いのち




近年、目につくのは「死刑になりたかった」という理由で犯罪に走る人たちの存在だ。

相手は誰でもよかったというから被害者はたまらない。


死刑と自殺とを同じ次元で考えている幼稚さも問題だが、

社会全体に "いのち" を軽く考える空気が蔓延している現状がおそろしい。


犯罪を犯した側にのみ目が向けられるが、彼らは何も特異な人種だったわけではない。

その日まではどこにでもいる市民だった。そんな彼らが犯行に走った。そのことの「何故」が問われないまま、

糾弾し、排除したところで社会は何の解決策も見いだすことはできない。


犯罪は悪だ。いのちを大切に・・・その言葉が建前だけであるからこそ、そんな中からまた犯罪者が出てくる。

彼らは異次元空間から突然現れたものではない。


この国はこれから死刑制度を考えよう、ということではない。既に制度はある。それでも犯罪は後を絶たない。

制度の有無と犯罪発生とには何の関連性もない。


制度がなければ犯罪が増えるという主張は妄想の域を出ていない。

死刑制度は犯罪の抑止力になるといってきた人々は論拠を失っている。


くわえて、死刑になることを目的とする犯罪が起き続ける現状である。

死刑制度が犯罪の抑止力になると主張するなら世論の批判に対して論理的に反論すべきではないか。


しかし、制度存続をいう人々はこういう事態に発言しようとはしない。


彼らは "いのち" について深く考えたこともなく、思いつきや一時の感情だけで発言してきた人たちだ。

善と悪という2次元的な思考で人生を捉え、万事それで解決できると信じてきた人たちだ。

反論できない現実を突きつけられては、痴呆症を装うか、死んだふりをするしかないのだろう。


死刑制度がなければ少なくとも死刑志願などという、この種の事件が起きることはない。制度存続の罪は重い。


いのちを大切にと言いながら「殺せ」と言う。この奇妙さに気付けないのであればその人は精神を病んでいる。

死刑制度を存続させること、そのこと自体がいのちを軽視していることに他ならない。

そのことに気付けないで「死刑 死刑」と叫んでいる人こそが明日、向こうの被告席に座ることになる。


事件が起こると識者は必ず「いのちを大切にする教育」をと言う。

学校の教育現場を想定してのことらしいが的外れもいいところである。


社会全体が「生きる」ことを支援しているならホームレスの人々などいないはずだし、

それらの人々を薄汚いゴミのように街から追い出そうということもない。


正規労働者と非正規労働者の待遇を見るとき、

この社会には他人を踏み台にして生きる人があまりにも多いことに気付く。


「勝ち組」「負け組」などとメディアは表現する。しかし、正々堂々と勝負したわけでもなかろう。

搾取し、一方的に切り捨てているだけではないか。それは犯罪ではないのか。


永年社会を支えてきた人が病気になったとき、多くの人は「国に裏切られた」という思いを強くする。

入院したとたん、次の病院を探さなくてはならない。 そして、行った先でも落ち着けるわけではない。


女性ジャーナリストE氏は、

「終身刑は経費がかかる、死刑制度は廃止すべきではない」と自身のホームページで述べている。

このひとの人間観はいったいどうなっているのか。どんな少女時代を過ごしたのだろうか。


「いのちを大切にする教育」が必要なのは学校ではない。


死刑制度は国家による殺人であり、殺人教唆である。

この殺人教唆である点に注目する人は少ない。死刑制度を語るとき、人は実に無責任だ。

罪を犯したんだからしかたないんじゃない? 当然よ。などと平然として言う。


そんな人に私は言いたい。


       では、執行ボタンをあなた自身の手で、しかも一人で押せますか?

       永年の刑務所暮らしで今はすっかり改悛し、聖人のようになっている人を刑場に送り、

       あなたの手で執行ボタンを押せますか?


死刑制度は必要と考える人は人間としてこの問いかけに答える義務がある。 

生涯重い十字架を背負って生き続けなければならない刑務官がいることに思いが至っていないのではないか。

自らが刑務官に対し殺人を教唆するという自覚を持たなければならない。


何年か前にこういう刑務官がでてくるドラマがあった。演じたのは俳優小野武彦。


「私は人を殺しました」彼の台詞が今もって胸に重い。

彼は役としてではなく、人間小野武彦としてこの重いテーマに向き合っていた。

生涯、死刑囚以上に辛い日々を送らねばならない姿は真に迫っていて鳥肌が立つほどだった。

「仕事」とはいってもあまりにむごい事だ。


いのちを大切に考える人なら、法律があるから、仕事だからと無機質に行動することはできない。

公式に当てはめるように「死刑」を言い渡すことはできない。


今、その無機質なありようが問われていることに気付けないようではあまりにさびしい社会ではないか。


「死刑制度は必要」そう考える人は鏡の前でそのことを口にしてみたらいい。

眼前に映るおぞましい自分の顔を見るだろう。それは犯罪を犯した人間の顔とそっくりなはずだ。      


何より気づくべきは、私たちは「自」も「他」も無い世界に生きているということだ。

自他などと分けて考えるから「赦す」とか「赦さない」とか言ってしまう。


「赦す」は、そのまま「赦される」であり、「赦される」は、そのまま「赦す」である。

いのちを大切にするということは、自他など無い「ひとつの世界」に気づくことである。






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いのち


近年、目につくのは「死刑になりたかった」という理由で犯罪に走る人たちの存在だ。

相手は誰でもよかったというから被害者はたまらない。


死刑と自殺とを同じ次元で考えている幼稚さも問題だが、

社会全体に "いのち" を軽く考える空気が蔓延している現状がおそろしい。


犯罪を犯した側にのみ目が向けられるが、彼らは何も特異な人種だったわけではない。

その日まではどこにでもいる市民だった。そんな彼らが犯行に走った。そのことの「何故」が問われないまま、

糾弾し、排除したところで社会は何の解決策も見いだすことはできない。


犯罪は悪だ。いのちを大切に・・・その言葉が建前だけであるからこそ、そんな中からまた犯罪者が出てくる。

彼らは異次元空間から突然現れたものではない。


この国はこれから死刑制度を考えよう、ということではない。既に制度はある。それでも犯罪は後を絶たない。

制度の有無と犯罪発生とには何の関連性もない。


制度がなければ犯罪が増えるという主張は妄想の域を出ていない。

死刑制度は犯罪の抑止力になるといってきた人々は論拠を失っている。


くわえて、死刑になることを目的とする犯罪が起き続ける現状である。

死刑制度が犯罪の抑止力になると主張するなら世論の批判に対して論理的に反論すべきではないか。


しかし、制度存続をいう人々はこういう事態に発言しようとはしない。


彼らは "いのち" について深く考えたこともなく、思いつきや一時の感情だけで発言してきた人たちだ。

善と悪という2次元的な思考で人生を捉え、万事それで解決できると信じてきた人たちだ。

反論できない現実を突きつけられては、痴呆症を装うか、死んだふりをするしかないのだろう。


死刑制度がなければ少なくとも死刑志願などという、この種の事件が起きることはない。制度存続の罪は重い。


いのちを大切にと言いながら「殺せ」と言う。この奇妙さに気付けないのであればその人は精神を病んでいる。

死刑制度を存続させること、そのこと自体がいのちを軽視していることに他ならない。

そのことに気付けないで「死刑 死刑」と叫んでいる人こそが明日、向こうの被告席に座ることになる。


事件が起こると識者は必ず「いのちを大切にする教育」をと言う。

学校の教育現場を想定してのことらしいが的外れもいいところである。


社会全体が「生きる」ことを支援しているならホームレスの人々などいないはずだし、

それらの人々を薄汚いゴミのように街から追い出そうということもない。


正規労働者と非正規労働者の待遇を見るとき、

この社会には他人を踏み台にして生きる人があまりにも多いことに気付く。


「勝ち組」「負け組」などとメディアは表現する。しかし、正々堂々と勝負したわけでもなかろう。

搾取し、一方的に切り捨てているだけではないか。それは犯罪ではないのか。


永年社会を支えてきた人が病気になったとき、多くの人は「国に裏切られた」という思いを強くする。

入院したとたん、次の病院を探さなくてはならない。 そして、行った先でも落ち着けるわけではない。


女性ジャーナリストE氏は、

「終身刑は経費がかかる、死刑制度は廃止すべきではない」と自身のホームページで述べている。

このひとの人間観はいったいどうなっているのか。どんな少女時代を過ごしたのだろうか。


「いのちを大切にする教育」が必要なのは学校ではない。


死刑制度は国家による殺人であり、殺人教唆である。

この殺人教唆である点に注目する人は少ない。死刑制度を語るとき、人は実に無責任だ。

罪を犯したんだからしかたないんじゃない? 当然よ。などと平然として言う。


そんな人に私は言いたい。


       では、執行ボタンをあなた自身の手で、しかも一人で押せますか?

       永年の刑務所暮らしで今はすっかり改悛し、聖人のようになっている人を刑場に送り、

       あなたの手で執行ボタンを押せますか?


死刑制度は必要と考える人は人間としてこの問いかけに答える義務がある。 

生涯重い十字架を背負って生き続けなければならない刑務官がいることに思いが至っていないのではないか。

自らが刑務官に対し殺人を教唆するという自覚を持たなければならない。


何年か前にこういう刑務官がでてくるドラマがあった。演じたのは俳優小野武彦。


「私は人を殺しました」彼の台詞が今もって胸に重い。

彼は役としてではなく、人間小野武彦としてこの重いテーマに向き合っていた。

生涯、死刑囚以上に辛い日々を送らねばならない姿は真に迫っていて鳥肌が立つほどだった。

「仕事」とはいってもあまりにむごい事だ。


いのちを大切に考える人なら、法律があるから、仕事だからと無機質に行動することはできない。

公式に当てはめるように「死刑」を言い渡すことはできない。


今、その無機質なありようが問われていることに気付けないようではあまりにさびしい社会ではないか。


「死刑制度は必要」そう考える人は鏡の前でそのことを口にしてみたらいい。

眼前に映るおぞましい自分の顔を見るだろう。それは犯罪を犯した人間の顔とそっくりなはずだ。      


何より気づくべきは、私たちは「自」も「他」も無い世界に生きているということだ。

自他などと分けて考えるから「赦す」とか「赦さない」とか言ってしまう。


「赦す」は、そのまま「赦される」であり、「赦される」は、そのまま「赦す」である。

いのちを大切にするということは、自他など無い「ひとつの世界」に気づくことである。






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死刑制度を支持するみなさまへ



悪を憎み、凶悪な犯罪者を許さないというみなさま、

正義の実現こそが願いであると発言されるみなさま、

つよく死刑制度を支持するみなさま、

それぞれが人間というものを静かに見つめ、

いきとし生きるものへの深い憐れみの心からのご発言と信じますが、

ひとつお教えください。

被害者の遺族であると同時に、

加害者の家族でもあるという立場の人間はどうすればよいのですか。

制度を支持するみなさまはさまざまな人間模様をよく観察し、

熟考したうえでのご発言であろうと思います。

こういうケースに出会われたことも当然おありと思います。

このような家族にどういう言葉をおかけになってこられたのでしょう。

犯罪者を憎み、罵り、「死刑にしろ」と叫べるかたがたはある意味どんなに楽だろうかと思うのです。

うらやましくもあります。

悲しい人間模様をただ受け容れる以外すべのない人間は悩みます。

いったいどのようにしたらみなさまのような強くたくましい生きかたができるのかと。





        みんなを好きに



      私は好きになりたいな、


      何でもかんでもみいんな。


      葱も、トマトも、おさかなも、


      残らず好きになりたいな。


      うちのおかずは、みいんな、


      母さまがおつくりなったもの。




      私は好きになりたいな、


      誰でもかれでもみいんな。


      お医者さんでも、烏でも、


      残らず好きになりたいな。


      世界のものはみいんな、


      神さまがおつくりなったもの。





                        金子みすゞ  







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みんなを好きに


凶悪な犯罪者を死刑にしたい、死刑にするべきだ、と人はいう。

正義とか社会秩序を守るためなどという。


しかし、本当は 犯罪を犯した人間の顔が自分に似ている事を知っていて

そのことを打ち消したいからではないのですか。


自分の中には悪など無いとしらを切り通したいからではないのですか。


死刑にしても何も変わらない。

憎しみが癒えるはずはなく、縁があれば自分も同じ事をしてしまうという本質もそのまま残るだけ。



若い頃、集団万引きや窃盗でしか生計を立てられない街の人々を見た。

インチキ商売や売春によってしか暮らしの糧を得られない人々を見た。

善悪を語る前に、

きょうの命をどうやってつないでいくか、まずそのことを考えなければならない人々の悲しみを見た。


世間の上っ面だけ見て宗教を語り、道徳を説くインチキ文化人なんかまっぴらだ。


人間を善悪で見ている心は本当にさびしい。

人間が生きようとする姿を規範なしに赦す眼差しでいたい。

ともに悲しむ友でありたい。


映画「どですかでん」の中で 押し入った泥棒に「貯めておくからまたおいで」

と金を恵む「たんばさん」のような生き方をしたい。



       大不況のさなか、列車に飛び込もうとする人、

       反社会的なことをしてもいいから先ず命をつないでいってください

       先ず命を・・・



誰もが、私のそばにいるだけで、

不安が無くなり、苦悩から解き放たれ、大いなるものに抱かれている安らぎを感じ、また生きていく力を生じさせ、

あらゆるものを愛していく歓びに満ちた日々を送れるようになる。


そんなオーラを発する存在に私はなりたい。   いつの日か必ず。


誰かが、そんな神や仏のようには人は絶対になれないと言った。

そうかもしれない。

だからこそ、絶対になると宣言したい。

永遠という時が目の前に横たわっていようと 今 私は宣言したい。


大いなるものは すべてを見つめ すべてを赦し すべてを愛してくださっている。

だから、わたしもそのようにしたい。


                                                                               


        みんなを好きに


      私は好きになりたいな、


      何でもかんでもみいんな。


      葱も、トマトも、おさかなも、


      残らず好きになりたいな。


      うちのおかずは、みいんな、


      母さまがおつくりなったもの。




      私は好きになりたいな、


      誰でもかれでもみいんな。


      お医者さんでも、烏でも、


      残らず好きになりたいな。


      世界のものはみいんな、


      神さまがおつくりなったもの。





                        金子みすゞ  






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いのち


近年、目につくのは「死刑になりたかった」という理由で犯罪に走る人たちの存在だ。

相手は誰でもよかったというから被害者はたまらない。


死刑と自殺とを同じ次元で考えている幼稚さも問題だが、

社会全体に "いのち" を軽く考える空気が蔓延している現状がおそろしい。


犯罪を犯した側にのみ目が向けられるが、彼らは何も特異な人種だったわけではない。

その日まではどこにでもいる市民だった。そんな彼らが犯行に走った。そのことの「何故」が問われないまま、

糾弾し、排除したところで社会は何の解決策も見いだすことはできない。


犯罪は悪だ。いのちを大切に・・・その言葉が建前だけであるからこそ、そんな中からまた犯罪者が出てくる。

彼らは異次元空間から突然現れたものではない。


この国はこれから死刑制度を考えよう、ということではない。既に制度はある。それでも犯罪は後を絶たない。

制度の有無と犯罪発生とには何の関連性もない。


制度がなければ犯罪が増えるという主張は妄想の域を出ていない。

死刑制度は犯罪の抑止力になるといってきた人々は論拠を失っている。


くわえて、死刑になることを目的とする犯罪が起き続ける現状である。

死刑制度が犯罪の抑止力になると主張するなら世論の批判に対して論理的に反論すべきではないか。


しかし、制度存続をいう人々はこういう事態に発言しようとはしない。


彼らは "いのち" について深く考えたこともなく、思いつきや一時の感情だけで発言してきた人たちだ。

善と悪という2次元的な思考で人生を捉え、万事それで解決できると信じてきた人たちだ。

反論できない現実を突きつけられては、痴呆症を装うか、死んだふりをするしかないのだろう。


死刑制度がなければ少なくとも死刑志願などという、この種の事件が起きることはない。制度存続の罪は重い。


いのちを大切にと言いながら「殺せ」と言う。この奇妙さに気付けないのであればその人は精神を病んでいる。

死刑制度を存続させること、そのこと自体がいのちを軽視していることに他ならない。

そのことに気付けないで「死刑 死刑」と叫んでいる人こそが明日、向こうの被告席に座ることになる。


事件が起こると識者は必ず「いのちを大切にする教育」をと言う。

学校の教育現場を想定してのことらしいが的外れもいいところである。


社会全体が「生きる」ことを支援しているならホームレスの人々などいないはずだし、

それらの人々を薄汚いゴミのように街から追い出そうということもない。


正規労働者と非正規労働者の待遇を見るとき、

この社会には他人を踏み台にして生きる人があまりにも多いことに気付く。


「勝ち組」「負け組」などとメディアは表現する。しかし、正々堂々と勝負したわけでもなかろう。

搾取し、一方的に切り捨てているだけではないか。それは犯罪ではないのか。


永年社会を支えてきた人が病気になったとき、多くの人は「国に裏切られた」という思いを強くする。

入院したとたん、次の病院を探さなくてはならない。 そして、行った先でも落ち着けるわけではない。


女性ジャーナリストE氏は、

「終身刑は経費がかかる、死刑制度は廃止すべきではない」と自身のホームページで述べている。

このひとの人間観はいったいどうなっているのか。どんな少女時代を過ごしたのだろうか。


「いのちを大切にする教育」が必要なのは学校ではない。


死刑制度は国家による殺人であり、殺人教唆である。

この殺人教唆である点に注目する人は少ない。死刑制度を語るとき、人は実に無責任だ。

罪を犯したんだからしかたないんじゃない? 当然よ。などと平然として言う。


そんな人に私は言いたい。


       では、執行ボタンをあなた自身の手で、しかも一人で押せますか?

       永年の刑務所暮らしで今はすっかり改悛し、聖人のようになっている人を刑場に送り、

       あなたの手で執行ボタンを押せますか?


死刑制度は必要と考える人は人間としてこの問いかけに答える義務がある。 

生涯重い十字架を背負って生き続けなければならない刑務官がいることに思いが至っていないのではないか。

自らが刑務官に対し殺人を教唆するという自覚を持たなければならない。


何年か前にこういう刑務官がでてくるドラマがあった。演じたのは俳優小野武彦。


「私は人を殺しました」彼の台詞が今もって胸に重い。

彼は役としてではなく、人間小野武彦としてこの重いテーマに向き合っていた。

生涯、死刑囚以上に辛い日々を送らねばならない姿は真に迫っていて鳥肌が立つほどだった。

「仕事」とはいってもあまりにむごい事だ。


いのちを大切に考える人なら、法律があるから、仕事だからと無機質に行動することはできない。

公式に当てはめるように「死刑」を言い渡すことはできない。


今、その無機質なありようが問われていることに気付けないようではあまりにさびしい社会ではないか。


「死刑制度は必要」そう考える人は鏡の前でそのことを口にしてみたらいい。

眼前に映るおぞましい自分の顔を見るだろう。それは犯罪を犯した人間の顔とそっくりなはずだ。      


何より気づくべきは、私たちは「自」も「他」も無い世界に生きているということだ。

自他などと分けて考えるから「赦す」とか「赦さない」とか言ってしまう。


「赦す」は、そのまま「赦される」であり、「赦される」は、そのまま「赦す」である。

いのちを大切にするということは、自他など無い「ひとつの世界」に気づくことである。






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おなじ臭い


自分の勝手な論理で次々と殺人指令を出していたグルとよばれた男がいる。

ひそかに毒ガスを製造し、大量殺人も計画していた。


その残忍な犯罪を糾弾してきたジャーナリストの女性がいる。

幼い子供まで殺させたことに怒りを隠そうとしない。

女性は死刑制度を強く支持している。


彼女の中では「いのちを大切に」ということと「殺せ」ということは同義であるらしい。


区別がつかないのです。

グルとジャーナリスト、どちらも自分が正しいと信じればいのちを奪うことに何のためらいも見せない。


私には両者がおなじ体臭を放っているとしか思えないのです。






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水のごとくに  無文翁

「私」という宇宙

文言で語る世界      文言でしか語れない世界

そったらことも      わからいでかの

"さんづけ"を多用する社会

危険ゾーンに入ってきた

こうして戦争へ向けた世論が形成されていく

感じませんか

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小異を残して大同につく

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