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他者との関わり合いに責任ある ”心配り ”を !!




フランスの週刊新聞の事務所が武装した男たちに襲われた。

編集幹部や、記者、風刺画家ら12人が殺害され、多数がけがを負った。

この新聞は、刺激的な風刺画で知られ、反権威、反権力の立場を鮮明にしている。

近年は、イスラム主義を批判したり、揶揄したりしていた。


メディアは、民主社会の根幹である言論の自由への重大な挑戦といっせいに非難の声をあげている。


が、今のニホンのメディアに非難の声をあげる資格があるのか。

言論封殺の圧力に屈し、選挙報道を控えたのは誰だったのか。

権力にすり寄り、総理と総選挙打ち上げ会食をやるような者に「表現の自由」を語る資格は無い。

先日もタレントがNHKの事前検閲を受け、ネタを取り上げられたことが報じられたではないか。

「言論の自由・表現の自由」を言うなら自らの姿勢を正すことから始めてもらいたい。


しかし、フランスのこの事件、表現の自由という括りで論じていていいことなのだろうか。

北朝鮮指導者暗殺映画という場合もそうだ。

文化圏の異なる社会同士の価値観が異なるのは当然のことで、

自分たちと同じではないとして冒瀆するような態度では摩擦も起きようというものだ。

ことに対象が国家元首であったり、宗教であればなおさらと言えよう。

冷静に・・といわれても自分たちのアイデンティティに関わることを揶揄されては

揶揄された方は黙っているはずがない。

立場が逆ならばフランスの市民は冷静でいられたのか。



ひとは誰しも自由である。というより、自由でなければならない。

自らを由しとする生き方であるべきだ。

自らを由しとする・・・自らを拠り所とし、他のものを拠り所としない生き方だ。


私たちは大勢の他者と交わることで社会を形成している。

他者との関わり合い方にも自らの責任ある ”心配り ”を確立することが求められる。

どこかの市長のように他者を認めない生き方では、やがて自らも認められないことになる。


良くも悪くも今はグローバル社会だ。価値観の異なる者同士の生活圏は重なる。

では、一連の事件の背景に他者との共存を図るという思いはあったのだろうか。

筆者の了見の狭さもあろうが、報道から受ける印象は排他的空気であり、誹謗中傷の類いにしか見えないのだ。

これではグローバル社会は成り立たない。諍いは永遠に続く。


よりよい社会をつくっていくためには

批判精神は必要だし、大いに議論することもあってよい。

が、すべては論理的でなければならない。

相手の人格を否定するようなことでは共存は図れまい。

敵(かたき)であっても礼をもって対するのが大人ではないか。

節度を失った「表現の自由」は単なる暴力でしかなく、共存の道を自ら閉ざすものだ。




被災地では健康被害を訴えることも許されない空気があると聞く。

そんなニホン社会で、メディアが表現の自由について論じるというのは何ともおかしな国ではある。








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母のほめ言葉




「おいしかったあ」

うかつにも、私は最近までこの言葉の力を知らなかった。

60歳の晩秋、なんの心の準備もないまま食事作りが母から私に移った。



今にして思えば三度三度の食事を作るなど、

インスタントラーメンしか作ったことのない私には想像を絶するハードルの高さだった。

しかし、不安や戸惑いは不思議となかった。

というより、立ち止まってあれこれ考える ”時 ”が私にはなかった。



「あと3,4ヶ月と思ってください」

母が胆嚢癌の末期と宣告されたときから仕事はすべてキャンセル。

「どうやって食べてもらうか」 のみになった。



少量でもバランスのよい食事とは・・・・

食べることに興味をもってもらう工夫とは・・・・

一日中、頭の中をかけめぐっていた。

やったことがない、そんな言い訳をする余地はなかった。



どうやって食べてもらうか。

とはいっても、私にはレシピの引き出しなどありはしない。

まして、食欲があっての食事と食欲の無い人向きとでは内容も変えなければならないはず。

知恵をしぼらねばならない。

しかし、むずかしく考えたら何もできない。

調理も栄養学も何も知らない人間なのだ。



ふと、ムッシュ村上、村上信夫さんの言葉をおもいだした。

「世の中で一番おいしい料理、それはお母さんの料理だよ・・・」

そうか、できるかできないかではなく、どれだけ食べる人の気持になれるかだ。



すると不思議なほどレシピがわいてきた。

ワラビを茹でたり、ミョウガの甘酢漬けを作ったり、鮎に串をうって塩焼きにしたり・・・

納豆ひとつとっても、包丁で刻んだり、大根おろしや刻みネギを入れたり、おかかと混ぜたり・・・・

と、自分でも信じられないほど手が動いた。

習ったこともない、教えてくれる人などいない。

永年母の作っていた味を再現することだけを考えた。

それにしても切羽詰まると何でもできると言うことか。



「おいしかったあ」



「その日」 が一日一日近づく中で母のひと言は何よりうれしかった。

食がすすむという安堵感、きょうも生きているという喜び。

「おいしかったあ」 のひと言がこんなにも力強いメッセージをもっていることを初めて知った。



    「ありがとう」


    「私はまだ元気でいるよ」


    「心配しなくても私は大丈夫」



いろんな思いが伝わるひと言だった。

かえりみると私は過去に母に対してこれほど思いを込めた ”おいしかったあ ” をいったことがあったろうか。

あたりまえのように作ってもらい、形式的な ”ごちそうさま ” しかなかったように思う。

見守るつらさ、見守る喜び。すこ~しだけわかった気がする。



”サラダ記念日 ” ではないけど、七ヶ月のほとんどが記念日になった。

「この味がいいね」 という母の笑顔が忘れられない。



          ”湯豆腐記念日 ”


          ”カレイの煮付け記念日 ”


          ”納豆記念日 ”


          ”ふろふき大根記念日 ”


          ”黒豆記念日 ”


          ”鮎の塩焼き記念日 ”


          ”ほうれん草おひたし記念日 ”


          ”じゃがいも煮もの記念日 ”


          ”味噌汁記念日 ”


          ”おでん記念日 ”


          ”なすオランダ煮記念日 ”



          その他記念日でいっぱい・・・・・




作った者への最高のほめ言葉 「おいしかったあ」 にささえられた七ヶ月だった。
              








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馬を人に変える




まだ携帯電話など無い頃、職場へ電話を借りに人が飛び込んできた。

2キロほど先でマイクロバスが横転したという。


電話をしている人を残し、急いで現場へ向かった。


駆けつけると現場は一帯に燃料が漏れ最悪の状況だ。乗客の影は無い。どうやら運転手一人のようだ。

道の反対側に車を止め、トランクから三角表示、発煙筒、消火器、バール、毛布を取り出す。

私の車には緊急時に備えていろいろ積んである。


それらを抱え道路を横断する。

何かのはずみで炎上するまでが勝負だ。身震いするほどの緊張が走る。

多くの現場を見てきたが、「下手をすると生きて帰れないかも」と思ったのは初めてだった。


群衆が集まりだしてはいるが、救助しようとする人は誰もいない。

まず、そんなところだ。いらついても仕方がない。


ありったけの声でひとりひとりに指示を出す。



    あんた! 三角板を立ててください



    あんた! 発煙筒を!



    あんたとあんた! 人を遠ざけてぇ! 



    あんた! 車を近づけないようにしてぇ!



そんな中でも状況を横目に通り抜ける車もある。「ああ やってる やってる」ってところだろう。

そういう車にはだいだい傾向がある。 偏見を生じさせるのでここでは書かない。


指示を出しながら、バールでガラスを破る。

ところがマイクロバスというのは法律で全面安全ガラスとなっている。

簡単には破れない。おまけに私は非力だ。時間が無い。あせった。



   あんちゃん わし かわる

   


大柄のおっさんが横から交替してくれた。



   端っこを狙うてぇ



ガラスの中央部では跳ね返されるだけで破れない。おっさんも悪戦苦闘だ。だからこそ安全ガラスなのだ。

何とか穴が開き、二人でガラスを引き剥がして中へ入る。


運転手は飛ばされてバスの中央部で呆然と座っていた。意識はあるようだ。


   だいじょうぶですよ いま 救急車もきますからね

   からだを らくにしてください ベルトゆるめますよ さむくないですか


    よかった よかった(おっさん)


燃料の匂いがとにかくきつい。一刻も早く外へ出したい。救急隊が来たのはその時だった。

さすがに負傷者の扱いは慣れている。狭い窓から運び出した。警察も駆けつけてきた。

(ああ、これで役目は終わった。)


どこのおっさんかもわからぬ人と無言でうなづきあった。

駆けつけたときはただの野次馬だった人たちも一仕事やり終えたような晴れ晴れした表情だった。


アンパンマンでなくてもこれくらいはできる。

馬を人に変えるちょっとしたコツさえわかっていれば・・・・


ちょっとしたきっかけがあれば人は誰でも "内なるもの" を表現できる、行動に移せる。  人間だもの。

馬を人に変えるのは魔法なんかじゃない。ちょっとしたコツ、きっかけで誰にでもできる簡単な事だ。


必要なのは    "The Art of Loving"       


★・・・・・・★・・・・・・★・・・・・・★・・・・・・★・・・・・・★・・・・・・★・・・・



           [The Art of Loving] は Erich Fromm の著


 
               Art は美術、あるいは文化とか学芸、教養と訳せるが、

              ここでは身についた教養、あるいは身についた徳と理解すべき。

              Loving も愛し続ける、愛しぬくとの意か。


              愛しぬくために身につければならないもの、

              本当の愛情をもって愛しぬくために身につけなければならない教養、

              そんな理解で良いと思う。


             「愛するための技術」と訳した人もいた。

   


          ※ MEMO


          事故で被災した人には「だいじょうぶですよ」と声をかけて欲しい。

          安心感を与える言葉が何より必要だから・・・大丈夫には見えない状況であっても

          意識があるかわからない人にも

          「助かりましたよ いま 救急車来ますからね」と安心させて欲しい。

 
        
          極端な話、首がちぎれていても・・・耳は最後まで聞こえているのだから。

          救助される側になったことがある者にしかわからないことかもしれない。




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理科ばなれ




2011年5月30日(月)付 「天声人語」にこうあった。


 1976年にイタリア北東部で地震が起きた。このとき様々な動物が不思議な行動を見せたそうだ。

 ある村では猫が一斉に姿を消した。屋根裏で子育て中だった母猫は

    揺れる前に子猫をくわえて畑に避難したという。


さらに『動物は地震を予知する』(朝日選書)という本を紹介したあとに、


 著者のトリブッチ氏はその地震で故郷が壊滅した。

 れっきとした科学者だが目撃談に触発されて古今の動物予知を調べ上げた。

 科学の裏付けはともかく、妙に説得力がある・・・・・


筆者はそのイタリアで、予知を誤った地震学者たちが起訴されたということにも触れ、


 いまや天空のことは遠い先の惑星の位置も、日食や月食の日時もぴたりと予測できる。

 なのに足元の予知は覚束(おぼつか)ない。地震はいつも、背後からの辻斬(つじぎ)りのように人を襲う・・・


と書いている。



何年か前のことだが、A社の常務も同じような言い方をしていた。


「ネズミは地震がくる直前、蔵からいなくなるそうだ。

ああいう生き物は未来を予知する不思議な能力があるらしい」  


また、こんなことも言っていた。


「漫画家の才能とは凄いものだ。何十年も前から現在の都市の景観を描いていた。先見の明がある」と。



論理的にものを考える人なら二人の話がおかしいことに気がつくと思う。


二人とも、「未来を見たい」「予知できたらいい」という願望が強いあまり、何でもない判断が出来なくなっている。

SF好きの私でも、未来が見えるという話には簡単に同意しない。

私なら人間と小動物の感覚の違いに着目する。


犬は嗅覚が鋭いし、猫の聴覚は人間をはるかにしのぐ。

以前、お向かいに飼われていた猫は私になつき、

私が姿を見せる前からちゃんと我が家の前で出迎えてくれていた。

私は200m先の車の中だというのに・・・


時空を超えて未来が見えるという仮説も結構だが、しっかり観察すればそんなに不思議なことではない。

地震を予知しているのではない。彼らにとっては地震は「現在進行中」なのだと考えれば何でもない話だ。



「漫画家に先見の明・・・」の話も滑稽だ。


漫画家をとやかく言うつもりはないが、彼らは「願望」を描いたにすぎない。

数十年後の都市空間を予見するのはシンクタンクのアナリストでも容易ではない。

一方で願望があり、一方で願望を形作っていくプロジェクトがある。それだけのことだ。


「部分的な思考」に陥り、「部分」から勝手なロジックをつくるのはいかがなものかと思う。

全体を捉え、論理的に問題点を整理しないと人生はやたら複雑になる。

理科離れが進み、論理的に考えられなくなっている社会の行く末が心配だ。



「天声人語」にしてこんな調子だから理科離れの問題も深刻だ。

それにしても、「背後からの辻斬(つじぎ)りのように人を襲う」とはずいぶんと品のない表現だ。

格調高く、品があった辰濃和男の文章が懐かしい。




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朋よ --- We shall overcome




       安倍たちの前に法はない

       安倍たちの後ろに法は出来る

       ああ、朋よ

       子らよ

       安倍たちを独り歩きさせた政治に無関心だった朋よ

       安倍たちから目を離さないで民主主義の灯を守る事をせよ

       常に自由の気魄を内に充たせよ

       この遠い道程のため

       この遠い道程のため




”We shall overcome ”

http://gravitational-wave.air-nifty.com/tobenaiposuto/2013/week28/index.html#entry-77014844




       We shall overcome

       We shall overcome

       We shall overcome someday


       Oh deep in my heart

       I do believe

       We shall overcome someday


       We shall hand in hand

       We shall hand in hand

       We shall hand in hand someday


       Oh deep in my heart

       I do believe

       We shall overcome someday


       We shall all be free

       We shall all be free

       We shall all be free someday


       Oh deep in my heart

       I do believe

       We shall overcome someday


       We are not afraid

       We are not afraid

       We are not afraid today


       Oh deep in my heart

       I do believe

       We shall overcome someday


       We are not alone

       We are not alone

       We are not alone today


       Oh deep in my heart

       I do believe

       We shall overcome someday


       The whole wide world around

       The whole wide world around

       The whole wide world around someday


       Oh deep in my heart

       I do believe

       We shall overcome someday


       We shall overcome

       We shall overcome

       We shall overcome someday


       Oh deep in my heart

       I do believe

       We shall overcome someday 








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高村光太郎





高村光太郎

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E6%9D%91%E5%85%89%E5%A4%AA%E9%83%8E




       道程



       僕の前に道はない

       僕の後ろに道は出来る

       ああ、自然よ

       父よ

       僕を一人立ちさせた広大な父よ

       僕から目を離さないで守る事をせよ

       常に父の気魄を僕に充たせよ

       この遠い道程のため

       この遠い道程のため






       あどけない話



       智恵子は東京に空が無いといふ、

       ほんとの空が見たいといふ。

       私は驚いて空を見る。

       桜若葉の間に在るのは、

       切つても切れない

       むかしなじみのきれいな空だ。

       どんよりけむる地平のぼかしは

       うすもも色の朝のしめりだ。

       智恵子は遠くを見ながら言ふ。

       阿多多羅山(あたたらやま)の山の上に

       毎日出てゐる青い空が

       智恵子のほんとの空だといふ。

       あどけない空の話である。






       レモン哀歌



       そんなにもあなたはレモンを待つてゐた

       かなしく白くあかるい死の床で

       私の手からとつた一つのレモンを

       あなたのきれいな歯ががりりと噛んだ

       トパアズいろの香気が立つ

       その数滴の天のものなるレモンの汁は

       ぱつとあなたの意識を正常にした

       あなたの青く澄んだ眼がかすかに笑ふ

       わたしの手を握るあなたの力の健康さよ

       あなたの咽喉に嵐はあるが

       かういふ命の瀬戸ぎはに

       智恵子はもとの智恵子となり

       生涯の愛を一瞬にかたむけた

       それからひと時

       昔山巓でしたやうな深呼吸を一つして

       あなたの機関ははそれなり止まつた

       写真の前に挿した桜の花かげに

       すずしく光るレモンを今日も置かう








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原発の安全性?___そして社会全体が騙される




"原発の安全性"


ポチポチそんな言葉がメディアから流れるようになった。

安全基準、規制委員会、厳しい安全審査、津波対策等々。

一部ではあるが廃炉もいわれるようになった。


こうやって国中がみな騙されていく。

市民も政治家さえも・・・・


事故、事故、事故と声高に叫ぶものだから

「事故が起きないようにします」という言葉につい本質を忘れさせられる。

「事故が起きなければいいんでしょ」ということは原発継続であって、安全を意味するものではない。


確かに事故はそうそう起きることはない。

地震や津波も毎日あるわけではない。

だから原発の本質についての議論を誰もしようとはしない。


事故を起こさない正常運転でも原発は環境を破壊し続けている。

なのに環境破壊について政治家は無論のこと、まじめに取り上げる学者もいない。

置きっぱなしにするしかない核廃棄物はいまでも毎日作られている。

海は異常に温められている。

ここに眼を向けなければ私達は次代の人々から愚か者呼ばわりされる。


人類の手には負えない核廃棄物を作り続ける暮らしから抜け出さなければ地球は滅ぶ。

経済成長とは人類滅亡、地球破滅を指す言葉なのか。

経済人、政治家の矜恃は何処へ行ったのだ。

崇高な出発点を忘れたか。


活断層調査を原発阻止と信じるひとの良すぎる市民運動家が中心では脱原発の夜明けは遠い。

ニホンの市民運動、政治運動の底はまだまだ浅い。

本質をしっかり捉え、的確な対応のとれるリーダーの出現を強く望む。


大槻義彦氏の言葉を借りれば今は社会全体が「危ない 危ない」状況だ。


原発の安全性? 冗談はやめてくれ。

原発に安全などありはしない。

議論は先ずここから始めてほしい。










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B級科学者批判




原発について某大学名誉教授は自身のブログで次のように書いている。


   私の考えはここで繰り返し述べましたが、『原発は危険だが必要である』

   『現有原発は危険で信頼性がないからすべて廃炉にして、より安全な新型原子炉を研究開発する』

   というものです。


氏は原発については、安全神話や事故隠しといった政府や電力業界の姿勢を批判する一方で


「あらゆる物理学の発展のうち、人類のために応用・利用してはならない特定の分野などあるはずもありません」

「物理学者が物理学で発見された理論を産業に利用されることを歓迎するのは当たり前のことです」


と原子力発電、核研究の必要性を声高に叫んでいる。


やはりこの御仁も「事故が起きなければいいんでしょ」という単純回路の人間のようである。

このような人物が科学者の評価を貶めている。


原発の今日的課題は、処理できぬまま増え続ける高レベル廃棄物問題であり、

自然現象では決して起こりえない温排水による環境破壊の問題であろう。


生態系のみならず、気象にも影響が出ているととらえるべき重大な問題である。

氏にはそんな本質的な問題を理解する能力は微塵もなさそうだ。


事故の処理をどうするのか、このことが緊急の大問題であることは言うまでもない。

と同時に正常運転時の危険も語られるべきであろう。


潜在的な危険なのではない。

温排水の問題も高レベル廃棄物の問題も今まさに起きていることである。

社会はこれを見ようとしないだけではないか。


原発は危険だが必要であるという氏だが、その必要性の根拠は曖昧なままである。

氏の言う必要性はほとんどの炉が停止している状況の中でどれだけの説得力があるのだろうか。


氏が「より安全な新型原子炉を研究開発する」そう言うのであれば

自らが先頭に立って人類の危機ともいうべき状況に立ち向かうべきではないか。

タレント活動などしている時間などあるはずもなかろう。


氏は高レベル廃棄物の処理や廃炉の問題について

「それを克服する科学的・技術的努力もまた科学技術の発展によって成果をあげるでしょう」と

超楽観論を展開するだけに止まらず、脱原発運動など一連の原子力否定論に対しては

「文明を拒否する誤った態度」と厳しく批判している。


このかたの文明観とはどのようなものなのだろうか。

薄っぺらな知識をひけらかして、社会に不完全な技術を送り込むことが文明というなら、

人類はもはや文明を必要としない域にまで達している。


数多の道具や技術の内に潜む愚かさや危険に目覚めた人類はいま新たな船出の準備にとりかかり始めている。

哲学のないB級科学者氏にはそれが見えていない。


原発否定派の代表的論客の一人である広瀬隆氏に関して、氏は

原子力工学の大学院を出ている人間でも解からないことが多いのに

理工学部応用工学科しか出ていない人間が原発の安全性について断定的に言えるのか、

と専門家でないことを痛烈に批判している。


その一方で、福島原発事故については

水素爆発などの事故対策の手抜かりなどを批判したものの、地震対策については概ね評価している。

??? 土木や建築の専門家ではないかたが何故そこまで断言できるのか。


事故発生後に農作物の出荷規制が起きた際には、

「そもそも出荷規制の根拠となる暫定基準値が最悪のケースを想定したものであって、

さほど問題にすべきものではない」と発言し、出荷停止になった野菜を食べるとまで言い切っている。

東京大学アイソトープ総合センター 児玉龍彦教授ならば氏の発言をどのように評価されるだろうか。


専門外の人間を否定するなら、このかたはご自身の研究テーマについてのみ発言すべきであろう。

レオナルドダヴィンチにも勝る天才というなら話は別だが・・・・・


氏は原子力以外の代替エネルギーについても否定的である。太陽光発電については

「太陽光パネルの寿命は短い。4,5年も経つと部品の劣化・接続不良などの故障が起こる。

15年で元をとるとか20年では優に元がとれるというがこれはまゆつば」と完全に効果を否定している。


ここでは現代の科学技術の発展によって克服できるとは述べようとはしない。


いやはや、どこかの市長を彷彿とさせるような行き当たりバッタリの迷走ぶりである。

科学者としての名声が聞こえて来ぬのもうなづけようというものだ。


氏の言う「克服する科学的・技術的努力もまた科学技術の発展によって成果をあげる」とは願望の域を出ていない。

確かに科学者といえども人間であるからにはロマンを追い求めることもあってよい。

ときには学究の日々を支える大きな力にもなろう。


が、おのが感情を抑え、あるがままを冷徹に観るところからすべての学問は始まるのではないか。

いや、学問だけに止まらない。

心のありかたも含め私たちのすべてはスタートをそこに置かなければならない。

願望が先んじれば過ちを犯すのは私たちは日々の暮らしの中で嫌というほど体験してきている。


「将来克服されるであろう」などと自分たちの無能を次世代に丸投げする姿勢は

いやしくも科学を志した人間には決してあってはならないことである。


それを口にした時点でそれまでの日々が水泡に帰すこととなる。

学者としてのみならず、人間としてのすべてを失うこととなろう。


抜け殻になっていることにさえ気づけぬような者は端から学者の名に値しない。


B級科学者たちの視野の狭さ、専門馬鹿ともいえるこうした身勝手な論理こそが

地球の危機を招いているのではないか。


私の知る学者は終生、学問を追究するかたがほとんどだが

優秀な科学者であるはずの人物がタレント活動に明け暮れるのは何故なのか、素朴な疑問ではある。




危険なもの、制御できぬもの、得体の知れぬものは作らない、これにまさる事故対策はない。








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こんにゃく問答




たがいに別の話をしているはずなのに、どういう訳か話はつじつまが合ってどんどん進展していく。

日常では時折こういう会話が成り立ってしまう。

それぞれの思い込みや勘違い、自分に都合のよいように解釈するから食い違いに気付けない。


時に意図的にこの錯覚の会話に引きずりこまれることも・・・・・ ご用心、ご用心 !!





落語「こんにゃく問答」は二代目林屋正蔵の作と伝わる。

にわか坊主の蒟蒻屋六兵衛が、旅の僧にしかけられた禅問答のしぐさを蒟蒻の出来具合だと思い、

とんちんかんなしぐさで答えているうちに禅僧を負かすという話。

多くの名人が演じ、録音も残る。





江戸で食い詰めた「熊」が、田舎住まいをしている「六兵衛兄ィ」のところへ転げ込む。


悪い遊びで髪の毛が抜けてしまった「熊」をみて、


今は蒟蒻屋を営んでいる「兄ィ」は、無住になっている村はずれの破れ寺の住職にはめ込む。

熊と寺男が庫裡で酒盛りをしているところに、訪なう声。


熊公が出てみると旅の僧


   「拙僧は諸国行脚の雲水。ご当寺門前を通りましたところ“不許葷酒入山門”とありますれば禅家と拝察。


    修行のため一問答願わしゅう存じます」。


               葷酒山門に入るを許さず  (くんしゅ さんもんに いるをゆるさず)


                  くさいにおいを放つ野菜と酒は、浄念を乱し修行の妨げになるので、

                  寺の中へ持ち込んではならないこと。

                 「葷」においの強い葱や韮・にんにくなどの野菜のこと。


驚いたにわか住職の熊公が、一所懸命居留守で追い払おうとするが、旅の僧はテコでも動かぬ構え。


困り果て六兵衛に相談すると、知恵者の彼は「無言の行」でやればよかろう、


と和尚になりすまし応じることにする。


さて、本堂で対面し、旅の僧はいろいろ問うが、和尚もちろん無言。


旅の僧は、さてはと察し、やおら両の手の指で小さな輪を作り、胸の前からズイと突き出す。


和尚も何を思ったか、手にしていた払子代わりのハタキを襟に刺すと、

これも両手指で大きな輪を作って押し戻す。


旅の僧、ハハッと恐れ入り、今度は両手を広げて突き出す。


対する和尚は、片手を開いて応える。


旅の僧、再度低頭し、必死の形相で指を3本差し出す。


和尚、すかさず人差し指で右目の下まぶたを引きながらベロをだす。


旅の僧、「到底拙僧の及ぶところにあらず。両三年修行を致しまして……」とあわてふためいて退散する。


驚いた熊公、逃げ帰ろうとする旅の僧をつかまえ、一体どうなっていると尋ねる。


旅の僧答えて、


   「さては禅家荒行の内、『無言の行』中と拝察し、されば無言には無言にて問わんと、


   『大和尚、ご胸中は?』とお尋ね致しましたるところ


   『大海の如し』とのお答え、まことに以て恐れ入ったる次第。


   続いて、


   『十方世界は?』とお聞き致しましたるところ、


   『五戒で保つ』とのお答え。何ともはや……。及ばずながら今一問と存じ、


   『三尊の弥陀は?』との問いには、たちどころに


   『目の下にあり』と……。


   まことにもって愚僧など遠く及び申しませぬ。今一度修行して出直して参ります。


   御前体、なにとぞよしなに……』


と走り去る。


「何だ、心配させやがったけど、兄ィ、てえしたもんじゃねぇか」と熊公が意気揚々本堂に引き返してくると、


偽和尚「やい、あいつを逃がしちまったのか」とカンカンになって怒っている。


またまたびっくりした熊公が、どうしたと聞くと、六兵衛和尚曰く、


   「あいつは諸国行脚の雲水なんてとんでもねぇ。どっかの豆腐屋かなんかの回し者に違ぇねぇ。


    何を訊いても知らん顔をしていてやったら、俺の顔を穴のあくほど眺めてやがって、


    ははあこれは蒟蒻屋の六兵衛だなと気づきやがったとみえて、


   『おめぇんところのコンニャクはこれっぽっちだろう』 というから、


   『うんにゃ、こんなにでっけぇ』 と言ってやった。そしたら


   『10丁でいくらだ?」 と値を訊いてやがる。少し高えと思ったが


   『五百(文)だ』 とふっかけてやったら、しみったれた野郎じゃねぇか


   『三百にまけろ』 と値切ったから


   『アカンベエ』 をした」

                
               


「近いうちに解散」

「一定のめどがついたら、、、、」

ふたつの内閣で似たような言葉が相次いだ。


間抜けな、失礼、人のよい政治家は自分の勝手な解釈で会談を終えてしまった。

確認作業を怠るという詰めの甘さが後の混乱を作っている。

何ともお粗末な話だ。


暗黙の了解、いわずもがな、武士の情け、、、、

日本の政界で好まれる言葉のようだが、このあいまいさが禍根を残すこととなる。

嫌な奴と言われようと、最後の最後まで気を抜いてはならない。


若いとき、先輩たちからこのように教えられた。


「仕事というもの 9割は確認作業だ やり直しなど無いのだと思え」


9割か8割かはともかく、仕事に臨む心構えとして胸に残っている。




昔、とんでもない理由でロケットの打ち上げに失敗したことがあった。

推力が足りず、直後に落下、炎上した。

燃料が予定された量だけ入っていなかったのだ。

係員はリットルとガロンを取り違えていたのだった。お粗末 !!



             ※ 米国液量ガロンは約3.78リットル。





蒟蒻問答・古今亭志ん朝

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生き残り術





              雪の朝二の字二の字の下駄の跡

                                捨女




下駄には「一本歯」なるものがある。修験者などの履く高足駄だ。

現在でも武術家が足腰鍛錬のため使用している。

しかし、一般的にいえば下駄はやはり2本歯だろう。


「何で?」と問えば「そんなバランスの悪いものが履けるか 子どもにも解ることだ 馬鹿にしないでくれ」

と、いわれるだろう。


ところが、そんな子どもにも解るはずのことが解らないのも大人だ。




私は永年、鋼製建具を製造する零細企業で働いてきた。

大手サッシメーカー資本であるわけだが実態は零細企業だ。

オーダーの建具ということはかなり特殊な業種になる。


アルミなどの既製品ではライバル関係にある企業から受注することも日常茶飯事である。

仕様が厳しく定められている役所工事のノウハウがあってみれば受注も集中するわけだ。


受注先が多岐にわたることは工場としては悩みの種でもある。お盆や年末年始の直前は大変である。


各社の営業マンが自分の担当工事を優先的に進めて欲しいと言ってくる。

時には同じ会社の営業マン同士で優先順位を争うこともあって険悪な空気になることさえある。


それぞれに「この物件だけ」とお願いされて工場は悲鳴を上げることになるわけだ。

受注担当も対応は難しい。これまでの実績、今後の予測、ハプニングが起きたときのための保険・・・等々、

さまざまを勘案して順番を交通整理することになる。


近隣に同業の会社があった。製品の完成度、熟練した職人の技、製品内容の豊富さ・・・

どれをとっても我が社などは足元にも及ばない業界では評価の高い会社だ。


某サッシメーカーのみの受注体制をとり、都会の有名な建物の工事を独占していた。

受注先が一社ということは製品の仕様も一定しているわけで、

主要材料の大量買い付けでコストを下げることも可能だし、共通部品も予め準備しておける。

納期の管理も容易で、私たちの会社のような悩みなど無い。


ところが、その会社は倒産した。

製品作りにおいては抜群の同社も企業のあり方の根本を見誤っていた。


私が入社した頃、大事件が発生した。

S社が受注した大きな工事のため、他の受注を見合わせその工事に備えていた。


ところが、S社の受注は営業マンの希望的観測に過ぎなかったことが判明した。

結果、1ヶ月の仕事が無くなってしまった。

受注担当は真っ青だ。日本中を駆け巡って仕事探しに奔走することになった。


まだ青二才の私は生意気にも常務に対して企業戦略の必要を説いた。

どんなことが起きようとも会社の存続を図らねばならない。


零細企業は全方位外交をとるしかない。一社に重きを置けば会社の存続を危うくする。そんなことを力説した。

一社あたりの受注額を定め、どんなにいい仕事に思えてもその枠を越えないよう進言した。


その結果、受注は大きな柱を4つとし、目安として受注額の70パーセント、

残る30パーセントをその他の小工事とした。


柱がひとつでないことは発注先を牽制できることでもある。こちらの能力次第では発言力もつく。

零細企業にもそれなりの生き残り術、意地があるということだ。


おかげで工場運営は一変した。多品種少量はさらに進み、納期管理も煩わしくなった。

しかし、受注先が多岐にわたることはノウハウの蓄積もできるわけで、悪いことばかりではない。

結果としてなんとか生き残っている。




さて、我が国の現状はどうか。

食料もエネルギーも安全保障もあまりにバランスを欠いた事になっていないか。


現状は先方の無理難題を呑み込まざるを得ない状況を自ら作っているように見える。

一本歯の下駄など不安定で履けるはずがないと一笑した人たちもこの国の基本路線大綱についてデザインを

描き直すべきではないだろうか、


自由経済ではある。が、放置しておけば一極集中になるのは市場原理からいって当然のことだ。

それでいいのか。


食料を押さえられていたのでは、

やがてその国の潜水艦が瀬戸内海を浮上航行しても抗議すらできなくなるということだ。

人口も多く、経済力もある、そんな国を無視はできない。


しかし、軸足をそちらに置いたのでは甘く見られるだけだ。

国債を保有していても、「いつでも手放すぞ」と脅しをかけていなければ国の存続はない。


にこやかな笑顔で握手しながら脅しをかけ続ける、小国の生き残る術だ。外交とはそんなことだろう。

「あんただけじゃないのよ」と時に冷たく微笑む女性にこそ男は惹かれるものだ。(アホやなあ)


経済諮問会議などのような政府が主催する会議のメンバーといえば、大企業のお偉方がずらりと並ぶ。

が、本当にこの国を支えているのは技術面でも意欲の面でも中小零細企業だ。

町工場の技術がなければ携帯電話もロケットもあり得ない。

今は国家運営という面でさえ、零細企業の生き残り術が必要な時代である。








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失 礼____3流企業TOYOTA




     んっ? ああ いま寄席 あんまり おもしろくない


前の方に座っていたお客さんにこれをやられたと某噺家がこぼしていた。


言葉を知らない世代は「しゃれ」も理解できないばかりか、礼儀もわきまえていない。

これでは噺家も気の毒というものだ。

寄席へいくのに携帯電話なんか持っていくんじゃねえ。


以前、公演中に居眠りをしたお客がいたとかで談志師匠が問題にして騒ぎになったこともあった。


談志師匠の場合は師匠側に責任が無いとも言えない。


黒門町の師匠ならさしづめ


     客が眠りこけるってえのは おまえさんの 芸が未熟ってことなんじゃないかね


     
     くやしかったら 目を覚まさせる 噺をしてごらんよ


     眠るなんざ まだ おまえさんを 認めてくれてんだよ


 
     下手な噺なら うるさくって ねてもいられめえよ


ってとこだろう。

相手に失礼にあたることはどっちもどっちだ。


年寄りっぽい言い方になるので嫌なのだが、、、、、


近頃はマナーをわきまえてる人を見るのは流れ星を探すより難しい時代になった。

失礼という言葉はもはや死語になったのか。

年齢とは関係なさそうなので、一種の社会現象、社会病理と言えるのかも知れない。




老若男女、ひとさまのお宅をお訪ねするということがわかっていない。

電話の扱いでそれが露見してしまう。

携帯の電源は入れっぱなし。

ベルが鳴れば話を中断して電話に出る。

気がついたら社会はそんな人たちばかりになってしまった。


このような人にとってひとさまをお訪ねするとはどういう意味があるのだろうか。

どうにも不思議でならない。

訪問者の中で目の前にいる私とは一体何なのだろうか。

私のような小心者は不安、不信感が募る。


こちらが訪ねているのではない。

こちらを訪ねているのではないか。




以前、TOYOTA(石川トヨタ)の営業マンが来たが、話の途中やはり携帯電話に出た。

この営業マン氏、会社からの連絡を聞き逃すまいとインカム※さえ着けている。

これはディーラー社長の指示らしい。

こうなるとどちらが客なのかわからない。

こんな会社とはつき合いたくもない。

訪問されている方としては不愉快を通り越して情けない思いである。


     忙しくて仕方がない あなたと話してる時間も惜しい 


     本当はこんなことやってる場合じゃないのだ


こういうメッセージを発信していることに営業マン氏は気付いていない。

これを「失礼」という。「礼儀をわきまえていない」という。


世界的企業か知らないが、何とも無礼きわまりない会社である。

営業態度は3流企業でしかない。

ハイブリッド車を開発する前に徹底した社員教育が必要であろう。

これでは早晩斜陽の坂を転げ落ちるに違いない。




礼儀作法など学校では教えない。

それは私の時代とて同じだ。


自分にとって目の前に相対するひとはどういう存在なのか。

何のために自分がそこにいるのか。


これがしっかりと認識されていれば振る舞い方もおのずとそれに相応しいものとなろう。

認識されてないから無神経に話を中断することになる。


他者を気遣う気持ち、相手を敬う気持ちがあればそれは自然と形になって表れる。

それがマナー・礼儀であって、何も形式化された約束事ではない。


やむを得ない事情があって電話を受けざるを得ない場合は

先様にあらかじめ断りを入れておくべきだろうが。

しかし、「やむを得ない事情」など生涯に何度あるものか。日々乱発されてはかなわない。


ひとさまのお宅をお訪ねするするとき、私などは携帯は車の中に置いておく。

お訪ねする時間を電話に邪魔されたくはない。


同じ理由で訪問客があるとき、私は電話をとらない。

お客様の前で電話をとるなどは失礼というものだ。




この電話という代物、世に出てからかれこれ140年近くになろうか。

ふだん何気なく使っているが他の伝達手段と大きく異なる特徴がある。

即時性である。これが長所でもあり、短所でもある。


メールやFAXは私書函のようなもので受け手に受信時刻の選択権がある。つまり受け手に優しい。

一方で電話は先方の都合などお構いなしに生活に割り込んでしまう。

これは気をつけたい。


であるからアドレスのわかっている限り私はメールを利用する。

忙しくしているところへ不作法に割り込みたくはない。

タイムラグはあるが、せいぜい翌日には返事をいただける。

そんな気遣いを大切にしたいと思っている。


     出なくていいんですか?


     我が家は割り込み禁止  あとでこっちからかけます


     留守電モードだから用件は入れてくれるでしょう


その場面場面で何が一番大切なのかをしっかりと受けとめられる暮らしかたでありたい。



 

         ※

         とはいえ我が家で割り込み電話OKの営業マンも数人はいる。

         が、お付き合いのながさや関係の深さからくることであって

         一朝一夕にそうなったわけではない。

         世の中の営業マン諸氏くれぐれもご注意あれ。




         ※ インカム

         「インターコミュニケーション」(相互通信式構内電話)のこと。

         公衆交換電話網に接続されていない構内音声通信設備のうち、

         放送局やコンサートホール、多目的ホール、劇場などで使用されるもののこと。

         日本式省略形として「インターカム」ともいい、業界では「インカム」ともいう。

         互いに連絡を取り合うため常に耳にセットするタイプのものは

         空港の係員やドラマで刑事が張り込みなどの際に使用しているのでおなじみ。






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かわれないひとびと____電話帳は必要か?




インターネット利用料金の請求明細が封書で届いたことがあった。利用し始めて間もない頃だ。

よくもまあこんな無駄なことを・・・印象だった。


封書の明細ともなると、紙に印刷、封筒に入れる、郵便局に発注、車で発送となる。

プロバイダは通信事業である。その通信事業会社が郵便局という通信事業会社に業務を委託する。

こんな馬鹿げたことはない。こんな無駄はない。


プロバイダはどこでも企業としては大手である。

我々のような中小零細の経営感覚とはかけ離れている。

可能性を極限まで追求し、1円でもコストを抑えようとするのが零細企業の感覚だ。

わたしならプロバイダの本来のサービスではないものはすべてカットする。


つまり、封書の明細書は原則即刻廃止、希望者のみに有料で発送する。

明細はメールで送る。そのためのインターネットだろう。


プロバイダの役員なる人物に電話でそのことを懇々と説明した。

二酸化炭素を減らす、省エネを図るためにやれることをやりましょうと呼びかけた。

何年も前のことである。


車でしか運べないものもある。

まさか能登のふくらぎ(いなだ、はまち)はネットでは運べまい。

そのための車である。


しかし、石油を燃やして、運んでいるものが「確認するためだけの情報」とは車の使い方が間違っている。

技術変革が起きているのに全てが今まで通りではこの国はエネルギーがどれだけあっても足りない。


交通事故対策という面からもインターネットは有効に活用されるべきだ。

交通事故の撲滅には交通量を減らすことがもっとも有効だ。

たんなる「情報」を積んで車を走らせるというのは止めてもらいたい。


「請求明細書」は「田舎からの便り」とは意味が違う。




わたしはNTTの請求明細もネットで確認できるように変更した。

しかし、NTTという企業はこういうことについてPRをあまりしていない。

そればかりか、あの分厚い電話帳もいまだに各戸に配布している。


数十年間変えようとしないことには呆れるばかりだ。

いったいどれだけの人が電話帳を手に取っていることか。

使用頻度の低さは  "ぶら下がり健康器"  なみだろう。


迷惑電話対策として掲載しない人もいる。わたしもそのひとりだ。

であれば、もう意味をなしていない。


ネットで検索できる時代にあっては電話帳は必要とする人だけが書店で買い求めればよい。

(その書店がいつまで存続するかという時代ではあるが・・・)



     希望者にのみ有料で頒布するとか いっそ書店で販売すればどうなの?



私の問いにNTTは



     書店に置いても売れません



悪びれることもなくそう答えた。

彼らは誰も欲しがらないことを承知で配っている。


更に、不要のかたは返却してくださいとは一体どういうセンスか。


必要としない契約者にまで配り続けることは無駄以外のなにものでもない。

それでも作り続けるセンスは経営者としての資質を疑ってしまう。

この無駄なコストも通話料金として請求されている。


先日、NTTが電話帳を配布にきたらしく、留守の間に玄関の扉の前へ置いてあった。

延々と電話帳を配り続ける姿勢も姿勢だが、

手渡しではなく、玄関先に放り出していくあり方はどうにも理解できない。

放り出していくことを「業務」とし、賃金を払っている・・・不思議な会社だ。


確かに、変革には犠牲をともなう。

電話帳作りで生計を立てている人もいる。郵便事業が衰退することも問題ではある。


しかし、変革は始まっているのだ。動いているのだ。

時間の問題であって、電話帳はいずれなくなる。

自らその時の企業のあり様を描こうとしないで、制度にのみしがみついていてはすべてを失うことになる。


技術変革の時代にどう対処するか、省エネや少子化の社会をどうデザインするか、

経営者・政治家のセンスが試される時代である。






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勝手に置いていった電話帳




    3割以上の株式を政府が所有している会社であってみれば議員のみなさまにも

    少しは関心を示してほしいものである。




NTTへ勝手に置いていった電話帳のことで電話をした。

30分後、責任者という人物のほうから電話があった。




留守に来て勝手に軒下に置いていくのは御社の方針ですか?



留守の場合はそうさせていただいています。



私はまったく使わないけど、仮に使うとして、

あなた方はお客さまが使う大切なものを軒下に放りだしていくのは何故ですか。

答えてください。



・・・・・・・・・・・・・



あなた、クロネコヤマト知ってます?



はい、知ってます。



留守にしていたら彼らはどうしていく? 軒下に荷物放りだしていくかね?



いえ、ご不在連絡票を入れていきます。



そうだね。なんで?



手渡しするためです。



なんで?



大切なものだからです。



電話帳は使うかたにとってみれば大切なものではないのかね?



・・・・・・・・・・・・



それにしても お客が使うか使わないかを調査もしないで よくも延々と電話帳の配布をしているね。

希望者にのみ有料で頒布するとか いっそ書店で販売すればどうなの?



書店に置いても売れません。



ほらほらほら、わかってるんじゃない。 

そうだろ? 誰も欲しがらないものをあんたら配ってるんだよ。

なんで?



・・・・・・・・・



ぐうのねも出ないって感じだな。

こんな無駄な事業にかけた金はいったい誰の懐に入ってるんだい?



・・・・・・・・・



本来なら このうちのいくらかは あんたたちの給料になるかもしれん金だよ。



・・・・・・・・・



こんな無駄な事業をあんたらはなんで抗議もせず、ボーッと見てるんかね? 

あんたらの金だよ。

無論、消費者の金でもある。 

これ みんなコストとして消費者が払ってるんだよ。 

違うかね?



そのとうりです。



どうしてくれんだ。え? 

電話代もう少し下げられるんじゃないの? 

どうなの?



・・・・・・・・・



あんたらの金が盗まれてるってことだよ。 

消費者の金が盗まれてるってことだよ。

我々が金を払ってんだ。 

これは言う権利あるよ。



はい。



昔の電通労組は勢いあったけど今は見る影もないってことか・・・ 時代だねえ。

こんな時代錯誤なこと平気でやってる企業なんかとても残ってなんかいけないよ。

あと 何年もつのかねえ。



も も もうしわけありません。



それにしても 去年のものが引き取りにも来ないで そこにあれば 普通はわかるんじゃないの?

封も切らずに新品の状態で そこにあれば使わないってことだよね。

それと今年のものを交換していくって 馬鹿なんじゃないの?  

猿以下だよ。猿以下。

なんにも考えないで仕事してても 給料もらえるなんて 就職は大企業にかぎるってこと?



も も もうしわけありません。





          こんな企業はなくならんとだめだわ・・・・

          それにしても巨額な電話帳予算は誰の元へ運ばれてるのやら・・・・ 






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地元




「再稼働については、県の新しい防災計画の成立を待つまでもなく、地元と県の同意があればよい」


石川県にある志賀原発をめぐっての津幡町長の発言だ。

県内の多くの市町が「成立を待ってから」としたり態度保留としている中でかなり大胆な、

そして無責任極まりない発言といえる。


この町長の考え方では、

福島第一原子力発電所の件については福島県の大熊町と双葉町とが同意すればよいことになり、

あとの自治体や市民の判断は必要無いことになる。それで通用するだろうか。まさに職務放棄である。


さきに、日本原子力研究開発機構は福島原発事故で、海洋への放射能放出総量が1.5京ベクレル

(1京は1兆の1万倍)を超えるとの試算をまとめた。


(同原発放水口付近の海水から放射性物質が初めて検出された3月21日から4月30日までの

 放出総量を試算したもの)


これは東電が4~5月分として推定していた放射線量の3倍以上になる。

海に放出された ヨウ素131は  1.14京ベクレル、

        セシウム137が 0.36京ベクレルで、  計1.5京ベクレルとなった。

セシウム134はシミュレーションでは考慮していないことから、放出総量はこれを超えるという。


当然ことだが海に境界はない。汚染はやがて全世界におよぶ。

町長のいう「地元」というのはどの地域を想定しているのだろうか。


放射能汚染は南で言えば首都圏にまで広がっている。

町長は首都圏の人間には発言権がないと言いたいのだろうか。

石川県から見れば東北全体が地元であり、今や東京も地元になりつつある。


しかし、ヨーロッパから見れば日本全体が地元という認識であろう。

だからこそ、日本産の食品は拒否されている。

風評被害であれ、影響の及ぶ地域はすべて地元なのだ。


地方の浮世離れした首長にはそのあたりの認識がまったく欠落している。

原発から40kmの津幡町は間違いなく「地元」であろう。


元々は設置の条件がおかしい。立地する都道府県(現実には道県)や市町村の同意が必要とある。

事故が起きれば広範囲にわたって甚大な被害が発生するのであるから、

被害が想定される地域全体の同意を得るべきであろう。


立地場所だけに限っている現在の考えでいけばやがては地権者の同意だけでよいということにもなりかねない。


法を重んずることは大切だが、私たちと行政にたずさわる者とでは立場が異なる。

政府であれ、公務員であれ、行政にたずさわる者は法を厳守することが求められる。


一方、私たち市民はその行政を監視し、間接的にではあっても法を作り出すことができる。

順守することしか許されない公務員とは立場が異なる。


市民の意志が何より優先される・・民主政治の根幹であろう。

でなければ公務員だけですべてが片付けられてしまう。

無能な首長にはそれが似合っているのかも知れぬが・・・


現行の法の細目にこだわるのは公務員の職責上当然といえるが、

民意と離れた行政があっていいはずはない。

「小役人」的な発想では首長とは言えず、立ち止まって自分がその任にあるべきか問い直す必要があろう。


私は県の新しい防災計画の有無にかかわらず、また、安全か否かにかかわらず、原発は一切認めない。

推進派の言に乗せられて、「原発こそ温暖化防止の切り札」などと信じている連中の気が知れない。


温暖化・・・Co2が原因・・・原発はCo2を出さない


私たちは用意されたロジックに誘導されてはいないか。


温暖化は実感としてわかるとして、その原因がCo2かどうかは "へそ曲がり" の私などは懐疑的だ。

原発推進のために巧みに誘導されてはいないか。


「温暖化防止」といいながら原発を稼働させ地球を温め続けている。この矛盾をどう理解すればよいのだ。

推進派や容認派といわれる人々は答える責任がある。


政府に原発の本質的な問題点を洗い出す責任があることは言うまでもない。








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大河ドラマ___おこぼれを待っているハイエナたち




     剱さん 仕事のことなんですけど・・・・



     バレエ教室のほうは どうなの?



     そのことなんです・・・ 教室に力入れたいんですけど そうなると収入も心配になるし・・・



     今の仕事をアルバイトで続けながら・・ということも考えているんですけど・・・



奥さんと共にバレエ教室をやっている後輩からの相談だった。



     バレエがなければ ここの仕事を続けて欲しい この業界には絶対必要な人だし 会社も評価している



     しかし それでは悔いが残るんじゃないの そんな顔してるよ



     その世界でやっていける自信があるなら 夢を捨てちゃいかん 教室をやっていけば?



     ただ 他に収入の道があると思っていると教室も駄目になる 

     逃げ込むところがあるのは見ててわかるんだよ

     教室の生徒さんには君の甘えの心が見えてしまうんだよ  芸術の世界だからね



     いいものにしたかったら打ち込んだよ 死にものぐるいでやらんかったら残っていけないだろ?

     何の援助も出来ない者が偉そうなこというようだけど 中途半端な人ほど挫折するもんだ



     そんな人をたくさん見てきたよ 一流という人も知っているけど、明日の保証なんて無い

     みんな決死の覚悟なんだよ だから感動を呼ぶんだよ 

     どの道も生きていくということは ハンパじゃないよ



後輩と奥さんは専業の道を選んだ。

成功しなかったらどうしよう。実は私が一番気をもんだ。 

「退路を断つ」とは簡単にいうけど、「失敗したら首をくくれ」と言っているに等しい。責任を感じる。


しかし、私の心配はあたらなかった。

夫妻はバレエ指導に打ち込み、

いまや全国舞踊コンクールでも激戦といわれる児童舞踊部門の上位入賞の常連である。




わが津幡町は「大河ドラマ誘致運動」を行なっている。

源平の合戦で知られる倶利伽羅峠(くりから とうげ)があることを企画の根拠としているらしい。


どうも、ドラマに刺激を受けたそそっかしい観光客の落とす金が目当てという、何ともみみっちい動機のようだ。

テレビと断絶状態にある私から見ればいかにも時代遅れの企画という感がする。


商品を企画するとき、まずは市場リサーチからスタートする。売れるか否か見極めるのは商売のイロハだ。


ドラマを成功させるためには視聴者の関心がどこにあるかを知らねばならない。

どんな本が読まれているか、どういう人物の言葉を評価しているか、ドラマの視聴率、視聴時刻・・・

さまざまな要素が検証されねばならない。

「作りたいんです」その思いだけで成功するほど世の中甘くはない。


ドラマ・映画作りに一体どれほどの金がかかるか、 "誘致" といっている人にはわかっているのだろうか。

エキストラで大映撮影所に出入りしていた私はその大変さを肌で知っている。


扮装して待機すること数時間、天候待ちであったり、予定していた前のカットどりが遅れたりと・・・

スケジュール通りには進まない。それでもお弁当は出たし、日当ももらえた。送迎もしてもらえた。


順調に撮影ができたからといって最終的に使用されるとは限らない。

カットされることも当然ある。

つまり、莫大な費用が画面の裏側で消えていっている。


では、この莫大な費用はどうやって回収されるのか。

はっきり言えばお客さん次第なのだ。


食品や文房具のように必ず必要というわけのものでもない。

景気が悪くなればまっ先に見捨てられる。

いわば水物である。だからこそ昔から芸能にたずさわる者の社会的評価は低かった。

今でも銀行で融資を受ける際は厳しいのではないかと思う。収入があてにできないからだ


それでも映画人は作る。借金してリスクを背負いながらでも映画を作る。


名監督、名プロデューサーといわれても経済力があるかは別のことで、

みんな夢にかけているからこそ、死にものぐるいで「世に問う作品」を作っている。

ブレークしなければ自分の負債になる覚悟で。


「大河ドラマ誘致」とはよく言ってくれるもんだ。


他人様の金をあてにして、製作費を負担することもせず、

経済効果のみをあてにする連中はライオンのおこぼれを待っているハイエナに見えてくる。


誘致運動に失敗しても行政としての責任をとることも無い。

悪いのはNHKだったと報告するだけだ。


NHKも誘致運動に押し切られて製作したと言っていればいいわけで、

不作といわれ視聴率が低くても誰も責任をとる人はいない図式なのだ。


責任をとらない官僚社会の姿をここでも見る思いだ。


そんな中で作られる作品が感動を呼ぶなどあり得ない。

昔見た正月興行の「オールスターキャスト」作品のようで、評論家の批評に耐えるものなど見たことがない。

製作動機が観光客誘致であってみれば当然すぎるほど当然だ。




原発事故を起こした東電や政府、外貨準備で巨額の損失を出した財務省・・・誰一人責任をとろうとはしない。


こんな緊張感のない政はもうごめんだ。民は命がけで生きているのだ。






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方法論のない哀れな指導者たち




1964年の東京オリンピック。

柔道の無差別級決勝戦で日本期待の神永昭夫が敗れた。

オランダのアントン・ヘーシンクが神永を袈裟固めで下して金メダルを獲得した。


柔道が正式競技として初めて採用された地元開催のオリンピックである。

最も重要視されていた無差別級で外国人が日本代表を下して優勝を果たした事は、

自他共に柔道を「お家芸」と認める日本に大きな衝撃が走った。


スポーツにおいては体格、体力、技術に勝る者が勝利するという、きわめて当然の帰結であったが、

この敗北はスポーツ界にとどまらず、日本社会の底流にあった「精神論至上主義」を意気消沈させるに

十分だった。


合理性、論理的な思考が大切といいながら、

日本人の中には「歯を食いしばり頑張れば何とかなる」という思いがあった。

しかし、ヘーシンクは「何とかならない」現実をまざまざと見せつけた。


高校2年の私にとって目から鱗が落ちた瞬間だった。


   (とべないポスト・オリンピックはスポーツか)

    http://gravitational-wave.air-nifty.com/tobenaiposuto/2013/week20/index.html#entry-76521971




最近、またこの精神論至上主義が復活しているようだ。

あるひとは「復活」ではなく、無くなっていなかっただけともいう。

この社会の病巣は根深そうだ。




1995年、野茂英雄は日本を見捨ててアメリカへ渡った。

「草魂」という座右の銘を持ち、強い精神力で肉体の酷使に極限まで耐えるのがプロ野球選手の

あるべき姿という鈴木啓示のスタイルに反発したのが最大の理由といわれる。


鈴木はコンディショニングコーチの立花龍司も冷遇した。

彼のとる合理的なトレーニング方法を理解する能力がまったくなかったからである。

鈴木は「精神論至上主義」の野球人でしかなかった。

精神論を振りかざすということは方法論を持っていないことの証左である。

指導者としての資質に欠けるということだ。

それでも今、どこかの某国営放送局の解説者におさまっているのだから、その局の程度も知れたものだ。


鈴木と対立し冷遇された立花は近鉄を退団、千葉ロッテマリーンズへ移り、ボビー・バレンタインの信頼の下、

当時リーグ屈指といわれた投手陣を指導し、チームの躍進に貢献した。

さらに1997年にはメジャーリーグのニューヨーク・メッツへ移籍。

日本人初のメジャーリーグコーチとなった。


アメリカは合理的な考え方を尊重し、日本という社会は戦前から精神論に固執するという典型的な例である。




体格に劣り、体力のなかった私は学校時代体育の時間が大嫌いだった。


「頑張って!」「跳べ!」と言うだけで合理的な指導もなければ元々体育嫌いの少年が跳び箱を跳べるはずもない。

跳べないからますます嫌いになるという悪循環だった。

成人してから「跳び箱指導」の映像をテレビで観た。

「ああ これなら できたかも」そう思った。


低学年の子どもたちは長い丸太にまたがり、両手と脚の力で前へ前へ移動していく。

やがてそのスピードがあがるにつけて跳び箱の跳び方になっていくというものだった。

自分の能力のなさを転嫁するつもりはないが、やはり教え方は工夫されるべきだった。


同じことは「自転車の練習」にも言える。

私などは姉に後ろを持ってもらって空き地で何日も練習した。

あちこちすり傷だらけで・・・・・

乗りたい一心。それしかなかった。

ところが近年、合理的な指導法を見てビックリ!! 

たった2時間で自転車に乗れるようになるではないか。

参考に書いておく。



   まず自転車本体からペダルをはずす。


   そのまま手で押して歩く練習。


   次はサドルにまたがり、脚で地面を蹴り前へ進む練習。


   ペダルを取り付け、脚でこいで前へ進む。



自転車の動きを体でおぼえ、コントロールできるようになったところで始めれば何の苦もなく、

2時間で乗れる。これは衝撃的だった。


何事も合理的に進めなければ事は成らない。

指導の方法論を持たないということは自分もわかっていないことを意味する。

それまで成果をあげられたのは偶然でしかなかった。

指導者としては致命的だ。




現在パソコンをやっている人たちは初歩の段階で必ずBASICなどの言語を勉強し、

自分でプログラムをつくった体験を持つだろう。

ところが、やってみて最初に思い知るのはアルゴリズムの必要性だ。


「アルゴリズム」というのは、コンピューターで計算を行なうときの「計算方法」のことだが、

広くいえば、何か物事を行なうときの「やり方」のことだと言ってよい。


「ご飯を炊く」という行為も「やり方」をコンピューターに覚え込ます必要がある。

「甘えてるんじゃない 失敗しておぼえるもんだ」は機械相手には通用しない。


自ら行なっている「ご飯を炊く」という行為を解析できていなければ「アルゴリズム」は書けない。

コンピューターで何かをするということは工学系のように思われがちだが、実は文系の素養も必要である。


方法論をしっかり持って伝えなければ何事も始まらないのは相手が機械であっても

人間であっても同じ事だ。




方法論のない哀れな指導者たちは威圧することや暴力をふるうことで自らの無能を忘れ、

無力感を麻痺させようとする。

そうしたところで自分が指導者に適していないという現実から逃れられるはずもない。

昔と違って今の若い人たちは黙ってはいない。

方法論を持たない人間を指導者とは認めない。


反省しているから許す、という精神論の問題などではない。

マネジメント能力の問題であるということが理解できないでは何の解決策も見いだすことはできない。


日本柔道女子選手が、暴力行為やパワーハラスメントがあったとする告発文書を、

JOCに提出した意味を柔道連盟の専務理事は理解できていない。

自分たちの置かれている状況を楽観視し、戒告処分などと言っているのだからお気楽なかたである。


スポーツ指導者にとどまらず、政治家にもマネジメント能力に疑問符がつくひとびとが多い。

ただただ精神論を振りかざす政治家は与野党に見られる時代だ。




何やら70年前のような状況ではある。






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ねえ おかね かして




おかね かして



なに すんのん



ステルス戦闘機 つくるねん



なに その ステ ステ ちゅうのは



ス テ ル ス 技 術 ちゅうてな てきに みつからん ひこうきのことや

すごいんやで レーダーで みつけよう おもうてもな ぜったいに みつからへんのや

ニホンの ぎじゅつは すごいわぁ なあ





おかね かして



こんどは なに すんのん



パッシブ・レーダー つくるねん



パッパッ・レーダー って そりゃ なんや



パッシブ  レーダー  や

かんたんに いうと ステルス戦闘機を みつけるための レーダー ってことや

これにかかったらな どんな ステルス戦闘機も いっぱつで みつかってまうで

ニホンの ぎじゅつは すごいわぁ なあ





ねえ おかね かして かしてえな ニホンのためやんか ねえ かしてえな






♪ これで しんしょう つぶした あ もっともだあ もっともだ ♪









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オリンピックはスポーツか




1964年の東京オリンピック。

柔道の無差別級決勝戦で日本期待の神永昭夫が敗れた。

オランダのアントン・ヘーシンクが神永を袈裟固めで下して金メダルを獲得した。


柔道が正式競技として初めて採用された地元開催のオリンピックである。

最も重要視されていた無差別級で外国人が日本代表を下して優勝を果たした事は、

自他共に柔道を「お家芸」と認める日本に大きな衝撃が走った。


スポーツにおいては体格、体力、技術に勝る者が勝利するという、きわめて当然の帰結であったが、

この敗北はスポーツ界にとどまらず、

日本社会の底流にあった「精神論至上主義」を意気消沈させるに十分だった。


合理性、論理的な思考が大切といいながら、

日本人の中には「歯を食いしばり頑張れば何とかなる」という思いがあった。

しかし、ヘーシンクは「何とかならない」現実をまざまざと見せつけた。


高校2年の私にとって目から鱗が落ちた瞬間だった。



先年、オリンピックに出場する若者の服装の乱れが話題になった。

いつの時代でも型にはまらぬのが若者の特権である。

若者には若者なりのTPOがあるわけで、

それが旧来のスタイルにそぐわないからと言って非難されることはない。

誰しもそんな道を歩んできた覚えはあろう。


話題の若者には " おしゃれのTPO ”という認識が無かったようで、それが非難の的となった。


しかし非難の論調に、この社会のおかしな空気を感じたのは私だけだったろうか。

地元ラジオ局のパーソナリティーは


「税金をつかって派遣する選手がなんたるざまか 日本の恥さらしだ」


と発言した。

日本中のメディアはだいたい似たような言い方だった。


服装ばかりではない、成績についても同じような言葉がメディアにあふれていた。(それは今も続いているが・・)

「なんたる成績か これでは税金をつかう意味がない 派遣は再検討すべきだ」等々。



そもそも、オリンピックとは何なのか。

社会は税金をつかって何を期待しているのか。


いつの大会でもメディアの話題はメダルの数である。

競技内容には関心は薄く、ただメダルを獲得しさえすれば満足しているようだ。

資源の少ない国ゆえ、

いよいよオリンピック選手団にまで金、銀、銅の獲得を期待するようになったということか。



近年、メディアから外国人選手の名前が消えたという印象を持つのは私だけだろうか。

以前は驚異的なスピードや超人的な演技に目が向けられ、国籍を問わず話題になった。

タレントが「コマネチ!」というギャグでテレビを沸かせていたこともあった。

アベべやチャスラフスカは日本でもヒーロー、ヒロインだった。


しかし、今や連呼されるのは日本人の名前ばかりである。

社会の変化がそうさせているのだろう。政治とは無関係でない。


体制側はあきらかに国家主義へと誘導している。

日の丸の下に一致結束する空気を巧みに演出している。


こういうことに敏感でなければ人はおかしな方向に流されていることに気付けない。



無論、競技そのものはスポーツである。参加する個人にとっては。

またそうであるべきだ。


しかし、為政者にとってオリンピックは「プロパガンダ」や「目くらまし」の道具でしかない。

国威発揚のためであり、日の丸の下に愛国心を鼓舞させ、

さらに応援のために国が一丸となることを呼びかける。


いや、一丸となる空気を作り出すためにこそオリンピックのような国際大会を利用する。

為政者はそのために多額の血税をつぎ込む。


さらに開催国ともなればビジネスチャンスもあるわけで、首長達が競って誘致に血道を上げるのもそこにある。

スポーツ振興とはまったく別次元の動機でオリンピックは利用されている。



国が一丸となって・・・


時にこの言葉は美しい響きをもって人々を動かす。

3.11の直後、「おなじ にっぽんじん として いたみを わかちあおう」

と言って地元の催し物を中止した人々の如何に多かったことか。


救援活動でもないこうした的外れな行動は国家主義からくるものであり、

社会がいとも簡単に国家総動員体制になだれ込む予兆と捉えるべきだ。


震災の後、集められた東日本大震災復興構想会議のメンバーにメディア関係者が2名入っていた。

権力をチェックするべきメディアが権力の中に入ったのでは、チェック機能は働かない。

翼賛体制はすでに始まっている。


為政者は一丸となった国民をどこへ導こうとしているのか。

人々は戦前の国のあり方を検証もしないまま、「いつか来た道」を歩み始めている。



「風評被害のフクシマを助けよう」「フクシマを応援しよう」

大手デパートのお歳暮、お中元セールにはフクシマ産の食品が並ぶ。

国が一丸となってフクシマを助けようとメディアも叫んでいる。


しかし、国が一丸となることを呼びかけられるとき、いつの時代も市民は犠牲者になることを強要される。

汚染の実態は隠され、便宜的に政治家が勝手に設定した数値を信じ込まされる。

医師達は5年ほど経過した頃放射能による病状が顕在化するだろうと言っている。

核兵器開発プロジェクトを中止させないため、政府は必死になって情報を隠し、

原発廃棄の道を妨害しようとしている。


「原発が止まっている現状では国を挙げて節電に取り組もう」


政府のよびかけは一見筋は通っている。

が、これは裏を返せば原発推進のキャッチコピーでしかない。


  「電気が不足すると困りますよね」


  「計画停電はやっぱり嫌でしょ」


原子力マフィアの広報が耳元でささやく。


国が一丸になるよう呼びかけられるとき真実の情報が市民の元に届くことはない。

そして大本営発表の行動基準に沿って暮らすことが日本のためになるのだと信じ込まされる。



イベントは「目くらまし」にされている。

所詮は他人事でしかないオリンピックに人は何故のめり込むのか。

日本の若者が良い成績をあげようとも庶民の日々の暮らしには何の変化も起きはしない。


うさ晴らしを用意されて騙されてはならない。

問題は根本から解決しなければならない。



海外資本に差し出すための増税、TPP、オスプレイ、悪徳電力会社支援問題、原発再稼働など問題山積だ。

市民の暮らしに直結する課題から目をそらしてはならない。


為政者は情報を隠し、国民の関心を外に向けさせるために画策する。

イベントであったり、事件を起こしたり、偽旗作戦で敵を作り上げることさえある。

オリンピックはプロパガンダ以外のなにものでもない。



競技そのものはスポーツである。参加する個人にとっては。

またそうであるべきだ。


しかし、東京オリンピック・マラソンで銅メダルを手にし、

さらにメキシコ大会での活躍を期待されていた円谷幸吉は東京オリンピックから4年後、


「幸吉はもうすっかり疲れ切ってしまって走れません」


との遺書を残し自殺した。


円谷の自殺は、「人間性を無視した期待」、「国民的期待感の重圧に耐えかねて」、「五輪至上主義への警鐘」

という論調でマスコミによって伝えられた。

「円谷は日本人の愛国心に殺されたのです」あるスポーツ評論家が述べていた。


なんとも傷ましいことである。

メダル、メダルとはしゃいでいる場合ではない。

「税金をつかっているのだから・・・・」などと発言する馬鹿パーソナリティー達は

円谷幸吉を知っているのだろうか。


競技そのものはスポーツである。参加する個人にとっては。

またそうであるべきだ。


以来、私はオリンピックの報道を無視している。テレビ観戦も一切しない。したくもない。



                ※ 円谷幸吉 1940年生まれ  

                   陸上競技(長距離走・マラソン)選手、陸上自衛官。









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言うべきこと___サービスということ




相手が客だと言うべきことが言えない。

事故を起こした川下り舟の船頭の一人が本音を漏らしていた。


しかし、本当にそうだろうか。

あの人達に、"言うべきこと" が何であったかわかっていたのだろうか。


「客の安全は金儲けより大事」そう言わなければならなかったのではないか。


客の身勝手さに責任を転嫁し、自身の責任追及をかわそうとする姿勢は何とも見苦しい。

船頭も会社も当然わかっていた想定内の事故である。言い訳は許されない。


とはいえ、このような体質はこの川下り舟だけではない。

理不尽でも客の意に逆らわないことや、理不尽な客の意を先取りすることは日本中で見られる。


日本中が「商道徳とは何か」「サービスとは何か」を学び直すべきだ。

(もともと無いとすれば、学び直す、というのは変か?)




ある年の暮れ、訪れた病院は猛威をふるっていた風邪の患者でごった返していた。

休み直前ということもあって、座る場所さえない状態だ。


そんな中で或る男性が悠然と煙草を吸っていた。見たことのある顔だった。

以前けがで入院したときに同室だったその人は重篤な呼吸器疾患で、

本来ならICUにいるべきような状態だった。

そんな状態の人ほど煙草が手放せないらしい。


以前から苦々しく思っていたのだが、その病院は灰皿も設置してあって喫煙OKであった。

だが、そこにいるほとんどが風邪に苦しむ患者である。

私は男性の前にある灰皿を病院の外へ放り出した。



     馬鹿もん! 他のひとの事を考えろ!



     あんたも自分の身体を大事にしろ! 

     院長はじめここのみんながどれほどあんたの身体を心配していることか



     治す気がないんなら病院など来るんじゃねぇ!



大立ち回りは覚悟していたが、男性はあっけなく従った。 

これを婦長が見ていた。



     申し訳ありません。

     患者さんのことを考えると灰皿の撤去ができなくて・・・



     患者のことを考えていないから灰皿など置いてあるのと違いますか? ここは病院でしょ?



     治療の妨げになるものを置いて医療機関と言えるのですか?



年明けには院内の灰皿、煙草の自販機はすべて撤去された。

カロリーの高い飲み物も自販機から消えた。


灰皿、煙草の自販機が無いからといって客足が減ったということは聞かなかった。

厳しいことをいうと客が寄りつかなくなるのでは? 

こんな卑しい発想が自らの仕事を貶めていたということだ。


ロビーの空気がきれいになったことは病院の理念を形で示しているとして好意的に受けとめられた。

「客が寄りつかなくなる」は自らの邪念でしかなかった。


転居するにあたって病院を紹介してもらったのだが、その病院は煙吸引機なる装置をロビーに設置していた。

ロビーでの喫煙OKというわけだ。

患者の身体を考えないのは出身医学部の学風のようである。




ホームドクターの医院と少し離れた皮膚科クリニックは出身医学部は同じだ。

二人の院長を見ると共通しているものが多いことに気づく。

何より患者に対する態度がやわらかい。

それに院内が大変きれいだ。無論、灰皿などはない。

病状の説明の仕方もよく似ていて、わかりやすく丁寧だ。

受付もオープンな造りで、威圧感、圧迫感がない。


お二人にとってそれは特筆すべき事ではなく、医院としての当然のこととしておられる。

これがサービス、"奉仕" という事なのだと思う。

お二人を育てた医学部の姿勢・学風が偲ばれる。


客のわがままを許したり、理不尽な振る舞いを容認することがサービスと考えるひとびとは

今一度自分の仕事の何たるかを認識すべきだ。

厳しさの中の優しさ、優しさの中の厳しさ。

それが無くては職業人とは言えまい。


こころから患者を思う医師であればこそ、大きな声で一喝してもくれる。それが優しさだ。






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おさだまりの戦争パターンってわけで




今のニホン 内政弱体で「国防強化」の目くらまし へと 進んでやす ・・・

こいつぁ もう おさだまりの 戦争パターン ってわけで ・・・


そうさな あとひとつ 必要なもん と言やぁあ ・・・・ WTC でげしょ

世論を高揚させる 偽旗作戦 は必ず起きますんで ・・・ いえ ・・ 起こされますんで ・・

あめりかさんは 街のど真ん中で そいつを やりやしたからね 

てめえらの つごうのためなら ひとの いのち など 屁とも おもわねえ やつらでござんすよ

この国じゃ 与那国島あたり が その 舞台 には うってつけ ってことで ・・ 

けっして 目を離しちゃいけませんぜ


そうなったひにゃ 日頃は 


    ニホンには9条が ・・・ 


と 訳知り顔で のたもう面々も 簡単に 心変わり するってわけでやんして ・・・

オピニオンリーダーだの 政治家だのと もっともらしく見えていた人間の 本性 がさらけ出されやす

そりゃあ 市民の 絶望感 も ピーク になろうってもんでげす


が 実のところ あたしゃ 市民が 絶望のピーク になるのを待っているんでげす


世の中そこまでいったとき初めて  " 本物 " が出てめえりやす

その  " 本物 " を 中心に 闘う かたちが できてめえりやす

闘うかたち が できたとなりゃあ このくにも まだまだ すてたもんじゃござんせんよ

あたしゃ 胸の奥で ずっと そう信じておりやす




もしかすると その 本物 ってえのは おめえさん おめえさんかも知れやせんぜ








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脱原発で日本再生

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ただいまの時刻は・・・

水のごとくに  無文翁

「私」という宇宙

文言で語る世界      文言でしか語れない世界

そったらことも      わからいでかの

"さんづけ"を多用する社会

危険ゾーンに入ってきた

こうして戦争へ向けた世論が形成されていく

感じませんか

紛争解決に尽力することが先だ

ユニオンジャックのガラス窓

原爆許すまじ

政に想定外はない

子どもの声が届かない

永田町住人たちの犯罪

永田町住人たちの犯罪2

その『神様』とは・・

クリーンなイメージ???

投票時間繰り上げ

私たちは騙されない

これでも放送受信契約を結びますか?

小異を残して大同につく

上意下達(じょういかたつ)

100年経っても変わらない

オリンピックはスポーツか

おせんで泣かすな

手袋をしていませんか

そもそも そもそも論が欠けていないか

風評じゃない!

何ひとつ解決できていない

誘導されていませんか? その法務行政

みんなちがってみんないい

65歳以上の独居老人に福祉は必要か?

厚労省は自由診療体制に誘導か?

奇妙きてれつ

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