかたもおられただただ恐縮している

それでよく一緒にやっておられることだと思ったり

報道による人物像とのギャップを埋めるのに正直言って戸惑ってもいる


ガラガラポンは既に始まっている

春を待たずして政界の「底雪崩」が起き始めている


あなたは隣にいる仲間の本音をどこまで理解できていますか?



        ※ 草(くさ):目的遂行のために素性を隠して潜入先の地に一般住人として溶け込み生活する者

                工作員 忍者







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どっちやねん


昨日の敵は今日の友・昨日の友は今日の仇


合従連衡も日常茶飯事の政界でのこと、今更驚きもしない。

が、今回の民主党の節操の無さにはただただ驚くばかりだ。

あきれてものが言えない。


周囲の状況の変化に機敏に反応したということなのだろうが、これはヒドイ!! 酷すぎる。


いったい舛添氏のどこが不足で推薦を取りやめたのか何の説明もない。

そして細川氏を支援する根拠も果たしてあるのやらまったくもってわからない。

情報によれば舛添氏推薦以前は細川氏の名前も挙がっていたとか・・・・

何が何だか・・・頭が混乱するばかりだ。


この政党は何を目指しているのか私などにはどうにも理解できない。

一体、誰を「敵」と認識しているのか。


理由もなしに「敵」をコロコロ変えられたんじゃ、危なくって近づけぬが道理だろう。


信念のある敵は味方にできるが、うさんくさい奴はどこまでいっても味方にはできない。




     嘘をつく味方より、約束をまもる敵を信ぜよ




我が家の家訓である。




それにしてもニホンの政党の情報収集能力はあまりに脆弱ではないか。

細川・小泉陣営が突然出現したかのような狼狽ぶりでは政党への信頼も失墜しよう。


徳州会疑獄が偶然か仕掛けられたものかはともかく、

昨年秋、小泉氏が記者会見まで行なって「脱原発」を訴えた時点で、何か仕掛けてくる、失礼、

動きがあるだろうぐらいは予測できたではないか。


常在戦場である。


アンテナの感度が鈍っていては政権をとってもろくな政もできんだろう。

ま、その政権がとれないか。




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一回勝負の選挙は民意を反映するのか



メディア以外は都知事選で大盛り上がりです。

市民の熱気をよそにメディアは何故かとても静かです。

もちろん市民はその理由をよおく知っています。


ネットを見ても、私の周りでも様々な意見が飛び交うています。

学問のない私にはみなさんの言うてること、みな正論に聞こえます。


が、惜しいなあ思うのは coordinator の姿が見えんのですわ。

それぞれの思いを形にしていかんと世の中そう簡単には変えられません。


「調整」なんてけしからん、って気持ちもわかります。

密室で「談合的調整」やられたら、世間のもんはアホ見るだけです。


それでも「小異を残して大同につく」ことがなければ世の中少しも変えられません。

「小異を捨てて大同につく」の方がよく言われてる言葉ですけど、

何も捨てる必要もないし、捨てられるもんでもありません。


大事なことは、場面場面で「最優先課題は何か」の共通の思いをもてるかどうかやと思います。

そのために骨を折ってくれるひとが必要です。

お一人お一人がその役を担ってくれることを望みます。


つまるところ、民主政治って「調整」にあるんやろうなあ、と思うことです。

主張を押し通して行くというなら、行き着くところはファシズム社会ですからね。


本来は「政党」がそれをやるんでしょうけど、ニホンの政党は・・・ま、ご覧の通りですわ。


ニホンには予備選挙という考えもありませんし、

1位2位で決選投票するということもありません。


しかし、こんな一回勝負の選挙は民意を反映するんでしょうか。


こんなことを言うと「そんな経費のかかること」とあちこちから反論されそうです。

が、民意を正しく反映しない選挙の方が「無駄遣い」やと私などは思うのです。


政党は必ず抵抗します。「金がかかる」とわけのわからんこと建前にして。。

民意を正しく反映してこそ民主主義社会と言えるんで、

そのコスト惜しんでどうします!!


抵抗する本音、それは馬脚が現れるからです。主張のごまかしが見えてくるからです。

言い放しの方が簡単ですし、純血主義を装えますから・・・・


民主主義が定着しているとは言えないのも存外そんなところにあるように感じますが・・・・


決選投票に向けての多数派工作に応じない政党であれば

あんまり市民の明日に責任もってるとは言えませんわなあ。


1位2位で決選投票するということがあればみなさまが抱いている

「苛立ち」や「葛藤」もいくらか軽減されるようにも思いますが・・・








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地球人は食糧危機を乗り越えられるか




2002年10月、拉致被害者5人が帰国した。

羽田に降り立ち、にこやかに手を振る彼らだったが報道される映像からでさえ朝鮮の

厳しい食料事情をうかがい知ることができたのは私一人ではなかったはずだ。


軍事優先で食料生産がないがしろにされていることは様々な報道で知ってはいた。

政治の有り様でひとの暮らしがこうまで違うことになるのか、

カメラの先にいるひとびとが同じ時代の人とはにわかに信じられない思いだった。


核開発に血道を上げ、ミサイル開発で世界を恐喝する外交姿勢は各国から非難が集中している。

最近も " キューバ危機 " を思わすような危険な揺さぶり外交を展開した。


朝鮮戦争の後始末ができていないことを差し引いても彼らの政治に同調できるものは何もない。

民の暮らしを犠牲にした政治は抜本的に是正されなくてはならない。


さらに言えば、特定の人間を神格化し民を黙らせる政治手法は前近代的な王政国家であり、

民主主義が世界の共通認識になった今、その存在を国際化社会で誇示することはできまい。




アジアにもう1カ国似たような国があるのを知っているだろうか。


国土面積もわずかで資源も乏しい。

やはり核開発、ミサイル開発には熱心で周辺各国からは警戒の目を向けられている。


社会の格差は大きく、貧困層は万引きするか餓死するかというひどい社会状況である。

やはりこの国も神格化された人物を元首にすることに強いこだわりを持つ非民主国家である。


表現の自由もなく国家警察は常に市民を監視している。

政敵は捏造された罪で監獄に送られるか、メディア総動員で社会から排除される。

近年、暗殺されたと噂される政治家も一人や二人ではない。


この国の食料自給率もきわめて低く、朝鮮のことをとやかく言える状況にない。

食料生産を無視して、工業製品で外貨獲得をのみ目論む有り様は朝鮮の姉妹国家を思わせる。


政の第一は民のいのちと暮らしを守ることにある。太古の昔よりこれは変わらない。

水と食料の確保ができずして政は成り立ち得ない。

水と食料のあるところにのみ文明が花開いたのではなかったか。


40パーセント以下の食料自給率では社会は飢えるしかない。

貿易で諸外国から食料が届くのもいつまで続くことやら・・・・


いのちを犠牲にして暮らしを守る、原発立地自治体のような愚か者は世界にはそうはいない。

その恐ろしさをイメージできなければ食糧危機に備える準備もできまい。


急速に顕在化している温暖化に対してその国の政府も政治家も関心を示そうとはしない。


世界の食糧である栽培植物の多くは社会の要請や地域の事情に合わせて品種改良が進んだ結果、

異常気象にはめっぽう弱い。 適応力を失った、ある意味、異常作物なのだ。

しかも驚くことに米も麦もトウモロコシも品種的にはきわめて少なく、ひとつこけたら

皆こける状態なのだという。 これは恐怖である。


植物全体で見れば温暖化だからといって絶滅することはないだろうと言われている。

しかし、今日の我々は栽培植物を食料にしていることを忘れてはならない。


食糧危機は既に始まっている。世界では食料の奪い合いが既に始まっている。

そんなことを知って知らずか、やれ憲法だ国防軍だと騒いでいるのだから能天気もいいとこである。

民に水、食料を提供できずして政たり得ようか。朝鮮の姿そのままではないか。


自前で食料を確保できないことは国際的な犯罪である。世界の情勢が見えていないのか。


食糧問題を訴えるひとなどどこにもいない。 大丈夫か?地球人。

またもや想定外と言うつもりか。 植物学を勉強せえ !!




     ※ ニホンの食糧自給率は、カロリーベース総合食料自給率で39%(2010年度)、

       生産額ベース総合食料自給率では69%となっている。



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         米がらと            ※ 2011年8月記




もう稲刈りの季節になった。


この頃になると稲作地帯に生まれた "特権" のようなものを感じる。

あの、稲を刈り取ったばかりの独特の田んぼの香りはアスファルト社会では味わえまい。

新しい稲わらの香りは "収穫" の香りだ。


私の中学時代、季節になると "稲刈り休暇" なるものがあった。

農家の生徒が対象だが、数日間、稲刈り作業を手伝うため欠席することが公認されていた。

コンバインなどない時代であり、家族総出の作業となるからだ。


学習時間を考えれば今の時代は良い時代に違いない。

が、 "家族" や "働く意味" を思うとき、

経済の高度成長にあわせて私たちが大切なものを失っていったことが、

実はコンバイン出現から始まっていたのかも知れない、とも思う。


「米がらと」、私たちの地方では「米びつ」のことをこういう。

幼い頃、お米屋さんから届けられた米を「米がらと」に移しておくように言いつけられた。

年少であろうと家事を分担することが当然の時代だった。


そろばん教室から帰ると「米がらと」の中へそろばんを突っ込んで玉の動きを良くすることも教えられた。


私たちの頃はそんなことはなかったが、6歳上の姉の修学旅行は「米持参」だった。

食べ盛りの中学生のことなど配給制度の中では考えておられないということなのだろう。


記憶はさだかではないが、実際に食べる分よりはるかに多く持っていったように思う。

戦時中とは違い、配給制度の中にあっても "やみ米" と呼ばれる自主流通米も米屋にはあった時代だ。


近年、米事情は大きく変わった。

安い外国産が市場を占有している。家電製品や車を売るために農業が見捨てられた結果だ。

米あまりがいわれるようになって久しい。


が、これも食糧自給率の低さを考えるとき、たんに農業政策の欠如を示しているに過ぎない。


農協は巻き返しを図るため、より高く売れる "おいしい米" 作りに重きを置いている。

アメリカや中国の富裕層向きに輸出することで存在感を示そうとしている。

その努力を否定するものではないが、大事な視点が欠落しているようにも思う。


気候の変動である。

近年の異常気象は看過できないものがある。年ごとに猛暑日が増加してきている。


私などは温暖化の原因については懐疑的で、

原発の3分の2のエネルギーを使って地球を温め続けていることと無関係ではないと思う。


へそ曲がりの人間は、多くの人のいう二酸化炭素増加説は操作された情報ではないかと思っている。

無論、根拠のないことではある。

が、それほどに情報開示がなされていないということだ。


私たちは学校時代、米作地帯といえば新潟を筆頭に日本海側の降雪地帯と習ってきた。

そして北海道はといえばジャガイモの産地、酪農地帯と習ってきた。


しかし、全国最大の耕地面積を誇る北海道はいま米の生産量も全国1,2を争う主産地となっている。

品種改良ということもあろうが、気候の変動も大きく影響していることだろう。


昨年、石川県の加賀市沖で南方系のカニ "トゲミズヒキガニ" が採取された。

日本海側ではこれまで鳥取県でしか見つかっていない。温暖化は間違いなく進行している。


いま "おいしい米" 作りでいいのだろうか。

気候変動に対してこの国の農業は対応できるのだろうか。

"おいしい" 以前に生産量が確保されなければならないのではないか。その上での味だろう。


農産物の産地も大きく変わってきている。やがてシベリアが米作地帯になるのではないかとさえ思う。


市場価値は米よりハイブリッドカーやナノテクノロジーの方があるのだろう。(あくまで金額的なものだが)


しかし、それらは所詮作り出された経済スタイルの一面に過ぎない。

工業技術はあるが食べ物はない。これがこの国の実態だ。


気候変動で食料価格が暴騰する状況下で、食べるものを食べないでもハイブリッドカーを

買ってくれる人がいてくれることを夢みているのだろうか。

日本の政治はあまりにバランスを欠いていないか。


気候変動、エネルギーや水資源の枯渇に耐える食料政策になっているだろうか。


避難完了の確認もせず、ベントを行なった政府を見るとき、いのちを大切にする政治とはとても思えない。


"食" の問題はいのちの問題だ。農業をはじめとする食料に対する無策は社会の存立を危うくする。

いのちを支える食糧政策がないがしろにされる政など後世の歴史の評価に耐えるはずもない。


世界では食料の奪い合いが既に始まっている。知らないのではない。知ろうとしていないだけだ。

現在、世界ではおよそ7人に1人、計9億2,500万人が飢餓に苦しんでいる。

地域で見た内訳は以下の通り。 ※WFP(国連食糧支援機関)の資料による。


アジア・太平洋地域           5億7,800万人

サハラ砂漠以南のアフリカ      2億3,900万人

中南米                        5,300万人

中東・北アフリカ                   3,700万人


飢餓に苦しむ人のおよそ75%は、途上国の農村部に住む貧しい農民だ。

残りの25%は途上国の大都市周辺の貧しい地域に住む人たちだ。

世界で都市部に住む人が増加しているのに伴い、都市部の飢餓人口が増えている。


世界の飢餓状況は深刻だ。そんな中で私たちは自分たちの食料さえ確保しようとしていない。

これは国際的犯罪ではないか。


「米がらと」にいつも米がある暮らしはすべての人が享受できねばならない。

「米がらと」から米が消えることがあってはならない。


政がなければ収穫のお祭りもなくなってしまう。




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加賀市沖で南方系のカニ トゲミズヒキガニ 

   
2011年8月12日 中日新聞


海水温上昇、冬生き延びる?


 日本の太平洋岸や熱帯の海に生息し、日本海側ではこれまで鳥取県でしか見つかっていなかった

 「トゲミズヒキガニ」が、石川県加賀市の沖合約10キロで漁船の網にかかった。


 調査した日本海甲殻類研究会の本尾洋会長は、地球温暖化などの影響で日本海の水温が上がり、

 寒さに弱いカニが冬を生き延びたとみている。 



 
 カニは10日、水深約100メートルの海底で同市の漁業大井輝夫さん(65)の刺し網にかかった。

 甲羅の長さは1.1センチ、幅1センチ弱。足を広げると8センチほどになる。

 甲羅の形やとげなどの特徴から、本尾会長はトゲミズヒキガニと断定した。


 このカニは細長い足が紅白のしま模様で、水引のように見えるのが名の由来。


 日本の相模湾から南、東南アジアからアフリカにかけた温暖な海に分布するが、

 日本海ではこれまで、鳥取県で10数年前に1匹が見つかっただけだった。


 卵からかえったカニの幼生は水中を漂いながら成長。海流に乗って長距離を移動できるため、

 トゲミズヒキガニのような南方種の幼生が石川県沖にたどりつくこともある。


 普通は冬の寒さで死ぬが、この冬の海水温は平年より1~2度高く、生き延びたらしい。

 加賀市沖では、昨年6~7月にも南方種のヒラアシクモガニが3匹捕獲された。


 本尾会長は「海水温上昇により、海の底に南方のカニが次々と侵入しているようだ。

 今後も調査を続けて分析したい」と話している。



 魚津水族館(富山県魚津市)によると、2009~2011年春に富山湾の魚津沖や入善沖などで、

 南方系のキビレカワハギやゴイシウマヅラハギ、コンゴウフグ、イトヒラアジ、

 キスジタマガシラを確認した記録があり、ほとんどが初記録の個体という。


 同水族館の伊串祐紀学芸員は「毎年、持ち込まれるケースがいくつかある」と話し、

 いずれも対馬暖流で流されてきたと推測。

 ただ、暖流に乗ってくるため、北の海ではやがて死滅するとみられている。



          ※[トゲミズヒキガニ]



           眼上棘が斜め上に突き出している。

           第4歩脚は小さなはさみ状になっており、物をつかんで体を隠す習性がある。

           岩礁底の水深30m~300mくらいに生息する。

           相模湾以南、フィリピン近海にかけて分布する。成体は甲長2cm程度。








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論理的に考える力が低下している世代__異変を見逃す若者




自分の身体の異常に気づけないのはどこに原因があるのか。


論理的に考える力が低下している世代は未来を開拓できるのだろうか。



遊びに来ていた中のおひとりが息子さんの奇妙な一夜について語り出した。


会社の業績もよく、帰宅はいつも深夜になるという。その晩も12時近かったとか。

帰宅後の第一声が「おかあさん、動物園からなんか逃げたがか?」「んっ? なんで? どうしたん?」


話の内容はこうだ。いつものように田舎道を走っていると突然に大きな何かが直前を横切ったという。

猫では?との問いにも、もっと大きい、動物園にいるチーターに見えたという。

急ブレーキで衝突は避けたようだが、猛獣なら大変なことだということらしい。


そんなニュースはなかったし、疲れていたから猫がそんなふうに見えたんやろ・・・といって

食事を摂らせ、自分は先に休んだという。


明け方、母親がトイレに起きるとふだんは使わない部屋で息子さんが寝ていたという。

さては部屋のエアコンでも調子が悪かったのか、母親はそう思ったという。


起きてきた息子さんが言うには、部屋に何か得体の知れないものがいて、テレビを観ていたら突然に

部屋の中を飛び回ったという。黒い大きな影で、とても虫とは思えず、

飛び方もゴキブリのような飛び方ではなく、ツバメかコウモリのようだったというのだ。


息子さんと二人ほうきをもってその部屋へ行ってみたが身を隠しているのか、すでに立ち去ったものか、

影も形もなかったという。そもそも部屋は一日中密室だったはずと母親はけげんそうな表情だった。


話がここまできたとき、私は母親の言葉をさえぎった。


    それって脳の異常では?  


    ひとつだけなら気づかないところだけど ふたつ並べてみると脳の異常と捉えるのが素直では? 

    共通しているのは動く大きな影、対象が何であるかはっきりしてない点も同じ。 


 
    二つのことが起きたのではなく、ひとつのことがふた通りに起きたと見るべきでしょう。

    神経内科の先生に診てもらう必要があると思いますよ。


 
    私は素人ですのでそれ以上のことは言えませんが、間違いなく異変のシグナルと思います。

    急ブレーキを踏んだという事実は非常に深刻です。

  

私はこの件についてホームドクターに尋ねてみた。

対象者がその場にいないため大ざっぱな話ではあるが・・・・


    異変のシグナルと捉えるのは正しい認識です。

    お話の様子からして目の異常の可能性は低いように思います。

    動いていない何かがはっきり見えるとなると統合失調症ということもあり得るのですが・・・ 

    SASの可能性も無いではありません。 つまり2件のケースとも眠っていたということです。

    SASの場合、ご本人の「起きていた」はあてになりません。


    ああ、それってわかります。夢は眠っている時に見るものではありませんもんね。

    起きてしまったからこそ「夢」になるわけで、目が覚めるまでは間違いなく「現実」なわけですから。


    そういうことです。それ以降何でもないとご本人が言ってもあてにはなりません。

    周りの人がよく観察することです。


    いずれにしてもご本人には健康診断のつもりで一度受診するよう勧めてみます。


    それがよいと思います。


ドクターとのやりとりを母親にはお伝えした。しばらくして連絡があった。

会社の健康診断を受けたばかりで、異常はなかったのだから心配ないと本人が言っているとのこと。


この知人の息子さんはれっきとした国立大・工学部出身である。私が心配するのはこの点である。

文系ならまだしも(本当はそうは思っていないのだが)、理系では論理的思考が最も要求される。

自分に起きている異変を論理的に解明できないのはやはり能力不足だと思う。

健康情報に疎いなどという問題ではない。


目撃したものの大きさ、形状、動き方、時刻、目撃した状況、自分の健康状態、精神状態等を

並べてみて状況を解析できないとしたら、大学でどんな指導を受けていたのだと言いたい。

大学で学んだのは解析する姿勢ではなかったのか。


もっとも私のような「ベン・ケーシー」を観て育った世代は直感的に異変と気づく。

ベン・ケーシーは脳外科医で、そのクランケには息子さんのようなケースはいくらでもあったように思う。


ドクターや大学関係者が異口同音に語るのは、若い世代のイメージする力、解析する力の無さである。

判断材料が目の前にいくらでもあるのにそこから問題点を見つけ出せないのは多くの学生に見られるという。

息子さんのケースはまさにそれである。


ひとが学舎(まなびや)へ通うのはせいぜい16年か長くても20年だろう。

専門として学ぶのはそのうちの4年ぐらいのものだ。

そこで得た知識なんぞは基礎的なものに過ぎず、世に出てからの実務の中でひとは成長する。


私たちの周りでは常に未知の事象が起きる。想定していることが起きることの方がまれだ。

古い教科書を引っ張り出してきても目の前の事象に対して有効な対応などできるものではない。

学校時代に解析する訓練を十分に受けていなければ未知の事象の存在にすら気づけないで過ごすことになる。


若者が体制に流されやすいというのも背景にこの問題があるように思えてならない。

右派だの左派だの以前の話であろう。


れっきとした科学者がカルト教団にひっかかる危険性もここにある。

自己解析能力がなければひとは安易に用意された答えに飛びつく。


イメージする力、解析する総合的な能力を育てることを工夫しなければ社会の存続も危うい。

小学校から英語を学習すればよいという話ではない。



       
       ※ 健康診断

      「会社の健康診断で異常はなかった」はあてにはできない。

      検査項目も限られているし、診断するのもたいていの場合は若手の医師だ。

      同じデータを読むにしても医師の能力によって結論は行って帰ってくるほどの開きがある。


      以前、母は町の健康診断で医師から「あなたの心臓は止まっている」と言われたことがあった。

      「みて みて わたし心臓が止まっていてもこんなに元気やもんね」おどけながら帰ってきた。

      かかりつけの先生はあきれるやら後輩の行状を心配するやら。

      会社や町の健康診断は昔も今も所詮そのレベルである。






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風評じゃない!根にも葉にもある




全国公害被害者総行動デー [東京電力・政府合同交渉] 2013年6月6日 

の様子を書き出したものがありますのでご紹介します。

    



「俺らはわかってる。だから私は食べない」


「自分の子供に食べさせたいと思わないでしょ?」


「風評じゃない!根にも葉にもある」


6/6東電・政府交渉(内容書き出し) http://kiikochan.blog136.fc2.com/blog-entry-3038.html



第38回全国公害被害者総行動デー [東京電力・政府合同交渉]

2013年6月6日


文字起こし部分のYoutubeはこちら↓

http://youtu.be/AhJZhRsVPmM?t=1h27m58s





具体的にみて農業でね、どんな問題が起きているのか、ちょっと発言します。

よーく聞いて頂戴。



私は福島県で専業で農業を現在も行っています。

私の住んでいる須賀川は、昨年玄米から、100ベクレルを超えるコメが

全国、1番で100ベクレルを超えてしまいました。

それで田んぼを除染する結果になったんですけれども、



私たちは、農地の土壌が何ベクレルかも分からないで作業しているんですよ、毎日。



空間線量じゃないんですよ!



で、田んぼを除染するという事になって、

私の地区は、作業員はその地区の農家の私も作業員になってやったんです!仕事を。



除染の「除」っていう意味が分かってます?

深く耕して、なに、薄めるだけじゃないですか!

取り除いてないんだから、放射能だって下がるわけ無いでしょ!



田んぼ、除染しました。

空間線量測りました。

全然下がって無いですよ。



取り除いてないもの当然でしょ。



原発が爆発した当時と、環境は2年経っても何にも変わって無いままだ。

農業資材だって汚染されていれば、被覆資材などは使用してはダメだという指針が出ています。

それが農家は何ベクレルだなんて分からないですよ。

で、新しく買い直しして、

どうしてくれんの?



農家の想いっていうのをよーく考えてみてください。



私たちは作物を生産して、

安心安全なものを自分でも食べて、消費者の方にも販売して、

そういう収穫の喜びが今はないんです。



福島県のものは県外のものに比べたら、本当に値段も安いですから、

それを承知しながら作って、

損害賠償を貰って、

農家に何の活力がありますか!?



あとひとつ言っておく事があるんですけれども、

福島県は農作物は出荷の前に全部検査しないと出荷できません。

今は100ベクレル以下っていう事になっていますけれども、

農家は、計測している私は分かりますよ、これが何ベクレルあるって。



放射能は、要は100ベクレル以下だったら出荷できる訳ですから、

私は食べませんよ。



買って食べている人は、「放射能は無い」と思って買って食ってるっぺ。

どうなのよ。

俺らはわかってるんだよ。

罪の意識があるんだ、作ってたって。



自分は食わねぇけど、他人に食わせてるの。

どう思いますか?ちょっと答えて下さい。


1:32:49




ちょっと待って、関連して、今は須賀川地区のね農業の話をしました。

もうひとつ、相馬の玉野地区という所の話をします。

それを含めて答えて下さい。


1:33:07




玉野地区っていうのは、相馬市の西部にあって、

飯館地区とほとんど放射能の濃度が変わらない、高いんです。

山の中に入ると、毎時7、10マイクロシーベルト、という土地ばっかりなんです。

除染はしています、部分的に。



だけど、畑の作物の周囲の が、米の農家と違って概算されないという例がいっぱいあります。

しかも、住民の状況は、そういう状況で生活していても自主避難地域です。

生活に対する補償も不十分、精神被害に対する補償も不十分。

2重の苦しみがあります。



そういう地域が、線引きによる救済から全く漏れて、いっぱい残っているんです。

国も東電も含めて、線引きから漏れた人々がいっぱいいる。

こういう訴えは決して漏らさないできちんと把握して救済していただきたい。



それと、先程もおっしゃったけれども、

あなた自分の子どもにね、たとえば100ベクレルない食べ物であって、50ベクレルか、

あるいは簡易な検出器は10ベクレル以下は不検出になるんです、安いやつはね。

そんな高い精度の良いやつはなかなか揃えられない。



アルファ線もベータ線もガンマ線も全部測れるやつなんていうのはなかなか高くて手に入らない。

ガンマ線だけですよ。

セシウム、普通は測るのは。



で、それで測って不検出なんていうものを、消費者は本当に信じて食べるか!?

食べないんですよ。

そういっちゃなんだけど、分かっているんだから。



あなたもね、西田さんもおっしゃったあなたに聞きたい、それから文科省のあなたにも聞きたいが、

自分の子どもに、たとえば10ベクレルから、100ベクレルよりもはるかに低いんだから、

「OKだよ」って言われて、それをすすんで食べさせたいと思いますか?

食べたいと自分でも思います?



じゃあ、食べるんですか?

「私は進んで食べる」!!!

あぁ、犠牲的な精神でとてもいい。

でも子どもには食べさせないでしょ?

それが実体でしょ?



西田さんは私と同じか、ま、私と似たような歳ごろだから、

「もうしょうがないや役目だから死んでみせよう」というのがあるかもしれないが、

自分の子どもにはそれを食べさせたいと思わないでしょ?



放射能ってそういうものですよ。

須藤さんも呑気にそこに座って見せているけれど、

自分の子どもには食わせたい、そこに住ませたいとは思わないでしょ?



これがね、国家きちっとやらなきゃならない本当の問題なんです。

それをきちっとやらない。

最低基準だと国が明言しているにもかかわらず、東電はそれのデータを取らない。

それを見て聞いて知っているにもかかわらず、

権限を持っている、制限令を持っている国がそれに対して一言も言わない。



こんな情けない事がどこにあるか!!



私はね、先程みなさんの人格はどこへという事を申し上げた。

私は同じ人間だからみなさんの事をね、同じ思いで敬服をいたしますよ、人間として。

だけど、さっきのあやまりの話にもあったけれども、

人間としてあなた方ね、相当大きく、自分の職業として自分の地位を守ることはそれは必要かもしれないが、

やっちゃいけない所にまで踏み込んでいるんです。



誇りは何処に行ったんだ!



放射能入りは食べさせたくない。

素直にそういう思いはみなさん持っていると思いますよ。

あなたもそうでしょ?小さな子どもが、

まだ独身かもしれないけど、これから子どもを持ちますよ。



その子どもをなるだけ放射能から遠ざけたいと思うでしょ?

それを、その自分の素直な思いを国政に反映させなさい。、



そんな情けない国家公務員がどこにあるか!!!



他人の命を危険にさらすんだったら、自分もその覚悟を持てよ!!!

誇りだろ、それが人間の。



ーー:壇上のみなさんで現地福島に足を運んだ人はどれだけいるんですか?



文科省:

はい、まず最初●さんからお話しのありました線引きの件ですけれども、

えー、そうですね、指針を、

どうしてもある程度この区域でという事で計画してしまうんですけれども、

もちろんその他の方も全て対象外という事ではございませんので、



あの、えー、中には東京電力とそういう話をしたくないという方もいらっしゃるかもしれませんけれども、

その際にはですね、福島のADRのほうに、お電話で結構でございます。

接触の方をしていただいて、お話しの方をさせていただければと思います。



ーー:それしか言えないの?



ーー:指針を変えろ!



文科省:

はい、あのー、指針の方でございますけれども、

そちらは検討審査会という法律の専門家や原子力の専門家の有識者が集まって、議論を頂いています。

そちらはもう、指針が出来たので終わりという訳ではございませんで、

まだ開催の方をいたしております。



先月も福島の方に議員の先生方が直接伺いまして、様子の方を調査と言いますか直接見てこられています。

今後も開催を予定しておりますので、その場でですね、また最新の状況を踏まえた議論がされると、

そういうふうに考えております。



ーー:

ちょっと確かめるけれども、

指針もツイホも今言ったように本当に不十分。と、

いま委員会は開催していないし、

「委員の人達は現地に足を運んでもう一度被害の実態を確認してこれから検討する」そういうこと?



文科省:はい、さようでございます。



経産省:

福島県の農業の被害の実態につきましては、

我々もできる限り早期の回復を図りたいというふうに考えてございまして、

これは文部科学省の方もですね、この前の中間指針第3次随行という事で、

これは福島県には限りませんけれども、食品の安全基準が見直された。

これはもともと500ベクレル/kgだったものが、

より安全率を見込んでですね、100ベクレル/kgに、より安全な方に下げたという形でございます。



ただ、一方でこれを下げることによってですね、出荷制限がかかる地域が出てまいりますので、

そうした新しい損害に対しましても、きちんとですね、賠償していかなければいけない。

という事で、先日中間指針の第3次随行という形で、

賠償対象の追加をさせていただいているところでございます。



今後ともですね、きちんと皆様方の被害の実態をみさせた上でですね、

実質の賠償をやって行くというのが基本的な国のスタンスでございます。



それから先程福島県内の農業の損害でございますが、

これは、福島県内の農家につきましては、

出荷制限が出ている地域はもちろん、



風評被害についてもですね、

これは全員において賠償の対象となっているところでございますので、

たとえば最初に収穫されたものがですね100ベクレル/kg未満のところであって、問題が無くてもですね、

これたとえば風評によって実際に損害をこうむっていれば、

これ当然のことながら賠償の対象とさせていただくという事で、

これはきちっとやらせていただきたいというふうに考えてございます。



それから福島の風評につきまして、

国としましては、安全基準というものは単にその安全性を重視して決められたものでございますので、

国としましては、「危険性をこれだけ避ける」というよりは、

やはり「安全なものは安全である」というこういう観点から

風評を解消していくという事が重要だというふうに考えてございます。



ーーあまい!



経産省:

ご指摘の通りでございます。

なかなか世間一般の受け取られ方としてですね、

なかなかそうなっていないというのが実情でございまして、

そうなっていないという方には賠償で対応していくという形でございます。



先ほど「福島の物を食べれるのか?」というご指摘を頂きました。

これは、福島県の方ではたとえば、

ま、経産省の方にですね、実は福島県産のお米の持ちこみ販売がございまして、

そういったものについてもわたくしはですね、

これは個人的な話でございますけれども、買って家族と一緒に食べたりしているところです。



ま、こういった形で福島県の農家の方々の風評が少しでも解決すればですね、

これはやはりそういった形に持って行けると思っていますんで。

我々としてはそういった、やはり安全なものは安全。

本当に危険なものは危険なものとしてですね、きちんと対応しなきゃいけませんが、

安全なものは安全という形でですね、これは風評の解消に努めるという事に

こちらとしても努力してまいりたいと思います。



これは単に賠償だけの問題じゃなくて、

労働政策の観点からですね、そうした風評の解消というのは、

これはまた農水省の方でございますけれども、彼らもきちんとのところでございますので、えー、

やはり国としましては、何回も申し上げますけれども、

そうした風評解消に努力するという形でですね、

えー、福島県のみなさんの活動をですね、サポートしていきたいと思います。



いまのことについていいですか?

「風評」「風評」って言うけどね、風評じゃないんですよ。

いいですか!

風評っていうのは「根も葉もない」ことなんです。

根にも葉にもあるの!

わかる?



農家は農地を汚染されて何1000ベクレルって、

私測っています。全部あるんです。それ持っていってくれよ!そういうなら。

「風評被害」って言うんだったら。



全部持ってってくれ!



儲かっていないから言うんじゃないんだよ、

分かるよね、いつも言ってるよね須藤さん。

そういうものなの、それを賠償されてるって言ってるでしょ?

賠償されないのは何だ?って、西田さんになんか言ってみればいいじゃないですか。

されないんですよ。



売れないものがいっぱいあるんです。

指導してますか?

須藤さん指導してよ、ちゃんとやってよ。

指導してないんでしょ。

そういうものです。



1:44:46








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原発ゼロへ!




討議資料



我が国の火力発電を巡る動向について(120810出典:経済産業省)

http://www.mori-yuko.com/activity/files/120810datugenpatu.pdf


「電気料金国際比較」

http://my-dream.air-nifty.com/moriyuuko/files/120820denki.pdf


「火力発電所リプレースに係る環境アセス手続きの迅速化について」

http://my-dream.air-nifty.com/moriyuuko/files/120821-2.pdf


「原子力を巡る状況について」

http://www.mori-yuko.com/activity/files/1208211.pdf


「天然ガスによる原発代替 コンバインドサイクルとコジェネ」

http://www.mori-yuko.com/activity/files/20120829073103.pdf


「120907脱原発基本法案」

http://my-dream.air-nifty.com/moriyuuko/files/907datugennpatu-kihonhouan.pdf


「120912太陽光発電システムの普及拡大について」

http://my-dream.air-nifty.com/moriyuuko/files/120912taiyoukouhatuden-F.pdf


「120912風力発電の導入促進に向けて」現状と課題

http://www.mori-yuko.com/activity/files/120912furyokuhatuden-S.pdf


「120919電力需給問題と蓄電池技術について」

http://www.mori-yuko.com/activity/files/120919hp.pdf




「121003「原発ゼロへ!」政策検討会議・各電力会社説明資料」


   北海道電力

   http://www.mori-yuko.com/activity/files/121003hokuden.pdf


   東北電力

   http://www.mori-yuko.com/activity/files/121003touhokuden.pdf


   東京電力

   http://www.mori-yuko.com/activity/files/121003tokyouden.pdf


   中部電力  

   http://www.mori-yuko.com/activity/files/121003tyubuden.pdf








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チェルノブイリレポート




衆議院チェルノブイリ原子力発電所事故等調査議員団報告書

http://www.shugiin.go.jp/itdb_annai.nsf/html/statics/shiryo/201110cherno.htm


「チェルノブイリの長い影」

http://www.shugiin.go.jp/itdb_annai.nsf/html/statics/shiryo/cherno10.pdf/$File/cherno10.pdf




「とある原発の溶融貫通(メルトスルー)」より


チェルノブイリで子どもの甲状腺がん80倍に

被曝と健康  原発とIAEA

事実をこっそり教えるレポート

http://blog.livedoor.jp/home_make-toaru/archives/6848433.html


(内容)

衆議院がHP上にひっそり掲載している報告書が、ネット上で注目を集めつつある。

チェルノブイリ事故の健康被害について、IAEAの報告を「楽観的」と完全に否定するものだ。


「チェルノブイリの長い影」


問題の報告書は「衆議院チェルノブイリ原子力発電所事故等調査議員団報告書」。

2011年10月に衆議院の調査団がチェルノブイリ事故で被害を受けたウクライナ、オーストリア、

フランスなどを訪問した報告にウクライナの専門家がまとめたレポートを加えたもの。


「チェルノブイリの長い影 チェルノブイリ書く事故の健康被害 研究結果の要約:2006年最新版」

と題されたこのレポートは、ウクライナ国立軍事医学研究会に所属するHorishna博士がまとめたもので、

現在日本政府がよりどころとするIAEAのレポートを完全に否定している。


IAEAレポートは公衆衛生の敵


外部被ばく量の基準値や食品のセシウム含有量基準値など、

日本政府の判断はIAEAの指揮により創設された「チェルノブイリフォーラム」の研究報告に基づく。


同フォーラムはチェルノブイリ事故と健康被害について、

科学的な結論を得るためIAEAや世界保健機構、国連などの専門家が集まって構成された。


調査報告を作成するにあたって、IAEAは数少ない限られた情報のみを根拠とするよう指導。

その結果、発表された「チェルノブイリが招いた重大な結果-医学的影響、

生態学的影響および社会経済学邸影響」では、さまざまな被害が過少に申告された。


たとえばウクライナ、ベラルーシ、ロシアで1992年~2000年に発生した子どもの甲状腺がんは、

同レポートでは約4000例とされているが、実際にはウクライナだけで3000例を上回っており、

汚染地域での発生率は事故前の80倍に達する。


Horishna博士は報告の中で、IAEAの報告は「公衆衛生を脅かす恐れがある」と指摘する。


一番大きな影響は「心配しすぎ」


IAEAのレポートはその他にも、「悪性腫瘍が著しく増えることはない」「遺伝的な影響はない」

「事故処理作業者にがんの増加などはない」など事態を楽観的に分析する。


実際には、1987年と2004年を比べたデータでは、小児のがんが約8.6倍に急増。

先天性の異常は4.4倍に、行動障害や精神障害も2倍に増加している。


またチェルノブイリ事故の処理作業に当たった労働者の2010年までの死亡率は21.7%と

その他の労働者に比べ、2.7倍にものぼる。


IAEAのレポートは、こういった事実を無視した上で、最も重大な健康被害は

「集団の心理学的健康に及ぼされる影響」と結論づけている。



外部リンク


◆衆議院チェルノブイリ原子力発電所事故等調査議員団報告書

http://www.shugiin.go.jp/itdb_annai.nsf/html/statics/shiryo/201110cherno.htm


◆チェルノブイリの長い影

http://www.shugiin.go.jp/itdb_annai.nsf/html/statics/shiryo/cherno10.pdf/$File/cherno10.pdf


(税金と保険の情報サイト)

http://www.tax-hoken.com/news_asWGsIa1AC.html


============================================



がんが80倍に増えているにもかかわらず,「心理学的健康」が最も重大な健康被害だって……。

さすが,IAEA。インチキな組織のインチキな報告。

しかし,ここに本でもよく聞きますね。この論調。

IAEAレポートと同様,信頼できませんね。

(以上)








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放射能の恐怖




知らないということは怖ろしいことです。


     痛みを分かち合おう


     フクシマを応援しよう


などと言って安易に放射能で汚染された食品を食べることは非常に危険です。


放射能は目に見えません。

まして原発事故は日本の社会にとって初めての体験です。対応に戸惑うのは当然です。


しかし、政府や原子力マフィアの言うことを信じていたら私たちは殺されてしまいます。

応援するのであれば避難民を受け入れることです。

私たちも一緒に被曝被害者になることではありません。


「放射線管理区域」では飲食はできません。

子供も立ち入れません。

子供を産み、育てることもできません。

その「放射線管理区域」より過酷な状況下で暮らせという国家とは何なのでしょう。

強い憤りを感じます。


除染などといっていますができるはずはないのです。

物理的にも金銭的にもとうてい出来るものではありません。利権の対象になるだけです。

チェルノブイリは結局放棄したではありませんか。


故郷を棄てることが簡単なことでないことは痛いほどわかります。

しかし、ひとの命を思うならあの日以来フクシマは無くなったと見るべきです。

原発事故とはこういうことなのです。


原子力マフィアや原発産業国のアメリカはフクシマを人体実験場ぐらいにしか見ていません。




(動画・資料)チェルノブイリ原発事故、被曝による脳への影響。中枢神経への影響が示唆されている。

日本でもラットによる、動物実験あり。

2012/04/30

http://portirland.blogspot.jp/2012/04/blog-post_4737.html


フクシマを食べて応援と言っていた女性が脳障害になり、大変な事態に・・

http://kobayashiasao.blog65.fc2.com/blog-entry-4129.html


大量の放射線を被ばくすると統合失調症が起こりやすくなるという報告からヒントを得て、

ラットの脳に放射線をあてる実験を行ったところ、

脳内の神経幹細胞数が著しく減少し、統合失調症と類似の症状が見られました。(浜松医科大)

http://www2.hama-med.ac.jp/w1b/psy/research/index.html


学会ダイジェスト:第76回日本循環器学会

2012年3月16日~18日 福岡

2012. 3. 20

東日本大震災後に心不全が有意に増加、ACS、脳卒中も

http://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/all/gakkai/jcs2012/201203/524102.html


放射能による神経系の障害

http://infinitepower8.blog.fc2.com/blog-entry-9.html


神経系への放射線障害

http://merckmanual.jp/mmhe2j/sec06/ch088/ch088e.html


放射線障害

http://merckmanual.jp/mmhe2j/sec24/ch292/ch292a.html 






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夜はほの暗く



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わが家にはどの部屋も天井面に直接付けるタイプの照明がない。


リビングにはソファーの横にスタンドがあって、

あとは吹き抜けの天井に写真スタジオのようなスポットライトが11個並んでいるだけだ。


これは日頃滅多に点けない。6年前、たくさんの花が届けられた日に点灯したくらいだ。


だから夜は暗い。

部屋に明るい部分と陰の部分ができている。

そうであっても新聞はちゃんと読める。


食卓にはペンダントライトがひとつ。

寝室はダウンライト、ブラケットライト、ベッドの枕元に小さなスタンドがある。

書斎はブラケットライトとアーム式の蛍光灯スタンドが2個。 

 
と、全室こんな具合だから全体として、夜は暗い。


家づくりにあたって考えた。

ひとは何故、灯りを点けるのか。そもそもひとにとって「夜」とは何なのか。


むずかしく考えず、日常を振り返ってみた。


ひとは朝日を見れば一日の生活の始まりを感じ、気持ちも高揚する。

逆に夕陽の中にあっては安らぎや落ち着きに浸れる。

昼間に活動し、夜は眠るわけだから当然といえば当然だ。


天体の動きと連動して生活のリズムが決まってくるわけであって、

偉そうなことをいっても原野に生きる獣たちと基本的には何も変わらない。

小さなアクシデントや、ちょっとしたハプニングに出会いながらも、

地上の生き物はみなリズミカルに生きている。


であれば、われわれ人間が夜に活動するということは極めて異常なことに違いない。

本来のリズムにさからっているということになる。

考えてみれば人間の他に、灯りを点ける生き物などいない。


体内時計というものがある。

時計遺伝子とかホルモンの働きとか、結構むずかしいのだが、

ここでは「規則正しいリズムを作る体の働き」としておく。


ほ乳類はこの体内時計によって昼夜の暮らしをリズミカルに営んでいるわけで、

この体内時計の働きが乱れてくると


   がんにかかりやすくなる。


   うつ や 記憶力の低下 や 高齢者の「認知症」の危険。


   高血圧や心臓病、糖尿病などの危険性が高まる。


などがいわれている。


天体の動きと連動している体のリズムを乱すということは大変怖いことなのだ。

気合いで何とかできるというものではない。


体内時計を活性化させるためには、昼夜にメリハリをつけることが非常に大切だ。

夜も昼のようにというのでは時計のリズムも狂ってきてしまう。


にもかかわらず、ひとは照明といえば、明るくすることしか考えようとしない。

夜を明るくすることこそが文明だと勘違いしているひとが多すぎる。

より明るく・・・というのは生産現場の考え方であって、

寛ぎや安らぎを求める場には決してふさわしいとはいえない。


家庭内の照明は間接照明であったり、やや低めの位置に取り付けるとか、

圧迫感のない工夫が必要だ。

頭の上から照らされていては安らぎ感は得られない。

色も暖色。夕陽に近い色がいい。陰を作るということも寛ぎのためには必要だ。


我が家を新築する際の「明かりのプラン」は「昼は明るく、夜はほの暗く」ということにした。

体内時計の活性化を図り、病気を近づけないことが最大のねらいだった。


思えば、社会は昼夜を問わず動いている感がある。

TVも店舗も工場も・・・・


しかし、そこに働いているのが人間だということを忘れてはいないか。

体内時計が狂ったままではひとはもたないのだ。


生き生きとした暮らしがないまま、少子化問題を論じてもどうにもなるまい。

こういう暮らしがあたりまえだと思わされている。

昼も夜もない暮らしはまるで養鶏場のニワトリのようだ。

人間とニワトリだけが胃潰瘍になるという。


資本家だけが潤うような生き方を強要されていては人間もやがてフライドチキンにされてしまう。

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福島 世界最悪の海洋汚染の罪




福島 世界最悪の海洋汚染の罪

http://www.youtube.com/watch?v=ecA-z8fW7ps&feature=relmfu


福島メルトダウンは、海の "世界最悪の"核汚染につながっている

http://www.treehugger.com/energy-disasters/fukushima-meltdown-has-led-worlds-worst-nuclear-pollution-sea.html


福島県防災世界最悪の原子力海洋汚染

http://www.youtube.com/watch?v=P5cEswpSnmM


海の福島核汚染は '世界最悪でした "

http://phys.org/news/2011-10-fukushima-nuke-pollution-sea-world.html








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おなじニッポンジン___???___全体主義体制の臭い




     おなじニッポンジン として 当然でしょう



2011年、津幡町のある地区で予定されていた「桜まつり」が中止された。

責任者に理由を尋ねたところ、そんな答えが返ってきた。

東北・東日本の災害をうけて、急きょ中止するのだという。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~



世界はいま・・・・・



[貧困]


毎年1100万人もの子どもが5歳の誕生日を迎えることなく命を落としている。

1時間に1200人(3秒に1人)ということになる。その主な原因が貧困だ。


1日100円前後での生活を強いられている人々の3分の2が農村地域で働き、

収入と食料の両面で天然産品に依存した生活を送っている。


彼らが生計を立てるための市場や生産手段、そして貧困からの脱出の見通しも、

農産品取引を管理している貿易規制の影響を直接受けることとなる。


貿易は構造的な不平等が根深く、拡大さえしている状況という。


富裕国に農産物を輸出している開発途上国が直面する貿易障壁は、

富裕国同士が貿易する場合に比べ3~4倍に達すると言われている。


先進国は貧困国の農業に対し援助を行なってはいるが、

一方で、自国の農業に対して補助金を出して農産物を過剰生産させている。


こうした不平等によって貧困国が生産する農産物は国際市場での価格競争に敗れ、

貧しい農家の人々が得るべき富を奪い、雇用機会まで失わせてしまっている。


貿易の問題は関税をはじめとした国による障壁だけではない。

世界的な大企業による国際市場の寡占化こそ問題とされるべきだ。


我々のこの豊かな生活がどういった人々の犠牲によって成り立っているか、知らなければならない。


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[飢餓]


1日のエネルギー必要量を摂取できていない人々は8億人を超え、

開発途上国では5歳未満の子どもの4分の1が栄養不良に陥っている。


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[水不足]


毎年170万人以上が質の悪い水と粗末な衛生設備が原因で病気になり、命を落としている。


子供への影響も深刻で、

毎日4000人が清潔な水と適切な衛生設備があれば予防できる病気によって亡くなっている。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~



[HIV]


HIVに感染してもすぐにエイズが発病するわけではない。

発病を遅らせる薬や症状を軽くする薬などが実用化されている。


低・中所得国で抗HIV治療を受けている人々の数は2001年末から3倍に増加した。

しかし、必要な治療を受けられているのはアフリカで10人に1人、アジアで7人に1人にすぎない。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~



[戦争による惨禍]


戦闘に巻き込まれたり、戦争が終わってからもクラスター爆弾の不発弾や地雷で多くの人々が亡くなっている。

劣化ウラン弾による放射能被害は敵味方を問わず、長期にわたる苦しみを強いている。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~



上にあげたものばかりではない。

チェルノブイリは25年経っても、まだ終わってはいない。


世界には問題が山積している。


日本人のどれだけが地球全体の問題を認識していることか。

自分たちの生活の足下にある難問を知っているか。


我々の日常は世界のひとびとの犠牲の上に成り立っている。

まず、それを知ることから始めなければならない。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~



「桜祭り」の主催者は、東北・東日本のかたがたと「自分たち」が「おなじニッポンジン」との認識を示した。

「おなじニッポンジン」とは実にあいまいな言葉だ。


もしかすると、言ったご本人も「おなじ」の意味がわかっていないかもしれない。

確かに、ひとつの政府の下、生活をしているということはある。


しかし、いままでも、そして、これからもまったくの他人として、意識の外にしかない存在を、

「ニッポンジン」というくくりで結合させる「ニッポン」とは何なのか。

考えると不気味である。

あまりに情緒的で、全体主義体制の匂いを感じてしまう。


困っているかたがたに手をさしのべる。

それだけのことだ。


「おなじニッポンジン」と、思いたがるのは擬似的な連帯感にすぎない。

格差が広がりつづける社会にあって、ひとは「共同感」「帰属感」を求めている。

孤立感を麻痺させるために。


そして、権力者が演出、用意する「連帯感」の世界で、すべてが解決していくという、幻想を見てしまう。

ACジャパンはまさにそのプロパガンダだ。


「まつり」の予算を義捐金にするならわからないではない。


「おなじニッポンジン」として、浮かれている場合ではないというのは、あまりに精神主義的である。

戦前の思考回路をもった人々は健在のようだ。

「まつり」を実施すれば「非国民」と罵るに違いない。


「おなじニッポンジン」として、風評被害にあっている農家を救済するのは

「国民の義務」のような取り上げかたをされる。


しかし、何故、一般市民が放射能汚染のリスクのある野菜を買うように誘導されなければならないのか。

市民は被害者であるはずだ。


東電や政府がその農産物を買い取るべきであって、

被害者に被害者の救済をさせることがあっていいはずはない。

これでは加害者が誰であるかわからなくなってしまう。

市民は騙されている。


市民には放射能汚染の疑いのある食品を拒否する権利がある。

市民はその子どもをまもらなくてはならない。


これまで十分すぎる恩恵にあずかってきた、東電の株主、経営者、従業員は私財を提供し、弁償とすべきだ。

加害責任は明確にすべきだ。


愚かで人の良い市民は、加害責任をうやむやにしたい連中に巧みに誘導され、

危険な食品を食べさせられている。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~



「おなじニッポンジン」とは言っても「おなじ地球人」と言わない。

「おなじ人間」とは言わない。


狭い世界しか見ていないひとは、やがて、多くの国から見捨てられることを覚悟しておいた方がよい。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~



あらゆる人とおなじ眼差しで生きている人がいた。


黒沢明作品「どですかでん」にでてくる「たんばさん」だ。

黒沢自身が「このように生きたい」と願っていたに違いない。



たんばさんの家に夜、泥棒が入ってきた。

枕元の雨戸から侵入した泥棒に対し、


 

 
    きみ それはちがうよ それは仕事の道具だ

    金なら こっちにある

    いま出してやるよ


    
    いまは これで全部だがね

    こまったら また おいで

    すこしなら ためておくから んっ?


    ああ 雨戸は 閉めてっておくれ

    それから こんどくるときは おもてから おいで

    

    
    

むしゃくしゃして刀を振り回す男がいた

小さな街はパニックに・・・


傘をさした たんばさんが男に近づく

手をさしのべて なにか 話している

男は 青菜が塩でもかけられたように おとなしく 家へはいる


後日 街のひとりが 男にたずねる



     あのとき たんばさんに なんて いわれたんだい



     どうもこうもねえや あのひとときたら

     かわろうか ひとりじゃ 骨が折れるだろうからな 

     っていうんだぜ

     おりゃあ なにも 工事やってるわけじゃ ねえんだ


     はい それじゃ おねがいします なんて いえるかい

     おりゃあ きまりがわるくなって  やめちまったのよ





「おなじ」というときは このようなまなざしで ありたいものだ








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厚労省は自由診療体制に誘導か?



母の命日の食事会に姉のひとりが欠席した。

体調に自信がないからとのことだった。


聞けば1週間前に救急車で運ばれたという。

町内会の会合の席上で突然意識がなくなったらしい。

2分ほどで回復したのだが、周囲の人たちが心配して救急車に乗せたという。


救急病院では心電図と脳のCTをとったが特に異常は認められず、

直前の行動を尋ねられ、「花粉症の薬を呑んだ」というと、医師は


    おそらくそれでしょう


    かかりつけの耳鼻科に今日のこと言っておいてください


とのことで、そのまま帰されたという。


私は自分のホームドクターに尋ねてみた。


    花粉症の薬でそんなことになるものですか


    担当医が言ったのは "迷走神経反射" のことです

  
    まれに注射すると聞いただけでお腹が痛くなるかたがいますが

    あれも "迷走神経反射" です


    花粉症の薬でおこらないとはいえませんが・・・・


    僕は "TIA" だと思います」「すぐに循環器科で診てもらってください


    先生、 "TIA" って何ですか


    一過性脳虚血発作のことです  つまり 脳梗塞の前兆です


    すぐに症状が消えてしまうのでCTをとっても 異常は認められません


    しかし 放っておくと今度起こるときは脳梗塞です


    かなり高い確率で脳梗塞が起きています  けっして軽視しないでください


私の言葉なら無視するところだが、元金沢医科大高齢医学科講師の言葉には姉もこたえたようだ。

翌日から循環器科の治療を開始した。

血液サラサラになる薬とコレステロールを下げる薬を処方され、定期的に血液検査をすることになったとか。


"TIA" は医師の共通認識とホームドクターは言うが、現実には医師によって温度差はある。

救急外来もかなりいい加減だ。日本の医療は大丈夫か。

帰宅させるときに循環器科にいくよう指導するとか、 "TIA" の可能性に言及すべきではなかったか。


ホームドクターの言葉がなければ姉は脳梗塞の道を歩んでいたはずだ。

こんな医療体制でよいのだろうか。


"TIA" は原則的に入院させて治療する、と多くの医師がホームページで書いている。

が、現在はまず入院させることはないという。  何故か。

医療費削減を使命とするどこかの小役人が目を光らせているためらしい。


私は糖尿病その他で2週間に一度診てもらっている。

先生としては2週間に一度は血液検査をしたいようだが小役人が認めないという。

尿検査にも回数制限があるとのことだ。


これで責任ある医療ができるのだろうか。厚労省はその環境を担保しているのだろうか。

医師によっては持ち出し覚悟で治療するとも聞く。まさに赤ひげ先生である。


国民の医療費総額を考えるとき、

姉のケースでいえば循環器科にいった方が高くつくのか、いかない方が高くつくのか、

政に携わるかたがたは答えを持っているのだろうか。


膨れあがる医療費。対応は考えなければならない。

小役人の存在もあながち否定はできない。 しかし、方法論が間違っていないか。


例えば犯罪捜査の場合で考えてみる。

稚拙な初動捜査や不十分な鑑識活動をそのままにしておいて

その後多くの経費をかけ、捜査員を動かしても何の成果も上げられない。


虚しく時が流れるだけで、時効廃止などいっても事件は解決できはしない。

タイミングを逸してしまえば解決できるものも解決できなくなるということだ。


現在の厚労省のやり方は小規模の火災は放っておいて、大規模火災になって初めて出動する消防署だ。

費用負担が大きくなるのを待っているかのようだ。


どんな病気でもいきなり重篤な状態になるわけではない。

前兆を見逃さずに対応すれば、患者もひどい思いもせず、様々な面で負担の大きい入院を回避できる。


結果的に医療費も大きくはならない。


現在だとまったく個人的に血液検査を希望しても病気でない人は認められそうもない。

そして多くの人が重篤な患者になる道を歩んでしまう。


特に中高年の場合、ひとりひとりに合った生活指導が必要だ。

年に一回の通り一遍の健康診断では多くの前兆は見逃されてしまう。


マクロ経済の何たるかも知らない財務省の経済運営はよく批判されるが、

厚労省もまたマクロなものの見方ができていない。

市民に最も身近な末端医療の充実こそが医療費抑制になるという発想ができていない。


「十分な治療は『自由診療』でどうぞ」

というつもりだろうが、それは保険会社の「医療保険」へと誘導することに他ならない。


以前、アメリカの医療現場をレポートする番組があった。

救急車で運ばれた人に先ず病院が尋ねることは「カードは持っているか?」だそうだ。

支払い能力の無い人間を治療することは経営者に対する背任行為になるからだ。


この国の治安がよい理由に「格差のない社会」があげられる。(最近はかなり怪しいが・・・)

「国民皆保険制度」の果たしている役割は大きい。


TPPは医療現場を「アメリカ化」する。そして、保険会社は「医療保険」で大もうけだ。 

この国はそんな愚かな道を歩むつもりなのだろうか。


医療現場の問題点を指摘すると医師会は既得権益を守ろうとする圧力団体のようにいわれてしまう。

メディアや評論家はここぞとばかりに医師会を叩く。

一連の流れを見れば誰がそう言わせているのかがおぼろげに見えてくる。


悪徳な医師がいることも事実だ。

しかし、ほとんどの医師は真摯に患者と向き合っている。そして医療の改悪化と闘っている。

「いのちの既得権」を守ることが何故非難されなければならないのだ。


医療現場を「アメリカ化」することは営利優先主義であり、医療の放棄である。

この社会を「自由な国アメリカ」のレベルにまで引き下げるようなことがあってはならない。


処方された医薬品が売買されていることを政治家の皆さんはご存じなのだろうか。

かなり以前からひそかに行なわれている。

知らないとすれば社会の底辺を知らぬ「しあわせな人々」だ。


何故、売るのか。

「生活保護」だけでは生きていけないからだ。


何故、買うのか。

医療機関にいけないからだ。


職がない、金がない、いや、それ以前に住民票がないということさえある。

驚くかも知れないが戸籍のない人々さえ紛れもなく存在する。


そして、そんな人々を無報酬で診ている「赤ひげ先生」たちもいる。


「赤ひげ先生」たちは相手がどんな人間かを詮索したりはしない。

保険証を持たない人であれば相手を選ばない。

逃亡者であれ、暴力団員であれ、密入国者や不法滞在者であれ、

目の前にいる医療の必要な人を手当てするだけだ。


官僚も政治家も社会の現状を知らぬまま「改革」なるものを推し進めようとする。

最底辺の人々はおきざりにされたままだ。


その叫びはどなたかの耳に「音」としてすら届くことはない。








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大丈夫か__ 文化圏を越えた多国籍企業のものづくり



ボーイング787のトラブルが相次いで報告された。

航空会社は機材のやりくりができず運休にまで追い込まれる始末。

株価も大幅に下落している現状は「事故」に匹敵する深刻な状況だ。

原因の究明が急がれる。


ボーイングは今やアメリカの企業ではない。

ボーイング787は機体の70%近くを国外メーカーを含めた約70社に開発させる国際共同事業である。

日本も35%分担しているという。


大勢の人が関わっていく事業の中で「認識の違い」が起因するミスというのは起きないものだろうか。


むかし第2次大戦を舞台にした映画を観た。

その中で、巧みに現地の市民になりすましたスパイが情報機関に捕まった。

完璧に思えた「なりすまし」も思わぬミスで正体が露見するという話だった。


スパイはその国のひとたちが服のボタンをどのようにつけるかまでの認識はなかったのだ。

当たり前すぎるほど当たり前のことに人は注意を払わない。

ここにこそ落とし穴がある。


交通機関の発達で世界は身近になった。しかし、文化の垣根は依然として大きい。


言葉の通じない国に行っても身振り手振りでなんとかなるさ、という人もいる。

が、身振り手振りほど怪しげなものはない。何とかなることは決してない。

こんにゃく問答」に終始するのがオチである。世界はまだまだ広い。


企画書通りに設計し、設計図通りに作業していく、どこに問題が起きるのだと人は言う。

ところが問題は起きる。製造現場とはそうしたものだ。


文化の違いは常識の違いであって、これが設計図の見落としにつながることは想像に難くない。


よく見ればわかるだろ、といっても後の祭りということは製造現場ではよく起きる。

私自身、苦い思いを何度も体験している。


文化圏を越えた多国籍企業のものづくりは資本家が考えるほど容易ではない。

慎重を期さねば大事故につながる。


しかし、一国で行なう事業とて決して油断はできない。

アメリカは度量衡に関して国際社会から孤立している。

自分たちこそ世界の盟主と思い込んでいる前時代的な感性の社会だ。


昔、とんでもない理由でロケットの打ち上げに失敗したことがあった。

推力が足りず、直後に落下、炎上した。

燃料が予定された量だけ入っていなかったのだ。


係員はリットルとガロンを取り違えていたのだった。お粗末 !!

単位は統一されるべきだ。



常識は指示書、設計図を見えなくする。



             ※ 米国液量ガロンは約3.78リットル。








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これでいいのか選挙のしくみ



投票率の低さが言われるようなって久しい。

ひとが集まれば何らかのかたちで必ず話題になる。


何処かの国のような100パーセントの投票率も問題だが、

わずか30~40パーセントの投票率で選ばれたひとが政治を行なっていいものだろうか。


30~40パーセントの支持ではない。

これで民意を反映した政というなら傲慢である。


「若い世代が動かない」 政治意識の高さを自負するひとびとはそう言って顔をしかめる。

しかし、動かないのはむしろ私を含めた旧世代だと思われてはいないだろうか。


考えてみれば暮らしに関わるさまざまなことを決める "方法" は私の幼少期も今も基本的には

何も変わっていない。

選挙で選ばれたひとが集まり、多数決でものごとを決めていく。


確かに選挙制度はすこしずつ変化してきてはいる。

小選挙区制が導入されたし、参議院の全国区も無くなった。


しかし変わらないのはいつの時代でも多数を占める勢力が自分たちに有利に働くような制度を作ることである。

2次元的な思考を繰り返し、小手先で制度をいじくっていても民意を反映しない "方法" は何も改善されない。


多数決が民主主義の基本である、そう信じている人は多い。本当にそうだろうか。


51パーセントのひとが49パーセントのひとの意志を抹殺してしまう、これは本当に正しいことなのだろうか。


町内会の各班の中で棄てられていった意見がある。

校区の中で棄てられていった意見がある。

自治体の中で棄てられていった意見がある。


そうして出来上がったものが県レベルの意見と言うのであれば、

そこでいう民意というのは虚しさの結晶でしかない。




オーディオ雑誌に時折アンプのランキングが発表されることがある。

その年に販売された機種の中から評論家といわれる人々が優良製品を投票で選んでいくというものだ。


しかし、ここで上位にランクされた機種が多くのひとの共感を得るとは限らない。

趣味の世界ということもあろうが、全員が「良い」と選んだ機種ほどつまらないものはない。


確かに一定の水準にはある。

しかし、「馬鹿ちょんカメラ」などと揶揄される全自動のカメラで撮った画像がもの足らないのと同じで、

結局は誰の満足も得られない。


ひとり一票で投票するとこういうことが起きてしまう。




総意を求めていく投票のやり方もさまざまな方法があることを学ぶべきだ。


投票用紙にひとりの候補者の名前を書くということが定着しているが、

あの人もこの人も選びたいと思ったことは無かったろうか。

逆に、あの人だけは絶対に選ばれてほしくないと思ったことはなかったろうか。


     ひとりの名前を書く


     複数の名前を書く


     すべての人を持ち点で評価する


etc さまざまな工夫が議論されてよいはずだ。

投票を2回行なうことも議論されてよいだろう。




この「死に票」の多い制度が改善されたとしよう。それでも問題は残る。


私たちは立法府の議員を選ぶ。そこで法律を作っていくと教えられてきた。確かにそうではある。 
 
が、基本的なところを押さえておかなければならない。


正確に言えば、官僚が作った議案を妥当かどうか議論しているだけでしかない、ということだ。

議員立法というものもあり、提出される議員が大変なご苦労をされていることもよく知っている。


しかし、基本的には上記のような図式だ。

「賛成」「反対」「修正」のほかに選択肢が無いとしたらどうだろう。

いとも簡単に恣意的に方向付けられていくように思うのはあまりにうがった見方だろうか。


「他に必要な法律があるだろう」という有権者の素朴な思いとかけ離れたところで

メディア監視法は成立してしまった。


「そもそも論」というか、「哲学」というか、

大切なものがないがしろにされたまま霞ヶ関発信の議案が国会で討議されている。

これは民主主義政治といえるものなのだろうか。


民意の反映という極めてあたりまえのことについて私たちは今一度検証すべきである。


「若い世代は政治意識が低い」と批判するのは簡単である。

しかし、彼らのメッセージを正確に読み切れないでいては投票率は限りなく "ゼロ" に近づくのは間違いない。








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耳をすましてごらん


古い小咄


耳の遠い親子の話。

親父さんが奧にいて店先の息子に声をかける。



   おぉい おおい


   んまにもう わるいとこだけ よう にてからに


   おぉい  あ やっと わかったか


   あのなぁ いま おもて とおったん あらぁ うらの げんさん ちごうたかな


   あの なあ い ま  お も て  とおっ た ん  

   あ ら あ  う ら の  げん さん ちごうたかな


   あぁあ なに ゆうてんねん いま おもて とおったん あらぁ うらの げんさん でっせ


   ああ そうかぁ わし また うらの げんさん かと おもうたわ


 $%&#&%%&#$%$??




鶴来町に住む私の姉も幼いときに中耳炎を患ったことで片方が聞こえづらいようだ。

向こうを向いているときに話しかけてもいっこうに気付かない。


「ほら、叔父ちゃんなんか言うとるよ」


と姪や甥たちがサポートするということはよくある。


こういう私も何年も前から耳の中に蝉を飼っている。一日中、「ジ--- 」と鳴り続けている。


ドクターの話では聴力には関係なく加齢によるものとのこと。

気にしだすと余計に大きくなるようで今はあきらめている。

音楽を聴くときの障りになるかと心配していたが、

実際はそんなものでもないことがわかってホッとしてもいる。


それにしても音楽を聴くときの耳は実に不思議なものだ。


同じCDであるのに聴き込んでいくと今まで気付かなかった音が聴こえるようになってくるから不思議だ。

ひとの声にも楽器にもそれは言える。

「まさかぁ・・」と思われるだろうが、これがあるので息の長い趣味になる。


もっとも、2度や3度 "通し" で聴いたくらいでは違いはわかるものではない。

ポイントは同じ箇所を繰り返し聴くということだ。それも別の演奏者を聴くことが大切だ。


この演奏者ならどう表現するだろう・・そんな思いで聴いていると、演奏者の息遣い、

指の動きまで見えてくるようになる。

やがて使用している楽器独特の音まで認識できるようになる。


私が特別に耳がいいわけではない。絶対音感があるわけでもなく、至ってどこにでもいる平凡な人間だ。

どうしてそんなことになるのか。一言で言えば音楽が好きだからだ。

音楽を聴くときの集中力が半端ではないからだ。


「火事場の馬鹿力」という言葉がある。

日頃は持てるはずもないような重たい箪笥でも必死になると一人で運べるというあれだ。


学者によると、人間は日頃、能力のすべてを使っているわけではないそうだ。

そんなことをしたら体が壊れる、それで無意識に制御しているとのことだそうだ。

体験的に言えることだが、聴力にも似たようなことがあるのではないかと思う。


日頃は耳に入ってくる音を聞いている。必ずしも聞きたい音というわけではないので、

状況さえ理解できればいい。潜在意識でそう判断している。


しかし、空気の超微細な振動をもキャッチしたいと願うとき、

耳は鋭敏になり楽器の善し悪しまで峻別できるようになる。

要は聴きたい気持ちが強いとき、はじめて演奏会場の空気が伝わってくるということのように思う。


ピアノフォルテの音はハンマーで叩かれた弦だけの音ではない。

共振している他の弦の音でもあり、共鳴している胴体の音であり、さらに床や会場の音でもある。

聴き込んでいくとその音がわかるようになる。


眼というのはしっかり見ているようでも実はかなり怪しげである。

映画のフィルムは1秒間に24コマしかない。それでも自然な動きと認識してしまう。


1秒間に48コマ流し、そこへ1コマだけ無関係な映像を入れても人間はそのことを認識できない。

潜在意識下には刺激はちゃんとあるわけだが・・・それほどに眼は怪しい。


               "サブリミナル効果" の危険性もここにあるわけで、

              言論統制の時代にあっては最も警戒すべきことである。

                      (テレビは見ない方がいい。「原発は安全」「原発は必要」

                       というテロップが入れられている可能性も考えておかねば・・) 


それに比べると耳の情報分解能は奥が深い。

そうでなければ人類は外敵から身を守ることは出来なかったろう。

ただ、その能力が発揮されればということだ。


言いたいのは、見えているもの、聞こえているものが本当にすべてなのか、ということだ。


私たちの感覚は結構いい加減だ。自分の要求する姿勢で鈍感になったり、鋭敏になったりする。

聞きたくないものは耳に入っていても聞こえないのだ。


もしかすると私たちは人生の半分も実は見えていないのではないだろうか。

聞こえていないのではないだろうか。


ものがそこに「有る」あるいは「無い」という基本的なことも

実はこちらのあり様で決まっていくとしたら、

哲学する心もかなり怪しくなってくる。


今一度、全感覚を全開にして見、聞き、しないとまったく違った "真実" を見ていたことになる。


ひとが発する声、叫びは聞こうとしないひとには聞こえない。

聞きたくないひとには聞こえない。聞こえるひとでありたい。









      ♪ 耳をすましてごらん

     

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外国人労働者



家から2㎞ほどのところに深夜までやっているスーパーがある。

たまに、すれ違った若い人たちの言葉がわからないことがある。

耳が衰えたかと思ったがそうでもないようだ。


んっ、日本語じゃない?アジアの顔は区別がつきにくい。

時間帯によっては、すれ違う人の1割ほどが非日本語だ。

中国語、韓国語はなんとなくそれとわかるが、それ以外はまったく???だ。それにしても多くなったものだ。


義兄の会社にも中国からの研修生がひとりいた。

この若者は文字通りの研修で、建設業のノウハウを学ぶのが目的だった。


3年ほど在籍し、帰国してからは自分で会社をおこし、義兄の会社とは今も交流があるという。

しかし、これはまれなケースで、よくいう「外国人労働者問題」というときの外国人労働者ではない。


少子化が進む中、社会は外国人を雇用しようと躍起になっている。私は反対だ。大反対だ。


誤解のないようにいっておくが、外国の人が嫌だとかいうのではない。

むしろ、おおいに交流すべきと考えている。いや、もっと過激かもしれない。

いつの日か、国境などというものはなくなって欲しいとさえ思っている。


だからこそ、短兵急な、しかも身勝手な雇用に走って欲しくない。

いま進められようとしていることは国際交流、文化交流などと言えるものなのだろうか。


政府は建前として高度な技術を持った人材をという。

しかし、社会の高度な人材に対する要求は低く、単純な労働力に対する要求が多い。

それがこの国の実態だ。要するに奴隷が欲しいということだ。


利益の追求しか眼中にない人々は外国人労働者を雇用することの問題点など考えようともしない。

社会にどんな状況が生まれるのか考えようともしない。まして、外国人を知ろうともしない。

ただ、安い労働力としか見ていない。奴隷売買と何ら変わらない。


食べ物、宗教、その他何もかも異なる価値観をもった人々が、いきなり隣に現れるということだ。

彼らは日本の社会に溶け込まない。溶け込んで欲しいと思うのは日本人の傲慢だ。逆の立場で考えるべきだ。


私も外国で暮らすことになれば、その国を理解しようとはする。

が、自分の生活様式、価値観まで棄てるつもりはない。


しかし、島国根性の日本人が異なる文化をもった人々と摩擦無しに暮らせるとは思えない。


「受け入れてみなければ始まらない。何事もやってみないと・・・」と、いう人もいる。

確かに、それはその通りだ。

しかし、やってみました。駄目でした。元へ戻しましょう、というのだろうか。

日本で生活基盤ができ、子どもも生まれ、そんな人々にいったい、何処へ戻れというつもりなのか。

軽い考えで進めて良い話ではない。


私が懸念することを以下に挙げてみる。



    日本の社会であたりまえのようにされている行政サービスについて彼らをどう位置づけるのか。

    低賃金の彼らにとっての高いコスト負担は家族が適正な教育、医療を受けられない状況を生む。

    行政コストの未払い問題は社会保障の問題を今以上に難しいものとする。


    滞在者が就労斡旋事業の組織を作り、滞在者を支配する。

    なかには怪しげなものもできる。被搾取の被害も出てくるだろう。

    すでに「蛇頭」というのも報告されている。そこには行政のチェックが及ばない。

    社会が二重構造化する。 


    
    生活基盤ができたら彼らは帰国しない。

    やがて必ず、その家族をも受け入れることになる。


    日本で結婚して家庭をもつ。日本で生まれ育った子どもをどう扱うのか。

    失業した場合、母国語を話せない子どもが日本に残る可能性がある。その対応は?


    
    日本で生まれた子どもの就学について社会はどう対応するか。

    非就学児ができてしまうことは格差社会を作ることにつながるだけでなく、

    全体の労働環境悪化や地域の安全にも悪い影響を与える。


    社会の2層化が進む。


    低賃金労働への就労は日本人との生活レベルの格差が大きく、それが起因して地域への融合を妨げる。


    会話能力不足から日本人との意思疎通がうまくできず、双方の不信感がさらに融合を困難にする。


    劣悪な職場環境が温存されてしまう。


    低賃金では、やがて日本の生活を維持できなくなる。

    仕送りもさることながら、日本で稼げると信じて莫大な費用を捻出してきている人々が

    暮らしに行き詰まることがあれば、社会の不安定要因になる。



思いついただけでも、様々な問題がある。

社会は受けとめる覚悟と、準備ができているのだろうか。

自分たちも変わらなくてはいけない。「嫌なら出て行け」とはいえないのだ。


あらゆる問題点を検証し、想定外のことがおきても、

自分たちの問題と捉えられる覚悟があればよいのだが・・・・

拙速に進めれば、不幸な人々を作ることになる。

その時、誰が責任をとるのか。誰もとらないだろう。この国はそんな国だ。


外国人を犯罪者のように考えるのはやめろ、と言われるかもしれない。

しかし、貧困が犯罪を生む厳然たる事実を認識すべきだ。

人が悪いのではない。貧困が悪いのだ。格差社会をつくってはならない。


私は外国人排斥運動が起きて欲しくないのだ。

問題が起きてから対応するのではなく、問題が起きないようにするのも政だ。

政に「想定外」は絶対に許されない。


外国人労働者は、日本で生活する「生活者」であって、単なる「労働力」ではない。

日本人と同等に扱われるべきだ。

日本人と同じ基準で、その能力・識見を評価され、能力に見合った報酬・処遇が保証されなければならない。


経営者はそんなことは認められないというだろう。

利益追求の亡者どもは単に奴隷が欲しいということだ。


いま、少しだけ「在日」のかたがたも認められるようになった。母国語の名前を名乗るかたも出てきた。

まだ十分とは思えないが、ここまで来るのに何年の歳月が必要だったことか。

どれだけの苦しみを乗り越えられてきたことか。


叔父のおかげもあって、私は「在日」のかたがたの暮らしを傍で見てきた。

異国で生きるということがどれほどのことか、とても言葉で表現できるものではない。

そんな暮らしを知るだけに、安易に「安い労働力」などと語る人々には強い憤りをおぼえる。


外国人労働者が必要なら三顧の礼をもって迎えるべきだろう。

対等に付き合う覚悟と度量があるのか、私たちは試されている。






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いのちあるものはすべて平等



「自分は ほとけさんから もういただいております」


文化勲章受章について打診があったとき、禅僧は明快に答えた。


「いのちあるものはすべて平等」と幼い頃より寺の住職から教わってきた。

人間を位付けする勲章制度は仏の教えの対極にあるわけで、

禅僧のもの言いには実に爽快な思いがしたものだ。


世の中には各分野のさまざまな「賞」がある。

研鑽を促すためであったり、業界の発展を願う思いであったり、社会に対するPR活動でもあったりする。


しかし、国家が行なう「褒章制度」は異質だ。

人間を位付けするように見えるのは私だけだろうか。


そもそも「褒章」とは「ほめてとらす」ということだ。

さらに、問題は「ほめてとらす」のが誰であるかということだ。

「誰」が「誰」を「ほめるのか」、それがその行為の本質を見極める上で極めて重要である。


北九州で発見された「漢委奴国王印」は漢王朝が異民族の王に官位と印綬を与えることで、

皇帝を頂点とする秩序に組み入れようとしたもの、といわれている。


そのことからもわかるように、「ひと」が何かを「ひと」に授けるということは、

その人間関係を決定づけてしまう極めて重要な行為である。

「ほめてとらす」も同じ意味を持つ。


「むやみに他人からものをもらってはならない」という先人の教えもそこにある。


大名が武士に「刀」を授ける行為は、臣下として認めたことであり、

受け取ったほうは臣下の礼をとることを約束したことになる。

つまり、終生、家来として仕えることを宣言したことを意味する。

適切を欠く表現で恐縮だが、「魂を売り渡す」ような行為でもあるわけだ。


「褒章」が誰の名によって行われるのかは、

この国の政治体制の根幹に関わる重大な問題であることを認識する人は少ない。


いかに象徴天皇制とはいえ、天皇の名によって行われる「褒賞」を受けることは、

封建的な勲章制度を認めるにとどまらず、天皇を頂点に戴く国家体制を受け入れることを意味する。


確かに、いまの時代に「臣民」や「赤子」という言葉は飛び交っていない。

しかし、天皇制より発現する「臣民」と「赤子」という自己認識が、政治的行動を敢行する根拠とされ、

無謀な戦争に突入していった時代からわずか70年余しか経っていないことを忘れてはならない。


今日の社会情勢をみるとき、いとも簡単に70年前へタイムスリップしそうな気配がしているのは私だけだろうか。


民主的な国家には君主などあってはならない。

いきとしいけるものが「手を振るもの」と「旗を振るもの」にわかれることがあってはならない。 


みなが平等では都合の悪い人々がいる。

序列を作るほうが民を治めやすいと考える人々がいる。

天皇を頂点とした国家像を考える人に「民主国家」を語る資格はない。 



ヨーロッパにはありったけの勲章をつけることを正装とする文化があることを聞いたことがある。

胸全体に勲章をつけている写真を見たこともある。

勲章をつけている人は「誇り」と思っているのだろうが、


「みて みて みて みて」


と、場に居合わせたひとの興味をひくものが金属の固まりでしかないのは何とも哀れである。






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文言で語る世界  文言でしか語れない世界



 大いなるものにいだかれあることを


             けさふく風のすずしさにしる
             


                            無文                            

                           



私たちは音楽を楽しむとき五線譜を用いる。

しかし、これほどアバウトなものはなく、アバウトであればこそ楽しむ余地があるともいえる。


五線譜が音楽のすべてを正確に表現できているのなら、そして演奏家がその通り正確に演奏しているのなら

マーラーの「巨人」のCDは世の中に1種類でいいはずである。


それでも「巨人」は多くの演奏家がそれぞれのCDをリリースしている。(我が家の棚には19枚並んでいる)

ニュアンスの違いはとても同じ作曲家の作品とは思えない。


                            
つまり、五線譜は音楽の世界を便宜的に表現しているに過ぎない。


作曲家の想いは便宜的な手法でしか伝えることはできないわけで、

作曲家自身の演奏以外は「似て非なるもの」というしかない。


設計と施工が異なるような現代の建築にあっては「設計図書」は重要な役割を果たす。


が、機械的に進めていけばよいように見える、本来は無機質な世界であるはずの建築界ですら同じ事がいえる。

「設計図書」通りに施工しました、と言っていては良いものはできない。

「設計図書」は設計者の意志を伝えるものであるが、設計者の「想い」「哲学」まで網羅しているわけではない。


ある現場でビスを直して欲しいといわれたことがあった。「ビスを直す?」意味が理解できなかった。

設計者はプラスビスの頭を「+」にしておくように言ったのだ。

「×」では自分のイメージとは違うと言いたかったのだ。


以来、「設計図書」を通して建築家が何を求めているのか、

どんな世界を描こうとしているのか考えて仕事をするようになった。


設計者の「想い」を表現できているか、塗装の微妙な仕上がり具合までに神経を使うようになった。

音楽も建築も詰まるところは「人間学」ということだ。

人間が何を求めているのか・・すべてはここから始まるということだ。


私は時々意地悪な質問をする。(いつもかも・・・)


「パレスチナの人々が全員改宗してクリスチャンになったら パレスチナ問題は解決すると思いますか」

クリスチャンのかたの答えは「解決する」だった。


しかし、「私たちの聖地」をいうのはユダヤ教もキリスト教もイスラム教も同じだ。

本質的には宗教に名を借りた領土問題である。全ての人がクリスチャンになっても解決はありえない。


では宗教は無力なのか。

それは違う。パレスチナに限ったことではないが、

人は宗教という形を通して語られる本質を見ようとはしていない。

そこに大きな誤解が生じ、融和を妨げている。宗教とは便宜的に語られるメッセージでしかない。


外面的な文言の世界に浸っていては宗教が例えひとつになったからと言って何も問題は解決しない。


文言でしか語ることのできないものであることを知り、

文言の先にある数多のひとびとの願いの世界に目覚めたとき、人は初めて共通の夢を持てる。

宗教という形にこだわりすぎては「和」の世界はあり得ない。


数多の宗教があり、宗派がある。聖典もさまざまだ。

概していえることだが、歴史があることが大切にされる所がある。大なり小なり権威主義的な面もある。


しかし、何か違うと思う。語られたのはいつの時代であっても「現代」であったわけだ。

バッハもヴィバルディも現代音楽であったわけで、古典などではなかった。それと同じだ。


権威に寄りかかっても自身の問題は何も解決などできない。問題の存在を忘れることがせいぜいだ。


経典を有り難がる人は多いが、経典というのはある意味何も書かれていない。


漢文で書かれたものを音読みにしているからもっともらしく聞こえるが、

内容は至って平易で「何だ そんなことか」と言うことばかりである。


道元の「正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)」は日本の書物の中で最も難解とされるが、

書き方が難解なだけで気の遠くなるほど難しいことが書かれているわけではない。

仏教書というのは悪筆が多いといえるのかも知れない。


キリスト教の聖書は文言としてはやさしい。

が、書かれているメッセージは奥が深く、

簡単に「わかりやすい」などと言っていては外面しか受けとめることはできない。


私は19歳の時、宗教を語るとき専門用語を使うことを自ら封印した。

日々の言葉、暮らしの言葉、わたしの言葉に置き換えて語らなければ何の意味もないことに気づいたからだ。


専門用語というのは心地良いところがある。たくさんの言葉を覚えると立派になったような気になる。

他人から見ると特別の人に見えるというわけだ。


しかし、宗教とは本来的には「便宜的なもの」であり、そこで語られる文言自体は「虚構」の世界である。

「虚構」を通して「真実」を語るのが宗教である。


経典を丸暗記しようと、聖書を50年間読んでこようと、

そこの所を見誤ると単なる文化を楽しんでいることでしかない。


だからこそニーチェは警告した。「神は死んだ」と。


すべては架空のものと知って虚しさを感じるべきではない。

架空なるものを通して語りかけられていることを受け取るべきだ。


聖書がなかったら生きていけない、とあるかたが語っていた。

しかし、聖書がなくても、ブッダ・道元・親鸞の存在が否定されようとも「私」がここにいる事実に変わりはない。


私たちは全うしなければならない "いのち" の中に脈々と流れている「大いなるもの」

からの恵みに気づかなければならない。


"大いなるものの願い" がこの "いのち" であることに気づかなくてはならない。


「教え」は荒海を渡る舟のようなものだ。わたるときには必要だが、渡り終えれば邪魔になる。


宗教は非常出口を示す緑の表示のようなもの、といってもいい。


「表示」を鑑賞して欲しくて掲げてあるのではない。

外へ案内するものであり、外の世界へ出て欲しいがためにある。


便宜的に語られた「宗教」を突き抜けて向こうにある世界に至らなければ誰とも心を通い合わすことなどできない。

宗教という「枠」に縛られていては寺も教会もカルト教団も何ら変わりはない。


生涯で30分にも満たない禅僧との出会いが私の今を支えている。

禅僧は語ってくれた。


    勉強などせんでええ 人間は生まれたとき もう 仏さんになっとる 気づけばそんでええ

    
    求める答えは 自分の中(うち)にある
    

        

短い大学生活に気持ちの踏ん切りをつけられたのも僧との出会いがあったからである。








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そもそも、そもそも論が欠けていないか



国際基準(IAEA)の防災対策、ストレステスト、防潮堤かさあげ、原子力規制委員会の設置・・・・

これらを安全対策ととらえる人々もいるようだ。


ものを考えなくなった大衆を騙すのはかくも簡単だということか。

どれも原発推進のために行なわれることではないか。安全とは真逆の方を向いている。


IAEAほど怪しげな機構もない。

核の平和利用といいながら、一方でプルトニウムの蓄積を許し、核兵器開発能力を温存させている。


結局は「現在の核保有国以外は核兵器を作らせませんよ」というだけのことだ。

核技術の独占を図るための機構であって、平和的な組織とはとても思えない。


超大国の思惑の範囲内で核の利用を認めますよ、つまり、原発を買ってくださいというための機構だ。


反原発、脱原発をいう人々が何でIAEAに信頼を寄せるのか、私には理解できない。

日本政府の「ただちに健康に害はない」という詐欺まがいの言葉よりましだろうという受け止め方は

非常に危険だ。彼らこそ原発推進団体に他ならない。


活断層の再調査が問題になっている。

人々はこれで廃炉が見えてきた、と事態がよりよい方向に動くと信じている。


それは希望的観測というものであって、単なる願望でしかないことを知らなくてはならない。

私は多くの人ががっかりする結論になる可能性がきわめて大きいとみる。


結果を握っているのは調査を行なう側だ。

再調査を命じられたのが電力会社であってみれば結論はもう決まっている。


電力会社の調査に瑕疵があれば、あらゆる立場の人を動員して国が再調査すべきだろう。

保安院は満足な調査も出来ない連中をもう一度信じるという。

ビジネスの世界では考えられないことだ。


一般の企業なら再調査などという費用のかかることは容易には呑めない。

コストを製品単価に反映できなければ倒産しかねない。


しかし、電力会社は痛くもかゆくもない。

日頃から飼い慣らした政治家や、役人たちが企業の存続を図ってくれることをよく知っている。


今回は国民の根強い反発を感じた保安院が演技して見せたに過ぎない。

保安院はやはり原子力ムラでしかないということだ。


多額の費用をかけたものをやすやすと手放す資本家が存在するほどこの社会は美しくはない。

希望的観測は雨乞い神事のようで何の合理的解決にもならない。


各地で行なわれた意見聴取会のことが問題になっていた。

電力会社の人間が発言したとかどうとか・・・

騒ぎ方が間違っていないか。


「通過儀礼」であることは最初から見え見えではないか。


国として核エネルギーの放棄、あるいはエネルギー政策を白紙に戻すと宣言することが

議論のスタートではないか。

その上での意見聴取会であろう。


核兵器開発の魂胆を隠し、国是といって核エネルギー政策を進めてきたことを総括もしない政府が

どんなパフォーマンスを見せようと彼らの用意した土俵に引きずり込まれてはならない。


マークシート方式の試験に慣らされた人々は三者択一の議論ということ自体に違和感がなかったのだろうか。

これは誘導であり、その時点で「やらせ」と気付かなくてはならない。


くじ引きということ自体が怪しいものだが、別室で行なわれたとなるとそれは抽選とは言わない。

発言内容も事前に審査されているということは発言者の人格とは関わりなく「やらせ」というべきだ。


恣意的に行なわれる意見聴取会で発言できたと満足しても、それは自己満足でしかない。

政府に方針を変更する気など端から無い。


応募者全体の意見比率を無視し、主催者があらかじめ枠を設けるのはいかがなものか。

それぞれの発言者に対して均等に機会を与える意見聴取会のやり方は

国会の委員会審議でこそ実施して欲しい。


最終的には多数決で決められるのである。委員全員に存分に発言させるべきと考える。

ハードルを二重にかけるのはやりすぎだ。


あまりに短い発言時間は国民の負託を受けて参加している議員の身分を無視することであろう。




三択で思い出した話・・・


私は石川県だが、若いときから富山県のかたがたと仕事上のお付き合いがあった。

隣の県ではあるが、県民性の違いというものはあるようだ。


例えば数人でレストランに入るときなど・・・・

メニューを見て「えっ たっかい!!」と思ったことはないだろうか。


   松が5000円、竹が3500円、梅が2500円


そんなとき金沢の人間の多くは「うーんと そうだな 自分 竹にするかな」という。

内心は梅でも高いと思っているのにだ。


しかし、私の知る富山県人のほとんどは


「すみません メニューって これだけですか」


と店の人間に確認する。


その場の雰囲気に流されない堅実な生き方、金銭感覚は私も勉強になったことである。








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おせんで泣かすな



         一筆啓上


     炉の用心


     汚染で泣かすな


     脱原発やで










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ガラス細工の地球



今、人々はある意味で呪文をかけられている。


「地球温暖化防止」「省エネ」「節電」という言葉がすべてに優先される空気に包まれている感がある。

原発事故がことさらこの空気を濃いものにしている。


無論、どれも大事なことには違いない。

しかし、本質を見誤って目先の対策に右往左往していても未来は見えてこない。


地球温暖化防止と言われれば、

「二酸化炭素を出さない原子力発電が有効である」という言葉に騙されてしまう。

裏にもっと大きな問題が隠されていることも知らずに。


標準的な原発では1秒間に70トンの海水を7度温めて海に流しているという。

原発のエネルギーの三分の二を使ってだ。これは発電所ではなく、湯沸かし所だ。

これが日本だけで54基あるという。


温暖化防止というが、これこそが温暖化の根源にある問題だろうと素人ながらに思う。

これで海水が温まらないと考える人がいたら科学的根拠を示すべきだ。


こんな事を世界中で行なっていれば気象に影響も出るだろう。

放射能の問題がクリアされたとしても、

津波対策がなされたとしても「湯沸かし器」の本質は何も変わらない。


私たちはしっかりと現実に目を向けるべきだ。

「部分」の議論でよしとする雰囲気に引きずり込まれてはならない。



ご多分に漏れず、原発もまた後のことを何も考えないで突っ走った。

子孫にツケを残さないために今、財政再建が必要だと主張していた与謝野氏は「日本原子力発電」出身として、

核廃棄物の処理をどう考えていたのか。


処理を子孫に託して毎日毎日せっせと核廃棄物を作り続ける現状をどう言い訳するのか。

まずは足下の問題を片付けてからにして欲しいものだ。


放射能を撒き散らさないエネルギーが求められている。

識者も風力だ、太陽光だ、地熱だと言っている。

その方向が正しいのか、別の選択肢があるのか、門外漢の私にはわからない。


私の視点は別の所にある。

どんなエネルギーであれ、人類が無制限に消費してよいエネルギーが存在するのかということだ。


人間のエゴを優先し、自然界の調和を乱せば、やがて動的平衡を保とうとする自然界から

それに見合った様々な反動を受けることになる。



私たちの体は分子から成り立っている。

しかも、絶え間なく外界の分子と入れ替わっている。


私たちの体は単に分子の「よどみ」のようなものでしかない。

外界の変化はすぐさま生命の危機に直結する。

いや、外界という概念そのものが意味をなさない。

内も外もない。私たちは自然界の働きの中に浮かんでいるに過ぎない。


「自然を征服する」というのはあまりに人間中心的な発想であり、

意のままにされているのはむしろ私たちであると認識しなくてはならない。


「自然を愛する」という言い方自体、私たち自身が「自然」そのものであることを忘れている事を意味する。


私たちは「我--汝」「我--それ」と言う概念などない「ひとつ」の世界に生きている。

長い時間をかけて互いに折り合いをつけて保たれている精妙な均衡の世界に私たちは息づいている。

自然界全体の調和が崩れることは死を意味する。


部分的な視野しかない人々は、自分の関心事にのみ反応する。

風邪で発熱するとすぐに熱を下げようとする人がいる。医師であってもだ。

すぐに座薬を処方する外科医の如何に多いことか。


しかし、熱を下げれば白血球の働きが弱まり、かえって症状をやっかいなものにする。

ちゃんとした医師なら安易に解熱剤を処方せず、経過を観察する。


西洋に発した近代文明というのは効率を求める故か、民族性の故か、部分的な思考が好きなようだ。

薬草から自分の好きな成分だけを抽出して薬とする。注目しない成分は無いことにしてしまう。

しかし、その成分に大変重要な働きがあることを後になって知る。


部分的な思考で生命をとらえ、宇宙を語るのは真理探究の妨げになるだけでなく、

私たちの生命を危険にさらすことになりかねない。


デカルト以降特に顕著になってきた機械論的生命観・宇宙観が私たちの存亡に大きく影を落としている。

「インフルエンザワクチンや多くの抗生物質」「移植医療」「遺伝子操作」「生殖医療」「農薬農業」・・・・


どれも「自然を征服する」と言うような発想から始まっていると思われるが、

問題点続出で隘路にはまり込んでいる。


人体でどのように電気が発生するかも満足に説明できない連中が「移植医療」とは・・・

何とも恐ろしい事である。


分子生物学者福岡伸一氏は人間の体に部品というものなど無いという。

仮に人の顔から嗅覚のパーツである鼻を体から切り離し、別の体に移植しようしても

すべてがつながっていて、結局は体全体を取ってこないと機能の移植は出来ないという。
           



これは人体に限ったことではない。自然界に孤立した箇所、部分など無い。

一部分の問題と言うことはあり得ない。必ず全体の問題となってくる。

一方の効率の良さは全体を非効率なものにし、平衡状態を乱してしまう。



私たちは先ず自然界のしくみ、関わり合いかたを学び、仲間に入れてもらう謙虚さが必要だ。

この地球はガラス細工のようにもろい。






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紅ショウガのおにぎり



小学校時代の遠足は誰のこころにも "遠い日のよき思い出" として格別なものがあるだろう。

わたしが育った鶴来(つるぎ)は扇状地のかなめに位置することもあって、

遠足といえばほとんどが山歩きだった。


里山の際にあるとはいえ、家業が林業でもなければ山路を歩く機会はさほどにはない。

体格、体力面で皆より劣ること、クラスで1,2のわたしにとっては憂鬱で辛い行事だった。


反面、クラスの仲間を圧倒できる唯一の機会でもあったわけで、

私はその楽しみを内に秘めてみんなの後を必死でついていったものだ。

そういったときの弁当といえば、今も当時も「おにぎり」というのが定番。

もちをよくするための梅干しの酸味は疲れもとれて良い。


ほとんどのクラスメートが「梅干しおにぎり」の中、わたしのというか、母のおにぎりは真っ赤だった。

紅ショウガのおにぎりである。全体に刻んだ紅ショウガを混ぜ、海苔で包んだものである。


近年ではさほど珍しいものではない。

しかし、当時そんなおかしなおにぎりを作る人などどこにもいなかった。


草いきれの里山のなかで、そのおにぎりの紅色はひときわ目立っていた。


澄んだ空気のなかでほおばる紅いおにぎりはショウガの辛みが実によい。


不思議なものを見るような、うらやましそうな視線の中で味わうことがさらに快感でもあり、

あらゆる面で劣等感を味わうことの多かった少年がひさびさに胸をはれるひとときだった。


「かあちゃんは こんな すごいもの つくれるんやぞ」


叫びたいほどだった。


思えば母は料理が好きだった。しかし、あまり料理の本など手にしているのを見たことはない。

それにしては創意工夫して本に載っているような一品を作ることを楽しんでいるひとだった。


後年、叔父にあちこち連れて行ってもらったのが下地になっているだけと笑ってはいたが、

この地方でカレーライスを作ったのは多分自分が最初だろうといつも自慢にしていた。


好奇心旺盛というか、怖いもの知らずというか、どんな料理にも挑戦してみないと気が済まないひとでもあった。

調理好きは若いときかららしい。


養母に


「おまえみたいに調味料たんと使えば 木っ端屑でも食べれるわ」


と調味料を制限されても、

自分でウスターソースを作ってしまったというから、反骨精神もかなりのものだったようだ。


家を訪れた守部氏に甘鯛の吸い物についてレクチャーしているのを見たときは

息子のわたしでさえ唖然としたものだ。

守部氏は当時、食通が通うことで有名な築地にある割烹のオーナー板前であった。

そんな人物を相手にレクチャーするのだからいい度胸のひとである。母66歳の時である。


姉弟の中ではわたしが最も母の味を知っていることになる。

しかし、60年間そばにいて「何を」は学んだが、「いかに」を学ばなかったのはかえすがえすも残念である。     


とはいっても、「学ぶ」ということは存外こんなものだろう。「いかに」は自分で開発するしかないものと思う。

「何を」を学んだことはわたしの財産である。





葛の花 踏みしだかれて色あたらし この山道を 行きし人あり
                        


                                    釈迢空






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原子力の場から視た地球温暖化問題



小出裕章「原子力の場から視た地球温暖化問題」1/3

小出裕章「原子力の場から視た地球温暖化問題」2/3

小出裕章「原子力の場から視た地球温暖化問題」3/3


小出裕章  原発はいらない!「原発で温暖化」

小出裕章「原発の温排水と日本海の急速な温暖化」

地球温暖化問題の本質 - 京都大学原子炉実験所 小出裕章






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バベルの塔




海水温の上昇が異常気象につながっています

漁業にも深刻な影響が出ています


それでも [海を温めること] こそが人類のためになると人々を騙し続けている連中がいます


確かに地球温暖化の原因は未だ科学的に解明されてはいません

が、海水温の上昇は現実です 


ならば上昇につながる人為的なものを止めることが喫緊の課題でしょう

[海を温めること] が [地球温暖化防止] になるとはまったくもっておかしな理屈です


コップいっぱいの熱湯を海に流しても海は温まりません capacity(容量)が圧倒的に大きいからです

でも24時間365日世界中で温水を流し続けるとどうでしょう

昼夜を問わず間断なく温水を流し続ければどうでしょう


根拠も示せない者が「大丈夫でしょう」とはあまりに能天気です


理科の時間に習いませんでしたか? 海水は温まりにくく、さめにくいのですよ



     原発による深刻な環境破壊

     http://gravitational-wave.air-nifty.com/tobenaiposuto/2013/week31/index.html#entry-77191336



     湯沸かし器という現実を見せつけられた

     原発停止後の若狭湾では近海の魚介類に大きな変化が起きているという

     若狭湾の全原発が停止していた間

     温排水により上がっていた水温が3度下がったために海中の環境が激変した

     『原発は地球温暖化防止に役立つ』などという欺瞞性が露呈している

     たった数か月で海中の環境を激変させるという原発による温排水の“威力”が端無くも証明された





人類は性懲りもなくまた「バベルの塔」を造り始めてしまいました


そして・・・・・




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海水温、過去最高の海域も 漁業への影響懸念【地球温暖化】

The Huffington Post  2013年09月11日



気象庁は10日、四国・東海沖と東シナ海北部の8月の平均海水温が、

データがそろう1985(昭和60)年以降で最高だったと発表した。

異常気象とされた今夏の猛暑が海にも影響を与えた形で、

日本近海はほかの海域もすべて平年の水温を上回った。MSN産経ニュースが伝えた。


NHK NEWS WEBによると、先月1か月の平均の海水温は、

九州の西の沖の東シナ海で平年より1.5度、四国・東海沖の太平洋で1.2度高く、

いずれも1985(昭和60)年に統計を取り始めてから最も高くなった。


このほか、平年と比べて北日本周辺の日本海で2.1度高く、

西日本周辺の日本海で2度、沖縄周辺でも0.7度から1度高く、

統計を取り始めてから2番目か3番目に高くなっている。


北海道函館市近海では、海水温上昇により、

捕獲したスルメイカが漁船のいけすで死ぬケースが急増している。


函館海洋気象台によると、函館近海の海水の表面温度は8月中旬、

平年より約3度高い26~27度だった。

漁協によると、イカは水温が23度を超えると生きられないという。


イカ漁では、港に到着するまで、漁場の海水を入れた漁船のいけすで捕獲したイカを保管。

8月は全体の3~4割のイカが港に着く前に死んでしまう日もあったという。

昨年も同様の現象が起こり、出荷を遅らせた。


気象庁は「海面水温は北日本の日本海では次第に平年並みに近づいているが、

東日本や西日本の太平洋沖では9月上旬まで高い状態が続くと見られる」と話している。


■ 海水温上昇で沖縄のサンゴ死滅の危機


沖縄美ら島財団は8月21日、沖縄県本部町の海洋博公園の沿岸部で、

サンゴの白化現象が見つかったと発表した。

水温が例年より高いことが原因とみられ、50%以上が白化していたケースもあるという。


サンゴは、細胞内に住む「褐虫藻」の光合成で生じた養分を取り込んで生きているが、

海水温が上がると褐虫藻が体外に抜け出て白くなり、栄養不足で数週間後には死ぬという。


気象庁によると、沖縄周辺の広い海域で、

海面水温が外洋ではこれ以上温かくならないとされる31度以上になった。

沖縄南海上の8月上旬の平均海面水温は30・3度まで上昇し、

世界的に大規模な白化が起きた1998年と同程度となった。


■ 海水温、海水面の上昇、極地の氷塊は地球温暖化の証拠


今月発表される国連の気候変動に関する報告書で、

気温の変化だけではなく地球が温暖化していることを示す

一連の証拠に焦点が絞られていることが分かっている。


アメリカ国立大気研究センターの気候分析担当上級研究員、ケビン・トレンバース氏は、

極地の解氷、海水温と海水面の上昇などがいずれも地球温暖化を示していると述べた。

「その水準まで行く可能性は5%。

何か異例なことが起きて大規模な氷床が実際に崩落すると解氷はかなり速まる」と述べた。

2100年までの海水面の実際の上昇は約25-90センチメートルの間になる可能性が高いとみている。


トレンバース氏は「気候システムの他の要因が安定しても海水面は上昇し続けるだろう」

と語っている。



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原子力の場から視た地球温暖化問題

http://gravitational-wave.air-nifty.com/tobenaiposuto/2013/week29/index.html#entry-77105174


原発による深刻な環境破壊

http://gravitational-wave.air-nifty.com/tobenaiposuto/2013/week31/index.html#entry-77191336


たんぽぽ舎

http://www.tanpoposya.net/main/index.php?id=202


自然エネルギー推進会議

http://janfre.com/action/







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投票時間繰り上げ___奪われる国民主権




投票時間繰り上げは国民の主権を奪うことだ。

災害等やむを得ない場合以外安易に認められていいはずはない。


各地で投票時間の繰り上げがあった選挙はそれ自体無効であろう。

投票時間の繰り上げをしておいて過去最低の投票率とは笑止千万。


     日本は国民が主権を持つ民主主義国家です。


     選挙は、私たち国民が政治に参加し、


     主権者としてその意思を政治に反映させることのできる最も重要かつ基本的な機会です。



これは総務省の啓蒙活動の文章である。


     総務省  選挙・政治資金のコーナー

     http://www.soumu.go.jp/senkyo/senkyo_s/index.html




さらに総務省のホームページは投票率の向上を図るため投票環境の改善についても述べている。


    「投票しやすい環境の向上方策」

    有権者がより投票しやすい環境を整えるため、

    投票時間の2時間延長や不在者投票事由の緩和等を内容とする公職選挙法の一部改正法が

    第141回臨時国会において可決成立し、平成9年12月19日に公布され、

                平成10年6月1日から施行されました。

    http://www.soumu.go.jp/senkyo/senkyo_s/news/sonota/koujou/index.html



    投票時間

    午前8時30分から午後8時までです。

    http://www.soumu.go.jp/senkyo/senkyo_s/naruhodo/naruhodo05.html






総務省の啓蒙活動、98年の改正公職選挙法の趣旨などどこ吹く風。

現状は以下の通りである。

これで民意がくみ取れるのか。

主権の侵害をしておいて民主主義体制とはよく言えたものだ。

各地で投票時間の繰り上げがあった選挙はとうてい認められるものではない。

投票時間繰り上げの組織的動きがなかったか。

選挙妨害を視野に入れた捜査が行なわれないようではこの国の民主主義体制もかなり怪しい。



巷ではメディアの選挙速報番組に間に合わすために集計を急いでいるのでは?・・・

との疑問を抱く人も少なくはない。

仮にそのような動きがあるとすれば本末転倒も甚だしいわけで、

民主主義のなんたるかを学び直すべきであろう。












【投票時間繰上げ】 全国1万6千ヶ所で 自・公が得するイカサマ選挙の匂い

http://tanakaryusaku.jp/2012/12/0005874


不正選挙を示唆する情報:投票時間繰り上げ、投票機問題、リハ流出、比例区の票差、無効票200万票!

http://ameblo.jp/kennkou1/entry-11429776193.html


投票所の終了時間繰り上げ続出?

http://richardkoshimizu.at.webry.info/201212/article_298.html


衆議院総選挙、各地で投票締め切り時間の繰上げ、不満の声も

http://matome.naver.jp/odai/2135565724296947901


武雄市が投票時間短縮 機会確保は民主主義の根幹(佐賀新聞 12月27日付)

http://www.saga-s.co.jp/news/ronsetu.0.1513185.article.html


嘉田の声明は意気軒昂である、大行列と低投票率、野田一派だけトップ当選、

投票時間前倒しの意味を知って勝利を確信したのである

  
http://iiyama16.blog.fc2.com/blog-entry-2629.html


イカサマ選挙  30%で投票時間繰り上げ? 投票所に長い行列 無効票の山

http://blog.goo.ne.jp/luca401/e/824247c58315dcd40b10295a96211b1b



(参考)


98年の改正公職選挙法の施行で投票時間は「午前7時から午後6時まで」だったのが、

「午後8時まで」と2時間延びた。

ただ、特別な事情がある市町村の選挙管理委員会は都道府県選管に届け出れば、最大4時間、

終了時刻を繰り上げることができる。


総務省によると、投票終了時間の繰り上げをしたのは、05年衆院選は、全国の投票所5万3021カ所のうち、

およそ4分の1にあたる1万2966カ所、07年参院選は5万1742カ所のうち、29%にあたる1万4836カ所。

今回の衆院選は5万978カ所のうち、30%にあたる1万5414カ所。








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リエゾンたちの会話




A:ニホンでは民有地にその所有者である民間人が立ち入ることは原則的には自由です。

  構造物を設置することも格段の理由がなければそれを阻止することはできません。



B:それにしても国有化というのは刺激が強くありませんか。



A:確かに、お国のナショナリズムを刺激するかも知れませんね。

  しかし、どうでしょう。看過すればさらなる面倒な事態も予想されたわけで、

  そうなれば通り一遍の抗議デモではすまなくなるのではありませんか。



B:それは言えますね。



A:時間をかけて知恵を出しあおうとするのをぶち壊すのはどこにもいますからね。



B:こっちもそれは同じです。

  では、国有化というのは形だけと理解されてよいということですか。

  資源開発などはなさらないと・・・



A:国有地であれば資源開発という話はやがて出るんじゃないですか。

  国有地なんですから・・・

  しかし、時間をかけて知恵を出しあおうとしてきた両国の先輩たちの想いは大切にされるべきです。

  首脳同士が話し合える環境はいつも用意されていなければならない、我々はそう考えています。



B:わかりました。お会いできてよかったです。



  ああ、こないだ鎌倉で懐石料理のいい店見つけましたよ。

  隠れた名店ってああいうのでしょうね。

  とびこみで入ったんですがね、風情があって、どの料理もあれは世界に通用しますね。

  なにせあの口うるさいうちのやつが四つ星だっていうんですから。

  それに主人の客あしらいが優しくて実にいい。



A:ほう、鎌倉のどのへんです?



B:材木座からすこし山寄りの・・



A:ほう、そんなところに。



B:うちのやつが是非もう一度行こうとうるさいんですよ。

  どうです、今度奥さんもお誘いして行ってみませんか。



A:来月のあたまなら都合つけられると思います。



B:じゃ、うちのやつに段取りさせます。



A:こりゃあ楽しみですなあ。









    ※ リエゾン(liaison)

            
     「仲介、つなぎ、橋渡し」等を意味するフランス語。


     表の外交はたてまえに固執するあまり膠着状態になることがある。

     そうしたときに信頼関係にある者同士がプライベートな立場で

     本音を語り合って膠着状態打開を図る必要がある。

     この役割をはたすひとのことをリエゾンという。

     元官僚、経済人、文化人、軍関係者など・・・・・




★ お断り:上記の会話はあくまで創作であり、実際のリエゾンのかたがたとは一切関係ありません。








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”Rhetoricの罠 ”に落ちるな



菅義偉官房長官は「原発政策は都だけで決める課題ではない」と発言した。

まったく同感である。


が、「国策なのだから選挙にはなじまない」----- 彼の本音はここにある。

ここに政治家のレトリックがある。


「全国」を連想させる「都」という言葉を出すことで、

「都民だけで決めるようなことではない、国民全体で考えるべきだ」

との主張であるかのように装い、あたかも国民投票も視野に入っているかの印象を持たせ、

その場の追及をかわしている


「では、全国民の意志を問う国民投票はいつ頃を考えていらっしゃいますか」


そういう質問が出てこないところに今のメディアの水準がうかがえる。


社会の存立にも関わることが「大衆迎合 populism 政治で決めることではない」

というようなことになれば主権在民の民主主義社会は崩壊する


「国民全体で考えるべき」との主張であれば直ちに国民投票で民意を問うべきであろう。




東京都知事選には「原発」というテーマは相応しくないというなら見識を疑われよう。

東京都民が「原発」を主要な争点に選挙をするには十分すぎる動機がある。


     福島の事故では全都民に避難指示を出すことが政府内で検討されていた


     現在も東京は放射能汚染地域である


     都民は消費する電力を他の地域の犠牲によってしか得られないこと



東京都民が「原発」について判断を示すことは今後のエネルギー政策策定にとって歓迎すべきことではないか。

1000万有権者の判断は軽くはない。あくまで東京の意志ではあるが・・・・


それとも民の意志など無用だと突っぱねるつもりなのか。




レトリックはあらゆる場面で我々を惑わせる。

老獪な政治家・官僚は巧みにレトリックを駆使し、不勉強な市民を意のままに誘導する。


政治家・官僚のレトリックは枚挙にいとまがない。

相手を籠絡せねばならぬのだから術も必要なのかも知れぬが・・・・

詐欺罪で立件されないのが不思議なくらいだ。



最たるものは国家財政を家計に見立てる手法だ。



 日本の税収は40兆円。

 使っているのは90兆円。

 50兆円の赤字である。

 例えて言うなら、

 月収40万円しかない家庭が月に90万円の生活をしていて、

 足りない部分をサラ金から借りていれば家計は借金の山となり、やがて破綻する。

 日本の現状はこれと同じであり、早晩破綻する。


メディアまでこの手法をとっているのだから市民は随分とコケにされたものだ。


この例で言うなら、サラ金から借りることをやめたうえでとるべき選択肢は二つ。

収入に見合った生活をするか、収入を増やすかだ。


しかし、国家財政を家計に例えるには無理がある。

国家財政と家計では本質的に異なる。


家庭は

    通貨を発行できない

    金利や物価をコントロールできない

    節約すれば黒字になる


国家は

    通貨の発行権を持っている

    金利や物価をコントロールできる

    積極的な財政政策で経済を刺激し、税収を増やすことが可能である

    節約したところで黒字は増えない


高校生でもわかっていることだ。

では何故こんな怪しげな例えを持ち出すのか。

危機感、不安を煽って増税路線を正当化するためだ。


税金は国民から徴収するだけでよく、返す必要はない。

国債は、国としての借金であり、買ってもらう必要がある上、

返さなければならない国債の大量発行には厳しい世論がある。


結果、自己破産の不安を煽り、増税しかないように装う。

しかし、これは財政政策の欠如以外のなにものでもない。

政府が無能だということの証左だ。



公務員の数を減らす、議員の数を減らす・・・・ここでも財政面のみが話題の根拠とされている。

各国と比較して減らさねばならぬほど多いだろうか。

民主政治の根幹が揺るぎかねない議員定数削減が財務省の思惑だけで突っ走ってよいものだろうか。


まだまだこんなものではない。



我々は何のために勉強するのか?

最近は「自己実現」などというこじゃれた言い方もあるようだが・・・・。


     騙されないためにこそ勉強する


心の卑しいひねくれ者にはこちらの方が落ち着きが良い。


へたなサスペンスドラマの謎解きやってる暇があったら

政治のレトリック解きのほうが 


         オ・ス・ス・メ





        ※ レトリック【rhetoric】 


          言語を(特に弁論において)効果的に使う原則とテクニック

          大げさな表現方法

          言語を効果的に駆使して喜ばせたり、説得すること

          大声で混乱しており無意味な話







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原発の安全性?___そして社会全体が騙される


"原発の安全性"


ポチポチそんな言葉がメディアから流れるようになった。

安全基準、規制委員会、厳しい安全審査、津波対策等々。

一部ではあるが廃炉もいわれるようになった。


こうやって国中がみな騙されていく。

市民も政治家さえも・・・・


事故、事故、事故と声高に叫ぶものだから

「事故が起きないようにします」という言葉につい本質を忘れさせられる。

「事故が起きなければいいんでしょ」ということは原発継続であって、安全を意味するものではない。


確かに事故はそうそう起きることはない。

地震や津波も毎日あるわけではない。

だから原発の本質についての議論を誰もしようとはしない。


事故を起こさない正常運転でも原発は環境を破壊し続けている。

なのに環境破壊について政治家は無論のこと、まじめに取り上げる学者もいない。

置きっぱなしにするしかない核廃棄物はいまでも毎日作られている。

海は異常に温められている。

ここに眼を向けなければ私達は次代の人々から愚か者呼ばわりされる。


人類の手には負えない核廃棄物を作り続ける暮らしから抜け出さなければ地球は滅ぶ。

経済成長とは人類滅亡、地球破滅を指す言葉なのか。

経済人、政治家の矜恃は何処へ行ったのだ。

崇高な出発点を忘れたか。


活断層調査を原発阻止と信じるひとの良すぎる市民運動家が中心では脱原発の夜明けは遠い。

ニホンの市民運動、政治運動の底はまだまだ浅い。

本質をしっかり捉え、的確な対応のとれるリーダーの出現を強く望む。


大槻義彦氏の言葉を借りれば今は社会全体が「危ない 危ない」状況だ。


原発の安全性? 冗談はやめてくれ。

原発に安全などありはしない。

議論は先ずここから始めてほしい。










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政党助成金


身を切る改革をいうなら政党助成金をこそ、その対象にするべきであろう。

支持したくない政党の活動を支援させられるのはごめんだ。

この制度は理不尽ではないか。

憲法19条(思想及び良心の自由は、これを侵してはならない)に違反する。


百歩譲って、大きな支援組織のない者の政治活動を保障するというのであれば

それは政党ではなく議員個人に対してなされるべきだろう。


政党のボスが財布を握り党員を意のままに操縦する図式は民主主義が想定した姿ではない。

議員個人の政治活動は最大限尊重されねばならない。


政治活動を保障するというということが議員に対してではなく、

政党にという発想が出てくるところにこの国の政治的未成熟を感ずる。








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活断層調査は誰のため

反原発市民運動の人たちが原発周辺の活断層の調査を求めている。

しかし、私には彼らの言っていることがよく理解できない。


調査の結果で電力会社側を追い詰めることができると思ってのことだろうが、

追い詰められるのが自分たちになることだってあるとは考えないのだろうか。

調査とはそのようなものだろう。


活断層ではないという結果になれば原発立地にお墨付きを与えるようなものであって、

私には彼らのやっていることは原発推進運動の亜種にしか見えない。


思いはよくわかる。

が、手法はあまりに稚拙ではないか。

調査の費用はそのまま消費者負担となるだけではないか。

世間はそれほど甘くはない。


調査結果捏造も考えておかねばならない。

判断する人間によっては調査そのものが無かったと同じことになる。

いくらでも逃げ口は用意できるし、そうしてくるだろう。

それでよいのか。


彼らが逃げようにも逃げられない事実の積み上げで追い詰めるべきだ。


核廃棄物の問題、温排水による環境破壊問題、投資だけで終わる「もんじゅ」の問題、コストの問題、

何より現在進行形の福島の問題・・・・政府・原発マフィアを追い詰める手だてはいくらもあろう。


結果によっては反対の根拠を失うことになる運動は危なっかしくはないか。

どちらを利するかわからぬような活断層調査など本当に必要なのか。


「即刻、廃炉に !! 」これでよい。 


政治家の皆さんはどのようにご覧になっておられるのか。

強いリーダーシップを発揮していただきたい。








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原発は不良債権____沈没するニホン社会



慶應義塾大学教授  金子 勝氏の記事をご紹介します。 

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(転載開始)

経産省・東電の国家転覆計画 ――続・原発は不良債権である
Posted by kaneko_masaru
慶應義塾大学経済学部教授金子勝のオフィシャルブログ
http://blog.livedoor.jp/kaneko_masaru/archives/2012-05.html  より

経産省・電力による国家転覆計画が始まりました。

東京電力の総合特別事業計画(以下、事業計画)がこのまま実施されれば、この国の根幹を腐らせていきます。

すでに、この計画が放つ異常な腐臭が漂っているのに、政治家もメディアも鼻づまりなのかもしれません。

 

5月9日に、政府は、東京電力(以下、東電)と原子力損害賠償支援機構(以下、賠償支援機構)が

策定した事業計画を承認しました。

メディアは、家庭向け電力料金引き上げや柏崎刈羽原発の再稼働を前提にしていることばかりに目を奪われています。

 

確かに、そのこと自体が問題なのは言うまでもありません。

しかし、この事業計画の枠組みの根本的な問題点を見る必要があります。

この東電の事業計画は、国会決議を公然と無視し、

福島県の除染事業を放棄させ、賠償負担を長期にわたって電力料金に乗せていくものだからです。

 

国会決議を公然と無視した文章

まず、事業計画を素直に読んでみましょう。

http://www.ndf.go.jp/press/at2012/20120509.html

(原子力損害賠償支援機構webページ)

 

事業計画の「(5)財務基盤の強化」(88頁)に、2011年6月14日の閣議決定

(「東京電力福島原子力発電所事故に係る原子力損害の賠償に関する政府の支援の枠組みについて」)を引用しつつ、

それを踏まえて、取引金融機関に「追加与信」を要請しています。

 

そして、事業計画の参考資料の冒頭に、この6月14日の閣議決定をそのまま掲載しています。

 

この再掲された閣議決定の中の「具体的な支援の枠組み」には、

「援助には上限を設けず、必要があれば何度でも援助し、

損害賠償、設備投資等のために必要とする金額のすべてを援助できるようにし、

原子力事業者(東電)を債務超過にさせない」という内容が含まれています。

 

つまり、政府がこの計画を認定すれば、東電を「債務超過にさせない」ので、

取引金融機関はおカネを貸して下さいと要請しているように読めます。

 

しかし、原子力損害賠償支援機構法が国会決議されるに際して、

この「債務超過にしない」という規定が問題になり、国会の附帯決議第10条において、

この閣議決定の「具体的な支援の枠組み」の部分は「その役割を終えたものと認識し、

政府はその見直しを行うこと」を求めています。

その旨、国会でも、海江田経産大臣(当時)の答弁でも確認されています。

そして「機構法」自体に「国民負担の最小化」と「利害関係者全ての負担」が盛り込まれることになったのです。

http://www.sangiin.go.jp/japanese/gianjoho/ketsugi/177/f422_080201.pdf

(参議院webページ内・PDF)

 

つまり、事業計画は、役割を終えて見直しを求められたはずの閣議決定を公然とそのまま掲載しており、

この事業計画は国会決議を無視したものになっているのです。

実際に、東電と賠償支援機構は、「社債」保有者に対して一切「協力」=「負担」を求めることはせず、

銀行にも債権放棄を求めませんでした。

これを国民の立場に立って読めば、私たち利用者はどこまでも東電を救わなければならないことになります。

 

にもかかわらず、国会議員たちからもメディアからも批判の声はあがってきません。

 

これによって引き起こされる事態はどのようなものでしょうか。

 

まず、ゾンビ企業の東電に銀行がずるずると貸し込んで引き返せなくなってしまい、

東電というゾンビ企業を公的資金や電気料金という国民負担でどこまでも救い続けなければ

ならないという事態です。

 

もちろん、こうした点を金融機関が全く考慮していないわけではありません。

今回の計画では、メインバンクをはじめとして取引金融機関は、

原則として「無担保」での貸し出しとなりリスクが高いため、

「担保」を取れる「私募社債」の発行が議論されているからです。

 

しかし金融機関が、福島県民への「賠償金」支払いよりも返済の優先順位が高い

「私募社債」でなければ引き受けないとすることは、深刻な倫理的問題を引き起こします。

この事業計画は銀行利害を優先したもので、「賠償優先」との看板に偽りがあることになります。

そして金融機関自身も、福島県民への賠償も満足に支払えないゾンビ企業に対して、

一切の債権放棄を拒んで、自らの資金回収だけを優先させて追い貸しをする「吸血鬼」のごとき

存在として社会的に指弾されることになりかねません。

 

普通のサラリーマンが酔っ払い運転をして人身事故を引き起こせば刑務所入りですが、

福島第一原発事故という重大事故を引き起こした社会的犯罪企業であるにもかかわらず、

経営者を交替させただけで経営責任も問われません。

貸し手責任も一切問われません。これは、かつての銀行の不良債権問題とそっくりの構図です。

この国は、新たな「失われた30年」になりかねない危機的状況にあります。

 

福島県民を見殺し

たしかに、事業計画の表面の文章だけを見ていると、東電は賠償を進めるかのように読めます。

また廣瀬新社長は賠償担当だったので賠償重視の姿勢に変わったという報道さえ見受けられます。

 

しかし、事業計画の参考資料をよく読めば、東電は明らかに自らの賠償費用という赤字を削減するために、

福島県民への被害対策を行わない方針を打ち出しています。

 

・「冷温停止」宣言を(撤回せずに)続けることで、

 事故収束を前提として事故処理費用を過小に見積もるとともに、避難費用を減らしています。

 

・つぎに、避難指示解除準備区域を含めて20mSv未満は住民が全員帰宅することを前提に

  賠償費用の再計算を行っています。

 しかも除染費用を一切計上していません。

 

その結果、事業計画は4,344億円の賠償費用を削減する再計算をしています。

 

これは、放射性物質を自然減衰に任せ、20mSv未満の低線量長期被曝は放置するのだと宣言したのと同然です。

つまり東電と賠償支援機構は、福島県民の意思を無視して勝手に

放射線量20mSv未満を補償しないと決めてしまったのです。

 

こうして見ると、原子力安全委員会や放射線審議会がたびたび放射線量の安全基準を

緩めてきた背景がよりはっきりしてきました。

 

学校・幼稚園の校庭の放射線量の許容水準を1 mSvから20 mSvに引き上げたことも、

当初、福島第一原発周辺地域の除染目標を20 mSvにしたことも、

食品の安全基準を500Bqから100Bqに引き下げることを必死に妨害したことも、

すべて、ずっと言ってきたように、東電の賠償費用・除染費用を削るためなのです。

 

いま、福島第一原発周辺地域も中間処分場ができないことを理由に本格的な除染活動を一切行わず、

米の全量検査のためのベルトコンベア式検知器を購入せず、

福島県のバイオマス発電を利用した森林除染もストップしています。

 

この国は、社会的犯罪企業の東電を何が何でも救うために、福島県民を見殺しにしようとしているのです。

こうした国家的犯罪を許していいのでしょうか。

 

残る福島原発も動かすつもり?

さらに、事業計画のうち「廃炉」計画を見ると、

福島第一原発1~4号機の「廃炉」費用として1兆1,510億円だけしか計上されておりません。

メルトダウンした1~3号機の状況を見るかぎり、

「廃炉」にする技術的見通しはまったく立っていません。いくらかかるか、誰もわからないのです。

 

福島第一原発事故も収拾できない状況であるにもかかわらず、

中越地震の影響が残り、

かつ使用済み核燃料プールも満杯に近い柏崎刈羽原発を動かそうとしているのが非常に

問題なのは言うまでもありません。

 

しかし、なぜそうしようとするのでしょうか。

拙著『原発は不良債権である』(岩波ブックレット)で書いたように、

安全性が担保できない原発は損失を生むだけの不良債権になっているからです。

不良債権の原発を動かすことはきわめて危険な行為ですが、

いまは利益優先・安全無視でも動かさないと東電はやっていけない不良債権企業なのです。

 

問題はそれだけではありません。

福島県知事が要求している双葉町にある福島第一原発5,6号機も、福島第2原発も、

廃炉費用が含まれていません。

 

その理由は、2つしか考えられません。

一つは、東電はカネがないので、廃炉費用を適切に積んでいない(つまりツケの先送りをした)か、

いま一つは、残る福島原発をすべて動かそうとしているのか、

どちらかです。

 

賠償費用は誰が負担するのか

では東電は賠償費用をどのようにして支払うつもりなのでしょうか。

 

東電はすでに賠償支援機構から約2.5兆円の交付を受けています。

しかし、今後10年間を見通した東電の事業計画では、

賠償支援機構からの2.5兆円の交付金でさえも返済する予定はありません。

東電は3兆円あまりの経費節減をすると言っていますが、

それは事故処理費用や不良債権=原発の赤字補填に使われるのでしょう。

少なくともリストラ・経費節減を行って賠償費用を支払うことにはなっていないことは確かです。

 

実は、東電はその賠償費用をこっそり国民の電力料金に上乗せしようとしているのです。

 

電力11社は賠償支援機構に一般負担金を支払っています。東電の場合は、

それに加えて電力料金値上げであがる収益から特別負担金を支払っています。

 

電力11社が10年間で支払う金額は合計約2兆8000億円、うち東電は約1兆7000億円と想定されています。

仮に計画期間内に返済するとすれば、東電の負担金だけでは2.5兆円には足りないので、

電力会社全体で支払うことになるのかもしれません

(ただし、一般負担金の目的は賠償の備えであり、

東電以外の電力会社からの一般負担金を流用することはその趣旨から逸脱します)。

 

問題は、一般負担金をその他の電気事業費用に入れ、総括原価主義のもとに電気料金に上乗せしたうえに、

東電はさらに電力料金の値上げであがる収益から特別負担金を支払おうとしていることです。

つまり、今回の電気料金引き上げは、一般家庭や、名ばかりの「自由化」で値上げを受け入れざるを得ない企業の負担で、

賠償費用を支払うことを意味しているのです。

 

一般家庭用電気料金値上げに関する経産省の「特別審査」は、保安院の安全審査と同じ。茶番です。

東電に一定のリストラをしたふりをさせて、電気料金の引き上げ額を多少抑えて、

国民負担で事故処理費用と不良債権原発の損失を賄うだけです。

つまり、リストラ・経費節減で賠償費用を賄うわけでもなく、

国民をあざむいて東電の賠償費用を一般家庭や企業の電気料金にこっそり上乗せしてしまうつもりなのです。

 

しかも、今のところ、新たに支援機構から注入される一兆円は返済を予定されておりません。

これは電力料金をさらに引き上げて、危ない原発を動かさないかぎり返済できないと考えられます。

「日本人は忘れっぽい」から、数年すれば何とかなると考えているのかもしれません。

 

このように、東電と賠償支援機構による事業計画は、

「原子力損害賠償支援機構法」が国会で審議される過程において重視された「国民負担の最小化」ではなく、

「利害関係者の重視と国民負担の最大化」が公然と図られているのです。

 

 

東電の解体・売却を

では、どのようにしたらよいのでしょうか。

 

・くしくも、「原子力損害賠償支援機構法」の「附帯決議」には、1年を目処として、事故の検証の結果を踏まえ、

 国の責任の明確化と原賠法改正の議論を含めて、必要な措置をとることを定めています。

 改めて国会決議に立ち返って、決議無視の事業計画を見直し、

 より「国民負担の最小化」を図る施策は何か、国会が議論をするべきです。

 

・経営者の責任を問うことが不可欠です。そのためには経営者は退任でなく解任すべきです。

 同時に、金融機関の貸し手責任を問うべきです。

 金融機関にとっても、かつての不良債権問題の二の舞にならならいために債権放棄に応じ、

  早い段階での損切りが必要です。

 中長期的には追い貸しをするよりは、その方が望ましいはずです。

 

・東電は発・送配電の分離を「社会カンパニー制」でごまかそうとしています。

 発電と送配電について所有権を分離する形をとるべきです。

 そのうえで、それを直接売却するか、新会社の株式を売却して、賠償費用・除染費用を捻出すべきです。

 

・それでも事故処理費用や賠償費用は不足します。

  その分は、原子力予算を大胆に組み替えて捻出する以外にありません。

 高速増殖炉もんじゅは、15年間も動かずに1兆円も費やしています。

 六カ所村の再処理施設は、計画から20年経っても稼働の見込みが立たないのに、

 建設費と運転費用を合わせて3兆円以上が費やされています。

 福島県民およびその隣接地域は甚大な放射能被害を受け、

 これほど苦しんでいるのに、こうした無駄な事業を継続することは倫理的に許されるはずがありません。

 

2012年5月9日は、国会決議を公然と無視しても、

福島第一原発事故を引き起こした犯罪企業=東京電力を全国民の負担で救済することを

政府・経産省が決めた日です。

そして、東電の賠償費用節約のために福島県民の放射能被害を放置し、

国民の命と健康を守らない国家であることを公然と宣言した日なのです。

 

これは戦争と同じくらい異常な事態です。

いまや「昔、陸軍、今、電力」なのです。

 

これをこのまま認めていけば、この国は根幹から腐っていきます。

許してはいけません。
(転載終了)


※ 金子 勝著
  原発は不良債権である (岩波ブックレット)
  http://www.amazon.co.jp/%E5%8E%9F%E7%99%BA%E3%81%AF%E4%B8%8D%E8%89%AF%E5%82%B5%E6%A8%A9%E3%81%A7%E3%81%82%E3%82%8B-%E5%B2%A9%E6%B3%A2%E3%83%96%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%AC%E3%83%83%E3%83%88-%E9%87%91%E5%AD%90-%E5%8B%9D/dp/4002708365%3FSubscriptionId%3DAKIAIM37F4M6SCT5W23Q%26tag%3Dlvdrfree-22%26linkCode%3Dxm2%26camp%3D2025%26creative%3D165953%26creativeASIN%3D4002708365

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利益を確保するため、復興資金、賠償資金を確保するため、何より企業を倒産させないためには

危険を承知で原発を再稼働させるしかないと彼らは言う。

原発再稼働、原発輸出によって経済を再生させようなどと声高に呼びかける怪しげな政治家まで出てくる始末。

この愚かな連中のためにこの社会はいま存亡の危機を迎えている。


ニホン経済の問題ばかりではない。

福島への対応を誤れば全地球が破局を迎える。福島は終わってなどいない。

偶然にも強い余震が無いだけの話だ。

紙一重、首の皮一枚で保たれているいっときの平穏でしかないことを忘れてはならない。

静かに進行している恐怖は間違いなく市民の健康をむしばみ、生命を危うくしている。


時代の流れも読めず、無謀と知りつつも強引に突き進む社会の有り様は戦前と何一つ変わってはいない。

愚かな戦争と70年前を述懐する人々も、将来自分たちがそう言われているであろうことに気づけてはいない。

愚かさの象徴、あの戦艦大和についての記事を見つけたので紹介する。

ニホン社会が同じように沈没すると憂うのは私だけだろうか。

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戦艦大和の最期

昭和16年12月8日、太平洋戦争勃発、その8日後、大和は洋上に姿をあらわした。

12月8日、日本軍はハワイ真珠湾を攻撃、戦力で劣る日本は、あらかじめ、少しでも損害を与えておこうとした。

結果は大戦果となった。アメリカ海軍は壊滅。

それは、航空機は戦艦を沈めることはできないと言われた開戦前の常識を、

根底から覆す衝撃的な出来事だった。

「真珠湾を忘れるな」それがアメリカの合言葉になった。

今後の戦争の主役は、航空戦力だと悟ったアメリカは、戦艦重視だったこれまでの戦略を完全に転換し、

空母の大増産に乗り出した。大型、中型、小型を含め1週間に1隻空母が進水するという、
空前絶後の生産速度だった。

真珠湾で、航空機の威力を実証したのにかかわらず、日本海軍は、戦艦こそが海の王者で
あると言う古い発想を捨てきれなかった。


昭和20年4月1日、アメリカ軍は沖縄に上陸、支援兵力は、艦船1,500隻以上、航空機1,700機あまり。

4月5日、「天1号作戦」を発令、徳山沖に待機中の大和に出撃命令が下る。目的地は沖縄。

作戦は、片道分の燃料を積んで特攻、自ら浅瀬に乗り上げて動かぬ砲台となり、
敵の陸上部隊を砲撃するものだった。

司令官は一応反対したものの、連合艦隊司令部の「一億特攻のさきがけとなれ」の言葉で承諾、

4月6日午後4時、戦艦大和は出撃した。

その最期は、22時間後に迫っていた。

沖縄を目指す大和は、豊後水道に達しようとしていた。

午後6時、乗組員は甲板に集められた。そして、初めてこの作戦は生還を期さない特攻であることを知らされた。

当時の乗組員1「みんなの顔色が変わりました。真っ青でしたよ。

それが、まもなく真っ赤に変わった。よしやるんだ。帰らないんだと、体に伝わったと思いますよ」

乗組員2「特攻で死んでいくことを、名誉の戦死と言いましたよね。それを美学だとさえ、当時は思っていたんです。

でないと、17歳で特攻にはいけないと思いますよ」。

あくる4月7日早朝、大和を察知したアメリカ軍は、空母部隊に迎撃命令、その兵力は、

新鋭空母12隻、艦載機およそ800機、大和の護衛機はなかった。

のこっている「大和戦闘詳報」と生存者の証言から、大和がいかに戦ったかを記す。

「12時32分」 敵機100機が、雲の合間から出現、急降下爆撃を開始。

「12時45分」 アメリカ軍の魚雷が1本、左舷に命中。

          射撃を目測に頼る対空砲火は、厚い雲に阻まれて大和は主砲を使うことができなかった。

「13時34分」 アメリカ軍の雷撃機が、左50度から6本の魚雷を投下、3本命中。

「13時44分」 さらに2本がまた左舷に命中、大和は左に傾いたが、

          ここで注排水システムが作動、平衡を取り戻す。

                    アメリカ軍は巧妙だった。魚雷はほとんど、大和の左舷ばかりを狙った。

                    大和の注排水システムは、やがて限界に達した。

                    その直後、3本の魚雷が大和に命中、再び傾いた大和は、バランスを取り戻すことはできなかった。

「14時17分」 またも魚雷が左舷中央部に命中、大和は傾斜が大きくなった。

                     長官は、特攻作戦中止命令を下し、長官室に入って内側から鍵をかけた。

「昭和20年4月7日14時22分」 大和は横転、大爆発を起こした。

沈没によって命を落とした乗組員は、3000人以上に上る。

大和の沈没、これは、かって無敵を誇った日本海軍の滅亡を象徴するものでもあった。

昭和20年8月15日、日本は、敗戦の日を迎えることになる。 



作家半藤氏は

「日本海軍は、大和特攻が全滅に近いことになって、海軍として、はじめて終戦ということを考えたんですね。

まだ徹底抗戦派はいましたが。大和は、大鑑巨砲主義による洋上決戦のための船であって、

時代が変わってるんだということを、見通せなかったと言うか、そのための悲劇の船だったと言えます」と。



元大和乗組員の著書「戦艦大和の最期」にある言葉

「進歩のない者は決して勝たない。負けて目覚めることが最上の道だ。日本は進歩ということを軽んじすぎた。

私的な潔癖や徳義にこだわって、真の進歩を忘れていた。敗れて目覚める。

それ以外に、どうして日本は救われるか。今、目覚めずしていつ救われるか。

俺たちは、その先導になるのだ。日本の新生に先駆けて散る。まさに本望じゃないか。」

日本海軍の栄光をになうべく誕生し、やがてその滅亡の象徴となった戦艦大和、

3000人あまりの尊い命と共に、大和はいま、九州沖の海底深く眠りつづけている。






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ニュートラルにするということ___あなたの哲学はいのちを危うくしてはいないか




ニュートラル(neutral)


1 いずれにも片寄らないさま。中立的。中間的。かたよりのないこと。「.....なものの見方」

2 機械装置で、原動機と動力伝達装置が切り離された状態。



哲学


1 世界・人生などの根本原理を追求する学問。

2 各人の経験に基づく人生観や世界観。また、物事を統一的に把握する理念。

 「仕事に対しての...をもつ」「人生...」


ここではさらに日常にある ものの見方、とらえかた と幅を広げて考えてみることにする。


.....................................................................................




血糖値が高ければ下げる。

血圧が高ければ下げる。

飛行機の機首が下がりすぎていれば機首をあげる。


私たちの社会ではごく普通の風景である。

私たちはこのことに何の疑問ももたず、それを当然な事として日々を過ごしている。

当たり前すぎて、ここで疑問を呈することにすら違和感があるのではないだろうか。


結論を先にいえば、これらの対応はすべて間違いである。




明治維新以来、この国は西洋に多くの近代文明なるものを学んできた。

導入された産業機械や教育制度は確かにこの国を変貌させた。

変貌させたことに違いはないが、良くなったかとなると話は別である。


しかし、気がついてみれば古くから脈々と伝えられてきた知恵や工夫、もののみかたを隅へ追いやり、

前時代的とか非科学的だとかいって隔離してしまっていた。


物事の上っ面から見た、通りいっぺんの合理性にこだわり、本質に近づくことに不熱心な西洋文明をよしとしてきた。


つい最近までは生薬や漢方薬は呪術や迷信の世界のもののように扱われていた。

そんな得体の知れないものを扱うのはまともな連中ではなく偽医者のごとくに見られてきた。


生薬や漢方薬と西洋医薬ではその背景にある考え方が大きく異なる。


東洋医学は体を全体としてとらえるが、西洋医学は部位、器官の集合体と見る傾向がある。

一方は体質改善や体を養うことに重きが置かれるが、一方は治療に重きを置く。




アマリールという薬がある。膵臓のβ細胞を刺激して、インスリンの分泌を促進する血糖降下剤だ。

糖尿病治療に使用される広く知られた薬だ。


この薬を処方するときドクターは患者に対して必ず飴や砂糖を持ち歩くことを言い添える。

血糖値が下がりすぎて危険な状況に陥ることも予想されるからだ。


意識障害や昏睡状態にもなることもあって服用には注意を必要とする。

車を運転しているときにこの状態になれば大変な事態を招く。


ついでのことである。低血糖の意識障害とはどういうものか、私の体験談を書いておく。


ある日の夕方(夕方という点がポイント)、近所のスーパーで買い物をしているときのことだ。

カートを押して売り場のコーナーを曲がった。

と、そこは今まで見たこともない空間ではないか。

何かの店舗らしいのだが、さっき入ってきたスーパーとはまるっきり違う。

歩いているのもまったく見かけたことのない人たちばかりだ。


     これが いうところの ワープ というやつか 

     いまのコーナーが異次元の入り口だったに違いない。

     それにしても ここはいったい・・・


そのときはじめてアマリールの副作用のことを思い出した。

そして自分が意識障害を起こしているのだと自覚できた。


ドクターの指示通り、甘いものを買って店内の休憩コーナーでしばらく休んだ。

予備知識がなければパニックに陥っていたと思う。


家へ帰っても意識障害は続いた。


パソコンの中へ誰かが「ゴミ箱」を置いていったようだ。

しかも、「マイコンピュータ」などと立て看板まで立てていった。

ひとのコンピュータになんてことを !! (今から思えば笑い話である)


コーヒーを飲もうとカップを取り出しコーヒーの瓶を手に持つ。

ところが次にすべきことがわからない。

瓶の中へお湯を注ぐのか、コーヒーをポットの中へ入れるのか・・・

しまいには何で自分がコーヒーの瓶を持っているのかがわからなくなっていた。


なんだこりゃあ・・・だんだん自分がおかしくなっていっている。

人格が崩壊していく・・・そんな感じだった。


アマリールという薬、朝に服用しても効き出すのは午後になってからで空腹時の夕方がピークになる。

そのことを考慮した生活をしないと上記のような事態になる。


後にホームドクターから聞いた話。


   ある精神科の医師から、一年半、統合失調症の治療をしているがいっこうに改善が見られない

   患者がいると相談され、診てみるとインスリンの分泌異常、つまり糖尿病だったとか。

   血糖値低下は統合失調症ときわめて似た症状を起こす。


   
        ※ 統合失調症  かつては精神分裂病と呼ばれていた精神疾患群の名称。

                 幻覚、幻聴や妄想を抱く等の思考障害を起こす。

                 「 ここはどこ? 私は誰? あんた誰? 」の状態にもなる。



ってことは統合失調症と診断されているひとの何パーセントかは実は糖尿病?


アマリールは血糖値を下げる薬であって決して血糖値を正常にする薬ではない。

このことをおさえておかないと大変なことになる。


血圧を下げるというのもほぼ同様であって、

決して血圧を正常にする薬ではないことを認識していなければならない。

使い方を誤れば生命の危険すらある。


これらの薬、確かに即効性という点では評価はするが、あくまで対処療法であって、

なにやら行き当たりばったりの感は否めない。


「治療」には有効とされる西洋医薬も「体を養う」という発想はない。

求められているのは正常値にすることであって、「下げる」ことではないはずなのだが。




「上げる」「下げる」ということを短絡的にとらえていたりすると

飛行機の機首云々のケースにおいては重大な事態を引き起こす。


下がりすぎた機首に対してとるべき行動は機首をあげることではない。機首を戻すことだ。


「あげること」と「戻す」は同じように思えるが、本質的にまったく違う。

この考えがわからなければ決定的な過ちを犯す。


実際にこの事が原因して264名もの犠牲者を出す事故が起きている。

1994年に起きた中華航空140便墜落事故がそれである。




事故の概略


1994年4月26日名古屋空港へ着陸しようとしていた台北発の中華航空140便

(エアバスA300)が名古屋空港滑走路への進入中に失速し、滑走路東脇に墜落した。


この事故で乗客、乗員合わせて271名のうち264名が犠牲になり、乗客7名が重傷を負った。


犠牲者数は1985年の日航ジャンボ機墜落事故に次ぐ、

国内の空港で起きた事故の犠牲者数では日本史上最悪である。


事故原因として報告されたところによると


運輸省事故調査委員会の調査は、操縦乗員の自動操縦装置の誤操作があったことを指摘したうえで、

エアバスによる操縦システム設計も不適切であったとしている。


手動操縦でのILS進入時に副操縦士が誤って着陸復行(ゴーアラウンド)レバーを操作し、

自動操縦装置のゴーアラウンドモードがオンになった。


ゴーアラウンドモードを解除しないまま自動操縦装置に反発する機首下げの操縦を行ない続けたため、

自動操縦装置は水平安定板を機首上げ方向に操作したうえ、

自動失速防止装置も作動しエンジン出力を最大とした。


しかし、操縦桿の操作による昇降舵の動きの効果が自動操縦による水平安定板の動きの効果を

上回っていたため、機体は降下をはじめた。

降下はしたものの、機体が思うように操作を受け付けないため、

機長は着陸のやり直しを決断し、操縦桿を元に戻した。


その結果、自動操縦装置による機首上げ操作のみが急激に作用して機体が急上昇、

機首角は最大53度にまで達し、失速し墜落した。


自動操縦装置にインプットされていた思想に瑕疵があったのである。

「機首が下がれば機首をあげる」ではなく、「機首が下がれば機首を戻す」であればこの事故はなかった。


背景にある思想は時にかくも残酷な結果を私たちに突きつける。




手元にある常備薬の丸薬はおもしろいことに便秘にも、下痢にも効く。

正反対の症状になんで? と思うのは多分、現代人のものの見方がそうさせている。


いにしえから生薬を扱っている人の目から見れば「胃腸が弱っている」のであって、

何も真逆という認識はない。


からだを本来あるがままのニュートラルな状態に戻すことを求めてきた文化がここにある。


とらえかたの根本が違えば導き出される解答も自ずと違ってくる。

本質をしっかり見極めなければいのちにも関わる。




あなたの哲学にニュートラルにするという概念はあるだろうか。



あなたの哲学はいのちを危うくしてはいないだろうか。








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赤ちゃん工場



「赤ちゃん工場」摘発のニュースが伝えられた。

「工場」という言葉はいかにも現代の生命のビジネスを象徴するようで寒々しい響きがある。


人身売買を監視する国家機関があるということ自体、

ナイジェリアという国の抱える問題が深刻であることを物語っている。

人権意識のない因習や貧困もあり、そこからの脱却は容易なことではないだろう。


とくに貧困については先進国の身勝手な経済活動によるところが大きいわけで、

単なる「人権問題」と問題を矮小化してはならない。


ナイジェリアは歳入の7割が石油で占める産油国だ。

石油市場をコントロールするアメリカはその責任を問われなければならない。


しかし世界は何故こんなときだけ大騒ぎするのだろうか。

生命のビジネスは「赤ちゃん工場」だけでもないだろう。


金銭のやりとりは確認されていないものの、

「生命」を道具のように扱っているのは先進国とてなんら変わらない。


「精子バンク」「臓器移植」「代理出産」「医療産業によって定義される生命」これらを棚に上げ、

「赤ちゃん工場」のみ批難する姿勢には強い違和感がある。


恐ろしく、また悲しい「赤ちゃん工場」の事件ではあるが、私にとっては早くから想定できることだった。

やはり起きたか、そんな思いでこのニュースを聞いた。


1973年にアメリカ映画「ソイレント・グリーン」を観た。


舞台は近未来のニューヨーク。

人口増加・失業・食糧不足といった、いまからでも当然予測のできる問題に、解決策などない混沌とした社会だ。

映画は生命を道具のようにしか考えない文明の末路を示す内容である。

テーマが重すぎたためかヒットはしなかった。


文脈から予想できるかもしれない。

この社会が選んだ選択肢は「公営安楽死施設」であり、そこから供給される遺体で作る「人肉食品」だった。


社会の真実の姿に絶望して自ら安楽死施設へ行き、

「田園」を聴きながら逝った老人の姿が今でも記憶に残っている。


恐ろしく思えたのはスクリーンを見ている時ではなかった。

映画館の帰路、それがSFであることを忘れ「多分そうなるだろうな」と、思ってしまったときだった。


「精子バンク」「臓器移植」「代理出産」「医療産業によって定義される生命」などは

アウシュビッツの「人間石鹸」と同じ感性であることを認識すべきだ。


「赤ちゃん工場」などはまだアナログ的かもしれない。

高度な技術でスマートになされる生命の道具化・商品化に私たちは慣らされ利用されてはならない。

彼らは表向きにはヒューマニズムを装って近づいてくる。


私は予言する。

機械論的生命観が見直されない限り、映画「ソイレント・グリーン」は現実のものになる。








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私たちは騙されない





最近は詐欺の被害が実に多い。

悪い人が増えてきた、との言い方もあるが悪い人はいつの時代もいた。

騙される人が増えてきている、があたっている。


どうかするとひとは自分の願望を通して相手を評価しようとする。

こうあって欲しい、の思いが強ければ冷静な判断を狂わせてしまうことを忘れてはならない。

ようく考えてみれば気付くはずのことも欲の皮が突っ張っていては相手を見抜けず、

策謀に乗せられ、大金をはたくことになる。


私などは「他人を見たら泥棒と思え」「自分と自分の財産は己の知恵と才覚で守れ」

「騙した相手をとがめるより見抜けぬ愚かさを恥じよ」

と教えられてきた。

先輩達は、「そのひとの言葉ではなく、行ないで判断しろ」と

耳にタコができるまでに青二才の私をリードしてくれた。

おかげでどうにかこの齢まで大過なく過ごせてきている。


時代はかわろうとも「敵味方を峻別できる眼を養え !! 」の言葉は生きている。





日本共産党は第4回中央委員会総会を開催し、戦争法廃止の国民連合政府の提案を決定、

野党結集を呼びかけている。

まことに結構なことには聞こえるが、何を今更という感は否めない。


先の衆院選はまさに天王山の戦いであり、その勝敗は社会を大きく変えるものだった。

そして国民大多数の願いも空しく安保法案は可決されてしまった。


安倍独裁を決定的にしたのは日本共産党の選挙姿勢だったことは紛れもない事実である。

彼らはファシズムと闘う党ではなかった。

彼らは衆院選で何故決断をしなかったのか。

安保法案の行方を確認した上で事ここに至り、野党づらを決め込むのはまことに市民を愚弄するやり方だ。


日米安保廃棄を求めない・・・なるほど方針の大転換にも見える。


が、それは有権者に対するジェスチャーの話で、

自民党政権の延命に協力してきた実体が帳消しになるという話ではない。


かけ声は立派であり、市民寄りにも見えたが節目節目ではちゃんと体制温存を図ってきた。

市民の目には日米安保廃棄を求めないこれまでの実体が見えてしまっている。


もし、先の衆院選の対応が批判されるべきものと深く反省しているのならば、

現執行部総入れ替え、解党的出直しを図ると宣言することが不可欠であろう。

衆院選と同じ体制で統一戦線を呼びかけられてもそれに応えるほど有権者は愚かではない。


私たちは騙されない。





日本共産党の今回の呼びかけには好意的に受けとめる声も多い。

確かにタイミングを逃せばファシズムはますます進行し、社会は後戻りのきかない隘路にはまり込む。

ワラにもすがる思いも理解はできる。


しかし、同じ言葉でもタイミングを外せば輝きを失う。何の意味も持たない。

これが安保法案成立前の衆院選に向けての言葉なら大いに評価もされたであろう。

やはりファシズムと闘う党の本気度は違う、と某宗教団体でさえも雪崩をうって結集に参加したであろう。

安倍独裁の道も途絶えていたに違いない。


が、衆院選で彼らは何が何でも自公候補の当選を阻止するという策はとらなかった。

結果、諸先輩達が築きあげた「ファシズムと闘う党」のイメージを崩壊させてしまった。

事が決まってから後出しジャンケンのように「国民連合政府」構想と言い出すのは如何なものか。


衆院選で決断してくれれば市民の憂いはなかったはずだ。

疑心暗鬼になるなという方が無理な話ではないか。


自民党延命に協力してきた過去のイメージが払拭されねば「国民連合政府」など夢のまた夢。

悪意があったか否かの問題ではない。

愚直なまでに腹を割った姿で臨まねば誰もついては行くまい。




それにつけても、時流を読めぬ人物を評価する若い人たちには大いに失望する。








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言うべきこと___サービスということ




相手が客だと言うべきことが言えない。

事故を起こした川下り舟の船頭の一人が本音を漏らしていた。


しかし、本当にそうだろうか。

あの人達に、"言うべきこと" が何であったかわかっていたのだろうか。


「客の安全は金儲けより大事」そう言わなければならなかったのではないか。


客の身勝手さに責任を転嫁し、自身の責任追及をかわそうとする姿勢は何とも見苦しい。

船頭も会社も当然わかっていた想定内の事故である。言い訳は許されない。


とはいえ、このような体質はこの川下り舟だけではない。

理不尽でも客の意に逆らわないことや、理不尽な客の意を先取りすることは日本中で見られる。


日本中が「商道徳とは何か」「サービスとは何か」を学び直すべきだ。

(もともと無いとすれば、学び直す、というのは変か?)




ある年の暮れ、訪れた病院は猛威をふるっていた風邪の患者でごった返していた。

休み直前ということもあって、座る場所さえない状態だ。


そんな中で或る男性が悠然と煙草を吸っていた。見たことのある顔だった。

以前けがで入院したときに同室だったその人は重篤な呼吸器疾患で、

本来ならICUにいるべきような状態だった。

そんな状態の人ほど煙草が手放せないらしい。


以前から苦々しく思っていたのだが、その病院は灰皿も設置してあって喫煙OKであった。

だが、そこにいるほとんどが風邪に苦しむ患者である。

私は男性の前にある灰皿を病院の外へ放り出した。



     馬鹿もん! 他のひとの事を考えろ!



     あんたも自分の身体を大事にしろ! 

     院長はじめここのみんながどれほどあんたの身体を心配していることか



     治す気がないんなら病院など来るんじゃねぇ!



大立ち回りは覚悟していたが、男性はあっけなく従った。 

これを婦長が見ていた。



     申し訳ありません。

     患者さんのことを考えると灰皿の撤去ができなくて・・・



     患者のことを考えていないから灰皿など置いてあるのと違いますか? ここは病院でしょ?



     治療の妨げになるものを置いて医療機関と言えるのですか?



年明けには院内の灰皿、煙草の自販機はすべて撤去された。

カロリーの高い飲み物も自販機から消えた。


灰皿、煙草の自販機が無いからといって客足が減ったということは聞かなかった。

厳しいことをいうと客が寄りつかなくなるのでは? 

こんな卑しい発想が自らの仕事を貶めていたということだ。


ロビーの空気がきれいになったことは病院の理念を形で示しているとして好意的に受けとめられた。

「客が寄りつかなくなる」は自らの邪念でしかなかった。


転居するにあたって病院を紹介してもらったのだが、その病院は煙吸引機なる装置をロビーに設置していた。

ロビーでの喫煙OKというわけだ。

患者の身体を考えないのは出身医学部の学風のようである。




ホームドクターの医院と少し離れた皮膚科クリニックは出身医学部は同じだ。

二人の院長を見ると共通しているものが多いことに気づく。

何より患者に対する態度がやわらかい。

それに院内が大変きれいだ。無論、灰皿などはない。

病状の説明の仕方もよく似ていて、わかりやすく丁寧だ。

受付もオープンな造りで、威圧感、圧迫感がない。


お二人にとってそれは特筆すべき事ではなく、医院としての当然のこととしておられる。

これがサービス、"奉仕" という事なのだと思う。

お二人を育てた医学部の姿勢・学風が偲ばれる。


客のわがままを許したり、理不尽な振る舞いを容認することがサービスと考えるひとびとは

今一度自分の仕事の何たるかを認識すべきだ。

厳しさの中の優しさ、優しさの中の厳しさ。

それが無くては職業人とは言えまい。


こころから患者を思う医師であればこそ、大きな声で一喝してもくれる。それが優しさだ。






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安全保障___政に想定外はない




『レッド・オクトーバーを追え』(The Hunt for Red October)1990年製作のアメリカ映画。


冷戦時代、ソ連ムルマンスク港よりタイフーン級原子力潜水艦「レッド・オクトーバー」が出航する。

この新型艦の処女航海の艦長はマルコ・ラミウスである。


世界の海軍関係者より尊敬と畏怖の念をもって見られるラミウスはソ連の体制に不満を持ち、

レッド・オクトーバーを手土産にアメリカ合衆国への亡命を画策する。


この艦の推進システムは「キャタピラー・ドライブ」といい、全く音を出さずに航行することが可能だ。

これならソ連艦隊の追跡をかわし、大西洋の対岸にたどりつくことが可能である。


乗組員にはキューバに向かう訓練であると説明し、北海を西へ進む。


ソ連軍は艦船数十隻を動員、演習とNATOに通告した上で、レッド・オクトーバーを追跡、撃沈しようとする。

アメリカ合衆国の幕僚会議はソ連軍の動きを警戒、対策を協議するが、

CIAのアナリストのライアンは、ラミウスが亡命するつもりなのかもしれないと直感し、席上で発言する。


「攻撃すべし」の幕僚達からは一蹴され、会議はしらけてしまう。


幕僚達が去った後、議長の国家安全対策顧問ペルトはライアンに「亡命説」を3日以内に証明するように言う。

私がこの映画で最も印象に残ったシーンだ。


国家安全対策顧問ペルトはホワイトハウス高官で政治家だ。

彼は言う。「我々は如何なるときでも、あらゆる選択肢を持っていなければならない」

彼は亡命説を支持しているわけではない。


しかし、国家の存亡に関わる者として、「万一」は許されないとの立場で、

不確かな情報、確率の低いものにまで目配りをおろそかにしない。


仮に、「亡命説」が的外れであっても、民間人であるアナリストが動いただけのことであって、

ペルトの政治生命に傷はつかない。アナリストは使い捨てということだ。政治家は汚い! いやな奴!


しかし、私がその立場でも、やはりそうするだろう。

国民の生命・財産をまもる立場であってみれば、「汚い」と罵られようと、役目をないがしろにはできない。


国民の生命・財産をまもることが政治というものだ。




思えばこの社会はひとがどう動くか見極めてから動く傾向がある。

異論があっても呑み込んでしまう。

ひとと同じ事をしていれば安心していられるからだ。

自分の意見も含め、少数意見を無視して皆が勝ち馬に乗ろうとする。

まさに「みんなで渡れば怖くない」だ。


農耕民族ということと無縁ではないと思うが、この傾向は昔から何もかわっていない。


「お友達内閣」は確かに政策決定まで時間がかからないかもしれない。

反対しそうな人間を委員から外せば審議は進むかもしれない。


しかし、舵取りを修正したり、制御する者がいなければ、

航路を間違っていても誰も気付かず大海原で漂流するだけだ。


この国は70年前に漂流した過去がある。


しかし、原発問題を見るときに、政府・業界が一様に同じ方向を向いていたようで、不気味さを禁じ得ない。

過去に学ぶ姿勢がまったく見えない。


原発推進論者であっても、政府の立場ともなれば、一方で危険を訴える学者の声を尊重し、

脱原発の可能性を常に模索しておくべきだ。


あらゆる選択肢を用意できなければ国の存続は危うくなる。

「想定外」など絶対にあってはならないのが政というものだ。


誰が総理になろうと、一番身近なところに、感性・思考回路がまったく異なる人間を置いて欲しいものだ。

うるさ型というか、ある意味、政敵を置いて方向性が間違っていないか意見を求めるのがいい。

万人のための政なのだから。


一方に流れればこの国は今度こそ取り返しのつかないことになる。






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「即刻廃止」それで十分ではないか___何故、そう言わないのか




原子力規制委 志賀原発で初の断層調査へ



規制基準では、将来動く可能性がある断層の真上に、原子炉など重要な設備の設置を認めていない。

このため反対運動派は廃炉に持ち込めると考えて調査をするよう申し入れをしていたという。


ご苦労なことだと言いたいが、「時間の無駄」「経費の無駄」以外のなにものでもない。

活断層でないと判断されたとき反対の根拠を失うではないか。

「原発推進にお墨付きを・・・キャンペーン」のようにも映る、このような危なっかしい運動は

邪魔にこそなれ、市民にはなんの利益ももたらさない。


処理できぬ核廃棄物問題、温排水による環境破壊、陰に隠れた膨大なコスト、

見え隠れする核兵器問題・・・・十分すぎるほどの攻め手がありながら、

このような幼稚な手法しかとらないのは誰かの「誘導」があったのではないかと、

へそ曲がりは疑ってしまうことである。


「即刻廃止」それで十分ではないか。何故、そう言わないのか。





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活断層の再調査? そもそも、そもそも論が欠けていないか




国際基準(IAEA)の防災対策、ストレステスト、防潮堤かさあげ、原子力規制委員会の設置・・・・

これらを安全対策ととらえる人々もいるようだ。


ものを考えなくなった大衆を騙すのはかくも簡単だということか。

どれも原発推進のために行なわれることではないか。

安全とは真逆の方を向いている。


IAEAほど怪しげな機構もない。

核の平和利用といいながら、一方でプルトニウムの蓄積を許し、核兵器開発能力を温存させている。


結局は「現在の核保有国以外は核兵器を作らせませんよ」というだけのことだ。

核技術の独占を図るための機構であって、平和的な組織とはとても思えない。


超大国の思惑の範囲内で核の利用を認めますよ、つまり、原発を買ってくださいというための機構だ。


反原発、脱原発をいう人々が何でIAEAに信頼を寄せるのか、私には理解できない。

日本政府の「ただちに健康に害はない」という詐欺まがいの言葉よりましだろうという受け止め方は

非常に危険だ。彼らこそ原発推進団体に他ならない。




活断層の再調査が問題になっている。

人々はこれで廃炉が見えてきたと、事態がよりよい方向に動くと信じている。


それは希望的観測というものであって、単なる願望でしかないことを知らなくてはならない。

私は多くの人ががっかりする結論になる可能性がきわめて大きいとみる。


結果を握っているのは調査を行なう側だ。

再調査を命じられたのが電力会社であってみれば結論はもう決まっている。


電力会社の調査に瑕疵があれば、あらゆる立場の人を動員して国が再調査すべきだろう。

原子力規制委員会は満足な調査も出来ない連中をもう一度信じるという。

ビジネスの世界では考えられないことだ。


一般の企業なら再調査などという費用のかかることは容易には呑めない。

コストを製品単価に反映できなければ倒産しかねない。


しかし、電力会社は痛くもかゆくもない。

日頃から飼い慣らした政治家や、役人たちが企業の存続を図ってくれることをよく知っている。


今回は国民の根強い反発を感じた保安院が演技して見せたに過ぎない。

原子力規制委員会はやはり原子力ムラでしかないということだ。


多額の費用をかけたものをやすやすと手放す資本家が存在するほどこの社会は美しくはない。

希望的観測は雨乞い神事のようで何の合理的解決にもならない。




各地で行なわれた意見聴取会のことが問題になっていた。

電力会社の人間が発言したとかどうとか・・・

騒ぎ方が間違っていないか。


「通過儀礼」であることは最初から見え見えではないか。


国として核エネルギーの放棄、あるいはエネルギー政策を白紙に戻すと宣言することが

議論のスタートではないか。

その上での意見聴取会であろう。


核兵器開発の魂胆を隠し、国是といって核エネルギー政策を進めてきたことを総括もしない政府が

どんなパフォーマンスを見せようと彼らの用意した土俵に引きずり込まれてはならない。


マークシート方式の試験に慣らされた人々は三者択一の議論ということ自体に違和感がなかったのだろうか。

これは誘導であり、その時点で「やらせ」と気付かなくてはならない。


くじ引きということ自体が怪しいものだが、別室で行なわれたとなるとそれは抽選とは言わない。

発言内容も事前に審査されているということは発言者の人格とは関わりなく「やらせ」というべきだ。


恣意的に行なわれる意見聴取会で発言できたと満足してもそれは自己満足でしかない。

政府に方針を変更する気など端から無い。


応募者全体の意見比率を無視し、主催者があらかじめ枠を設けるのはいかがなものか。

それぞれの発言者に対して均等に機会を与える意見聴取会のやり方は

国会の委員会審議でこそ実施して欲しい。


最終的には多数決で決められるのである。委員全員に存分に発言させるべきと考える。

ハードルを二重にかけるのはやりすぎだ。


あまりに短い発言時間は国民の負託を受けて参加している議員の身分を無視することであろう。




三択で思い出した話・・・


私は石川県だが、若いときから富山県のかたがたと仕事上のお付き合いがあった。

隣の県ではあるが、県民性の違いというものはあるようだ。


例えば数人でレストランに入るときなど・・・・

メニューを見て「えっ たっかい!!」と思ったことはないだろうか。


   松が5000円、竹が3500円、梅が2500円


そんなとき金沢の人間の多くは「うーんと そうだな 自分 竹にするかな」という。

内心は梅でも高いと思っているのにだ。


しかし、私の知る富山県人のほとんどは



     すみません メニューって これだけですか



と店の人間に確認する。


その場の雰囲気に流されない堅実な生き方、金銭感覚は私も勉強になったことである。








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ああ 沢庵和尚も浮かばれません___日本文化の荒廃極まれり



大谷大学で助教授をされ、石川県の明達寺(暁烏敏の寺)の住職でもあった

暁烏哲夫(あけがらす てつお)というかたがいます。

明治の仏教者、清沢満之(きよざわ まんし)のお孫さんです。

大谷大学では西洋哲学を教えていらっしゃいました。


先生は1966年、京都・法蔵館より「無常断章」という本を出されました。

清沢姓の時代にまとめられたからなのでしょう。著者名は清沢哲夫(kiyozawa tetuo)となっています。


この本の172~173ページに「道」という詩があります。



      道


   此の道を行けば

   どうなるのかと

   危ぶむなかれ

   危ぶめば


   ・・・・・・・・・


(著作権の問題があり、以下省略)             

             
             昭和二六年一〇月「同帰」所載

             1966年京都・法蔵館発行            



どこかで耳にしたことがあるかも知れません。

それというのもプロレスラーのアントニオ猪木氏が引退セレモニーの中で朗読したからです。


しかし、彼はどういう訳か「一休の詩」であると発言してしまいました。文言もかなり改変しています。

彼が朗読したのは


   この道を行けば

   どうなるものか

   危ぶむなかれ

   危ぶめば道はなし

   踏み出せば

   その一足が道となり

   その一足が道となる

   迷わず行けよ

   行けば分かるさ


というものでした。


おかげで猪木版の方が世の中に知れ渡るようになってしまいました。

プロレスファンならずとも「このみちをいけば・・・・」と聞けば一休を連想するのですから

有名人の発言の威力、恐るべしです。


メディアでもこの「一休の詩」が氾濫していました。

アナウンサーやパーソナリティが「一休の詩」と発言していたのを知っています。


多くの著名人も自身の座右の銘としたり、スピーチの種にするのですから、いやはや、大変な文化国家です。

室町時代の禅僧が何で「現代詩」を書くのか? 

そんな疑問を誰も持たなかったことが私には不思議です。


清沢哲夫は決してメジャーなかたではありませんし、その著作を知る人間もそう多くはありません。

有名人が「一休だ!!」と言えば通ってしまう状況ではあったのですが・・・・


私はこの本を永年手元に置き愛読しています。

まして私は先生の講義を受けた者です。


そんな私ですから黙っているわけにもいきません。

ネットで「一休の詩」を取り上げているほとんどのサイトへメールを送り、

間違いであることを指摘し続けています。


永年の成果というか、国会図書館のおかげもあって「清沢哲夫」はかなり浸透してきた感はあります。

が、昨年びっくりするようなことが・・・・


8月30日早朝、

インターネットで清沢哲夫がどの程度認識されているか見ていました。

まだまだ「一休禅師の詩」と認識しているかたもおられるようです。

が、中に「○○院」の文字を見つけ、しかし最初は誰かのいたずらと思いました。


     ○○院  「このみちを行けば・・・」  (一休禅師)


ところがクリックすると「○○院」のホームページにつながりました。

あの○○院です。○○院にあのもこのもありませんが、○徳寺塔頭の○○院です。


          ※塔頭(たっちゅう)

           本来、禅寺で、祖師や大寺・名刹の高僧の死後、

           その弟子が師の徳を慕って、塔(祖師や高僧の墓塔)の頭(ほとり)、

           または、その敷地内に建てた小院である。


           それから転じて、寺院の敷地内にある、

           高僧が隠退後に住した子院のことも塔頭と呼ぶようになった。



am9時を待って連絡すると、女性がでて、


「ああ 一休の詩ですね」 「それが 何か?」 の返事。   


「その詩の原典をお教えいただきたいのですが・・・ どの書物に書かれたものなのですか?」


「時代でいうと いつ頃書かれたものですか?」


「現物を拝見させていただくことは可能ですか?」


「私ではわかりませんので 調べましてこちらからお電話いたします」


「では よろしくお願いいたします」


後刻、


「私 Yと申します  Aにお尋ねの件ですが

 あれは10年ほど前に和尚がひとから頼まれて書いたのがきっかけで

 以来 一休の詩としてご紹介しているもので・・・・」


「ごめんなさい  私はすべてをわかった上でお電話しています  

 他人様の詩をこともあろうに一休の詩と紹介するとは何事ですか」


「えっ  一休ではないのですか」


「暁烏哲夫という大谷大学で助教授をしておられたかたの『道』という詩です  

『無常断章』という本の中にあります」


「そうなのですか?」


「先生の講義を受けた人間がこうやって話しているのです  間違いありません」


「電話では十分にお伝えできません  

 そちらのアドレスをお知らせいただければ わかるようにして差し上げます

 私のアドレスへ空メールを送ってください」


「では よろしくおねがいいたします」



以下はそのメール

+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++


○○院

Yさま


添付ファイルあります。(「道」の原文です)


石川の 剱  智 ともうします。


   この道を行けば

   どうなるものか

   危ぶむなかれ

   危ぶめば道はなし

   踏み出せば

   その一足が道となり

   その一足が道となる

   迷わず行けよ

   行けば分かるさ


これが「一休禅師の詩」として世間に出回っているものです。


○○院さんもインターネットでそのように書かれています。

○○院さんといえば○徳寺にある臨済宗の由緒ある寺。

一休ゆかりの○徳寺となれば「一休禅師の詩」にも信憑性が出てくるというものです。

世間はそう見ます。


これが、ものを知らない若いかたが言っているなら私も放っておきますが、

○○院さんがそのように言っているとなると黙ってはおれずご連絡した次第です。


まずは私のブログをお読みください。


??現代詩を詠む一休禅師____墜ちた文化水準

http://gravitational-wave.air-nifty.com/tobenaiposuto/2013/05/10/index.html#entry-76444792


上記の詩は誰が見ても「現代詩」です。

室町時代の禅僧がどうして「現代詩」を書くのでしょうか。


   どうなるものか

  
   迷わず行けよ


   行けば分かるさ


の言葉遣いは猪木氏の口調です。

清沢哲夫の詩を彼が改変して流布させたものです。

清沢の詩と比べてみてください。文章全体に優しさや品がありません。


このままでは一休ゆかりの臨済宗の寺が一休について間違った情報を流す張本人になってしまいます。

○○院の名誉にかけて訂正なさった方がよろしいと思います。


以下をご覧になってください。


国立国会図書館

レファレンス協同データベース

http://crd.ndl.go.jp/GENERAL/servlet/detail.reference?id=1000028008


国立国会図書館

http://www.ndl.go.jp/


福井県立図書館

http://www.library.pref.fukui.jp/

http://www.library.pref.fukui.jp/reference/reference_top.html


清沢哲夫

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%85%E6%B2%A2%E5%93%B2%E5%A4%AB


清沢哲夫 無常断章 道

https://www.google.co.jp/search?q=%E6%B8%85%E6%B2%A2+%E5%93%B2%E5%A4%AB&rls=com.microsoft:ja:%7Breferrer:source?%7D&ie=UTF-8&oe=UTF-8&sourceid=ie7&rlz=1I7FTJD_jaJP477&redir_esc=&ei=uug-UJy5DdCviQfv6YHwDw#hl=ja&rls=com.microsoft:ja%3A%7Breferrer%3Asource%3F%7D&rlz=1I7FTJD_jaJP477&sclient=psy-ab&q=%E6%B8%85%E6%B2%A2%E5%93%B2%E5%A4%AB+%E7%84%A1%E5%B8%B8%E6%96%AD%E7%AB%A0+%E9%81%93&oq=%E6%B8%85%E6%B2%A2%E5%93%B2%E5%A4%AB+%E7%84%A1%E5%B8%B8%E6%96%AD%E7%AB%A0+%E9%81%93&gs_l=serp.12...0.0.2.5228.0.0.0.0.0.0.0.0..0.0...0.0...1c.VyTwPtgZ9po&psj=1&bav=on.2,or.r_gc.r_pw.r_qf.&fp=9e3ec1341b556020&biw=960&bih=477


大谷大学

http://www.otani.ac.jp/


法蔵舘

http://www.hozokan.co.jp/cgi-bin/hzblog/sfs6_diary/index.html

                            
+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++


次の日のメール


○○院

Yさま


石川の 剱  智 です。

昨日は失礼いたしました。


しかし、当方は○○院に対する想いを大きく傷つけられてしまいました。

○徳寺もここまで墜ちたか、の感です。

ネットで見るだけでも多くのかたが困惑されているのがわかります。


○○院並びに○徳寺の責任は重大なるものがあります。

ネットから削除して済む話ではありません。


○徳寺・○○院さんとしてこの件に関してコメントする責任があると存じます。

アントニオ猪木氏はもとよりあんな人物ですから、何を言っても無駄だというのは世間が知っています。


しかし、一休ゆかりの○徳寺から間違った情報がもたらされたとなるとうやむやにはできません。

私にはあらゆる手段を用いて、間違いをただす用意があります。

○○院さんから発した情報は○○院さん自身で訂正していただきたい。切なる想いです。


私がただすときは、当然ですが、○徳寺の名も○○院さんの名も尾○○園氏の名も出した上で

批判することになります。

どうか、○徳寺、○○院に対する想いを壊さないでいただきたい。

○徳寺ならびに○○院として今後どのように対応されるのか是非お聞かせください。



                                       

これが○○院に送った内容です。現在、音沙汰なしです。

まさか○○院を相手に「一休の詩」についてやりとりすることになろうとは考えても見ませんでした。

社会の理科離れが言われるようになって久しいですが、文系離れもかなり深刻です。

沢庵和尚も浮かばれません。(沢庵は○○院七世です)


○○院という寺、実はこれだけではありません。

ホームページには次のようにありました。


    ○○院の歴代和尚方には、多くの意気の推進者が居られます。


    三世古渓宗陳和尚は、豊臣秀吉が醍醐の三宝院に庭園を築くに当たって、

    大聖国師作庭の枯山水庭園の庭石を没収しようとした時、身を投じて防がれたという逸話があります。


    沢庵漬けで広く知られた七世沢庵宗彭和尚は、紫衣事件で徳川幕府に抗弁した人であり、

    また書院「拾雲軒」で宮本武蔵に剣の極意を授けたともいわれています。
      




沢庵宗彭という人物、吉川英治作の小説『宮本武蔵』では武蔵を諭すキーパーソン的な役割を担っているわけですが、

吉川自身は「武蔵と沢庵和尚の出会いは、自身による創作である」と明言しています。

武蔵と沢庵和尚の間に接触のあったというのは小説上のことであって、史実ではないはずです。


「沢庵漬け」の考案者であるというのも文書等が残っているわけでなく、伝説の域を出ていないと思います。

要するに、人寄せのためなら何でもあり、という寺だということです。


しかし、一休ゆかりの○徳寺が新たな「一休の詩」を捏造してはいかんでしょう。

日本の文化は一体どうなるのでしょうか。


ネットでは観光客が住職や解説員から「一休の詩」を聞かされていることが伺えます。

寺を「観光産業」としてみた場合でもこれはひどすぎます。

悪質商法と非難されるべきです。


猪木氏の場合は悪意があったたかはわかりません。単なる思い違いかも知れません。

しかし、一休の詩と言っていながら自分に著作権があるかのような振る舞いは、

それはそれで問題にされてよいはずです。

Tシャツ、CD、パチンコ、焼酎等々・・・「一休の詩」に関する事業欲も旺盛のようです。


猪木氏といい、○○院といい、

問題は「清沢哲夫」の浸透度がまだまだ低いということから起きているように思いますが、

日本文化の荒廃極まれりの感を強くする今日この頃です。




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http://www.joraku.co.jp/?p=435


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We shall overcome 我々は子供騙しに屈しない



2011/05/01  参議院予算委員会


 
 ○森ゆうこ君       この度文部科学省が決められましたこの学校安全基準値年間二十ミリシーベルトとい

             うのは、今の放射線管理区域、これは年間で見たときにその放射線管理区域の規制値

             の何倍になりますか。
  

 ○国務大臣(高木義明君)           これにつきましては、年間で換算しますと管理区域は五・二ミリシーベ

                       ルトであります。これは、強力な放射線源の存在という言わば潜在的危 

                       険性を前提に管理区域というものを設定をして、注意深く放射線管理を

                       行うことを事業者に課しておるわけでございまして、したがいまして、

                       そもそも強力な放射線源が存在しない学校に関して、この放射線管理区

                       域と比べて何倍だという形で比較することは私は適切ではないと思って

                       おります。


                                (国会議事録より)

                    

                              
                                                                  ※ 国会会議録検索システム


                                  http://kokkai.ndl.go.jp/                                 




++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++



「そもそも強力な放射線源が存在しない学校・・・・」 ????


まったく子供騙しの言い方である。

もし、騙す意志がなければこの御仁は救いようもないおかただ。

こんな人物が大臣になれるほど人材がいないということか。


何故、継続的なモニタリングや学校のグラウンドの表土を除去しているのか。

放射線源が存在しない学校というなら、奇妙な話だ。


放射線源があったればこそ、こんなに問題になっているのではないか。

学校の校舎の中に放射線源が無い、と言えばそれはその通りだ。


病院等の放射線管理区域というのは、施設内にある微量の放射線源を問題にしている。

それでも厳しい規制があり、厳重に管理されている。


今回のケースは見渡す限り、およそ放射線源なるものは無いにもかかわらず、

これだけの影響を及ぼす超強力な放射線源が原因ではないのか。


しかも、その放射線源は通過していった一過性のものではなく、依然としてその場所にある。

そのうえ事故は収束しておらず、放射性物質を放出し続けている。放射線源が存在しないどころではない。


まず、そもそもの認識がまったくできていない。これでは対策が講じられないのも無理はない。


このような能天気な男が大臣をやっている国だから、

数ヶ月も経って、稲わらがセシウム汚染になっていたなどと騒いでいる。


放射線防護策が何も講じられること無く4ヶ月も放置されていたのだ。

そんなことは端からわかりきっていたはずだ。


パニックを恐れ、"脱原発" の世論の高まりを恐れ、

ひた隠しにしてきたものが表面化しただけのことではないか。

おそらく汚染はこんなものですまないだろう。まだまだ出てくる。(隠さなければ)


風評被害の農家や漁業者を助けようなどと安易に世論を誘導したメディアがなければ、

汚染された食肉が全国に拡散することもなかったはずだ。


互助の精神はいい。しかし、農家や漁業者だけが被害者ではない。市民もまた被害者なのだ。

市民は放射能汚染の疑いのある食品を拒否する権利がある。

家族をまもる権利がある。義務がある。


原子力マフィアの一部であるメディアは加害者責任をうやむやにするため、

さかんに「被災地域を助けよう」などと呼びかけ、本来は東電や国が買い上げるべき

汚染の疑いのある食品を一般市民に押しつけている。


いまや常套句となった「直ちに健康に影響ない」という言い方で。


「国や東電に補償するだけの金はない」


「きれい事を言っていたら食べるものがない」


と言われるかもしれない。

原発が事故を起こせばこういうことになるのだ。


誰にも十分に補償できないくらいの大変なことになるのだ。いや、なっているのだ。

真実は政府の発表どころではなく、おそらく絶望的な状況であると思う。

こんなに算盤勘定のあわないことはない。


核兵器開発の潜在力を持っていたい、というのが彼らの本音のはずである。

そうであるからこそ、算盤勘定のあわないことでも強引に進めようとする。しかし、誰もそれを語らない。

各国は、プルトニウムにこだわる日本の姿勢の先に核兵器があるのは確実だ、と見ている。


安全神話を作り、国民を騙し、電力会社には負担を負わせず、核にこだわる計画を画策したのは一体誰なのか。

表には一切顔を出さぬ存在をあきらかにしなければ、この国の実権は市民の手には戻らない。








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NHK___これで中立を保てるのか




不偏不党、公正・中立のNHKが民間企業の社債を保有していたことが明らかになった。

しかも、保有債権の上位5社が電力会社というから驚きだ。


     東京電力 145億円

     中部電力  68億円

     関西電力  65億円

     中国電力  51億円

     東北電力  45億円



放送法では次のようにうたっている。


第一条  この法律は、左に掲げる原則に従つて、

                放送を公共の福祉に適合するように規律し、

            その健全な発達を図ることを目的とする。

                                  
         一  放送が国民に最大限に普及されて、

                  その効用をもたらすことを保障すること。

    
        二  放送の不偏不党、真実及び自律を保障することによつて、

                 放送による表現の自由を確保すること。

    
        三  放送に携わる者の職責を明らかにすることによつて、

           放送が健全な民主主義の発達に資するようにすること。



NHKが行なっている民間企業の経営支援は第一条第二項に抵触すると考えられる。

これでは公正・中立が担保されているなどといえるはずもない。


そもそもNHKが何のために民間企業の経営を支援しなければならないのか。

財政状況が苦しくなれば受信料の値上げですむ話だ。

財産保全のためという言い訳は通用しない。


広告収入に頼らない不偏不党、公正・中立な報道というのがうたい文句であったはずだ。

そのための受信料であり、強制的な徴収もそのことの故に容認されてきたのではなかったか。


社債を保有しているということは、利害関係などと言うレベルではなく、運命共同体そのものではないか。

なるほど原発事故の報道が歯切れの悪いはずである。


電力会社の推進する原子力事業を否定しないのも運命共同体なればこそだ。

何のことはない、これでは電力会社の広報部ではないか。ジャーナリズムが聞いて呆れる。


私は6年前にNHKを含む大手メディアに愛想をつかし、受信契約を打ち切っているが、

いま契約中の人々も受信料を支払うことを猶与された方がよいと思う。


民法第533条は同時履行の抗弁権を認めている。


           民法第533条

           双務契約の当事者の一方は、相手方がその債務の履行を提供するまでは、

           自己の債務の履行を拒むことができる。

           ただし、相手方の債務が弁済期にないときは、この限りでない。



つまり、NHKが行なうべきことをやっていない以上、視聴者も受信料を支払う必要はない、ということだ。

払う意志そのものはある、ということを示すため、供託という手段もあるのではないか。

ま、私はそんな面倒なことはせず、あっさりと解約ということだったが。


今や、完全に資本家による市民コントロールの道具と化したスポンサー付きのメディアや、

民間企業と運命共同体となっているNHKから離れませんか。


メディアが資本家に独占されていては資本家の社会である。市民はいいように利用されるだけだ。

電力会社の社債を保有しているNHKが原発を正しく検証できるはずがない。期待する方が間違っている。


私たち自らが市民の声を代表するメディアを育てなければ2009年の政権交代も完成しない。

幸いなことに「自由報道協会」や「週刊金曜日」といった小メディアが健闘している。

希望はある。








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傘を差し出す女性




一枚の写真を見つけました。ご覧ください。

写真は雄弁です。



「大飯原発前で機動隊に傘を差し出す女性」

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女性達は相手を「敵」として見てはいない。

自分の弟や息子にするように雨に濡れる若者達を気遣っている。


この優しく振る舞う人々をデモにまで駆り立てている政治とは何なのですか。

デモの叫びを「音」と表現する男達は市民の代表ではありません。


かつての自民党政権でさえこれほど暴走はしなかった。

ここまで独裁的ではなかった。

怒りも3年前の比ではないことに男達は気づいていない。


自制の効いているうちに何とかしないと60年安保のようなことがまた起きてしまいます。




こんな光景もありました。

【機動隊員 思わず涙】大飯原発再稼動反対■IWJで配信中




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NHKの政治介入___ひどすぎるシピンコントロール




NHKの政治介入は容認できない。


2011年8月29日に行なわれた民主代表選における誤報を装った「誘導」は

ジャーナリズムの自殺というべきものだった。


 
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     2011年8月29日


     菅直人代表辞任に伴う民主党代表選は野田佳彦氏と海江田万里氏による決選投票の末、

     野田氏が新代表に選出された。この模様はNHKによってテレビ中継されていた。


     しかし、その中で流された馬淵澄夫氏の発言に関する報道は事実とは異なるものであり、

     後に、NHKの記者が、その番組内で訂正していたことが明らかになった。


     この代表選では、第1回投票で過半数を獲得できた候補者がおらず、

     海江田氏と野田氏との間で決選投票となった。


     そのため、残りの候補である馬淵氏や前原誠司前外相、鹿野道彦農相の陣営が、

     第2回投票で海江田氏と野田氏のどちらに投票するかが焦点となっていた。


     代表選の模様を中継していたNHKは、決選投票が行なわれている最中の13時50分すぎ、

     馬淵陣営の投票行動に関して、次のように報じた。


     「馬淵前国土交通大臣は、今日午前の出陣式で自らの陣営に、

     決選投票になった場合は海江田経済産業大臣以外の候補者に投票するよう呼びかけました」

    (横尾泰輔アナウンサー)


 
     ところが、最初の報道から約2時間後の16時ごろ、

     NHKニュースの中で、政治部の小川航記者が馬淵氏の発言について、訂正した。


    「先ほどの特設ニュースの中で、


     『馬淵前国土交通大臣が今日の午前の出陣式で、自らの陣営に決選投票になった場合は、

     海江田さん以外の候補者に投票するよう呼びかけた』


     とお伝えしましたが、正しくは


     『馬淵さんが増税はすべきではなく、決選投票になった場合は私の政策に近い海江田さんに投票したい』


                    と表現していました」


     この訂正報道について、NHK広報は


     「馬淵氏の決戦投票の対応については、投票開始後に伝えましたが、

     その後、取材の情報に基づいて、特設ニュースなどのなかで、改めて、馬淵氏の対応を伝えました」


 
        とコメントした。


     
      馬淵氏の事務所は、NHKの最初の報道は「事実無根である」としている。


     「誤報」とは言っているが、特定の候補に票が流れるように巧みに仕組んだ情報操作というべきものだ。


   
*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-



NHKの偏向報道は今に始まったことではない。

政治介入は以前から常態化していた。


選挙報道でよくある「事実上、AさんとBさんの争いと思われます」というのもそれだ。

私などは何度も抗議をしてきたが一向に改める気配はない。


過去の話としての報道ならそれでよいことでも、投票前ではどうだろうか。

「Aさん、Bさん以外に投票することは無駄ですよ。意味がありませんよ。」というメッセージになる。

草の根活動を続けてきた市民の政治的願いはこの時点で抹殺されるのだ。


AさんにもBさんにも投票したくないひとはこの時点で棄権することになる。

報道は中立・公平に行なわれなければならないものであり、記者の感想、論評は選挙妨害以外の何ものでもない。

NHKはこのようにして体制派を擁護し、市民の自由な投票行動を妨害してきた。


社会のあり方に不満をもつ大勢の人がCさんを選択することも十分にあり得る。

投票率の低さは逆に言えば、投票所へ足を運ばないひとの行動次第で結果がひっくり返る事を意味する。

NHKの選挙妨害は民主主義の根幹を揺るがす重大な犯罪である。


代表選におけるNHKの報道は

「決選投票になった場合は海江田経済産業大臣以外の候補者に投票するよう呼びかけました・・・」であった。

アナウンサーは原稿を正確に読んでいると思う。問題は原稿を書いた記者の方にある。

私などはしょっちゅうミスをやらかす。

とくにパソコンになってからは誤変換に気づかないことや、誤字、脱字が多く反省している。


仕事上で数字の書き間違いもよくあった。0335とすべきを0355と書いてしまうことがその典型だ。

ミスはミスだと言ってしまえばそれまでだが、人間がやらかすミスには傾向がある。

永年の体験でそれがよくわかる。


断言してもよい。代表選におけるNHKの「誤報道」なるものはミスではあり得ない。

ミスならば逆になるはずだ。



     決選投票になった場合は海江田経済産業大臣以外の候補者に投票するよう呼びかけました・・・


と、すべきところを


     決選投票になった場合は海江田経済産業大臣に投票するよう呼びかけました・・・


と、いうのであればミスであるかも知れない。「以外の候補者」が抜けるということならあり得る。

が、これだけの文字が逆に挿入されることなど人間の行動として起こりえない。これは意図的だ。


代表選会場にテレビはなくとも、携帯電話やスマートフォンがある時代である。

外部の情報を得ることはできたわけでNHKの報道が投票行動に影響を与えたことは十分推認できる。




NHKのシピンコントロールは目に余るものがある。


小沢一郎氏を起訴すべしとした検察審査会の議決そのものがインチキであったことが

参議院議員森ゆうこ氏の綿密なる調査で証明された。

起訴は司法のあり方に重大な汚点を残した。現行の検察審査会制度には重大な瑕疵がある。


しかし、2009年の政権交代をこころよく思わない大手メディアはその事実すら報道していない。

原発報道でもわかるようにNHKは中立・公平ではない。今や政府の御用機関と化している。


対米隷従外交からの脱却を図ろうとする者を追い落とすあり方はかつての田中角栄氏の時と同じである。

これは小沢氏の勢力に対する問題というより、民主主義が脅かされているという、全市民の問題だ。



                    ※ シピンコントロール

                      政治的情報操作

                      政治的自己防衛として、自己を正当化するために多く利用される、

                      不利になることは公表しないで、成果だけを公表する情報操作。



田中角栄という政治家については検証すべき点が多々あると思う。

多くの公団を作って天下りの道を拓いたともいえるわけで、

功罪両面にわたってその政治スタイルはニュートラルな立場で検証されるべきだろう。


政治家を好き嫌いだけで判断すること自体、この国に民主主義が育っていないことの証だ。


田中角栄はエネルギーの乏しい我が国の現状を打開すべく、多方面に資源外交を行なった。

このことは評価されるべきだ。


隣国関係を正常にすることも一国の首相ならば当然行なうべきだろう。

かつて侵略状態にあったことを考えればなおさらである。


これらがどなたかのお気に召さなかったようで、失脚の道を行くことになった。

ロッキード事件はあきらかな政治謀略だ。


小沢追い落としも根っこはここにあるわけで、アムステルダム大学のウォルフレン教授も指摘する

政敵に対するネガティブキャンペーンの一環と見るべきだろう。

断っておくが、私は小沢シンパではない。宗教にしろ政治にしろどこにも属さないことは多くの人の知るところだ。


そんな中立の目で見ても日本社会の小沢ネガティブキャンペーンはひどすぎる。

小沢氏は金権体質、剛腕、こわし屋・・・などとメディアに作られたイメージだけで語られる。

情報操作とはまさにこう言うことをいう。


対米隷従派が握っているメディアに翻弄されていては戦前の全体主義体制など批判できるはずもない。

これは民主主義ネガティブキャンペーンであることを知らなければならない。




私たちは今ファシズム社会のまっただ中にいる。








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こよみちゃん




楽しい一日だった。


こよみちゃんがお友達を連れてあそびに来た。

近所に住む小3の女の子だ。

お母さんと一緒に、生まれる前から遊びに来ていた子だ。


我が家のデッキを運動場にして成長していく姿を亡くなった母とともに見守ってきた。

いまやアンパンマンのように(?)がっちりした体型になった。


私にとっては孫のような年齢ではあるが、時にこの子は本当に子どもなのかと思ってしまうことがある。




こよみちゃんが "ねんちょうさん" の時のことだ。


我が家のデッキは時として蜘蛛が大きな巣を作り、来客が巣に顔を突っ込んでしまうということがある。

自然豊かな土地とはいえデッキはごめんこうむりたい。ほうきでとろうとしていた。


と、後ろからかん高い声



     だめ! かわいそうやがいね  とっちゃ だめ!

     (かわいそうじゃない)



「いのちの営みを何で邪魔するの!」そう言われたのだ。 

私はハッとした。

事の重大さに初めて気がついた。

警策でビシリと打たれた思いだった。


                  ※ 警策

                     坐禅のとき、修行者の肩ないし背中を打つための棒。

                     曹洞宗では「きょうさく」、臨済宗では「けいさく」と読む。



あまりの恥ずかしさにしばらく顔を上げることができずにいた。

するどい一言がこよみちゃんとわかるまでしばらく間があった。


「生きとし生けるものは平等」などと日頃口にしながら何たるざまか。

幼い子に叱られた。

まぶしい光の中にこよみちゃんが立っていた。


以来、デッキ付近の蜘蛛の巣はそのままにしてある。

どうしても歩行のスペースを確保したいときは



     ごめんなさい ここを あけさせてもらいます。 できれば あっちでつくってください。



と断りをいれてから立ち退いてもらっている。




6年前、末期癌の母を家で世話をした。


何から何まで初めての体験。しかも、ひとりでの対応だった。

「いつかきっといい思い出になるから・・・」そう思って慣れぬ食事作りに励んでいたときのことを話すと、



     わかるぅ わかるわ そうよ そのきもち わかるわぁ



     おばあちゃんにも そのきもち つたわっていると おもうわ



     よく がんばったねぇ



と相づちを打つこよみちゃん。

これだけを聞いて小3の女の子とわかる人はまずいないだろう。

まるで私とは同世代、あるいは上の世代に聞こえる。まさに茶飲み友達だ。 



     ねえねえ 詩を読みっこしよ



いつか聞かせた "金子みすゞ" の詩にこころひかれたようなので、

お父さんを通じて手元にあった "みすず" の詩集をプレゼントした。

以来、家族でまわしっこして読んでいるという。

そらんじている詩が多いのには驚いた。


最近のお気に入りは "不思議" という。加えてその "不思議" をパロディー化して、

自分の不思議を詠んでいるというからかなりの文学少女と言えるかもしれない。



     ねえ わたしは どうして おおきく なるの



かなり哲学的な思考もすでに芽生えている。

安易な解答を示すことはせず、「宿題」にした。    



     お手紙の中へ入れるとこよみちゃんの優しさも相手に伝わるんだよ



"文香" を作って見せた。  

こよみちゃん達は目をまん丸にして見ていた。



     うわぁ いい においぃ 



     においぃ より かおり って ほうが すてきだね



えっ、この子いったいいくつなんだ。私なんかよりはるかに感性は鋭い。

社会で起きている悲しい事件についても心を痛めていた。



     きっと きもちが 病んでいるんだわ



     わたしたちも おんなじ かもしれない せめられないかも・・・



お父さん、お母さんの育て方が偲ばれる。 
 

こういう子どもたちの感性が大切にされる社会であり続けなければならない。

旧世代としては責任の大きさを感じる。  



お昼ご飯に作ってあげた "巻き寿司" をほおばる顔はやはり何処にでもいる小3の女の子達だった。








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呆けたか 尾関宗園 



Daisenninn_2


「意気の道場 大仙院」のホームページに次のように書かれている。

  http://www.b-model.net/daisen-in/ikinodojyo.htm


 

      大仙院の歴代和尚方には、多くの意気の推進者が居られます。


      三世古渓宗陳和尚は、豊臣秀吉が醍醐の三宝院に庭園を築くに当たって、


         大聖国師作庭の枯山水庭園の庭石を没収しようとした時、身を投じて防がれたという逸話があります。


      沢庵漬けで広く知られた七世沢庵宗彭和尚は、紫衣事件で徳川幕府に抗弁した人であり、


       また書院「拾雲軒」で宮本武蔵に剣の極意を授けたともいわれています。




まことに不思議なことである。 

沢庵宗彭と宮本武蔵が出会ったことについて吉川英治は『随筆宮本武蔵』の中で

「武蔵と沢庵との交渉は、まったく僕の創作で、文献には見当たらない」と書いている。



また、京都観光の旅行者によれば「清沢哲夫」の詩を一休禅師の詩として紹介なされ、

和尚が色紙に書いたものを売っておられたとか・・・・



いやはや商魂たくましいというか、観光客引き寄せ商売も見事なもの。(????)


そんじょそこいらの商人も恐れ入るばかり・・・・・


が、嘘はいかんじゃろ。捏造は許されまいて。


名刹、大仙院の名を見事なまでに失墜させた当代殿の責任は甚大であろう。恥を知りなされ。


これでは沢庵宗彭も浮かばれまい。



呆けたか 尾関宗園  喝 !!










大徳寺大仙院を訪ねて感銘を受けた「道」という言葉、解説員の方の説明では・・・

https://twitter.com/marong07/status/195435728354803712


京都の大徳寺(大仙院)を訪れた際、

住職さんが一休さんの言葉ですと

語り出したのには驚きました。

http://kcafe.exblog.jp/17594236


大徳寺大仙院「尾関宗園」・・・道

http://blogs.yahoo.co.jp/hrfcd524/folder/1042862.html?m=lc&p=3


大徳寺大仙院で住職直筆の色紙を1万円で買ってきた俺が通ります-よ。

もともとの原作は一休禅師とのことでした。

http://www.youtube.com/all_comments?v=64kdUTFhvMY








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まなざし___あなたは人間として見ているか




刑務所がどんな構造か殆どの人は知らない。

違法行為を行なった人たちを収容していることは知っていても、

中でどんな生活をしているかとなると答えられる人はさらに少ない。

出所後の生活となると関心すらない。


そんな人々が裁判員として裁く対象とはいったい何なのだろう。

被告と相対してはいるが、人間として見ているのだろうか。


単に方程式に当てはめて、


     ハイ、懲役3年です


     まあ、執行猶予2年です


とやっているのではなかろうか。

職業裁判官も同じである。単なる「業務」でしかないのではないか。


何故、その人が犯罪を犯すことになったのか。

その人にとって刑務所とはどういう意味があるのか。

その人の再出発のためにできる支援とは何なのか。


すべてが相手の人格を尊重した所から出てこなければならないと考えるが、

今の時代、共に悲しむ眼差しで相手を見ようとする人がどれだけいるのだろうか。


社会全体にすさんだ空気を感じる昨今、犯罪者は人間のクズ、刑務所に放り込んでおけ、

という気持ちが前面に出るのではないかが懸念される。

裁判員裁判が厳罰化している状況はその事を物語っている。


死刑制度について法務大臣鳩山邦夫氏は「機械的に執行すればいい」と発言した。

これは自己否定であり、自殺行為的発言に他ならない。。

機械的にということであれば大臣は要らないということであろう。


また、大臣のというよりは自身の人格を否定したことに彼は気がついていない。


凶悪な犯罪者を許せない、というのは「こちら」側の問題であって、

心境の変化で許せるようになったとき、執行したあとでは取り返しがつかない。生き返らない。


その人が犯罪を行なったという事実が、

後ろめたさを麻痺させているだけで「こちら」が殺人を犯したことに変わりはない。


人間を物のように捉え、善悪という価値判断でしか見ない生き方は

そのまま自分に返ってくることに気づいて欲しいと切に願う。






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政治家さまざま 人さまざま




あなたが出てくれたら100人通ると言われた。

後から思ったら、信じるべきではなかった。


こんな発言をされるかたもあるかと思えば

次のようなコメントを出したかたもある。

政治家さまざまである。

人さまざまである。





 本日午後8時に投票箱が閉じられ、有権者の意思が示されました。

皆さんとともに目指した私の政治的目的は頓挫致しました。厳粛にこれが民意だと受け止めています。


 突然の解散から、この12日間の選挙で、皆さんから頂いた熱いご支援は、

私にとって何にも代えがたい活動の原動力となりました。


 しかし、皆様のご支援にもかかわらず、私の政治信念を、声の限り有権者の皆様に訴えてまいりましたが、

十分に意を尽くせず不本意な結果となり、その責任は、当然全て私自身にあります。

ご支援を頂いた皆様に心から感謝申し上げるとともにお詫びを申しあげます。


 江戸時代の肥前平戸の藩主で剣の達人でもあった松浦静山が

「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」と言っています。

私自身に油断と隙があったと思います。今回の結果をしっかりと心にとどめ、揺るがぬ政治信念を持って、

国民の生命と生活を守るための政治とは何かを模索し続けたいと思います。


 皆さん本当にありがとうございました。






あなたが信頼できるかたはどっちですか?






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募 金___危ういニホン人の言語能力




街で「募金をおねがいしまぁす」と呼びかけられたらどうすればよいのだろうか。


横に並んで「義捐金をおねがいしまぁす」と叫ばねばならないのだろうか。

献金を呼びかけられれば募金箱に金を入れるのだが・・・・


「募金活動」とは「金を募ること」と思っている。

「醵金」または「拠金」と混同して使われることには強い抵抗感がある。


      ※「募金」寄付金などをつのって集めること

      ※「醵金(きょきん)」「拠金(きょきん)」ある事をするために複数の者が金を出しあうこと。

                                    また、その金。


これでは外国で日本語の勉強をしている人々に説明ができない。

言葉を大切にしなければならないメディアにあっては特に注意が必要だ。


「言いたいことが 伝わるんならいいじゃない」と言った若いかたがおられたが、

不用意な使われ方で日本語がだんだん難しいものになっていくのは困る。


ある事件報道で、アナウンサーが



     警察では情報を呼びかけています



と言っていたが、これはミスではなく若いかたがたの感性ではないだろうか。

無論、「情報提供を呼びかけて・・・」だろう。


言葉がぞんざいなかたは、おおざっぱで、

物事の陰にある大切な部分には多分気付かずに過ごされるんだろうな、

とまで思ってしまうものだ。


三島由紀夫がある若者に言ったそうだ。


      君も物書きをめざすなら広辞苑を丸暗記しなさい


言葉を大切にした三島ならではだ。


以前、あるコールセンターの若いかたの説明がわかりにくく、責任者にかわってもらった。

責任者だけあって、丁寧で大変わかりやすかった。


30年前のNHKのアナウンサーを思わせる美しい日本語は耳ざわりが良かった。

お名前を聞いて驚いた。韓国のかただった。


自戒も込めて「日本人、しっかりしろ !! 」と叫ばずにはいられなかった。








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マイルドコントロールの怖さ____ファシズム国家




こんな時代だから観て欲しいドラマ。



フィクションとはいっていられない今日的な問題です。

マイルドコントロールの怖さ、ファシズムの怖さが描かれています。(18分ほどです)



世にも奇妙な物語 第181話「23分間の奇跡」 












ユニオンジャックのガラス窓

http://gravitational-wave.air-nifty.com/tobenaiposuto/2013/week19/index.html#entry-76444877


原爆を許すまじ

http://gravitational-wave.air-nifty.com/tobenaiposuto/2013/week19/index.html#entry-76444807


沈黙の螺旋
http://gravitational-wave.air-nifty.com/tobenaiposuto/2013/week20/index.html#entry-76479181








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出会い___医療ということ




知り合いの母上が亡くなられた。肺がんだった。


一度お目にかかっただけだが、おっとりした、テレビ初期のホームドラマにでも出てきそうな上品なかただった。

昭和元年生まれということだから亡くなったこと自体は驚くお歳ではないかも知れない。


しかし、ご家族からお話をうかがい、いま私はもって行き場のない怒りを覚えている。


初めて病院を訪れて以来うつ状態になられていたという。

医師の言葉にショックを受けたことが原因らしい。



      ああ、これは末期の肺がんです。


      助かりませんね。よくもって半年でしょう。
  



診断結果を伝える医師はこう言ったという。

付き添われた長女のかたの話だ。

にわかには信じられない思いだが、本人に直接言ったというから言葉もない。


確かに、この問題は非常にデリケートなことではある。

しかし、医療側はこの問題から逃げてはいないか。

死刑執行について、ベルトコンベアで機械的にとの意見を述べた人間と同じ感性を感じる。


"こころの問題" というデリケートな世界には立ち入りたくない、

指針を示してもらえればそれによって行動したい、そんな医療側の本音が透けて見える。


メディカルマシーンの彼らには "こころの問題" を扱うだけの感性もなければ意欲、能力もない。


患者には自分の病状について知る権利がある。医療側がそれを拒むことは許されない。

だから医療側は後で訴えられないように告知という形で情報開示するのだという。


冗談じゃない !! 

これでは患者のためではなく、自分たちの責任逃れのための告知ではないか。

欧米かぶれの連中が訴訟社会のアメリカの悪しき論理に倣っただけのことではないか。

知る権利がある という事と 知る義務がある を混同していないか。 


ケースによっては、積極的に治療に専念していただくために病状をきちんと説明する必要もあるかも知れない。

ケースによっては、ご本人の人生を成就させるために残された時間を伝えることもあるかも知れない。


さまざまなケースがあり、一様にこうだという対応がとれるものではないはずだ。


しかし、どんなケースでも共通するのは医師と患者の信頼関係が必要不可欠だということだろう。

それなくして医療はあり得ない。

いきなりの告知は無謀極まりない。

あっていいはずはない。


無神経に告知をすることがその医療機関の方針というなら、そのことを社会に発信しておかなくてはならない。

患者側に選択肢があっていいのは当然だ。


告知がうつ状態の直接の原因であれば、これは医療行為などではない。

傷害罪が適用できる犯罪である。

悲しみに打ちひしがれた中で亡くなられたお母上はまことにお気の毒だ。

ご家族もどれほど残念なことであろう。




末期の胆嚢癌だった私の母の場合、病院は私たち姉弟にのみ告知し、母への告知は私たちに委ねてくれた。

後日、私は数枚の作文を書いて主治医を訪れた。

そして、主治医は私の台本にしたがって "嘘つき" になってくださった。「お腹に菌がいるんです」と。



亡くなる前1ヶ月半は自宅近くのホームドクターに診ていただいた。

主治医の先輩であるホームドクターには台本が引き継がれていた。

私は二人の医師を "嘘つき" にしてしまった。


家で看取りたい、この願いのためホームドクターやスタッフの皆さまには大変なご迷惑をかけてしまった。

ホームドクターは大型連休にも実家の岡山へは帰らず、医院で待機していてくださった。



                           
      剱さん、気にしないでください。


      私が当事者でも、やはり家で最後を迎えたいと強く思います。


      私も若い頃は医療を優先していたように思います。


      でも、今は患者さんのお気持ちがよくわかるようになりました。


      無機質なメディカルマシーンではなく、患者さんの側に立った医師でいたいと思います。


      ですから決して気になさらないでください



最後の日は日曜日ということもあり、早朝から来てくださっていた。

臨終を確認した直後、私たち家族は号泣する医師が神々しい空気に包まれているのを感じていた。   

   
本人はこころ穏やかな日々を自宅で過ごし、子や孫に見守られ、優しい先生に最後の瞬間まで診ていただいた。

これはこの時代奇跡に近いことかも知れない。








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脱原発で日本再生

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ただいまの時刻は・・・

水のごとくに  無文翁

「私」という宇宙

文言で語る世界      文言でしか語れない世界

そったらことも      わからいでかの

"さんづけ"を多用する社会

危険ゾーンに入ってきた

こうして戦争へ向けた世論が形成されていく

感じませんか

紛争解決に尽力することが先だ

ユニオンジャックのガラス窓

原爆許すまじ

政に想定外はない

子どもの声が届かない

永田町住人たちの犯罪

永田町住人たちの犯罪2

その『神様』とは・・

クリーンなイメージ???

投票時間繰り上げ

私たちは騙されない

これでも放送受信契約を結びますか?

小異を残して大同につく

上意下達(じょういかたつ)

100年経っても変わらない

オリンピックはスポーツか

おせんで泣かすな

手袋をしていませんか

そもそも そもそも論が欠けていないか

風評じゃない!

何ひとつ解決できていない

誘導されていませんか? その法務行政

みんなちがってみんないい

65歳以上の独居老人に福祉は必要か?

厚労省は自由診療体制に誘導か?

奇妙きてれつ

会員No.1095

PURPLE RAIN

ニュートラルにするということ

バイタルサインを測る

異変を見逃す若者

現代詩を詠む一休禅師

沢庵和尚も浮かばれません

呆けたか 尾関宗園 

We shall overcome

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