B級科学者批判




原発について某大学名誉教授は自身のブログで次のように書いている。


   私の考えはここで繰り返し述べましたが、『原発は危険だが必要である』

   『現有原発は危険で信頼性がないからすべて廃炉にして、より安全な新型原子炉を研究開発する』

   というものです。


氏は原発については、安全神話や事故隠しといった政府や電力業界の姿勢を批判する一方で


「あらゆる物理学の発展のうち、人類のために応用・利用してはならない特定の分野などあるはずもありません」

「物理学者が物理学で発見された理論を産業に利用されることを歓迎するのは当たり前のことです」


と原子力発電、核研究の必要性を声高に叫んでいる。


やはりこの御仁も「事故が起きなければいいんでしょ」という単純回路の人間のようである。

このような人物が科学者の評価を貶めている。


原発の今日的課題は、処理できぬまま増え続ける高レベル廃棄物問題であり、

自然現象では決して起こりえない温排水による環境破壊の問題であろう。


生態系のみならず、気象にも影響が出ているととらえるべき重大な問題である。

氏にはそんな本質的な問題を理解する能力は微塵もなさそうだ。


事故の処理をどうするのか、このことが緊急の大問題であることは言うまでもない。

と同時に正常運転時の危険も語られるべきであろう。


潜在的な危険なのではない。

温排水の問題も高レベル廃棄物の問題も今まさに起きていることである。

社会はこれを見ようとしないだけではないか。


原発は危険だが必要であるという氏だが、その必要性の根拠は曖昧なままである。

氏の言う必要性はほとんどの炉が停止している状況の中でどれだけの説得力があるのだろうか。


氏が「より安全な新型原子炉を研究開発する」そう言うのであれば

自らが先頭に立って人類の危機ともいうべき状況に立ち向かうべきではないか。

タレント活動などしている時間などあるはずもなかろう。


氏は高レベル廃棄物の処理や廃炉の問題について

「それを克服する科学的・技術的努力もまた科学技術の発展によって成果をあげるでしょう」と

超楽観論を展開するだけに止まらず、脱原発運動など一連の原子力否定論に対しては

「文明を拒否する誤った態度」と厳しく批判している。


このかたの文明観とはどのようなものなのだろうか。

薄っぺらな知識をひけらかして、社会に不完全な技術を送り込むことが文明というなら、

人類はもはや文明を必要としない域にまで達している。


数多の道具や技術の内に潜む愚かさや危険に目覚めた人類はいま新たな船出の準備にとりかかり始めている。

哲学のないB級科学者氏にはそれが見えていない。


原発否定派の代表的論客の一人である広瀬隆氏に関して、氏は

原子力工学の大学院を出ている人間でも解からないことが多いのに

理工学部応用工学科しか出ていない人間が原発の安全性について断定的に言えるのか、

と専門家でないことを痛烈に批判している。


その一方で、福島原発事故については

水素爆発などの事故対策の手抜かりなどを批判したものの、地震対策については概ね評価している。

??? 土木や建築の専門家ではないかたが何故そこまで断言できるのか。


事故発生後に農作物の出荷規制が起きた際には、

「そもそも出荷規制の根拠となる暫定基準値が最悪のケースを想定したものであって、

さほど問題にすべきものではない」と発言し、出荷停止になった野菜を食べるとまで言い切っている。

東京大学アイソトープ総合センター 児玉龍彦教授ならば氏の発言をどのように評価されるだろうか。


専門外の人間を否定するなら、このかたはご自身の研究テーマについてのみ発言すべきであろう。

レオナルドダヴィンチにも勝る天才というなら話は別だが・・・・・


氏は原子力以外の代替エネルギーについても否定的である。太陽光発電については

「太陽光パネルの寿命は短い。4,5年も経つと部品の劣化・接続不良などの故障が起こる。

15年で元をとるとか20年では優に元がとれるというがこれはまゆつば」と完全に効果を否定している。


ここでは現代の科学技術の発展によって克服できるとは述べようとはしない。


いやはや、どこかの市長を彷彿とさせるような行き当たりバッタリの迷走ぶりである。

科学者としての名声が聞こえて来ぬのもうなづけようというものだ。


氏の言う「克服する科学的・技術的努力もまた科学技術の発展によって成果をあげる」とは願望の域を出ていない。

確かに科学者といえども人間であるからにはロマンを追い求めることもあってよい。

ときには学究の日々を支える大きな力にもなろう。


が、おのが感情を抑え、あるがままを冷徹に観るところからすべての学問は始まるのではないか。

いや、学問だけに止まらない。

心のありかたも含め私たちのすべてはスタートをそこに置かなければならない。

願望が先んじれば過ちを犯すのは私たちは日々の暮らしの中で嫌というほど体験してきている。


「将来克服されるであろう」などと自分たちの無能を次世代に丸投げする姿勢は

いやしくも科学を志した人間には決してあってはならないことである。


それを口にした時点でそれまでの日々が水泡に帰すこととなる。

学者としてのみならず、人間としてのすべてを失うこととなろう。


抜け殻になっていることにさえ気づけぬような者は端から学者の名に値しない。


B級科学者たちの視野の狭さ、専門馬鹿ともいえるこうした身勝手な論理こそが

地球の危機を招いているのではないか。


私の知る学者は終生、学問を追究するかたがほとんどだが

優秀な科学者であるはずの人物がタレント活動に明け暮れるのは何故なのか、素朴な疑問ではある。




危険なもの、制御できぬもの、得体の知れぬものは作らない、これにまさる事故対策はない。








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これまでも地球には高度な文明が存在していた__ロシアの声




[転載元]

ロシアの声      11月 23 , 02:04



ロシア人研究者、これまでも地球には高度な文明が存在していた

http://japanese.ruvr.ru/news/2014_11_23/280371919/




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ロシアの科学者らは、地球には5億年前高度な技術が用いられていたという帰結に達した。

このことから、5億年前は地球には別の文明が存在していたと見られる。


2013年夏、ロシア南部のクラスノダール地方で驚くべき人為的な遺跡が発見された。

ラビンスク市在住のヴィクトル・モロゾフさんはフドジ川で魚釣りの最中に、おかしな石を見つけた。

その石にはあらゆる面でマイクロチップを想起させる物体が埋め込まれていた。

モロゾフさんはこれをすぐに研究者の手にゆだねた。


ところがこの物体の正体を突き止めるには1年以上の歳月が要された。

ノヴォチェルカッス総合技術大学の地学、鉱物学科の鑑定の結果、

石は2億5千万年前のもので、ある事が判明した。

このことから、2億5千年前には地球上には生命体があり、高度な技術が存在していた事が裏付けられた。

今後の解明が待たれる。








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オタマジャクシが降ってくる




私の住む石川県ではよくオタマジャクシが降ってくる。

2011年6月には加賀市で2009年には七尾市で多くのオタマジャクシがみつかった。

近頃では天気予報の時間に「オタマジャクシ予報」をしていて観光客を驚かせている。


「オタマジャクシ予報」のことは冗談だが初めての時より反応も落ち着いてきているのは事実だ。

サギの落とし物説が有力だがつむじ風説を言う人もいて最終結論には至っていないようだ。

豊かな自然ってことよ、と涼しげにこたえる友人もいる。

オタマジャクシ騒動をどう見ますか。何人かに尋ねてみた。


   「いやぁ~ オタマジャクシのことはわからんわ」


   「自分 理科系弱いし・・・」


の返事がほとんどだ。

私が問題と感ずるのはオタマジャクシそのものではなくこの「騒動」から私たちは何を学ぶかだ。

一つの事象に対して分析することもできず、

異常を異常のまま見過ごしているとその陰に隠れた重大な警告を見のがしてしまう。

工場での安全管理、危険回避の底にある考え方は社会現象に対しても同じだろう。


私たちの周りでは日々、さまざまなことが起き、俊敏な対応を求められる。

何度も体験していること、滅多に起きないこと、初めて体験すること、いろいろであっても、

暮らしを守るためには「想定外」などとは言っていられない。

学識や技術を総動員して対処しなければならない。


しかし、昨今の財源不足とやらで、予算がつくのはすぐさま利益になりそうな部門ばかりだ。

産官学共同研究にはスポットライトはあたるが、地味な基礎研究部門は資金難にあえいでいる。

すぐさま成果の出ないものは疎んじられている。

確かに、理論物理学や分子生物学で画期的成果があったからといって、どこかの株価が上がるものでもない。


しかし、fundamentalな研究あってこその応用科学だろう。

「異常」は「変わりばえのしない日常」の観察があってこそ見えてくるものだ。

オタマジャクシ騒動はfundamentalな研究がないがしろにされている証左といえる。


近視眼的な応用科学偏重の社会は薄っぺらな未来しか見ることはできない。

短兵急に日々の利益を貪る似非資本家たちに地球の諸問題の解決はできない。

一見、箸にも棒にもかからないようなものでも思わぬ利益を生むということはよく聞く。

コーディネート次第で社会はいくらでも変化する。

基礎科学の充実とコーディネーターの養成が求められている。


「つまらないもの」「取るに足らないもの」が大事にされる社会はあらゆる変化に適応できる

潜在力を有する豊かな社会といえる。









参考までに・・・

@nifty:デイリーポータルZ:オタマジャクシは降っているのか in 加賀
http://portal.nifty.com/kiji/110629145386_1.htm









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こころの病気のはなし > 専門編 > 自己愛性パーソナリティ障害




自己愛性パーソナリティ障害は、

自分は特別な存在だという肥大した自己意識(誇大自己)を持つ事を特徴とするパーソナリティ障害です。



「偉大な自分」にふさわしい華々しい成功を夢想したり、他人に対して過度に尊大な態度を取ったり、

特別扱いを求めますが、相手の気持ちには無頓着になりがちです。

自己愛性パーソナリティやその傾向を持った人は、現代社会では非常に多くなっています。

そのすべてが自己愛性パーソナリティ障害というわけではなく、

そのなかで極端にバランスを欠き、生活に支障をきたしている場合だけが当てはまります。



それに対して、社会生活や職業生活にもその長所を活かしてうまく適応している場合は、

自己愛性パーソナリティ•スタイルということになり、一つの個性だと言えます。



定義

誇大性、自己尊重の肥大化、究極の成功への没頭、批判への大仰な反応、

自己評価と自己イメージへの過度の関心、対人関係の障害という行動様式が持続します。



疫学

確認されている有病率は一般人口の1%未満。

受療人口での有病率は2~16%。

女性よりも男性に多いです。

家族内発症が疑われています。



原因

よく引き合いに出される要因に、

発達早期における拒絶や喪失によって母親からの共感を受けた経験が

乏しいことが関連しているという説があります。



精神力動論

誇大性と共感性の欠如は原始的攻撃性に対抗する防衛機制です。

誇大性は一般に劣等感の代償と考えられています。



診断

自己愛性パーソナリティ障害の患者は、

自己の重要性について、空想、実生活を問わず、尊大な感情を有しています。

患者は過度の賞賛を必要とし、共感性を欠き、慢性的で激しい羨望を持つことが多いです。

批判や敗北に上手く対応できず、憤怒または抑うつをきたします。

自尊心と対人関係の脆弱さが明らかです。

患者の行動の結果、対人関係の困難、職業上の困難、拒絶、喪失が生ずることが多いです。



鑑別診断

反社会性パーソナリティ障害 法律や他者の権利を露骨に軽視します。

妄想型統合失調症 明らかな妄想があります。

境界性パーソナリティ障害 患者の示す感情と不安定さはずっと強烈です。

演技性パーソナリティ障害 より感情を表に出します。



経過と予後

このパーソナリティ障害は慢性の経過をたどり、治療が難しいです。

加齢は自己愛にとっての損傷であり、扱いがきわめて難しいです。

したがって、患者は壮年期危機(midlife crisis)のダメージを受けやすいです。

気分障害、一過性精神病性障害、身体表現性障害、物質使用障害の合併がありえます。

全般的予後には安易な期待はできません。



治療

精神療法

治療の進展のためには患者が自己愛と決別する必要がありますが、そのため治療はかなり困難です。

効果を上げるためには精神分析的アプローチを勧める治療者もいますが、さらなる研究が必要です。

集団精神療法は、他者に対する共感的反応を発展させ他者との共有を促進する点において、

有効性が示されています。



薬物療法

炭酸リチウムは、気分の動揺(mood swing)のある患者に有用です。

抗うつ薬、特にセロトニン作動薬は、抑うつに有効と考えられています。



診断基準

(ICD-10だとF60.8「他の特定のパーソナリティ障害」に分類)

DSM-Ⅳ-TR

コード番号301.81

自己愛性パーソナリティ障害(narcissistick personality disorder)

誇大性(空想または行動における)、賞賛されたいという欲望、共感の欠如の広域な様式で、

成人期早期までに始まり、種々の状況 で明らかになる。

以下のうち5つ(またはそれ以上)によって示される。



   自己の重要性に関する誇大な感覚(例:業績や才能を誇張する、

   十分な業績がないのにもかかわらず優れていると認められる ことを期待する)。


   限りない成功、権力、才気、美しさ、あるいは理想的な愛の空 想にとらわれている。


   自分が"特別"であり、独特であり、

   他の特別なまたは地位の高い人達に(または団体で)しか理解されない、

   または関係がある べきだと、と信じている。


   過剰な賞賛を求める。


   特権意識、つまり、特別有利な取り計らい、

   または自分の期待に自動的に従うことを理由なく期待する。


   対人関係で相手を不当に利用する、つまり、自分自身の目的を達成するために他人を利用する。


   共感の欠如:他人の気持ちおよび欲求を認識しようとしない、 またはそれに気づこうとしない。


   しばしば他人に嫉妬する、または他人が自分に嫉妬していると思い込む。


   尊大で傲慢な行動、または態度。



【参考・引用文献】

・カプラン精神医学ハンドブック 融道男他訳 2010 メディカルサイエンスインターナショナル

・パーソナリティ障害がわかる本 岡田尊司 2006 法研


ここまでの解説は
http://www.e-heartclinic.com/kokoro/senmon/mpd01.html による


           [症例]

           自己愛性パーソナリティ障害が疑われるかたの例

           60歳代 男性

           ※ 個人情報保護の観点から氏名は伏せてあります。



Abenbk

















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原発事故のチョウへの影響、スイスでの講演発表が大反響




Photo

          swissinfo.ch (2014年12月3日)の記事より


原発事故のチョウへの影響、スイスでの講演発表が大反響


http://www.swissinfo.ch/jpn/%E5%8E%9F%E7%99%BA%E4%BA%8B%E6%95%85%E3%81%AE%E3%83%81%E3%83%A7%E3%82%A6%E3%81%B8%E3%81%AE%E5%BD%B1%E9%9F%BF-%E3%82%B9%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%81%A7%E3%81%AE%E8%AC%9B%E6%BC%94%E7%99%BA%E8%A1%A8%E3%81%8C%E5%A4%A7%E5%8F%8D%E9%9F%BF/41148962



日本で最も繁栄しているチョウ、ヤマトシジミ。

福島第一原発事故のこのチョウへの影響を共同研究した琉球大学院生の野原千代さんが11月29日、

ジュネーブで開催されたシンポジウム「放射線の遺伝子への影響」で講演し、大反響を呼んだ。

この研究は2012年の発表当時にスイスのメディアでも大きく取り上げられている。

野原さんに研究との関わりや今後など、自分史的な視点も交えながら語ってもらった。 



          ヤマトシジミ

          (大和小灰蝶、大和蜆蝶・学名Pseudozizeeria maha、シノニムZizeeria maha)

          はチョウ目・シジミチョウ科のチョウ一種。

          日本には本州以南に分布する。

          前翅長は9-16mmと小さい。

          http://www.insects.jp/kon-tyoyamato.htm



 「原発事故が起こったとき、それまで縁もゆかりもない福島なのに気になって仕方がなかった。

まるで自分の娘たちがそこに住んでいるように思われ、

飛んでいって何が起きているのか自分の目で確かめたかった」と野原さんは振り返る。

結局、この想いがヤマトシジミにのめり込んだ理由なのだという。



 事故後すぐに、ヤマトシジミで色模様の発生生理学的メカニズムなどを研究していた

琉球大学の大瀧丈二准教授に「原発事故のチョウへの影響の研究」を提案し、

他の院生とともに研究グループを結成して取り組んだ。



 野原さんは、もともと理学畑の人ではない。

それどころか、官庁の監査を行う「公監査」を愛知大学准教授として教えていた。

その後、環境問題に方向転換して沖縄に移住。その矢先に3・11が起こった。



 最初の研究結果の概要は以下の点だ。

まず原発事故後2カ月目の2011年5月、

サンプリングで得た福島市と本宮市の被曝1世のオスの翅(はね)の大きさが、

つくば市などのものより「矮小化」していると確認。

次に被曝したチョウを沖縄で育てその子世代で、

原発からの距離が近くなるにつれ卵からの蛹化(ようか)と羽化において多くの日数がかかる

「成長遅延」と「形態異常率の増加」を見ている。

さらに子世代の異常個体を親として孫世代を作り、そこでは、類似の異常が次世代遺伝しただけでなく、

これまでにない(触覚が二股に分かれるなど)「異常形態の出現」も観察している。

研究グループはまた、沖縄の個体に外部被曝と福島地方のカタバミ(食草)を与えて内部被曝を行い、

この両方の被曝において「生存率の低下」、「矮小化」、「形態異常」を観察している。




swissinfo.ch : 最初にサンプリングのために福島県に行ったときは、事故後わずか2カ月目です。


野原 : 確かに余震などの危険性もありました。

    でもとにかく、幼虫で冬を越し被曝した1世をきちんと採集したかった。

    チェルノブイリでは5年後にしか生物のそうした研究ができていない。そうはしたくなかった。

    特にヤマトシジミは世代交代が約1カ月と早いので迅速な観察が望まれたのです。

    東京や柏市などとの比較もあり、大瀧先生と私と2人の研究者の計4人で連休明けに各地を回りました。


swissinfo.ch : チョウの死亡数を数えたり異常形態を見つけたりと、以前の「公監査」とは全く異なる研究。

        ギャップを感じましたか?


野原 : 毎日が必死で、がけっぷちに立たされているような日々。そんなことを感じる余裕は正直なところなかった。

    内部被曝させるため、汚染したカタバミを採集に郡山や

    (原発から西へ約60キロメートルの)本宮に10日に一度通っていたからです。

    沖縄から羽田に飛び、そこから車を走らせて福島県に着き、カタバミのあるところを探し、

    同時にそれを宅配便で一日3、4回沖縄に送ってくれる業者を探しました。

    一度行くと3泊し、沖縄に戻ると私の不在中に草をやってくれていた研究者に負担をかけたくないので、

    到着の夜はそのまま研究室で徹夜し草をやる。そんな生活を1年半やりました。


swissinfo.ch : これまでの実験の中で、最も印象に残ったことは?


野原 : 福島県の福島市、飯舘村、広野町の汚染食草と山口県宇部市の食草を与えた内部被曝の実験です。

    その実験で、羽化したチョウのうち、

    福島市と飯舘村2カ所のチョウの動きが山口県の葉を食べて育ったチョウに比べて、

          明らかにモタモタしている。

    毎朝、羽化するチョウがすべてそうなのです。大変な衝撃を受けました。

    これがいわゆる「原爆ぶらぶら病」なのかと感じました。

    しかし残念ながら、こうした事態を想定していなかったので、

    そのような動きの違いを定量化することはできなかった。

    ですから、形態異常が見られなかったそれらのチョウは、「正常」なチョウとしてカウントしています。

    このことから、私は、確実に福島で何かが起こっていると感じました。


swissinfo.ch : 今進行中の研究や最近の研究の成果を教えてください。


野原 : つい最近まで、研究者の1人の平良渉さんと一緒にゲノム解析のためのDNA抽出をやっていました。

    鹿児島のヤマトシジミのDNA配列は読めたので、

    今後は彼が中心となって福島地方のチョウのゲノムとの比較をやっていきます。

    ゲノム変異解析研究は、異常形態がゲノムレベルで起こったのかを知る上で、とても大切なのです。

    また、つい最近発表した内部被曝の観察結果は興味深い上、

    私にとっては光が一筋さしたような研究になりました。

    まず、沖縄の第1世代(F1)の幼虫に、一方には沖縄の草を、他方には本宮や郡山の草を与えた。

    するとやはり後者のグループの死亡率・異常率は沖縄グループより高かったのです。

    ところが、第2世代(F2)で、たとえ親のF1に本宮・郡山の草を与えても、

    F2に沖縄の草を与えたグループ(F1本宮―F2沖縄、F1郡山―F2沖縄)は生存率が高く、

    2世代とも沖縄の草を与えたグループ(F1沖縄―F2沖縄)とほほ同じ生存率を示しました。

    つまり、これを人間に適応して考えた場合、第2世代に汚染されていない食品を与えれば、

    生存率において問題がなくなる可能性が示唆され、そういう意味で私には希望が感じられたのです。


swissinfo.ch : 物理学者や生物学者、そして医者などが多く集まった今回のシンポジウムでも、

        このF2に沖縄の草を与えた場合の生存率の高さは、大きな反響を引き起こしました。


野原 : 確かにF2で生存率・正常率が回復したので反響は大きかった。しかし次の二つはきちんと確認したい点です。

    一つは、F1で本宮や郡山の草を与えた場合の死亡率・異常率は相変わらず高いということです。

    そしてもう一つは、沖縄の草のお陰で生存率や正常率は回復したF2でも、

    ゲノムのレベルで損傷が起こっていないとは言えない点です。

    ところで、聴衆の1人が独自にこうした結果を人間に当てはめ、

    チェルノブイリの第2世代の子供たちが同じ場所にとどまり、

    今でも汚染された食品を食べ続けていることは問題だと発言しました。

    実際、チェルノブイリ事故後に身体的・精神的問題を抱えた第2世代が苦しみ、

    時に自殺したり、またはこうした状態に耐えられない父親たちが家出したりといった話はよく耳にします。

    福島から沖縄に避難した、いわば第1世代の人々もさまざまな症状を抱え苦しんでおられる。

    私は、そうした被曝者が社会に受け入れられることと、

    彼らがそれぞれの症状に応じた治療相談にのってもらえる拠点が、日本には必要だと思っています。

    そこで得られる治療法や情報は、まだ確立していないものや極端な場合はプラセボ(偽薬)でもいい。

    とにかく、ベラルーシなどでの経験を学びつつ、孤立しないでお互いに情報を交換できる場所が必要なのです。

    実は今、ヤマトシジミチョウの研究を続けながら、

    福島から沖縄への避難者の方々とその実現に向けて模索している最中です。




野原千代さん略歴 琉球大学大学院理工学研究科・海洋自然科学専攻・博士課程前期終了。

元愛知大学准教授、元早稲田大学パブリックサービス研究所客員研究員。

国土交通省独立行政法人評価委員、名古屋市、東海市、三重県行政評価委員等歴任。

所属学会:日本地方自治研究学会、日本監査学会等。


インディペンデントWHO今回フォーラムを開催したのは世界保健機構(WHO)の独立性を求めるNGO、

インディペンデントWHO(Independent WHO)。


「原子力を推進する国際原子力機関(IAEA)からの圧力により、

WHOは低線量被曝に関して世界に正しい情報を与える任務を放棄している」と批判する団体。


低線量被曝が生物や人間に与えるさまざまな影響を研究する世界の専門家による

シンポジウムを2012年に引き続き今年も開催した。


今回のテーマは「放射線の遺伝子への影響」。


発表者の中には、ドイツ・クリュンメル原発周辺で白血病にかかる子供の数の増加を明らかにした

研究で有名なドイツの物理学者、インゲ・シュミッツ・フォイエルハーケ氏も含まれている。

なお、今年のシンポジウムはジュネーブ市、緑の党などが支援している。








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これでいいのか選挙のしくみ



投票率の低さが言われるようなって久しい。

ひとが集まれば何らかのかたちで必ず話題になる。


何処かの国のような100パーセントの投票率も問題だが、

わずか30~40パーセントの投票率で選ばれたひとが政治を行なっていいものだろうか。


30~40パーセントの支持ではない。

これで民意を反映した政というなら傲慢である。


「若い世代が動かない」 政治意識の高さを自負するひとびとはそう言って顔をしかめる。

しかし、動かないのはむしろ私を含めた旧世代だと思われてはいないだろうか。


考えてみれば暮らしに関わるさまざまなことを決める "方法" は私の幼少期も今も基本的には

何も変わっていない。

選挙で選ばれたひとが集まり、多数決でものごとを決めていく。


確かに選挙制度はすこしずつ変化してきてはいる。

小選挙区制が導入されたし、参議院の全国区も無くなった。


しかし変わらないのはいつの時代でも多数を占める勢力が自分たちに有利に働くような制度を作ることである。

2次元的な思考を繰り返し、小手先で制度をいじくっていても民意を反映しない "方法" は何も改善されない。


多数決が民主主義の基本である、そう信じている人は多い。本当にそうだろうか。


51パーセントのひとが49パーセントのひとの意志を抹殺してしまう、これは本当に正しいことなのだろうか。


町内会の各班の中で棄てられていった意見がある。

校区の中で棄てられていった意見がある。

自治体の中で棄てられていった意見がある。


そうして出来上がったものが県レベルの意見と言うのであれば、

そこでいう民意というのは虚しさの結晶でしかない。




オーディオ雑誌に時折アンプのランキングが発表されることがある。

その年に販売された機種の中から評論家といわれる人々が優良製品を投票で選んでいくというものだ。


しかし、ここで上位にランクされた機種が多くのひとの共感を得るとは限らない。

趣味の世界ということもあろうが、全員が「良い」と選んだ機種ほどつまらないものはない。


確かに一定の水準にはある。

しかし、「馬鹿ちょんカメラ」などと揶揄される全自動のカメラで撮った画像がもの足らないのと同じで、

結局は誰の満足も得られない。


ひとり一票で投票するとこういうことが起きてしまう。




総意を求めていく投票のやり方もさまざまな方法があることを学ぶべきだ。


投票用紙にひとりの候補者の名前を書くということが定着しているが、

あの人もこの人も選びたいと思ったことは無かったろうか。

逆に、あの人だけは絶対に選ばれてほしくないと思ったことはなかったろうか。


     ひとりの名前を書く


     複数の名前を書く


     すべての人を持ち点で評価する


etc さまざまな工夫が議論されてよいはずだ。

投票を2回行なうことも議論されてよいだろう。




この「死に票」の多い制度が改善されたとしよう。それでも問題は残る。


私たちは立法府の議員を選ぶ。そこで法律を作っていくと教えられてきた。確かにそうではある。 
 
が、基本的なところを押さえておかなければならない。


正確に言えば、官僚が作った議案を妥当かどうか議論しているだけでしかない、ということだ。

議員立法というものもあり、提出される議員が大変なご苦労をされていることもよく知っている。


しかし、基本的には上記のような図式だ。

「賛成」「反対」「修正」のほかに選択肢が無いとしたらどうだろう。

いとも簡単に恣意的に方向付けられていくように思うのはあまりにうがった見方だろうか。


「他に必要な法律があるだろう」という有権者の素朴な思いとかけ離れたところで

メディア監視法は成立してしまった。


「そもそも論」というか、「哲学」というか、

大切なものがないがしろにされたまま霞ヶ関発信の議案が国会で討議されている。

これは民主主義政治といえるものなのだろうか。


民意の反映という極めてあたりまえのことについて私たちは今一度検証すべきである。


「若い世代は政治意識が低い」と批判するのは簡単である。

しかし、彼らのメッセージを正確に読み切れないでいては投票率は限りなく "ゼロ" に近づくのは間違いない。








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オタマジャクシが降ってくる




私の住む石川県ではよくオタマジャクシが降ってくる。

2011年6月には加賀市で2009年には七尾市で多くのオタマジャクシがみつかった。

近頃では天気予報の時間に「オタマジャクシ予報」をしていて観光客を驚かせている。


「オタマジャクシ予報」のことは冗談だが初めての時より反応も落ち着いてきているのは事実だ。

サギの落とし物説が有力だがつむじ風説を言う人もいて最終結論には至っていないようだ。

豊かな自然ってことよ、と涼しげにこたえる友人もいる。

オタマジャクシ騒動をどう見ますか。何人かに尋ねてみた。


   「いやぁ~ オタマジャクシのことはわからんわ」


   「自分 理科系弱いし・・・」


の返事がほとんどだ。

私が問題と感ずるのはオタマジャクシそのものではなくこの「騒動」から私たちは何を学ぶかだ。

一つの事象に対して分析することもできず、

異常を異常のまま見過ごしているとその陰に隠れた重大な警告を見のがしてしまう。

工場での安全管理、危険回避の底にある考え方は社会現象に対しても同じだろう。


私たちの周りでは日々、さまざまなことが起き、俊敏な対応を求められる。

何度も体験していること、滅多に起きないこと、初めて体験すること、いろいろであっても、

暮らしを守るためには「想定外」などとは言っていられない。

学識や技術を総動員して対処しなければならない。


しかし、昨今の財源不足とやらで、予算がつくのはすぐさま利益になりそうな部門ばかりだ。

産官学共同研究にはスポットライトはあたるが、地味な基礎研究部門は資金難にあえいでいる。

すぐさま成果の出ないものは疎んじられている。

確かに、理論物理学や分子生物学で画期的成果があったからといって、どこかの株価が上がるものでもない。


しかし、fundamentalな研究あってこその応用科学だろう。

「異常」は「変わりばえのしない日常」の観察があってこそ見えてくるものだ。

オタマジャクシ騒動はfundamentalな研究がないがしろにされている証左といえる。


近視眼的な応用科学偏重の社会は薄っぺらな未来しか見ることはできない。

短兵急に日々の利益を貪る似非資本家たちに地球の諸問題の解決はできない。

一見、箸にも棒にもかからないようなものでも思わぬ利益を生むということはよく聞く。

コーディネート次第で社会はいくらでも変化する。

基礎科学の充実とコーディネーターの養成が求められている。


「つまらないもの」「取るに足らないもの」が大事にされる社会はあらゆる変化に適応できる

潜在力を有する豊かな社会といえる。









参考までに・・・

@nifty:デイリーポータルZ:オタマジャクシは降っているのか in 加賀
http://portal.nifty.com/kiji/110629145386_1.htm









♪ お薦めブログ

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B級科学者批判



原発について某大学名誉教授は自身のブログで次のように書いている。


   私の考えはここで繰り返し述べましたが、『原発は危険だが必要である』

   『現有原発は危険で信頼性がないからすべて廃炉にして、より安全な新型原子炉を研究開発する』

   というものです。


氏は原発については、安全神話や事故隠しといった政府や電力業界の姿勢を批判する一方で


「あらゆる物理学の発展のうち、人類のために応用・利用してはならない特定の分野などあるはずもありません」

「物理学者が物理学で発見された理論を産業に利用されることを歓迎するのは当たり前のことです」


と原子力発電、核研究の必要性を声高に叫んでいる。


やはりこの御仁も「事故が起きなければいいんでしょ」という単純回路の人間のようである。

このような人物が科学者の評価を貶めている。


原発の今日的課題は、処理できぬまま増え続ける高レベル廃棄物問題であり、

自然現象では決して起こりえない温排水による環境破壊の問題であろう。


生態系のみならず、気象にも影響が出ているととらえるべき重大な問題である。

氏にはそんな本質的な問題を理解する能力は微塵もなさそうだ。


事故の処理をどうするのか、このことが緊急の大問題であることは言うまでもない。

と同時に正常運転時の危険も語られるべきであろう。


潜在的な危険なのではない。

温排水の問題も高レベル廃棄物の問題も今まさに起きていることである。

社会はこれを見ようとしないだけではないか。


原発は危険だが必要であるという氏だが、その必要性の根拠は曖昧なままである。

氏の言う必要性はほとんどの炉が停止している状況の中でどれだけの説得力があるのだろうか。


氏が「より安全な新型原子炉を研究開発する」そう言うのであれば

自らが先頭に立って人類の危機ともいうべき状況に立ち向かうべきではないか。

タレント活動などしている時間などあるはずもなかろう。


氏は高レベル廃棄物の処理や廃炉の問題について

「それを克服する科学的・技術的努力もまた科学技術の発展によって成果をあげるでしょう」と

超楽観論を展開するだけに止まらず、脱原発運動など一連の原子力否定論に対しては

「文明を拒否する誤った態度」と厳しく批判している。


このかたの文明観とはどのようなものなのだろうか。

薄っぺらな知識をひけらかして、社会に不完全な技術を送り込むことが文明というなら、

人類はもはや文明を必要としない域にまで達している。


数多の道具や技術の内に潜む愚かさや危険に目覚めた人類はいま新たな船出の準備にとりかかり始めている。

哲学のないB級科学者氏にはそれが見えていない。


原発否定派の代表的論客の一人である広瀬隆氏に関して、氏は

原子力工学の大学院を出ている人間でも解からないことが多いのに

理工学部応用工学科しか出ていない人間が原発の安全性について断定的に言えるのか、

と専門家でないことを痛烈に批判している。


その一方で、福島原発事故については

水素爆発などの事故対策の手抜かりなどを批判したものの、地震対策については概ね評価している。

??? 土木や建築の専門家ではないかたが何故そこまで断言できるのか。


事故発生後に農作物の出荷規制が起きた際には、

「そもそも出荷規制の根拠となる暫定基準値が最悪のケースを想定したものであって、

さほど問題にすべきものではない」と発言し、出荷停止になった野菜を食べるとまで言い切っている。

東京大学アイソトープ総合センター 児玉龍彦教授ならば氏の発言をどのように評価されるだろうか。


専門外の人間を否定するなら、このかたはご自身の研究テーマについてのみ発言すべきであろう。

レオナルドダヴィンチにも勝る天才というなら話は別だが・・・・・


氏は原子力以外の代替エネルギーについても否定的である。太陽光発電については

「太陽光パネルの寿命は短い。4,5年も経つと部品の劣化・接続不良などの故障が起こる。

15年で元をとるとか20年では優に元がとれるというがこれはまゆつば」と完全に効果を否定している。


ここでは現代の科学技術の発展によって克服できるとは述べようとはしない。


いやはや、どこかの市長を彷彿とさせるような行き当たりバッタリの迷走ぶりである。

科学者としての名声が聞こえて来ぬのもうなづけようというものだ。


氏の言う「克服する科学的・技術的努力もまた科学技術の発展によって成果をあげる」とは願望の域を出ていない。

確かに科学者といえども人間であるからにはロマンを追い求めることもあってよい。

ときには学究の日々を支える大きな力にもなろう。


が、おのが感情を抑え、あるがままを冷徹に観るところからすべての学問は始まるのではないか。

いや、学問だけに止まらない。

心のありかたも含め私たちのすべてはスタートをそこに置かなければならない。

願望が先んじれば過ちを犯すのは私たちは日々の暮らしの中で嫌というほど体験してきている。


「将来克服されるであろう」などと自分たちの無能を次世代に丸投げする姿勢は

いやしくも科学を志した人間には決してあってはならないことである。


それを口にした時点でそれまでの日々が水泡に帰すこととなる。

学者としてのみならず、人間としてのすべてを失うこととなろう。


抜け殻になっていることにさえ気づけぬような者は端から学者の名に値しない。


B級科学者たちの視野の狭さ、専門馬鹿ともいえるこうした身勝手な論理こそが

地球の危機を招いているのではないか。


私の知る学者は終生、学問を追究するかたがほとんどだが

優秀な科学者であるはずの人物がタレント活動に明け暮れるのは何故なのか、素朴な疑問ではある。




危険なもの、制御できぬもの、得体の知れぬものは作らない、これにまさる事故対策はない。








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B級科学者批判 




原発について某大学名誉教授は自身のブログで次のように書いている。


   私の考えはここで繰り返し述べましたが、『原発は危険だが必要である』

   『現有原発は危険で信頼性がないからすべて廃炉にして、より安全な新型原子炉を研究開発する』

   というものです。


氏は原発については、安全神話や事故隠しといった政府や電力業界の姿勢を批判する一方で


「あらゆる物理学の発展のうち、人類のために応用・利用してはならない特定の分野などあるはずもありません」

「物理学者が物理学で発見された理論を産業に利用されることを歓迎するのは当たり前のことです」


と原子力発電、核研究の必要性を声高に叫んでいる。


やはりこの御仁も「事故が起きなければいいんでしょ」という単純回路の人間のようである。

このような人物が科学者の評価を貶めている。


原発の今日的課題は、処理できぬまま増え続ける高レベル廃棄物問題であり、

自然現象では決して起こりえない温排水による環境破壊の問題であろう。


生態系のみならず、気象にも影響が出ているととらえるべき重大な問題である。

氏にはそんな本質的な問題を理解する能力は微塵もなさそうだ。


事故の処理をどうするのか、このことが緊急の大問題であることは言うまでもない。

と同時に正常運転時の危険も語られるべきであろう。


潜在的な危険なのではない。

温排水の問題も高レベル廃棄物の問題も今まさに起きていることである。

社会はこれを見ようとしないだけではないか。


原発は危険だが必要であるという氏だが、その必要性の根拠は曖昧なままである。

氏の言う必要性はほとんどの炉が停止している状況の中でどれだけの説得力があるのだろうか。


氏が「より安全な新型原子炉を研究開発する」そう言うのであれば

自らが先頭に立って人類の危機ともいうべき状況に立ち向かうべきではないか。

タレント活動などしている時間などあるはずもなかろう。


氏は高レベル廃棄物の処理や廃炉の問題について

「それを克服する科学的・技術的努力もまた科学技術の発展によって成果をあげるでしょう」と

超楽観論を展開するだけに止まらず、脱原発運動など一連の原子力否定論に対しては

「文明を拒否する誤った態度」と厳しく批判している。


このかたの文明観とはどのようなものなのだろうか。

薄っぺらな知識をひけらかして、社会に不完全な技術を送り込むことが文明というなら、

人類はもはや文明を必要としない域にまで達している。


数多の道具や技術の内に潜む愚かさや危険に目覚めた人類はいま新たな船出の準備にとりかかり始めている。

哲学のないB級科学者氏にはそれが見えていない。


原発否定派の代表的論客の一人である広瀬隆氏に関して、氏は

原子力工学の大学院を出ている人間でも解からないことが多いのに

理工学部応用工学科しか出ていない人間が原発の安全性について断定的に言えるのか、

と専門家でないことを痛烈に批判している。


その一方で、福島原発事故については

水素爆発などの事故対策の手抜かりなどを批判したものの、地震対策については概ね評価している。

??? 土木や建築の専門家ではないかたが何故そこまで断言できるのか。


事故発生後に農作物の出荷規制が起きた際には、

「そもそも出荷規制の根拠となる暫定基準値が最悪のケースを想定したものであって、

さほど問題にすべきものではない」と発言し、出荷停止になった野菜を食べるとまで言い切っている。

東京大学アイソトープ総合センター 児玉龍彦教授ならば氏の発言をどのように評価されるだろうか。


専門外の人間を否定するなら、このかたはご自身の研究テーマについてのみ発言すべきであろう。

レオナルドダヴィンチにも勝る天才というなら話は別だが・・・・・


氏は原子力以外の代替エネルギーについても否定的である。太陽光発電については

「太陽光パネルの寿命は短い。4,5年も経つと部品の劣化・接続不良などの故障が起こる。

15年で元をとるとか20年では優に元がとれるというがこれはまゆつば」と完全に効果を否定している。


ここでは現代の科学技術の発展によって克服できるとは述べようとはしない。


いやはや、どこかの市長を彷彿とさせるような行き当たりバッタリの迷走ぶりである。

科学者としての名声が聞こえて来ぬのもうなづけようというものだ。


氏の言う「克服する科学的・技術的努力もまた科学技術の発展によって成果をあげる」とは願望の域を出ていない。

確かに科学者といえども人間であるからにはロマンを追い求めることもあってよい。

ときには学究の日々を支える大きな力にもなろう。


が、おのが感情を抑え、あるがままを冷徹に観るところからすべての学問は始まるのではないか。

いや、学問だけに止まらない。

心のありかたも含め私たちのすべてはスタートをそこに置かなければならない。

願望が先んじれば過ちを犯すのは私たちは日々の暮らしの中で嫌というほど体験してきている。


「将来克服されるであろう」などと自分たちの無能を次世代に丸投げする姿勢は

いやしくも科学を志した人間には決してあってはならないことである。


それを口にした時点でそれまでの日々が水泡に帰すこととなる。

学者としてのみならず、人間としてのすべてを失うこととなろう。


抜け殻になっていることにさえ気づけぬような者は端から学者の名に値しない。


B級科学者たちの視野の狭さ、専門馬鹿ともいえるこうした身勝手な論理こそが

地球の危機を招いているのではないか。


私の知る学者は終生、学問を追究するかたがほとんどだが

優秀な科学者であるはずの人物がタレント活動に明け暮れるのは何故なのか、素朴な疑問ではある。




危険なもの、制御できぬもの、得体の知れぬものは作らない、これにまさる事故対策はない。








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オタマジャクシが降ってくる




私の住む石川県ではよくオタマジャクシが降ってくる。

2011年6月には加賀市で2009年には七尾市で多くのオタマジャクシがみつかった。

近頃では天気予報の時間に「オタマジャクシ予報」をしていて観光客を驚かせている。


「オタマジャクシ予報」のことは冗談だが初めての時より反応も落ち着いてきているのは事実だ。

サギの落とし物説が有力だがつむじ風説を言う人もいて最終結論には至っていないようだ。

豊かな自然ってことよ、と涼しげにこたえる友人もいる。

オタマジャクシ騒動をどう見ますか。何人かに尋ねてみた。


   「いやぁ~ オタマジャクシのことはわからんわ」


   「自分 理科系弱いし・・・」


の返事がほとんどだ。

私が問題と感ずるのはオタマジャクシそのものではなくこの「騒動」から私たちは何を学ぶかだ。

一つの事象に対して分析することもできず、

異常を異常のまま見過ごしているとその陰に隠れた重大な警告を見のがしてしまう。

工場での安全管理、危険回避の底にある考え方は社会現象に対しても同じだろう。


私たちの周りでは日々、さまざまなことが起き、俊敏な対応を求められる。

何度も体験していること、滅多に起きないこと、初めて体験すること、いろいろであっても、

暮らしを守るためには「想定外」などとは言っていられない。

学識や技術を総動員して対処しなければならない。


しかし、昨今の財源不足とやらで、予算がつくのはすぐさま利益になりそうな部門ばかりだ。

産官学共同研究にはスポットライトはあたるが、地味な基礎研究部門は資金難にあえいでいる。

すぐさま成果の出ないものは疎んじられている。

確かに、理論物理学や分子生物学で画期的成果があったからといって、どこかの株価が上がるものでもない。


しかし、fundamentalな研究あってこその応用科学だろう。

「異常」は「変わりばえのしない日常」の観察があってこそ見えてくるものだ。

オタマジャクシ騒動はfundamentalな研究がないがしろにされている証左といえる。


近視眼的な応用科学偏重の社会は薄っぺらな未来しか見ることはできない。

短兵急に日々の利益を貪る似非資本家たちに地球の諸問題の解決はできない。

一見、箸にも棒にもかからないようなものでも思わぬ利益を生むということはよく聞く。

コーディネート次第で社会はいくらでも変化する。

基礎科学の充実とコーディネーターの養成が求められている。


「つまらないもの」「取るに足らないもの」が大事にされる社会はあらゆる変化に適応できる

潜在力を有する豊かな社会といえる。









参考までに・・・

@nifty:デイリーポータルZ:オタマジャクシは降っているのか in 加賀
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脱原発で日本再生

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ただいまの時刻は・・・

水のごとくに  無文翁

「私」という宇宙

文言で語る世界      文言でしか語れない世界

そったらことも      わからいでかの

"さんづけ"を多用する社会

危険ゾーンに入ってきた

こうして戦争へ向けた世論が形成されていく

感じませんか

紛争解決に尽力することが先だ

ユニオンジャックのガラス窓

原爆許すまじ

政に想定外はない

子どもの声が届かない

永田町住人たちの犯罪

永田町住人たちの犯罪2

その『神様』とは・・

クリーンなイメージ???

投票時間繰り上げ

私たちは騙されない

これでも放送受信契約を結びますか?

小異を残して大同につく

上意下達(じょういかたつ)

100年経っても変わらない

オリンピックはスポーツか

おせんで泣かすな

手袋をしていませんか

そもそも そもそも論が欠けていないか

風評じゃない!

何ひとつ解決できていない

誘導されていませんか? その法務行政

みんなちがってみんないい

65歳以上の独居老人に福祉は必要か?

厚労省は自由診療体制に誘導か?

奇妙きてれつ

会員No.1095

PURPLE RAIN

ニュートラルにするということ

バイタルサインを測る

異変を見逃す若者

現代詩を詠む一休禅師

沢庵和尚も浮かばれません

呆けたか 尾関宗園 

We shall overcome

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季節と共に・・・・・  アーティスト和泉淑子からのメッセージ

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小出裕章氏情報土曜21:00~

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911冤罪被害者    山崎淑子さん   

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