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おめえさまたちは そったらことも わからいでかの





御嶽入山規制 縮小への体制整えたい・・・長野の新聞社はそんな社説を載せていた。


御嶽山噴火は自然現象だからそのことをとやかく言っても始まらない。

が、自然への接し方は近年あまりに常軌を逸してはいないか。


先人たちは自然を畏れ、また敬っても来た。

害を為すのも自然なら、恵みをもたらすのも自然である。

そのことを十分知りつつ、間合いを計りながら暮らしてきた。

そしてその間合いを計る言葉が「触らぬ神に祟りなし」だった。

ながらくその言葉は生きていた。

が、文明の力とやらがその言葉を呪いの呪文のように蔑むものにしてしまった。

そして多くの人の命がまったく無意味に失われていった。


観光目的で火口に行き、突然に起きた噴火で死んでいった人たちは

先人たちの目にどう映っているだろうか。



我々の暮らしは日々便利になってきた。

格差の問題はあるにせよ太古の時代に比べれば豊かにもなっている。

技術の進歩もめざましい。所番地さえわかっていれば初めて訪れる土地でも迷子にならない時代だ。


我々は錯覚しているのではないか。そして大事なことを忘れてはいるのではないか。

便利になったのは暮らしの一部分に過ぎない。

理解できているのも現象のきわめて限られた部分でしかない。


文明に慣れきった我々は自分たちの行くところすべてが「日常」でなければ納得しない。

文明人には秒単位で運行される通勤電車は常に目の前になければならない。

すべてはコントロールでき、自分たちの行くところに危険などあってはならない。

そしていつしか何の根拠もないまま危機意識を脱ぎ捨ててしまった。         

そこが文明の力の及ばない世界であることを忘れて・・・・


火口観光で亡くなった契約者にも保険金が出るという。

危険なものにはリスクをとるのは当たり前のことで、

そんなものに保険金を支払っていては普通に暮らしている契約者は損害を被る。

こんな理不尽なことがまかり通る保険という制度もいい加減な代物だ。


観光地とされる自治体では急遽、防護マスクを追加配備し、避難所の点検整備に着手したとか・・・

やるべきことが間違っている。愚かとはこういうことを言う。




ほんだから いったでねえか  さわらぬ かみに たたりなし だべ

 

そったらとこ いきゃあ いのち おとすの あったりまえでねえか

 

おめえさまたちは そったらことも わからいでかの










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2015年1月17日の感想




ロシアの声



捨て子を救った猫 世界中で話題に

Screenshot: Youtube
http://japanese.ruvr.ru/news/2015_01_16/282160896/


モスクワ郊外のオブニンスクで捨て子を温めて救った猫が、世界的に有名になった。

ロシアや外国の新聞社などが、この猫の写真を掲載している。


赤ちゃんが箱に入れられ、階段のところに遺棄されていた。

猫が数時間にわたり子供をなめ、あたため、大声で鳴いて周囲の人に呼びかけた。

カルーガ州の警察が両親を探している。

赤ちゃんは病院に運ばれた。赤ちゃんは元気で、風邪もひいていないという。


猫はマーシカという名前。

赤ちゃんに愛着を示し、連れ去られるとき不安げにし、救急車のあとを追って走ったという。


西側のマスコミもマーシャの話を報じた。

New York Postの記者は、映画に登場する有名な救助犬ラッシーの名を出して、

「ラッシーは休んでいるようだ」と伝えた。


西側の新聞などの読者、SNSのユーザーたちは、

「男の子と養子縁組をしたい」、「マーシャを引き取りたい」などの希望を表している。




モスクワ郊外で捨て子、野良猫が暖をとって無事(ビデオ)
http://japanese.ruvr.ru/news/2015_01_13/akachan-neko/


正月休みの期間、モスクワ郊外の町、

オブニンスクのある団地でダスト・シュートのそばで捨て子が発見された。

捨て子が生き延びられたのは団地に住み着く野良猫のマーシャが世話をしていたからだった。


子どもは置き去りにされてから数時間はまったくひとりぼっちだった。

これを最初に見つけたのが野良猫のマーシャ。マーシャは赤ん坊を大きな子猫と勘違いしたらしい。


住民の証言では赤ん坊は晴れ着を着せられ、頭には帽子がかぶせられていた。

傍らには紙おむつ数枚と粉ミルクが入った袋が置いてあった。


住民らは赤ん坊に粉ミルクを含ませ、落ち着かせると警察と救急車を呼んだ。

赤ん坊はオブニンスク病院の小児科に引き取られていった。

救急車が到着し、赤ん坊が医師らの手で持ち上げられると、

マーシャは泣き声を上げ、車に乗せられるまで離れなかったという。


子どもの親は何らかの理由で赤ん坊を手放さざるを得なかったのだろう。

こどもは男の子だった。現在は一時的に小児病棟に暮らしている。




      犬が人にかみついてもニュースにはならぬが、人が犬にかみつくとニュースになる・・・

      よく言われることだ。

      が、このニュースを見て、猫がニュースの中心になっていることには釈然としないものが残る。



                                 剱




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2015年1月16日の感想




某著名エコノミストが、労働改革が日本浮上の鍵だとして

「正規」「非正規」の二重構造の労働システムを一つの労働法のもとに整理することが必要だと述べていた。

経営側には市場のニーズに対応する柔軟性を、

労働者側には正規・非正規を問わず対等な権利を与えることができるとしている。

正社員を解雇することが容易になれば企業経営が楽になるという論調のようだ。


「正規」「非正規」の二重構造の労働システムを一つの労働法のもとに整理する・・・・???

「非正規」という不安定な立場の労働者が「豊かな将来の展望」をもてるのか。

労働者は企業経営のクッションなどではない。

目先の企業経営のことしか念頭にないない者は企業そのものを失うことに思いが及んでいない。

労働者は同時に消費者であることを忘れている。

虐げられた労働者の消費が細れば不況から立ち直る道はさらに遠のく。

企業経営はこのスパイラルから脱出せねばならない。


似非経済評論家が「正社員をなくせ」などとほざいていた。

マクロな見方のできない者が経済について語るとは、いやはや何ともおかしな時代だ。

我が先祖、加賀・前田家御用の越後屋七郎右エ門なら「愚かじゃ」と一蹴するに違いない。



                            剱




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施設サービスから在宅サービスへ・・・???

「介護するひと」とは誰を想定してのことか。

以前から家庭の主婦のオーバーワーク問題が言われてきた。

精神的に孤立することも多く、悲劇的な事件も多く報告されている。

家計が苦しければそんな主婦もパートに出ねばならない。

とても身がもつものではない。

この国には「福祉」という概念はないのか。

安心して老いることも許されないのか。


「施設サービスから在宅サービスへ」などと言葉を飾らず、

いっそ「足手まといになる者は切り捨てる」と本音を言えばどうだ。


            

                      剱




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産経新聞が言論の自由、表現の自由を訴える・・・・これはブラックジョークだ。



                           剱




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産経新聞社説

・・・・・ 国語がおろそかにされては元も子もない。

国際化のなかでこそ、国語力を鍛え、日本を深く理解する教育を忘れてはなるまい。・・・・・



あらためて社説で訴えなければならない社会の行く末が心配だ。

政府の提灯持ちにまで憂慮されている現状はまことに嘆かわしい限りだ。



                        剱

               



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不用意な翻訳が新たな誤解を・・・・




「許す」と「赦す」

不用意な翻訳により、新たな誤解が生じないことを祈りたい ・・・・

翻訳家、関口涼子氏はニホンの文化水準の低さを痛烈に批判し、

いとも簡単に、社会が誤った方向へ誘導される危うさを憂いている。                 


「許す」と「赦す」 の区別ができていないことは語学というよりは精神文化の問題だろう。

入試至上主義の社会はフランスで起きた事件報道で文化水準の低さをさらけ出してしまった。

オピニオンリーダーとも言うべきメディアの水準が政治の質を決めると言われてきたが、

悪政の元凶を垣間見た思いだ。


お二方の同じような文章があったのでご紹介させていただくこととし、

自らの戒めとしたい。


   

                            剱




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S Y N O D O S

2015.01.14 Wed

「許す」と「赦す」 ―― 「シャルリー・エブド」誌が示す文化翻訳の問題
関口涼子 / 翻訳家、作家


   
「シャルリー・エブド」誌襲撃事件の後、フランスと日本のメディアによる報道を追っていて、

この事件への反応や解釈が両国でまったく異なっていることに気がついた。


大まかに言えば、フランスの場合は、「シャルリー・エブド」の編集方針に賛成でない人、

あるいは同誌を読んだことがない人でもほぼ全員が、

同誌への抗議の手段として殺人という最大の暴力が行使されたことに激しく怒りを覚えたのに対し、

日本の場合には、「テロは良くないが」というただし書き付きで、

「でも表現の自由と騒ぐのは西欧中心主義ではないか。

表現の自由にも、他者の尊厳という制限が設けられるべきでは」

と表明することが少なからず存在した。


ここではその点については触れない。それとは別に、取り急ぎ指摘するべき問題が一つあるからだ。


1月13日付読売新聞の夕刊、国際欄に出ていた記事のことだ。

今日14日水曜日、襲撃事件後初めて発行される

「シャルリー・エブド」最新号の表紙のデッサンに触れたその記事では、


「最新号の表紙には、ムハンマドとされる男性が、

泣きながら『ジュ・スイ・シャルリー(私はシャルリー)』との標語を掲げる風刺画が描かれている。

この標語は、仏国民が事件後、表現の自由を訴えるスローガンとして使った。

表紙には、ムハンマドのターバンの色とされ、イスラム教徒が神聖視する緑色を使った。

また、『すべては許される』との見出しも付け、

ムハンマドの風刺も『表現の自由』の枠内との見解を訴えたと見られる。」


とある(AFP通信を始め、他の幾つかの日本のメディアにも、

「ムハンマドへの風刺も許されるという意味と見られる」とあった)。


この記事には多くの事実誤認が見られる。

政治学者の池内恵氏によると、緑はムハンマドのターバンの色ではなく、

そもそもシャルリー誌の表紙絵の男性も緑のターバンなど被っていないのだから、

単に一般的にイスラーム教というと緑とされているから、背景に緑を用いたのだろう、という。


また、ムハンマドの表象自体は、

一般的ではないとはいえ、イスラーム世界でもかつては伝統的に存在していた。

中世イランのミニアチュールなどでは、ムハンマドが描かれている。


そしてなにより、私が翻訳者としてこの記事で指摘したいところは、

この記事に見られる重大な誤訳なのだ。



「Tout est pardonné」の意味



この表表紙には、ふたつの文章が記されている。

まず、ムハンマドと解釈されるような男が「Je suis Charlie」と書かれた紙を掲げ、涙を流している。

そしてその上には「Tout est pardonné」と書かれている。


読売新聞の記事は、「Tout est pardonné」を「すべては許される」と訳し、何でもありだ、という、

言論の自由(というか「勝手」)を示したものだとしているが、これはまったく逆の意味だ。


「すべてが許される」であれば、フランス語ではTout est permis になるだろう。

「許可」を意味するPermissionから来ているPermisと異なり、

Pardonné は宗教の罪の「赦し」に由来する、もっと重い言葉だ。

そして、permisであれば、現在から未来に及ぶ行為を許可することを指すが、

pardonnéは、過去に為された過ちを赦すことを意味する。

「Tout est pardonné」は、直訳すれば「すべてを赦した」になる。


しかしこれは同時に、口語の慣用句であり、日本語で一番近い意味合いを探せば、

たとえば、放蕩息子の帰還で親が言うだろう言葉、「そのことについてはもう咎めないよ」、

または、あるカップルが、深刻な関係の危機に陥り、長い間の不仲の後、

最後に「いろいろあったけどもう忘れよう」という表現になるだろう。


これは、ただの喧嘩の後の仲直りの言葉ではない。

長い間の不和があり、それは実際には忘れられることも、許されることも出来ないかもしれない。

割れた壺は戻らないかもしれない。

それでも、この件については、終わったこととしようではないか、

そうして、お互いに辛いけれども、新しい関係に移ろうという、

「和解」「水に流す」というきれいごとの表現では表しきれない、

深いニュアンスがこの言葉には含まれている。


画面上この文章は、預言者ムハンマドが言ったとも取れるし、

「シャルリー・エブド」誌側の言葉とも取れる。

つまり、複数の解釈を許しているのだ。

ムハンマドが言ったとすれば、

それは、「君たちの風刺・または思想をもわたしは寛容に受け止めよう」ということであり、

「シャルリー・エブド」誌の側としては、

「わたしたちの仲間は死んだ。

でも、これを憎悪の元にするのではなく、

前に進んでいかなければならない」ということを意味するだろう。


読売新聞の記者は、このデッサンに「自分が読みたいことを読んだ」のかもしれない。

イメージは曖昧であり、ときに自らが含んでいない解釈も許してしまう危険性があるが、

この文章と結びつけられたときのメッセージは明白だ。

Tout est pardonnéを、「すべては許される」とすることで、この読みの多様性が全て消えてしまう。



「殺されたシャルリーは自分(ムハンマド)でもある」



それから、預言者ムハンマドが「Je suis Charlie」 、

つまり「わたしはシャルリーだ」と書かれた紙を持っていることが重要だ。

これは、単に、預言者ムハンマドも自分たち「シャルリー・エブド」誌の味方なんだよ! 

と言いたいのではない。


「わたしはシャルリーだ」とムハンマドが言うことは、

「殺されたシャルリーは自分(ムハンマド)でもある」、

つまり、宗教の名の下に、暴力の行使によって相手の制圧をしようとすれば、

あなたたちが信じていると思っている宗教もまた死ぬのだ、と、

このムハンマドのイメージは、

犯人たち(または犯人と意見を同じくする者たち)に訴えかけているのだ。


その意味では、これは、どれだけムハンマドが描かれていようと、

イスラーム教の批判でもなければ、イスラーム教徒に対する侮辱でもない。

むしろ、今後起きるであろうイスラーム嫌悪に対する歯止めであり、

テロ行為に走ることは自分たちの信ずるイスラーム教の許すことではない、

と考える、フランスに住む多くのイスラーム教徒を代弁しているとも言えるのだ。


この絵を描いた漫画家、ルスは、ここで描かれているのは、

何よりも先ず「涙を流す人間のイメージ」であって、

たとえムハンマドだとしても、自分が描いたムハンマドのキャラクターは、

虐殺を行った犯人が妄信していたムハンマド像よりもずっと平和的なのでは、と発言している。


それでは、これは、単に平和と未来を望む、真面目な絵なのだろうか。

「シャルリー・エブド」誌の漫画家たちは、

悲劇を前にして、ユーモアの精神を忘れてしまったのだろうか?


ここには、三つ目の意味が隠されている。

今回、諧謔精神は、事件の後、当該誌を読んだことさえなかったのに、

あわてて猫も杓子も 「わたしはシャルリーだ」と言い出した現象に向けられている。



「しょうがねーなー、チャラにしてやるよ」



つねに資金繰りに苦心していた、公称6万部、実売3万部の弱小誌、しかも紙のメディアという、

およそ時代遅れのこの雑誌は、多くのフランス人にもやり過ぎだと捉えられていたし、

正面切ってこの雑誌が好きだと言う人はほとんどいなかった。


それが、今回の事件以後、突如、全国的に有名になり、最新号は300万部印刷された。

政府からの補助金も出たし、個人の寄付も集まった。

1月11日に行われた、反テロ・追悼集会では、

フランス全土で370万人を超える参加者を数える、フランス史上最大規模の抗議集会となった。


表紙の絵を描いたルスは、襲撃事件が政治的に利用されることに違和感を表明し、

11日の集会は「シャルリー・エブド」の精神とは正反対だ、と批判している。

もう一人の生き残った漫画家ウィレムは、

「いきなり自分たちの友だと言い出す奴らには反吐が出るね」と、辛辣なコメントを述べてさえいる。


しかし、そういう、お調子者のフランス人、自分たちを担ぎ上げて利用しようとする政治家たちをも、

「Tout est pardonné しょうがねーなー、チャラにしてやるよ」、と笑い飛ばしているのが、この絵なのだ。

今までの「シャルリー・エブド」誌の風刺絵の中には、鋭いものも、差別表現ぎりぎりのものもあったが、

今回に関しては、お見事、というほかない。


ルスは、この絵を表紙にすると決めるまで、何日も同僚たちと編集会議を重ねたという。

襲撃の直後に編集室に入り、同僚の死体を目撃した彼にとって、

最新号の絵を描くことには自信が持てなかったという。

最初は、同僚たちが倒れている状況を描き、イスラーム過激派を描き、そして、最後には、銃弾の跡ではなく、

「笑うことの出来る絵」を描きたい、と思ってたどり着いたのが、この表紙の絵なのだ。



文化翻訳に関する多くの問題



「シャルリー・エブド」誌襲撃事件は、文化翻訳に関する多くの問題を結果的に提起している。

イメージが、文化を越えてどのように読まれていく(=翻訳される)のかという問題もあるし、

「自由」の概念の翻訳問題もある。

読売新聞の記事が、「Tout est pardonné」を「すべては許される」と訳してしまった背景には、

「リベルテ(自由)」という概念が、近代、日本語に翻訳される際に、

「勝手」と同義と捉えられていたという状況も思い起こさせられる。


また、漫画の翻訳を生業のひとつとしている者としては、漫画におけるテキスト部分がどれだけ重要なのか、

という日頃から抱えている問題を改めて考えることになった。


多くの場合、人は、漫画における文章を副次的なものと考えがちだ。

日本でこの表紙を目にした人の中には、絵だけから「今回は暴力的でないからいい」と考えた人もいれば、

「ムハンマドが描かれているからやはりイスラーム教徒に対する侮辱だ」と考えた人もいただろう。

それは、イメージを見ればそれで事足れりと考えているからだろう。


しかし、イメージに付随する言葉はイメージの解釈に方向性を与え、意味づけをするものなのだから、

けっしてないがしろにされるべきではない。

Tout est pardonnéの意味が分からなければ、このイメージの重層性を読むことは不可能だ。

ここにもまた、文化翻訳の問題が横たわっている。


14日発行のこの号は、25カ国で販売され、

アラビア語、英語、トルコ語、イタリア語など、複数の言語に翻訳されるという。

不用意な翻訳により、新たな誤解が生じないことを祈りたい。



http://synodos.jp/international/12340




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BLOGOS

記事 Aquila Takeshi Aoki
2015年01月15日 02:22

シャルリー・エブド紙Tout est pardonné(All is forgiven)に込められた真意 



襲撃事件後のシャルリー・エブド紙の今週号の表紙には

「私はシャルリー」と書かれた紙をもったムハンマドの風刺漫画が描かれ、

その上にフランス語でTout est pardonné(英訳するとAll is forgiven)と書かれています。

これを受けて、日本の一部の新聞社は、表現の自由のもとなら、(ムハンマドの風刺も含めて)

「何でも許される」という意味に取っているようです。

しかし、これはAll is forgivenの真意を読み誤ったものだと思います。

これは基本的な英語力もしくは国語力の問題であり、大変失望します。


何でもやっていいよというのは「許可」を意味しますが、

自分に悪いことをした人のことをゆるすというのは「責めない、とがめない」ことを意味します。

私は前者を「許し」と書き、後者の場合は「赦し」と書くことで区別するようにしています。

後者の「赦し」には、自分に悪くした人のことを憎まないという強い決意が必要であり、

たやすくできるものではありません。

あなたは自分の家族を殺した犯人を赦せますか?


シャルリー・エブド紙の弁護士は確かに、

神を冒涜することも含めて表現の自由の権利を守るという趣旨の発言をしていますので、

その流れで、宗教的権威を揶揄することも含めて

「すべてのことは許される」という意味で報道陣が理解したのかもしれませんが、

イスラム過激派がシャルリー・エブド紙の漫画家を殺害したことに対して、

怒りの拳を挙げることが今週号の風刺漫画の趣旨ではないと思います。

これは、今週号の表紙を描いた漫画家が涙を堪えながら行った記者会見を見てもわかることです。

この風刺画を描き終えた作家がTout est pardonné(All is forgiven)と

泣きながら叫んだことの真意はそこにあるのではありません。


英ガーディアンの記事はAll is forgivenの意味を正しく伝えています。

シャルリー・エブド紙の女性コラムニストZineb El Rhazoui氏が

この言葉は「襲撃犯を人として赦すことへの呼びかけ」であると説明しています。


襲撃犯を憎み、ののしり、怒ることでは問題は解決しません。

この闘いは、過激派思想に不幸にも洗脳された若者たちに向けられたものではなく、

近代の価値観を暴力で覆そうとするイスラム過激思想に向けられたものです。

憎しみに対する憎しみは問題をさらに複雑にしていきます。       

しかし、愛と赦しがそこに加わるとき、憎しみ合っていた人間同士の関係に変化の兆しが現れ始めます。


この地上において、正義と平和を同時に実現することはたいへん難しいことです。

正義を振りかざしても和平が訪れることはありませんし、

かといって、悪から目をそらして仲良くしても偽りの平和になるだけです。

All is forgiven(すべては赦される)-この言葉には人類の未来が託されていると思います。


最後に、宗教を侮辱する表現の自由が許されるかという問題について触れたいと思います。

これは非常に難しいテーマであると思います。

私はキリスト教を真剣に信じる者の一人ですが、

その立場からあえて申し上げますが、この社会で神を冒涜する自由がなければ、

神を賛美する自由もないと私は考えています。


公の場で宗教を批判する自由を規制する社会は、

個人が公の場で信仰を告白する自由も制限する可能性があります。

アメリカ社会はそうなりつつあると思います。

最近のアメリカ映画にGod’s Not Dead(邦題:『神は死んだのか』)がありますが、

この映画の脚本はアメリカの大学のキャンパスで起きた数々の訴訟事件をもとに作られたもので、

哲学の授業で「神は死んだ」と書いて署名するように

教授に求められた学生が自分はクリスチャンだからという理由で

署名を拒んだことから物語が始まります。

アメリカの大学のキャンパスでは、

教職員や学生の個人的な信仰のゆえに差別したり、侮辱することが問題となる一方で、

大学教授が個人の宗教観について授業の中で触れたり、

学生がレポートなどで自分の信仰について触れることも難しくなってきています。

アメリカでは公共の場所で他人の信仰を侮辱できない(それは当然のことですが)と同時に、

公共の場所で自分の信仰について語ることも難しくなっています。

それは公共の場所で中立性を担保するためには良いことかもしれませんが、

見方を変えれば、人に無宗教あるいは無神論であることを強要することでもあります。


特定の個人を、イスラム教徒だからという理由だけで、あるいは、

キリスト教徒であるという理由だけで、

ユダヤ教徒であるという理由だけで、差別することがあってはいけません。

しかし、そのことと、宗教を風刺することとは別だと思います。

宗教的権威を風刺することをやめると、宗教界が堕落してしまうこともあります。

聞きたくないことにも耳を傾けることで、

宗教的指導者が高ぶりや過ちを修正する機会が与えられることもあります。


宗教的権威を批判したり、

宗教を侮辱することをよくないことだとして規制(自主規制も含みます)してしまうと、

中世の抑圧の時代に逆戻りします。

それは宗教を信じる人にとってもそうでない人にとってもたいへん不幸なことを招きます。

神を冒涜したり、宗教を侮辱することも含めて、人間には自由があります。

その自由を規制する社会は、個人が信仰を告白する自由も抑圧してしまう危険性があります。

宗教について笑う自由とそれを聞く心のゆとりがある社会は、個人の信仰の自由も保障する社会だと思います。


宗教を信じる者であってもそうでなくても、

ときに侮辱的と感じる表現に対して忍耐と寛容さを持たなければならないと思います。

それは人間に学ぶ機会を与えます。

(もちろん侮辱することだけを目的としたヘイトスピーチのようなものは別ですが。)

そして、それは、キリストが十字架上で

「父よ。彼らをお赦しください。」

と敵のために祈りをされた、愛と赦しの精神に近づくことであると思います。



http://blogos.com/article/103494/




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かこまれて暮らす


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5歳の頃に住んでいた、鶴来・新町の家は大きな家だった。


前方は店になっていて、通り庭をすすむと、囲炉裏のある、吹き抜けのオエになっていた。

典型的な商家の造りで、自在鉤(じざいかぎ)には鉄瓶が掛かっていた。


                   ※ オエ:民家において大戸口から入った取付きの一室


オエの隅に大きな蓄音機があった。

小さめの冷蔵庫ぐらいの大きさだ。上部がプレーヤー部分、観音開きの下部はスピーカーになっている。


電気で動くわけではない。手回しのゼンマイ式だ。

ゼンマイに力のあるときは速く、次第に遅くなるという、今日では考えられない代物である。

針は鉄針で、レコード毎に交換していたように思う。 


ボリューム調整などなくとも当時の音楽好きには堪えられない逸品だったろう。 


急逝した叔父は手入れの行き届いた愛機を聴くとき、

波瀾万丈だった人生にあって、しばしの至福を味わったに違いない。


エボナイト製のレコードで聴く「碧空」は叔父の心にどんな風に響いたのだろうか。

他に、「ドリゴのセレナーデ」「幻想即興曲」「ショパンの小品」などあったのも覚えている。


「軍艦マーチ」を鳴らすと、「MPがやってきて検挙されるぞ」と言われた時代だった。


私の音楽・オーディオ好きもルーツはこの頃にあると思う。

止められなければ一日中でも同じレコードを聴いているこどもだった。


いま、寝る間も惜しんでオーディオの調整に励む姿は5歳の頃とどこも変わっていない。


基準にしている音も幼いとき聴いた「碧空」であるような気がする。

「かこまれて暮らす」影響というのは実に大きなものだ。


作曲家の池辺晋一郎氏も幼いとき家にあったピアノで遊んでいたと語っておられた。

「雨のテーマ」「花のテーマ」などまったくの遊びで音を作り出すのが好きだったという。


家族のピアノが傍にあった。そこから始まったということだろう。

才能があったのは勿論だが、才能を開花させる土壌としての環境、空気がそこにあったことを忘れてはならない。


最近は音楽もインターネットでダウンロードして買い求めるという。

確かに便利ではあるし、省資源ということにもなろう。店が近くになければそうせざるを得ないということもある。


しかし、ダウンロードした情報をハードディスクに入れておいて音楽的感性が育まれるものだろうか。

五感すべてに訴えかける「物」がそこにあってこそ感性が芽生え、育ってくるのではないだろうか。


CDを並べるということの意味もそんな所にあると私は信じる。


理屈ではなく、「物」がただそこにあるという風景を大切にしたい。


私にとって、面倒なCDの手入れもまた、紛れもない「音楽の世界」である。


ネットで本が読め、あらゆる情報を取得できる時代には図書館は不要なのだろうか。


あの佇まい、あの凛とした空気、そこに集う人々がそれぞれに「答え」を探し求める様を見て、

おおいに感化された思い出は誰の中にもあるだろう。


その空気こそが図書館と考えるのはもはや単なるノスタルジーに過ぎないのだろうか。








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企 画?____やくざものの発想




       「北陸新幹線開業に呼応したタイミングでドラマ化が実現すれば全国の話題となり、

    倶利伽羅古戦場への観光客も見込める」(津幡町議会 M氏)


企業の中でこのような発言をする役員がいれば、即時、閑職に追いやられるだろう。

(もともと役員にはなれないが・・)

動機が甘い期待であるだけで何ら企画根拠を数字で示していない。


北陸新幹線開業は目前に迫っていることに違いはないが、大河ドラマは所詮他人様の企画である。

「ドラマ化が実現すれば・・」と仮定に基づいたあやふやなものでしかない。


自ら製作費を出して魅力的なドラマをつくり、発信するなら話は別だが・・・

そんな腹をくくった話ではあるまい。


津幡町の予算計上の根拠も実にあいまいだ。



          ○津幡町大河ドラマ誘致推進協議会設置規程

           2009年年6月15日

           津幡町告示第74号

            (設置)

             第1条 木曽義仲を題材とした大河ドラマの誘致を推進し、

                                             本町の観光の活性化に寄与することを目的として、

                                             津幡町大河ドラマ誘致推進協議会(以下「協議会」という。)を設置する。



観光の活性化というが、石川県民ですら津幡の観光資源が何であるか答えられるひとはいないだろう。

1998年以来津幡に住んでいるがこの町が観光地とはとても思えない。

活性化というのは土壌があってのことだろう。


仮にドラマ化がなり、観光客が来るとしよう。ではその客を見込んだ事業に投資できるか。

私の答えはNOだ。そんな一過性のものに投資できるわけがない。


一攫千金を夢みてるとすれば事業家ではない。

それは「ばくち打ち」がすることで堅気の商人のすることではない。


事業は利薄くとも着実に成果をあげていかねばならない。

大河ドラマに浮かれた客など所詮はおまけ程度にしか考えてはならないものだ。


期待できる観光客数、期待できる経済効果 etc が論理的裏付けをもって語られなければならない。

希望的観測でものをいうなら自費でおやりいただきたい。

いつまで続けるのか期限も定めず、無責任なことだ。




企画というのはしたたかであらねばならない。 どういう事か。

失敗しても「得るものは得る」ということでなければならないということだ。
 
大河ドラマ誘致に失敗しても投資に見合う十分な成果が約束されねばならない。


ドラマ誘致とは外見的な名目であって、真の目的では着実に成果が上がる・・・

こういうことでなければならない。

                                    
失敗すればすべてを失う零細企業経営の生き残り術である。当たり前すぎるほど当たり前の事である。




全国ネットで「津幡」という町名が流れたのは

"ほめ言葉のシャワー" という小冊子が紹介されたNHKの「クローズアップ現代」と

TBSラジオ番組「永六輔の誰かと何処かで」という番組ぐらいではないか。


ともにエッセイスト "水野スウさん" がいなければ日本中の誰も「津幡」など聞いたこともなかったろう。


町当局も議員もよく考えてみることだ。津幡という町にどれだけの発信力があるというのだ。

観光観光などと言うよりも津幡という町をどうやって知ってもらうか。それが先ではないか。


町づくりは一朝一夕で出来るものではない。

魅力ある町づくりは息の長い取り組みでなければならない。

大河ドラマや博打場の誘致で活性化を図るなんぞは所詮やくざものの発想でしかない。








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2015年1月15日の感想




基地利権のため、アメリカからの撤退の打診を断っていた。

どこかの市長が基地受け入れを表明したのも同じ理由だ。

美しい心の政治家など所詮どこにもおらんと言うことか。



                     剱




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中東問題


国連が機能していないことが問題だ。

国際間の調整を無視して構成される多国籍軍とは国連を蹂躙する ならず者集団 に過ぎない。

「猶予がない」は口実に過ぎない。

幾度となく繰り返されてきた多国籍軍による「解決」が事態を複雑にし、

収奪を許し、共存を遠ざけている。



         
                                     
                          剱




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軍事費削減 !! 大企業優遇撤廃 !! 相続税拡大など資産課税の徹底 !!


富の再配分をおろそかにしては社会は格差間の対立が深まるばかり。

政への不信感が高まれば社会は機能しなくなる。





                                              剱
 




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あなたの行為こそ、平和憲法へのテロ!



安倍晋三氏よ、



あなたの行為こそ、平和憲法へのテロ!

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「共産党が政権とればこうなる」と

安倍さんたちが言っていたことが、今では!?

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“WHO「福島県でガン多発」報告書” 国と記者クラブが無視!




[転載元]
http://blog.takarajima.tkj.jp/archives/1940402.html



宝 島


【告発スクープ】 “WHO「福島県でガン多発」報告書” 国と記者クラブが無視!

~誰も書けなかった福島原発事故の健康被害 【第3回 前編】~


ガンのアウトブレイクに備えよ――

汚染地域に暮らしていた(もしくは暮らし続けている)若年層における甲状腺ガン、

白血病、乳ガン、固形ガンの多発を予測するWHO報告書はなぜ無視され続けるのか? (前編)



■日本の「専門家」はなぜWHO報告書を嫌った?



 WHO1報告書 10月20日、環境省が所管する

「東京電力福島第一原子力発電所事故に伴う住民の健康管理のあり方に関する専門家会議」

(以下、専門家会議)の第12回会議が東京・港区で開かれた。


 この日、専門家会議は、

世界保健機関(WHO)と原子放射線の影響に関する国連科学委員会(UNSCEAR)の

2つの国際機関から出されていた線量評価報告書のうち、


「福島での被曝によるガンの増加は予想されない」


 というUNSCEAR報告書のほうが「より信頼性が高い」として絶賛。そして、


●福島第一原発事故の被曝線量はチェルノブイリ原発事故よりもはるかに少ない


●懸念されるのは甲状腺(こうじょうせん)ガンだけであり、

そのリスクも疫学的にかろうじて増加するかどうかという程度


 としたUNSCEARの健康リスク評価について「同意する」と表明した。

これぞ“我が意を得たり”ということのようだ。


 一方、WHOの健康リスク評価に対しては、昨年2月の同報告書公表以来、

専門家会議は「過大評価の可能性がある」と敵視し続けてきた。

そしてこの日、WHO報告書を事実上無視する構えを鮮明にしたのだった。


 そのWHO報告書はこれまで、


「がん疾患の発症増加が確認される可能性は小さい」(『毎日新聞』2013年2月28日)


「大半の福島県民では、がんが明らかに増える可能性は低いと結論付けた」(『朝日新聞』同年3月1日)


 などと報じられてきた。報道を見る限り、UNSCEAR報告書の内容と大差はなく、

専門家会議がそこまで嫌う理由が全くわからない。


 そこで、WHO報告書の原文を取り寄せ、精読してみたところ、

驚くべき「評価内容」が浮かび上がってきた。



■WHOは若年層での「ガン多発」を明言していた



  WHO2ガンリスク WHOは昨年2月28日、

東京電力・福島第一原発事故で被曝した福島県民たちには今後、

健康面でどのようなリスクがあるのかを検証した『WHO健康リスク評価報告書』(注1)を発表していた。


 英文で160ページ以上にも及ぶ同報告書では、ガンと白血病の発症リスクを詳細に評価。

その結果、深刻な放射能汚染に晒(さら)された原発近隣地域の住民の間で、

甲状腺ガンをはじめとしたガンが増加し、

特に若い人たちの間でガンが多発すると明言している。


 この報告書をまとめるにあたり、主な「評価対象」とされたのは、

避難が遅れた浪江町と飯舘村の「計画的避難区域」に暮らしていた住民たちだ。


 評価では、汚染地帯から避難するまでに4カ月かかったと仮定。

他にも、汚染された福島県産の食材を食べ続けたと仮定するなど、

過小評価を避けるための仮定を積み重ねたうえで、

住民の推定被曝線量を弾き出している。


 WHO報告書によると、多発が極めて顕著なのは小児(注2)甲状腺ガン。

被災時に1歳だった女児の場合、

浪江町では事故発生からの15年間で発症率は9倍

(被曝前の発症率0.004%→影響を考慮した発症率0.036%)に増え、

飯舘村でも15年間で6倍(同0.004%→同0.024%)に増えると予測した(同報告書64ページ。)。


 もともと幼少期の甲状腺ガン発症率は非常に低い。

従って、幼少期に被曝した場合のリスクを、

原発事故発生からの15年間に絞って計算すると「小児甲状腺ガンと被曝との関係性がより明白になる」と、

WHO報告書は言う。


 ひょっとするとこの部分が、

原発事故による健康被害は「ない」とする評価を続ける環境省や専門家会議の癇に障ったのかもしれない。


 多発が予測されたのはそれだけではない。


 小児甲状腺ガンほどではないにせよ、小児白血病も多発するという。

被災時に1歳だった男児の場合、

浪江町では事故発生からの15年間で発症率は1.8倍(同0.03%→同0.055%)に増え、

飯舘村では15年間で1.5倍(同0.03%→同0.044%)に増える。

1歳女児の場合、浪江町では事故発生からの15年間で発症率は1.6倍(同0.03%→同0.047%)に増え、

飯舘村では15年間で1.3倍(同0.03%→同0.04%)に増える(同報告書62ページ。)。


 そして、乳ガンも増える。被災時に10歳だった女児の場合、

浪江町では事故発生からの15年間で発症率は1.5倍(同0.01%→同0.015%)に増え、

飯舘村では15年間で1.3倍(同0.01%→同0.013%)に増える(同報告書63ページ。)。


 さらには、固形ガンも増える。被災時に1歳だった男児の場合、

浪江町では事故発生からの15年間で発症率は1.14倍(同0.08%→同0.091%)に増え、

飯舘村では15年間で1.08倍(同0.08%→同0.086%)に増える。

1歳女児の場合、浪江町では事故発生からの15年間で発症率は1.24倍(同0.08%→同0.099%)に増え、

飯舘村では15年間で1.14倍(同0.08%→同0.091%)に増える(同報告書62~63ページ。次ページ)。


 つまり、福島県の若年層におけるガンは、

甲状腺ガン、白血病、乳ガン、固形ガンの順に増加すると、WHO報告書では予測している。


(注1)同報告書の英語名は

『Health risk assessment from the nuclear accident after

the 2011 Great East Japan Earthquake and Tsunami』。

URL はhttp://apps.who.int/iris/bitstream/10665/78218/1/9789241505130_eng.pdf?ua=1


(注2)本稿中の「小児」の定義は、0歳から16歳までとする。


 
■「過大評価」したのか?それとも「過小評価」か?
  


WHO3グループ内訳 WHOの健康リスク評価では、

原発事故発生からの1年間に被曝したと思われる推定線量をもとに、

地域を4つのグループに分けている。

12~122ミリシーベルトの被曝とされた浪江町と飯舘村が「グループ1」。

3~48ミリシーベルトの被曝とされた

葛尾村、南相馬市、楢葉町、川内村、伊達市、福島市、二本松市、川俣町、

広野町、郡山市、田村市、相馬市が「グループ2」。

1~31ミリシーベルトの被曝とされた他の福島県内の自治体や福島県以外の都道府県が「グループ3」。

そして、0.01ミリシーベルト(=10マイクロシーベルト)以下の被曝とされた近隣国が「グループ4」だ。


 問題は、福島第一原発の立地自治体である双葉町と大熊町、

そして大熊町に隣接する富岡町の3町が、

どのグループにも入っておらず、評価の対象から外されていることである。

これらの町の住民は「速やかに避難」したからなのだという。


 しかし、3町の住民もまた、

避難開始前から環境中に漏れ出していた放射能によって相当な被曝をしていた。

具体例を挙げよう。


 福島第一原発の直近から避難してきた一般市民が被曝していることが判明し始めた2011年3月12日、

放射線測定器で1万3000カウント(CPM。1分ごとのカウント)以上を計測した人のすべてを

「全身の除染が必要な被曝」とみなし、

シャワーで体を洗い流していた。この日、全身の除染が必要とされた住民は3人。

そして翌3月13日、福島県は、原発の3キロメートル圏内から避難してきた19人にも

放射性物質が付着していたと発表する。

住民の被曝は22人となった。


 だが、翌3月14日、福島県は突然、除染基準を引き上げる。

国が派遣したという「放射線専門家」の意見を聞き入れ、基準を7倍以上の「10万CPM以上」としたのだ。

そしてこの日以降、「今日は何人の市民を除染」といった類いの情報が、報道から消えていた──。


 コントロール不能に陥っていた原発から、

事故発生からの数日間だけで77京ベクレル(77×10の16乗ベクレル)にも及ぶ放射能が漏れ出す中、

防護服もゴーグルも防塵マスクも着けずに避難していた彼らを評価に加えていないところが、

この健康リスク評価における「過小評価」部分であり、最大の欠点でもある。

人によっては、前掲の「発ガンリスク」以上の健康リスクを背負わされている恐れがある。


 しかも、放射線被曝による健康被害はガンばかりではない。


 甲状腺疾患(機能低下や良性結節など)や視覚障害(水晶体混濁や白内障など)、

循環系疾患(心臓や脳血管の疾患)、

生殖器官の機能不全、催奇性(さいきせい)リスク、遺伝子への影響、

高線量の被曝に伴う急性放射線障害などもある。

だが、これらの疾患は「発生の増加は予想されない」として、

WHOの報告書では詳細評価の対象外としていた(注3)。


 つまり、専門家会議が危惧する「過大評価」どころか、

その正反対の「過小評価」に陥っている懸念さえあるのだ。


(注3)WHOが詳細評価の対象外としていたからといって、

ガン以外の疾患を舐(な)めてかかってはならない。

飯舘村の高汚染地域に調査目的で何度も滞在した後、

白内障に罹(かか)っていた人が相当数いることを、筆者は具体的に知っている。

高レベルの汚染が判明している地域に立ち入るのを極力控えるか、

それとも防護服姿で訪問するかしないと、

こうした疾患のリスクは減らしようがない。


取材・文/明石昇二郎(ルポルタージュ研究所)+本誌取材班

(全文は『宝島』2015年1月号に掲載)




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[転載元]
http://blog.takarajima.tkj.jp/archives/1940410.html



宝 島


【告発スクープ】 “WHO「福島県でガン多発」報告書” 国と記者クラブが無視!

~誰も書けなかった福島原発事故の健康被害 【第3回 後編】~



ガンのアウトブレイクに備えよ――汚染地域に暮らしていた(もしくは暮らし続けている)

若年層における甲状腺ガン、白血病、乳ガン、固形ガンの多発を予測する

WHO報告書はなぜ無視され続けるのか?(後編)



■甲状腺ガン、白血病、乳ガン、固形ガン……



WHO3グループ内訳 にもかかわらずWHOは、ガンに関してだけは「若年層で多発する」との評価を下していた。


 報告書のサマリー(要約版)には、次のような一文がある。


「市民の健康監視のため、今後数年間で(注意を払うべき病気や地域の)優先順位を

設定するために貴重な情報を提供します」


 WHO報告書がまとめられた一義的な目的は、

被曝した市民の健康被害対策において何を優先すべきかを決める際の

参考資料として活用してもらうためだった。

従って、WHO報告書の正しい読み方は、

そこに挙げられている推定被曝線量やガン発症率の数字だけに目を奪われるのではなく、

評価を通じて炙(あぶ)り出された病気や地域に着目し、対策を取ることなのだ。


 ガン以外の健康被害が詳細評価の対象外とされたのも、

WHOなりに「優先順位」を考えた末の話なのだと割り切れば、腑(ふ)に落ちる。

どうしてもガン以外の健康被害が気になるのであれば、WHOに過度な期待など抱かず、

日本国民が自らの手で「詳細評価」すればいいのである。


 ともあれ、今後、私たちが最大限の注意を払うべき対象は、WHOでも心配していた、


「汚染地域に暮らしていた(もしくは暮らし続けている)若年層における

甲状腺ガン、白血病、乳ガン、固形ガン」


 ということになる。ここで言う「汚染地域」とは、

何も浪江町や飯舘村の「グループ1」地域だけに限らない。

3~48ミリシーベルトの被曝とされた「グループ2」地域と、

1~31ミリシーベルトの被曝とされた「グループ3」地域も、

れっきとした「福島第一原発事故による汚染地域」である。

対策地域を1ミリシーベルト以上の「グループ3」地域まで広げておけば、

健康被害対策としてはとりあえず及第点をもらえるだろう。



■「子どものガン多発」に目をつぶる大人たちの罪



WHO6グラフ 今年7月16日に開かれた第8回の専門家会議では、

このWHO報告書の提言を健康被害のアウトブレイク対策に積極的に活かそうという重大な提案があった。

発言したのは、疫学と因果推論などが専門の津田敏秀・岡山大学大学院教授。

津田氏はこの日、専門家会議の場に講師として招かれていた。


 同日の議事録によると、津田教授発言の要旨は次のようなものだ。



-----



 米国のCDC(疾病管理予防センター)は、甲状腺ガンの潜伏期間は大人で2.5年とし、

米国科学アカデミーは、

子どもにおいては最短の潜伏期間は1年であるとしている。

1歳未満の乳児が甲状腺ガンになった症例の報告もある。

従って、原発事故の翌年から甲状腺ガンの多発が起こったところで何の不思議もないし、

これだけ大規模に被曝した人がいれば、

その中には被曝に対する感受性の高い(=ガンになりやすい)人もいる。


 WHO報告書も、甲状腺ガン・白血病・乳ガン・固形ガンの多発が、

特に若年層で起こるということに言及している。


 事故3年後の福島でも、甲状腺ガンの多発が明瞭に観察されている。

多発に備える対策とその準備が、早急に必要だ。


 白血病は、累積ガンマ線被曝が5ミリグレイ(ミリシーベルトとほぼ同じ)を超えると、

統計的有意差が出てくる。

白血病を除く全ガンも、15ミリグレイの累積被曝によって多発してくる。


 妊娠中に放射線を浴びたために小児ガンが多発するという調査報告も、

世界各国で相次いでいる(注4)。

病院のX線撮影室の入ロに表示してある「妊娠している可能性がある方は、

必ず申し出てください」という表示は、

こうした調査報告を根拠にしたものだ。

福島県では今もなお、妊婦を含む全年齢層が被曝している状態であるということを、

きちんと考えていただきたい。


 今、福島第一原発事故に絡んで語られている

「100ミリシーベルト以下ならガンが出ない」というような話は、必ず撤回させる必要がある。

(除染を完了したとされる地域への)帰還計画も延期すべきだと思う。



-----



 この提案に対し、長瀧重信座長(長崎大学名誉教授)をはじめとする専門家会議委員は、

「福島ですでにガンは増えている」という見方が委員会の結論となるのを断固阻止すべく、

いっせいに反発を示す。


 会議の司会を務める長瀧座長は、津田教授に反論するよう委員らを焚(た)きつけつつ、

自身は疫学の専門家でないにもかかわらず、

津田教授の見解を「非常にユニーク」だとして切り捨てようとする。


 だが、津田教授も負けておらず、

「私は、オックスフォード大学出版局から出ている

『フィールド疫学 第3版』という教科書にもとづいて話している。

(ユニークだと言う)先生のほうがユニークです」


 と切り返す。WHO報告書をめぐる議論は、ここで打ち切られた。


 そして、その後の専門家会議でもWHO報告書にもとづく健康被害対策が検討されることはなく、

10月20日の第12回会議で、ついにWHO報告書は正式に無視されるまでに至っていた。

津田教授にコメントを求めたところ、こんな答えが返ってきた。


「特に感想はないですが。もともと、あの委員会の先生方には、

健康影響を論じるのは無理な話なのですから」



-----



 推定被曝線量の高低や、予測された発症率の高低ばかりに気を取られ、

「過大評価か否か」に固執する環境省や専門家会議。

そして、「がんが明らかに増える可能性は低い」などと報じていたマスコミ。

そのどちらも、WHO報告書の意味を180度取り違えていた。


 その結果、WHO報告書の提言は福島県民の健康被害対策に生かされず、

そのことを批判するマスコミ報道もない。

こうして「若年層でのガン多発」というアウトブレイクに備えた対策は、

今日まで何も取られていない。


かわいそうなのは、こんな大人たちにこれからの人生を翻弄される、子どもたちである。


(注4)妊婦の腹部への被曝が生誕後の小児ガンの原因となるということは、

半世紀ほど前から知られていた医学的知見でもある。

研究自体は1950年代から世界的に行なわれており、

子宮内で胎児が10ミリグレイ(=10ミリシーベルト)程度のX線被曝を受けると、

小児ガンのリスクが必然的に増加するという結論がすでに出ている。


取材・文/明石昇二郎(ルポルタージュ研究所)+本誌取材班

(全文は『宝島』2015年1月号に掲載)








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65歳以上の独居老人に福祉は必要か?





小泉構造改革以後のニホンは格差が一段とひどくなっている。

風邪ぐらいでは医者にかかれないという人たちも実に増えてきた。


最近では、医療費のことを考えると子どもを病院へ連れて行けず、死なせてしまったという事件もあった。

保護責任者遺棄だの自己責任だのよく言ってくれるものだと思う。

こんな時だけ報道はするが、日頃の理不尽な有り様についてはなんの関心も示さないメディアである。


あなたが医師と仮定して、同時に二人の病人が担ぎ込まれたとする。

一人は大企業の大株主の資産家。一人は非正規労働者の母子家庭の母親。

どちらから診るべきと思うか。





町役場から「独り暮らし高齢者台帳」作成のための用紙が送られてきた。

宛名を見ると間違いなく私宛の書類のようだ。

え~っ 私って高齢者なんだ。あらららら。


2008年に亡くなった母などは金沢医科大に検査入院する際、


    ねえ ここ 高齢医学科って なっとるよ ほんとに ここでいいがか?


と、言っていた。母86歳の秋のことだ。



私は昔から町の集団検診なるものには抵抗感のある人間である。


会社が行なう検診は企業の労働者に対する義務でもあるため従ってはきたが、

純粋に個人の場合であれば、行政にそこまで管理される筋合いはない。

集団としての対応は伝染病発生など緊急の場合に限定されるべきと考える。


この町へ転居した際、役場にはそのような案内は送ってくれるなと申し入れた。


確かにこの時代でも無医地区なるものは存在する。

特殊なケースで行政が住民の利便を考慮することまで否定はしない。


国民健康保険に加入し、保険料を納めているからには健康診断の費用がそこから補助されることもあってよい。


しかし、受診はあくまで自主的にされるべきで、みんなまとめてエイヤァーとやるというのは、

行政側に戦前の徴兵検査の感覚が未だ残っているからではないかと疑ってしまうのである。


社会整備が遅れていた時代の、何もかもお上に頼っていたときの制度を引きずっているのは如何なものか。


行政がやるべきは無医地区解消であり、

医療を必要とするひとがいつでも医療サービスを受けられる環境を用意することであろう。

費用が心配で医療サービスを受けられないということをなくすことであろう。


個人情報保護が聞いてあきれる。集団検診は Paternalism そのものである。


              ※ Paternalism(パターナリズム)


                強い立場にある者が、弱い立場にある者の利益になるようにと、

                本人の意志とは関係なく、行動に介入・干渉することをいう。

                日本語では家父長主義、父権主義、温情主義などと訳される。


町役場からの書類には、緊急連絡先、かかりつけの病院、知り合い、果ては寝室の間取り図まで書けとなっている。

これでは更生保護法でいう保護観察と大差ない。独り暮らしは犯罪なのか。


最近、生活保護を受ける者の無駄遣いを監視するべきとの条例が話題になった。

騒がれたため廃案となったようだが、この国の底にある認識がにわかになくなるとは思えない。


上から目線、お上意識、Paternalism こそが行政であるとする風潮が急に変わることはないだろう。


最近、孤独死という言葉がメディアに流れる。

独り暮らしの人間が白骨化した状態で発見されたと言って街中が大騒ぎとなる。

行政の怠慢が責められ、民生委員は再発防止に奔走する。

ひとびとは絆の大切さを声高に叫ぶ。

そうすることがヒューマニズム社会だと言わんばかりに。


しかし、へそ曲がりはここで思う。

行政のどの部分が、何故に責められるべきか、ひとびとは本当にわかっているのだろうか。

異様な光景に慌てふためき、とりあえず誰かを批判することでストレスを回避しようとしているだけではないのか。


「独り暮らし高齢者台帳」なるものを作るそもそものきっかけ、動機はどこにあるのか。


人類愛というものなのか? しかし、本音のところはただ単に「制度があるから」ではないのか。

きのうまでその存在も気にかけていなかった者がにわかに「人類愛」などと軽々に口に出していいのか。

その役職から離れれば何の関心も示さない人間の「急性人間愛病」ではないと言い切れるのか。


行政の窓口ではきょうも大勢のひとが生活保護の申請を出さぬよう指導されている。

役所の中も非正規の職員は冷遇され続けている。どこに人間愛があるのか。



福祉サービスはそれを必要とするひとが求めたとき、いつでもそのひとをささえるものでなければならない。


年齢であるとか、家族形態であるとかは問題ではなかろう。

独り暮らしを孤独であると決めつけるのは如何なものか。

独りで死んでいくことがあってはならないと誰が決めたのか。


見守るということと Paternalism は紙一重である。

個人の意志を無視しての福祉などあろうはずもないではないか。


福祉サービスはそれを必要とするひとが求めたとき、いつでもそのひとをささえるものでなければならない。



あなたが医師と仮定して、同時に二人の病人が担ぎ込まれたとする。

一人は大企業の大株主の資産家。一人は非正規労働者の母子家庭の母親。

どちらから診るべきと思うか。


前ふりによってひとは引っ張られてしまう。

前段に格差の話があるとひとは格差是正こそが行動の出発点であると錯覚してしまう。


医療行為に所得の多い少ないという視点があってはならない。

誰から診ていくべきか。より重篤なひとから診ていくのは当然すぎるほど当然のことだ。


福祉とは何か。福祉サービスを必要とすることはどういうことなのか、これがしっかり理解できていれば

年齢というキーワードですべてが動くこんなトンチンカンな現象は起きないのではないか。







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2015年1月14日の感想




”wars of aggression are being prepared ”

わかってはいても 具体的に こういう言葉を目にすると やはりショックだ。

ニホンの 能天気な政治家はもちろん 国民の大多数も「侵略戦争が準備されている」と

受けとめられているとは 考えてもいなかったのでは・・・・

しかし、世界の目は厳しく捉えている。



                             剱




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軍拡競争が平和をもたらす・・・・     ???

防衛大教授が産経新聞に意見を載せていた。

このような愚か者がこの社会にいて、メディアに登場できるというのはあまりに異常だ。


軍事優先の経済は社会に還元できるものが少なく、疲弊することは歴史が証明している。

1989年12月、マルタ島で、ゴルバチョフとジョージ・ブッシュが宣言した「冷戦の終結」を無にしてはならない。

軍拡路線回避の認識が語られなくてはならない。

軍拡路線に進めば経済は間違いなく破綻する。

決して無視はできない困難な状況下にあっても恒久平和への道筋を示し続けなければ

「世界の平和」は虹の彼方のものでしかない。



                            剱




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何から何まで口出しする。

自分の意のままにならねば不快になり、あたりちらす。

自分に付き従う者のみ徴用する。


これが自己愛性パーソナリティ障害の特徴であり、安倍政治の本質でもある。

要はこのような男をリーダーにしてれば社会は崩壊すると言うことだ。



                         剱




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安全保障___政に想定外はない




『レッド・オクトーバーを追え』(The Hunt for Red October)1990年製作のアメリカ映画。


冷戦時代、ソ連ムルマンスク港よりタイフーン級原子力潜水艦「レッド・オクトーバー」が出航する。

この新型艦の処女航海の艦長はマルコ・ラミウスである。


世界の海軍関係者より尊敬と畏怖の念をもって見られるラミウスはソ連の体制に不満を持ち、

レッド・オクトーバーを手土産にアメリカ合衆国への亡命を画策する。


この艦の推進システムは「キャタピラー・ドライブ」といい、全く音を出さずに航行することが可能だ。

これならソ連艦隊の追跡をかわし、大西洋の対岸にたどりつくことが可能である。


乗組員にはキューバに向かう訓練であると説明し、北海を西へ進む。


ソ連軍は艦船数十隻を動員、演習とNATOに通告した上で、レッド・オクトーバーを追跡、撃沈しようとする。

アメリカ合衆国の幕僚会議はソ連軍の動きを警戒、対策を協議するが、

CIAのアナリストのライアンは、ラミウスが亡命するつもりなのかもしれないと直感し、席上で発言する。


「攻撃すべし」の幕僚達からは一蹴され、会議はしらけてしまう。


幕僚達が去った後、議長の国家安全対策顧問ペルトはライアンに「亡命説」を3日以内に証明するように言う。

私がこの映画で最も印象に残ったシーンだ。


国家安全対策顧問ペルトはホワイトハウス高官で政治家だ。

彼は言う。「我々は如何なるときでも、あらゆる選択肢を持っていなければならない」

彼は亡命説を支持しているわけではない。


しかし、国家の存亡に関わる者として、「万一」は許されないとの立場で、

不確かな情報、確率の低いものにまで目配りをおろそかにしない。


仮に、「亡命説」が的外れであっても、民間人であるアナリストが動いただけのことであって、

ペルトの政治生命に傷はつかない。アナリストは使い捨てということだ。政治家は汚い! いやな奴!


しかし、私がその立場でも、やはりそうするだろう。

国民の生命・財産をまもる立場であってみれば、「汚い」と罵られようと、役目をないがしろにはできない。


国民の生命・財産をまもることが政治というものだ。




思えばこの社会はひとがどう動くか見極めてから動く傾向がある。

異論があっても呑み込んでしまう。

ひとと同じ事をしていれば安心していられるからだ。

自分の意見も含め、少数意見を無視して皆が勝ち馬に乗ろうとする。

まさに「みんなで渡れば怖くない」だ。


農耕民族ということと無縁ではないと思うが、この傾向は昔から何もかわっていない。


「お友達内閣」は確かに政策決定まで時間がかからないかもしれない。

反対しそうな人間を委員から外せば審議は進むかもしれない。


しかし、舵取りを修正したり、制御する者がいなければ、

航路を間違っていても誰も気付かず大海原で漂流するだけだ。


この国は70年前に漂流した過去がある。


しかし、原発問題を見るときに、政府・業界が一様に同じ方向を向いていたようで、不気味さを禁じ得ない。

過去に学ぶ姿勢がまったく見えない。


原発推進論者であっても、政府の立場ともなれば、一方で危険を訴える学者の声を尊重し、

脱原発の可能性を常に模索しておくべきだ。


あらゆる選択肢を用意できなければ国の存続は危うくなる。

「想定外」など絶対にあってはならないのが政というものだ。


誰が総理になろうと、一番身近なところに、感性・思考回路がまったく異なる人間を置いて欲しいものだ。

うるさ型というか、ある意味、政敵を置いて方向性が間違っていないか意見を求めるのがいい。

万人のための政なのだから。


一方に流れればこの国は今度こそ取り返しのつかないことになる。






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大丈夫か__ 文化圏を越えた多国籍企業のものづくり




ボーイング787のトラブルが相次いで報告された。

航空会社は機材のやりくりができず運休にまで追い込まれる始末。

株価も大幅に下落している現状は「事故」に匹敵する深刻な状況だ。

原因の究明が急がれる。


ボーイングは今やアメリカの企業ではない。

ボーイング787は機体の70%近くを国外メーカーを含めた約70社に開発させる国際共同事業である。

日本も35%分担しているという。


大勢の人が関わっていく事業の中で「認識の違い」が起因するミスというのは起きないものだろうか。


むかし第2次大戦を舞台にした映画を観た。

その中で、巧みに現地の市民になりすましたスパイが情報機関に捕まった。

完璧に思えた「なりすまし」も思わぬミスで正体が露見するという話だった。


スパイはその国のひとたちが服のボタンをどのようにつけるかまでの認識はなかったのだ。

当たり前すぎるほど当たり前のことに人は注意を払わない。

ここにこそ落とし穴がある。


交通機関の発達で世界は身近になった。しかし、文化の垣根は依然として大きい。


言葉の通じない国に行っても身振り手振りでなんとかなるさ、という人もいる。

が、身振り手振りほど怪しげなものはない。何とかなることは決してない。

こんにゃく問答」に終始するのがオチである。世界はまだまだ広い。


企画書通りに設計し、設計図通りに作業していく、どこに問題が起きるのだと人は言う。

ところが問題は起きる。製造現場とはそうしたものだ。


文化の違いは常識の違いであって、これが設計図の見落としにつながることは想像に難くない。


よく見ればわかるだろ、といっても後の祭りということは製造現場ではよく起きる。

私自身、苦い思いを何度も体験している。


文化圏を越えた多国籍企業のものづくりは資本家が考えるほど容易ではない。

慎重を期さねば大事故につながる。


しかし、一国で行なう事業とて決して油断はできない。

アメリカは度量衡に関して国際社会から孤立している。

自分たちこそ世界の盟主と思い込んでいる前時代的な感性の社会だ。


昔、とんでもない理由でロケットの打ち上げに失敗したことがあった。

推力が足りず、直後に落下、炎上した。

燃料が予定された量だけ入っていなかったのだ。


係員はリットルとガロンを取り違えていたのだった。お粗末 !!

単位は統一されるべきだ。



常識は指示書、設計図を見えなくする。



             ※ 米国液量ガロンは約3.78リットル。








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論理的に考える力が低下している世代__異変を見逃す若者




自分の身体の異常に気づけないのはどこに原因があるのか。


論理的に考える力が低下している世代は未来を開拓できるのだろうか。



遊びに来ていた中のおひとりが息子さんの奇妙な一夜について語り出した。


会社の業績もよく、帰宅はいつも深夜になるという。その晩も12時近かったとか。

帰宅後の第一声が「おかあさん、動物園からなんか逃げたがか?」「んっ? なんで? どうしたん?」


話の内容はこうだ。いつものように田舎道を走っていると突然に大きな何かが直前を横切ったという。

猫では?との問いにも、もっと大きい、動物園にいるチーターに見えたという。

急ブレーキで衝突は避けたようだが、猛獣なら大変なことだということらしい。


そんなニュースはなかったし、疲れていたから猫がそんなふうに見えたんやろ・・・といって

食事を摂らせ、自分は先に休んだという。


明け方、母親がトイレに起きるとふだんは使わない部屋で息子さんが寝ていたという。

さては部屋のエアコンでも調子が悪かったのか、母親はそう思ったという。


起きてきた息子さんが言うには、部屋に何か得体の知れないものがいて、テレビを観ていたら突然に

部屋の中を飛び回ったという。黒い大きな影で、とても虫とは思えず、

飛び方もゴキブリのような飛び方ではなく、ツバメかコウモリのようだったというのだ。


息子さんと二人ほうきをもってその部屋へ行ってみたが身を隠しているのか、すでに立ち去ったものか、

影も形もなかったという。そもそも部屋は一日中密室だったはずと母親はけげんそうな表情だった。


話がここまできたとき、私は母親の言葉をさえぎった。


    それって脳の異常では?  


    ひとつだけなら気づかないところだけど ふたつ並べてみると脳の異常と捉えるのが素直では? 

    共通しているのは動く大きな影、対象が何であるかはっきりしてない点も同じ。 


 
    二つのことが起きたのではなく、ひとつのことがふた通りに起きたと見るべきでしょう。

    神経内科の先生に診てもらう必要があると思いますよ。


 
    私は素人ですのでそれ以上のことは言えませんが、間違いなく異変のシグナルと思います。

    急ブレーキを踏んだという事実は非常に深刻です。

  

私はこの件についてホームドクターに尋ねてみた。

対象者がその場にいないため大ざっぱな話ではあるが・・・・


    異変のシグナルと捉えるのは正しい認識です。

    お話の様子からして目の異常の可能性は低いように思います。

    動いていない何かがはっきり見えるとなると統合失調症ということもあり得るのですが・・・ 

    SASの可能性も無いではありません。 つまり2件のケースとも眠っていたということです。

    SASの場合、ご本人の「起きていた」はあてになりません。


    ああ、それってわかります。夢は眠っている時に見るものではありませんもんね。

    起きてしまったからこそ「夢」になるわけで、目が覚めるまでは間違いなく「現実」なわけですから。


    そういうことです。それ以降何でもないとご本人が言ってもあてにはなりません。

    周りの人がよく観察することです。


    いずれにしてもご本人には健康診断のつもりで一度受診するよう勧めてみます。


    それがよいと思います。


ドクターとのやりとりを母親にはお伝えした。しばらくして連絡があった。

会社の健康診断を受けたばかりで、異常はなかったのだから心配ないと本人が言っているとのこと。


この知人の息子さんはれっきとした国立大・工学部出身である。私が心配するのはこの点である。

文系ならまだしも(本当はそうは思っていないのだが)、理系では論理的思考が最も要求される。

自分に起きている異変を論理的に解明できないのはやはり能力不足だと思う。

健康情報に疎いなどという問題ではない。


目撃したものの大きさ、形状、動き方、時刻、目撃した状況、自分の健康状態、精神状態等を

並べてみて状況を解析できないとしたら、大学でどんな指導を受けていたのだと言いたい。

大学で学んだのは解析する姿勢ではなかったのか。


もっとも私のような「ベン・ケーシー」を観て育った世代は直感的に異変と気づく。

ベン・ケーシーは脳外科医で、そのクランケには息子さんのようなケースはいくらでもあったように思う。


ドクターや大学関係者が異口同音に語るのは、若い世代のイメージする力、解析する力の無さである。

判断材料が目の前にいくらでもあるのにそこから問題点を見つけ出せないのは多くの学生に見られるという。

息子さんのケースはまさにそれである。


ひとが学舎(まなびや)へ通うのはせいぜい16年か長くても20年だろう。

専門として学ぶのはそのうちの4年ぐらいのものだ。

そこで得た知識なんぞは基礎的なものに過ぎず、世に出てからの実務の中でひとは成長する。


私たちの周りでは常に未知の事象が起きる。想定していることが起きることの方がまれだ。

古い教科書を引っ張り出してきても目の前の事象に対して有効な対応などできるものではない。

学校時代に解析する訓練を十分に受けていなければ未知の事象の存在にすら気づけないで過ごすことになる。


若者が体制に流されやすいというのも背景にこの問題があるように思えてならない。

右派だの左派だの以前の話であろう。


れっきとした科学者がカルト教団にひっかかる危険性もここにある。

自己解析能力がなければひとは安易に用意された答えに飛びつく。


イメージする力、解析する総合的な能力を育てることを工夫しなければ社会の存続も危うい。

小学校から英語を学習すればよいという話ではない。



       
       ※ 健康診断

      「会社の健康診断で異常はなかった」はあてにはできない。

      検査項目も限られているし、診断するのもたいていの場合は若手の医師だ。

      同じデータを読むにしても医師の能力によって結論は行って帰ってくるほどの開きがある。


      以前、母は町の健康診断で医師から「あなたの心臓は止まっている」と言われたことがあった。

      「みて みて わたし心臓が止まっていてもこんなに元気やもんね」おどけながら帰ってきた。

      かかりつけの先生はあきれるやら後輩の行状を心配するやら。

      会社や町の健康診断は昔も今も所詮そのレベルである。






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2015年1月13日の感想




ユーモアのセンスを持たない原理主義者は武力は理解できるが悪ふざけは理解できない・・・仏紙は書いていた。

このような言葉が出てくることは他文化に比べ、自分たちが優位に立っていると錯覚していることを意味する。

今回の事件の背景を考えると「悪ふざけ」とは言っていられない。

理解できていないのは自分たちの方ではないか。

グローバルな社会に生きるには共存する他者への理解が不可欠だ。フランス社会にそれがあったのか。

琴線に触れるようなテーマの扱いは特に配慮を必要とする。

風刺紙は他宗教を揶揄することでフランス市民に何をもたらそうとしたのか。

「売れるから書く。大衆が欲するものを書く。それが文化だ。それが自由だ。・・・」

そんな「自由」は自らを貶めるだけだ。

他者を傷づけておいて「表現の自由」を言うのは開き直りというものだ。


                         剱




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100グラム当たり4本までのげっ歯動物の毛

トマト缶なら「果実を加害するミバエの卵5個とうじ虫1匹、うじ虫だけなら2匹まで

ピーナツバターなら「100グラム当たり50個までの昆虫の破片


おいおい冗談じゃない。いくら訴訟に歯止めをかけるためとはいえ、

こんなアメリカンスタイルは認められない。

TPPってこんな基準を押しつけてくるってことなんだって知らなきゃ。


           
                        剱




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ニホンにある、巨大でアメリカ金融資本の敵とも言うべきものは・・・

郵便貯金 簡易生命保険 農協 信用金庫 国民皆保険

TPPという奪い取り計画はきっちりここに照準を合わしてきてるはず。

郵便局は一足先にアメリカの手に渡っている。


工業優先政策のあおりを受けてニホンの農業は見棄てられてきた。

政府が言う農協改革とはアメリカ資本の露払いに過ぎない。

食糧自給率改善にはつながるはずもなく、攻めの農業に転ずることもあり得ない。

あとは圧倒的に巨大な農業パワーがニホンを席巻するだけだ。          


そもそも、政府が農協をどうこうしようと言うことが許されるのか。

農協の自主的な運営をバックアップするのが政であろう。


 
                    剱




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雪の降る街を____ショパン幻想曲op.49へのオマージュ





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ショパン/幻想曲 ヘ短調 作品49,Op.49,CT42/演奏:ブルーノ・リグット



倍賞千恵子/雪の降るまちを









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2015年1月12日の感想




政府にいじめ対策をする意志はない。

政府自らがいじめを助長するようなことをやっているのだから・・・


                       剱

                  


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成人を迎えた若い人に新聞社の論説委員は言う。

困難な状況の中で、未来を切り開いていくことができるのもまた、若い力である・・・・と。

これを 責任転嫁 という。


                           剱




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信頼回復へ敵対行動の自制を・・・読売のこの言葉は嘘だ。

敵対行動の自制を呼びかけるのなら、国内的には武器輸出を厳しく糾弾すべきであろう。

武器輸出は戦争経済へとシフトチェンジしたことを意味し、

世界の恒久平和が一層難しいものになった現状は憂慮に堪えない。


                         剱




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技術はあっても哲学がない。

ニホンの車は未だ猿まねの域から脱し切れていない。

カタログに現れない面ではヨーロッパの車に遠く及ばない。


                      剱



                
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2015年1月11日の感想




便宜的に語られた「宗教」を突き抜けて向こうにある世界に至らなければ

誰とも心を通い合わすことなどできない。



   文言で語る世界  文言でしか語れない世界
    
   http://gravitational-wave.air-nifty.com/tobenaiposuto/2013/week20/index.html#entry-76479018


                     剱

   


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堂々と異物を入れている企業もある。


     どんなパンを食べていますか
     http://gravitational-wave.air-nifty.com/tobenaiposuto/2013/week20/index.html#entry-76469385


政治献金があればこそまかり通ることだ。

与野党問わず、永田町全体の責任だ。


                   剱




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ミサイル開発というと目の色変えて非難するメディアも

ちょいとプロジェクト名を変えると自ら推進キャンペーンに走る。

極楽とんぼのお国です。


                    
                  剱


                          


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三人の誰が代表になっても有権者の不信感は何も変わらない。

党をまとめるのはいいが、路線対立を回避していて選択肢を示せるのか。

自民党より自民党らしいのが民主党にいて、

自民党とは一線を画すのが自民党にいる。

これほど有権者を戸惑わすものもない。

有権者はあきれ果てているのだ。

期待するものは何ひとつ無い。


                            
                剱




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オリンピックは廃止すべきだ。

オリンピックは利権とプロパガンダの化け物でスポーツとは何の関係もない。


まして、福島は収束の見通しも立たず、

被災者が故郷を奪われた状況は放置されたままになっている。

こんな状況下でお祭り騒ぎなのか。


さらに、世界の若者を汚染状況下の地域に招くことは傷害罪にも匹敵する犯罪であろう。


どこかの党の代表選挙ではもはや福島の「ふの字」も語られることがない。

これで政治が機能していると言えるのか。
             

                                    
                        剱




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自らを灯とし、他に頼るなかれ


           剱




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脱原発で日本再生

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ただいまの時刻は・・・

水のごとくに  無文翁

「私」という宇宙

文言で語る世界      文言でしか語れない世界

そったらことも      わからいでかの

"さんづけ"を多用する社会

危険ゾーンに入ってきた

こうして戦争へ向けた世論が形成されていく

感じませんか

紛争解決に尽力することが先だ

ユニオンジャックのガラス窓

原爆許すまじ

政に想定外はない

子どもの声が届かない

永田町住人たちの犯罪

永田町住人たちの犯罪2

その『神様』とは・・

クリーンなイメージ???

投票時間繰り上げ

私たちは騙されない

これでも放送受信契約を結びますか?

小異を残して大同につく

上意下達(じょういかたつ)

100年経っても変わらない

オリンピックはスポーツか

おせんで泣かすな

手袋をしていませんか

そもそも そもそも論が欠けていないか

風評じゃない!

何ひとつ解決できていない

誘導されていませんか? その法務行政

みんなちがってみんないい

65歳以上の独居老人に福祉は必要か?

厚労省は自由診療体制に誘導か?

奇妙きてれつ

会員No.1095

PURPLE RAIN

ニュートラルにするということ

バイタルサインを測る

異変を見逃す若者

現代詩を詠む一休禅師

沢庵和尚も浮かばれません

呆けたか 尾関宗園 

We shall overcome

ウソつかない政党

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